第1話 カメラ!カメラ!カメラ!
お腹を空かせて倒れていた男に、たまたまカバンの中にあった食べ残しのパンをあげたら、不思議なカメラをもらった。
と、ここまで言えば誰でも簡単に予想がつくと思う。
これは、不思議なアイテムを手に入れた僕が語り部となり、女の子たちとエッチなことをする物語になる予定だ。
あくまで予定。検証はこれから。
いくら僕が世間知らずの高校生とはいえ、こことは違う別世界のアイテムをあげるだなんて言われて、そう簡単に信じる気にはなれない。そんな怪しいものを使って、調子よく全て上手くいくなんて単純に思えるほど、自分のラッキーを信用していない。
でも、憧れはある。
ネットとかでR18の小説サイトを覗いたことがある男なら、誰でもこういう展開を自分に置き換えて想像したことはあるだろう。
例えば、もしもクラスの気になる女の子の心を自由に書き換えることが出来たなら。あるいは街を歩いている女の子の誰でも、時間を止めてイタズラすることが出来たなら。
そういう想像の世界では僕も破廉恥で暴れんぼうな野獣系男子だった。もしも女の子の心を自由に出来るアイテムが手に入ったとしたら、僕はその想像の中の野獣に身を任せて「うっひょおぉぉ!」とか言って好き勝手なハーレムを作るだろうと思っていた。
そして今、僕の手の中には、おかしな男からもらった一眼レフカメラがある。机の上のスマホには、このカメラ専用アプリもインストールされている。
なのに僕は、今日何度目になるかもしれないため息をこぼしていた。
シャッターを押す勇気も、うっひょぉぉって言う蛮気も、いまだない。
僕の名前は篠原コタロウ。
高校2年生。スポーツでも学業でも最近注目されつつある新設の私立高に通っている。もちろん、学校が有名というだけで僕自身は平凡な普通の生徒だ。部活は偶然にも写真部だったりする。
写真は中学から始めたばかりで、それほど腕前があるわけじゃない。偶然撮れた一枚をカメラ雑誌に送ったら何かの間違いで掲載されてしまい、自分には才能があると勘違いしてここまで続けてしまったというだけで。
部員も、僕と3年生のコダマ先輩という女子と、そして名前だけ貸してくれているコダマ先輩の友人たちしかいない。主な活動は校内の自由撮影と雑誌投稿と、たまに生徒会の依頼で行事の写真を撮ったり、学校祭で展示をしたりする程度。
スポーツ強豪校の隅っこでちまちま活動している弱小文化部だ。コダマ先輩と幽霊部員の皆さんが卒業したら、残る部員は僕1人。このままでは廃部になるしかないんだけど、打開策は今のところナシ。コダマ先輩には「自分でどうにかしろ」と言われている。
その他の主なプロフィールとして、家族構成は両親と妹一人。カノジョなし。
告白は中学時代にしたこともされたこともあるけど、交際まで至ったことはない。つまり童貞。女子と話すのは苦手な方。顔はそんなに悪くはないと男友だちには言われるけど、気弱さが滲み出てる感じがして、もっと男っぽい顔に憧れている。
という地味な学園生活を送る平凡な僕が、この不思議なカメラを使って、ご都合主義と僕TUEEE主義に満ちた豪華絢爛なハーレムを学校に作ろうと思うんだけど、はたしてそんなに上手くいくもんなのかなあ。
「お兄ちゃん、聞いて聞いて! カリン、ママの目を盗んでアイスGETしてきたよっ。一緒に食べようぞい!」
カメラの前で腕組みをしていたら、妹のカリンが部屋に乱入してきた。
高校1年にもなってガキっぽいやつだ。この春、同じ高校に入学したばかりのカリンは、タンクトップにショートパンツの部屋着で、両手に持ったアイスを揺らしている。
明るいのが取り柄。兄から見た妹評はそれだけ。
中3で一度ばっさり切った髪を最近になってまた伸ばし始めたそうだが、まだまだ中途半端な長さで、前にも増して子供っぽく見える。胸だって全然発展途上だ。
まあ、それでも顔は可愛い方っていうか、女子にも男子にも人気があるようで、同級生にも「お前んちの妹いいよな」なんて言われたりするし、1年生の男子にも「お兄さん、ちっす」みたいに挨拶されたりする。まあまあモテてはいるようだ。
本人はまだ恋よりアニメやマンガっていう感じだけど、もう高校生なんだし、うかうかしてるとカリンが先に恋人作っちゃうかもなって思ってる。
「お、カメラなんて睨んでどうしたの? ま、まさか壊しちゃった? やばい、お兄ちゃんがママに殺される。カリンが囮になるから逃げて!」
二本の棒アイスをウサギ耳のように頭に立て、ぷりんとお尻を横に突き出す妹。
うん。まだまだ騒がしいだけの子供だ。しゃべり方からして、あざとい幼児性を狙っちゃえる年頃だ。ていうかギリギリで、うざい。
やっぱりカリンに彼氏なんて10年後くらいの話になるだろうな。ちょっとだけコイツの将来が心配だよ。
「壊れてなんかいないよ。ちゃんと写るから心配するな」
「なーんだ、安心安心。アイス食う?」
ちょうど都合が良いというかなんというか、カメラとアプリの使い方を試してみなきゃと思っていたところだ。カリンには悪いけど、実験台として最適の人物が現れたといえる。
僕はカメラを構えてカリンに向けた。
「あ、シャッターチャンスだ! 待って、今、プリティポーズになるから。えっと、えっと……こうだ!」
アイスを顔の横に立て、片足を上げてウィンクと歯を見せて笑う。
なかなか可愛らしいポーズに決まっている。膝小僧に、昨日階段で転んだときの絆創膏が貼られたままなのがご愛敬だ。
たまにカメラの練習でモデルになってもらってるので、カリンは撮られることに慣れている。ポーズもいろいろ研究しているみたいでバリエーションも持っている。
アニメやマンガからパクったポーズが多いのが難点だけど。
カシャ。
オートで合わせて、カリンの全身を入れてシャッターを切る。
写りに特に問題ない。むしろ僕が前に使っていたカメラより設定も動作も良いような気がする。
「おお~、さすが可愛いっすなー」
「自分で言うなって」
僕に顔をくっつけてモニターを覗き込むカリンが感嘆の声を上げる。
まあ、今回のポーズはいつもの悪ふざけみたいなのよりまだマシな方だし、確かに「自分の妹」っていうフィルターを外して被写体としてだけ見るなら、カリンは悪くないモデルだ。
カメラの前で照れたりしないし、ポーズも大きい。胸は小さいけど、手足はすらりと長いし、顔もちっちゃいからどんなポーズも映える。
ただ僕のカリンフォルダの写真を並べてもコスプレ写真やマンガの物真似ポーズみたいなのばっかりだし、顔のアップはだいたい変顔なので、身内の恥を晒すようでとてもコダマ先輩に見せられるような出来じゃない。むしろ画像編集の技術を磨けば、カリンのコラでマンガが一本出来そうな気がしている。
なのに本人は、僕の写真に真面目に協力しているつもりなのが、余計にタチが悪かった。
「てへー、妹が可愛くて得しちゃったね、お兄ちゃんは。カリンが専属モデルになってあげるから、早くプロのカメラマンになって養ってね?」
「だから自分で言うなって」
僕の首に抱きついてグリグリおでこを擦りつけてくるカリンを引きはがし、アイスを一本取り上げる。
冷たくて美味しい。
「ていうか、なんで僕がカリンを養うんだよ。プロになんてなれっこないし、なれても妹を養うわけないだろ」
「うう~、カリンは体を張ってがんばってるのにずるいずるい! カリンはお兄ちゃんの都合の良い妹じゃないもんっ。お兄ちゃんの生涯収入の半分はカリンのもの!」
「ずうずうしいな。僕はまだカメラいじりたいんだから、さっさと自分の部屋に帰れ」
「べーだ! カリン、今日は帰らないっ。ここに泊まる。朝までお兄ちゃんの耳元でアニメの話するの!」
「ホラ、僕のアイスもあげるから自分の巣に帰れ」
「おやすみなさーい」
僕の手から食べかけのアイスをひったくり、手をヒレみたいにして腰に当て、チョコチョコ歩きで部屋から出て行くカリン。ペンギンかよ。
そして出て行ったと思ったら、またドアが開いてヒョコっと顔だけ出てきた。
「アイスの件は共犯だからね。カリンがママに怒られたらかばってね?」
「はいはい」
「カメラとかスマホばっかりいじってたら目が悪くなるから注意だよ。忠告したからの~。忘れるでないぞ~」
ゆ~っくり顔が引っ込んでいって、パタンとドアが閉まる。再びの襲来はなさそうなことを確認して、僕はアプリを起動する。
ようやく一人になれた。そして、素材も手に入れた。
アプリの名前は『Mindshot』―――でもこれ、本当の名前じゃない。正式名称は、なにやら“こっちの世界”の発音では難しい名前らしい。僕にこれをくれた人が、「適当にこちら側の世界観に合わせて名前もシステムも互換してみた」だけだそうだ。
意味がわからないって言ったら、それでいいと言われた。これはパンのお礼に特別に譲るものだから、他人にはナイショにして、理解できないところは無理に理解しようとしないでくれと、その人は言っていた。
でも、これで遊ぶための機能はヘルプでだいたい説明されている。あとは、これを信じて使うかどうかの話だ。
