1章
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県立光陵高校は、街の外れに佇む歴史ある高校で、いじめや犯罪の無い、世間とは流れる時が異なっているかのように穏やかな校風だった。街の中に高校を建設しなかったのは、初代校長が自然の中で学生が育まれる事を願ったからだと言うが、そのせいか、ここに通う生徒の顔には、荒んだ雰囲気は無い。生徒達が不満に思うのは、少し遠い場所という事と、近くにコンビニが無いという事ぐらいで、概ね良好な環境と言えた。
光陵高校に向かう朝の通学路に、隠れたアイドルとも言うべき存在が歩いている。
一人目は、艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、左右の耳の脇の一房をそれぞれ紐で結んでいる少女。少し伏目がちの憂いを含んだ表情が、美しく整った顔を彩っている。今年2年生で、潮崎瀬蓮と言う名だ。
二人目は、潮崎夕緋。瀬蓮の妹で、肩にかかるストレートの黒髪に、右耳の脇の一房だけを紐で結んでいる。自分の心の奥底を読み取らせない、年齢に似合わないほど静かな表情で姉と話している。
二人の背後から、ぱたたたたと軽い足音が追いかけて来た。
「おっはよー夕緋ちゃん、瀬蓮先輩。今日もいい天気で良かったねー」
元気一杯に挨拶したのは、夕緋と同じクラスの神原美砂だ。部活は瀬蓮と同じコーラス部で、誰とでも親しくなれる天性の明るさのせいか、部のマスコットになっている。ショートの髪が、跳ねるように歩くリズムに合わせて、軽やかに踊る。
「おはよう、美砂ちゃん」
「おはよう」
潮崎姉妹が挨拶を返すと、嬉しそうに微笑んだ。その様子から、美砂がただの知り合い以上の好意を二人に抱いている事が伺えた。
「あのね、お兄ちゃんと美樹ちゃんもすぐに来るの!待っててもらってもいいですか?」
まるで無垢な小鳥のように、小さく首を傾げて訊ねる美砂に、瀬蓮が微笑みながら「ええ」と答えた。美樹は美砂の双子の妹、『お兄ちゃん』は美砂の兄で、瀬蓮と同じクラスに在籍している。
「今日もお兄ちゃんってば、ぎりぎりまでどたばたしてるんですよ。もう、イヤになっちゃう」
道の端に寄ってそう言いながら、それでも美砂は嬉しそうだった。まるで新婚の奥さんが、うちのダンナって・・・みたいな口調で言いながら、くすくすと笑う。
「なんだか、目に浮かぶみたいね」
瀬蓮が言うと、夕緋が頷く。そこに、当の本人が追い付いた。息を切らしている訳では無いが、服装の乱れが心の焦りを示していた。妹の美樹のペースに合わせて、ゆっくり走ってきたからだろう。
男子生徒は悟、女生徒は美樹。美砂の兄妹だ。
悟の顔はそれほど整っていないが、春の日にまどろむ猫のように、人を落ちつかせる雰囲気を纏っていた。背はそれほど高くは無いが、無駄な贅肉の無い、バランスの取れた体格に見える。
美樹は、美砂の双子の妹で、美砂と良く似た顔立ちをしていた。ただ、美砂よりも気が強そうで、瀬蓮と夕緋を見やる目には、少し鋭いものが混じっていた。
「よっ、おはよ」
「おはようございます」
朝の挨拶を爽やかに済ますと、五人は学校に向かって歩き始めた。ここまで来ていれば、普通に歩いても遅刻せずに済む。お喋りを楽しみながら、朝の通学路を歩いた。
「間に合って、良かったですね」
瀬蓮が、眩しいものを見るように目を細めて、悟に話し掛けた。語尾がほんの少しだけ、弾んでいる。もっとも、それに気が付くほど悟は鋭くは無さそうだったが。
「あぁ、オレだけだったら大丈夫なんだけどさ、妹達が待つって聞かないから」
そう口では言いつつも、悟の表情はまんざらでも無さそうだった。
「何よぉ!お兄ちゃんがもっと早く出れば、こんなに慌てなくてもいいのにっ!」
