GGSD 第4話《Bパート》

第4話「N市の遊園地」《Bパート》

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<CMあけアイキャッチ>
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【10月14日[火]16時03分、N市・飛灘(とびなだ)】
 作戦行動が開始された後、CGAエンジェル・結城班はN市東部を北へと向かった。
 だが、市の北東、飛灘のコンビニで発生したガツンを処理し終えたところで、強力なガツンの連鎖に見舞われていた。
 SUVの車内に甘く蕩けた声が響く。

「あぁんっ、ガツン、気持ちよすぎぃぃ~。あ、あっ、イきたくなっちゃうかもー」

 全身を快感で震わせているのは、有賀美優だ。
 左手はファスナーを鳩尾(みぞおち)のあたりまで下ろした特殊スーツの胸元に差し込まれている。スーツの下で動く指先は、ずらしたブラから露出させた右の乳房を撫で回している。
 しかし彼女の右手は、SUVの助手席前面に取り付けられた電磁シールドのコントローラーを小まめに操作している。最大限その被害を抑えるための作業を止めることはない。

 どれだけ快感に晒され、劣情に身を委ねながらも、逆にそれを楽しみながら己の意思を保ったまま活動可能。──それがCGAエンジェル・有賀美優のガツンに対するアドバンテージだ。
 だが、後続のバンでは、さらに深刻な状況が進行中だった。

『八千草のタイム・ディレイ(時間遅延)がさらに増大。当人へのアクセス不能!』

 緊張の滲む声でそう伝えてくるのは、物質転移能力を持つ秋山友香だ。
 時間遅延能力者の八千草綾乃は、その力でガツン発生を遅らせ、友香とともにガツンの排除に尽力してきた。だが、突然直撃したガツンに本能的な防衛反応が働き、身体の周囲にディレイ・スペース(遅延空間)を形成していた。あるいは自分自身の時間を遅らせている可能性もある。

 彼女がどのような状況にあるのか、外から確認することはできない。同じバンに乗る友香の呼びかけにも答えず、さらには触れることすら不可能な状態に陥っている。
 通常空間と遅延空間の境界面で周波数が変化するためか、通信も機能していない。空気を媒質として伝わる肉声での呼びかけも、可聴域を外れている可能性が高い。
 友香のすぐ目の前にいながら、八千草綾乃は完全に隔離されていた。

 想定していなかった事態に、チーフである結城浩子は苦い表情を浮かべる。
 とにかくできることをするしかないのだが、打開策が見つからない。

 ぐぅわぁああああーん!

 再び、車が揺れた。
 電磁シールドに阻まれたガツンが、物理的な力となって車体を襲ったようだった。──あるいは「人がそう感じている」だけかもしれないが。

「あんっ、ガツンったらもうっ、激しすぎぃぃ」

 美優が甘い嬌声を上げる。
 その声に、浩子が冷静さを取り戻していた。
 精悍な顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
 ──このコが一緒でよかった。
 そう思った。

「本部、こちら結城。──ケースD発生、支援を要請する!」

 腰につけた通信機のスイッチを押して、浩子が連絡を入れた。
 CGA本部から、すぐさまレスポンスが来る。

『陸自にヘリでの支援を要請します。ポイントは、……高申(こうしん)まで戻れますか?』

「そっちはなんとかする。ランデブー時刻は?」

『時刻は決まり次第連絡します。
 マップデータ、更新。ポイントは高申駅の北西、高申第二中学。状況確認後、そちらのグラウンドを予定。
 ……あ、失礼しました。オペレーターの岡崎(おかざき)です』

「了解。ASAPよろしく頼む!」

 これが一人であれば、結城浩子は陸自のサポートを受けることを躊躇ったかもしれない。
 だが事態が事態だ。エンジェル・結城班のチーフとして、もっと早く決断すべきだったという反省もある。
 しかし、悔やんでいる場合ではなかった。
 矢継ぎ早に、後ろのバンに乗る友香に指示を出す。

「秋山、八千草の遅延空間内部のガツンを『消毒』できるか?」

『すでにやっています。ディレイ・スペースの中ということもあって感知が難しく、どこまでできているか不明ですが……。
 それとは別に、車内の濃度もどんどん高まっているようで、厳しい状況です。アスポートはしていますが、電磁バリアの調整が遅れがちで……』

「悪循環だな。そちらは美優に任せろ。コントロールを同期。美優、いけるか?」

「りょーかいっ! イっちゃうっ!」

 隣の席で、美優がしゅたっと敬礼をして、すぐにコンパネに手を伸ばす。──左手の指先で小刻みに乳首を擦りながら。
 浩子は後ろのバンに乗る秋山友香に指示を続ける。

「……秋山は麻酔の転移」

『え?』

「八千草の身体の内部に、麻酔薬を転移してみてくれ」

『無理、です。空間転移は、──アポート(物体引き寄せ)もアスポート(物体送出)も、その先にある物質がどうなるか、まだよくわかっていないんですよ?』

「パチンコ玉を転移させて、何も問題起きてないんだ。それに私のテレポートなんか、人間一人分だぞ? 転移先にある物質や空間との交換が起きているのだとしても、麻酔薬くらいなら何とかなるだろう?」

『無茶ですよ。もし万が一、少しでも身体の内部を傷つけたら……、神経とか血管とか、危険すぎます』

「だが、それ以外に八千草を救い、状況を好転させる手段がない。できるだけ小さな範囲で、少しずつ試せないか?」

 浩子の指示に、しかし友香が従うことはなかった。

 秋山友香はヘルメットとレザースーツの内側に、嫌な汗をかいていた。
 チーフである結城の言いたいことはわかる。
 しかし、自分の「力」が誰かの身体を傷つける可能性を考えると、どうしても賛成できない。相手が同じチームのメンバーなら、なおさらだ。
 同じ転移系とはいっても、友香の能力は浩子のテレポーテーションとは異なる。これまで、自らの能力の危険性について真剣に考えてきたのは、あるいは友香だけだったかもしれない。

 ただ、時間がないのも確かだ。
 自分や綾乃の周辺に増大する『何か』は確実に濃度を増している。
 結城と話している間も、彼女は同時に、『それ』を天空高く転移させ続けていた。
 ここまで連続して、長時間にわたり能力を使い続けたのは初めてのことだ。そしてそれが徐々に限界を迎えつつあることを、彼女は気づいていた。
 秋山友香は、一度小さく深呼吸し、それから何かを覚悟したかのように、顔を上げる。

「私が全部アポートします。結城さんはテレポーテーションで麻酔を打つ準備をしてください」

『どういうことだ?』

 意味がわからないというように、結城が不審そうな声を上げる。
 友香の考えに、先に気づいたのは美優だった。
 だが、その受け止め方は、斜め上だ。

『やあんっ。友香っちったら、ガツンをアポートして、自分からエロエロ作戦? ──まさかの性癖覚醒?』

「ば、バカ、違う! 別にエッチになりたいわけじゃないって!
 ただ、アスポートは点Aから点Bへの移動だから、かなり集中力いるんだよ。それに比べりゃアポートは引き寄せるだけで、細かいコントロールは必要ない。
 物質を透過する素粒子レベルなら、全部引き寄せても空間交換の問題が起きる可能性は小さい。それに転移先は私のすぐそばだから。
 ……すぐにチーフに眠らせて貰えば、被害もほとんどないはずです」

『いや、しかし……』

 結城は、どう答えていいかわからず、途中で言葉を濁す。
 一方、美優はブレない。

『大量のガツンで、イきまくり大歓迎、とか。
 チーフにテレポートで『麻酔薬ぶっちゅー』してもらう、とか。
 ……友香っち、マジ、エロす!』

「だから違うって! でも、……これなら誰も傷つかないでしょ?」

『綾乃たんやアタシら全員助けつつ、一人でガツン特盛り。さらに麻酔で失神プレイ、つゆだく全部のせ!
 うー、エンジェルではアタシがエロ属性担当だと思ってのにぃ。……エロエロ負けたっぽい』

「違ーう! っていうか、エロ担当とかないし!」

『んむっ。友香っちこそ、真の《性癖覚醒者》……と書いてエンライテンド・オブ・プロクリヴィティーズ、我が盟友にふさわしい。今日からは《色欲の堕天使》と書いてラスト・フォールン・エンジェル、と名乗るがよい。
 むむ? ってことは……? ぐふふ、そうか、そういうことか!
 ならば、我こそは真の名で我が友を呼ぼう。友香っち改め、アスモデウスよ!
 エロエロアザラク、エロエロザメラク……』

「だから話聞け! その何とかと書いて○○と読むみたいな変な呼び名もマジで無いから! あと、……エロエロいうなっ!」

 友香は大声でツッコミ入れながら、ワルノリを続ける美優の言葉に──特に後半、ほとんど意味不明であるものの──、自分の悲壮な決意が随分と気楽なものになっていることに気づいていた。もちろん礼を言う気はさらさら無いが。

 CGA本部から連絡が入った。

『陸自への要請完了。ブラックホークが発進準備に入るとのこと。時刻はヒトロクサンマル、場所は予定通り高申第二中学グラウンド』

『了解。こちらも状況を開始。──すまないが秋山、頼む』

 結城浩子の言葉に、友香は明るく答える。

「──じゃあ念のため、アポートのカウントダウン開始します。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1」

 一瞬、友香の体が薄く光ったように見えた。
 ──そして。

 ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ! ガツンッ!

