道行く人々が忙しそうに行き交う大通りから、少しばかり外れた路地裏の雑居ビル。その4階という、決して恵まれた立地条件とは言えない場所で、その喫茶店は営業していた。
特に目を惹く看板やネオンサインを出しているわけでもなく、店の存在を示すものは他のスナックや金融事務所の表札と並んだ「喫茶ピクシー」と飾り気のない文字の書かれた表札のみ。にもかかわらず、不思議なほどに多くの人間が、大通りを外れてこの雑居ビルに出入りしていた。もっとも、それらの大半は男性だ。
大学の講義の合間と思われる男子学生。ビジネスバッグを持った、外回りの営業中らしきサラリーマン。あるいは、生活に余裕が伺える、少し高級そうなブランド品を身に着けた男性。一人きりで、あるいは男同士で連れ添ってこのビルに入る男性たちは、ほとんどがエレベーターに乗って真っすぐに4階に向かう。そして、たいていの場合数十分後、鼻の下を伸ばした緩み切った表情で再びこのビルから出てくるのだ。
また、それら多くの男性に混じって時折、一見してこんな場所に不釣り合いな女性も訪れる。学生らしきうら若い少女から、暇を持て余していそうなギャル、仕事帰りのスーツ姿のOLさんに、少し影を背負っていそうな妙齢の婦人。
年齢も身なりもまちまちであるが、たった一つだけ共通点と言えるものがあった。
それは、彼女たちの誰もが男性の目を惹くような容姿をしているということだ。
彼女たちもまた、男性たちと同じように、このビルを訪れると真っすぐに4階に向かう。男性たちと異なるところは、一度このビルに入った女性は、たいていの場合数時間は出てこないこと。
そして、ほぼ例外なくビルから逃げるように立ち去る彼女たちの頬は真っ赤に上気し、目尻を潤ませていることである。
そして今日もまた一人、セーラー服姿の少女が、この雑居ビルの並ぶ路地裏に足を踏み入れる。
すらりと伸びた背筋に、端正に整った顔立ち。いかにも真面目そうな見た目の少女は、彼女にとっておおよそ似つかわしくないこの建物に迷わず向かい、入口のガラス戸を開けて中に入る。そして、正面のエレベーターに乗り込み、慣れた手つきで行き先のボタンを押す。少々奇妙な光景だが、この周辺ではすっかりお馴染みとなっていた。
だが、普段とは少し異なるところは、エレベーターの扉が閉まる音を確認し、ビルの外の物陰からひょこりと中を伺う人物が顔を出したことだ。
先程の少女と同じ学校なのだろう、同じデザインのセーラー服に身を包んだ、活発そうなショートカットの、小柄な女の子だった。そして、辺りを警戒しつつ、エレベーターのランプの行き先を確認する。
「4階……『喫茶ピクシー』、か。ユカリったら、最近妙に付き合いが悪くなったからボーイフレンドでもできたのかと思って尾けてきたのに、何でこんないかがわしい場所に?」
学生のデートに適しているとはあまり思えないそのロケーションに、少女は独り言ちながら首をかしげる。
「……あ、でもユカリって大人っぽいから、こういう場末の喫茶店を利用する、年上の人が相手だったりして? それとも、もしかしてダンディなマスターに会いに来たとか……!」
想像力が豊かな年ごろなのだろう。勝手な妄想を膨らませながら、少女は目を輝かせる。
「こうしちゃいられないわ! 是非ともお相手の男の人が、ユカリにふさわしい男なのか見極めないとっ! この恋愛探偵、マイちゃんの名にかけて!」
一人で納得して頷くと、まだ見ぬダンディなマスターの姿に思いを馳せながら、マイは制服のスカートが翻るのも気にかけず一段飛ばしに階段を駆け上っていった。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「……はへ?」
レトロな字体で「喫茶ピクシー」と書かれた重い扉を押し開いた瞬間、マイが心に描いていたダンディなマスターの姿は粉々に砕け散った。
あまりにも特徴的な挨拶。
とびっきりの笑顔で出迎える、恐らく大学生であろうエプロンドレス姿のウェイトレス。
白と赤の明るいコントラストで彩られた内装。
そう、それは紛れもない『メイド喫茶』であった。
「え、え!? そんな、嘘っ! ダンディなマ……ユカリは!?」
マイはまるで狐に摘ままれたような気持ちだった。こんな地味な外装で看板すら出していないメイド喫茶など聞いたことがない。まさか知る人ぞ知る「隠れ家的メイド喫茶」だとでも言うのだろうか。
おまけに、これだけの条件の悪さにも関わらず、店内は平日だというのに大盛況であった。恐らく数十席はあるであろう座席の大部分は男性客で埋まっており、フロアでは確認できるだけでも6人のウェイトレスが所狭しと動き回り、忙しそうにオーダーを取ったり料理を運んだりしている。
それ自体の違和感もさることながら、ますますこの場所にユカリが用があるとは思えない。
慌てて店内の席を見渡すが、見つかるのはウェイトレスの姿を夢中になって眺める男性客ばかりで、目当てのユカリもダンディなマスターの姿も見当たらない。
まさか、途中の別の階で降りてしまったのを自分が見落としたのだろうか。というより、もはやそうとしか思えない。
混んでることを理由にでもして今すぐに出て行きたい気持ちだったが、タイミング悪くテーブル席が一席空いていたようだった。今更「間違えて入店した」と言うのも気が引ける。仕方ない、今日のところはユカリを探すのは諦めて、クリームソーダでも飲んで帰ろう。マイは、胸に「ミユキ」と可愛い文字の書かれたバッジをつけた先程のウェイトレスに案内されるままに席につく。
