愛欲の鬼 其の三

 願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ     西行法師

其の三

 鬼が復活して、さらに二ヶ月近くが過ぎ……。 

 ――太政大臣・藤原良房の邸宅にて。
「兄上、叡山に、相応(そうおう)という僧がおりまする。願を立てて、近江の国は比良(ひら)の山中に、三年の間籠もっておりましたが、この度、参籠(さんろう)を終えて戻って参ったようです。この者は、かつて、私の娘に憑いた悪霊を祓ったことがあり、その霊験は私が保証いたします。この者を召して、かの鬼を調伏させてはいかがでしょう?」
 そう進言したのは、良房の弟である、西三条大納言こと、藤原良相(ふじわらのよしみ)であった。
「うむ、しかし、そもそも、あの鬼を生じさせてしまったのも、僧を召して祈祷させたのがもとじゃて……。身内の者と思って油断した儂も悪いが……。かの鬼の二の舞になりはせぬかの?」
「いや、この相応は、天台座主である円仁(えんにん)殿の高弟にて、その人柄は高潔にして、慈悲溢れ、人々の尊敬を集めることこの上なく、ゆくゆくは、円仁殿の後継として、天台座主にも、という傑物なれば、そのようなことはありますまい」
「そなたがそこまで言うのであれば、間違いはなかろうが……」
「しかし、衛士も役に立たず、陰陽頭も敵わないのでは、やはり神仏にすがるしか……」
「うむ、それしか有るまいかの……」
 良房が、ようやく重い腰を上げた。

