花の帝国 0

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 例年より2週間も早く梅雨明け宣言がされた頃、僕、平賀孝典は、スカッと晴れた初夏の空の下、一人だけまだ梅雨の中みたいな心境でいた。校庭ではこれから部活という、元気な少年少女たちの快活な声が響いている。帰宅部の僕は、いつものようにトボトボと、家に帰ろうと校門へ向かっていた。

「孝典っ、アンタもう帰るの? 帰宅部ってホント暇そうだけど、一体何やってるの?」

 体育館脇の水飲み場から、聞き慣れた声に呼び止められる。バスケ部で同級生の穂波琴子だった。小学校も一緒だったご近所さんだからか、いつもずいぶん馴れ馴れしい口調で話しかけてくる。僕は正直に言って、こういう体育会系の人たちの距離感が少し苦手だった。

「ん? ・・・色々だよ。」

「どうせゲームとか、しょうもないことばっかりやってるんでしょ。時間が余ってるんだったら、夏休みの課題でも、早めに始めておいたら?」

 水飲み場で顔を洗った琴子は、首にかけたタオルで顔を気持ち良さそうに拭くと、こっちをキツイ目でチラ見する。

「いや・・・、俺だって、色々あんだよ。。。」

 鬱陶しい気持ちを頑張って前面に出して、琴子に言い切ってやった時には、もう彼女は体育館へと駆けていっていた。ノースリーブのシャツに半ズボンというバスケのユニフォーム姿。無理にまとめたような短いポニーテールが、琴子が走る振動で左右に跳ねるみたいに揺れていた。初夏の日差しで彼女の両手についた水滴が、後ろに飛ばされながらキラキラしている。いわゆる、青春というやつだ。そして取り残された僕は、家路を急ぐ。といっても、家にゲームとエロ本以外に大した用事がある訳でもない。いわゆる、暗い中学男子の憂鬱な日常という奴だ。

「ずっと家にいてもしょうがないから・・・、上洲でも行くかな?」

 琴子への啖呵が空しく無視されたのを取り戻すみたいに、僕は声に出して独り言を言ってみた。目的があるのは、とりあえずいいことなんだろう。特に中学2年の友達の少ない少年にとっては。

 青梅台学園は中高一貫教育。学力、部活動ともに「そこそこ」の学校だったから、校風はずいぶんオットリしてると言われる。僕は他の中学には言ったことがないからそこのところは良くわからないけれど、一個上の従兄弟は公立の中学に通っていて、今高校受験を控えて学校と塾の往復だと言うから、それと比べると、僕はそれなりにノンビリとさせてもらっているのだろう。それでも、根暗で友達が少ない男子にとっては、共学だとか私学だとか、中高一貫教育だとか、街では可愛い子の多いお嬢様学校と噂されているだとか、一切関係の無い生活をしている。なまじ周囲に「リア充」が多い分、僕にとっては厳しい環境なのではないかと、思ったりもする。

 僕の趣味はゲーム、インターネット、エロ本収集と読書。読書は江戸川乱歩とか坂口安吾とか澁澤龍彦とか、最近だと西村賢太とかが好きだ。高校卒業まであと4年とちょっともあるのに、明朗快活な学園生活を、既に諦めたような趣味のラインナップではないか。それでも、そうした趣味を充実させてくれる街まで、一人で地下鉄に乗って行けるようになったのだから、中学生も悪くは無い(と思うことにしている)。上洲薬師商店街は古本屋や中古ゲーム、エロ本やDVDショップが立ち並ぶ、少しイカガワシイ商店街。僕の友達はここをブラつくことを「カミスる」と呼んでいる。僕ほか、数名にしか通じないが、こういう仲間同士の隠語は嫌いじゃない。仲間内で盛り上がっているようで、少しだけ僕らの学生生活が、色づいたように思えるではないか。だから今日は一人で、「カミスってみる」ことにした。