それにしても、とマイは不思議そうに辺りを伺う。なんだか妙に、店内の男性客の雰囲気に引っかかりを覚える。
誰もが、妙にぎらついた目つきで、フロアのウェイトレスの姿を目で追っているのだ。
もちろんメイド喫茶という店の性質から、男性客が大半であることも、ウェイトレスを見ることが目的であることも、ある意味当然のことなのかも知れない。
だが、こぞってウェイトレスの一挙一動に目を配り、時折いやらしい表情で鼻の下を伸ばすその姿は、やや異様だと言わざるを得なかった。
自分がメイド喫茶に来るのが初めてだからそう感じるだけで、これが一般的なのかも知れない。マイはそう自分を納得させることにした。
だが、その判断は誤りだったと気付かされたのは、直後のことだった。
事件は、お冷やの乗ったお盆を抱えたミユキさんがマイのテーブルに近づいた時に起こった。
「お嬢様、水をお持ちいたしまし……きゃぁっ!?」
何もない床で、突然ミユキさんが大きくバランスを崩し、その場に倒れ込んで尻餅をついてしまったのだ。
「ミユキさん、大丈夫っ!?」
「いたた……申し訳ありませんお嬢様、すぐに入れ直させて頂きます……!」
心配して声をかけるマイに対して、尻餅をついたミユキさんは大きく足を開いた姿勢のまま謝罪する。
その足の隙間から、白地に緑色のストライプの布が、完全に覗いてしまっていた。おまけに、コップはプラスチック製のため割れこそしなかったものの、ミユキさんのブラウスに水が派手にかかり、下とお揃いのしましまのブラまで丸見えだ。
「おおっ……!」
小さなどよめきとともに、店内の男性客たちの視線がミユキさんに集中する。
「ミユキさん、水はいいから、隠してっ!」
ウェイトレスさんがこれ以上痴態を晒すことがないようさりげなく促すマイ。
ミユキさんは暫く、意味が分からずに呆然としていたが、マイが小声で「パンツ見えてるから早く隠してってば!」と耳打ちすると、ようやくマイの意図が通じたらしい。
「え……キャッ。やだあ」
自分の姿を見下ろして下着が見えていることを認識すると間延びした悲鳴を上げ、数テンポ遅れてようやく自分のスカートをブラウスを隠す。
のんびりとした性格なのだろうか、恥ずかしがっている反応とは裏腹に、隠す動作は随分と緩慢だ。
「あうぅ……また、やっちゃった。くすん」
また、いうことは恐らく今回が初めてではないのだろう。
真っ赤になりながらぱたぱたとスタッフルームの方に駆けていくミユキさんを見守っていると、再び店内で大きな物音とともに「きゃっ」っという悲鳴が上がる。
こちらでは、20代後半くらいの巨乳のお姉さんが、バランスを崩して男性客の顔面におっぱいを押し付けるように倒れ込んでしまっていた。
いや、よく店内を見渡してみればそれだけではなかった。
スカートの裾がめくれ、水玉模様の下着を晒しながら接客する、高校生らしきお姉さん。
何度もフォークやスプーンを床に落とし、その度に足を曲げずに拾ってはチラリと薄黒い色の布を覗かせる、人妻らしき女性。
コーヒーをブラウスにこぼしてしまい、慌ててその場でブラウスを脱いでしまうあどけない少女。
店内のあちこちで、どう見ても偶然とは思えないレベルで男性客を喜ばせるハプニングが頻発していた。ここに至り、こういった物事に疎いマイも、一つの結論に思い至った。
「ここって喫茶店じゃなくて……もしかして『そういうサービス』のお店……?」
歓楽街などにありそうな、男性に性的なサービスを提供する店……いわゆる『風俗』と呼ばれる店であると考えると、色々と辻褄が合う。
だとしたら、自分のような女子学生が利用するには場違いにも程がある。知らなかったとはいえ、とんでもない店に入ってしまった。お店の人に、普通の喫茶店と間違えたと事情を話して帰してもらおう。
そう心に決めると、聞き覚えのある声が近くの客席から聞こえてきた。
「はい、ご主人様。『ふわふわクリームの萌えキュン♪パンケーキ』と、『弾ける☆恋心のトロピカルソーダ』でよろしいでしょうか?」
「うーん……ちょっと待っててね……他にも何を頼もうか、迷うなあ~……うーん」
オーダーを取っているウェイトレスに向かって、男性客がメニューを……というより、ウェイトレスをだらしない表情で眺めながら、注文に悩んでいる素振りを見せていた。
それもそのはず、前かがみになってオーダーを取るウェイトレスのブラウスのボタンが上から3つほど外れており、その豊満な胸の谷間と、ピンク色のブラジャーを目の前の客に見せつけていたのだ。
いや、店の性質を考えるとそれ自体は問題ないのかもしれない。
マイにとって問題だったのは、そのメイド服を着た、自分と同じ年ごろのウェイトレスに見覚えがあったということだ。
「……ユカリ!? あんた、こんなお店で何やってるの!」
思わず大声で叫んで、クラスメイトに駆け寄るマイ。人違いでないことは、胸のバッジにピンク色の綺麗な文字で「ユカリ」と書かれていることから明らかだ。
学校では厳格な風紀委員としてで通っているユカリが、まさか風俗で働いているなんて。
「ふぇ……? やだ、マイ! いつの間にお店に来てたの? ちょっと待っててね、今お客……ご主人様のお注文を伺ってるところだから」
