- 序 -
ライフ=シェアリングとは、死すべき身体を、命を、心を、グランツ(与える者)が、アクセプツ(受諾する者)に命を分け与える事で繋ぎ止める技術を言う。
それは、素晴らしい技術のように思える。しかし、弊害が無い訳ではない。
ライフ=シェアリングは、グランツがアクセプツの心を、身体を、支配する事が出来るようになってしまうからだ。
それは、脅迫というレベルでは無く、文字通り相手を支配する事が可能になるという事だ。
また、グランツが死ぬ時、アクセプツも死んでしまう。
それ故に、ライフ=シェアリングは廃れていくのも必然だったのかも知れない。
――あなたは、大事な人が死にそうな時、ライフ=シェアリングしますか?
- 1 -
あは。まっかっか。
なんだかぼんやりしすぎて、頭がずきずきと痛いのに、身体がまともに動かせないのに、逆になんだか楽しい気分になってくる。
目の前に広がって行く赤が、なんだか綺麗で。
鮮やかな赤。鮮血。
わたしの鼓動に合わせるみたいに、とくん、とくんって広がって行く。
わたし、なんでこんなになってるんだっけ?
なんで、――そうになってるんだっけ?
あん、上手く考えられない。
無くなった血の代わりに、頭のなかに真綿でも詰め込まれたみたい。
ふわふわ。
ふわふわって、頭の中がかぁるくなっていって。
でも、身体は動かなくて。
だんだん、寒くなっていって。
あぁ、さっき考えてたこと、思い出した。
なんで、死にそうになってたんだっけ?
そう、思ったんだった。
うんうん、思い出せるっていうのは、なんだかすっごい爽快感。
疑問は残しておいちゃ、いけないよね?
もう頭も痛くないし、とってもいい気分。
じゃあ、なんでこうなったのか、思い出してみようかな。
えっと・・・確か学校の帰り道・・・だったかな。
家への近道の、人通りの少ない路地裏で、突然後頭部がガツンっ。
あの時は、痛いというよりもすっごいびっくりして。
目の前がぐるぐると回って。
気が付いたら、倒れてたんだった。
あは。
もしかして、わたし、まずい状況かなぁ?
死んじゃう?死んじゃうの?
まぁ、それもいいのかも。
でも、今死んじゃうと、第一発見者さんがトラウマになっちゃわないか、心配だなぁ。
だっていま、きっとすっごぃ顔してる。わたし。
目だって開いたまんまで。
きっと頭が割れてて。
血がどくどくと流れてて。
せめて、目だけでも閉じてた方がいいと思うのに、まぶたも動かないんだよ。
第一発見者さん、変死体を見慣れてる人だといいなぁ。
あ、だんだん目の前が暗くなってきた。
まだ夜じゃないのに、まぶただって開いたまんまなのに、どんどん暗くなってくの。
ああ。
すっごく確かに、判っちゃった。
死ぬんだ、わたし。
おとうさん、おかあさん、ごめんね。
でも、仕方が無いよね?
もっといろんなコト、したかったな。
ファミレスで、「デザートのメニューのここからここまでぜぇんぶ♪」っていうの、やってみたかった。
カラオケだって、喉が嗄れるまで歌ってみたかった。
ステキな恋だって、してみたかった。
うん、それだけちょっと、残念かも。
あ・・・。
なんだか・・・ねむく・・・。
暗い、暗いどこか。
寒いはずなのに、暖かい。
もう、死んじゃったのかな、わたし。
でも、死んだらどうなるんだろう?
去年亡くなった、田舎のおばあちゃんに会えるのかな。
小さい頃に飼ってた、猫のポチに会えるのかな。
うん、それだったら、死んじゃってもいいや。
――。
あれ?だれか、わたしを呼んだ?
おばあちゃん・・・じゃなさそうだし、ポチでもない気がする。
知らない・・・ひと?
なんだか、わたしの中に入ってくる。
どんどん入ってきて、わたしとひとつになってる。
でも、イヤじゃないよ。
うん、イヤじゃない。
とっても、暖かいから・・・。
- 2 -
気が付くと、わたしは知らない部屋の、知らない天井を見上げてた。
「はにゃ?」
死んでない?
でも、さっきは身体がまったく動かなくって――。
ちょっとコワくなって、自分の身体を確認してみる。
右手さん、おっけ。
左手さん、おっけ。
右足さん、おっけ。
左足さん、おっけ。
胴体さんは・・・判らないけど、なんかお腹が空いてる。
うん、食欲があるって、元気な証拠だよね。
「ん・・・ふぅ・・・」
取り合えず身体を起こして、両手を上に伸ばして、なんとなく伸びをしてみる。
これをしないと、目が覚めたって気が、しないから。
それから、ここはどこなんだろうって思って、きょろきょろと部屋の中を見回して。
「おぉ・・・すごいですね、これは・・・」
日本の文化、アキハバラな部屋だ。
フィギュアとか、アニメのポスターとか、ちょっちアヤしそうなゲームの箱とか、壁を隠してるんですか?と聞きたくなるくらい、がっつり置かれてる。
「あ・・・これ、かわいいっ」
フリフリなドレスっぽい洋服の、フィギュアさん。思わず手にとって、しげしげと見てみる。
「ほぉー・・・」
