わたしのごしゅじんさま 第1話

第1話 ~おおきなくりの木のしたで~

・Master-01

 ぼくの名前は佐原道明。今、世界でもっとも幸福な高校生だ。
 身長は151cm(でも、測る時に微妙に踵を浮かせてたのは秘密だ)で、友達連中には小動物系なんて言われてるけど、今なら許そう。うん、こんなに幸福なんだから、もう大抵の事は許しちゃってもいいや。そんな感じ。
 なんていうか、ぼくを取り巻く空気が・・・ううん、世界ぜんぶが輝いてるような気さえする。幸せ・・・それが、こうまで世界を変えるなんて、今までぜんぜん知らなかった。
 ぼくがいるのは校舎裏の栗の木の下なんだけど、実はうちの学校で告白っていうと、屋上かここかってぐらいには有名な場所だったりする。うん、周りを適度に木々に囲まれて、校舎からは見えずに、かつ反対側を向くと遠くに山が見えて、雰囲気もいい。告白のメッカというのも、肯けるというもんだと思う。
 そう、ぼくが今ここにいるという事が、すなわちぼくが幸せである理由でもあって。
 自分から告白・・・なんて出来るわけが無い。冗談抜きで、ぼくが思う相手はこの学校の中で、知らないヒトがいないんじゃないかってぐらいの有名人なんだから。
 つまりは・・・ぼくは呼び出されてるんだ。綾峰さん・・・綾峰遥さんに。

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「佐原くん、ちょっといい?」

 ぼくがお昼休みに春雄と馬鹿話をしていると、後ろからそう声を掛けてきたのが綾峰さんだった。
 腰にまで届きそうな艶やかな髪がサラサラと揺れて、まるで触って欲しがってるよう。白い清潔なセーラー服が、墨を流したような髪を引き立てている。
 胸の前でもじもじと絡まる指は、白くて滑らかで、彫刻みたいだし。
 いつも微笑んでいるような柔らかい曲線を描く目は、見られた相手を幸せな気持ちにさせる魔法を湛えてる。
 嘘みたいに整った顔は、でも冷たさとは無縁の優しさを感じる。
 赤く染まった頬が愛らしい・・・え?

「おい、綾峰が固まってるぞ。見惚れるのはいいけど、返事くらいしろよ」

 春雄に背中を小突かれて、初めて自分がどういう状況なのか気が付いた。恥ずかしくて、瞬間的に顔の温度が上がるのが感じられた。

「ご、ごめん、綾峰さん。なにかな?」

 いくら綾峰さんが綺麗だからって、クラスメイト相手に見惚れて固まるなんて、自分は惚れてますって公表するようなものじゃないか。ここは何とか冷静を装わないと・・・。

「うん、今日の放課後空いてるかなぁ。ちょっと付き合ってもらいたいの」

 ざわり。
 何となく聞き耳を立てていたクラスメイト達が、声も無くざわめいた。
 女子は目一杯の好奇心で、男子は・・・いや、想像もしたくない。ぼくが逆の立場だったら、例えそれが教材の荷物持ちのお手伝いだって、夜中に五寸釘を打ちたくなるぐらいに腹立たしいに決まってる。

「大丈夫。特に予定も入れてないし」

 うう、春雄の視線が痛いよぉ。さっきまで、放課後にゲーセンに行こうって話してたんだけど・・・許してお願いぷりーずっ!
 だって、綾峰さんと上手くいけば二人っきりって状況、男だったら見逃すわけには行かないよね、ねっ!
 ぼくの必死のアイコンタクトが成功したのか、春雄が視界の片隅で苦笑を浮かべるのが見えた。さすがは親友だ。今度、必ずお礼するから。
 ぼくがココロの中で春雄に手を合わせてると、綾峰さんが少しだけ顔を俯かせた。一瞬落ち込ませるような事を言ったのかと不安になったけど、その口元は笑みの形に見えて・・・。

「・・・よかった」

 そんな嬉しそうな声が聞こえてきたら、もう小躍りしたいくらいに興奮しちゃうじゃないかっ!