もちろん僕はまだあのおじさんを信じたわけじゃない。
だって、普通はありえないじゃないか。
撮影した人物を自由に操ることができるカメラとアプリが、僕の手元にやってきたなんて。
『新規の写真が追加されました。フォルダを指定して収納しますか?』
何の接続もなしにカメラとアプリは連動する。それに一応、ヘルプというか案内役の音声ガイドまでいる。
“HEREN”という名前の、くどい顔をした白人女性だ。
音声に合わせて口も動くし、フォルダとカリンの写真を両手に持って、まるで秘書みたいに働いてくれる。
というより実際に秘書キャラなんだろう。白いブラウスと胸が強調されたプロポーションとタイトなスカートは、いかにも欧米のアニメーションキャラって感じだ。彼女の背景もどこかのスタジオって感じの白い壁で、何もない場所だ。
でも彼女の質問に対しては、基本的にはこっちも音声で対応できる。
「カリンフォルダを作成。そこに入れて」
『OK、マスター』
彼女の持っているフォルダの名前が『カリン』に替わり、今撮ったばかりの写真がそこに収納される。
『今後撮影された彼女の単独写真は同じフォルダに分類しますか?』
「うん、頼むよ」
『OK、マスター』
平坦な機械音声が僕の指示に従い、テキパキと両手を動かす。
できる秘書さんが僕のパートナーのようだ。顔くどいけど。
『被写体のプロフィールを今すぐ閲覧しますか?』
「……はい」
そして、ここからがこのアプリの真骨頂(のはず)だ。
僕は固唾を呑んでスクロールする画面を見守る。HERENが画面の下に潜り、違う画面が上から降りてくる。
『篠原カリン様です』
さっき撮ったばかりの、ポーズをつけたカリンの全身写真だ。
登録もしていないはずのカリンの本名をHERENの声が淡々と読み上げ、彼女のHIGHT、WEIGHT、BWHからブラのカップサイズまで数字で表示される。
身長・体重はともかく、ブラのサイズまで知ってしまったのは、ちょっとカリンに気の毒なことしちゃったって気がした。
なぜなら、気の毒なサイズだったから。
HERENの解説音声が、カリンの画像の上で鳴る。
『3D読み込みが終了しました。フリック、ピンチなどで画像の回転、拡大などを操作することが可能です』
「ふーん」
そのへんは普通の画像ソフトでもよくある機能だ。回転といっても2D画像の角度を少しだけ、しかも無理やり動かすだけなのでかなりしょぼいし、拡大といっても画素数決まってるんだから荒くなっちゃうだけだし。
と、思って期待しないでやってみる。
そして、僕の目の玉が3Dになって飛び出すくらいの衝撃を受けた。
「なにこれ!?」
まるで立体撮影された画像みたいに、カリンの写真がぐるぐる動く。背景ももちろん一緒に回転し、真上から見たカリンも真下から覗いたカリンも、360度撮影でもしなきゃありえないような立体的展開で、しかも克明に写っていた。
拡大しても、どこまでも画質に変化はない。
大きくしているというより、僕がカリンに近づいていってるような感覚だ。彼女の膝頭にぶつかるくらいのアップになっても、肌のつるつるした表面や透明なうぶ毛の生えた毛穴までくっきりと確認できた。
まるでものすごくリアルなフィギュアに触れているような錯覚まで起こしてしまう。もちろん、現実の僕の部屋にはカリンの姿はなく、スマホの中での光景なんだけど。
彼女の膝を撫でるようにドラッグする。ショートパンツのシワのよれ具合も太ももの白さも鮮やかだ。どれだけの解像度なんだろう。しかも平面ではなく立体で捉えているのだから、通常のデジイチ画像の数万、数億倍の画素は必要だろう。
それがとてもスムーズに動く。変なひっかかりもなく安定した動きだ。カリンの膝から太ももにかけて拡大してみる。すべすべして柔らかそうな肌が、質感を感じられるほどリアルに展開していく。
角度を変えて下からも眺める。蛍光灯の光が届かない場所でも、カリンの足は白かった。太ももを上がっていくに連れて白さを増していくようにも見える。
どんどん拡大する。なんだか胸がドキドキする。
相手は妹なんだぞ? いや、僕はこんな風にじっくりカリンの足なんて見たことないから。それに、カリンだって一応は女の子だし。
ショートパンツが太もものふちで少し開いている。そこに向かってドラッグしてた。ゆっくり、そしてピンチして拡大していく。
そうすると、はっきり見えた。パンツと太ももの隙間から覗く、カリンのピンク色の下着まで、じつにハッキリと…。
って、何やってんだ僕は!?
慌てて画面を縮小していく。ぐんぐん画像は小さくなって、この部屋の全景が見えた。
ホッと息を吐いて鼓動を整える。そして画像を改めて検証する。
あれ、ここもおかしいな。僕の机も座っている椅子も写っている。なのに、僕自身がそこにいない。人の姿はカリンだけだ。
スマホは机の上に置いたまま映っていた。撮影者とカメラだけ削除されたってこと?
僕はもう一度カリンを拡大する。その瞳孔を中心に超拡大しても、そこに映っているはずの僕の姿はない。
カメラと、そのレンズの反対側にいる僕はあくまで観察者ってことか。
それに、画像を縮小していっても写っている空間は僕の部屋だけだ。例えば隣のカリンの部屋は映っていない。部屋の壁は画像の角度に合わせて自動で視野から消えるけど、向こう側まで透過して撮影はできないみたいだ。
空間の限界はどこまでなんだろう。閉ざされてない屋外でも撮影してみる必要がある。
たとえば、これで街中を撮影するだけでパンチラ写真が撮り放題とか……なんて、くだらないこと考えてる場合じゃなかった。
カメラとアプリの性能が説明どおりなら、僕はもっとすごいことができるはずなんだから。
焦らず、さらに画像の検証を続ける。多少はカメラをかじった人間なら、誰でもこの画像の「ありえなさ」はわかる。特殊なカメラや複数台のカメラで撮影した画像から立体像を作る技術なら存在するが、たった1個のデジイチカメラでこんな画像が鮮明に作れるはずがない。レンズに映ったものだけじゃなく、空間情報を全て吸着して映像化しているんだ。
これは、カメラというより次元記録器とでもいうべきなんだろう。
ふと、いろいろ観察しているうちにカリンの姿に違和感を覚えた。
さっきも思ったけど、やんちゃ者のくせに傷ひとつない肌だ。まあ、女の子なんだから、もちろん傷跡なんてないほうがいいけど。
でも、それにしてもこんなにきれいな肌してたっけ?
そうだ……膝に絆創膏を貼ってたはずなのに、それがない。昨日したばかりのケガだし、僕もさっきこの目で絆創膏を見ている。
『初期設定で肌補正が“ON”になっています』
まるで僕の疑問を見透かしたように、HERENの解説が入る。
「肌補正って?」
『画像内の対象人物像が単独で特定されている場合、微少な傷や汚れなど、外皮上にある障害をある程度修正できます。ただし骨格や筋肉、内部傷害など外皮以下に起因するものは修正不可能です』
「な……なるほど?」
ようするに画像加工か。いや、ゴミ取りって言った方がいいか。周囲の色や質感に合わせて、不要なものや汚い部分を修正しているんだ。
でも、たんに元画像の色やでこぼこを修正しているだけなら、このリアルな肌の毛とか毛穴もつぶしてよさそうなものだけど。
『肌補正加工は画像の本人にも同期できます。同期しますか?』
「え?」
『現実の篠原カリン様の表皮を、本画像と同期することで画像と同一に修正できます。また、『完全同期』を選択することにより本人の記憶も遡って修正可能です。ただし対象者の健康、及び身体機能に影響が及ばないことは撮影時のデータにより仮想的に確認されていますが、第三者の記憶や他の媒体に残されている記録等と照合した場合など、未必的可能性を含め対象者やマスターの万全を保証するものではありません。同期しますか?』
しばらく考え、HERENに何度か同じ説明をさせ、ようやく意味がわかった。
傷や汚れを画像上で消すだけじゃなく、本人の肌からも消すことが可能だって言ってるんだ。
そりゃあ、女の子なんだから肌がきれいなのに越したことはないだろうけど、勝手にそれを消しちゃってもいいんだろうか。それに、記憶も修正するなんてサラッと言ってのけてるけど、いきなりそんなことしても大丈夫なのか。
結構、やばいことをやろうとしている気がする。でも、そもそもこのアプリの性能を試すためにカリンを撮影したんだ。本人もきれいになれば嬉しいに決まってる。ケガまで消えるんだし。
問題は、まだ記憶に新しい絆創膏の傷まで消しちゃって、そのケガのことを知っている他人が気づいては混乱しないのかってことだけど。
でも……まあ、カリンのことだから万が一のことがあっても深く考えないかもしれない。どうせアプリの性能をカリンで確かめるつもりなんだし、この程度なら彼女にとってもデメリットはおそらくない。
まずはやってみるしか。
「よし、同期してみて」
『OK、マスター』
軽やかな音が鳴って、カリンの体をスキャンするみたいにキラキラした光が上から下へ彼女をなぞっていく。
『完了しました。エラーはありません』
こんな簡単に?