頬を膨らませて、美砂が怒った。悟の横で、美樹もうんうんと頷いている。瀬蓮はその様子を見て、笑いを押さえるのに苦労した。こんな口喧嘩をしていても、実は仲がいいのだ。きっと、指摘すれば否定するのだろうけど。
暫く不毛な言い争いをして、このままでは決着がつかない事に気が付いたのか、美砂は「ふーんだっ」と言い捨てると、夕緋の方に目を向けた。
「ねぇ、夕緋ちゃん、今からでもいいから、コーラス部に入ろうよ。楽しいよ!」
美砂は、夕緋と同じクラスという事もあって、いつも熱心に入部の勧誘をしている。だが、いつも夕緋はうん・・・とか言ってお茶を濁しているのだが。美砂は、少し沈みがちな夕緋の表情が、笑み崩れたのを見た事が無い。きっと、すごく可愛いはずなのに・・・美砂はそれが残念でしょうがない。
「うん・・・」
結局今回も、夕緋から良い返事は貰えなさそうだった。小さく苦笑すると、美砂は肩をすくめた。
「ちぇーっ。まぁ、この話はまた後でね」
「うん、ごめんね」
申し訳なさそうに謝る夕緋に、美砂は微笑んだ。夕緋が自分に対して、誠実であろうとしているのが嬉しいのだ。
「瀬蓮先輩もそうだけど、夕緋ちゃんも声がすっごくキレイだから、きっとすぐにソロパートを任されるぐらいになると思うんだけどなぁ~」
美砂は、放って置けない友人の、その才能を思って残念そうに言った。
「でも、潮崎姉妹はホントに声がきれいだよな」
悟がにこにこ笑いながら、会話に混ざった。まるで、自分の事のように嬉しそうだ。悟の後ろでは、瀬蓮が顔を赤らめているのだが、悟はまったく気付く様子も無い。
「うん、それに高音域がすっごく自然に出るの!まるでオペラ歌手みたい!」
「聞いてると、落ち付くんだよな」
「うんうん!」
調子に乗って誉めまくる二人に、瀬蓮が顔を赤くして近付いた。
「あの・・・別に、それほどって訳でもないんだけど・・・」
「それほどですよぉ!顧問だって誉めてますもん!もっと自信を持ってください!」
「え・・・ええ・・・」
なんだか、瀬蓮と美砂の会話は、先輩と後輩という気がしない。瀬蓮も神妙に受け止めて、頷いている。悟は小さく笑うと、足を速めた。
「さ、ゆっくりしてたら時間がぎりぎりだ。早く行こうぜ」
悟の言葉に頷くと、皆で光陵高校の門をくぐった。今日も、とても良い天気だ。
- 2 -
有田町第一公園・・・この公園はエッチ目的の恋人達が来る事で有名だった。夜ともなれば、公園内に点在するベンチは全て、愛を交し合う男女で埋まるという。
「ん・・・やっぱ止めようよぉ・・・」
「大丈夫だって。こんなとこに来るのは、同じ目的のやつらばっかりだって。気にする事ないさ。な、アヤ」
夏から秋に移りかけるこの季節にしては珍しく、この公園には一組だけしかカップルがいなかった。その一組も、微妙に女性側が乗り気でない様子だ。
「俺のこと、信じてくれよ、な?」
「だって、ヨウくん・・・んっ!」
男の右手が、アヤの脚の間に割って入った。ミニスカートを開くように、腿の内側を柔らかく触る。
「あん、恥ずかしいよぉ」
身悶えする身体を、男は左手で抱き寄せた。顔を赤らめて目をつぶっているアヤの顔に、一層欲情の度合いを深めて、滅茶苦茶にキスする。
「へへ・・・可愛いぜ。もっと見せてくれよ。お前の可愛い所」
「んっ!あ、いやぁん!」
男の手が、パンティの隙間から潜り込んだ。そのまま彼女の大事な部分を刺激する。羞恥に小さく暴れていた彼女も、少しずつ力が抜けて、男の胸に顔を寄せた。
「やはり猿ね、人間という生き物は」
夢中で弄り合う男女の耳に、妙に涼しげな声が聞こえた。急に近くで聞こえた声に、カップルはぎょっとしてその手を止めた。
「もっと続けてくれても構わないわよ。私の目的も、ソレだし」
「な、なんなんだよ、オマエ!」