「じゃあ、放課後に校舎裏の栗の木の下で待ち合わせね。ありがとっ」

 綾峰さんは微笑みを残してくるりと振り返り、どこかスキップしそうな浮かれた様子で席に戻っていった。あとには茫然とした春雄と、顔を真っ赤にしたぼくを残して。

「おい、なんだよそりゃ」
「ぼくもわからないよっ」

 春雄の目付きが、いやぁな感じに細められてる。でも、それも気にならないくらい気分がいい。あの「よかった」は、呼び出された場所といい、その口調といい、凄く期待しちゃうんですけどっ!

「ヘタしたら・・・どうなるか判ってるよな?」

 妙に低い声で、春雄が地獄の底からこっちを引きずり込むような口調で言った。でも、幸せに酔うぼくは、そんな口調の危険性になんて気付かない。

「ヘタって、どういうことさ?」

 しごくまっとうな疑問だと思うけど、春雄は答えてくれなかった。

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 春雄は、一足先に帰って行った。
 一人でゲーセンに行くという事をこれ見よがしに呟くもんだから、つい次はなんか奢るって約束しちゃったし。まぁ、悪い事したっていう自覚はあるから、しょうがない。
 でも──ぼくの頭の中は、また綾峰さんでいっぱいになった──でも、綾峰さんがぼくに・・・なんて、あるんだろうか?
 綾峰さんはいろんなイミでパーフェクトな人で、成績、運動、容姿、性格のどれをとってもまったく非の打ち所が無いという、なんて言うか自分と比べて天は二物どころか五物も六物も与えるものだなぁという人なのだ。
 優しくて面倒見が良くて、いつもにこやかに微笑んでいて、そばにいるだけでココロが暖かくなる、そんな人。それが・・・。
 ・・・なんだかだんだん落ち込んできた。
 まさか、クラスメイトが仕掛けたドッキリっていうオチは無いよね。いや、無いって言って欲しい。

「佐原くん、遅れてごめんなさい。私がお願いしたのに、後から来るなんて悪い事しちゃった」

 どんどん落ち込んで行きそうになっていた時に、綾峰さんの弾んだ声がぼくの鼓膜を叩いた。ぼくは、いつの間にか下に向いていた視線を、その声の方に向けた。ただ、自分の目線よりもちょっと上方というのがアレだけど。

「あ、全然だいじょうぶ。ぼくも今来たとこだから」

 まさか、ぼくがこういう言葉をオンナノコに言う日が来るとは思わなかった。ある意味、ものすごい感動だったりする。だって、上気した篠原さんの顔が、とっても嬉しそうなんだもん。

「良かった、居てくれて・・・」

 綾峰さんは、右手で胸を押さえると、ほっとしたように呟いた。恥ずかしそうに、でもぼくの目をまっすぐに見詰める綾峰さんに、ぼくの心臓は勝手に鼓動を速めてる。手は汗をかいてるし、喉はカラカラだ。酷く・・・ぼくは緊張してる。

「や・・・約束、したから・・・」

 うわ、なんだこの台詞は。もっと格好いい返し方とか無かったかな。わ、頭が上手く動かないしっ!
 あとは、恥ずかしさと緊張の無限スパイラル。なんていうかドツボ。自分の顔がすごく熱くなってるのが判って、それでさらに恥ずかしくなる。止まらない悪循環に、身体まで固くなる。

「ね、佐原くんって・・・お付き合いしてる人・・・いないよね?」

 空気を震わせるのを恐れるみたいに、綾峰さんがそっと囁いた。ぼくに聞こえるか聞こえないかのぎりぎりで、聞き直したい誘惑に駆られた。
 だって、これはもう絶対的にアレだよね。
 この後に続く言葉って、どう考えたってソレしかないし。
 ぼくは頭がコワれたみたいになって、ガクガクと頷くしかできなかった。