 連続する激しい打撃音が響いた。
 通信機越しでありながら、結城浩子、有賀美優の両名、そしてモニターしていたCGAオペレーターは、今まで聞いたことがない凄まじいガツンの音を耳にしていた。

『あ、秋山っ!』
『友香っち……』

 二人の声は、友香には届いていない。
 彼女の身体が、狭いバンの中で勢いよく跳ね上がった。ヘルメットをかぶった頭がルーフにぶつかり、すぐにまた落ちてシートに押し付けられる。
 ゆっくりと、その背中が弓なりに反った。

「んくっっ」

 友香が小さく呻いた。
 次の瞬間、咽喉の奥、身体の底から、獣のような声が押し出された。

「んぁぁぁぁああああああああああーーーーーーーっっっ!!」

 出鱈目な動きで両腕と両足が痙攣し、腰と肩がひねられて、身体が勝手に弾む。
 繰り返し背中が反らされ、その勢いで何度も宙に浮いた。
 目はかっと見開いたままだ。
 激しく腰が上下し、首が反らされる。大腿をぶるぶると震わせながら両足が開閉し、やがて何かを蹴り上げるような動きに変わった。

「いやぁああっっ、いいっいいっいいっいいいいぃぃっっ!」

 がくがくと頭が前後に振られた。
 まるで磔(はりつけ)にでもなったように、両腕が限界まで左右に伸ばされる。指先は何かを掴むような動きを繰り返していた。

「んくぅうあああああ~~~~~っっっっ」

 その顔は苦しみに歪んでいた。
 激しい負荷がかかっているのはもちろん肉体だけではない。強烈すぎる『何か』が、彼女の脳や神経、そして精神まで侵食しているようだった。
 にもかかわらず、苦悶を浮かべるその顔に、時折どこか神秘的な陶酔感すら感じさせる慈愛にも似た表情が浮かぶ。

「ぉあっ、んあんあんあんぁあいいいいーーーっっ!!」

 乱れ跳ねる身体の動きは、止まる気配がなかった。
 激しい痙攣も収まろうとしない。
 だが、それを押さえつけている者がいた。
 SUVからテレポートしてきた結城浩子だった。

「秋山っ、死ぬなっ!」

 彼女は全力で秋山友香を羽交い締めにし、左腕に麻酔薬を打ち込んだ。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時17分、N市北西部・蔵田山】
 厚く生い茂る樹々の梢が、次々と激しくぶつかる。
 がぎぎぎぎっっ。
 大きな衝撃音を立てながら、パジェロが斜面を下っていく。
 低木をなぎ倒し、時には大きな石を巻き込みながら、山肌を削るように進んでいる。後輪が左右に振れる度に、多量の土砂や乱雑に千切れた雑草が後ろに跳ね飛ぶ。

 鉄条網をなぎ倒して進んだ道路の先には、さらなる障害が用意されていた。
 複数の鉄柵による閉鎖に加え、アスファルトに固定された鉄製の車止めまでがあり、SUVでも乗り越えることは無理だった。
 これに対して、小池博文は山道を降りるという無謀な策に出た。
 その結果、白い車体は激しく傷つき、泥まみれになっていた。

 ボディには有刺鉄線によってつけられた傷が無数に引かれ、塗装もはがれている。
 傾斜角45度を超える勾配は、下るというより滑り落ちるといった方が正確だ。
 それでも博文は、小刻みにブレーキを踏み、握りしめたハンドルを細かく左右に回す。時に跳ね上がり、あるいは横滑りする車体を何とかいなすことに成功していた。

 実際の時間は5分にも満たなかったかもしれない。
 しかし、森の向こうに明るく開けた場所が見えた時には、何時間も激しい緊張の中に置かれていたような疲労感に襲われた。

「危ないっ!」

 どうやら、一瞬ぼうっとしていたらしい。
 隣に座る田所周一の声で、我に返った。
 車体が跳ね、一瞬何もない空が見えた。
 次の瞬間、目前にガードレールが迫っていた。
 その向こうは崖だ。
 慌ててブレーキを踏みこむ。
 悲鳴のような金属音が響き、続けて重い衝撃が走った。

 がくんと、身体が前方へ跳び出しそうになるが、シートベルトがそれを阻止した。
 エアバックは作動していない。
 思ったほど激しい衝突ではなかったようだ。
 パジェロは山道の崖側に設置されたガードレールに、斜めに接触して停車していた。

「おい、……生きてるか?」

「何とか道路に出られましたね」

 全身の力が抜けた博文がつぶやくと、意外と冷静な声が返ってきた。
 だが、博文が無理やり笑みを浮かべて振り向く隣の席で、周一は青い顔に細かな汗を浮かべている。

「さて、方向はあってる筈だけど……」

 博文がジャケットの内ポケットを探り、携帯を取り出す。
 周一はすでにS市で買った地図と、スマホのマップを見比べていた。
 蔵田山を回り込む道路にいることが確認された。

「蔵田山の東、ほとんどC県との県境ですけど、間違いなくN市です」

「おお、やったな! しかし、凄かったな……」

 今頃になって、小池博文は自分の身体が震えていることに気がついた。
 周一も、血の気を失った顔に無理やり浮かべた笑みがひきつっている。
 博文は車をバックさせて山側に寄せ、ぎりぎり一台が通りすぎることのできるスペースをあけて停車した。
 エンジンを切り、窓を開けると、すがすがしい山の空気が入り込んでくる。
 そのままドアを開け、外に出た。
 周一も助手席から降りる。
 外から見るパジェロは、想像以上にボロボロだった。

「こりゃ酷い。よく止まらずにここまで持ったな……」

「今まで乗ったどんなジェットコースターより怖かった、です」

「そりゃ、アトラクションじゃないからなあ」

 そう言って博文は小さく笑った。
 つられて周一も、声を出して笑う。

「あははは、……死ぬかと思った」

「ふはは、俺もだ」

「二度とご免です」

「ああ、それも、……俺もだ」

 そう言いながら、また笑う。
 笑っているうちに、どんどん可笑しくなった。
 ぼろぼろのパジェロの前で、二人は長いこと笑いあっていた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時22分、N市西部・緑山遊園入口】
 最後の停留所にバスが着いた。
 道路脇には、「緑山遊園」と書かれたバス停標識が立っている。
 圧縮空気の抜ける音と共に、バスの降車口が開く。
 降りたのは、黒いセーラー服の少女一人だ。他に客はいない。
 バスは駐車場で切り返し、山道を下っていった。
 少女は小さくため息をつき、だがすぐにきつい眼差しで真っすぐ前を向く。
 緑山遊園──、通称『抹茶ランド』のエントランスだ。
 整った顔に、微かな苛立ちの表情が浮かんだ。
 その真剣な眼差しはゲートの向こう、遊園地の上に注がれている。
 彼女の目には、赤黒い蛇のような靄(もや)が、ゆらゆらと漂うのが見えていた。

 ──やはり、ここだ。

 少女は遊園地の奥をじっと見つめる。
 禍々しい靄が、揺れながら次第に濃い色に変わっていく。
 突然、首の後ろに小さな痛みが走った。
 物理的な痛みではない。何か、よくないことが起こる予兆だった。
 少女の視線が、その「何か」を探るように右へと移動する。
 遊園地の敷地に隣接して続いている蔵田山の森、その比較的ゆるやかな右側の斜面で視線が止まった。
 バスで上ってきた道はここで終わりだ。その先に道はない。
 だが、道のない山肌に動くものの気配があった。
 いくつものオレンジ色が山の斜面を下りてくる。ちらちらと点滅するように見えるのは、木々の間に見え隠れしているためだった。
 少女は早足で、駐車場の奥へと向かった。
 すでに疲れも気にならない。
 嫌な気配はさらに濃くなっていたが、それを打ち払うようにしっかりとした足取りで進む。
 彼女の瞳には強い光が宿り、その端正な顔には静かな決意が浮かんでいた。

 駐車場の端まで来ると、山がすぐ近くに迫っていた。
 斜面にはオレンジ色の影が多数、移動している。
 人だった。
 木々の間を滑り降りるようにして、あるいはおそるおそるといった様子で、しかし危険を顧みず道なき場所を降りてくる。
 かなりの人数だ。山の上から、次々と人が降りてくる。
 彼らは揃いのオレンジ色の法被(はっぴ)を羽織っていた。
 まだその声は聞き取れないが、全員が何やら同じ言葉を唱えていた。
 それは、彼らの危険な行動に似合わぬ、妙に軽い響きに聞こえた。
 わらわらと、木々の合間から人の姿が現われた。

