放送委員は目立たない ~若奥様篭絡編~
重厚なクラシック曲のオーケストラがリビングに響く中、アオイとミドリ、そしてワタルの3人はソファに腰かけ、談笑に花を咲かせる。
ウェッジウッドのカップにはアールグレイが注がれ、芳醇な香りが辺りに立ち込める。オレンジ風味のハチミツがかかったスコーンも絶品だ。
「それにしても、これだけの臨場感があると、まるで本当にオーケストラホールの中にでもいるかのように錯覚しますね。特に、高音のストリングスと低音のチューバの重奏の部分で、ここまではっきりと──」
「あら、そんなところまでよくお気づきで! うふふ、実はこれはスピーカーの配置にも工夫がありまして──」
「──なるほど、そんな秘密があったんですね。それを応用すれば、音楽室などはもちろん、体育館でピアノの演奏会などの際に──」
和やかな雰囲気とは裏腹に、会話の内容は一般人には到底理解できないような専門性の高いものであったが、二人の会話は途切れなくスムーズに進んでいく。催眠音波による支配を少しでも効率的に進めるために知識の研鑽を重ねてきたワタルにとって、アオイとの会話レベルに追いつくことはそこまで困難ではなかった。
ワタルは、ちらりと時計の針を確認する。ミドリがCDの再生を始めてから、そろそろ10分が経過する。手筈通り、来客用の高音質CDに細工し、不可聴域の周波数で催眠音波と暗示文を紛れ込ませることには成功していた。
だが油断は禁物、相手は他ならぬ世界的音響メーカーの社長である。ミドリに聞いた話では、知識面はもちろんのこと、聴覚や音感についてもずば抜けた感覚の持ち主で、ほんの少しの違和感から機器の異常の兆候を何度も察知してきたとのことだ。可聴域外とはいえ、何か勘付かれて音楽を止められる可能性や、最悪の場合──まずありえないだろうが──CDを解析されて催眠音波の存在にたどり着かれる可能性もある。だからこそ、ここは慎重に万全を期して仕掛ける必要があった。
そのために今回ワタルが立てた作戦が、ステップアップ式導入と名付けた手法であった。といっても、仕組みはいたって簡単。一言で説明すれば、再生直後は可聴域から大きく外れた周波数の催眠音波を、ごくごく僅かな音量で紛れ込ませている。そして、時間の経過とともに徐々に催眠音波の周波数を可聴領域に近づけるとともに、音量も少しずつ大きくしていく。
「アハ体験」等でもおなじみの通り、人間の脳というものは急激な変化に対しては鋭敏であっても、徐々に生じる変化に対しては気付きにくいように作られている。この方法で立花アオイを落とすことができるならば、恐らく同じ方法でどんな相手に対してでも通用するだろう。
実際のところ、スピーカーの品質がどの程度即効性に影響するのかに関してはまだ未知の要素が多かったが、事前の予想ではそろそろ効果が表れ始めてもおかしくない頃合いである。
「──意外と現場でスピーカーを設置するときに起こりがちなミスは、客席に対してまっすぐに向けて設置してしまうことなのですよね。感覚的にその方がよく聞こえると思ってしまいそうになるんだけど、複数のスピーカーによる共鳴を考慮に入れると──あら、ごめんなさいコップが空でしたわね。今、おかわりをお持ちしますわ」
話に夢中になっていたアオイが、ふと話を止めてキッチンに向かい、ティーポットを抱えて戻ってくる。
「お待たせいたしました。ふふ、少し失礼しますね」
そして、にっこりと微笑みながら、ごく自然な動きでワタルのすぐ隣のスペースに腰かけ、ワタルの方を向きながら紅茶をカップに注いだ。
……
「──そ、そうですね。うちの学校でも、廊下の真ん中に沿って等間隔に設置されている傾向はありますね。この前、実は校内の何か所かでサンプリングしてみたのですけど、ええと、構造上どうしても奥まった箇所では放送内容が届きにくいというデータが──」
時折ちらりとアオイの方に目が吸い寄せられるように反応しながら、ワタルが校内の放送事情を打ち明ける。今まで通り平静を装ってはいるようだが、その声に若干の上ずりが交じっているのをアオイは聞き逃さなかった。
