セイレーン 2章

2章

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 潮崎家の朝は、父親の達哉が作る料理の匂いで始まる。瀬蓮と夕緋を小さい頃から一人で育ててきたせいか、達哉の炊事・洗濯・掃除の腕前はかなりのものだった。特に料理は、見た目や味だけでなく、栄養のバランスの取れた文句の付けようの無い出来だった。それは、達哉が医者だからかも知れないが。
 潮崎達哉は、細いというよりひょろりといった印象の男性だった。柔和な顔に優しい笑みを浮かべているが、軟弱というマイナスのイメージは見受けられない。例えその身にフリル付きのエプロンを付けていようとも。

「お、娘さん達おはよう。今出来た所だよ」

 小さい掛け声と一緒に、フライパンの中のプレーンオムレツの形を整える。形良く加熱されたオムレツは、焦げ目も無く金色に輝いていた。それを見た瀬蓮が、目を細めて微笑んだ。

「おはよう、お父さん。いつもありがとう」
「なに、ぼくがエリーの代わりをするのは当たり前だよ」

 本来の戸籍上では、瀬蓮達の母親は『潮崎絵里』となっている。だが、それは達哉が裏で買った戸籍だからだ。瀬蓮達には嘘は吐きたくない達哉は、その事情を全て話してある。だから、家族だけの時の呼び方は、『絵里』ではなくて、『エリー』なのだ。

「おはよう」

 瀬蓮に続いて入ってきた夕緋は、微笑みながら挨拶した。それは、学校で夕緋を知る者にとって、信じられない光景かも知れなかった。夕緋が翳りの無い、明るい笑みを浮かべて挨拶するなど・・・。瀬蓮は少し寂しげに夕緋を見遣ってから、自分の席についた。
 テレビからは、朝のニュースが流れている。先日の有田町第一公園で発見された変死体の続報だが、取り立てて目新しい情報は無い様で、住民の不安や大型獣の可能性、警察の警戒体勢などについて語られていた。

「・・・有田町第一公園って、結構近いよね。犯人って、野犬とかなのかな?」

 瀬蓮がぽつりと呟くと、達哉が安心させるように笑いながら、テレビのチャンネルを変えてしまった。朝なのに、芸能レポートめいた番組が流されている。

「さぁ?でも可愛いお嬢さん方は、人通りの無い所や、夜は出歩いちゃいけないって事だよ。まぁ、娘さん達にはあまり聞かせたく無いたぐいのニュースだね」
「うん、暫くは早く帰るから大丈夫。安心してね、お父さん」

 夕緋がサラダをフォークで刺しながら、明るく言った。瀬蓮もその言葉に頷きながら、オムレツを口に運ぶ。その柔らかさに、思わず口が微笑んだ。

「今日のオムレツは、結構良いできだろう?エリーの味に近付けたって気がするんだけど」

 にこにこ笑いながら二人に問う達哉は、とても嬉しそうだった。瀬蓮はまたか、と小さく苦笑する。達哉がエリーの話しを嬉しそうにするのは、いつもの事だから。

「でも、まだまだエリーには全然敵わないんだけどね。ああ、娘さん達にも食べさせてあげたかったなぁ。口に入れただけで蕩ける、幸せ一杯のオムレツ・・・まさに愛情の味だったよ」

 べた褒めの達哉の言葉に、夕緋も苦笑した。

「お父さんって、いつもそれなんだから・・・。美化しすぎじゃないの?」
「別に美化なんてしてないよ。例え種族が違ったって、お父さんにとってはそれだけ素晴らしい女性だったって事だよ」

 聞いている方が赤面しそうな台詞を言うと、達哉はスープを口に含んだ。

「はいはい、どうもごちそうさまです」

 色々な意味を込めて言うと、瀬蓮は食器を流しに持って行った。後から付いてきた夕緋の食器も一緒に手早く洗うと、まだゆっくりと朝食を食べている達哉に声を掛けた。

「それじゃあお父さん、行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
「行って来ます」
「はい、気を付けてね」

 にこにこと二人を送り出すと、達哉はその顔を曇らせた。壁際の棚の上のエリーの写真を見詰めると、小さく独白する。

「異種族だって、人間と幸せになれるんだよ・・・。ね、エリー・・・ぼくと暮らした数年は、幸せでいてくれただろう?少なくとも、あの時まで・・・」

 達哉は、苦い記憶を呼び覚ました。それは、余りにも苦い、生涯で最悪のミスの記憶だった。

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 北海道の、国道というのもおこがましい小さな道を、月明かりの下、4WDで疾走していた。隣には青ざめたエリーが、決意を秘めた顔で正面を睨んでいる。幸いな事に、友人に瀬蓮と夕緋を預けているので今は二人だけだ。いや、追跡者を入れれば三人か。

「ねえ、振り切れたかな?」

 ぼくが尋ねると、エリーは目を瞑って、何かを聞き取ろうとした。ぼくには、4WDのエンジン音しか聞こえないけど。

「だめみたい。音がだんだん近付いて来てる」
「なんとか街まで逃げ切れれば・・・」

 Lahaaaa!