。。。

 地下鉄で一回乗り換えて、合計7つ目の駅、「上洲薬師前」で下車。プラモデル屋やPCパーツの店が並んでいる大通りを脇に入ると、路地の「うらぶれ」感が増してくる。古本屋やDVD屋の軒先に、ワゴンセールの合間を縫って、ゴザを敷いて週刊マンガを百円や五十円で売っているオジさんや、どこのブランドかよくわからないベルトを売っているオジサンが暇そうに座り込んでいた。その隣、小さな苗木を売っているお爺さんにいたっては、どうしてこの場所で花の苗や球根を並べていたら売れると思っているのかも意味不明な、少し危険な匂いのする雰囲気だった。そして僕は、そんな妖し気な裏路地の空気が好きで、この街をブラついていたのだった。

 普段は気弱で、大人と話すのが苦手な僕も、古本や中古ゲーム、エロ本といった僕の得意分野が並ぶ、いわば「ホーム」にあっては、少しだけ積極的な少年になる。人生に拗ねたようなオッサンたちの流行らないフリーマーケットみたいになっている裏路地で、広げられている商品を恐る恐る物色させてもらった。特に気になったのは、プラスチックのカップによくわからない苗木や種を並べているお爺さんのところ。右脇に置かれた黒いカップの中には、一粒だけ、キラキラ点滅するような種が置かれていた。梅干の種みたいなかたちだけど、大きさはその三倍くらいある。

「オジサン、これは何の種? キラキラしてるのは、金粉とかラメとかつけてるの?」

 僕が聞いてみると、白いチューリップ帽を被った皺だらけのお爺さんは、ゆっくり顔をあげて、ニヤッと笑った。

「坊や・・・この種・・・、見えるんだ。」

 ニンマリとすると歯が何本か抜けているのがわかる。

「買ってみなよ。何もしなくても、面白い花を咲かせてくれるよ。」

 おじいさんが手に取らせてくれる。植物の面倒を見ることなんて、僕には無理かと思って、断ろうとしたんだけど、その種の不思議な佇まいが、僕の心の何かを捉えていた。植物の種が、まるで脈動するように淡く光を放っていて、光が弱まると同時に、種自体の色が薄くなって、後ろの景色が透けて見えるみたいだ。

「あの・・・、これ、いくらなんですか?」

「100万円」

「高っ。絶対無理です。」

 慌てて、『種』を大事に両手で包み込んで、落とさないように気をつけながらおじいさんに返そうとする。

「じゃあ、300円。」

「安いっ・・・買える・・・。、って・・・、え? ・・・どういう値付けなんですか?」

 僕はあまりの値段差に、完全に混乱していた。おじいさんは僕の心の底まで見透かすような目で、ニコニコと微笑んでいる。完全に、この痩せこけたおじいさんのペースになっていた。

「値段がね・・・、難しいんだよ。受け取る人によって価値が大きく変わるものだから、育てられない人にとっては、全くの無価値。むしろ見えない、気づかないっていう人の方が多いくらいかな? ・・・でも大丈夫。君ならきっと、面白いお花を咲かせることが出来るよ。」

 おじいさんは皺だらけの、老木の肌みたいな顔をクシャクシャにして笑いながら、僕が突きかえそうとした、種を包んだ両手を、さらに両手で包み込んで、ゆっくりと押し戻してきた。僕は何だか夢を見ているみたいにフワフワした気分で、ポケットから財布を取り出して、マジックテープを開いた。中古のエロ本を買うつもりだった予算から、300円が抜け出てしまった。

 今どきチューリップ帽を被って、白髪を肩まで伸ばしたおじいさんと、不思議な商品に魅入られて、僕はすっかり中古本漁りの気分を萎ませてしまっていた。電車で家に帰ってきている間も、右ポケットの中にある、不思議な点滅する種のことを考えていた。

「結局、・・・何の種なのか、聞くことも忘れちゃってたなぁ・・・・。」

 家に帰った僕は、変な出会いの力か、妙に疲れて、部屋でぐったりしてしまった。不思議な『種』だとは思うけれど、気味悪い感じもしたので、机の中の右側の引き出しにしまった。その後はベッドに飛び込んで一休み。寝転がって昼寝をした。僕が目を覚ましたのは、母さんが夕食の準備が出来たと、階段の下から呼び起こす声だった。