僕は本人を確かめるべく、スマホはそのままにカリンの部屋へと行ってみることにする。
「どうひはのー?」
アイスを咥えて床にマンガを広げていたカリンが、首だけで振り返る。
だらしなく足を伸ばしているせいで、彼女の肌状態までよくわかる。確かに画像で見たとおりのきれいな足だ。傷ひとつない。膝の絆創膏も、その跡も。
「なに~? カリンの足ばっかり見て。なんか付いてる?」
ぱたぱたと動かす彼女の足におかしな点なんてなかった。
むしろ、さっきよりもずっときれいになっている。それを本人が疑問に思っている風もない。
「おまえ、絆創膏どうしたの? 昨日の、転んだって言ってた膝のケガは?」
「ひざ? なに、ケガって?」
「カリンが自分で言ってただろ。ものすごく痛くて、思わず「ひぎぃ」って言っちゃったって、僕に広げて見せてたじゃないか」
「お兄ちゃん、寝ぼけてるの? カリンそんなこと言ってないし、まだ処女だよ?」
ちゅるっとアイスを咥えた唇を尖らせ、カリンは小首を傾げる。
ウソを言ってる様子もないし、自分の肌に疑問を持っているフシもない。
肌補正効果でつやつやでつるつるになったほっぺたをアイスでぷにぷに動かして、「お兄ちゃんもアイス舐めたら目が覚めるかもよ?」と、溶けかけた棒アイスを僕に差し出す。
「いや、なんでもない。夢を見てただけみたいだ」
「え、まさかの予知夢? 未来日記にカリン大ケガって書いてたの?」
「大丈夫だよ。……これからは、いくら転んでケガしても大丈夫だ」
「はふー?」
アイスを咥えて、犬みたいな声を出して首を傾げ続けるカリンを放置し、僕は部屋に戻ってくる。
スマホの中のカリンは、当たり前だけどさっきのポーズのままそこに立っていた。絆創膏も転んだ傷もない。もう、この世のどこにもそんな傷は残ってないんだ。
僕はゴクリと唾を飲み込み、はぁ、と肺から空気を押し出す。
『画面の上や下をタップすることにより、メニューを表示して様々な機能を運用することができます』
HERENは淡々と音声チュートリアルを続ける。カリン画像のおかげであのくどい顔が見えないのは幸いだけど、この機械音声と口調にはしばらく慣れそうもない。
でも、いよいよ具体的な機能の使用。「マインド操作」に入っていく。今の肌補正は単なるオマケだ。
僕は吹きだしの形をした『トーク』アイコンをタップする。説明どおりなら、これが『Mindshot』のメイン機能となるはずのもの。
すなわち、画像の人物をアプリ内でアバター化して、それと僕が会話する。さらに『命令ボタン』をタップした状態で吹き込んだことは強制力を持って対象に埋め込まれるというもの。
つまり『Mindshot』は―――名前のとおり、相手の『心』も写し撮り、加工するアプリなんだ。
それが本当なら、どんな人物でも僕は操れることになる。どんなに美しい高嶺の花も、世界を動かせる権力者も。
手のひらに汗がにじんでくる。期待と、それ以上の罪悪感と、そして妙な興奮で心臓がバクバクする。
『マスターにプライベートなトークを実行していただくために、私は一時的待避します。タップしていただければトークを一旦停止し、『パートナー』で私を呼び出すことが出来ます。『命令』、『編集』、『グループ』などのメニューを選ぶときもタップしてメニューバーをお使いください。では、素敵なコミュニケーションを――』
HERENの案内音声が消えるととともに、カリンの画像が、そのまま息を吹き返したみたいに動き出した。
背景が僕の部屋なのは変わらないけど、カリンが体勢を変えて僕の方に向かってくる。
歩き方、表情、それは僕の知っている妹そのもの。少しキョロキョロして、コンコンとスマホの画面をノックして、『お兄ちゃん?』と僕に向かって小首を傾げる。
プログラミングされたゲームキャラクターのような、ぎくしゃくしたところは一切ない。まるっきり、本物のカリンだ。これ、スカイプかなんかで繋がってるだけじゃないの?
でも背景であるはずの僕の部屋に、今はカリンはいない。僕がさっき撮影した画像が動いているだけなんだ。
本物のカリンそっくりの仕草で。
つまり「姿」と「心」だけじゃなく、彼女の声もしゃべり方もクセも記憶も、全部画像に写ってしまったということか。
「カリン……聞こえる?」
『うん、お兄ちゃん』
「君から僕は見えてるの?」
『見えるよー。私にも見えるぞ、お兄ちゃんの顔が!』
キュピーンと目元を光らせるカリン。
できればすぐカリンの部屋に行ってこれが本当にただの画像データなのか確認したい。でも、そんなことをしちゃいけないのはわかっている。
このカメラのことは、たとえ家族にも知られるわけにはいかない。
「カリン、僕の質問に答えて」
『あいさー』
「君の名前は?」
『篠原カリン4号機だよ』
「誕生日は?」
『26世紀だよ』
「好きな食べ物は?」
『おまえだよ』
「趣味は?」
『お兄ちゃん』
「将来の夢は?」
『国民的アニメになるのだー』
あぁ、カリンだ。間違いなくコイツはカリンだ。
一体これはどういうことなんだろう。
もちろん彼女は何一つ本当のことを言ってない。ふざけてるだけだ。
だけど、それこそがまさにカリンそのものだった。
いかにも彼女の言いそうなこと。実の兄として、「はい、間違いなくコイツはうちの妹です」と断言できるだけの思考回路を持っている。リアルすぎてこれが我が家の長女であることが恥ずかしくなるくらいに。
疑う余地なんてなかった。でも、だからこそこのアプリで、僕は彼女しか知り得ない秘密を聞き出す必要がある。
これが本物の僕の妹ではなく、カリンの心を写し取った僕だけの作り物であることを証明するために。
僕の命令に逆らえないアバターだと実感するために。
「カリン、“僕の質問に正直に答えて”」
『わかったよー』
メニューの『命令』を押しながら言う。カリンはふざけているのか真剣なのかわからない顔で頷く。
さて、何を聞こうか。
考えてみれば、僕に何でもあけすけにしゃべってしまうカリンに秘密なんてそもそもあったっけ?
さっきなんて、普通に自分が処女であることまで告白してたし。もうカリンに隠し事なんて何もない気がした。いや、でもそんなわけがない。カリンだって年頃の女の子だ。僕の知らない秘密の一つや二つはあるだろう。
たとえば……「好きな男の子の名前」とか?