「じゃあ、もし良かったら・・・私の・・・」

 ああ、だめだしあわせでしんじゃうとんじゃういかれちゃう。
 ぼくと綾峰さんは、相思相愛だったんだそうなんだもう嬉しくて死んじゃいそう。
 やばいやばいやばい、あといちびょうでしんぞうがとまっちゃう。死因はきっとしあわせすぎだぁ。

「私の・・・ごしゅじんさまになってくださいっ」
「・・・へ?」

 その瞬間、セカイは終わった。
 あれほど輝いていたセカイは、ぎゅわぎゅわと音を立てて、右斜め上の方向に吸い込まれていく・・・そんなカンジ。ぼくの足元は確かな実感を無くして、まっすぐ立っているつもりなのにくらくらと眩暈がする。

 ああ、かみさま。
 どうか、冗談って、言ってください。

・Master-02

「なぁ、道明ぃ。昨日はどうだったんだよ?教えてみそ。イタくしないから♪」

 春雄は朝から上機嫌だ。
 成績はあんなにいいのに、どうしてこんなに馬鹿っぽい言葉遣いが似合うんだろう。やっぱり春雄は、馬鹿が本質だからかなぁ。
 ・・・うああ、荒んでる、荒んでるよぼく!
 結局昨日はあれから意識を無くして、気が付いたらとっぷりと夜は更けて。
 確か、あの衝撃の告白の後、自分でかっくんと頷いた(無意識の身体の反応だと思われ)気がするし、そしたら綾峰さんは感極まってお礼を言いながら嬉しそうに走り去ったような・・・いや、本当に記憶が曖昧で、実はあれは夢だったっていうのが今の脳内意見の最有力候補だったりするんだけど。

「おい、本当に大丈夫かよ。顔、真っ青だぞ」

 春雄の声に、心配の色が混ざる。
 ごめん春雄、綾峰さんの名誉と、ぼくの頭の名誉のために、なんにもいえない。
 ぼくが静かにはらはらと涙を流すのを見て、今度は春雄の顔が真っ青になった。

「まさかお前・・・」

 声の端が震えてる。何を想像したんだろう。

「奪われた・・・とか?」
「何をだよっ!」

 いや、春雄がぼくの気分を盛り上げようとしてくれてるのは判るんだけど、もう少しなんて言うか、言葉には気を付けて欲しい。朝の教室とは言え、それなりの人数が登校してるわけだし。実際、押さえ切れないといったかんじでクスクスと笑い声が漏れて・・・。

「あ、あやみねさんっ!」

 今のクスクス笑いは、ぼくの背後に立った綾峰さんがしてたものだと気が付いて、余りに焦ったせいで、ぼくの声は半分裏返ってしまった。醜態に顔を赤らめるぼくに、綾峰さんは可愛らしい笑顔を見せた。

「おはよう、佐原くん」

 弾んだ声で挨拶する綾峰さんは、凶悪なほどに可愛かった。今ぼくが感じたにこにこパワーは、前年比で1.73倍くらいにはなってると思う。

「鈴崎くんも、おはよう」
「おはよう・・・」

 ついでみたいに言われて、春雄が一気に落ち込んだ。綾峰さんは一瞬あちゃーって感じの少しだけ後悔した表情を浮かべてから、春雄に向かってにこりと可愛らしい微笑みを浮かべた。

「鈴崎くん、ごめんね。でも、佐原くんは特別だから、しょうがないの」

 ちょっとだけ『特別』にアクセントを置いて、綾峰さんは幸せそうに顔を赤らめた。それはそれでとても魅力的な顔だけど、ぼくのこころは嵐の大海原並に危機感を感じてた。
 『特別』って言われて、嬉しくないはずがない。でも、この状況は・・・。

「だって、佐原くんは、わたしのご」
「はいはいはいはい、ちょっとトイレいくよー、遥借りてくからねー、ごめんねー」
「きゃあ、澪くびっ!くびしまっ!」
「はいはい、寝言は後で聞くからねー」
「きゅう・・・」