その女は、いつのまにかベンチ脇に立っていた。黒を基調としたボディコンシャスな服を、女のめりはりの効いた身体が押し上げている。顔は・・・外国人だろうか、彫りが深い顔立ちで、女優と言われても納得してしまう程の美貌だった。さらさらと風に揺れる金髪が、薄暗い公園で光り輝くようだった。文句を言う事も忘れ、男は無意識のうちに、生唾を飲み込んだ。
「私の事はいいじゃない。それよりも、”セックスを続けなさい。激しくね”」
その言葉を聞いた途端、カップルの頭の中から、女の事が抜け落ちた。それどころか、今自分達がどこにいるのか、相手が誰なのか、まったく気にならなくなった。全ての意識が、セックスする・・・その一点に集中する。
男は、アヤのパンティを掴むと、一気に下ろした。彼女は、自分の服を引き裂くように、胸を露出させると、ブラをずらした。後は入れるだけという状況で、息を獣のように荒くして、男の股間を凝視する。
欲しい。欲しい。欲しい。アヤの脳裏にその言葉だけが乱舞する。
したい。したい。したい。男の頭の中から、それ以外が消失する。
「ああっ!ああああっ!!」
「うっ!あ、うああっ!」
濡れている彼女の中に、前戯も無く男が突き入れると、二人は周囲に遠慮せず、快感の声を高らかに上げた。快感に打ち震える僅かな時間も勿体無いと、激しく腰を振るい始める。濡れた肉を掻き回す湿った音だけでなく、打ちつける肉の音までも周囲に響く。
男は歯を食いしばりながら、アヤの胸に右手を伸ばした。テクニックも思い遣りも、愛情すらも無く、ひたすら乳房を捏ねまくる。指の間からはみ出した胸が、エロティックに形を変える。痣が残りそうな強引な愛撫は、アヤの身体をますます燃え上がらせた。
「ふふ。とても良い精気ね。でも、まだ足りないの。”もっとお続けなさい”」
ベンチの端に腰掛けた女が、揶揄するように二人の獣めいたセックスを見詰めながら、言葉を紡いだ。二人は女に目を向ける事無く、それでもその言葉に激しく反応する。
「ぐうっ、がああああぁ!」
「あああ!あぐっ!あああああっ!」
彼女の脚が、男の腰に絡み付く。手が背中に。だが、それは愛情が突き動かした結果では無く、ただ男を深く引き込む為の動作でしかなかった。腰の動きを制限された男は、その分強く深く自らの物を打ち付けた。
アヤの意識とは別に、彼女の秘裂は噛み付くように強く、男のものを締め上げた。それは強烈な摩擦を生じ、二人に等しく激しい快楽を伝える。結合部が蕩けるような激しい快感の中、数え切れない程抽送は繰り返された。
そして、どれ程腰の動きを続けたものか、二人の性行為に終わりが訪れた。男は口の端から泡を吹きながら、彼女の中に自分の全てを叩き込むように、精液を噴出した。
「あああああっ!」
男は身体を仰け反らせ、止めど無く射精し続ける。彼女の中で逆流した精液が、ベンチの上に垂れた。
「はい、お疲れ様」
二人の痴態にまったく影響されない、場違いなほど涼しげな声とともに、快楽に吼え続ける男の喉に、白くしなやかな指が触れ・・・切り裂いた。
頚動脈まで切断したのか、瞬間的に鮮血が噴き出して、快楽の余韻に半分意識を無くしているアヤに降り注いだ。服も、露出した肌も、男の血にまみれて赤く染まった。
「あ・・・はぁあ・・・あ?」
まだ頭が朦朧として働かないのか、彼女は降り注ぐ液体が何か、気付けないでいた。呆けたままで、身じろぎもせず、身体が濡れるに任せる。と、その頬に女の手が触れた。撫でるように、愛撫するように、アヤの頬についた血を、たおやかな指先で広げる。
「あん・・・あぁ・・・」
頬を撫でる指の動きも快感として受け止めてているのか、彼女は熱い吐息を漏らした。その上気した顔を嘲るように眺めて、女は指でアヤのわななく唇に触れた。口紅を引くように男の血を伸ばすと、小さく開いて喘ぎをもらす口に、血に濡れた指を突き付けた。
「さぁ、”お舐めなさい”」