僕はその質問をスマホの中のカリンにぶつけてみる。
カリンは、ちょっと頬を赤らめると、『えへへー』と恥ずかしそうに答えた。
『お兄ちゃんかなぁ』
「それじゃダメだよ。ちゃんと身内以外で付き合いたい男の子の名前を答えて」
『ちっ。じゃあ、いない』
ほっぺたを膨らませてカリンはそっぽを向く。
確かにまあ、カリン的にウソをついているとは思えない。小学生のときから僕のお嫁さんになると言い続け、今も現在進行で言い続けている彼女なら、そう聞けばそう答えそうな気はする。今どきの女子高生がこんなのでいいのかって心配はさておき。
でも、これじゃ彼女の秘密を聞き出したとは言えない。もっと深いところを探る必要がある。普通じゃ言えないような恥ずかしいことを。
たとえば、その、……アレの話とか。
「カ、カリン。お前は、あの、その……オ、オー……オナ、とか……」
『ん? なになに、お兄ちゃん? よく聞こえなかったよ』
恥ずかしい。ただの画像とはいえ、実の妹にこんな質問するなんて。
でも、こ、これもアプリの検証のためだからな。
「お…オ……ニーなんだけどさ…」
『だから全っ然聞こえないんだけど。なに、遭難してんの? もっと大きな声で言ってー』
「いや、だから……オナ、……ニー……ってするのか?」
『えー、なに? なんなの? お兄ちゃんの本気ってそんなもの? カリンの心には響かなかった。もっと大きな声を出せるはずでしょ? 聞かせてよ、お兄ちゃんの本気の叫びを』
本気の叫びでこんなこと言えるはずなかった。
いや、もちろんふざけているつもりもない。ただ、妹とこの話するのは異常に恥ずかしいだけだ。
「だから、オナ……いや、なんていうか……」
『ねえ、お兄ちゃん。本気ってわかる? 俺は全力だしてるって、本気で思ってる? 違うよね。まだ全然本気じゃないよね。いつ本気を出すつもりなの? 明日、それとも明後日? じゃあ、お兄ちゃん。その明日は必ずあると思う? 今は何もしなくても、また同じチャンスが来るって本気で信じてる? その根拠は何? カリンに教えてごらん』
「え、いや……」
『明日の夢が叶うのは、今日をがんばった人だけなんだよ! 弱音や言い分けしか言えないんなら帰って。カリンが聞きたいのは、お兄ちゃんの真剣な想いだよ。妹は、がんばるお兄ちゃんの味方なんだよ。さあ、もう決めちゃおう、お兄ちゃんっ。カリンに、お兄ちゃんが言いたいこと、思いっきり叫んで聞かせて、ほら!』
修造さんを尊敬してやまないテニス部員のカリンが、今自分にどんな質問が降りかかろうとしているかも知らずに熱く迫ってくる。
僕は意を決して、息を吸い込んだ。
「だから、オ……オナニーはどのくらいするのって聞いてんの!」
『ふ、ふえええええっ!?』
思わず、大きな声で言ってしまった。
僕もカリンも顔が真っ赤だ。特にカリンの恥ずかしがりようはひどく、モニター越しにチラチラと目を背けたり顔を覆ったりあうあう言ったり、とにかくもう嫌な汗が止まらない。
『うあ、あう、あの……えと、お、お兄ちゃん、笑わない? 絶対に、他の人に言わないって約束する?』
「え?」
顔中を真っ赤にしたまま、カリンはぎゅーっと目をつむり、そしておずおずと震える人差し指を立て、意を決したように口を開く。
『カ、カリンはね……そ、その……つ、月にだいたい―――』
「あーッ! いい、いい! 言わなくていい! 今のナシ! 今の質問は取り消し!」
妹に何を言わせようとしているんだ僕は。
どうしよう、すごいドキドキしてきた。
カリンは『恥ずかしかったよ~』とか言いながら顔を両手でぱたぱた扇いでいる。僕だって顔が熱い。胸が騒がしい。
股間が、なんだかムズムズしている。
この子が……アレしてる姿を、ちょっと想像しかけちゃってた。
「…………」
『…………』
変な沈黙の中、僕とカリンはまだ目を合わせられないでいる。
これはただの画像だ。スマホアプリだ。
でもやっぱり本物のカリンにしか見えない。きょろりとした大きな瞳も、小さな鼻もつやつやしたほっぺたも、柔らかそうな唇も。
甘えんぼで、自他共に認めるブラコンで、あけすけに大胆なこと言っちゃって僕を慌てさせたりするくせに、あとで急に恥ずかしがったりとか、たまに女の子っぽさを見せる僕の妹。
妹は、当たり前だけど女の子なんだ。ちゃんとした一人の女の子。今さら何を言ってんだって感じだけど、カリンはやっぱり魅力的な女の子だった。毎日のように写真のモデルを頼んでるくせに、素直にその可愛さを認めない僕も立派なシスコンなんだよ。
「……カリン」
『う、うん。何かな?』
「現実の君は今、何してるの?」
『んっと』
スマホの中のカリンは、斜め上に視線をずらして、ちょっと考えるそぶりをして答える。
『真剣な顔してマンガ読んでる。あとアイスがでろでろになってる』
「そっか」
自分がバカげたことをしようとしているって自覚はある。
そもそもは、バカげたあり得ないアイテムを手に入れた男の話だ。
だから、カリンには本当に申し訳ないんだけど、少しだけ兄のくだらない実験に付き合ってもらおう。
僕は、再びメニューを呼び出し、さらに『命令』のところをタップしたまま、マイクに口を近づける。
「カリン、今から僕は君の部屋に行く。そのとき―――」
このアプリで出来ることはたくさんある。
こうして一度撮影したカリンとはいつでも好きなときに会話をしたり秘密を聞き出したり出来るし、パーソナルデータはほぼ無制限に引き出し放題だ。
でもこれはまだアプリの性能のほんの序の口。メインは『命令』コマンドだ。
相手の行動を縛ったり、強制したり、禁止したりすることができる。僕に命令されたということを悟らせることもなく。
さらに、「こうするのが常識」だとか、「意思に反しても勝手にしてしまう」とか、「自分がそうしたいと思ってしてしまう」とか、実行の動機をコントロールすることも可能。さっき、カリンの肌をきれいにして本人に補正したのと同様に、アプリ内で精神を改造されたり行動に加えた『命令』を、現実の本人にも同期するんだ。
まさに僕は、アプリに取り込んだ人物を自由にコントロールできるようになる。
カリンはもう「僕のもの」と言ってもいい。だから僕は、彼女に強力な命令を聞かせることが出来る。
たとえば―――兄とキスさせたりすることも。
カリンの部屋の前で深呼吸をした。
そして、意を決してノブを回した。
「カリン」
「ん、なーにー?」
二本目のアイスを咥えて、さっきと同じ格好でカリンが振り返る。
ちなみに僕らが互いの部屋を行き来するときにノックはしない。「他人みたいでイヤ」ってカリンが言うからだ。父さんや母さんが勝手に部屋に入ると激怒するくせに。
カリンは昔から僕になついていた。じつをいうと小学校高学年くらいまでは、よくカリンの方から僕にキスしてきたりもした。
なので、僕らのファーストキスの相手もお互い様。だからキスくらいならそんなに罪悪感も感じないで済むと思う。
「アイスやっぱり僕にもちょうだい」
「いーよー。二人で食べっこしよ」
もちろん、カリンと普通に雰囲気良くしてキスしようなんて思ってない。恋人同士じゃあるまいし、兄妹でそんなのあり得ない。
あくまでこれはカメラの実験だ。普通じゃ考えられないような、常識にないような兄妹のキスをさせなきゃ、本物だなんて証明できない。
「それじゃ、お兄ちゃんはそっち側ね」
兄妹で棒アイスを食べるときは、両側から舐めっこするのが当たり前。
さすがにカリンとはいえ、そんな歪んだ常識は持ち得ていない。でも、彼女は当たり前のように1本のアイスを兄と同時に舌で舐めようとしていた。
僕が彼女のアバターに、それが常識だと教えたから。
真っ直ぐに立てた棒アイスをペロペロ舐めながら、「お兄ちゃんも食べよ?」とカリンが誘う。
これはただの実験だと、バクバクする胸に言い聞かせながら、僕もカリンの持っているアイスに向かって舌を伸ばす。
冷たい舌触りと、アイスの向こう側に感じる温かい吐息。
目の前でカリンの小さな顔が舌を伸ばして上下する。
「んっ…れろ……んふふ。二人で食べるとおいしいね、お兄ちゃん?」
「う、うん」
カリンの鼻にかかった声が、すぐ目の前で動く舌が、僕の心臓をガンガン鳴らす。
相手は妹だぞ。これはただの実験だぞ。
そう、これはアプリが本物だっていう事実にドキドキしているだけだ。性的な意味での興奮じゃない。いや、性的な期待が実現しそうだっていう興奮であるのは間違いないけれど、カリン相手に今後もどうこうしようなんて考えは一切ないんだ。あくまで、いろんな女性にこういうことさせようっていう悪巧みに興奮しているだけで。
カリンの舌と僕の舌が、ときどき触れ合っちゃってることに興奮なんてするはずが――
「やー、お兄ちゃん、ちゃんと舐めてよ。カリンの指に垂れてきちゃったよ」
「ん、あ、あぁ、ごめん」
棒を握っているカリンの指が、白くどろどろしたアイスに汚れていく。
その意味深な色合いに妄想を繰り広げてしまいそうな自分を押しとどめてティッシュを探す。でもカリンはズイっと僕にアイスを突き出す。
「ティッシュなんていらないじゃん。お兄ちゃんも舐めて」
「え?」
「早く早くー。垂れちゃう垂れちゃう」
カリンはそういって、ペロペロと指についたアイスを舐めだす。
僕にも指を舐めろって?
そういうのは僕の命令にはなかった気がするんだけど、アイスを食べるという行為の延長ってことには違いないような気もする。
僕はカリンの指をぺろりと舐めた。
「やん、くすぐったい」
「いや、やっぱりおかしいよな。やめよ、ティッシュティッシュ」
「ダメ-! アイスがもったいないじゃん。早く舐めてー」
「……い、いいのかな?」
「なんで?」
キスしようとしていた僕が言うのもなんだが、これはこれで、結構いやらしい気がするんだけど、カリンは気にならないのかな?
これもキスの延長?