 数日後、御所では。
 
 ――カランッ!
 乾いた音を立てて、后の衣装から何かが転げ落ち、
「……!」
 慌てた素振りで、后はそれを拾い上げる。
「ん?どうしたのだ、后よ?」
「え、あの…その……」
「何だ、見せてみよ」
「はい……」
 后が、おずおずと差し出した物。
「こ、これは!?」
 それを見て、智泉は思わず息を呑む。それは智泉の、いや、朝行の笛であった。
「この笛は、昔、大切な人に頂いた、わたくしの宝物でございます」
 そう言って、智泉の方を見上げた后の貌に、哀しげな翳が差す。智泉の前では、これまで見せたことが無い表情であった。
「も、もちろん……智泉様が捨てよと仰るのなら……捨てましょう……」
 智泉は、ぐい、と后を抱き寄せる
「そのように大切な物なら、捨てずとも良い。これからも大切にするが良かろう」
「ああ、智泉様……んん……」
(姫様……姫様が、まだ私の笛を持っていて下さった……)
 智泉は、后をきつく抱きしめ、口を吸う。
 后は目を細めて、智泉の舌に自分の舌を絡める。
 その身体から力が抜けていき、カララ……、と音を立てて再び笛が床に転がる。
「んんん……ん……はぁ、はぁ」
 口を離すと、后は大きく喘ぐ。智泉は、帯を解いて、后の衣装を脱がす。
 智泉と交わる日々を重ねたため、口を吸うだけで、すでに后の秘裂は濡れそぼっている。
「ああ!后よ!」
 智泉は、立ったままで后の身体を抱え上げ、己の肉棒を宛い、突き挿す。
「はっ!はあああぁ!」
 両腕を、智泉に絡みつかせて自分の身体を支え、后は首を反らせる。
「あっ!はん!はあっ!はっ!はっ!」
 智泉は、后の両腿を抱えた腕を上下させながら、それに合わせて腰を突き上げる。
「ひっ!は……っ!……!……っ!」
 いつもより激しい智泉の動きに、息継ぎが出来ないのか、后の声が掠れ、その口から空気の漏れる音と、接合部からの、ペチャ、ペチャ、という淫猥に湿った音のみが聞こえる。
「あっ!……っ!がっ!……!」
 智泉は黙々と腰を振り続ける。
「……!……っ!」
 智泉の動きに熱が入っていき、后の口から時折、ヒュッ、と笛の音のような甲高い音が漏れる。
 そして、智泉が、腰を后の奥深くまで力強く貫くと、
「…………っ!ぐ…………ぁぁぁぁぁあっ!」
 后は、智泉の首にしっかりと腕をかけ、上半身を仰け反らせて、声にならない叫びを上げる。
「ぐ……ん!はぁはぁはぁはぁ……」
 一瞬息を止めて、ビクッ、と身体を震わせると、后は、智泉に縋り付いて、激しく息を継ぐ。
「はぁはぁはぁ……あん!はぁはぁはぁ……」
 身体は繋がったまま、智泉が腰を下ろすと、后は、その衝撃で短く叫び、再び喘ぐように息を吸い続ける。
「はぁはぁ……ああ!ち、智泉様!?」
 后の喘ぎが収まらぬうちに、智泉が再び腰を突き動かす。
「あ!はぁはぁ……今は……はぁはぁ…まだ……あああん!」
 達した余韻が冷めぬうちに再開され、后が、喘ぎながら、軽く拒絶しようとするが、智泉は構わず腰を突き上げる。
「あ!がっ!ち!智泉!さま!は!激しゅうございます!」
 絶頂に持って行かれた状態から落ち切らぬまま、再び快楽の海の中に投げ込まれ、后の目の焦点が失われてくる。
 しかし、それで余計な理性が消えたのか、智泉に合わせて、后の腰も動き始める。
「ああん!はうん!はっ!はあぁ!」
 頭をガクガクと震わせて喘ぎながら、腰を振り続ける后。
 しかし、先程激しく達したばかりでもあり、そう長く保ちそうもない。
「んんんっ!くはああああぁ!」
 体を反らせて大きく叫ぶと、智泉の肉棒をきつく締め付ける。
「くっ」
 その刺激に、智泉も再び精を放つ。
「ああっ!……はああああああぁっ!」
 意識が飛んだのか、一瞬、后の瞳から光が消える。
「あああぁぁぁ……はぁ……はぁはぁ」
 智泉に身体を預けるようにして、激しく息をする后。
「后よ!まだだ!」
「ち……ちせ…ん…さ……ま?」
 智泉は、身体を入れ替えさせて、后の身体を四つ這いにさせる。
「ああ!かはああぁ!」
 すでに、身体を支える力は残っていないのか、一突きで、后の腕が崩れ、尻を突き上げる姿勢になる。
(姫様が……私の笛を宝物と……大切な人に貰ったと……)
「ああ!后!后よ!!」 
 智泉も、大声で叫びながら、激しく抽挿を繰り返す。
「はあああぁぁ!くふう!ああ!はっ!はあんっ!」
 后は、褥(しとね)に顔を伏せたまま嬌声を上げる。その背中は、汗に濡れて光り、智泉の抽挿に合わせてその身体が大きく揺れる。
(姫様は……ずっと私のことを……)
「くっ!后!があっ!」
 智泉は、咆哮のような声をあげながら、腰を突く。
「かはぁ!あっ!はあああぁ!」
 ズルズル……と、后の腰が落ち、完全に俯せになる。それでも、智泉は腰を動かすことを止めない。
「ああ!はぁ!ちせんさま!あああ!」
「ああ!后よ!!」
(姫様!姫様!)
 后を犯し続ける智泉には、もはや、鬼になったときのような昏い情欲も、鬱屈した思いも無かった。
 ただ、后を抱いていたかった。
「后よ!愛しているぞ!」
「はあぁ!わ、わたくしもっ!ああ!ちせんさまっ!」
「后ーっ!」
 智泉が、絶叫しながら、三度后に精を注ぐ。
「ああ!ひああああああああぁ!!」
 后は、もう身体を反らすことすら出来ず、僅かにその身を硬直させて智泉の精を受け、
「ああぁぁぁぁ……ぁ……」
 余韻に浸る間もなく意識を手放したのだった。