「その前に、あんた胸! ちゃんとボタン止めて!」
「へ? ボタンならちゃんとかけて……やーん、いつの間に外れてたの!?」
指摘されて初めて気づいた、とばかりに白々しく驚いて、ブラウスのボタンを締めるユカリ。
だが、クラスでも一二を争うガードの固さを誇るユカリが、うっかりこんな大サービスを披露するはずがないのは明らかだった。
「そういう演技はいいから! とにかく今すぐこんな仕事やめなさいよ!」
「ふぇ? うちの学校って校則ゆるいから、バイトは別に禁止じゃないよ?」
「そういう問題じゃないでしょ! いくらうちの学校でも、バイト先が風俗店だなんて知られたら、下手したら退学だよ!?」
あまりに噛み合わない会話にマイが怒りをあらわにすると、慌ててユカリが両手を振って制止した。オーダーの途中だった男性客を含め、数人の客やウェイトレスが騒ぎに気付き、怪訝そうな表情で二人のやりとりに注目する。
「ちょ、ちょっと待ってよマイ! うちのお店はメイド喫茶だけど、風俗店じゃないよ!?」
「お客さんに下着を見せたり胸を押し付けたりするお店が、風俗店じゃないはずないでしょ!」
「ご、誤解だよ! 確かにさっきは見えちゃってたけど、普段から店長には胸元を開けないように言われてるのに私がうっかりしちゃっただけで……」
「――お客様、うちのメイドが何か粗相でも致しましたか?」
これだけ大声で騒いでいれば当然と言うべきか、ウェイトレスの報告を受けて駆け付けたと思われる女性に声を掛けられる。
ウェイトレスたちとは明らかに雰囲気が異なるスーツ姿の女性で、胸には「店長 高峰弥生」と印字されたバッジを着けている。
「粗相なんてもんじゃないわよ! この店は、従業員を雇うのに年齢確認もしてないの? 風営法違反でしょ!」
ユカリだけではない。ぱっと店内を見渡しただけでも、下手をすれば自分よりも年下なのではないかと思えるウェイトレスまであられもない姿を晒している。
風営法の細かい内容まではマイは把握しているわけではないが、未成年を雇って逮捕されたニュースなどは何度も目にしている。
だが、当の店長はたじろぐどころか、ふふふと微笑んで平然と答える。
「あら、ユカリちゃんも言ってたと思うけど、うちは別に風俗店じゃないわよ? 性的なサービスではなく、純粋に料理を提供しているだけ。
確かに、時にはうっかりはしたない格好をしてしまうメイドもいるけれど、私は店長として、常日頃から身だしなみには気を付けるように指導しているつもりよ?」
「そんなわけないでしょ! どう考えたって『うっかり』なんてレベルじゃないし、ユカリだって、普段は絶対に下着を見せちゃうような子じゃないんだから!」
「そんな曖昧な根拠で言いがかりをつけられても困るわね……第一、本当は下着だって見えてしまわないように、キャミソールやショートパンツ等の対策をするように推奨しているんだから」
店長の発言に、ユカリも頷く。
「う、うん! 今日だって私、パンツが見えないように下にスパッツ穿いてきたんだよ、ほら!」
ユカリがぐっとスカートの裾を掴んで大きく持ち上げる。ブラジャーとお揃いの、ピンク色のショーツが大勢の客に対して晒され、客席からは歓声が、マイからは悲鳴が上がる。
「な、何してるのユカリ! スパッツなんて穿いてないよ!?」
「え? そんなわけ……いやーん! そういえば穿こうと思って忘れてたんだった!」
「あらあら、そそっかしいわね……次から気を付けるのよ?」
普段のユカリからは想像もつかない茶番じみたやりとりに、マイは頭がくらくらしてきた。
「ふざけないでよ……! いつものユカリだったら、たとえスパッツを穿いていたとしてもこんな場所でスカートを持ち上げたりなんてしないでしょ! この店長に『男の人の前でエッチな恰好をしろ』って脅されてるの?」
「ち、違うよ! 私がしっかりしてないのがいけないだけで、店長はちゃんと……!」
「そうね、人聞きの悪いことを言わないでよ。脅してもいないし、いやらしい格好をするような指導だってしてないわ」
「だったら、証拠を見せなさいよ! 出せなかったら、すぐにでも警察に駆け込んでやるんだから!」
マイの剣幕に、店長が困ったように頭を掻く。
「証拠ね……そうしたら、店内の様子は監視カメラで記録されてるから、気が済むまで店長室で確認してみなさい? あ、ユカリちゃんはオーダーの途中のお客さんを待たせてるから、そっちの対応お願いね。
そうそう――くす、お待たせして迷惑を掛けちゃった分、今度こそ胸元を見せちゃったりしないように、くれぐれも気を付けてね?」
そう言うと、スタッフルームの奥にある店長室へマイを案内し始める。
一人取り残されたユカリは、二人の姿を心配そうに見送る。
「大丈夫かな、マイ――ちゃんと誤解が解けて、店長はいい人だって分かってくれるといいけど……
ううん、私はあまり余計なコト考えないで、お仕事に集中しなきゃ……集中……」
ぼんやりとした表情でそう呟くユカリは、自分の左手がぷちぷちとブラウスのボタンを上から5つほど外していることに気付いていなかった。
「さてと……従業員の指導や研修はスタッフルームで実施してるから、音声も含めてここ数か月の記録が残ってるわよ。どの日付が見たい?」
「……ユカリがこのお店で働き始めたのはいつ?」
「それだったら、先月の5日かしらね。じゃあ、そこに座って。ユカリちゃんの勤務初日の記録を見せるわね」