 ・・・えと。
 怒涛の勢いであっけに取られて頭が真っ白になっちゃったけど、突風のように現れて綾峰さんを拉致ったのが、綾峰さんの友達の田嶋さんだ。丸くて分厚いメガネと、躍動感のあるポニーテールが特徴。ちょっと世のメガネ好きさん達のイメージと違うのは、メガネを取らなくても可愛い・・・というか、整った・・・というか、ハンサムな顔をしている所。擬音で言うならキリリって感じ。で、メガネを取るとキリリ度がアップするという・・・。
 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
 ぼくは、気持ちいいぐらいにしっかりと綾峰さんの首を絞めて、残像さえ残りそうな勢いで田嶋さんがトイレへ向かった、その原因がなんとなく判った。判った、ような気がした。

「なぁ・・・今の、なんだ?」

 まるで、どう反応していいか判らなくなるようなギャグを聞かされたみたいな苦い表情で、春雄はぼくに聞いた。

「んー、わかんないや」

 適当に流すぼく。
 だって、言える訳がない。
 綾峰さんが言おうとした、『だって、佐原くんは、わたしのご』に続く言葉が、『しゅじんさまだから』だったから、田嶋さんが止めてくれたんじゃないか、なんて。

・Master-03

 結局、アノあとで綾峰さんと田嶋さんは、朝のHPが始まる前には戻ってきた。それからは綾峰さんがちらちらとこちらを窺う様子にドキドキもしたけど、とくにイベントもなく、午前の授業を終えるコトができた。

「おい、なんだか酷く疲れてないか?」

 春雄が心配そうに聞いてくるのに、なんとか笑顔と呼べそうな表情を浮かべてみせた。
 ただ、春雄がそれでさらに眉間に皺を寄せたので、多分失敗だったんだと思う。

「あはは・・・だいじょうぶだって。それより、今日は工藤さんと一緒に食べるの?」

 工藤みどりさんは、驚く無かれ、春雄の恋人だ。
 珍しいことにぼくと同じくらい小柄で、いつも元気が身体から溢れ返ってるような、活発なコだ。いつも春雄とはどつき漫才をしてるけど、とっても仲が良い。
 で、春雄は時々工藤さんとお昼を一緒してるワケだけど、”時々”が”いつも”じゃないのは、ぼくに気を遣ってくれてるんじゃないかなって気がしてる。恥かしくて、春雄には聞けないけどね。

「ん・・・あ~、悪ぃ、約束してたわ」
「はっるおー、きたぞーっ」

 春雄の恐縮したような声に被さるように、教室の入り口から工藤さんが大声で春雄を呼んだ。背丈はぼくと変わらないけど、この物怖じしないところはぜんぜん違う。別のクラスに来てるっていうのに、まったく気にする様子もない。でも、それが嫌な感じじゃなくて、逆に気持ち良く感じるのは工藤さんの人徳ってやつかも知れない。

「あ、佐原くんだ。やほー」
「やほー」

 右手にお弁当を持って、左手でぱたぱたと手を振る工藤さんに、ぼくも挨拶を返した。なんだか近くにいるだけで、元気を強引に注入されるようなカンジ。いや、本当にありがたい。

「春雄、もらってくねぇ。ほら、春雄っ!はやくしないと、いい場所がなくなっちゃう!」
「判った、判ったからちょっと待てって。じゃあ、道明、あとでなっ」
「ばいばーいっ」

 嵐のように二人が立ち去ると、なんだか急に寂しく感じられた。本当はもっと友達をたくさん作らなくちゃいけないんだろうけど、どうも性格的になぁ・・・。

「佐原くん」

 なんだか食欲も無いし、今日は食べるの止めとこうかな。午後の授業で体育は無いし、別に部活動してる訳でも無いしなぁ。

「ねぇ、佐原くん」

 じゃあ、お昼休みはひたすら寝て過ごそうかな・・・って、なんでこんな至近距離に綾峰さんの顔がっ!!