「拒まず、惑わず、躊躇わず」
「拒まず、惑わず、躊躇わず」

 彼らはそう唱えていた。
 オレンジ色の法被には、太い墨文字で「我積修法会」と書かれている。
 総勢で40人はいるだろうか。
 何人かは急な斜面を前に立ち往生となり、途中で樹の幹に掴まって別の進路を探っている。だが、一番最初の数名は、すでに駐車スペースに辿り着いていた。
 彼らは遊園地のエントランスに向かい、そこを仮の集合場所としたようだった。

 突然、奇妙な踊りが始まった。
 阿波踊りに似ていなくもないが、規則性のない動きが多く、どことなく淫猥な雰囲気を感じさせる。個々の動きは全く統一がとれていない。乱れた動きで、好き勝手に踊っているようだ。
 同時に彼らは、メロディと呼べるか定かでない節回しで、言葉を繰り返していた。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 遅れていた者も次々と山を抜け出し、エントランスに集結する。
 やがて彼らは、踊りながらゲートを通り抜け、揃って敷地の中へと入っていく。

 ──マズい。

 彼らの発するオーラを見て、少女は小さく舌打ちをした。
 濁った朱色をしたその光は、彼女があまり目にしたことのない狂気をはらんでいる。
 少女の首の後ろに、ちくちくと痛みが生じている。
 それが収まろうとしない。
 首筋だけでなく、咽喉の奥にも嫌なしこりがあるかのような感触があった。
 あるいは、ガツンに影響された者以上にやっかいな相手かもしれなかった。
 だが、不安を振り払うように少女は前方を睨みつけ、我積修法会の後を追った。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時26分、N市・蔵田上郷(くらたかみごう)】
 大回りで蔵田山の東側を南下する道を、ボロボロのSUVが走っている。
 小池博文と田所周一の乗るパジェロだ。
 もともと白かったボディは傷だらけの上、泥や埃で灰褐色に汚れている。
 悪路でもないのに、時折、がくんと車体が揺れる。その度に、車体のどこかが軋んだような音をたてる。
 今のところ、エンジンもブレーキも問題なさそうだが、いつ不備が発生してもおかしくないように思われた。
 だが、博文は妙なニヤニヤ笑いを浮かべていた。
 窓を開け、タバコに火をつけて、助手席の周一に話しかける。

「これ、レンタカーだって言ったっけ?」

「え、あ、はい。……これって、相当マズいですよね?」

「金ないんだよなー」

「そうなんですか……。え、あっ、僕もないですよ?」

「ああ、すまんすまん。別に君に出させようなんて思ってないから」

「あ、はい、……なんかすみません」

 あまり噛み合わない会話が途切れる。
 しばらくして、タバコを消した博文がまた口を開く。

「そういえばさ、わざわざN市まで会いに来た人って、どんなコ?」

 突然の質問に、周一はすぐには答えない。
 黙っていると、博文が少し困ったように言った。

「いや、言いたくないなら言わなくていい。って、さっきもそう言ったよな、……なんかごめん」

 それにも、周一は答えない。
 博文がさらに困った顔になった頃、ようやくぼそっと周一が口を開いた。

「……幼馴染み、というか」

 ──いいねえ!
 反射的にそう叫びそうになるのをぐっと堪え、博文は無言で頷いた。

「小学3年の時に、転校してきた子で。……ちょっと変わっているっていうか、小3だったのに凄く大人びてました」

「──まあ、あの年頃は、大抵男より女子の方が大人だからなあ」

「あ、そうかもしれません。でも、もっと何か、凄く醒めてるっていうか。……両親を事故で亡くしていたし、いっぱい本も読んでいたから、そのせいかもしれないです。
 家が近かったんで、結構遊んだりしてたんですけど、一年くらいたって今度は僕のウチが引越して。それで離れ離れになっちゃったんです」

「え? 小学校の時にサヨナラ? そんな昔に別れたコに会いに来たの? ……一途というか、気が長いというか、なんか凄いな」

「あ、いえ、……その、たまたま最近、久しぶりに会ったりしたんで」

 ──おお! 運命の再会! そして燃え上がる恋、ってヤツか!?
 口に出すのは我慢したが、博文の目には下世話な興味の混じった強い好奇心がありありと浮かんでいる。
 だが、その顔が急に真面目な表情に変わった。
 博文はパジェロの速度を落とし、ゆっくりと徐行する。

「……あれ、何だ?」

 右側に続く山肌に、ちらちらと動くオレンジ色が見えた。
 何かはよくわからない。
 ただ、そのオレンジ色には、記憶に残る強い印象があった。

「……まさか、さっきの人たち?」

 周一の声に緊張が滲んでいる。
 警官とのもみ合い、自転車で走りながら聞いた発砲音──。
 先程のことなのに、ひどく昔のことのように感じた。
 にも関わらず、つい後ろを振り返りたくなるような、落ち着かない気分になる。

 車がカーブに沿って進むと、少しだけその斜面に近づく。
 やはり、人だった。
 複数の人間が山の中を移動し、下りようとしている姿に見える。
 ──徒歩で山を越えたというのだろうか?

 道は徐々に曲がっていき、その人影はすぐに見えなくなった。
 しばらく進んだところで、道が丁字路に差し掛かった。
 博文が車を停めた。

「……どっちだ?」

 周一が地図とスマホのマップを確認する。
 博文は車をバックさせ、路肩に寄せた。

「市の中心に行くなら左です。右は、……多分さっきの、人がいた山の方。えっと、『緑山遊園』っていう遊園地があるみたいです」

「田所君は町の方に行くつもりだよね?」

「あ、はい、そのつもりです。ガツンは人の多いところで起きやすいって言いますし」

「じゃあ、ここでお別れだな」

 そういって、博文がアイドリング中だったエンジンを切った。
 薄く笑いを浮かべる中年男の顔を、周一が不思議そうに見つめる。

「あの、小池さんは……?」

「あはは、いや、何の目的もなくここまで来ちゃったんだけどね。
 ……実はさっき、あのナントカ会が警官ともみ合ってた時に、あいつらのバスの中に知り合いがいたみたいでさ。
 気のせいかも知れないし、たまたま似たヤツだったのかも知れないんだけどな……」

「じゃあ、山の方に?」

「うん、とりあえず行ってみる。もし見間違いだったら、町の方へ向かってみるわ」

「……女の人ですか?」

「え?」

「だからその、知り合いの人」

「ああ、まあ、女、だけど……?」

「──いいですね、そういうの」

 そういって周一は、ニヤッとする。
 少年が初めて見せる表情に、博文は苦笑するしかなかった。

「いやー、ホントに、何一ついい話じゃないんだけどなー」

 苦笑いを浮かべながら、博文は車の外に出た。
 周一もそれに続く。
 電話番号とメールアドレスを交換した。
 車の後ろから自転車を取りだし、周一がそれにまたがる。
 博文が小さく手を上げた。
 
「じゃ、またな」

「ありがとうございました」

 小さく礼をのべ、周一が自転車のペダルを踏み込む。
 ゆっくりと走り出す背中に、博文の声が響いた。

「よくわからないけど、やりたいようにな! ……無茶しろ!」

 チリンとベルを1回鳴らし、周一は丁字路を左へ曲がった。
 振り向くと、博文が親指だけ上に立てた右手を、大きく前に突き出している。
 チリンチリンっ。
 再度ベルを鳴らしながら、こちらも伸ばした左手の親指を立てて応えた。
 そうして周一はペダルを漕ぐ足に力を入れ、自転車の速度を上げた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時31分、N市・緑山遊園】
 N市警の女性警官、山下久美と宮本美樹は、通称「抹茶ランド」の一番奥にある観覧車の前に来ていた。
 服は乱れ、あちこち露出も激しい。よく見ると制服のスカートやシャツは、乾いた汗と体液でよれよれになっていた。隠しきれずに晒されている肌も、土や埃で汚れている。
 だが、意識ははっきりしていた。ガツンの影響はすでに消えている。
 意外なほど、強い意思が戻っていた。

 一時的に淫蕩な行為に溺れたからといって、それを理由に職務を放棄するほど、N市の警察官はヤワではない。スーパーガツン発生から5日、非常事態の中で活動を続けてきた経験で、この二人も確実にタフネスを増していた。

