帝都狂躁曲 1

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 ここは現実と似て非なる日本帝国首都、帝都東京。貧富の差が激しく、また身分制度も存在するこの都では、富裕層ばかりを狙う怪盗にして魔人「狂人五十面相」なる鉄仮面とその一団が人民を騒がせておりました。窃盗に要人誘拐、テロを引き起こし、神出鬼没にして冷徹かつ狡猾、手段を択ばぬ犯罪者に帝都の人々、特に富裕な者たちは戦々恐々としております。しかし、どの時代にも暗闇があれば、光もあります。稀代の大悪党の犯罪を、ことごとく水際で防ぐ英雄が帝都に現れたのです。その名は名探偵、篠宮文仁です。四菱銀行大金庫の預金強奪を企んだ五十面相の裏をかき、仕掛けられた爆弾をことごとく発見し、警備員に扮したその配下を捕え、見事、大怪盗の野望を粉砕したのです。そして、帝都警察に手柄を譲る名誉欲の無さも手伝い、帝都貴族の血筋の良さもあいまって帝都民の人気は鰻上りなのです。
 
 ここ、帝都四谷にある篠宮探偵事務所。モダンな西洋仕立てのこじんまりとした二階建ての事務所はいつも綺麗に片付いております。それに感心するかのように、 綺麗に髪を整え、若いに似合わず口髭が凛々しい篠宮文仁探偵が、新聞を片手にソファに身を沈めます。するとほどなく、ミルクティーが注がれたカップが湯気を立てて置かれました。
「ああ、紀子君、いつもありがとう」
 紀子と呼ばれた女の子はスマイルの似合う愛くるしい貌をほころばすと、少し澄ました表情でトレーを両手にしたまま、秘書の様な口調で言います。
「篠宮先生ッたら、困りますわ。もう十時でしてよ。御寝坊さんなんですから。今日は、帝都警察の池上警部がお見えになって大事なお話をする日ですよ」
「ああ、そうだったね。紀子君、朝食の支度をしてくれるかね?」
 仕事の依頼を思い出した名探偵氏は、新聞をよそにカップに手を伸ばします。
「もうできておりますわ、先生。お好みのスクランブルでしてよ。ただし、お料理まで作ったんですから、今日のお話にわたくしも同席させてくださいね」
 紀子は好奇心いっぱいの表情で微笑むと、キッチンへと消えていきました。香水の香りと白いリボンが似合うポニーテールの髪が甘い匂いを残します。篠宮探偵はそんな彼女の後姿を愛おし気に眺めつつも、その活発さに苦笑します。紀子は帝都大学で犯罪心理学を教える権威、服部辰彦教授の愛娘です。聡明、快活な少々お転婆レディで、ふとしたきっかけから父の友人である篠宮探偵の明晰な頭脳に影響を受け、いまや「押しかけ助手」のような存在で事務所に出入りしています。18歳の聖華女子大の一年生。とてもチャーミングな女の子です。
 
 池上警部は帝都広域部に在籍し、市中で発生する事件を全般的に操作する敏腕刑事です。そんな彼が友人である名探偵氏に持ち掛けた依頼は、とても重大なものでした。
「篠宮さん。これは外部には漏らすことのできないトップシークレットです」
「ほう、どんな難題ですかな?」
 ソファに腰かけた篠宮探偵がぐっと身を乗り出します。
「実は、帝都宮内庁から極秘裏に警備の要請があったのです」
「まぁ、帝都宮内庁から」
 名探偵と刑事たちの会話をソファの片隅で聞いていた紀子ですが、好奇心を抑えきれぬ様子でその会話に加わります。
「これこれ、紀子君。宮内庁からのお話とあれば、この国の根幹にかかわることかもしれないんだ。好奇心の虫を少し抑えたまえよ」
「はい先生」 
 尊敬する先生に窘められ、苦笑する表情もチャーミングな紀子です。少々和みかけた場が、池上警部の話で再び凍り付きました。
「実は篠宮さん。あの狂人五十面相から犯行予告があったのです」
「どんな内容ですの?」
 つい、先生よりも先に身を乗り出し訊ねてしまう好奇心旺盛な紀子です。

 稀代の大怪盗が突きつけた犯行予告は衝撃的なものでした。なんと帝都貴族の中でも、準皇族扱いの近衛之宮忠輝の末娘、寧子嬢を誘拐すると予告してきたのです。帝都民にとって皇族は何よりも大切な国の要であり、また神の国を自認するこの国の祭祀王であります。その血縁者を狂人五十面相が狙っていることだけでも不敬極まりないことですが、それが現実に誘拐などされようものならば、帝都の誇りは失われ、帝都警察への信頼も損なわれかねません。なにより寧子嬢は、その美貌から国民的人気も高く、暴漢同然の残酷な鉄仮面にさらわれてしまえば、何をされるか分かったものではありません。
「予告日時は三日後、8月9日です。帝都離宮で催されるローマ法王の帝都訪問歓迎レセプションには全ての皇族、そして帝都貴族方がご出席になります。しかし、寧子さまを五十面相の仕掛けた罠にみすみす晒してしまうのはいかがなものかと・・・」
 警備を仰せつかった池上警部の責任は重く、苦悩の様子がうかがえます。
「フム、五十面相の事だ。犯行予告をしてきたということは、何があろうと寧子さまを狙うでしょうな。しかし、外国の要人の前で常にヤス子様だけに目を光らせるわけにもいかぬし、難しい問題ですね」
 さすがの篠宮探偵も、パイプを咥えつつ思案しています。

「ならこうなさったらいかがかしら」
 その場を、和ませるような天真爛漫な声を発したのは紀子です。
「畏れ多いことですけども、わたくしが、寧子さまに成り代わって歓迎レセプションに出席する・・・。それでいかが?」
「な、何ですって、紀子さん。いくらなんでもそれは危険すぎますよ」
 池上警部は止めにかかります。実は、以前から紀子の事を少々気にかけている様子の警部です。
「御心配には及ばなくてよ。わたくし、度胸も満点のつもりですわ。衣裳を着て座っていれば、きっと五十面相も気がつかなくってよ。その方が警部さんも、先生もお仕事がしやすくなくって? それにいざとなったら、わたくし、あの大怪盗と格闘して捕まえてみせますわ、これって囮捜査っていうのかしら? うふふふ」
 この好奇心旺盛なお嬢さんはどこまでも天真爛漫、怖いもの知らずです。

< 続く >

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