「あ、やっと気が付いてくれた。なんだか魂が抜けちゃったみたいだったから、心配したんだからね」

 めっ、なんて感じで言う綾峰さんは、言葉ほどには怒ってないみたいだった。
 ぼくは、いまだにバクバクと音を立ててる心臓を手で押さえるようにして、目の前に立つ綾峰さんに目を向けた。

「うん、ごめん。・・・あの・・・それで、なにかぼくに用事?」

 そう口にして、自分で馬鹿な事を言ったと気が付いた。用事も無いのに、声を掛けるはずがないじゃないか。なんだか自分の要領の悪さに、悲しくなってくる。

「ええ。・・・もし良かったら、お昼を一緒に食べようかと思って。どうかな?」
「へっ?」

 なんだか照れたような口調で一気に言う綾峰さんに、ぼくが返せた反応は頭悪そうな疑問符だけだった。顔をますます赤く染めた綾峰さんと、頭の中が真っ白に染まったぼくが、視線を絡めあう。いや、別にロマンチックな感じじゃなくて、ただ凝固したぼくの視線がそっちを向いていただけってコトで、普通だったら女の子と見詰め合うなんて凄く恥かしいこと、出来るはずも無い。
 だから、綾峰さんがどんどん熟れたトマトみたいな顔色になっていくのが、どんな意味かなんて考えられなかったんだ。

「だっ、だからね、佐原くんのお弁当を作ったから、いっしょに食べて欲しいのっ!」

 ざわっ!
 綾峰さんの声に、教室がざわめいた。あぁ、なんてステキなデジャヴ。ぼくの背後から、女子の好奇の視線と、男子の殺気に満ちた視線が集中砲火。隊長!もう撤退すべきですっ!
 頭の中の軍曹が吐血しながら叫ぶって幻聴で、やっとぼくは意識を取り戻した。
 えと・・・確か、綾峰さんが一緒にお昼を食べようって言ってたんだよね。
 かなり青天の霹靂って感じだけど、うん、もうだいじょうぶ。

「・・・だめ?」

 なんてふうに頭を冷却してた間、ぼくがずっと返事をしなかったせいか、綾峰さんが今度は泣きそうになってた。それどころか、目の端には涙の珠だって輝いてる。ぼくは焦って、椅子から立ち上がった。

「ご、ごめんなさいっ!」

 取り合えず、謝らなきゃいけないって思った。けど。

「え・・・だめ・・・なんだ・・・」

 逆効果。
 決壊寸前のダムみたいな危機感が、ぼくの背中を駆け巡る。例えダムからの鉄砲水で溺れ死ななくたって、多分死ぬ。いや、絶対に死ぬ。ぼくの背中に突き刺さる視線の強さがそう言ってる。

「ちがっ!今のごめんなさいは、呆けてたコトに対するごめんなさいでっ!・・・えと、じゃあ、行こうか?」
「はいっ」

 うわぁ。
 ぼくの言葉の途中から、それはもう内側から光を放つみたいに綾峰さんの顔がほころんできて、ついには明るい笑顔に変わってしまった。
 そんなふうに喜ぶようすを見せられたら、それこそぼくは目が離せなくなってしまう。いまや教室中から集中する視線だって、気にもならないぐらいだ。だって、ぼくの言葉に喜んでくれたんだよ!それ以外のどんなコトだって、もう関係ないって思っちゃう!
 なんだかお酒に酔ったみたいにふわふわした気分で、ぼくは綾峰さんと一緒に教室を出た。もちろんお弁当の箱は、ぼくが持って。
 さっきまでの不調がうそみたいに、ぼくは気分が良くなってた。

・Master-04

 綾峰さんのリクエストで向かったのは、昨日の告白の、栗の木の下だった。栗の木を背に、校舎から見え辛い位置を選んで腰を下ろした。綾峰さんが用意してくれたシートの上で、まるでピクニックみたいにお弁当を広げる。

「うわぁ、すごいっ!」
「うふふ、そう?」

 ぼくの言葉に、綾峰さんは嬉しそうに微笑んだ。でも、なんの誇張も無しに、これは凄いと思う。
 二段のお重にはおにぎりとおかずがそれぞれ入っていて、まるで料亭の食事みたいに綺麗だった。鮮やかな色の煮物では桜型に刻まれたにんじんが鎮座しているし、こっちの出汁巻きは黄色じゃなくて金色に輝いているに見える。定番の鳥の唐揚げだって適度な大きさで美味しそうだし、このきんぴらごぼうだっていい匂いを放ってる。ぼくは思わず、喉をごきゅっと鳴らしてしまった。