 智泉は、褥の傍に落ちている笛を拾い上げ、庭に面して座る。
 后は、先程の激しい行為で意識を失ったまま、しばらくは目を覚ましそうにない。
 智泉が鬼になったのは、夏の暑い頃であった。
 あれから、半年以上が過ぎ、すでに辺りには春の気配が漂い始めている。
(そういえば、姫様と初めて会話を交わしたのは、桜の花も終わる頃であったか……)
 庭に植えた桜の木の、花が少しばかり開きかけているのを見て、智泉は昔のことを思い出す。
 そして、おもむろに笛を持ち上げる。
 鬼となった身の、耳元まで裂けた口でも、笛の音は出てくれた。
 それは、昔、姫様によく聞かせた曲であった。
 夕闇が迫る庭に、哀愁を帯びた旋律が漂う。
(この音色……手入れが行き届いている……)
 笛に限らず、およそ楽器というものは、長い間手入れもせずに置いておくと、音が出なくなり、出ても、音の質が落ちるものである。
(この笛を、姫様に渡して、幾歳経つだろうか……。それ程までに、大切にして下さっていたのか……)
 吹くほどに、智泉の輝く目から涙が溢れる。
(私にも……鬼となって尚、流す涙があるというのか……)
 智泉は、涙を流しながら、笛を吹き続けた。

 そのまま、数曲吹き終えた時、
「いや、見事なものでござる。鬼になったとはいえ、さすがは藤原の家の者、風流でござるな」
 不意に、庭の隅から声をかけてきた者があった。
「誰だ!?」
 智泉は、笛を床に置き、警戒しつつ誰何(すいか)する。
「私は、叡山の僧にて、名を、相応と申す」
 物陰から現れたのは、一人の僧であった。
「叡山の僧が、我を調伏しに来たのか?」
 智泉も、庭に降りて、相応と名乗る僧と正対する。
「いや、まずは説得をな」
 僧からは、予想外の答えが返ってきた。
「説得だと!?」
「うむ、悔い改めて成仏してもらえぬものかと」
 相変わらず智泉は警戒を解かない。物腰は柔らかいが、膚にひりひり来るほどに霊力の強さを感じる。
(こやつ……できる!滋岳川人の比ではあるまい……)
「戯れ言を。この姿を見たらわかるであろう。我は、もはや地獄に堕ちるのみ。どうして成仏など出来ようか」
「されど、心根までは、鬼と化してはおらぬと私は見受けたが」
「見ておったのか……」
「うむ、涙を流す鬼など、そうそうおるまい。私は貴殿を惜しんでおるのだよ、貴殿ほどの力と、その、涙を流す心が有れば、たとえ一度は修羅界に堕ちたとしても、きっと成仏出来るであろうに」
「……成仏することに興味はない。我はただ后と共にありたい。后を愛しているのだ」
「貴殿も、かつて仏門に身を置いていた者ならわかっておろう。愛とは業。成仏の妨げになる煩悩にすぎぬ。愛欲に囚われていては、衆生を救うことなど叶わぬ」
「愛している者と共にいて何が悪い!愛する者一人救えなくて、どうして衆生が救える!?」
「では、今のこの状況で、貴殿は、御后様を救っているといえるのか?」
「ぐっ!」
「このままでは、貴殿はもちろん、御后様も地獄に堕ちよう。愛とはそういうもの。囚われると、人を救うどころか、道を踏み外す原因ともなる」
「黙れ!」
「聞いてくれぬか……。貴殿を惜しんでいるのは本心からなのだがな」
「言ったであろう!成仏などに興味はないと!我は愛する者といたいだけだ!」
「是非も無し、か」
「ああ。そなた……相応とか言ったな。立ち去るが良い、説得は失敗ということだ。……なぜ、その様に考えたのかは知らぬが、我のことを惜しむと言ってくれたこと、一応、感謝はしておく」
「貴殿の方こそおかしな者だな。感謝などと、その様なこと、言わずにおれば良いものを。しかし、去るわけにもいかぬのでな」
「フ……そうか。しかし、去らぬと言うのなら、容赦はせぬぞ」
 そう言って、智泉は腰を落とし、身構える。
「致し方ないか……オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ……」
 相応は、印を結び、呪を唱える。
 すると、相応の周囲に業火が巻起こり、智泉に向かって殺到する。
「くうっ!」
 智泉は咄嗟に気合いを発し、その炎を押し止める。
「この、三昧(さんまい)の真火は、あらゆる不浄を焼き尽くす。貴殿が強力な鬼と謂えども、灰のひとつまみも残るまい」
「ぐうううう!」
 智泉は、歯を食いしばって気を放ち、炎を止めようとするが、じりっ、じりっと相応の炎に押されていく。