「先輩、人がいます!」

 美樹の指さす方向に、若い女性がいた。
 黒いカットソーにピンクのパーカー、ミニスカートにレギンス。
 久美は、その服装に見覚えがあった。

「……メリーゴーランドにいたコだ」

 二人は、少女に近づく。
 彼女も、今はガツンの影響から抜け出したようだった。
 久美が声をかけた。

「警察です。先ほどからガツンが異常発生していますが、……大丈夫ですか?」

「あ、はい。一度、遭っちゃいましたけど、何とかこっちまで逃げてきて。……ホントはここから出たいんですけど、あっちに戻るとまたなりそうな気がして」

「ああ、そうか。そうですよね……」

 美樹が少女に優しく微笑み、それから久美の方を向き、対応を協議する。
 もちろん、美樹にも久美にもガツンに対処する術(すべ)があるわけではない。
 それでも二人は警察官、民間人を保護する義務がある。
 ガツンの影響下にある時には考えもしかなかったが、今はとにかくここから避難することを優先すべきだ。
 美樹と久美は、素早く相談して方針を決めた。

「この遊園地は今、大量発生ポイントになっているようです。ガツンに対処するのは難しいですが、何とか出口まで行きましょう」

 そう美樹が説明している間に、久美は携帯を取り出す。
 駐車場まで行けば、二人が乗ってきたミニパトに無線もある。だが、できるだけ早く避難するために、今のうちに応援を呼んでおくべきだと考えてのことだ。
 市警本部に連絡を入れ、緑山遊園の入り口まで警察車両を回してもらう手筈を整える。他にもいるだろう民間人の保護も視野に、マイクロバスを出してもらうことになった。
 久美は携帯を切り、少女に告げた。

「エントランスまで警察のバスが来ます。他の人も探しながらそこまで行きますので、離れずについてきてください。指示に従って頂けると助かります」

 少女は素直に頷いた。
 美樹が先導し、久美は少女に簡単な事情聴取を行いながら、並んで歩く。
 少女の名前は三波葵(みなみあおい)といった。緑山遊園に向かう路線バスの停留所がある蔵田中郷(くらたなかごう)に住んでいるという。
 ここへ来たのは、スーパーガツンで学校も休みとなったため、ふらっと遊びに来ただけ、とのことだった。まさかここでガツンに遭遇するとは思っていなかったらしい。

「すみません。でも、人の多いところで起きるって聞いてたんで、抹茶ランドなら大丈夫かと思って……」

「あなたは被害者なんだから、謝る必要はありませんよ? ガツンは自然災害みたいですし。それと、人の多いところで起きやすいという傾向は確かにあるみたいですしね」

 久美がそう言うと、三波葵はほっとした表情でこくんと頷いた。
 美樹が後ろを振り返った。

「ただ、ガツンの発生についてはまだ、原因が究明されていないから、できるだけ自宅にいるようにした方がいいですよ? 家の中で一人なら、最悪、まあ、一人で済むし……」

 美樹はちょっと照れた笑いを浮かべつつ、語尾をぼかす。
 葵は困った顔でそれに答えた。

「ああ、うん、そうなんですけど。ただ、ウチはお兄ちゃん、……兄と弟がいるんで、その……」

「あ、そうか! ごめん、そういうこともあるよね。だから家を出てたのね……?」

「え、ええ、まあ、それもある、というか」

 葵がさらに困った様子になったのを見て、久美がまじめな声で言う。

「難しいところですね。部屋に鍵かけるというのもひとつの手ではあるんですけど。そのせいで家庭の雰囲気を壊すかもしれないし。家族の仲が良ければ良いほど、逆に悩みますね」

「ウチは家族仲、まあ普通だと思います。
 兄にはカノジョがいるんですけど、住んでるのがS市で。外で会ってる時にこっちが封鎖されちゃえばよかったのかもしれないけど。
 弟の方は2つ下で全然子どもなんですけど、でも、思春期なのは確かで……、ガツンが来たらヤバいかも、と思って」

「うーん、そうか。その辺の対策は考えてませんでしたねえ」

 美樹がまた、後ろを振り返ってそう言った。
 久美は眉間に皴を寄せて頷く。
 スーパーガツン発生以来、二人とも課を越えた警察活動全般に携わっている。
 ただ、防犯、子どもや女性の安全対策、青少年の保護などは、元々二人が席を置く生活安全課の担当だ。「少年に有害な環境の浄化」も含まれるし、相談を受けるのも業務のひとつだ。
 しかし、ガツンに対して有効な対策がないことはもちろん、個別の様々なケースにおける問題については、把握も検討もまったくできていない。
 
「保健所あたりに、避妊具の使用を呼びかけてもらうよう依頼するかなあ……」

 独り言のように、久美がぼそっとそう呟いた。

 久美と美樹、そして葵の三人は、スカイフラワーという名のアトラクションの前に来ていた。
 中央の太い柱から8本の支柱が伸び、その先に二人掛けの座席がついている。座席の下は花を模した形になっており、それを支える柱が上下しながら、中央の柱のまわりをぐるぐる回る乗り物である。
 回転や上下の運動はほどほどの速度で、よほど苦手な人以外、怖いと感じるような遊具ではない。
 軽快な音楽と共に、そのスカイフラワーが動いている。
 円形のステージへと続く階段の上に小さなブースがあり、そこに機械を操作する初老の男がいた。
 美樹が階段を駆け登り、その男に避難勧告を行う。

「警察です。こちらでガツン異常発生中のため、警察のマイクロバスが迎えに来ます。ゲートまで一緒に避難してください」

 初老の男は了承し、操作盤に手を伸ばした。
 上下する支柱の動きが下側に来た時にそのまま固定される。回転も少しずつゆっくりになっていく。

 一方、久美は、アトラクションの横のベンチに、三人の女性を見つけていた。
 全員20歳になったばかり、同じ高校の時の同級生同士だ。
 それぞれ実家暮らしで、家に男の家族がいる。
 友だち同士で話しているうちに、その中の一人が、以前ガツンにあったことがあるという大学の先輩に相談することになった。その結果、家にいるよりもどこか広くて人の少ない場所にいた方が、ガツンに遭遇した際のリスクが少ないというアドバイスを受けたのだという。

 久美が避難を呼びかけると、三人は一瞬互いに顔を見合わせたが、すぐに大きく頷く。
 彼女たちの服は乱れており、ガツンに遭ったことは一目瞭然だった。だが、当然そのことを指摘したりはしない。
 三人ともすでにガツンの影響からは抜け出ている。それに、──そもそも服の乱れ具合なら、久美の方が余程酷かった。

 美樹の目の前で停止したスカイフラワーから降りてきたのは、見覚えのある母娘だった。
 日本人形のような顔立ちの母親に愛くるしい幼い娘、──つい先程、二人組の男がちょっかいを出した母娘だ。
 美樹は一瞬、自分の身体の奥が疼くのを感じた。
 何度も激しく味わった絶頂の快感を身体が思い出したようだった。
 淫らな器具のことが頭をよぎる。

 ──そういえば、アレは結局どうなったんだっけ?
 久美は買うと言ったが、結局あの男たちから譲り受けることなく、その場を去った。

 母娘が、出口に向かって歩いてくる。
 美樹は、全く関係のないことを考えている自分に気づき、慌てて意識を元に戻した。
 二人に駆け寄り、美樹は同じ説明を繰り返した。

 美樹を先頭に三人連れの女性、母娘、初老の男性係員、そして葵と久美が続く。
 先程通った南回りのルートではなく、北回りのルートでゲートを目指す。
 午後二時過ぎに緑山遊園に足を踏み入れた際、久美と美樹は入り口付近にあるメリーゴーランドで、裸のカップルを目撃していた。だがその二人は、発見できていない。
 もちろん、残っているようなら一緒に行動してもらった方がいいが、それ以上に注意すべきことがあった。
 まずはガツンに遭遇しないよう、周囲への警戒を怠らない。
 さらに、先程出会ったいやらしい男とその手下の若い男、そして白い全身タイツの変態に注意しながら進むよう、二人は前もって確認していた。

 幼児向けのコイン式遊具や古いゲーム機が並ぶ建物の前を通り過ぎる。園の外周に沿って北側を往復するミニSLの乗車口を過ぎたあたりで、遠くにゲートが見えてくる。
 最初に気づいたのは、三人の女たちの一人だった。

「あれ、……何だろう?」

 黒い頭とオレンジ色の上着。
 人が大勢集まっていた。

「動きが変です。……え? 踊ってる?」

 美樹がそう呟く。
 一同は足を止め、久美だけがゆっくりと前に進む。
 次第に、集団で踊りながら唱える声が聞こえてくる。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 全員が同じオレンジ色の法被を着た我積修法会の面々だった。
 踊りながら、こちらへ向かってくるのがわかった。
 美樹の少し前で足を止めた久美が、集団から目を放さずに言う。

「ガツン、かな?」

「わかりませんけど……、何かの宗教みたいですね」

 二人が判断に迷っている間にも、踊る一群はどんどん近づいてくる。
 総勢で40人はいるだろうか? かなりの人数だ。
 男の方が圧倒的に多いが、女も交じっている。年齢は20代から50代といったところだろう。
 その集団には何か目的があるのか、まっすぐこちらに向かってくる。