服の皺とか、風になびいてる様なリボンとか、本当に良くできてると思う。
「・・・」
なんとなく・・・本当になんとなくなんだけど、フィギュアの向きを変えて、スカートの中を覗き込んでみる。
えと・・・うん、えっちだ。
パンツの皺とか、柄とか、妙にリアルに出来てる。
そこからすらっと伸びた足のラインとか、むちむちしてて、どうみてもえっちだし。
だから、背後から誰かが近付いてくるのが、肩をつんつんとされるまで、まったく気付かなかった。
「ひわわっ!!」
飛び上がらんばかりに驚いて、わたしは背後を振り返った。
意外と近い場所にある、無精ひげが凄い事になってて、髪もばっさばさで、年齢も判らない男の人の、顔。もちろん、わたしは会った事が無い。
はっきり言って、おっきな悲鳴を上げなかったわたしは偉いと思ったよ。
ちょっとだけ、ビクっ!ってしちゃったけどね。
でも、それってわたしのお手柄じゃなくて。
目。
ぼさぼさの髪の間から見える目が。
とても、優しそうだったから。
彼は、手に持ってた大学ノートを開くと、さらさらと何かを書き込んだ。わたしがぼんやりと彼のリアクションを待っていると、どうやら書き終えたらしく、大学ノートをわたしに見えるように向けた。
『声が出ないから、僕の言葉は紙に書くか、PCで見せるね。
僕の名前は嵐山スグル。
君と、ライフ=シェアリングをした男だよ』
それから、わたしとスグルさんは、いろいろなお話をしたよ。
なんだか罵倒するような声が聞こえて来てみたら、わたしが死んでたのを見つけたって事とか。
スグルさんがわたしを見つけた時、わたしのそばには誰もいなかった事とか。
やっぱり、目を見開いててコワい顔だったらしい事とか。
すぐ近くの公衆電話の横に設置してあった、ライフ=シェアリングを使ってわたしを生き返らせてくれた事とか。
スグルさんが聞いた声は、酷くおぞましい悪意に満ちてたって、こととか。
そして・・・多分、わたしの命は、狙われてたんだろうって、こと・・・とか。
『だから、暫くはここに隠れてた方がいいと思う。
死体が見つからなくて、しかも自分が警察に捕まっていない状況なら、多分犯人が君を見かけた時に、すぐに証拠隠滅――口封じをすると思うから』
紙からPCに媒体を替えて、凄い勢いで画面にその言葉を書き込みながら、スグルさんはじっとわたしを見詰めてくる。その目に浮かぶのは、わたしを心配する気持ち。お馬鹿なわたしだって、それぐらいは判るよ。
「・・・わたし、ここにいても・・・いいの?」
泊めてもらうのはいいんだけど、わたしがここにいて、スグルさんの迷惑にならないか、それだけが心配。
だって、わたしはもう、命を助けてもらってるし。
そのうえ、ここに匿ってもらうなんて、図々しいんじゃないかなって、思う。
『狭い部屋だけど、それで良かったら』
ざんばらの髪の毛の間から、優しい瞳がわたしを見詰めてる。だから、わたしはふかぶかと頭を下げる。
「それじゃあ、ご迷惑をお掛けします」
わたしの言葉に、そんな事ないって感じで、スグルさんは手をぱたぱたと振ってくれた。
『別に迷惑じゃないから、気にしないで。それと、せめてご家族にはその事を説明しておこう。誘拐って思われるのも怖いし、ね。携帯電話は使える?』
スグルさんがそう聞いたのには、実は訳があって。
わたしが倒れた時に、どうやら携帯を下敷きにしちゃったみたいで。
携帯電話さんは、わたしの血の海に浸かって、お亡くなりになってしまいました。
だって電源、入らなかったもの。
ごめんね、携帯さん。
どよぉんとした雰囲気で首を振ると、スグルさんはちょっと動揺して、それでも滑らかなタイピングでキーボードを叩く。
『じゃあ、お父さんかお母さんって、メールアドレスを持ってる?』
わたしはスグルさんに頷いて見せた。
お父さんもお母さんも、携帯を持ってるから。
ちなみに、めあどはフルネーム+生年月日。
『判った。フリーのメールを取得するから、そのあとで連絡してあげて。フリーメールのサイトは立ち上げっ放しにしておくから、いつでもメールできるよ』
わたしってPCの知識が無いから、スグルさんが何を言ってるのか半分も判らなかったけど、曖昧な笑みで頷いてみた。
――お母さんへ。
なんだかちょっぴり楽しくなってきて、わたしは人差し指をちょいちょいと動かしながら、スグルさんのPCで文章を打ってみる。スグルさんの指を全部使った速度には全然敵わないんだけど、自分の指の動きで画面に文字が出てくるのは、やっぱり楽しい。
『お母さんへ。
美波です。ちょっと殺されちゃって、今は生き返らせてくれた人のお宅にお邪魔しています。
通り魔殺人じゃなくて、わたしが狙われてるっぽいから、暫くは家にも学校にも行かないけど、気にしないでね。
あ、それと冷蔵庫の中のプリンは、取っておいて下さい。
じゃあ、また連絡するね。
かしこ。』
全部打ち終えて、ちょっとだけ誇らしい気持ちでスグルさんを見上げると、何故かこの世の終わりみたいにショックを受けた顔をしてた。
・・・なんでだろ?