店長室でマイと二人きりになった弥生は、ソファにマイを座らせると慣れた手つきで棚からカセットを取り出し、デッキにセットした。デッキを操作ししばらく早送りすると、ほどなくして画面の中に、スタッフルームの光景が映し出される。
そこには、二人の人物が、机をはさんで対面するように座っていた。カメラに顔を向けて座っている人物は店長だった。背中を向けた女の子は、顔は見えないが恐らくユカリだろう。
映像を再生すると、スピーカーから音声も流れ始める。
『――それじゃあ、初日のお仕事を始める前に、いくつか覚えておいてほしいことを説明するわね。知っていると思うけど、うちはいわゆる「メイド喫茶」だから、お客様への挨拶には気を付けてね。
お客様にとって、ここは喫茶店ではなく、自分の屋敷としてくつろげる場所なの。
だから、お迎えの時の挨拶は「おかえりなさいませ」。逆に、退店される時は「いってらっしゃいませ」。それと、男性のお客様に対しては「ご主人様」。女性のお客様は「お嬢様」ね。』
恐らく、先ほど店長が言っていた『研修』なのだろう。
メイド喫茶の業務がどのようなものなのかマイにはよく分からないが、今のところはごく一般的な内容に聞こえる。
『年齢によっても「旦那様」みたいに呼び分けることもあるけど、慣れないうちは「ご主人様」で大丈夫よ。
そうそう、気を付けてほしいこととして、この喫茶店は立地のせいもあって、男性のお客様が多いんだけど……ザ……時には少し……ザザ……要求を……』
肝心なところに差し掛かったという時に突然、映像がぼやけたように乱れ、音声にノイズが混じり始める。
弥生は困ったような表情でデッキを叩く。
「……参ったわね。どうも最近デッキの調子が悪いみたいなの。修理に出しておくから、申し訳ないけど日を改めて――」
「待って! このままで大丈夫よ……別に、全く聞き取れない訳じゃないし」
デッキを止めようとした弥生の動きをマイが制する。修理などに出されたら、その間にどんな証拠隠滅を図られるか分かったものじゃない。この場で確認して、絶対に尻尾を掴んでやる。
「そうなの? でも、かなり画面も見づらいでしょう? あまり見てると目が疲れちゃうわよ」
「構わないわよ。それとも、これ以上見られたらまずいことでもあるの?」
マイは執拗に食い下がった。ひょっとしたら、このデッキの故障も店長が意図して仕掛けたのかもしれない。そう考えたら、ますますここで引き下がるわけにはいかなかった。
「うーん、それなら別に無理には止めないけど……疲れてきたら、すぐに映像を止めるから教えてね」
これ以上止めても無駄だと諦めたのか、弥生はデッキに伸ばしかけていた手を引っ込めた。
半ば砂嵐のような映像が混じる画面と、音がところどころ割れてほとんど意味をなしていない音声。それでも、マイはその中に、わずかながら意味のある言葉を聞き取ることができた。
『店員として……ザ……ても大事……ザザ……集中し……く聞いて……ザザ』
恐らくは、業務上の心がけなどの注意事項だろうか。
時折、注意を促すような単語が耳に入るが、その音声も途切れ途切れのため、だんだんと文脈が全く分からなくなっていく。
マイは、少しでもはっきりとした情報を手に入れようと、知らず知らずにうちに画面の方に身を乗り出し、ぼやけた画面を注視する。
『そう……ザー……従って……ザザ……心地いい……ザザザ……委ねて……』
だが、いくら注意深く耳を研ぎ澄まし、画面を食い入るように見つめても、一向に意味が分からない上に、ノイズが収まる気配もない。
それどころか、マイが必死に聞き取ろうとすればするほど、どんどん映像も音声も原型をとどめないものになっていくような気すらする。
ただでさえ前後の脈絡の分からない単語の羅列に加えて、映像ももはや完全な砂嵐に近く、見ているだけで目が霞んできた。
「大丈夫? だいぶ疲れてきたみたいだけど、止めましょうか?」
「あ……いえ……大丈夫……続けて……」
心配そうな弥生の声に一瞬我に返り、頭を振った。今止められてしまったら頑張って見続けてきたことが無駄になる。
単語自体は聞き取れる以上、うまくいけばユカリを脅しているシーンに辿りつく可能性もある。それまでは、何としてでも映像を止められないように見続けないと。
油断をすれば意識を一瞬で持っていかれそうになるのを堪えながら、マイは必死に画面を見つめた。
『リラックス……ザ……力……抜いて……ザザ……大丈夫……この声を……聴いて……』
「…………」
時折聞こえてくる単語の内容が、明らかにメイド喫茶の研修内容と無関係な内容になってくる。しかし、意識が朦朧としてきたマイの思考は、もはやそのことに気付くことができない。
ただ映像を見続け、単語を聞き逃さないように。いつの間にか、マイはそのことしか考えられなくなっていた。
『そう……とても、いい気持ちね……。もっと画面をよく見て……ほら、とても綺麗で吸い込まれてしまいそうでしょう……?』
「ん……」
マイは、ぼんやりとした表情で返事をした。
音声に混じっていた筈のノイズもいつの間にか消え、スピーカーからは弥生のはっきりとした声が流れていた。
砂嵐が晴れた画面には、ちかちかとした幾何学模様が蠢く。
『じゃあ、そのままゆっくり深呼吸してね……どんどん力が抜けて、楽になっていくでしょう?