ぴくん、と小さく震えると、アヤは舌を伸ばして、女の血に濡れた指を舐めた。恍惚とした表情で、指先から付け根まで丹念に舐めて行く。命令されてもいないのに、口に含んで吸う事すらして見せた。
「可愛いコね。ご褒美をあげるわ。そうね・・・”さっきよりも、激しく感じなさい”」
「ひぃっ!!」
それは、どれ程凄まじい快感だったのか、アヤは大きく目を見開き、身体中を硬直させるように仰け反った。男の血を洗い流すように、激しく汗が分泌される。
アヤがベンチからずり落ちないように、女がアヤを抱き止めた。その豊満な胸にアヤの頭を抱き寄せて、視線を下に向けた。そこには、極度の興奮に顔を出した、ピンク色のクリトリスがあった。
「ふふ、こんなにおっきくなるのね」
そう感心したように呟くと、指を伸ばしてピンっと弾いた。
「ひぎっ!うあああっ!!」
急に与えられた身体を引き裂くような快感に、アヤが獣の声を上げた。二度、三度と潮が噴き出し、女の手を濡らす。アヤはまるで溺れる人間のように、必死に女にしがみ付いた。もう、その女が自分を弄んでいると、判断する事さえ出来なくなっていた。
女は手についた潮を不思議そうに見詰めると、優しくアヤを抱き締めた。拷問にも似た快楽に震えるアヤの頭を優しく撫でて乱れた髪を指ですくと、愛を囁くように耳元に口を寄せた。
「もっと・・・もっとよ。”もっと激しく感じなさいな”」
「っ!!!」
もう、アヤは声すら出せなかった。呼吸もまともに出来ず、ひっひっという引きつるような声が小さく洩れる。
女はその様子をひどく楽しそうに・・・ひどく残酷に見遣った。このままではアヤは壊れる、そう判っていて、それでも面白い演技を見るように笑っていた。それは、小さい子供がアリの巣に水を流し込むような、蝶の羽をむしるような、そんな無邪気な残酷さ。
「まだだめ・・・”もっと、もっと激しく感じなさい!”」
「あ・・・」
ピシ。
何か糸が切れる、小さな音が聞こえるようだった。
アヤが壊れる様は。
人が決して味わう事が出来ない・・・破滅的な快感は、急激に高まった血圧で、アヤの脳を破壊した。それとも、アヤが壊れたのは呼吸困難で窒息した為だろうか。
アヤは、瞳孔の開ききった、開いているのに何も見ていない瞳を、虚空に向けていた。紅潮した肌が、全身を染め上げる男の血が、半開きの唇から力無く垂れた舌が、アヤに壮絶な美を演出していた。
「ふふ、ご馳走様。暫くは精気をお腹一杯に食べられないから、つい食べ過ぎちゃったわ」
満足した笑みを浮かべて言うと、女は抱き締めていたアヤの顔を、ぞろりと舐め上げた。ぴくりとも反応しないアヤを詰まらなそうに見て、その身体を離した。幼児が飽きた人形を投げ捨てるように、無造作にアヤだったものを、ごとりと地面に落す。
「さて、明日からのお仕事、がんばらなきゃね」
女は邪悪な笑みを浮かべて夜空を見上げた。雲一つ無い空に、すべての悲劇を抱き止めるように、月が冴え冴えと光を放っていた。
- 3 -
「おねえちゃん、起きてる?」
控えめなノックの音と、小さく押さえた声。瀬蓮の部屋を夕緋が訪れていた。
「うん。開いてるよ・・・どうぞ」
夕緋がドアを開けると、勉強机に向かっていた瀬蓮が振り向いて、夕緋を顔を向けた。髪を洗ってからまだ乾いていないのか、肩から腰に流れる瀬蓮の髪が、光に反射して艶やかに輝いていた。何度見ても、夕緋はその美しさに見惚れてしまう。夕緋にとって、瀬蓮は自慢の姉であり、コンプレックスを感じる存在でもあった。
「どうしたの、ゆうちゃん?」
少し訝しげに、瀬蓮が声を掛けた。自分から訪れておいて、惚けていた事に夕緋は赤面した。後ろ手にドアを閉めて、瀬蓮に近付く。
「おねえちゃんは・・・悟さんの事、好きなの?」