- 3 -
『学校に行けなくて、さみしくは無い?』
一緒に晩御飯を食べている時に、スグルさんが大学ノートに書いた言葉。
わたしはもぎゅもぎゅと口の中の野菜炒めをゆっくり噛みながら、どうなんだろ?なんて考えた。
いやじゃないけど、他のコ達みたいには無条件で楽しいって環境じゃ、なかったよね。
学校って言って思い出すのは。
隠された上履き。
汚された体操服。
靴の中の画鋲。
一人だけのお昼。
そんな思い出だけ。
くむくむくむ。こくん。
良く噛んで、飲み込んで。
「寂しくないよ。だって、スグルさんが一緒にご飯を食べてくれるから」
にっこりと笑って言うと、スグルさんの顔が赤くなった。
声がなくても、二人の食事がこんなに楽しいなんて、思いもしなかった。
ワクワクする。
スグルさんが照れたような表情で――ぼさぼさの髪とか、ビールを飲んだらスゴイことになりそうな無精ひげとかあるけど――わたしに微笑みを向けてくれると、なんだか幸せな気分になるの。
でも・・・明日の朝から、わたしがご飯を作るようにしよう。
スグルさん、一人暮らしなのに、料理はさっぱりなんだね・・・。
『ごめん、どうも一人の食事だと、美味しくしようって努力をする気にならなくって。キッチンにある食材とか道具は、好きに使ってくれていいから』
わたしは、申し訳なさそうな表情のスグルさんに、首を振って見せた。
だって、その程度はお礼にすらならないし。
「うん。明日から、わたしが作るね。それに、泊めてもらってるんだもん。家事ぐらいはして当然だよ」
それでもやっぱり浮かない表情のままだったけど、食事中でもあるし、スグルさんが別の話題を振ってきた。
『じゃあ、期待させてもらうね。それより、君のお母さんは随分と理解が速いんだね。もっと驚いたり、うろたえたりするかと思ってたよ』
そう。あの後、お母さんからメールで返信があったの。
『娘へ。
適当にりふれっしゅしたら、戻ってくる事。
それと、早く帰ってこないと、冷蔵庫のぷりんの命は風前の灯だ♪
ままりんより』
っていうのが、返ってきたメールの内容。
うん、さすがわたし。どこに泊まっても信頼ばりばりだね。
まぁ、死んだとか生き返ったとか、信じられてないのかもだけど。
「しばらく学校へ行かないっていうの、丁度いいって思ってるのかもなの。わたし、学校でイジメられてたから」
困っちゃうよね、えへへーなんて笑ったんだけど、スグルさんはさっきよりもどよんとした表情を浮かべて、なんとも居心地が悪そう。さっき、わたしがスグルさんの作ったごはんを食べた時の顔を見た時に匹敵する、なんともアレな表情で。
「でもね、ぜんぜん酷いこと、なかったんだよ」
――隠された上履きは、ゴミ箱を探したらすぐに見つかったし。
――汚された体操服は、洗ったらすぐに白くなったし。
――靴に入ってた画鋲は、部屋のポスターを止める大事なお仕事をしてくれてるし。
――一人だけでお昼を食べてても、まわりのみんなは楽しそうにお昼してたし。
「うん。ほんとうに、大したことなかったよ」
心配そうに見てくれるスグルさんに、わたしはほにゃっとした笑顔を返す。
だって、スグルさんが本気で心配してくれてるって判って、嬉しかったから。
『せんせいは、何もしないの?大した事が無くても、君が気にしなくても、悪い事は悪いし、止めさせるべきだと思う』
そう書いたノートを見せるスグルさんに、わたしはほんとうにスグルさんって優しいなーって思った。でも――。
「あのね・・・イジメって、されるほうも心が痛いかもだけど、するほうだって心が痛いと思うの。それなのに、その痛い所を先生とかに突かれたら、すごく痛いよね。だから、できたら自分からイジメるのを止めてくれたら、それが一番いいと思うの」
驚いたふうな顔でわたしを見返すスグルさんに、大事なことを言い忘れてたのを思い出して追加。
「それに・・・わたし、イジメっこの洋子ちゃんの事、今でも好きなの」
だから、平気。
ほんとだよ。
わたしはぱくりとごはんを食べた。
笑みを浮かべて。
- 4 -
スグルさんとの共同生活は、とても楽しかった。
そういう風に言うと不謹慎かもだけど、不思議とずっといっしょにいるのが気持ちよくて。
あ、もちろん、お母さんとはちょくちょくメールしてて、いまじゃすっかりメル友だよ。でも、『お父さんと二人っきりでらぶらぶなの♪もうすこしのんびりしてらっしゃい♪』なんて言われると、なんて返していいか判らなくなっちゃう。
で、こうしてずっと一緒にいると、なんだか永いこと連れ添った夫婦みたいになっちゃって。
最近、スグルさんが何をしたいのかとか、何を言いたいのかとか、判るの。
ほら、今もなんだか、『そろそろコーヒーがのみたいかな』なんて思ってる。
わたしはベッドに読みかけのマンガを置いて、キッチンへゴー。
インスタントのコーヒーは濃い目で、砂糖はちょっぴり、ミルクはたっぷり。
わたしの分もいっしょに作って、こぼさないように気を付けながら持って行く。
「はい、どうぞ」
PC机の邪魔にならなさそうな場所に置くと、スグルさんが笑顔で会釈した。わたしも笑顔を返すと、ベッドに戻った。でも、今はちょっと胸の中があったかくて、マンガに集中できなさそう。気が付くとぼぉっとしてて、何となくスグルさんの背中を見てたりとか、わきわきとキーボードの上で踊るスグルさんの指を目で追ったりとか、自分から見てもアヤしい行動をとってる。
わたしがそうしてぼんやりしていると、スグルさんがノートを手に、くるりと振り返った。ぼぉっとしてるわたしと目が合うと、照れたような笑みを浮かべてくれる。
『今、いいかな?』
うん、と頷くと、スグルさんはちょっとだけ真面目な感じの雰囲気で、わたしと目線を合わせるようにした。
『気になったんだけど、なんでさっき、コーヒーを淹れてくれたの?』
そう聞かれると、なんだかさっきの自分の感覚が間違えてたのかなって、気になった。
勘違いだったら・・・ちょっと寂しいかな。
「スグルさんが飲みたいんじゃないかなって気がしたの。・・・間違ってた?」
わたしの答えに、スグルさんは痛みを感じたみたいに顔を歪めた。
あれ?わたし、変なコト言った?