いや、もうグダグダ考えるのはやめよう。僕はアプリの性能を試したいだけだし、妹をキズつけるつもりもキズものにするつもりもない。
ちょっと変わったやり方でアイスを食べるだけだ。
カリンの指を、カリンと一緒に舐める。爪も、指の背も、指の股も。
「んっ、ふっ……お兄ちゃん……」
カリンの舌も、僕は舐めてる。
もはやアイスを舐めるというより、垂れてくるアイスをカリンの指に絡めて舐めるというような、ひどくいやらしくて不思議な行為をしている。
こんな夜中に何をやってるんだ、篠原兄妹は。
「はっ、あっ、んっ、そっち、垂れてるから、お兄ちゃん……」
「あ、あぁ」
ひじの近くまで垂れたアイスを、べろぉりと舌ですくう。
「うう~!」
くすぐったいのか、あるいは、僕の知らない女の子の感覚なのか、カリンは頬を上気させて首を仰け反らせる。
「アイス美味しいね。お兄ちゃん?」
熱っぽい目を潤ませてカリンが言う。ぺろりと唇を舐める舌に、僕の股間がぞくぞくした。
キスしてる。アイスとカリンの指を通して、僕と妹の舌が何度も触れている。
でも、カリンがそのことを咎める様子も不思議に思う様子もない。
兄と妹がキスをするのはちっとも変なことじゃない。
カリンはそう思ってるんだ。子供のときみたいに。
「もっと舐めよ、お兄ちゃん?」
ときどき“オンナ”を垣間見せる、魅力的な少女の顔で。
「んっ、れろ、ちゅぷ、お兄ちゃん、ここ……」
「あぁ……」
同じ場所を二人で舐めて、舌を絡め合う。
「ここも」
「うん」
互いに同じ場所を舐めなきゃいけない決まりなんてない。というより、むしろ舌を絡めるのが目的みたいに、僕らは狭い指を競うように舐め、そして互いの舌を譲り合う。
「れろ、ぺろ、ちゅ……あ、お兄ちゃんの口にアイスついてる。ぺろっ」
棒にも指にもアイスがなくなったら、カリンは僕の唇を舐めてきた。膝をすりよせ、僕に体ごと近づいて唇をくっつけてくる。
「んふっ。チューするの久しぶりだね、お兄ちゃん?」
もうアイスもないし棒もどっかに捨てられた。完全に、ただのチューだ。妹とチューだ。
しかも小学生の頃の、無邪気な甘えん坊だったカリンのチューとは全然別物。
舌とかも触りっこするチューだった。
「カ、カリン。最後にチューしたのっていつだっけ?」
「んちゅ? んっと、お兄ちゃんが中学生になったとき。お兄ちゃん、もう中学生だからチューしちゃダメだって、わけわかんないこと言ってチュー禁されたんだよ。んっ、ちゅ」
「そ、そっか」
「もっといっぱいしとけば良かったね、ちゅー。んっ、れろ…ちゅぅぅ……」
思春期ど真ん中の僕にしては正しい判断だったと思う。
こんなことを日常的にしてたら、兄妹とはいえ過ちを犯してしまっていた確率はかなり高い。
唇と唇をくっつけてしまえば、もう血が繋がっていようが関係ない。こんなに柔らかくてヌルヌルして気持ちいい感触をいつ離していいのか、わからなくなる。
カリンの指が、僕の指に絡む。手のひらを合わせて、ギュッと握り合って僕らはキスをする。
子供の頃は思いつきもしなかった、舌を絡めるディープキスというものを実践している。
「お兄ちゃん……んちゅっ、カメラ邪魔だよ」
体を寄せてくるカリンが、僕の首に下がっているカメラをツンとつつく。
そういや、もしも実験が成功したら写真に残しておこうと思ってたんだ。
僕は左手だけでカメラを構えて、僕らの顔が写るように腕を伸ばす。
「カリン、記念写真を撮るよ」
「えー、無理。チューに集中したいもん」
「いいからカメラ向いて。撮るよ」
「もう、お兄ちゃんってばパパラッチだもんなあ」
なんて文句を言いつつも、カリンは僕と舌を絡ませたまま、顔の横にピースを立ててポーズした。
「お兄ちゃんとチューしてまーす」
カシャ。
舌と舌を重ねた兄妹の証明写真を確保した。
やばいぞ、なんだこの禁断エリアに踏み込んでった感は。
カシャ。カシャ。
カリンはレロレロ舌を動かして、僕の唇を舐め回す。
僕はシャッターを切り続ける。僕ら兄妹のバカップルのようなキスっぷりを。
カリンはピースをやめて、僕の頬に手を添える。濃厚に舌をつっこんでる顔をカメラの前に晒す。
撮られていることに興奮を増すように。カメラに向かってキスする僕らを見せつけるように。
「んっ、あんっ、ちゅ、ちゅ、もっと、吸って、お兄ちゃん、んんっ、んー、んー、んっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅぅぅ」
僕の唾液まで吸って、顔の角度をいろいろ変えて、深くしつこいキスにカリンは夢中になっていく。
シャッターを切る手が疲れて、カメラをやめた。カリンの小さな頭を撫でて、もっと深く唇を合わせた。
カリンの股が僕の膝の上に乗っている。カリンの膝が僕の股間につんつん当たっている。
キスに夢中になってるカリンは気づかないのだろう。僕のそこは暴発寸前だというのに。
「んーっ、お兄ちゃん、んんっ、キス、美味しいね。キス、おいしぃ。んーっ、んっ、カリンにお兄ちゃんがいて、んっ、ホント良かったよ……ちゅぷっ、んっ、んふっ……」
これはもう無邪気な触れ合いのようなキスではなく、熟年のカップルの間で繰り広げられるような、互いの性欲を煽るためのキスだと思う。
頭がくらくらしてきた。目がチカチカする。せり上がってくる衝動が抑えられそうもない。
カリン、ひょっとしてキスがめちゃくちゃ上手い? 才能あるっていうの、こういうのも?
気持ちいい。蕩けそう。はじけそう。
もう……ダメだッ!
「んんッ!?」
どく、どく、パンツの中で僕のアレが脈動して、我慢に我慢を重ねた大量の精液が暴発する。
心臓がこっちに移動してきたみたいに大きく跳ねて、ものすごく尿道の中が熱かった。
「あぁ……はぁ…ッ」
やっちゃった。
でも、すごい気持ちいい。僕は全てをあきらめてパンツの中に欲望を解放する。
「んんっ、お兄ちゃん……お兄ちゃん、んんっ、ちゅぷ、れろ、ちゅ、ちゅう、ちゅう……」
僕に覆い被さるようにしてキスを続けるカリン。
出し切ってしまうと、今さらながら妹相手に何してんだって警告が頭が中に鳴り響く。
「カ、カリン。ストップ。もうここまで」
「えー?」
我ながら身勝手なこと言ってるのはわかっているが、すっかり火照った妹の体を膝に乗せ、そしてディープなキッスをしている場合じゃないってマジでそう思う。
僕は何をしているんだ。
「そろそろ寝る時間だろ。今日はここまで」
「えー、泊まってけばいいのに。もっとチューしよ、抱っこしてー」
両手を僕に広げるカリンの目はウルウルしてて、たぶん自分でも気づいてないんだろうけど明らかに“オンナ”の顔に見えて、とてもチューだけで収まる予感はなかった。
「とにかく、おやすみ!」
僕は股間を隠したままカリンの部屋から退散する。
カリンの「ケチンボー」という文句を背後に聞きながら、心の中で何度も謝った。
部屋に帰ってパンツを履き替えて「Mindshot」を起動する。
澄ました顔のHERENが、僕に向かって『こんばんは』と片手を上げる。
『カメラの映像を転送しますか?』
さっき撮影した僕とカリンのキス写真をスマホに写す。
とりあえず『カリンフォルダ』に収納しておこう。一緒にレンズ前にいたせいか、今回のは撮影者の僕も写っていた。
妹とキスしている兄の写真が赤裸々に。
僕は赤面して画像を消していく。でも、最初の一枚だけはなんとなく残しておいた。
一応、これがカリン実験の証拠写真だ。当たり前のように僕の舌に舌を乗っけているカリンが、ピースの指を立てていた。
どこまでがアプリの常識変換なのかは、正直言ってわかんない。でも、カリンは高校生にもなって僕とキスをして、抵抗もなく気持ちいいって言って喜んでいた。。
きっと、さっきの『命令』が効いたせいなんだろう。
つまり……このアプリは本物。
僕は再び興奮していく自分を感じた。
でも、さすがに妹で抜く気にはならず、布団に潜り込んで寝た。
なかなか寝付けなかったけど。
。
。
。
次の日、僕は学校でカメラを構える。
僕は写真部員で、卒業アルバムの製作協力もやっているから、学園内で撮影するのは生徒会お墨付きの正式な役割だ。
つまり、「写真部」のラベルをストラップに貼っておけば、校内でデジイチをぶら下げていても不審に思われることはない。ごく自然な光景だ。さすがに授業中はやばいけど。
「おはよーございま……きゃあ!?」
朝の教室に入ってきた女性が、教壇につまづいて転ぶ。
予想通りの展開にクラスのみんなも呆れたように笑う。
「だいじょうぶー、マキちゃん?」
「センセー、どうして毎朝同じところで転ぶの?」
「狙ってるの?」
「でもそういうとこ可愛いと思うぜ!」
「俺も俺もー」
「あ……あはは……」
ずり落ちたメガネを直して、困ったように笑う彼女。僕は教室の騒がしさに紛れてシャッターを切った。
カシャ。
彼女の名前は吉川マキ。
新卒2年目くらいでうちのクラスの副担。数学担当。
さらりとしたショートカットに、出るとこ出まくりの抜群のスタイル。しかもメガネを外すとめちゃくちゃ美人と評判。
だけど、とにかくドジで、失敗なしに授業をやり遂げたことがないという生きた伝説を持つ。
男子生徒にファン多数。同じく女子にも友だち多数。
美人だけど隙の多いところが、逆に生徒ウケが良かった。
「はぁ……またやっちゃった……」
「先生どしたの、え、まさかケガしちゃった?」