「はい、これ使ってね」
「あ、ありがとう」

 そして手渡される、おしぼりと割り箸。あまりにも細かい心配りに、もうぼくは感動しまくり。割り箸を割る手が震えてたって、誰も馬鹿には出来ないと思う。

「さぁ、どうぞ。おにぎりのこの列は鮭で、この列が梅干、この列はツナマヨです。好きなだけ食べて下さいね」
「うん、いただきまーすっ」

 もう、止まらなかった。
 綾峰さんの極上の笑顔で勧められた、これまた極上のお弁当。
 しっかり握られているのに、口の中でほぐれるようなおにぎり。
 薄味なのに、しっかりと素材の味を活かした煮物。
 ふんわりと柔らかくて、舌の上で蕩けそうな出汁巻き。
 ジューシーで柔らかい鳥の唐揚げ。
 ごま油の匂いが食欲を増すきんぴらごぼう。
 目の前に、至福の具現が厳然として存在してた。

「うふふ、そんなに急がなくても、誰も取らないよ?」

 ぼくに水筒のお茶を手渡してくれながら、綾峰さんが嬉しそうに頬を染めた。それでぼくも我に返って、急に恥ずかしくなった。ぼくを見詰めている優しい視線からなんとか顔を逸らして、熱を持ち始めた顔を隠そうとした。
 まずいよ。ほんとに。
 こうして二人でいる事が、信じられないくらいに幸せで、頬が自然に緩んでいくのが止められない。ちょっと視線を綾峰さんに向けると、やっぱりぼくの方を見て、幸せそうに微笑んでる。
 昨日のアレは、きっと幻だったんじゃないかって、そう信じられた。
 だって、容姿端麗、性格温厚、料理上手、頭脳明晰、例えるならば完璧超人の綾峰さんが、あんな事を言う訳がないじゃないか。きっとあれは、『恋人になってください』って言葉を聞き間違えただけなんだよ。うん、そうに違い無い。
 ・・・。
 って事は、こうして二人っきりでいるのは『こいびと同士』ってことで・・・。
 綾峰さんと、恋人・・・。
 綾峰さんと・・・。

「ねぇ、動かなくなっちゃったけど、どうしたの?喉に詰まっちゃった?顔色もなんだか蒼くなったり赤くなったりしてるし。私、味付け間違えたかな?」

 言ってる途中で心配になってきたのか、固まったままのぼくにすりすりと近付いてきて──

「ちょっと、食べさせてね」

 はむ・・・と、小さな口で、ぼくの手に握られたおにぎりを食べる。

「うん、べつに変じゃないよね?」

 はむはむこくん、と飲み下して、安心したように独りごちる。
 ぼくの食べかけを。
 ヒトはそれを、間接キスと言うのではなかったっけ?

「あわわわわわわっ!!」
「きゃっ」

 突然恥かしさのあまり奇声を上げるぼくに、綾峰さんがびっくりして悲鳴を上げる。
 もうだめ。
 恥かしくて、顔を上げられない。
 顔が熟れ過ぎたトマトみたいになってるのが、発散する熱量から窺える。

「佐原くん、どうしたの?」

 本格的に心配してくれてるのは判るんだけど、そんな下から覗き込むようにして第3種接近遭遇されると、だめ、よけい逆効果。

「あああのっ、だいじょぶっ!だいじょぶだから、少し離れて!」

 これだけ言うのが精一杯。嬉しくて、恥かしくてなんて、言える訳が無い。
 でも、言葉にしなくても伝わったのか、それともぼくの照れが感染したのか、綾峰さんの顔も紅潮していく。あ、とか小さく口の中で呟いて、ぼくの顔をちらちらと覗き見ながら身体を離す。けど、最初に座った時の位置から比べると、ずいぶんと近付いているように思えた。