「スグルさん、どうしたの?わたし、悪いコトした?」
スグルさんが苦痛を感じてるって思うだけで、どうしようもなく悲しくなった。
『ごめん、僕のせいだ。僕には声がないから、大丈夫だと思ってたのに、結局はだめだったみたいだ。本当に、なんて謝ったらいいか判らない。』
ノートにそれだけ書くと、深々と頭を下げた。
どう反応していいか判らない、わたしに向かって。
「ね、スグルさん、顔を上げて。何がダメだったのか、判らないよ。それにわたし、ぜんぜんヘンじゃない。大丈夫なの。だから、そんなに泣かないで」
そう。
スグルさんは肩を震わせて。
唇を噛む事で嗚咽を抑えて。
ぽろぽろと、涙を流してた。
スグルさんがどんなに悔やんでるかが、わたしの心に直接伝わってきて、つらい。
『ライフ=シェアリングをすると、命を与えた人の命令を、命を与えられた人は拒めない。でも、僕は声がだせないから、大丈夫だと思ってたんだ。でも、さっき僕がコーヒーを飲みたくなったら、君は頼まれなくてもコーヒーを持ってきてくれた。多分、相手を『支配』するのは、声じゃないんだ』
あ、なんとなく納得しちゃった。
これまでも、なんとなく伝わってきてる気がしたもの。
『僕は、そんなつもりは無かったのに、いつの間にか君を』
苦しくて堪らないのか、スグルさんの手が止まる。
でも――。
「でも、別にいやじゃなかったよ。スグルさん、ありがとうって言ってくれたし。だから、気にしないで。スグルさんが悲しむと、わたしまで悲しくなってきちゃうもの」
ね?
笑顔をスグルさんに向ける。
でも、スグルさんは顔を上げてくれなくて。
だから、気が付いたらスグルさんをぎゅっと抱き締めてた。
小さな子供を抱き締めるみたいに。
スグルさんの顔を、わたしの胸に押し当てる。
ボリュームは無いけど、あったかいよ。きっと。
じわりと、スグルさんの涙で服が濡れる感じ。
ほんとに、小さいこどもみたい。
でも、こどもと違う、逞しい両手がわたしの背中に回されて。
すがり付くように。
放さないように。
力が篭った。
それだけで、胸の中が熱く燃え上がるように感じた。
それから、どうしようも無く実感する。
わたし、スグルさんの事が・・・。
――好き。
- 5 -
最初のキスは、わたしから。
おずおずとわたしを見上げるスグルさんの顔に手を添えて、そっと触れるだけの――だけど、気持ちを込めたキス。
おひげがくすぐったくて。
でも、その向こうにはちょっとだけ乾燥した、スグルさんの唇があった。
「ん・・・ふ・・・」
身体がふわふわとして、甘く蕩けるような気分。
唇を触れ合わせるだけなのに、こんなにも気持ちいい。
これ以上したら、わたし、どんなになっちゃうんだろうって、ちょっぴりコワくて。
でも、もっとしたいって気持ちも、抑え切れなくて。
最初はスグルさんを癒してあげたくてしたキスのはずだったのに、気が付くとわたしが夢中になってて。
もっと・・・もっとして欲しくなってた。
キスも。
その先も。
「ふぅっ」
息が苦しくって、唇を離す。驚くほど近くに、スグルさんの瞳。そこに浮かぶのは、優しさと、愛しさと・・・迷い。優しいスグルさんのことだから、きっとわたしの事を大事にしようとか、えっちしたらダメだとか思ってる。
そんな事、気にしなくったっていいのに。
「ね、わかる?」
スグルさんの手を取って、わたしの服の上から胸に押し当てる。
すごくドキドキしてる、心臓の上。
「わたしが嬉しいから、こんなにどきどきしてるんだよ?スグルさんが迷ってても、わたしがスグルさんとしたいって思うから、こうなっちゃうんだよ?だから、全部自分が悪いみたいに思わないで。わたしがスグルさんを好きっていう気持ちを嘘って言われてるみたいで、悲しい気持ちになっちゃうもの」
もしこれでもだめだったら、最終手段でスグルさんの手を、すっかり準備ができちゃったわたしのアソコに押し当てて、どれだけわたしがしたいのかを教えてあげなきゃいけない。初めての女の子からする事じゃないのに。
でも、わたしの思いが伝わったのか、スグルさんがわたしを見詰めながら、こくんと頷いてくれた。
「えへへ」
恥ずかしさと嬉しさがごちゃまぜになって、そんなアヤしい声で笑う。顔が熱くって、もう自分でどんな表情を浮かべてるかも判らない。
でも、いいや。
スグルさんが、わたしを受け入れてくれたんだから。
スグルさんから身体を離すと、わたしはころんってベッドに横たわる。それから、顔を真っ赤にしてるスグルさんに両手を伸ばして。
「スグルさん、大好き。・・・ね、きて・・・」
――あいしてる。
スグルさんの唇がそう動くのを見て、わたしは幸せで幸せで、泣きそうになった。幸せで、死んじゃいそうだよ。死んだらこまるけど。
スグルさんが、わたしに体重を掛けないようにして、覆いかぶさってくる。
わたしはそっと、スグルさんの背中に両手を回す。
今度のキスは、スグルさんから。
まるで、唇が食べられちゃうんじゃないかって心配になるような、貪るようなキス。ちょっとだけスグルさんらしくない荒々しさが、逆にえっちぃ感じがする。
「んっ!?」
ブラウスのボタンが外されて、スグルさんの手がわたしの身体を直接さすった。
驚いたのは、スグルさんが積極的になったからじゃなくて。
直接触られたお腹や脇腹が、ゾクゾクと信じられないくらいに気持ちよかったから。
今も、背中に回ってブラのホックを外そうと悪戦苦闘してるその感触すら、堪らないほどに気持ちいい。こんなのヘンだよ。いくら好きな人だからって、こんなに感じちゃうなんて。
――こわい?