今度は、三つ数えたら、少しだけ目を閉じてみましょうか……大丈夫よ、少しだけだから……
さん……に……いち……はい、目を閉じてね……私の声は、聞こえる? 聞こえたら返事をしてね?』
「うん……聞こえる……」
「いい子ね……じゃあ、私の声をよく聞いて……この声を聴いていると、とっても落ち着いて、気持ちが良くなってくる……
今からあなたの心の中に入って行くわ……そうしたら、今よりももっと気持ちよくなれるわよ……
ほら……あなたの心の入口にある扉を開くわよ……扉を開いたら、あなたの心の奥深くに繋がる階段があるの……
その階段を、これから一段ずつゆっくりと降りていくわね……分かったら返事をして?」
「うん……」
スピーカーからの声も、画面の映像もいつしか消え、虚ろな目をしたマイに語り掛けていた声は、いつの間にか店長本人のものになっていた。
弥生は、目を閉じて心地よさそうな表情を浮かべるマイの耳に囁きかける。
「それじゃあ、私が数を数えることに、一段ずつ階段を下りて。そうしたら、どんどんあなたの心の奥深くに私の声が浸透していく。
1……2……3……4……5……ね、とっても気持ちよくなってきたでしょ……もう、私の声に耳を傾けることしか考えられない……
6……7……8……私の声にあなたの全てを委ねたい……
9……10……ほら……あなたの心の一番奥までたどり着いた……あなたの心の中が、私の声でいっぱいに満たされていく……
ううん、心の中だけじゃない……あなたの一番深いところから、どんどん私の声が染み込んで、あなたの体中に広がっていく……
あなた自身の口で私の言葉を繰り返してみて。そうしたら、もっともっと気持ちよくなる。
この声を聞くと、すごく幸せになれる……この声のためなら、どんなことでもできる……」
「うん……このこえをきくと、すごく、しあわせ……どんなことでも、できる……」
優しく、子供をあやすような声で囁く弥生。
素直に弥生の言葉を反復するマイの顔からは、もはや最初の剣幕はすっかり抜け、まるで別人のように恍惚とした表情を浮かべていた。
「ふふ……とても素直ね。じゃあ今度は、私からいくつか質問するから、正直に答えてね。大丈夫よ、ここはあなたの心の中だから、どんなことを答えても、他人に知られる心配はないもの。
まずは……あなたの名前と、今日このお店に来た理由を教えて?」
「私の、名前……宮川、マイ……。
最近、クラスメイトで、友達のユカリがなんだか付き合いが悪くて……学校が終わってもどこかに行っちゃって、理由を聞いても誤魔化されたりしてばっかりだったから……ボーイフレンドとデートでもしてるのかなって思ってたんだけど……万が一、何か大変なことに巻き込まれてたらって心配になって、後をつけてみたら、このビルに入るところを見たから……」
「そう、友達想いの、いい子なのね……」
弥生は、小さく眉間にしわを寄せた。
たまたま迷い込んだ厄介なクレーマーだったら記憶を消して穏便に帰そうと考えていたのだが、ユカリの友達、しかもクラスメイトとなると話は別だ。
記憶を書き換える暗示を与えて今日一日の出来事を夢だと思い込ませることは可能だが、嫌でも毎日ユカリと顔を合わせる以上、遠くないうちに再びこの店に辿りつくのは目に見えている。
「じゃあ……このお店に入ってから、店長室に案内されるまで……どんなことがあって、どんな風に感じた?