。。。

 それから3日くらい、僕は机の引き出しを開けずにいた。あの不思議な『種』のことは考えないようにしていた。なんだか、とんでもないことに巻き込まれそうな気がしたから。引き出しを開けなければ、『種』のことはそのうち忘れる。いや、あの変なおじいさんとの出会い自体が、夢か思い違いだったのではないかと思うようになるのでは・・・。そんな期待をもちながらも、僕は1時間に1回は、あの種のことを考えてしまっていたような気がする。

 ゲームに没頭しようとしても、小説の世界にのめりこもうとしていても、ふと、机の方を見てしまう。僕は3日間、四六時中悶々としていた。

 そして3日目の夜。僕はおかしな夢を見た。体に何かが絡みつくような、気味の悪い感触で目を開ける。するとベッドの上の僕は、朝顔か何かの蔓に、体をグルグル巻きに絡み取られていた。ところどころに緑の葉を生やした蔓は、これまたグルグルに絡まれた、僕の勉強机から伸びてきてる。僕は怖くて、何か叫ぼうとする。その僕の口に、蔓の先が、意思を持ったようにウネウネ動いて押し入ってくる。怖い夢だったけど、妙にドキドキもした。蔓は植物のはずなのに、妙に生暖かくて艶があった。

 翌朝、僕はベッドで目を覚ますと、時計を見て、(気持ち悪い夢をみたなぁ)ってぼんやり考える。口を開けたまま天井を見て、やっと体を起こすと、くせになってるみたいに机を見る。すると、僕の机の引き出しが開いてることに気がついた.

(これって、昨日の夢と・・・)

 僕がおそるおそる、掛布団をめくって自分の右腕を見ると、緑の蔓が肩から手首まで巻きついていることに気がついた。

「ぎゃっ・・・ハーミット・パープル?」

 僕の他に誰もいない部屋で、回答がもらえるはずもない、疑問を思わず口にする。蔓に生え茂る葉は、風に吹かれたみたいにサワサワと揺れた。僕はこわごわとベッドから起き上がって、クローゼットを開く。戸の裏にある鏡で自分の姿をしげしげと見つめてみる。少し間抜けなことに、自分の脳天に、小さな芽みたいなものが点滅してた。

「今日・・・学校休も。っと・・・」

 僕は中学校に行く代わりに、神洲薬師商店街の裏路地を目指すことにした。

。。。

「待ってたよ。思ったより時間がかかったね。」

 チューリップ帽のおじいさんは、皺々の顔に大きな笑顔を浮かべて、僕を迎え入れた。僕の聞きたいことは全部知っているとでも言いたげな笑顔。

「あの・・・、これ、なんですか? 他の人たちには見えてないみたいなんですけど、おじいさんは見えるんですよね?」

 右腕の裾をまくって、巻きついた蔓を見せる。おじいさんは僕の質問に答える前に、僕のその右手を取ってカードを渡してくる。

「魔道植物って呼ぶ人が多いな。それで、これがホームページのアドレス。ここに君の観察日記を上げてくれれば、僕がアドバイスをしていくよ。」

 おじいさんと、露店のお店の佇まい。それとホームページっていう言葉のギャップに、僕の謎は、いっそう深まってしまった。気がつくと、僕はカードを持たされたまま、一歩後ずさりしていた。

「あの・・・観察日記って・・・その、植物のですか?」

「植物の成長観察日記もそうだし、あとは君のお好みの召使いさんの観察も書いてくれたらいいよ。」

「召使いさん?」

「そう。なんでも、言うことを聞いてくれる、召使いさん。誰か、興味のある人はいるかな?」

 梅雨が明けたばかりの夏の始まり。僕は妙なおじいさんと植物に絡みつかれたように、おかしな世界の入り口に立っていた。飲み込みにくい話だったけれど、聞き始めた時に、僕はもう巻き込まれていたんだと思う。

< つづく >

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