わたしの目の端にちょっとだけ浮かんだ涙を指で拭いながら、スグルさんがそう言った気がした。指が目の端に触れる感触もやっぱり快感で、でも、心配してくれたスグルさんを安心させる為に、笑みを浮かべる。
「好きな人といっしょだから、平気。でも、初めてだから、やさしくして欲しいの」
わたしのお願いへの答えは、優しいキス。
わたしが浮かべた涙のせいか、さっきまでの荒々しさは、息を潜めてる。
キスで蕩けちゃう前に、わたしは自分の背中に手を回して、ブラのホックを外した。パチンという小さな音と、胸を押さえつけるものが無くなる開放感。あんまり大きくなくて恥ずかしいけど、スグルさんになら見て欲しい。
ブラウスの前が開いた状態のまま、わたしはブラのカップを上にずらす。驚いたようなスグルさんの視線が胸に集中するのが、まるで視線に力があるみたいにチリチリと感じる。
――綺麗だよ。
恥ずかしくて目を閉じてるのに、スグルさんがそう唇を動かしたのが判る。嬉しいけど、だからって恥ずかしくなくなる訳じゃなし。
「ひゃうっ!あっ、んんぅっ!」
胸の先端が柔らかくて熱いものに包まれた瞬間、閉じたままの目の前が真っ白に爆発するみたいな快感が生まれた。しかもそれが、強くなったり弱くなったり、ずっと続いてて。自分の口からやらしい喘ぎ声が漏れるのを、止められなかった。
「あ!そ、そこっ!い、いいっ!すごっ、あ!ひぅっ!」
もう、自分でも何を言ってるのか判らなくなって、ただスグルさんから与えられる快感に、頭も身体もぐちゃぐちゃにされてた。
自分で触ったって、こんなに感じたりしない。
スグルさん以外になにかされても、こんなに感じたりしない。
あ、これが『支配』なんだ。
きっと、わたしの身体、スグルさんに『支配』されてるんだ。
まるで、欲しがってた答えをすとんと渡されたみたいに、あっさりと、でも実感をもって、それがわかったの。
よかった。
だったらわたし、スグルさんの望むままに、感じちゃってもいいんだ。
気持ち良すぎることに、こわがらなくても、いいんだ。
「あっ!はっ!そ、そこはぁ・・・んくっ!はず・・・ああっ!!」
ミニスカートが捲られて、パンツの内側にスグルさんの手。
まるで魔法みたいに、触れた場所から快感が溢れかえって。
それから、指の先が・・・届く。
「はぁっ!はっ!あんっ!すご、あっ!」
アソコが、とろけちゃいそうな快感に、目の前がちかちかして。
触られてない場所も、ジンジンと痺れるように気持ちよくて。
「スグっ、スグルさんっ!やっ!だめっ!あ、あああああーッ!!」
スグルさんの頭を抱き締めながら、何度も何度もイっちゃってた。
自分でシタときの絶頂なんて、まるで子供のお遊びみたい。
イった後も、快感が引かなくて身体がひくひくと痙攣しちゃうのも。
その後、ずっと幸せな気持ちで体中一杯になっちゃうのも。
ぜんぶスグルさんだから。
「好き!大好きっ!」
だから、バラバラになりそうな身体が落ち着いてきたら、一番最初にしたのはキス。
スグルさんの顔中、唇が届くところは全部キスしちゃう。
言葉なんて足らない。
わたしがどんなに好きかなんて、馬鹿なわたしは伝えきれない。
だから、抑えようのない気持ちを込めて、せいいっぱいのキス。
「あ・・・」
そして気が付く重要事項。
スグルさんのズボンの中で、すっごく盛り上がってる、アレ。
わたし、自分の事ばっかりだったって、ちょっと反省。
「ごめんね。わたしばっかり・・・その、気持ちよくなっちゃって。もう大丈夫だから・・・ひとつに、なろ?」
アソコはもう、恥ずかしいくらいに濡れちゃってるし。
それに、あんなに深くイったのに、また奥の方がジンジンとしてるし。
「えへへっ」
ちょっと恥ずかしいけど、わたしの上でスグルさんが悪戦苦闘しながらズボンを脱ぐ様子を、じっくりと見届けてみたり。
だって、男の人のアレ、見た事なかったから。
それに、わたしだって恥ずかしいところを全部見せてるんだから、おあいこだよね。
ふふ、スグルさんが恥ずかしそうに顔を赤らめて、顔を逸らしてるのもポイント高いし。かわいい♪
――入れるよ?
心配そうにわたしを見詰めるスグルさんに、笑みを返して。
「うん、はやくっ♪」
スグルさんの不安を、拭い去るように。
恥ずかしいけど、自分から大きく脚を開いた。
ちゅくっ。
スグルさんのアレの先端が、わたしのアソコに触れた音。
いかにもえっちっぽい音で、これから本当にしちゃうんだなって、思った。
でも、後悔なんてしないよ。
女の子だから。
「んっ!」
めりって、音が聞こえた気がした。
身体を限界まで押し広げられるような、圧迫感。
それから、引き裂かれるような、苦痛。
「くっ、ぐぅっ」
声を抑えようとしたけど、やっぱり堪えられなくて。
ぎゅっと、スグルさんに抱きついた。
とっとっとっとっとっ、なんて、ちょっと速くなってるスグルさんの鼓動を聞いて、少しだけ落ち着いた。
スグルさんも、ドキドキしてるんだなって、嬉しくなったから。
わたしも、すごくドキドキしてるよ。
――ぜんぶ、はいったよ。
スグルさんの感動したような思いが、わたしの胸の奥を熱くしてくれる。
それから。
――よく、がんばったね。
優しく、スグルさんの手がわたしの頭を撫でてくれて。
それだけで、泣きたくなるほど幸せ。
思わずスグルさんを抱き締める腕に力が入る。
そんな風に静かな時間を共有していると、スグルさんがもぞもぞとしているのに気が付いた。
見上げると、そこにはエサを前にお預けを命令された犬のような、微妙な表情のスグルさんの顔。
あ、これが俗に言う、生殺しって事なのかな?