口篭もるように言う夕緋を、瀬蓮はイスに座ったまま見上げた。最初何を言われたのか判らなかった瀬蓮は、夕緋の言葉が頭に浸透してくるにつれて、顔を赤く染めた。
「そうなんだ・・・やっぱり」
「あああああのっ、ゆうちゃんっ!」
いつもあれだけ判りやすい態度を取っていて、誰にもばれていないとでも思っていたんだろうか?・・・多分、当の悟さんは気付いていないんだろうけど。
夕緋はうろたえる姉を見ながら、心の中で嘆息した。ある意味、似合いの恋人同士になりそうとは思うけど。
焦って意味も無く手を振り回す瀬蓮から顔を背けると、夕緋は瀬蓮のベッドに腰掛けた。目線が瀬蓮より低くなるが、見下ろすよりも夕緋には落着けるポジションだった。
「・・・告白・・・するの?」
夕緋の問いに、ますます瀬蓮は赤くなった。顔どころか、首筋まで朱に染まる。その姉の素直な女の子らしい様子を、夕緋は好ましく感じた。しかし・・・。
「えと、いや、ゆうちゃんあのね・・・」
意味の無い言葉を繰り返す瀬蓮を見て、夕緋は辛そうな表情を浮かべた。姉が本気であればあるほど、自分の経験から悲劇を連想してしまうから。
───なにこいつ、きもちわるーい───
いまだに忘れる事の出来ない幼い男の子の声を思い出して、夕緋はぎゅっと目を閉じた。その男の子の顔はもう思い出せないのに、いまだに声だけはを忘れる事は出来なかった。それほどに深く心に刻まれた悲しい記憶。
だから、言わなくちゃいけない。思い出させなきゃいけない。自分たち姉妹の事を。
「おねえちゃん・・・私達、普通じゃないんだよ・・・」
瀬蓮の言葉を遮るように呟いた夕緋の声は、瀬蓮の顔を強張らせた。照れて紅潮していた顔から、一気に血の気が引く。
「知ってるでしょ」
姉のその様子を見たくなくて、夕緋は視線を外した。自分からこんな事を言わなきゃいけないという事実に、憤りすら感じる。本当は誰よりも・・・ううん、自分たちの父と同じ位、瀬蓮の幸せを望んでるのに。
「・・・うん・・・そうだね・・・」
その声の寂しげな響きに、夕緋は胸が痛んだ。自分が望んでした事なのに。
「ごめんね、おねえちゃん。・・・でも、後になって後悔したくなかったから・・・それだけ。じゃあ、お休みなさい」
「うん、お休み」
夕緋は立ち上がると、瀬蓮の顔を見ないようにして、部屋から出た。隣の自分の部屋に入って、ベッドに倒れ込む。
「・・・もう、こんなの・・・やだよ・・・」
瀬蓮の部屋を出る時に、夕緋の視界の片隅で光っていたものは、瀬蓮の涙だったんだろうか。それを確かめる勇気は、夕緋には無かった。
- 4 -
「おにいちゃん!早くお風呂に入ってよ!片付かないじゃない!」
美砂が庭に面した廊下から、悟に向かって怒鳴った。子猫の戯れるイラストの入った寝間着は、美砂に良く似合って可愛かった。もっとも、ぷんぷんと頬を膨らませた表情は、まるで子供のように感じさせていたが。
「悪い!あともう少し!」
その庭は、庶民の庭とは思えないくらい、広く・・・自然石や樹木が多く彩っていた。ただ、人の手が入っているとは思えないほど、乱雑に配置されている。
悟は、自然石の一つに腰を下ろして、目をつぶっていた。リラックスした表情で、片膝を立てて休んでいるように見えた。まるで景色に溶け込むように自然な姿は、目で見なければそこに居る事を認識出来ない・・・それほど気配を希薄にしていた。
「もう!おにいちゃんが最後なんだから、お湯を捨てておいてよね!」
これもまた、神原家の良くある風景だった。悟は『修行』と称して拳法の型や、瞑想をしたりする事が多かった。没頭すると、日常を忘れるぐらいに。
「ああ、判った!」
美砂は小さく嘆息すると、窓を閉めた。別に、悪い遊びにハマるよりは良いのだけど、今時の高校生の趣味が格闘家というのもどうか。
───やっぱり、彼女を作らないとダメだよね・・・。
美砂は一人で決意を固めると、居間に戻った。今日はお気に入りの番組があるから。