「警察です。只今、ガツンが以上発生中ですので、速やかに避難してください。まもなく敷地入り口に警察の車両が到着予定です」

 久美が大声で叫んだ。
 だが、何も聞こえていないかのように、彼らの声や踊りが止まる気配はない。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 久美はようやく彼らの唱える言葉の意味に気づいた。
 それは一人の男がまず法被を脱ぎ捨て、さらに着ているものをどんどん脱いでいくのを目にしたのと同時だった。
 それをきっかけに、次々と服を脱ぎ出す者が続出した。
 男だけでなく、女もだ。
 服を脱がない者もいたが、全員が奇妙な動きで踊り、そして同じ言葉を繰り返していた。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 明らかに異常な集団が、すぐ手前に迫った。
 久美の顔がさらに厳しいものへと変わる。

「宮本、ここは危険だ。全員で迂回しよう。誘導頼む!」

「了解ですっ」

 美樹を先頭に、保護した7人が斜め右に向かって早足で進む。
 コーヒーカップのある方向だ。
 久美だけはその場に留まり、警戒を強める。

「警察です。すぐに避難してください!」

 そう告げるものの、集団が進行を止めることはなかった。
 全裸の男が踊りながら近づき、久美に向かって倒れ掛かってきた。
 サイドステップでそれを躱(かわ)す。
 だが、ずれたその位置に、今度は別の男が二人、前に伸ばした手を上下にゆらゆらと動かしながら速度を落とさず向かってくる。

「──みんな、走れっ!」

 後ろを向いてそう叫びながら、久美は身体を回転させ左の男の手を取った。
 男の身体が横にずれる。
 しかし久美は止まらない。流れる動きで腰を落とし、もう一人の男の膝の裏に軽く右脚を入れていた。
 腕をとられてバランスを崩した男は何とか踏みとどまったが、足を払われた方は鈍い音をたてて地面に倒れた。
 だがすぐに起き上がり、二人とも表情を変えずにこれまでとは別の言葉を唱え始めた。

「拒まず、惑わず、躊躇わず」
「拒まず、惑わず、躊躇わず」

 得体のしれない恐怖を感じ、久美は半ば反射的に後ろへ跳躍した。
 だが、その肩が掴まれた。
 横から、女がしがみついていた。
 さらにその向こうから、大勢の男と女が、まるでゾンビのように集まっていた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時35分、N市・緑山遊園】
 青白い光の粒が見えた。
 それを目にした瞬間、少女は横に飛んだ。
 黒色のセーラー服を着た少女だった。
 光はそのまま消えていく。
 だが、すぐにまた、目の前に光る粒が現れた。
 左手を大きく横にふり、光の粒を払ったのは細い金属だ。
 いつの間にか手にした長さ20センチほどの銀色の針だった。
 光の粒が消えるのと同時に、再び小走りで進む。
 だがすぐに、次々と青白い光の粒が現れ、歩みを遮られる。
 その度に、針を使って光の粒を消す。
 気がつくと、追っていた集団に随分距離を開けられている。
 再度、走り出そうとして、しかし少女は歩みを止めた。
 大きく広がる通路の端に向かい、低木の植えられた柵の手前でしゃがみこむ。

 指先で地面に円を描き、その円周に接する形で五芒星を描く。
 星の中心に針を埋め込み、その端を左手の人さし指で押さえる。
 右手は軽く身体の横に開き、人さし指と中指だけ揃えて伸ばし、目を閉じて息を調える。
 そして彼女は静かに唱えた。

「シビュラの目、野獣の都、ハイペリオン。パーマー・エルドリッチの三つの聖痕をもって、たったひとつの冴えたやりかたを示せ」

 少女はしばらくの間、目を閉じたまま、じっとしていた。
 息すらしていないように、限りなく自分の存在を消していく。
 そして、ふっと小さく息を吐き、目を開いた。

「……最低っ」

 そう呟くと、少女は首の後ろに手を回し、シルバーのチェーンを外す。
 胸元から引き出したのは、銀色のメダルだ。中央に青い石がはめ込んである。
 そのメダルを左手に持ち、右手には銀の針。
 ぶつぶつと小さく何かを唱えた後、深呼吸をする。
 それからおもむろに、尖った針の先端を首筋の右側にあてがった。
 再び、静かに息を吸い込む。
 そして、息を吐き出すのと同時に、一気に針を突き刺していた。

 針は半分ほど埋まっていた。
 だが、少女の顔に苦悶の表情は浮かんでいない。
 痛みはないのか、そのまま手を放す。左手に持ったメダルを右手に持ち替え、首から生えた針の端に中央の青い石をあてる。

「20億の針、一千億の針よ。栄光の星のもとに、遠き神々の炎であなたをつくります」

 そう唱え終えた瞬間、針を抜き取る。
 血は出ていない。傷も残っていなかった。
 少女は大きなため息をひとつついて、それから立ち上がった。
 ざっと、左手を振る。
 今まで何もなかった左手に、同じサイズの銀色の針が8本握られていた。
 恐らくは、黒いセーラー服の袖の内側かどこかに隠してあったに違いない。──その出現はあまりに唐突だったが。

「封っ!」

 小さく叫んで、少女が左手を横に払う。
 8本の針が宙に放たれ、四方に散らばった。
 同時に彼女は、道の中央を走り出していた。

 次々と出現する青白い光の粒を消しながら、道の左右に銀の針が突き刺さる。
 駆けながら、少女は何度も左手を振るい、銀の針を飛ばしていた。
 彼女の目が、前方に暗い朱色の靄を捉える。
 その向こうに、我積修法会の集団がいた。
 全裸の男、トップレスの女、下半身だけ脱いでいる男女、そして女ものの下着を頭にかぶる男。
 脱いでいる者もそうでない者も、全員が同じ言葉を繰り返し、異様な盛り上がりを見せながら、踊っていた。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 まるでその踊りや謡(うた)に呼ばれたかのように、青白い光の粒が出現し、集団の中で消えていく。
 ぞわっと、感触を伴って嫌な予感が全身を走り抜けた。
 群れをなす我積修法会の信者たちのほぼ真上に、赤黒い靄が濃くなっていた。暗い朱色のオーラと合わさり、猥雑さが増している。

 再び悪寒が走り、全身に鳥肌が立った。
 夕方の橙色に変わった空を背景に、小さな光の点がいくつも点滅するのが見えた。
 バチバチと、まるで放電が起きたように光り、同時に首筋に強い痛みが走った。鼻の奧に、何かが焦げるような匂いまで感じる。
 その時、集団の丁度中心あたりで、それが起きた。

 ガツンッ!

 一人の男が、突如前のめりに倒れた。
 だが、それで終わりではなかった。
 間髪入れずに打撃音が響いた。

 ガツンッ!

 最初に倒れた男から僅かに離れた場所で、別の男が態勢を崩す。
 背中を向けていた彼らが、突然こちらを向く。
 すぐに少女に気づき、ゆらゆらと近寄ってくる。

 ──まずいっ。

 少女は反射的に周囲を見回し、逃げ場を探した。
 だが、いつの間にか、我積修法会の信者が左右を取り囲んでくる。
 再び前を向いた時には、前のめりによろけながらこちらへ向かってくる群衆がいた。
 そこにさらなる衝撃が走り抜けた。

 ガツンッ!
    ガツンッ!
       ガツンッ!

 打撃音と衝撃が、途切れることなく四方に広がっていく。
 連鎖反応を起こしたガツンが、ドミノ倒しのように次々と発生していた。
 人とガツンの両方が、雪崩のように押し寄せてきた。
 咄嗟にメダルと針を持つ両手を交差させ、身体の前で構えた。

 一瞬、不思議な静寂を感じた。
 修法会信者の最前列の者たちはすぐ目の前に迫っていた。
 今にも身体がぶつかろうとしたその時、雷のような激しい轟音と衝撃が襲った。

 ガツンッ! ガツンッ!   ガツンッ!  ガツンッ!
    ガツンッ!  ガツンッ!   ガツンッ!  ガツンッ!
 ガツンッ!  ガツンッ! ガツンッ!  ガツンッ!
   ガツンッ!   ガツンッ!  ガツンッ!