「ごめんね。もう、痛くないから・・・動いても大丈夫だよ」
好きにしてくれて良かったのに。
でも、そんなふうにやさしくしてくれるの、好き。
大事にされてるって、嬉しくなるから。
「んぅ、ふっ、あはっ」
わたしの中を、ずりずりと抜けて行くスグルさんのアレ。
擦れる感じが、痛いけどちょっとだけ気持ちいいの。
でも、やっぱり一番強い感覚は、お腹が一杯になったみたいな圧迫感。
それから、今度は逆に、抜ける寸前の場所からまたアレが入ってきて。
「ふぅっ!は、ああっ!」
これも、スグルさんの『支配』なのかも知れない。
さっきまでズキズキと痛んでたアソコの中が、気が付くと全然痛くなくて。
ううん、それどころか、凄く気持ちよくなってきた。
さっき、指でイカせてもらった時ほどじゃない・・・そう思ってたけど、こっちの快感はどんどん強くなって、まるで上限が無いみたい。
どこまで、気持ちよくなるんだろう。
わたし、どんなに乱れちゃうんだろう。
「わらひっ、へんっ!あっ、はあっ!へんにぃっ!」
いつの間にか、気持ち良すぎて訳が判らなくなって。
ほんとうに、あたまがヘンになっちゃったみたいで。
もう、ずっとイキっぱなしになっちゃって。
――いいよ。おかしくなったって、いいよ。
スグルさんの思いに、どこかに残ってた怯えが、無くなったと思う。
「はっ、ひぃっ!ひぃよぉっ!スグりゅひゃ、いひぃっ!ん、んむぅっ」
止まる事なく喘ぎ声が溢れるわたしの唇を、スグルさんがキスで塞いだ。
わたしの中で、スグルさんのアレが、ぐっと太くなるのがわかって。
あ、スグルさんも、イクんだ。
そんな事を頭の片隅で思って。
でも、それがどんなことか、全然わかってなくて。
スグルさんがわたしの一番奥で射精した時、今までで一番大きな絶頂の波がきて、わたしは失神したの。
「~~~~~ッ!!」
気持ちいい。
けど、それ以上に。
幸せ。
それが、意識が途切れる前に、最後に思った事だった。
- 6 -
「ふんふんふーん♪」
スグルさんは出掛けてるから、今日は一人でお留守番。
自作の鼻歌をBGMに、お部屋のお掃除作戦を遂行中。
スグルさんに頼まれてる訳じゃないけど、なんとなく若奥様風に家事をしてみたり。
「くふふっ」
自分で『若奥様』って単語を脳裏に浮かべて、照れくさいやら嬉しいやらで、一人アヤしく笑っちゃう。
それでも手は動かして、漫画は本棚に、雑誌の古いのは紐で縛って捨てる準備。
で、えっちな雑誌発見。
ぱらぱらとめくると、綺麗なお姉さんの裸乱舞。思わず自分の胸と見比べて、「むぅ・・・」とか唸ってみたり。
「私がいるから、もうこういうのはいいよね?うん、別腹なんて、言わせないもん。というか、私に失礼だもんね・・・ぼっしゅー♪」
と、自分のこれからやろうとしてる行動を、あらかじめ正当化。
だって、比べられたらやだもの。
取り合えず、押入れに隠しておこうかな。目立つ所に置いておくものじゃないし。
「あ・・・」
押入れを開けると、ソレが目に付いた。
――赤。
黒味が掛かった、赤黒い色に近い、赤。
――赤。
元はもっと、綺麗な色だったろう、赤。
――赤。
元々、わたしのなかを巡っていた、赤。
――赤。
もう乾燥した血がこびり付いて、硬い物にぶつけたみたいに先端の方がへこんだマグライト。
酷く血生臭い印象のそれは、食材を保存する時に使う密閉するビニール袋に入れられて、押入れの中に仕舞われてた。
隠すみたいに。
「これ・・・凶器?どうしてスグルさんが・・・」
心の中に、イヤな思いが湧き上がって。
でも、スグルさんが好きだから。
とても、わたしに良くしてくれたから。
信じたくて。
わたしを殺したのが、スグルさんじゃないって、信じたくて。
「うそ・・・違う・・・ちがうの・・・」
スグルさんは、わたしをライフ=シェアリングで助けてくれたんだもの!
――そして、アクセプツになったわたしは、スグルさんに逆らえなくなった。
スグルさんは、犯人からわたしを匿ってくれたよ!
――なら、どうして警察に通報しなかったの?
スグルさん、わたしに優しくしてくれた!
――そしてわたしは、スグルさんが好きになったのよね?でも、ちょっと優しくしてくれたら、誰でも好きになるの?
――心が『支配』されてないって、言い切れる?
わたしは・・・。
わたしは・・・っ!
「スグルさんっ!」
だめだ。
ここに一人でいたら、ぜったいにだめだ。
ここに一人でいたら、わたし壊れちゃう。
わたしの恋が、ぜったいに壊れちゃう。
一秒でも、一瞬でも早く、スグルさんに会わなくちゃ。
それで、教えてもらうんだ。
わたしを殺したの、スグルさんじゃないよね?って。
吐き気を抑えて、逃げ出すように、外に出る。
スグルさんに会いたいよ。
会って、安心させて欲しいよ。
スグルさん!