- 5 -
「あ・・・んふ・・・んぅ・・・」
暗い部屋に、吐息にも似た小さい声が響いた。私の熱い思いのこもった、秘めやかな声。
ベッドに頭まで潜り込んで、寝間着の隙間から両手を差し込む。小さな胸は強く触ると痛いけど、やわやわと刺激すると、身体中が熱くなって来るほど気持ち良い。
女の子の大事な所も、指を押し付けるようにしてあげると、ずぅんってして気持ち良い。
いつから、こんな事を覚えたんだろう。
「あ・・・ぅん・・・」
さっきよりも、大きな声が出てきた。頭の中まで熱く蕩けて、このえっちな声をあの人に聞いて欲しいと思ってしまう。そんな訳には行かないのに。
でも、私がどれだけ好きなのか、知って欲しい。望まれるなら、もっと凄いことだってして見せるのに。
「ん・・・ふ・・・あ、いや・・・」
背中がぞくぞくする感じが強くなる。あの人が隣の部屋にいる、そう想うだけで身体が悦ぶのが判る。すぐにもイッてしまいそうだった。
左手の指先で、胸の頂きを優しくなぞった。ピンっと尖ったそこをくりくりと弄くると、身体が小刻みに震えた。付け根を押し上げるようにすると、電気が身体中を駆け巡る。
右手の指先で、強すぎないようにクリトリスを擦る。時々濡れたアソコにも指をやって、愛液をまぶしながら。それは、頭が空っぽになるぐらい気持ち良かった。気が付くと、腰が勝手に動いて、指を追っかけていたりする。自分のいやらしさを見せ付けられるようで恥ずかしいのに、熱く燃え盛る身体は止まらない。もっと、もっとって叫んでるみたいだった。
「んふっ!ん、んぅー!」
頭の裏側で、ちかちかするものが見えた。私がイッちゃう時は、いつもそうなる。声を押さえる為に、枕カバーの端を噛み締めた。
「ん、うぅー!」
身体中がちりちりして、電気を流されたように何度も何度もぴくぴくした。愛液が滴って、指を濡らすのが感じられたけど、あまりに気持ち良すぎて、指一本動かす気にならない。
「あ・・・あは・・・ふぅ・・・」
少しずつ鼓動が収まってくると、今度は罪悪感が湧き上がってきた。これも、いつものこと。愛液に濡れた指やアソコが気持ち悪く感じられて、なんだか情けなくて、目に涙が浮かんできた。感情が昂ぶって、嗚咽が漏れそうになる。いつものことだけど、こうなるのが判っているのに、それでも止められない・・・ひどい話と思う。
「おにいちゃん・・・」
口にすると、一層切なさが募った。
- 6 -
今日は朝礼があって、光陵高校の全生徒は校庭に整列していた。いつもなら気だるい雰囲気が満ちている朝礼が、今日に限っては不思議と熱気が校庭を包んでいた。
「あー、急な話だが、先日校医の鈴木先生が退職され、代わりに岬恵美先生がみんなの面倒を見てくれる事になった。あまり迷惑を掛けないように!それでは岬先生、宜しくお願いします」
校長の言葉に、生徒達・・・特に、男子生徒からどよめきが上がった。今日の熱気の原因となっている女性が、今壇上に上がろうとしている。
それは、透けるような金髪を背中に無造作に伸ばし、引っ掛けたように白衣を纏う、魅惑的な瞳の美女。階段を一歩上る毎に、白い白衣を割って、すらりとした脚が見える。豊かな胸が、女性の動作に合わせて揺れる様子は、芸術的と言えた。
「ご紹介に預かりました、岬恵美と言います。保健医として皆さんのケアをがんばりますので、ヨロシクね」
にこやかに微笑んで、岬は頭を下げた。岬のハスキーな声は、少し気が強そうな印象を与えながら、その美しい響きに聞く者を酔わせる・・・それほどの美声だった。高校のあまり質の良くないマイクとスピーカーを通して、それでもなお全校生徒の鼓膜を甘く震わせる。
今、岬の目の前に全校生徒が並んでいる。陶然とこちらを見上げている様子に、岬は妖しく、艶然と微笑んだ。
< 続く >