その時のことを思い出して、素直に答えてね」
「最初は、変わったメイド喫茶だと思ったんだけど……女の人たちが、お店の真ん中でパンツとかを見せたり、男の人とくっついてたりするのを見て……
それで、そういうサービスをしてる風俗店だって気が付いて……帰ろうと思ったら、ユカリが、他のウェイトレスの人たちみたいに、下着を見せながら接客するのを見つけて……
普段はしっかりててガードが堅いのに、うっかりしたなんて嘘をついてたから……もしかしたら、事情があって無理やりエッチな接客をするように脅されてるんじゃないかって……
そうしたら店長が出てきて、奥の部屋に案内されたから……信用できなさそうな人だったし、この人がマイにエッチなことを命令してるんだって思った……」
「うーん……『信用できなさそうな人』か……。じゃあ、仮に店長が一生懸命、誤解だってことを説明してくれたら……少しは、信用できるようになると思う?」
「ううん、絶対無理……。嘘が得意な人の目をしてたから……絶対、何か隠してるんだと思う」
――参った。ここまで頑なに信用されていないとは。弥生は、お手上げとでも言うように天を仰いだ。
実のところ、マイが考えていることは一部当たっているところもあるが、誤解も多く含んでいた。
まず一つ目の誤解として、「喫茶ピクシーは風俗店ではない」。少なくとも法律上はれっきとした飲食店なのだ。
確かに、ウェイトレスの多くが、男性客の喜ぶような光景を店内で披露したり、必要以上にボディタッチを行っていることは事実である。
にもかかわらず、この「喫茶ピクシー」は風俗営業法の適用範囲外なのだ。
何故なら――これらのサービスを提供する店が「風俗業」に当たるのは、飽くまで「店側がそういった行為を行うように指導した場合」。
そして、これが二つ目にして、最大の誤解。
「弥生は従業員たちに対して、性的なサービスを提供するように指導していない」。
むしろ事実はその逆で、ユカリが主張していた通り「下着を見せないようにしろ」「客と過剰に接触しないように」と毎日指導しているにもかかわらず、ウェイトレスたちが「うっかり」その言いつけを破ってしまうだけだ。
――そう。
『従業員が過失によって、性的なサービスを提供してしまう飲食店』――それこそが弥生の築き上げた、”催眠”メイド喫茶「ピクシー」のコンセプトであった。
まずは、求人サイトに応募してきた女性や、街で見かけてスカウトした女性、あるいは、客や従業員から紹介された女性の中から、男性の目を惹く容姿で被暗示性の高そうな子に、『研修ビデオ』と称したテープを見てもらう。
この『研修ビデオ』こそがこの喫茶店のシステムを支える肝であり、前半部分は退屈な内容の飲食店の研修が収められているものの、後半部分は弥生の開発した、対象を催眠状態に誘導するための「トランス・ビデオ」の技術が施されている。
「研修ビデオだから、最後までしっかり見るように」と指示された従業員たちは、退屈な内容にあくびを噛み締めながらも、知らず知らずのうちに「トランス・ビデオ」の混じった映像を見せられる。
徐々に思考力が奪われながら、「研修だからちゃんと見ないと」と思う意識を利用し、見ている本人が気付かないうちに催眠状態に落とすのが弥生の常套手段だった。
そして、完全に催眠状態に落とした従業員に対して『客に喜んでもらうことこそが、店にとっても、自分にとっても一番の喜び』『この店のメインターゲットである客が一番喜ぶのは、ウェイトレスによるエッチなサービスである』『しかしこの店は健全な飲食店なので、そういったサービスを行うように指導したり、その指導に従うことは違法である』『しかし、無意識のうちに性的な光景を見せたり、過失によって接触してしまう行為ならば、合法的に男性客を喜ばせられる』
――といった暗示を投げかけることで、先程のユカリのように「うっかり」男性客に目の保養を促すウェイトレスが完成するのである。
ちなみに、今回の『監視カメラ記録』は、立ち入り検査などがあった場合に備えて用意しておいた保険の一つだった。
「この子、可愛いからうちで働いてもらいたいんだけど……それって、私をある程度信頼して、このお店のために働いてくれる意思がある子じゃないと無理なのよね……」
催眠術というものは、基本的に「相手がやりたくないこと」ほど、実行させることが困難になる。羞恥心が強い子やガードが堅い子に、下着姿を晒すような行為を取らせられるのも、「この店のために働きたい」「客を喜ばせたい」という意思があってこそ可能なのだ。
「うーん……マイちゃん。ところでこのお店にはどんな印象を持ってる?」
「……未成年の女の人たちにエッチな恰好させてる上に、風俗業の届け出もせずに営業してる、違法操業のお店……」
「まあ、予想はついてたけど、ひどい印象ね……ええと、このお店でやってみたいこととかって、何かあったりしない……?」
「やりたいことは……店長がエッチなことをさせてる証拠を掴んで、このお店を潰すこと……」
「あー、取り付く島もないわね――ん?」
諦めかけた弥生の脳裏に、ふと一つの閃きがよぎった。
『店長がエッチなことをさせてる証拠を掴んで、このお店を潰すこと』。
今、はっきりとマイは自分の「やりたいこと」を口にしたではないか。
弥生は再び姿勢を正し、慎重にマイに言葉を投げかける。
「……マイちゃん。あなたは『店長が、ウェイトレスの人たちにエッチなサービスを強要している証拠を掴みたい』のよね?」
「うん……」
「でも……嘘が得意で、隠し事をしてる店長が、簡単に証拠を掴まれるような真似をするかしら? 監視カメラの映像だって、隠滅されてる可能性が高いわよね?」