 その時、

「朝行様!!」
「……なっ!?」
 裸身に、表衣(おもてぎぬ)だけを羽織って、后が智泉に抱き寄ってきたのである。
「なぜ……なぜ私が朝行だと……?」
「笛の音を……聞いておりました」
「目覚めておられたのか」
「はい……途中からですが」
 智泉を見上げる后の目には、狂気の色は見られなかった。
「正気に……戻られたのですか?」
「いいえ。……智泉様、いえ、朝行様にされたことは全て覚えております」
 一瞬、后の瞳に、先程までの淫蕩な光が戻った様な気がした。
 その身体は、火照ってほのかに色づき、上気して呼吸が乱れる。
「そのことを思い出しただけで、身体はこのようになって、また、朝行様のものが欲しくなります。わたくしは、こんなにも淫らで、はしたない身体にされてしまいました……」
 そう言うと、后は表情を曇らせてうつむく。
「……申し訳ございませぬ」
「しかし……しかし、わたくしは、朝行様のことを、お恨みいたしませぬし、後悔もいたしませぬ」
 后は、もう一度面を上げ、朝行を見つめる。
 その表情は、昔、見たことがある。そう、朝行が笛を渡したときの、少し思い詰めた様な表情……。
「……」
「むしろ、わたくしは嬉しく思っております。朝行様が、鬼になってまで、わたくしのことを想って下さっていたことに」
「……姫様」
「朝行様……」
 そう呼び交わすのは、いつ以来のことであろうか。
 二人は、そのまましばらく見つめ合っていた。
 そして……。
 フッ、と后が、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、智泉に口を寄せ……。
「……っ!」
 それまで、相応の真火を押し止めていた力が、一気に緩み、二人の身体は業火に包まれていく……。
「なんと……」
 相応が炎を収めたときには、二人の姿は……、灰すらも残っていなかった。

 ――それから、数週後。
 ここは、叡山の一堂。
 相応は、軒下に座して、散り行く桜を眺めていた。
 相応の手には、あの日に起こった出来事の唯一の証である、鬼の笛が握られていた。
 あの後、表向きには、鬼は調伏され、后は病に伏せていることになっている。
(そうであろうな、まさか、御后様が、鬼と共に地獄に堕ちたことを認めるわけにもいくまい)
 相応も、固く口止めされ、叡山に帰された。
 おそらく、今回のことで、自分は、天台座主になることはないであろう。
 しかし、その様なことはどうでも良いことだ。
 自分は、生涯一修行者のつもりであるし、名誉や栄達などには興味はなかった。
 もちろん、今回のことを他言する気も毛頭ない。

(それにしても…)
 自分は、あの時、炎を収めて、后を救うことが出来た筈だった。
 だが、出来なかった。
(あの時の、御后様のあの表情……)
 舞い散る桜を眺めながら、相応は考える。
(あれは、さながら菩薩の如くであった……)

 不意に、一陣の強風が花びらを巻き上げ、辺りの景色を薄紅色に染めていった。

< 完 >

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