 これまで見たり体験したものの何倍、いや何十倍ものガツンが、同時に襲いかかった。
 交差させた両腕に、重い痛みが走り抜けた。巨大な獣に勢いよく体当たりされたかのような衝撃だった。

 次の瞬間、少女の身体がはじき飛ばされていた。
 あたかも物理的な衝撃があったかのように、数メートル後ろに身体が飛び、地面を転がる。
 強く打ち付けた左の肩と腰、身体を庇った腕に、鈍い痛みを感じた。
 握りしめたままの針は、先端が折れ曲がっている。
 メダルに嵌め込まれた青い石には、肉眼ではっきり見える小さな傷がいくつもついている。
 彼女は大きく息を吐きだし、折れた針を投げ捨てる。
 なんとか身体を起こす。
 すぐに左手で胸元を押さえ、顔を歪めた。

「くっ、……少し、胸に入った」

 何も対処していなければ、間違いなくガツンが発現し、あっけなく理性を失って異常行動に出ている所だった。
 前もって身体に針を打ち、結界陣を築いておいたため、意識は保てている。
 だが、地面に手をつき立ち上がろうとしても、腰に力が入らない。
 それほど強烈な衝撃だった。
 全身が棒のように怠かった。
 歯を食いしばり、顔を上げる。

 だが、怠い身体に、どうにも力が入らない。
 下腹部の奧に、妖しい熱が生まれていた。
 気にしないようにしても、身体の熱は徐々に膨らんでくる。
 いつの間にか、息が荒くなっていた。
 膝が力なく開いていくのがわかる。
 どこをどうしたら気持ちいいのか、身体が快感を思い出そうとしている。
 顔が熱い。
 目が潤み、何度も瞬きを繰り返した。

 ──シュウちゃんっ!

 幼馴染みの顔が頭によぎる。
 今すぐ会いたい。──そう思った。

 ガツンでは、普段なら絶対にしないような性行動に走ることが少なくない。でも、彼が一緒にいれば心配いらない。彼とHすればそれでいい。
 前にガツンになった時は、すぐそばに彼がいた。
 なんとか鎮めたが、本当は最後までしたってよかった。……そうも思った。本心ではそれを望んでいた気もする。
 ──しかし今、少年はこの場にいない。ならば、我慢するしかない。

 だが、少年のことを考えたせいで、さらに熱が大きくなっていた。
 ほとんど無意識のうちに、両手がスカートの上から大腿を掴んでいた。指先が白くなるほど強い力が入っている。
 衝動に耐えるためにそうしたのだろう。
 だが、そのことで自らの欲求の大きさに気がつかされる。

 くふんと、小さく鼻が鳴った。
 気がつくと手の力が緩み、ゆっくりと下に降りていく。
 スカートの裾に、指先がかかった。
 自分の意思とは関係なく指が裾をくぐり、少しずつスカートを引き上げながら、腿の内側を滑っていく。
 ぞくぞくするようなその感触に、期待と興奮が高まる。

 あっ……。

 足の付け根、下着の脇にもうすぐ手が届きそうなところで、びくっと身体が震えた。

 だが──。
 熱く潤んだ目の端に、我積修法会の群れが、ゆらゆらと起き上がるのが見えた。
 この場所、この状況が、自分がしようとしている行為とあまりにも不釣り合いなことに気がついた。
 身体の中で膨らむ欲求も不自然だった。
 強烈な名残惜しさを感じつつ、なんとか内腿から手を引きはがす。

 ──ここが自分の部屋だったらよかったのに。

 ゆっくりとスカートの裾を元に戻しながら、そう思った。
 そしてすぐに、その考え自体が、未だにガツンの影響下にあることに思い至った。
 深く息を吸い、吐きだす。
 欲求に抗いながら、深呼吸をし、息を調える。

「ハルシオン・ローレライ、スタージョンは健在なり。夜の言葉に従い、この狂乱するサーカスを終わらせたまえ!」

 呪文を唱え、新しく出した針を自分の首筋に刺しこんだ。
 何とか欲情を封じ込める。
 だが、それは全て消えたわけではなく、身体の奧に残る熱がある気がした。
 澄んだ美貌に怒りを浮かべ、強く前方を睨みつけながら、少女は心の中で密かに決意する。

 ──この馬鹿騒ぎが終わったら、ちゃんとHする!

 それはとてもいい考えに思えた。
 彼女には、そうしたいと思える相手がいる。その相手に自分が好かれているということも間違いなかった。
 だが、彼はいつだって優しい。性的な関心を寄せられていることもわかっているが、積極的なアプローチはない。
 奥手といってもいい。しかし彼女には、それもまた好もしく感じられた。
 人の悪意や欲望を感じ取り、視覚化すらされてしまう彼女にとって、希有な存在だった。
 以前少女がガツンになった時もそうだった。

 ──もしあの時していても、後悔はしなかっただろう。
 しかし、幼馴染みのその少年は巻き込まれることなく彼女を気遣い、本当の意思を思い出させてくれた。
 おかげで、ガツンを鎮めることができた。
 ガツンでない時に自然とそうなるのが理想だが、逆に彼女がガツンの衝動的な行動を許せる相手がいるとしたら、彼をおいて他にいない。

 ──今こんな場所で、一人で欲情している場合ではない。
 自分には、この人と決めている相手がいるのだから。
 一刻も早く、この馬鹿げた騒ぎを終わらせて、止まっていた二人の時間をもう一度動かす……。

 小さな決意とともに胸に針を抜いた。
 その端正な顔には、何の表情も浮かんでいない。
 ひとりで満足したいわけじゃない──。
 心の中でもう一度自分にそう言い聞かせ、彼女は痛みと疲労の残る身体を無理やり起き上がらせた。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]16時53分、N市・緑山遊園】
 山下久美、宮本美樹の女性警官二人と共に、三波葵、三人の若い女性、母と幼い娘、そして初老の男が、コーヒーカップの中心に固まっていた。
 アトラクションのまわりをぐるっと取り囲んでいるのは、我積修法会のメンバーだ。
 彼らはコーヒーカップの円周に沿って踊りながら、少しずつカップとカップの間へ入り込み、中心に向かってくる。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 橙色の空が、少しずつ暗い青色の面積を増やし始めていた。
 澄んだ空気の下で、遊園地という場所に不似合いな淫靡な気配が徐々にその濃度を増していく。

 ガツンッ!

 衝撃音が響いた。
 ゆらっと、我積修法会の一人が揺れる。

「あははははははっっっ」

 全裸の男が、大声で笑いながら、こちらに向かっている。頭にかぶっていた女物の下着を手にとり、指先でくるくる回していた。
 その進路を阻むように、山下久美が位置をずらす。
 半身を引いてはいるが、緊張を感じさせない立ち姿だ。

 ガツンッ!

 再び衝撃音が響いた。
 くらっと身体を揺らしたのは、久美だった。

「ええっ!? ……せ、先輩っ!」

 後ろから美樹が泣きそうな声で叫んだ。
 だが、すかさず後ろを振り向き、久美がニッと笑って見せる。

「……大丈夫。私はもう、普通のHなんて興味ないし」

「そんな、それって……」

「美樹、みんなを頼む。なんとしても、私がルートを確保するから。……それと、市警に連絡して謎の集団に関する報告も頼む。増援を要請してくれ。……こいつら、タダじゃ止まらないぞ」

 裸の男が久美に迫った。
 次の瞬間、久美の姿が消えたように見えた。
 ごつっと固い音がした。
 男が斜め右に倒れていた。
 低く、ぎりぎりまで腰を落とした久美が、左足を軸に右足を旋回させて払ったのだ。
 蹴りが決まったのは、男の足首。ごつっという音は、コーヒーカップの縁にぶつかった男の後頭部から発せられたものだった。

 ──打ち所が悪かったら、死んだかもしれない。

 嫌な考えが久美の脳裏をよぎる。
 だがそれも、すぐにどうでもいいと思えた。
 彼女はまた後ろを向き、美樹に微笑みかけた。

「……美樹、愛してるっ!」

 そう言って笑う彼女の顔に、一瞬ぎらっとした欲情が浮かんだ気がした。美樹は密かに、心が熱くざわめくのを感じた。
 だが、美樹が何か答えようとした時、久美はすぐに前を向いて、我積修法会の群れを警戒していた。
 男が倒れたことがきっかけになったのか、人の群れが、久美を目指して殺到していた。

「私はねっ……」

 そういって、久美がまっすぐ左の拳を突き出す。
 自分から突っ込んできた男の顔が、勝手に拳へと当たっていた。
 鼻がひしゃげて血が噴き出した。

「思いきりイきたいのっ!」

 久美が横に飛んだ。
 腰をひねって身体を回転させ、右から腕を伸ばしてくる女の背中を膝で蹴る。
 女はうつぶせに倒れ、そのまま動かなくなった。
 だが、修法会の者たちも恐れることなく、久美を取り押さえようと、わらわらと寄ってくる。

「だけど、それにはさっ」

 たんっ、と床を蹴った次の瞬間、久美の足はコーヒーカップの縁に乗っている。
 だが止まることはない。カップの縁を踏み台に、さらに高く宙に舞う。
 ほぼ水平に開かれた両足の踵(かかと)が、ほぼ同時に二人の男の顔面に炸裂する。
 ごぼっと何かが抜けたような音をたてて、男たちが床に沈み込んだ。