「大変だ、委員の人、保健室に連れてってあげれば?」
「うん、先生、行こ。立てる? 私に掴まって」
「だ、大丈夫なの! 授業を! 授業をさせて!」
というより、みんな彼女のことを手のかかる妹のように思っていた。
美人で、なおかつ可愛らしい彼女は、学校のアイドルだ。
。
。
。
「会長、こないだの件なんですけど……」
「あ、それなら風紀委員長に伝えておいたわ。会議は来週以降になるみたいだからもう少し待ってて」
「すみません、会長。学園祭で協力してもらう予定だった建設会社から今年は無理だって……」
「今さら? うん、まあそれは実行委員会よりも学園対応よね。先生には相談した?」
「かーいちょー。田中が鼻血出したー」
「もう、しょうがないわねえ。ティッシュあるわよ。あと保健委員の千葉さんお願い」
3年生の教室前で、1人の女生徒が次々に降りかかる相談事を解決していってる。
彼女は1コ上の先輩で生徒会長。名前は、青柳カリナ。
てきぱきとした仕事ぶりと教師ですら恐れる完璧主義で、名前のカリナをもじって「キャリア」とあだ名されるエリート学生。
文武両道の我が校においても一目置かれる秀才で、特に学業では学年一位の常連で、全国模試でも常に上位だという。将来のエリート公務員間違いなしだ。
時に冷たく感じる顔立ちは真面目さ故で、不正には厳しい氷の生徒会長だが、誰よりも学園を大事にしている優しい人でもある。
そうじゃなかったら、こんなふうに休み時間にまで生徒が集まってこない。しかも、生徒会と関係ない相談ごとばかり。それでも彼女は嫌がらずに公平に手をさしのべてくれると、みんな知っているからだ。
僕たち写真部に、卒業アルバムの協力を依頼したのも何を隠そう彼女だった。
しかも、キャリア会長の注文はそれだけじゃなかった。
将来、卒業生たちが人生の壁にぶつかったときに、叱咤激励の書となるようなアルバムを作りたい。そのためにはたくさんの“良い写真”が必要だ。大人になった生徒たちの鑑賞眼にも堪え、なおかつ心を揺さぶり励まされるくらいの写真じゃないと話にならない。それを写真部で用意しろ。
というのが会長のリクエストだった。生徒会、というより彼女個人の発注と言っていい。
だけど、もしもこれがただのアルバム委員の手伝いで写真撮ってちょうだい程度の依頼なら、コダマ先輩は「面倒くさい」の一言で一蹴していただろう。
「ん、オッケー」
先輩は即答で了解していた。そして、「これから忙しくなるぞ、コタロー!」と僕の背中を叩いた。
大変な仕事を任されたというのに、すごく嬉しそうな顔をするコダマ先輩が、頼もしく見えたっけ。
カシャ。
他の生徒に囲まれる彼女をこっそり撮影する。
シャープな顔立ちと、きっちり結んだ長い髪。
僕も憧れる先輩だ。
とても、きれいな人だ。
。
。
。
「おい、そこの盗撮ヤロウ!」
「わぁ!?」
会長を撮影した直後に、後ろからネックホールドされる。
細いわりに力強い腕が僕の首を回り、耳元で大声をだされ、思わず悲鳴を上げてしまった。
「あはは、びっくりした?」
「なんだ……アオイか」
快活な笑い声が、僕の耳たぶに当たる。
檜木アオイ。小学生ときからの腐れ縁。
明るいヤツで男女問わずに友だちが多く、この僕でも緊張しないで話せる稀少な女子だ。
勉強の方はイマイチだけど、その代わり身体能力が抜群で、陸上選手として特待制度を使って入学している。
気さくで話しやすいハイジャンプ馬鹿。彼女も僕のことをカメラオタクなんてバカにしあいながらも、そういう悪口をフレンドリーに茶化しあったり遊んだり出来る仲だ。
そんなに数多くない僕の交友関係の中では、“女子部門の親友”ともいえる存在なんだけど……。
「お、会長撮ってたの? へー、ずいぶんきれいに写るんだねえ」
ただ小学、中学時代と違ってきたのは、こういう馴れ馴れしいスキンシップに、時々アオイの“女”を発見して驚くようになったことだ。
今も僕の背中に密着して肩越しに顔を覗き込んでるものだから、背中に柔らかいものが当たっている。
これ、結構なボリュームじゃないか? 具体的に言うとメロンパンぐらいの大きさと柔らかさ? しかも焼きたて直送の? 中にホイップクリーム入ってるやつ?
昼になったら購買ダッシュするしかないぞ、これは。
「でも隠し撮りなんて怪し~い。こんなの撮って何に使うのー? うりうり」
僕のほっぺたを指でグリグリしながら、ぎゅうぎゅうと密着してくる。あたってる。超あたってる。まさかこれが伝説の「あててんのよ」ってやつなのか?
確かにこれは異世界でもどこでも突き抜けるしかないレベルの破壊力だ。
やばい。アオイなんかにまさか、こんなにドキドキさせられるなんて……。
「た、ただの日常光景だって! 部活で卒アルも作るから、生徒会長は撮っておいたほうがいいと思って」
「あー、卒アル。写真部ってそんな仕事もしてんだねぇ」
背中から離れていく2コのミルキードーム。僕は心の中でそっと彼女たちに別れの言葉を告げた。
そして改めて生意気な幼なじみの顔を見る。
くっきりした目。無造作な髪。気の強そうな顔立ち。「女の色気」なんて遥か後方にぶっちぎってきてやったぜと言わんばかりに健康的オーラを発する元気女子。
しかし写真部の僕に言わせれば、この引き締まった体にグラマーな胸とお尻、そして「よく見りゃ美人」と言っても構わないだろうレベルの……ていうか、「上のやや上」と評価してもいいくらいの顔面偏差値は、磨けば光る原石なんじゃないかと、じつは前から思ってる。
「ん? あたしの顔になんかついてる? キモいからあんま見るなって、あはは」
もちろん、そんなこと認めるのは腹立つからアオイに言ったことはない。
言わないが……まあ、磨いたらどうなるか、見てみたいとは思ってた。
「それじゃ、アオイも一枚撮っておくかな」
僕の当初のハーレム計画に彼女は入ってないけど、まあ、なにか気が向けば参加させてやってもいいかもしれない。
などと、「キモい」と言われた腹いせに傲慢なことを考えながら、アオイにカメラを向ける。
「お、いいよ。はい、プーマ!」
カシャ。
しなやかな体でプーマのポーズを取る彼女にシャッターを切る。
ちなみに、うちの高校の女子制服には、短いチェックのスカートと、男子と同じスラックスと、それ以外にチェック地の七分丈パンツってのもある。
制服の可愛さで評判の我が校でスラックスなんか選ぶ子はまずいないし、七分丈パンツの方もオタク系の女子くらいしか履いてないんだけど、常に走り回っていたいアオイも数少ないパンツ派の一人だったりする。
スカートなんてスースーして気持ち悪いということらしい。
ようするに思考が男子なのだ、彼女は。
「じゃねー。今度またオケろうぜ!」
高校に入って以来、部活が忙しくなったアオイとはたまにしか遊んでない。僕らはただの友人で、お互いに男と女の関係なんて意識したこともなかった。
でもこのカメラで、あるいはそれも変わるかもしれない。
なんて、そんなこともありえないだろうけど。
。
。
。
「あ、お兄ちゃんだ!」
「ん?」
聞き馴染んだ声に思わず振り返る。
妹のカリンが、階段下から手を振って駆けてくるところだった。
「今朝ぶりー」
そのまま僕と両手でハイタッチ。学校だろうがどこだろうが、カリンはいつもの妹だ。家にいるときと全然変わらない。
僕は正直、学校で妹と仲良くするのちょっと恥ずかしい気持ちもあるんだけど、中学のときからいくら言っても「恥ずかしい? なんで?」という感覚しかないカリンを納得させるのは無理と知っている。
昨日、あんなに僕と濃厚なキスをしたカリンと、こうして無邪気に僕になつく子供っぽいカリンは、まだ僕の記憶の中で上手に結びつかない。
でも、あれが夢じゃなかったことは知っている。
なぜなら、今朝も寝ていたところをカリンにチューで起こされたからだ。しかも舌まで入ってきてた。
「へへっ、家でも学校でも会えるって面白いよね。同じ高校にして正解だったねー」
カリンはそんなことくらい『当然』だと思っているから、僕みたいに意識してる様子もなく、屈託なく笑っている。
今も、抱きつきそうな勢いで迫ってきたから少し焦った。
もちろん僕はあれから急いで『兄妹のキスは人前でしちゃいけないしナイショにしなきゃいけない、絶対』とアプリで命令しておいたので、こんなところでチューされるようなハプニングは起こったりしないだろう。
ただ、どうして『兄妹同士でキス』の命令ごと取り消さないのか、についてはツッコミは勘弁してくれ。僕もまだ少しキスには興味があるんだ。
カリンの方がキスが上手いなんて……ほら、兄としての沽券に関わるでしょ、やっぱ。
などと、カリンのくだらない話を適当に聞き流しながらくだらないことを考えていたら、その後ろで、うろうろしている女の子の姿に気づいた。
僕と目が合ったら、遠慮がちに頭を下げる。
「……ど、どもです、先輩」
頭の両側で結んだ長いツインテールが頼りなげに揺れる。
この子は僕も知っている。よく家に遊びに来てるから。カリンの友だちの鈴橋チヒロちゃんだ。
フィギュアスケート部の1年生。お人形さんみたいに愛くるしい顔をしていて、どちらかというとおとなしいタイプの女の子。
いつも騒がしいカリンの抑え役っていう印象だ。身長もカリンと同じくらいで、二人並んでるとチビっ子コンビって感じがする。