・
・
・
勢いのままにスグルさんのアパートを飛び出て。
当たり前だけど、スグルさんは見つからなかった。
でも、携帯を持っていないスグルさんに、連絡の付けようもなくって。
だからと言って、あの血にまみれたマグライトのある部屋にも戻れなくて。
気が付いたら、わたしはあそこに茫っと立ってた。
わたしが殺された場所。
わたしがスグルさんに助けられた場所。
薄暗い、ぜんぜん人通りのない路地裏。
そこから、一歩も動けなくって。
スグルさんが好きで、疑いたくなんてないのに。
どうしよう。
「なんで、生きてるのよ・・・」
どれくらい立ち尽くしてたのか、気が付くと目の前に洋子ちゃんがいた。
信じられないものを見たみたいに。
信じたくないものを、見たみたいに。
「洋子ちゃん?」
わたしの声に、洋子ちゃんははっとした顔をして、それから凄く怒った表情を浮かべた。
久し振りに会って、喜んでるわたしを萎縮させるぐらいに。
「なんでよ・・・」
まるで地の底から響くような洋子ちゃんの声に、わたしはどう答えたらいいのか、判らなくなる。
なんでこんなに怒ってるんだろうとか。
どうしてそんな顔でわたしを睨むんだろうとか。
「どうして、まだ生きてるのよ!」
あ、判っちゃった。
いくつかの、大事なこと。
やっぱり、スグルさんはわたしを殺してなかったんだ、とか。
わたしを殺したのは、洋子ちゃんだったんだ、とか。
わたしって、殺されちゃうぐらいに、嫌われてたんだな・・・とか。
ひどく、心が痛くなることが、判っちゃった。
「どうして?わたし、洋子ちゃんの事、好きだよ?」
好きって気持ちは取り引きじゃないから、わたしが好きだから洋子ちゃんもわたしを好きにならなきゃいけないって事はない。そんなの判ってる。でも、わたしが何もしてないのに、殺されるほどに嫌われるなんて、信じられない。ううん、信じたくない。
「あたしはね、あんたのそういう所が嫌いなのよ!苛めても苛めても、頭の悪い犬っころみたいにへらへらして!なによ!あたしをバカにしてるの!!」
ちがうよ。そんなつもりなんて、ないよ。
けど、洋子ちゃんが心の中に溜め込んだドロドロしたモノを感じて、わたしはなにも言えなくって。
そんなわたしを見て、洋子ちゃんは一転して微笑みを浮かべた。
でも、それは微笑みじゃないと思う。
だって、目が。
目が、笑ってないから。
「いいよ。何度生き返ったって、死ぬまで殺してあげる」
呟いて、洋子ちゃんは鞄からナイフを取り出した。
薄暗いのに、どうしてだかナイフはぎらりと光を反射する。まるで、わたしを殺そうとする洋子ちゃんの意思を示すみたいだって、思った。
人通りのない路地裏で、逃げなくちゃいけないはずのわたしは、なんだか逃げる気になれなくって、少しずつ近付いてくる洋子ちゃんを馬鹿みたいに見詰めてた。
怖くてすくんだんじゃなくて。
洋子ちゃんなんて怖くない、なんて事でもなくて。
ただ、すごく疲れてた。
身体じゃなくて、心が疲れてた。
息をするのも辛いぐらいに。
立ってるのが辛いぐらいに。
生きるのが、辛いぐらいに。
わたしが、洋子ちゃんをここまで追い詰めてたの?
わたしが生きてる事が、そんなに辛いの?
ごめんね。
わたしは、ナイフみたいにぎらぎらとした洋子ちゃんの目を、見詰めることしか出来なかった。
「美波っ!!」
その時、後ろからわたしを呼ぶ声が聞こえた。
初めて聞くその声は、同時に凄く大事な声で。
顔を見なくても、聞いたことがない声でも、誰なのか判る。
鼓膜でも、記憶でもなくて、わたしの中に混ざってる命が、教えてくれる。
「スグルさん!」
振り返ると、自分でも驚いているみたいに、口元に手を当てて眼を丸くしているスグルさんがいた。ずっとわたしを探してたのか、汗だらけで、息も荒くて、それでも来てくれたんだ。
「邪魔するな!」
その時、いろんな事が同時に起こった。
苛立ちを隠せない洋子ちゃんの怒鳴り声。
振り上げられたナイフ。
よろけるように、後ろに下がるわたし。
走り寄る、足音。
振り下ろされるナイフ。
抱き締められるわたし。
「がぁああっ!」
そして、スグルさんの悲鳴。
「あ・・・あ・・・うあああああっ!」
わたしは、スグルさんに抱き締められたまま、ぺたんと地面に座り込んだ。スグルさんの肩越しに、悲鳴を上げて逃げて行く洋子ちゃんが見えた。まるで壊れたみたいに悲鳴を上げて、こっちを振り返らずに、ひたすらに走ってる。途中の横道に入ると、すぐに洋子ちゃんの悲鳴も聞こえなくなった。
「み・・・なみ・・・」
スグルさんの苦しそうな声で、わたしの茫っとしてた頭が動き出した。
洋子ちゃんは、ナイフを振り下ろしてて、スグルさんはわたしと洋子ちゃんの間に割り込んで、だったら、スグルさんの背中に回したわたしの手を濡らしてるのは――。
「ス・・・スグルさんっ!」
わたしを抱き締める力もないのか、スグルさんはずるずるとアスファルトの上に崩れ落ちた。身体の右側を下にして、ぐたっと地面に横たわる。そして、地面に広がっていく、赤い血。
「待ってて!すぐに救急車を・・・」
頭の中がぐちゃぐちゃになったみたいなわたしの言葉を遮って、スグルさんの左手が上がった。
「み・・・なみ、は・・・けが・・・は・・・?」
すごく苦しそうで、聞いてるだけで胸が苦しくなる。
わたしはスグルさんの左手を両手で握って、スグルさんの隣に跪いた。
「わたしは、大丈夫だから!だからっ!」
その瞬間だけ、痛みを忘れたようにスグルさんが微笑んだ。
「そう・・・よか・・・た・・・」
その言葉の余韻が消えて行くのと同時に、スグルさんの手から力が抜けて。
何か、とても大事なものが、消えて行く気がした。
「やだ・・・やだよ・・・スグルさんっ!」
大事なものをなくさないように、スグルさんの左手をぎゅっと握り締める。
祈るように。
願うように。
その時、奇跡の光が、世界を包んだ。
- 7 -
光の中、わたしの中に見た事のない景色とか、見た事のない人とか、流れ込んで来た。
あぁ、これはスグルさんの記憶なんだ。
すっと、理解出来た。
でも、それは悲しい記憶だった。
わたしが覗き見していいものじゃないと、本気で思った。