「青いバイブが絶対必要っ!」

 音もなく着地した久美の前に、三人の男女が立ちはだかる。
 久美は左脚を大きく旋回させ、同時に右の拳を突き出す。

「だからっ!」

 伸ばした右腕はすぐに引く。胸の脇まで引いた拳を、左の手のひらが押さえている。
 グッ、ガッ、ゴッ、と鈍い音が3つ鳴った。

「……だから欲求不満なんだってばっ」

 小さな声で、吐き捨てるようにそう呟いた。
 ばたばたっと音をたてて、男と女がひとりずつ仰向けに倒れる。
 一瞬遅れて、後ろで別の男が地面に崩れ落ちた。

 炎を宿したような目で不敵に笑う久美を先頭に、我積修法会の人の波へ分け入っていく。
 次に美樹が周囲を警戒し、保護した7人がそれに続く。
 目指すはゲートだ。
 そろそろ警察の車両が到着する頃だった。
 だが、修法会もそう簡単に包囲を解いてはくれない。
 遠慮のない久美の反撃に真っすぐ襲ってくることはなくなったが、少し離れた場所で、踊り続けている。

「ったく、一体何が目的なんだ、こいつら」

「わかりませんけど、宗教なら、儀式とか?」

 ほとんど独り言のような久美の言葉に、美樹が真面目に答えた。
 これまでほとんど口を開かなかった初老の男が、ぼそっと呟く。

「こりゃ『祭り』でしょうね。あのおかしな言葉や踊り、ガツンが神様か何かだと思っとるんでしょう。何かの『儀式』ともいえるが、そもそも祭りとはそういうものですから。
 ……さしづめ、ここにいる者はすべて、同じ祭りの参加者、あるいはオーディエンスといったところでしょうか」

「……そう、なんですか?」

「いや、当て推量ですよ……? ただ、どうやら教義や手法もあちこちから寄せ集めた新興宗教みたいですからね」

 意外なものでも見たような表情で振り返る美樹に、男は少し照れた苦笑いで答えた。

 我積修法会の踊りが、さらに熱を帯びていく。
 久美はすでに10人を越える男女を倒し、意識を失わせていた。
 しかし、数が減ったようには見えない。
 それどころか、少しずつ増えているようだった。
 後から入り込んでいる者たちがいるのかもしれなかった。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」
「エエじゃないか、エエじゃないか、ガツン、ガツン」

 コーヒーカップの手前で横一列に並び、人の壁ができていた。
 それぞれ馬鹿馬鹿しい踊りを続けているが、その場を動こうとはしない。
 突然、中央にいる男女5人が謡をやめ、前に進み出た。
 大柄な男が二人横にならび、肩を組む。
 腰を落として低い姿勢になると、その肩の上に痩せた男と女がひとりずつ乗る。
 さらにその上に、まだ少年と言えるほど若い男が飛び乗った。
 下の二人がゆっくりと身体を伸ばす。人間三人分、かなりの高さだ。

「拒まず、惑わず、躊躇わず」
「拒まず、惑わず、躊躇わず」

 そう唱えた後、三段の人間櫓(やぐら)を作った男女が、左右に大きく両手を広げた。一番下にいる男二人が足を小刻みに動かし、そろそろとその場で回転を始める。
 櫓の男女が声を揃えて叫んだ。

「ガツン修法、竜巻ファイター!」

 どこをどうしたら「竜巻」と呼べるのか不明だが、確かにゆっくりと回転してはいる。
 久美と美樹は、何故か白い全身タイツの変態男を思い出し、げんなりした顔になった。
 だがその時、打撃音が響いた。

 ガツンッ!

「ああっ!」

 美樹の後ろで悲鳴が上がった。
 スカイフラワーの下で保護した三人の女たちの一人が、身体をよろめかせている。

 ガツンッ! ガツンッ!

 続けざまに二回、再び打撃音がした。

「きゃっ!」

「うわっ!」

 三人連れの残りの二人が、ガツンにやられた。

「せ、先輩っ!」

 美樹が思わず声を上げていた。
 だが、すでに遅かった。
 三人の女たちは、すぐさま服を脱ぎながら、奇妙に身体を揺らし始めていた。
 女たちがよろよろとその場を離れる。

「あなたたち、待ちなさいっ!」

「ああ、ガツンよ、ガツンが来たのよー!」

 久美の制止も聞かず、すでに上着を脱いでいた最初の一人がそう叫んでいた。
 ボタンが弾け飛ぶのもおかまいなしに、無造作にシャツを脱ぎ捨てる。
 ブラはしていない。豊かな乳房がぶるんと揺れた。
 同じように、残りの二人も次々と服を脱ぎ捨て、ふらふらと我積修法会の方へ歩いていく。
 ゆっくりと回る竜巻ファイターの後ろでは、相変わらず我積修法会の踊りが続いていた。

「エラやっちゃ、エラやっちゃ、ガツン、ガツン」

「エエ、じゃ、ないか、エエじゃないか……、ガツン、ガツン」

 何度も耳にしたその言葉を、たった今ガツンに遭った三人の女たちが繰り返していた。
 そして見様見真似で、踊り出す。
 初老の男が驚きを隠せないように、呆然と呟く。

「……まさか、効果のある儀式だったのか?」

「え? それって……」

 男の声に、美樹はその言葉の意味を尋ねようとした。
 だがその前に、さらなる衝撃が襲った。

 ガツンッ!

 幼い娘がばたっと倒れる姿が目に入る。
 美樹が小さく息を呑む。

「沙緒里(さおり)っ!」

 叫ぶように名前を呼びながら、母親がしゃがみこみ、娘の身体を抱き上げていた。
 振り向いた久美の顔にも苦悶が歪んでいるのがわかった。
 だが、そこに一瞬、陶然とした表情を見た美樹は、危険な予兆を感じずにはいられなかった。

「お母さんっ、お腹の奧が、変だよう……」 

 沙緒里と呼ばれた幼女が小さく喘いだ。
 美樹の顔が蒼白になる。
 正気を残す全員が、突然の出来事に一瞬動けない。

 ──これは不味い、不味すぎる!

 美樹にとって、普段一番頼りになるのは久美だ。
 しかし、彼女はガツンに遭ったばかりだ。しかも久美は、ガツンの時は同性を相手にしたくなるらしい。
 もちろん、今の彼女はガツンであるにもかかわらず、はっきりとした意思を残している。真面目な警察官である彼女なら、児童に対する「強制わいせつ」が重大な犯罪だということは、十分認識可能だろう。
 それに、美樹は先程、久美から「愛してる」と言われていた。そう告げられ、美樹も心が熱くなった。──ガツンであっても、いやガツンであるからこそ、その言葉を信じたかった。

 ただ、何より深刻な事態だと思われるのは、たった今ガツンに見舞われたのが、年端もいかぬ幼女だということだった。
 ──児ポ法は関係ない。まったく、完璧に、100%関係ない。
 なぜなら今問題にすべきなのは、ポルノではなくガツンなのだから。

 しかし、それはへ理屈にすぎるというものだろう。幼女が「ガツン」というだけで、十分深刻な問題に発展し得る。
「ガツン」について説明したところで、理解が得られないのは言わずもがな。話をややこしくするだけだ。
 言い逃れの可能性があるとしたら、「非実在少年」についての議論をし、なおかつテキストオンリーであると主張することくらいだろう。
 しかし、たとえそうであっても、さすがに幼女はマズい気がする。「はっきり小学生とか低年齢を明確に数字で表してなければいい」とのことだが、繰り返しはっきり「幼女」と書いてしまっている。ギャグだとしても痛い。
 もし問題になれば、よくて書き直し、しかしこれをきっかけにサイトの閉鎖、という可能性もゼロではない。最悪捜査が入れば、家宅捜索とかもあるだろう。
 ……とにかく何らかの対処がなされない限り、困った状況になる懸念がぬぐい去れなかった。

 どこか別の世界で、救いを願う者がいた。
 誰かが「Yes、ロリータ! No、タッチ!」と叫んだ。
 別の誰かは「現実に興味はない。俺たちはただ、オナニーしたいだけなんだ!」と叫んでいた。

 その時だった。
 蠢く人の群れをどうやってかき分けたのか、走り寄る影があった。
 その場にいた全員の視線が集まる。
 現れたのは、禍々しさすら感じさせる漆黒のセーラー服を着た少女だった。

◆ ◆ ◆ ◆

【10月14日[火]17時16分、N市・緑山遊園】
 沙緒里と呼ばれた娘のすぐ横に、黒いセーラー服姿の少女がしゃがみこんだ。
 幼い娘の首の後ろを右手で抱え上げ、左手には銀色の針を一本持っている。
 少女の手に握られた針を見て、母親の顔が蒼白になった。

「な、何するのっ?!」

 母親が、セーラー服の肩を掴む。
 針に気付いた美樹が、小さく叫んだ。

「あなたっ、手に持っているものを捨てなさい」

「この子はガツンにやられた。でも、今ならまだ間に合う」

 禍々しい漆黒のセーラー服を着た少女は何の表情も浮かべず、皆の方を振り返ることすらせずにそう答えた。
 そして一切の躊躇いなく、銀色の針を娘の首筋に突き刺す。
 一瞬で、針は相当深い場所まで差し込まれていた。