「ちぃちゃん、先輩だなんて堅苦しいな~。カリンのお兄ちゃんなんだから、ちぃちゃんも『お兄ちゃん』とか『兄貴』とかでいいってば。カリンとキャラ差をつけたいなら『にぃに』とか『あにあに君』とかでも許可するし」
「勝手に変なあだ名つけるな」
「そ、そうだよ。そんな失礼なこと言えないよぅ」
チヒロちゃんは肌が白いというか薄いので、すぐに真っ赤になってしまう。ちょっとしたことでおでこまで赤くしてしまう彼女はとても可愛い。
女の子としての可愛さ、というのはもちろんだけど、それよりもやっぱり妹的な可愛さという感じだ。
守ってあげなきゃいけない子。でも、女の子としての魅力も当然あって。
ハーレムとかそんな乱暴なことしちゃいけない雰囲気なんだけど。
「学校の様子を撮ってるんだ。二人のことも撮っていい?」
「わ、久々の学園シャッターチャンスだ! ちぃちゃん、こっち。一緒に写してもらお!」
「え、チヒロも、ですか……?」
上目遣いにこちらを伺うチヒロちゃんに、僕は出来る限りの笑顔で頷く。
「うん。チヒロちゃんも一緒に入ってよ」
「……はい。えっと、じゃあ、お願いします、先輩」
ちょこちょこと恥ずかしそうにカリンと肩を並べるチヒロちゃんに、思わず笑みがこぼれてしまう。
可愛い子を撮っておいて損なんかないさ。
別にハーレム計画の子しか撮らないつもりじゃないし、普通のカメラとしても良い機材だしね。
「ほらほら、ちぃちゃん。もっとカリンに顔くっつけて。そんでスマイル! に~っ!」
「に、にぃ……」
カシャ。
左右に顔をくっつけ、ほっぺに指を立てて「可愛い子ちゃんスマイル」をお団子のように並べる二人。
ひまわりを咲かせたような笑顔のカリンと、ぎこちない笑顔のチヒロちゃんが対照的で、これはこれで面白い写真だと思う。
。
。
。
どんっ。
チヒロちゃんの写真を眺めていたら、またもや背中から誰かにぶつかられた。
思わずよろめいた僕の後ろで、複数の女子の声がする。
アオイの時とは違った、険悪な声が。
「いったーい」
「大丈夫? なにコイツ?」
「いたいいたーい。鼻ぶつけた」
「ちょっとお前、謝れよ」
「え、あ、あの…」
3年生女子の先輩方だ。しかも怖い人たちみたいだ。
おろおろしているうちにすっかり取り囲まれてしまう。僕にぶつかったというのが背の低い人。謝れというのが背の高い目のつり上がった人。髪の派手な黒ギャルっぽい人も僕のことを睨んでいて、思わず僕も震え上がってしまう。
きれいだけど……怖そうな人たちだった。
「リサは大丈夫だった? ぶつかってない?」
そして、彼女たちの後ろに髪の長くて背の高い女子がいて、みんなが心配そうに振り返る。
「んー、別に」
リサと呼ばれたその人は、気怠そうに自分の爪を眺めていた。
「お前、気をつけろよー。あたしだったからまだ良かったけど、リサにケガでもさせたら賠償もんだぞ」
そうだ。僕はこの人を知っている。
3年生の水沢リサ先輩。大会社の社長の娘で、雑誌モデルをやっている我が校の有名人だ。
その美貌と、性格の悪さで。
「つかコイツ何でカメラ持ってんの? ひょっとしてリサ狙ってんの?」
「ふざけんなよ、盗撮ヤロー。訴えんぞ」
「今すぐ焼き土下座してぇか、あぁ?」
「いえ! 違います、僕は写真部で校内のスナップを集めるのが活動で……卒業アルバムなんかに使うために……」
本当は今日の目的はそれじゃない。でも慌てて言い訳を並べると、先輩方は一応は納得してくれたみたいで、追求は緩めてくれた。
そして、余計な提案までしてくれた。
「あ、だったらリサを撮ったら? なんといってもこの学園の顔じゃん。今年の表紙はリサしかありえないって」
「いいじゃん、それ。オイ、写真部。ちょうど良かったな表紙が決まって」
「え、あの……」
素材は確かに集めるけどアルバム構成は委員会が決めることだし、そもそも個人が表紙を飾る卒業アルバムなんてあるんだろうか。ファッション誌じゃあるまいし。
僕が困惑していると、当のリサ先輩が面倒くさそうに言った。
「えー? タダで写真撮らせるとかありえないし。私、プロなんだけど」
しん、と静まりかえったあと、なぜか僕が集中砲火を浴びせられる。
「そうだぞ、写真部。てめー、なに厚かましいこと言ってんだよ」
「お前に金払えんのかよ。モデルの世界に学割なんて存在しないんだぞコラ」
「焼き土下座して詫びろよシロート」
「え、いや、僕は、その……」
「まあ、でもいっか。どうせ卒アルには嫌でも顔が載っちゃうし、今年の表紙できるのは私くらいだしね。やったげる」
「よかったな写真部! リサに感謝しろよ!」
「てめー、マジで一生分の運を使い切ったな」
「神様に感謝の焼き土下座だぞ、ホント」
「はぁ……」
なんだろう、この人たち、すごいウザいんだけど。
自分勝手だし、人の話を聞かないし、やたらと焼き土下座させようとするし。
さっさと写真だけ撮って退散しよう。
そう思って浮かない気持ちでカメラを構える僕の前で、リサ先輩は面倒くさそうに窓辺に立つ。
「じゃあ、私から右の窓入れて。私はフレームの左端で、スカートラインから上だけでいいわ。露出、注意してよ。わかってんでしょうね?」
モデルか何か知らないけど、偉そうにカメラマンに指示を出しちゃって。
僕だって素人だけどカメラ歴ならそこそこ―――とイラつく僕の前で、リサ先輩は窓の横にもたれて、視線を右に流した。
思わず、ハッとなる。
ぱっと見、整ってて美しいなという感想しかなかった彼女の顔立ちが、じつはかなり個性の強いものであることを、レンズを通して僕は初めて気づいた。
ポーズとしては大人しい。というより何もしていない。腕を後ろに組んで、壁に背中を預けているだけ。でもあえてカメラから外した視線や、その視線の先の窓と景色が、じつに見事な絵を描いていた。
緩く開いた唇が、あどけない色気を感じさせる。大きな瞳の先に次の物語が連想される。背後の陰影まで含めて、まさに一枚の小説だった。
正直、いかにもファッションモデルっていう気取ったポーズを取るのかと思っていたから、余計に驚かされた。
彼女はポートレートを知っている。僕なんかよりもずっと深く理解している。それこそ、機材も光量も限定されたこの状況を苦にもしないくらいに。
指が震えた。カメラ歴そこそこの僕でも、こんな風にシャッターを切る前からハッキリと確信するのは稀だった。
―――これは、いい写真になる。
カシャ。
「さっすが、リサ。どんな写真でもさまになる~」
「天才モデルの名は伊達じゃないよね」
「別に。子供の頃からやってることだしね。ま、彼もいい勉強になったんじゃない?」
「おー、よかったな写真部。昇進間違いなしだな!」
「表紙に使えよ!」
「焼き土下座の約束忘れるなよ!」
勝手なことを言って去っていく先輩方に挨拶するのも忘れて、僕はモニターを見続ける。
写真に性格までは写らない。だからこれは、良い被写体で、良い構図の、良い写真だった。それこそ、卒業アルバムの表紙にしたっていいくらいの。
でも僕の腕なんて1ミリも関係ない。ただ言われるままにシャッターを切っただけ。カメラマンとしての表現力も技術もここにはない。
あるのは、モデルの力だけだった。
「……くそっ」
敗北感を噛みしめながら、リサ先輩の写真をスマホに保存する。
。
。
。
放課後、僕はシャッターチャンスを待って教室で待機していた。
ターゲットの名前は、赤瀬川ユウナさん。
同じクラスの女の子で、そして、僕的には学校で一番可愛い子。つまり僕の大本命。
彼女のことは可愛いと言うべきか美人というべきかすごく悩む。言ってみれば美人可愛い。どちらも採用せざるをえないくらい美人可愛い素敵な女子だ。
長い髪も整った顔立ちも完璧で、スタイルがすごく良くてうちの制服が抜群に似合ってる。
勉強もスポーツもできる優等生。キャリア先輩のご指名で生徒会役員もやってて、次期会長の座も内定済。性格も明るくて友だちがとても多い。
でもって、特定の恋人なし。
一時期は彼女に告白するのがブームと言ってもいいほどの騒ぎになってたけど、赤瀬川さんがみんな断ってしまうものだから、今は男子も水面下で静かに牽制し合っているところ。
彼女が笑ってるだけで教室が華やぐ気がする。よく通る声はいつも僕の耳を心地よくさせた。
つまり、リサ先輩なんかじゃなくて彼女こそがこの学園のヒロインだと僕は断言したい。
「ユウナ、ちょっと聞いてー」
「あははっ、ホントにー?」
教室の人気者である彼女は、常にみんなに囲まれている。
明るい笑顔と楽しい会話。誰にでも分け隔てない彼女のスマイルが僕らをハッピーにしてくれるんだ。
でも、囲まれすぎだ。
僕のレンズが彼女の笑顔を捉える瞬間がない。
もちろんこのカメラなら、どれだけ人混みしてようが撮影後に彼女の映像だけを抜き出すことができる。でも、そんなゴミゴミした写真で満足するくらいなら、僕は最初から写真部なんかに入ってない。
良い写真を撮るためならどんな努力も惜しんじゃダメ。コダマ先輩の教え第1条だ。
目的がいかに不純なものであろうと、写真は写真。手を抜いてはいけないと思う。
そして、そういうベストタイミングを待ちすぎてしまって、いつもシャッターチャンスを逃すのが僕なんだけど。
じつは何度か彼女の笑顔が開けているタイミングはあったんだけど、ハッと見とれてしまっている間に何度も逃していた。
「私たちそろそろ部活行かないと」
「あ、そうだね、やばいやばい」
「ユウナ、またね」
お、みんな部活に行くのか?