「ちょっとびっくりしちゃった。あの・・・お弁当がおいしくなかったのかと思っちゃって。ね、もし良かったら、まだまだあるから食べてね」

 綾峰さんはそう言って、でも胸が一杯になったみたいな表情で、お茶だけを口にした。でもそれはぼくも同じで、幸せだったり焦ったりで、もう食べられそうになかった。もったいないけど、箸を置かせてもらう。

「とっても・・・おいしかったよ。ごちそうさまでした」

 ぺこりと、頭を下げる。さすがに綾峰さんの顔を見ながらお礼を言ったんだけど、気恥ずかしい思いをした甲斐があったみたいだった。ほんのりと赤く頬を染めて、嬉しそうに微笑む綾峰さんは、どんなものよりも価値があるように思えたから。

・Master-05

 お昼休みは、あと30分くらい。
 ぼくは綾峰さんの発する柔らかい気配に包まれて、まったりと大きな栗の木に背中を預けて茫としてた。
 さっき、あれだけ焦ったからかも知れない。
 それとも、綾峰さんのあの笑顔を見たからかも知れない。
 今は不思議と、何かをムリして話さなくてもいい、そんな雰囲気があった。
 それは酷く自然で。

「──ねぇ、佐原くん」

 二人の間の空気を壊さないように、そっと綾峰さんが囁いた。
 ぼくを見詰める瞳が、まるで夜空の星々みたいに、キラキラと瞬いているようだった。ぼくは吸い寄せられるみたいに、綾峰さんから目が離せなくなる。

「ううん、ご主人さま」

 言い直す綾峰さんの言葉に、ああ、やっぱり昨日のアレは、夢でも幻でも妄想でも聞き間違いでもドッキリでもなかったんだなぁと、諦観にも似た思いと一緒に受け止めた。さすがに2回目ともなると、意識が冥王星あたりまで飛んで行っちゃうこともなくて、現実を逃避できないのって実は結構辛かったんだね、なんて考えた。
 涙が出ちゃう。だってぼく、普通のコだもん。

「・・・見て・・・ください・・・」

 ぼくが目の端に溜まった涙をどうしようかと思ってると、綾峰さんが立ち上がってぼくの前に来ると、それが自然な事であるみたいに、セーラー服のスカートをめくった。

「・・・え?」

 白と黒と赤。
 ぬめるように白い肌。
 慎ましやかに生えた陰毛。
 そして、鮮烈に肉の色を晒す秘所。
 綾峰さんは、スカートの下には下着を穿いていなかったんだ。
 むわっと匂いたつような、女のヒトの大事な所。綺麗で、いやらしくて、目が離せなくなる場所。
 ヒクヒクと震えているように見えるのは、恥ずかしいからか、嬉しいからなのか。

「ぜんぶ、ご主人さまのです。朝、澪ちゃんに人前でしたらだめって言われちゃったから、今だったらいいですよね?」
「あ・・・」

 息が苦しい。
 ぼくの呼吸はいつもよりも間隔が短いっていうのに、酸素が血液に入っていかないカンジがする。それとも、今吸ってる空気には、酸素が足りてないんじゃないだろうか。
 息が苦しい。
 はぁはぁというぼくの呼吸音と、どっくどっくと血が血管を流れる音、それが耳元で嫌になるくらい大音量で垂れ流されてる。

「触って・・・ください・・・。もう、さっきからずっと、こんなにトロトロになっちゃってるんです。わたしの身体、ご主人さまにさわって欲しがってるんですよ」

 もぞ、と綾峰さんが身体を動かすと、充血して微かに開いたあそこから、不思議な香りが漂ってきた。他に例えるのが難しい、不思議な匂い。でも、きっとそれがぼくの心臓をオーバーロードさせてる原因だ。
 またも、もぞっと綾峰さんの身体が動く。その時微かに、くちゅ・・・という音がした。
 濡れてる・・・そういう事なんだ。
 ぼくだって経験こそないものの、ある程度の知識は持っている。だから、女の子がえっちな気分になると、大事な所が濡れるっていうのは知っている。
 それは、男のものを受け入れる時に、粘膜が傷付かないようにする身体の機能だ。
 でも、そんなのがただの知識だって、今はじめて気が付いた。
 目の前にある濡れたアソコ。
 それは、ちっちゃなぼくの知識なんて吹き飛ばすほどの、圧倒的なリアルだった。