「きゃあっ!」

「な、何をするっ! すぐに針を抜きなさい!」

 母親が叫びを上げ、久美が黒いセーラー服少女のこめかみを狙って拳を構えた。
 だが、拳を打ち付ける寸前で、久美の動きが止まった。
 娘の首筋には細い針が深く刺さったままだ。その針は、闇に似た禍々しい漆黒のセーラー服少女に握られている。
 迂闊に攻撃して針が揺れたり折れたりすれば、さらに重篤な事態を招きかねない。さすがの久美もすぐには動けなかった。

 動じることなく、黒セーラー服少女が呪文を唱えた。

「マラフレナ、マラフレナ、コンパス・ローズ、シミュラクラ」

 静かに針が抜かれた。
 幼い娘は意識を失ったままだ。
 美樹が手錠を持ち、針を警戒しつつ、じりっと詰め寄る。

「あなたを暴行、傷害の現行犯で逮捕します!」

「待って。ガツンはまたすぐ起こる。それだけじゃない、あの連中も襲ってくる」

「それとこれと何の関係があるの? あなた、自分のしたことわかってるの?」

「ええ。……この子はガツンだった。だけど、おかしくなる前に祓った。それだけ」

 その時、娘が瞼(まぶた)を開いた。
 小さく声が漏れる。

「あ、お母さん……」

 意識が戻っていた。
 幼い娘は起き上がり、母親に抱きついた。
 どうやらガツンの影響も消えているらしかった。
 緊張がほどけた顔で、久美が肩の力を抜く。
 だが、母親の方はまだ、気が気でないようだった。

「沙緒里っ、大丈夫っ!?」

「ガツンは祓いました。痛みは無かった筈ですし、傷も残りません」

 母親にそう告げ、セーラー服少女が久美と美樹の方に向き直る。

「お巡りさん、みんなを敷地の外へ。入り口からここまで、ガツン用の結界を張りました。しばらくは持つと思います。今ならまだ通り抜けられる筈。……ヤツらは私が引きつけます」

「あなたは……何者?」

「椎名亜由美(しいなあゆみ)、──大した力はありませんが、ガツンを少し祓うことができます」

 はっきりとした口調でそう答え、しかしその後、疲れの滲む顔に困惑を含む笑みが浮かんだ。
 はにかんだようなその笑顔には、若干の不器用さも混じっている。それまで身に纏っていた刺々(とげとげ)しい気配が消え、年相応の可愛らしさが生まれていた。──元々端正な顔立ちが、柔らかで親しみやすい表情に変わっている。
 だが、少女はすぐに、その表情を消した。
 その途端、漆黒の闇が彼女をとりまいたかのように見えた。

「……時間がありません」

「わかった。信じましょう!」

 そういって、久美はニっと笑う。
 椎名亜由美と名乗る漆黒の闇セーラー服少女は、ガツンを祓うことができるという。
 荒唐無稽とも思われるその言葉を、久美はまるごと信じていた。
 どれだけ荒唐無稽で非常識な話であっても、それをはるかに凌駕する超常現象=スーパーガツンの前では些事に過ぎない。
 それに、目の前で、幼い娘を救うところを見せられたばかりだ。その真剣な眼差しや、無駄のない話しぶり、自分の力を過信していないところにも好感が持てた。
 笑顔の可愛らしさと漆黒の闇モードのギャップも悪くない。──もちろん美樹に対してわいてくるような親しさは感じないものの、一緒にガツンになりたいと思わせるだけの魅力に溢れていた。
 
 一方、椎名亜由美は、目の前の女性警官が淫猥なオーラを身に纏っていることに気づいていた。
 だが、その赤紫色の靄は、時折ぐいっと伸び上がるものの、すぐにまた本来の大きさに戻る。無秩序な動きをすることもほとんどなく、肥大化もしていない。普通のオーラと同じようにゆらゆらと彼女の身体を包んで、明滅を繰り返しながら、時折触手のようなものを僅かに伸ばすに留まっている。

 ──凄い。
 心の中で、素直に感嘆していた。

 彼女自身は、被曝してすぐのガツンなら、その症状が出る前に祓うことができる。発症後であっても、まとめて解放することで消すことが可能だ。程度によるが、無理やり収めて鎮める方法も知っている。
 だがそのためには、銀の針の結界陣や、青い石のはめこまれたメダルを用いた集束と解放、吸収や消去のための術式が必須となる。
 意識の集中、アイテム、術式、呪文詠唱、そして何より意思とイメージの全てを総動員して、それでも完璧に祓ったと言い切る自信はない。
 だがこの女性警官は、ガツンの影響下にありながら、意思の力だけでそれを押さえ込んでいるようだった。
 尊敬の念を覚えた。
 小さく頭を下げる。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。お姉さん、お巡りさんたち、……他の皆さんも気をつけて」

「こっちこそ、ありがとう。みんなは必ず私が守る。そっちも無理しないでよ?」

「はい。じゃ、行きます」

 亜由美はこくんと頷き、すぐに真剣な表情に変わる。
 そしてすぐさま、ジェットコースターのある方向へ走りだした。

 ──椎名亜由美は知らない。
 自分が、ガツンの幼女を助け、何事もなく収めたことの意味を。
 一人のオンライン・エロ作家を、さらにはMCえっち作品、あるいはそれが掲載されたサイトまでを救ったかもしれないことを。
 ……当然ながら、そのことに彼女が気づくすべはなかった。

 銀色の光が放たれ、目に見えない青白い光の粒を貫く。
 地面につきささった針が結界陣となって、道ができる。
 右手に突き出したメダルの中心で、青い石が鈍く輝く。
 夕闇の迫る抹茶ランドを、漆黒の闇に彩られたセーラー服を身に纏い、少女が疾走する。
 そして、蠢く我積修法会の群れが、わらわらとその後を追い始めた。

第5話「ガツンの二つの顔」。役得、役得ーっ!
あ、そうだ。アレどうしよう? ボッタクリ値段で買わずに済んだのはよかったけど、それはそれとして絶対必要だよね? 仕方ない、ネットで買うか。……あ、久美先輩の誕生日、来月じゃん! よしっ!

─────────────────────────────────
<エンドカード>

※1 この作品は完全にフィクションです。実在の国名、地名、組織・団体名、人名などが登場しますが、現実の国家、地域、組織・団体、人物とは一切関係ありません。

※2 SF小説、映画、テレビドラマ、アニメなどからの引用が多々ありますが、オリジナルの価値を損なう意図によるものではありません。愛すればこそです。

※3 この作品は、設定や文章作成において、みゃふさん、Panyanさんに多大なるご協力を頂いています。本来なら、第一話からその旨を明記すべきでした。失礼をお詫びするとともに、感謝の辞を述べさせて頂きます。

※4 この作品に出てくる「精神場理論」は作者のオリジナルではありません。しかも、完全に出鱈目です。念のため。

※5 それはそれとして、何か根本的な間違いにお気づきの場合は、ぜひお知らせください。

< 続く >

[設定・文章協力:みゃふ+Panyan]

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<エンディング・テーマ>
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<CM挿入>
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≪予告≫

N市警、生活安全課の宮本美樹です!
久美先輩はホント、尊敬してる。マジ強くてカッコいいし。でも一度エッチになると、ふふ♪ 知らなかったなぁ……。もちろんあの変態男どもは許せないけど、私的には「漁夫の利」みたいな? 役得、役得!

さて次回GGSDは……
「悦楽と快感のはざまで男は燃えあがり、女はひた走る。狂乱は混沌を生み、混沌は想念に形を与える。夜の闇の中で隠された力が煌めき、囚われた神が目を覚ます」

第5話「ガツンの二つの顔」。役得、役得ーっ!
あ、そうだ。アレどうしよう? ボッタクリ値段で買わずに済んだのはよかったけど、それはそれとして絶対必要だよね? 仕方ない、ネットで買うか。……あ、久美先輩の誕生日、来月じゃん! よしっ!

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<エンドカード>

※1 この作品は完全にフィクションです。実在の国名、地名、組織・団体名、人名などが登場しますが、現実の国家、地域、組織・団体、人物とは一切関係ありません。

※2 SF小説、映画、テレビドラマ、アニメなどからの引用が多々ありますが、オリジナルの価値を損なう意図によるものではありません。愛すればこそです。

※3 この作品は、設定や文章作成において、みゃふさん、Panyanさんに多大なるご協力を頂いています。本来なら、第一話からその旨を明記すべきでした。失礼をお詫びするとともに、感謝の辞を述べさせて頂きます。

※4 この作品に出てくる「精神場理論」は作者のオリジナルではありません。しかも、完全に出鱈目です。念のため。

※5 それはそれとして、何か根本的な間違いにお気づきの場合は、ぜひお知らせください。

< 続く >

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