これはチャンスだ。今日は生徒会がないらしい。赤瀬川さんが一人になるタイミングが生まれたぞ。
僕は秘かにレンズを構える。でも、その前に赤瀬川さん自身が出て行こうとするみんなを呼び止める。
「あ、ごめーん。そういや私、デジカメ買ってもらったの。みんなのこと撮っていい?」
「えー、いいけど。あ、可愛いカメラじゃん」
「なんかデジカメで撮られるの懐かしいよね。スマホじゃないんだ?」
「スマホじゃないのー。ちゃんとしたカメラだよ。並んで並んで」
赤瀬川さんはみんなを並べて、カメラを構える。
へえ、コンデジか。今は何でもスマホで何でも済ませる時代だし、アプリで加工も楽しめるから、わざわざカメラを別に持ってるって人はクラスでも少ない。
なんだかあの赤瀬川さんもカメラを持ってるっていうのが、共通点が生まれたみたいで、それだけでちょっと嬉しくなってしまう。
……僕ってキモいな。
「えっと、ごめん、設定とかよくわからな……どれをどうするのかな……え、なにこれ、ISOって? こ、国際標準化機構がどうしてここにいるのー?」
でも赤瀬川さんはまだ使い方がよくわからないみたいで、レンズの合わせ方に戸惑っている。
そして、教室でもいつもデジイチを構えている写真部の僕の方をチラリと見る。
ちょっと緊張したけど、出来るだけ不自然な声にならないように、一呼吸おいて僕は言った。
「オートで、カメラ任せでいいんだよ」
「オート?」
僕は、マニアがどうして一般市民にうざがられるのか知っている。
ここでISO感度や露出補正の話だのを大真面目にハリキッて始めたところで自滅するだけなんだ。
本当にカメラに優しい人なら、初心者相手に決して熱くならない。
初心者に一番最初に覚えてもらいたいことは、カメラは誰にでも出来る簡単な趣味なんだってことなのさ(コダマ先輩の教え第22条)
「ここのカメラのマークに合わせるだけ。赤瀬川さんのカメラなら、これだけでたいていの場面で良い写真が撮れちゃうから」
「ホント? え、すごい。私のカメラすごいね!」
最近のコンデジも結構性能良いから、オートにしておけばたいていの場面で設定をいじる必要はない。彼女が撮りたいのも単なるお友達の集合写真で、マニアの濃いアドバイスなんて求められていないのだ。
「えーと、撮るねー、はいっ。あ、いいねっ。すごいきれいに撮れたよ、ほらー」
「お、ユウナいいじゃーん」
「いいカメラだねー、可愛いし」
実際、放課後の教室で撮るならもう少し露出を上げた方が良いだろうし、この機種ならホワイトバランスに結構細かいモードも付いたはずだと思う。ていうか、このへんは個人の好みもあるけど、そもそも全員の全身をきっちり入れようとしているせいで、あまりにも集合写真的すぎて構図がのっぺりしてた。
あぁ、いろいろ口出ししたい。でも僕は余計なことは言わずに「いいね!」とアイコンみたいに親指を立て、赤瀬川さんの写真を褒め称える。
マニアはつらいぜ。
「んじゃ、うちら行くわー」
「バイバーイ」
「バイバーイ」
そしてみんなが帰ったあと、赤瀬川さんはモニターを見ながらポツリという。
「……本当は下手くそなんでしょ?」
「うえ? いや、その、下手くそとまではっ」
思わず変な声が出てしまった。そしてすぐさま否定できなかった自分の不器用な話術を呪う。
「いいのいいの。素人だもん。プロの篠原君から見ればまだまだだよね」
赤瀬川さんは明るく笑う。
いや、僕だって完全に素人レベルなんだけど。
「もっと上手に撮れるようになりたいな……みんなのこと」
なんだか寂しそうに赤瀬川さんが俯く。彼女の言葉には何か含みがあるような気がしたけど、僕にはそこへ踏み込んでいけるような話術も度胸もなかった
せっかく憧れの彼女とおしゃべりできるチャンスなのに……。
「ね、今度私にカメラ教えてくれないかな? 篠原君のヒマなときだけでいいんだけど。ダメ?」
「え?」
パッと顔を上げた赤瀬川さんのお願いは、とても魅力的なものだった。
どうして急にそんなこと? カメラに興味を持ったの?
もちろん僕がそのお願いを拒否なんてするはずがなく。
「い、いいよ。僕でよかったら」
「ほんと? やった、ありがと。それじゃこれからよろしくね、師匠!」
信じられない。高嶺の花の赤瀬川さんの方からそんな提案があるなんて。
カメラを趣味にしていて良かった。ほんと、昨日からラッキー続きだ。帰りに宝くじ買わなきゃ。
って、浮かれて目的を忘れるところだった。
「赤瀬川さん」
教室から出て行こうとしている彼女に、思い切ってカメラを構える。
「にっ」
振り向きかけたポーズのまま、赤瀬川さん可愛らしくピースを立てて、ニコっと笑ってくれた。
カシャ。
赤瀬川さんが笑ってる。それだけで世界が輝いて見える。
カメラの腕はまだまだかもしれないけど―――モデルとしては、超一級だよ。
。
。
。
そして、写真部の部室に向かおうとしていた途中で、コダマ先輩からメッセージが届いていたことに気づく。
“夕焼けがイイ顔してんぞ!”
窓の向こうはいつの間にか赤みがかっていた。
この光景を見てうずうずしている先輩の顔が簡単に目に浮かぶ。マタタビを前にした猫みたいなあの表情。思わず口元が緩んでしまう。
僕は部室へ行くのをやめて、グラウンド方面の撮影に向かうことにした。コダマ先輩のことだから、もうとっくに学校の外まで飛び出しちゃってることだろう。せめて僕くらいは真面目に部活動の様子でも撮影しないとね。
腕もセンスも行動力もあり、優しく厳しくお茶目な、僕のカメラと人生の師匠。
彼女のことは……このカメラで僕だけの先輩にしたいって気持ちと、あの人だけは撮っちゃいけないって気持ちと、正直半々だった。
。
。
。
『フォルダの整理が完了しました』
今日撮った写真をHERENに分類させた。
日常や学校風景を集めた『部活』フォルダと、女の子たちをメインに撮った『私用』フォルダ。
そしてさらに、僕のお気に入りの女の子たちは個人名のフォルダに分けた。
こっちは当初の予定よりも少し増えちゃった。アオイとかチヒロちゃんとか、思わずシャッターを切ってしまった子もいるし。
でも、それは当然だろう。
カメラとアプリに制限はない。僕が気に入れば何人でも撮れる。ちょっとでも僕が可愛いと思えば、それだけでシャッターを切る理由になるんだ。
と、そんな恐ろしいことを考えている自分に、少し身震いがする。
平凡でおとなしく草だけ食べて生きてきた僕が、不思議なアイテムを手にしただけで、学校中の可愛い子を自分のオンナにしてやろう、なんて凶暴なことを考えている。
本当にそんなことできるだろうか?
いや、問題は僕がやるかどうかだ。
たぶん最初の一人で僕は引き返せなくなる。なぜならこのカメラとアプリの性能は非常識なまでに最強で、世界に僕しか持っていない。どんなにひどいことをしても止められる人はいないし、どんなわがままもこのカメラは実現してしまう。
そういう道具を手にしてしまって、まともな感覚なんていつまで保てるもんなんだろうか。
やるか、やめるか?
今が引き返せる最後の場所。ここを過ぎれば出口のない高速を突っ走り続けるだけだ。
『どの方とトークしますか?』
でも気がつくと僕の指は『トーク』をタップしていた。
専用フォルダのアイコン化された女の子たちの顔が、アルバムジャケットのように四角い画像で並んでいる。
それをフリックして次から次にスクロールさせていく。
赤瀬川さん、アオイ、マキちゃん先生、生徒会長、チヒロちゃん、リサ先輩……昨日撮ったカリンの写真も。
カリンはともかく、どの子もみんな魅力的で美しい。とびきりの女性たちだ。
僕だって男の子。
女の子には興味あるし、裸を想像するだけで興奮するし……セックスだって、してみたい。画像を選んでいるだけで、自然とアソコがムクムクとしてくる。
僕が考えてるのはもう―――。
最初に抱きしめる子は誰にしようって、それだけだった。