「それは、そうだけど……でも、頑張れば、見つかる、かも……」
マイの口調がやや自信を失ったかのように、弱弱しくなる。
弥生は、その機を逃さずに畳み掛けた。
「ううん……たとえ残っていたとしても、部外者が見られる場所に、店長が証拠を残すはずがないわ。
でもね……一生懸命監視カメラの映像を見るよりも、ずっと確実に店長の尻尾を掴む方法があるの」
「かくじつに、店長のしっぽをつかむ、方法……?」
「ええ、それはね……店長への疑いが晴れたふりをして……『従業員として、内部から証拠を探す』の。部外者なら見せてもらえない情報も従業員だったら教えてもらえるかもしれないし、何より、エッチなサービスをするように指導している現場を見かけたら、その場で抑えることができるでしょ?」
「そっか……その方が、確実……うん……」
「そのためには、表向きだけでも店長に信頼されるように、ちゃんと言うことは聞かないとね。
……あ、でも、もちろん、『エッチな指示』には、絶対従いたくないわよね?」
「うん……エッチなのは、従いたくない……」
「その通りよ。だから、マイちゃんは、店長からエッチな内容の指示――例えば、『エッチなことをしなさい』とか……
それだけじゃなくて、『エッチな恰好をしないように気を付けて』とか『お客様にエッチなことをしたらダメ』みたいな指示を受けたら、表面上は従うふりをするけど、知らず知らずのうちに絶対に逆らっちゃいましょう?」
「分かった……絶対に、逆らう……」
「ふふ……そうよ、とってもいい子ね……あ、そうそう。いつでも、マイちゃんの心がこの気持ちいい状態に戻ってこれるように、合言葉を決めておきましょうか。
マイちゃんは、私が『可愛いスパイちゃん』って言うのを耳にすると、いつでも今の状態に戻ってくることができるわ。大事なことだから、今の合言葉を復唱してみましょう?」
「うん……『可愛いスパイちゃん』……」
「くす……それでいいわ。それじゃあ、私が手を叩くと、マイちゃんはすっきりした気持ちで目を覚ましましょう。目を覚ましたら、店長に対して疑っていたことを謝って、従業員として働かせてほしいって頼むの。いいわね?」
「うん……わかった……」
「それじゃ、いくわよ……3……2……1……はい!」
パン!
店長室に乾いた音が鳴り響くと、マイはぱちりと目を開いた。
「あ、あれ? 私……」
「あら、目が覚めた? ごめんなさいね、監視カメラの映像を見ているうちに気分が悪くなってきたみたいだったから、私の勝手な判断で映像を消して少し休んでもらっていたの」
きょろきょろと辺りを見回すマイに、弥生は申し訳なさそうに頭を下げた。
「一応、デッキの方も調子が直ってきたみたいだから……もう一度、最初から確認してみる?」
「え? えーと……」
自分の置かれた状況を把握し、久々にすっきりとした頭でマイは現状を整理した。確かに、監視カメラの映像は有力な証拠となりうるかも知れないが、この抜け目のない店長が、わざわざそんな決定的な証拠を隠滅せずに見せてくるだろうか。
いや、そんな筈はない。少なくとも、自分が休んでいる間に、ビデオを処分するチャンスもあったはずだ。だとしたら、これ以上映像を見ても有力な手掛かりは得られないだろう。
だとしたら、自分がすべきことは――。
「ううん、さっき確認した限りでは怪しいところもなかったし……あの、ごめんなさい! 私、早とちりして、店長さんに迷惑をかけてしまって……! よく考えたら、ユカリだって人間なんだから、うっかりミスすることだってあるのに……」
マイは心底申し訳なさそうな声で頭を下げた。演技力には自信がある。誠心誠意謝っているフリをすれば、店長は恐らく「自分の疑いは晴れたのだ」と油断することだろう。
「大丈夫よ、勘違いは誰にでもあることだもの。私も、分かってもらえたみたいで嬉しいわ。他に、私に何かできることがあれば何でも言って?」
「――あ、あのっ! 厚かましいお願いだって分かってるんですけど……私も、ここで働かせてもらう訳にいきませんか?
実は私、ユカリのクラスメイトで、宮川マイって言います。今日はユカリのことが心配で様子を見に来たんですけど……本当にイキイキと働いてて、店長もお話してみたらしっかりして素敵な人だし……私も、ユカリと一緒に、ここで働きたいって思ったんです!」
虚実を交えながら、店長の眼をまっすぐに見つめて懇願する。咄嗟に考えて言い訳にしては上出来と言えるだろう。
「あら、ちょうどよかったわ。実は最近どんどんお客様が増えてきて、新しくウェイトレスを雇いたいって思っていたの。マイちゃんならとっても可愛いし、こちらからお願いしたいくらいだわ」
「本当ですか、ありがとうございます!」
「本来は履歴書が必要なんだけど、ユカリちゃんのクラスメイトってことで身元もしっかりしてるから……もしもマイちゃんさえ大丈夫なら、今日からお願いしても大丈夫かしら?」
「はいっ!」
店長に取り入って、何とか雇ってもらおうというマイの目論みは、想像以上にトントン拍子に進んだ。
ウェイトレスの立場になれば、店長とウェイトレスたちのやりとりを直接見ることができるだろう。性的なサービスを提供するように指示を出している現場を捕まえ、警察に突き出してやる。
自分の企みに気付かない店長の間抜け振りを、マイは心の中で嘲笑った。
「じゃあ、業務についての細かい研修もあるんだけど、それは後にして……まずはうちの制服に着替えてもらって、お店のステージの上でご主人様たちに自己紹介してもらって良いかしら?