「まあ、そうなのですね! 私、学校を卒業してから随分と経つので、どうしてもそういった情報には疎くて……ワタルさんのお話、とても興味深いですわ」
「い、いえ、そんな……ごく一般論の話ですよ……」
さり気なく少し距離を詰め、ワタルの目を上目遣いにのぞき込むと、ワタルは一瞬どきりとしたように顔を赤らめて目を逸らした。
その反応に、アオイは内心でほくそ笑む。知識面では専門家にも引けを取らないが所詮は子供、思った以上に与しやすそうだ。
実のところ、家に呼んだときは単に現場で放送に携わる人間として、実務上の問題点や導入にあたってのニーズの話を少しでも聞ければいいと考えていたのだが、目の前の少年としばらく話を続けているうちに気が変わってきた。何せ、想像していた以上に音響に対する造詣が深く、分野によっては専門家すら凌ぐレベルの知識を持っているのだ。年齢を考えると、とんでもない掘り出し物と言っていい人材である。
この少年を、何とかして我がタチバナ社の発展のために利用しなければ、社内全体にとっての損失だ。アオイはいつの間にかそう確信を持っていた。
最大の問題は、どうやって味方に引き込むか、である。相手が企業や個人事業主ならば高額の契約を持ち掛ければ済むが、流石に現役の学生相手ではそうもいかない。だが敏腕経営者であるアオイは、当然それに対する解答も思いついていた。思春期を迎えた少年といえば、ちょうどやり場のない性欲に振り回される時期である。ならば話は簡単。お色気で誘惑してやれば、女性に飢えた少年などイチコロだろう。最初のうちは倫理上の問題や同じ部屋にいるミドリの視線、明るみに出た場合のリスクなども頭の中にあったが、不思議なことにリビングに流れるオーケストラの音楽を聴いているうちに、それらの常識的な感覚は急速に薄れていった。
要するに、バレなければ何も問題ないのだ。幸い、自分も若さと容姿には自信があった。ミドリと二人で買い物に出かけるときなど、姉妹と間違われることの方が多いくらいである。自分の魅力をもってすれば、思春期の少年の一人など骨抜きにするなど造作もない。
アオイは少し甘えた声を出して、ワタルの足に手を置く。
「ふふ、謙遜するところも素敵なのね……きっと、学校でもさぞかし女の子に人気なのでしょう?」
「そ、そんなことないですよ……今まで、ずっと一人で研究ばかりしてきたもので──女の子と話したことすらほとんどなくて……」
「あら、こんなに格好良くて知識まで豊富なのに、勿体ない……よほど、周囲の女の子たちも見る目がないのかしらね」
異性に全く免疫がないとなれば、ますます好都合である。アオイはワタルの顔を覗き込むようにしながら、両手でワタルの手を握った。
「ねえ……私、ワタルさんのこと、もっと知りたいの……音響の話だけじゃなくて、もっとワタルさん個人のことも……教えてくれる?」
……
(ちょ、ちょっとお母さん!? 娘の見てる前で何してるのよ!)
ワタルに対してしなだれかかるようにくっつく母親の姿を見て、ミドリは目を丸くした。今までに何度か取引先の人間やヘッドハンティングを狙っている相手を家に呼んでお茶会をしたことはあったが、いくらなんでもここまで露骨に色仕掛けのような真似をするところを見たことなど一度もなかった。
慌てて止めるために立ち上がろうとするが、事前の作戦会議でワタルに言われたことを思い出す。
『これは不可聴域の催眠音波を使って相手をどの程度操ることができるかの試験も兼ねているからね。もし、お母さんが普段しないような行動を始めたとしても、軽はずみに止めないようにね』
恐らくワタルはこのことを言っていたのだろう。そして、研究の成果を確認するための試験であると念押しされている以上、どれだけ文句を言いたくてもミドリは押し黙っていることしかできなかった。
「ワタルさんも、私みたいなおばさんには興味なんて湧かないかしら……?」
「そ、そんな! アオイさんはとっても素敵な女性ですし……僕なんかがこうやって一緒にお話しできているなんて夢みたいですよ」
だが、いくら催眠音波で操られているとはいえ、娘の前で男にくっつきすぎではないだろうか?