流れ込んでくる記憶を、見ないようにする方法なんて、判らなかったけど。
それは、虐待の記憶。
スグルさんのお父さんから、理由もなく受けた虐待の記憶。
始まりは、スグルさんの言葉からだった。
お父さんの浮気を偶然見たスグルさんが、幼くて意味も判らなくて、お母さんに話してしまった事、それが崩壊の始まり。
お母さんは、きっと何もかもが嫌になったんだと思う。
お父さんの事も。
お父さんの面影を持つ、スグルさんの事も。
お母さんは、スグルさんを置いて、一人で家を出て行った。
お父さんは自分が悪いのに、酒に溺れて・・・そして全てスグルさんが悪いと、自分を誤魔化した。
虐めて。虐めて。虐めて。
スグルさんが、喋ったのが悪いのだと。
虐めた。
それは、スグルさんが高校生になっても、続いた。
そして、次の崩壊。
心が弱かったお父さんが、自殺した。
第一発見者はスグルさん。
家の梁からぶら下がるお父さんを、スグルさんは見詰め続けた。
ずっと。ずっと。ずっと。
自分を責めながら。
自分が喋ったのが悪いのだと。
ずっと、責め続けた。
無断欠席が続くスグルさんを心配した先生が、お父さんの死体の前でスグルさんを見つけた時には、スグルさんはもう声をなくしてた。精神的なものだった。
数年払い込み続けた生命保険は、自殺でも保険金が下りた。
家と土地を売ったお金も、結構な額になった。
けど、声をなくして、家族をなくしたスグルさんは、何もする気がおきないまま、高校を中退した。頼るべき親族もないスグルさんは、誰からも救いの手を差し伸べられる事もなく、生きたまま死んでる生活を始めた。
そして、スグルさんは偶然死にそうなわたしを見つけた。
わたしを助けようとしたのは――。
わたしを匿ったのは――。
「そう・・・一人で、ずっと寂しかったんだね・・・」
やっと、全部判った。
スグルさんの痛みも、傷も。
寂しさも。
心が、熱い。
同情なんかじゃなくて、もっと強い思いが、わたしの胸の中にある。
そして、光が輝きを増した。
もう、この光が何か、わたしには判ってた。
これは、命の光。
スグルさんと、わたしの、命の輝き。
スグルさんだけじゃなくて。
わたしだけでもなくて。
二人で輝く、命の光。
「これから・・・ずっと一緒、だよ・・・」
この輝きがあれば、きっと大丈夫。
理屈なんて判らないけど、そう信じられる。
そして、世界を埋め尽くすほどの勢いで、キラキラと輝く命の光。
きれい、だね。
- Epilogue -
晴れた空。澄み切った空気。わたしの心に澱んだものを、まとめて吹き払ってくれるみたい。
「終わった?」
警察署の前で、スグルさんがわたしを待っててくれた。その気配りが嬉しくて、飛びついてスグルさんの腕を抱え込んだ。
「えへへー。うん、終わったよ」
今日ここに来たのは、洋子ちゃんの殺人未遂の調書を取る為。
それと、スグルさんが保管していた、凶器のマグライトを提出する為。
スグルさんを刺した後、洋子ちゃんは自分で警察に出頭してた。
でも、警察の人が捜査の為に現場に来たとき、そこに残ってたのは、血痕とナイフだけ。
死体もけが人も無くて。
だから、わたしは全部なかった事にしようと思ってたんだけど、スグルさんに諭されて刑事さんに全てを話した。
「彼女が警察に自首したのは、怖かったからというのもあるだろうけど、罪を償って、今までの自分をリセットしたかったからじゃないかな。だって、僕達が傷一つ無いって聞いても、自白を覆そうとはしなかったんでしょ?」
確かに、マジックミラー越しに見た洋子ちゃんの顔は、憑き物が落ちたみたいに、すごく穏やかな表情を浮かべてたから。
たぶん、そういう事なんだと思う。
それに、自首してきた事、結果的に被害者いないという事、本人が未成年であるという事から、罪は軽いだろうって警察の人も言ってくれたし。
「最初は誰でもいいからちょっと苛めたかっただけのはずだったのに、どうしてあたしはあんな事しちゃったのか・・・わからないんです」
洋子ちゃんが、警察の人にそう言ってたって聞いて。
彼女はわたしをいじめながら、やっぱり自分自身も傷付けてたんだなって、思った。
だから、全てを終えて洋子ちゃんが戻って来れた時、今度こそお友達になりたいって思うの。
誰もが羨むような、大親友に。
・
・
・
腕を組みながらの帰り道、ふと伝わってくる思いがあって。
わたしはくすくすと笑いながら、スグルさんを見上げた。
髪をさっぱりと切って、ひげもきれいに剃って、見違えるように格好良くなったスグルさんを見詰める。顔を赤くして、照れくさそうにそっぽを向いてるスグルさんの様子に、わたしのくすくす笑いはおさまらなくて。
「もぉ・・・スグルさんの、えっちぃ♪」
スグルさんは声を取り戻したけど、思ってる事が伝わってくるのは前と変わらなくて。ううん、それどころか、もっと良く判るようになってた。
だから、判っちゃうんだ。
えっち、したいんだなって。
「スグルさんのお部屋、いこっ」
まだ、わたしの家に帰るまでには、時間があるし。
大好きな人に『支配』される悦びは、何にも替えがたいものだから。
「う・・・うん・・・」
もう何度もシテるのに、スグルさんは相変わらず純情さんです。
えっちな本やゲームだって持ってるくせに。
スグルさんは隠してるつもりなんだろうけど、バレバレなんだよ?
でも、どうやらわたしの思いは、スグルさんには伝わらないみたいで。
だから、ばれないように、言葉にしない。
――スグルさんがえっちの時に人が変わったみたいになるのって、わたしが逆に『支配』してるから・・・かなぁ?
だって、初めての時から、スグルさんはわたしが望むようにしてくれていたから。
確かめようなんて、思わないんだけどね。
「ね、わたしをいっぱい『支配』してね」
わたしのおねだりに、スグルさんはまっかっかになる。
でも、恥ずかしそうにわたしを見詰めてくれる、スグルさんの目は。
どんなに顔が格好良くなっても、変わらずに。
優しい光をたたえてて。
「うふ」
寂しがりやさんで、恥ずかしがりやさんな恋人に、わたしは心の中で話しかける。
伝わらなくたって、いいの。
――ずっと、いっしょにいようね。
それこそ、死が二人を別つまで――。
< おわり >