ご主人様たちにマイちゃんのことを覚えてもらえるように挨拶するのも、メイドの大事なお仕事だからね」
「はいっ!」
「あ、そうそう――ご主人様たちにはしたない姿を見られてしまわないように、大事なことを二つ、伝えておくわね。
まずは一つ目。ステージの真ん中あたりに、空調の関係で足元から風が吹き出してる場所があるんだけど……メイド服のスカートがめくれ上がっちゃうから、自己紹介の時とかに、絶対に上に立たないようにね。
それと二つ目。万が一スカートの中を見られてしまっても大丈夫なように、ちゃんと対策するのよ。例えば、まず有り得ないと思うけど……くすくす……パンツを穿き忘れて大事なところが見えちゃったりしないように、く・れ・ぐ・れ・も、気を付けてね?」
「あははっ、大丈夫ですよ! こう見えて、うちではしっかり者って言われてますから!」
一つ目の注意はともかく、下着を穿き忘れるなんて、よほどのうっかり者であったとしても起きる筈がない。マイは笑いながら胸をどんと叩いた。
「それじゃ、よろしくね。あ、制服は隣の更衣室のロッカーの中にたくさん用意してあるから、好きなサイズを選んでね」
「はいっ!」
元気よく返事をして、マイは更衣室に足を踏み入れた。
さて、できるだけ店長からの信頼を得られるように、急いで着替えないと。
更衣室のロッカーを開けると、自分のサイズに合いそうなメイド服を一着取り出す。
セーラー服のスカートを脱ぐためにファスナーを開け、腰回りに手をかけて一気に脱ぎ捨てると、下半身に言い知れない開放感が広がる。
「ん? 何か忘れてるような……ま、いいか。それより急がないとね」
セーラー服の上も脱ぎ捨てて、脱いだ服をまとめてロッカーに放り込むと、先ほど選んだメイド服を着る。
通気性のいい素材なのだろうか、下半身に妙にすっきりした感覚がある。だが今はそんなことを気にするより、仕事が先決だ。
マイは更衣室から急いで出ると、弥生に声をかける。
「着替え、終わりました!」
「あら、早いのね。ふふ……思った通り、とっても似合ってるわよ。
じゃあ次は、ステージの上で挨拶ね。さっき言った空調の吹き出し口は、目立つように赤いテープで囲ってあるから、見ればすぐにわかると思うわ」
「はーい!」
マイは、意気揚々とスタッフルームを飛び出す。店長の言うステージを探すと、店内の正面中央部に、直径数メートル程度の円形に盛り上がった舞台がある。恐らくこれで間違っていないだろう。
突然フロアに現れた見慣れないメイドの姿に男性客たちの視線が集中するが、幸いにも人前での挨拶は得意な方だ。
マイはステージの上に上ると、どのあたりに立って自己紹介すればいいか見回した。
――あ、あそこに赤いテープで囲った床がある。ちょうどいいから、ここにしようっと。
マイは小さく深呼吸をすると、できる限り媚びを売るような声で、笑顔で自己紹介を始めた。
「……ご主人様のみなさーん! 今日からここでメイドとして働くことになりました、マイですっ!
えっとー……よく子供っぽいって色んな人から言われるんですけど、頑張って、先輩のメイドさんたちに負けないくらい可愛いところを、皆さんに見てもらいたいと思います! よろしくねっ♪」
その場でくるりとターンをした後、足を広げたポーズで横ピースを決める。
一瞬遅れて、男性客たちの歓声で店内が湧いた。
「うおおおおおっ!」
「マイちゃん、とっても子供らしくて可愛いよ!」
「これからも、いっぱいマイちゃんの可愛いところを見せてねー!」
予想以上の反響に、マイはここで働く本来の目的も忘れて悦に浸っていた。
ふふ、ユカリにはちょっと申し訳ないけど、あたしって、意外とウェイトレスの才能あるのかも。
そんなことを考えながらちらりとユカリの姿を探すと……
ブラウスの前を大きくはだけた姿のユカリが、ステージ上のマイを見て、真っ青な顔で固まっていた。
「ま、マイ……? なんで、そんな恰好してるの……?」
「ごめんねユカリ、私も、このお店で働くことにしちゃった! いきなりだけど、これからもよろしくね!」
「そ、そういうことじゃなくて!
……何で、スカートの下に何も穿いてないの!?」
「はえ? なに変なこと言って――……え?」
震える手でユカリが指差す先を目で追い、自分の姿を見下ろしたマイの目に映ったものは――
――吹き上げる空調によって、完全に全方位からめくれ上がった自分のスカート。
そして、白い靴下で包まれたふくらはぎの上から、可愛いお臍に至るまで剥き出しになった、自分自身の下半身。
本来ならば下着によって覆われているはずの小さなヒップも、クラスの中で自分だけが遅れているのではないのかと気にしていた、まだ生えていない綺麗な秘所も。
全てが、ご主人様たちに見てもらいたがっているかのように、ステージ上で曝け出されていた。
着替えたときに下半身に感じていた違和感。その理由に今更ながら思い至り、体中の血液がふつふつと沸騰していく。
「い、い……」
マイはスカートを抑えて隠すことも忘れたまま立ち尽くしたまま、耳まで真っ赤に染まっていき、目尻に涙が浮かび始める。
「いやああああああああ!」
――その後、わずか数日のうちに、「毎日のように可愛い下半身を見せつけてくれる小さなメイドさん」の評判が広がり、マイは「喫茶ピクシー」の人気ナンバーワンの座まで上り詰めたのだった。
< おわり >