そもそもいくら実験のためとはいえ、仮にも自分が抱いた女の目の前で、その母親と堂々といちゃつくワタルもワタルである。自分よりも一回り以上も年上の相手、それも自分から操っておきながらデレデレと鼻の下を伸ばしているなんて、情けないにも程がある。おまけに、私の方になど一瞥もくれず、まるで眼中にすらないかのような扱いだ。
目の前で繰り広げられている茶番に対して、腹の底からどす黒い感情が湧き上がる。止めるなと言われてはいても、何とかしてワタルの興味をこちらに向かせたい。
そう考えたミドリの右手は、自然とブラウスの襟元のボタンへと向かっていった。
「あ……あー、そういえば今日って暑くない? ちょっと冷房、弱すぎたかしら。ワタルは暑くない?」
ぱたぱた、ぱたぱた。手を扇のようにして胸元に風を送り込むそぶりを見せるミドリ。ちらりと鎖骨と胸の谷間をワタルに向けて覗かせて反応をうかがう。
「あら、ごめんなさいね暑かったかしら? 私ったら気が利かなくて……少し、ワタルさんのお洋服を緩めさせて差し上げますね」
「わわ……そ、その、お気遣いありがとうございますアオイさん……」
ワタルはほんの一瞬だけミドリの方に目線を向けたものの、その興味はすぐに母親の方に戻っていった。
(なんでお母さんばっかり……っていうか、お客さんの洋服を勝手に緩めるっておかしいでしょ! そっちがその気なら私だって!)
母親は操られているだけだと分かっている以上、別に対抗意識など燃やす道理はないのかもしれない。だがリビングのスピーカーから流れるクラシックのBGMを聞いていると、どんな手を使ってでもワタルの視線を自分に向けさせたいという気持ちがどんどん抑えられなくなってしまうのだ。
「あ、あー……ほんと、最近じめじめして蒸れるよねー……特にスカートの中とかっ」
ミドリは、フレアスカートの裾に手をかけると、風を送り込むようにばたばたとめくり上げる。それも、ワタルの方に向けて。当然、白い太ももは露わになり、スカートの下に身に着けた薄桃色の下着すらも見え隠れする。もちろん、普段であれば客人の前でこんなはしたない真似などするはずがないが、これも全てチラリズム大好きなワタルの視線を引き付けるためだ。
これには流石のワタルも一瞬表情を変えるが、ミドリの方に顔を向けるよりも一瞬早く、アオイの手がワタルの頬に添えられる。
「あら……ワタルさん、口の周りにスコーンがついてますよ。ふふ、それにしても、娘にも困ってしまいますわ、いくつになっても……くすくす、子供っぽくて」
「こ、子供っぽいじゃなくて若いって言ってよ! 別に自分の家の中でどんな格好してもいいじゃない! あー暑い暑い、もう上も脱いじゃおうかなー!」
なりふり構わずブラウスのボタンを外していき、薄桃色のブラを見せつけるように脱ぎ捨てるミドリ。申し訳ないが、色気もへったくれもない動きだった。
そんなミドリの様子とは対照的に、アオイは涼し気な面持ちだ。
「あらあら……本当に、いつもお客様の前では上品に振る舞うように言い聞かせているのですけど……小学生くらいの頃から全然成長していなくて。もう少しワタルさんみたいな、落ち着いた素敵な大人になって欲しいものなんですけど……」
「せ、成長してるもん! ほら、胸だって最近はこんなに大きくなってきてるし……! もう暑すぎて全部脱いじゃおーっと!」
「……本当に、見苦しいものを見せてしまってごめんなさいね、ワタルさん。もう少し、落ち着いた場所で……二人きりで、ワタルさんとお話ししたいわ……」
「あー全部脱いですっきりしたー! ワタルから丸見えになっちゃうけど、大きく伸びでもしようかなー!」
「本当にそうですね、アオイさん……それじゃあ、悪いけど……『おやすみなさい、ミドリ』」
「あ、あれ……なんか私、ちょっと……ふぁぁ……」
ワタルの一言で急激な睡魔に襲われたミドリは、全裸で大きく足を広げてストレッチをしたままの残念極まりない格好で、ソファーに倒れこむように眠ってしまった。
「あらあら……バレー部の活動で疲れていたのかしらね。起こすのも悪いし、このままミドリには少し眠っていてもらいましょう」
来客中に娘が全裸になり突然眠ってしまうという事態を目の当たりにしても、何故かアオイにはそれを異常だと受け止める意識が働かない。そんなことよりも、目の前にいる少年を落とすことの方が優先だった。甘えるように軽くワタルの腕に体重を預けながら、耳元で囁きかける。
「ねえ、ワタルさん……娘も眠ってしまったことですし、もう少しお互いのことを知るために、二人きりで……私の寝室辺りで、ゆっくりとお話しできませんか……?」
結局その後、アオイは衣服の一枚すら脱ぐことなく、そのしなやかな指先と柔らかい唇だけでワタルを完全に骨抜きにしてしまった。
<終わり>
シリーズ、一通り読ませていただきました!