「ね、ご主人さま、どいういうふうにしても、いいですから・・・」

 おねだりする口調で綾峰さんが口にした言葉は、逆にぼくの身体を硬直させる。
 それで焦れたのだろうか、綾峰さんはスカートを左手だけで押さえると、自分の右手を濡れた秘所へと導いた。くち、と音をさせながら、複雑な形がすべて判るように、おおきく開いた。
 なんて綺麗なんだろう。
 なんて、いやらしいんだろう。
 こんなの見せられたら、男は逆らえるはずがない。

「う・・・うん・・・」

 ぼくは憑かれたように、ゆっくりと震える指を持ち上げた。自分の身体が自分の思い通りにならないような感じ。どこか他人事っぽく、ぼくは指が動くのを見ていた。
 ちゅくっ。

「んっ!」

 中指が触れた感触は、どこか唇に似ていた。上の方で綾峰さんが鋭い悲鳴を上げるのも、気にもならなくなってしまう。もっと触りたい。そんな考えが頭の中を埋め尽くす。
 ゆっくりと、第一関節までを潜り込ませる。すると、きゅっと入り口が締め付けてきた。ぬめぬめとして柔らかいのに、それだけで指を動かすのが難しくなってしまう。でも、それならそれで、やり方はある。ぼくは、指を小さく震わせた。

「あっ!あああああ!」

 綾峰さんの喘ぎが、ぼくの鼓膜を震わせた。顔を上げると、紅潮して悦びに蕩けそうな、綾峰さんの顔。泣いているような、笑っているような、どこか曖昧な表情で、ぼくを切なそうに見下ろしている。

「ん、ごしゅじんさま・・・もっと・・・もっと、さわって・・・」
「う・・・ん」

 そんな表情でお願いされて、断れる人間がいるワケがない。
 それに、力加減もこれぐらいで良さそうだし、なによりもぼくの動きひとつで綾峰さんは気持ちよくなれるって判った訳で、ぼくのこころの中で自信めいたものがたぎるのが感じられた。
 さっきのきつい締め付けは、いまは断続的になっていた。だから、今度は前後に動かしてみた。それも、ただ動かすだけじゃなくて、指の腹であちこちを擦るようにしてみる。

「あっ・・・はああああっ、とけちゃう、とけちゃうよぉっ!」

 熔けちゃいそうなのは、ぼくのゆびのほうだ。
 綾峰さんのなかは、熱くて、きつきつで、まるで指先が生殖器のように気持ちいい。
 溢れる雫がぼくの手を濡らして、ますますイヤらしい匂いが強くなる。
 頭がふわふわとして、なんだか何も考えられなくなっていく。

「ひっ!あ、ああああっ!」

 どれだけそうしていたのか、気が付くと綾峰さんがいっそう高く喘いで、身体中の力が抜けたみたいにぐんにょりと、ぼくに抱き付いてきた。
 綾峰さんの粗い呼吸の音、微かな汗の匂い、熱く火照ったからだ、柔らかい感触、そういった綾峰さんを表すもの全てが、ぼくの五感を刺激した。
 これって、イったんだ・・・。
 もの凄い感動が、ぼくのココロを満たした。
 信じられないほど、嬉しい。
 ぼくは、両手を綾峰さんの背中に回して、ぎゅっと抱きしめた。
 愛しいって気持ちを、初めて理解したような気がした。

「あ・・・じかん・・・」

 どこか茫とした綾峰さんの声が、耳元で囁くように呟かれた。
 校舎から、休み時間が終る事を告げる予鈴の音が響いていた。

< つづく >

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