一端のオーオタですが、みゃふさんのハイレゾの解説も、ティーカさんの引用としても、間違いは無いように思えます。
一応、ハイレゾな楽曲を収録するには、それ用の機材も必要ですが、それは用意できてるということで、いいんじゃないかと。
続き、楽しみにしております。
朝チュンすらないとか・・・
結局ワタルくんもミドリちゃんも卒業したのでぅか? そこが気になるw
まあ、それはそれとして
☆らぁさん
よかった、みゃふの適当な説明はとりあえず大丈夫だったんでぅね。
ワタルくんが個人でどうやってハイレゾ録音用の機材を調達したかちょっと気になるところでぅけど、そこは見なかったことにしておこうw
母親に嫉妬して可愛い色仕掛けをするミドリちゃんかわいい。
でも、やっぱり母親のほうが上手で空振りに終わるのがもっとかわいいw
そして、哀れワタルくんは大人の手練手管にやられてしまいましたとさ。
アオイさんをよがらせる展開じゃないんかーいw
アオイさんをよがらせて忠誠誓わせるとかそう言うのかと思ってたら逆にやられてた。
ワタルくんもっと頑張って。
であ、次回も楽しみにしていますでよ~。
一体本番はいつになったら来るんだろうかw
>らぁさん
オーオタからのご意見、ありがとうございます!
ハイレゾの収録用の機材など、あまり一般の人が持っていなさそうな機材に関しては……
ミドリちゃんのつてでタチバナ社のものを拝借したということで。(今考えた)
>みゃふりん
うんまあ、えろに関してはですね……ぶっちゃけ書くのが苦手というか……
書かれていないところでちょくちょくそういった行為をしていると補完してもらえると有難いです。
なんでまあ、本編でがっつり本番が書かれることはないかなと思います。ご期待に添えなくてすみません。
アオイさんをよがらせる展開は……まあ、ワタル君にそっちの趣味がないのが原因ですね。オラついた感じの子ではないので。
個人的には鬼畜ショタ攻めもそれはそれで好きですが!
ただ、ショタおね物を書いたとしても多分みゃふりんの好みの方向とは違いそうな予感しかしない!
今回も読ませていただきました。
今回はMC自体よりはそこまでに辿り着くための過程に重きを置かれていることが文章を以て充分に伝わって参りました。
次回作も期待しています(プレッシャーを与えるようでしたらごめんなさいです)。
P.S.突然で申し訳ないのですが、こういうときの文章を書くコツとかって何かあるのでしょうか、私気になります。
>月さん
今回は今までと違って連作なこともあり、比較的MCメソッドを確立するまでのプロセスが作中でかなりのウェイトを占めてますね。
まあ、そもそもエロを書くのが苦手ってのもありますが。
次回くらいまででMC体制が整うので多少エロが増える予定です。
文章を書くコツは、正直さっぱり分からないですが、好きなMC小説の内容を意識しながら書いていたりはします。
私の場合だと永慶さんのソウルホッパー・ケンとか花の帝国あたりの作風を目指したいと思ってます。
ティーカさん
順調に母親も落として母娘で。。
と思いきや、そこはヤリ手の女社長。
面白い展開になりました。
これも全部、ワタル君の仕込みだったり?
どっちに転んでも面白そうで、
続きが楽しみです!
>永慶さん
感想ありがとうございますー。
まあ、ぶっちゃけ全部ワタルの仕込みです。
なので残念ながらこれ以降アオイさんは多分ストーリーに絡んで来ません。
恐らく機材や技術提供などの裏方としては暗躍していると思いますが。