 ぼくの言葉に被せるように、美しい声が響いた。エリーにも負けないほど美しい人外の声。次の瞬間には車内に衝撃が走り、コントロールできなくなった4WDは道から外れた。あれだけスピードを出していて転倒しなかったのは、偶然とはいえ運が良かった。
 4WDが使い物にならないと判断すると、ぼくとエリーはシートベルトを外して、急いで外に飛び出した。

「あら、そんなに急いで、どこに行くのかしら?」

 ぼく達が車から10メートルも離れないうちに、背後から声が掛かった。エリーに良く似た声。エリーの声から温かみが欠けたらこうなる・・・そんな声。ぼく達はゆっくりと振り向いた。

「せっかく数年振りに会ったんだから、お話ぐらいしましょうよ」

 そこには、4WDの点きっ放しのライトを背に、金髪を風になびかせた女性の影。コートを纏った身体がライトに照らされて、そのラインを浮かび上がらせていた。その表情は逆光で見えないが、不思議と微笑んでいるのが判った。なのに・・・ぼくの身体は、震えが止まらなかった。まるで、猛獣と武器も持たずに対峙しているような、一瞬後の自分の死が目に浮かぶような、純粋な恐怖を感じる。

「お話だけなら構わないわよ、エレナ」

 いつもの穏やかさからは想像できないほどの棘を込めて、エリーが言う。すぅっと細めた目が、エリーの覚悟を物語っていた。

「もちろん、お話だけで済む訳が無いじゃない」

 いやぁねぇ・・・そんな風に続きそうな口調で、エレナは口元に手をやって笑う。その手はライトの強力な光りの中で、微妙に歪んで見えた。

「その男と、あなたの娘さん達は・・・殺すわね」

 まるで、なんでも無い事のように、さらりと言う。その瞬間、ぼくの身体を怒りが包んだ。瀬蓮と夕緋を殺す?何の怨みがあってそんな事を言うんだ!

「だって、それでやっと元通りだもの」

 残酷なまでに嬉しそうに、エレナは笑った。その言葉を聞いて、エレナがぼくの方を見ない理由が理解できた。エレナにとって、ぼくは元々存在していないからだ。少なくとも、同レベルの命とは見て貰えていない。それはあたかも路傍の石のように。

「もう、戻る気は無いのよ、エレナ・・・姉さん」
「大丈夫、少し静かにしていれば、全て元通りよ」

 エリーの声を無視するように、噛み合っていない事を言うと、エレナは右手に力を込めた。瞬間、エレナの右手の爪が50センチほど伸びた。禍々しく、美しい凶器。

「達哉・・・手を出さないでね。わたしがなんとかするから」

 そう言うと、ぼくが反応するよりも早く、エリーが飛び出した。速い。エレナとの距離が、瞬きするよりも速く、無限にゼロに近付いて行く。
 ギッ!そう空気が軋むような音を響かせて、二つの影は一つに重なり・・・すぐに二つに分かれて対峙した。
 4WDの上に立ったエレナは、なんらダメージを受けていないように見えた。対してエリーはダメージこそ負ってはいないものの、息が荒くなっている。それは、純粋に強いのがどちらかを示していた。それでも、エリーは諦めずに攻撃を開始した。
 月明かりの下、二人は残像を残すほどの高速で移動し、攻撃しあった。その速さに、これだけ離れているのに、ぼくは目で追うのがやっとだった。何も出来ない事が悔しくて、ぼくは唇を噛み締めた。

「あぐっ!」

 何度果敢に攻撃した後か、エリーが悲鳴を上げると動きを止めた。エレナと密着する程の至近距離で、二人は見詰め合った。
 エリーは余裕の無い表情に苦痛を浮かべて。
 エレナは些細な悪戯を見咎められたような笑いを浮かべて。

「ごめんね。でも、ダメージを与えておかないと、エリーは邪魔するんでしょう?わたし、邪魔されるのも逃げられるのも嫌だもの」

 エレナの右手の爪が、エリーの脇腹を切り裂いていた。溢れ出す鮮血が、エリーの白いセーターを赤く染めて行く。

「う、うわぁあああっ!」

 ぼくは叫びながら、二人の方へ駆け出した。頭の中が真っ白になって、それでも医者を目指す者特有の冷静さで、心のどこかで認識してしまっていた。致命傷。出血量が多すぎる。重要な臓器のダメージ。失血。死。白いセーターを染める、紅い領域。死。死。死。・・・恐怖。

「・・・油断、したわね」

 ぼくの方を見たエレナに、エリーは呟いた。え、と驚きの声を上げるエレナの腹部に、エリーは軽く掌を添えた。触れる、ただそれだけの行為に見えたそれは、ズクン!と身体の芯に響くような音と共に、エレナを吹き飛ばした。

「がっ!」

 その悲鳴はどちらが上げたのだろうか。エレナは吹き飛ばされた衝撃で何度も地面をバウンドし、ぴくりとも動かなくなった。しかし、攻撃したエリーも、エレナを吹き飛ばした事が仇になったか、更に深く傷口を切り裂かれていた。

「エリー!なんて・・・なんて無茶を・・・!」
「いたた・・・だ・・・だいじょうぶ・・・いたいけど・・・あは・・・」

 蒼白な顔で笑うエリーを抱き上げると、ぼくは街の方角に向かって走り始めた。一刻も早く治療しないと、エリーが助からない・・・それしか考えられなかった。
 それは、致命的なミスだった。戦う事が不慣れなどと言う事が言い訳にもならない程の・・・ミス。

「ふふふ、凄いわね、エリー」

 先程エレナが転がっていたあたりに、ゆらりと立ち上がる影。声はそこから聞こえてきた。エレナは、死んだ訳では無かったのだ。

「さすがのわたしも、すぐには回復出来ないわ。だから・・・お逃げなさい。逃げ切れたら、あなた達の勝ち。逃げ切る前にわたしが回復したら、わたしの勝ち。こういうのをこの国では鬼ごっこって言うのよね?」

 ショックを受けたぼく達を楽しげに見遣りながら、エレナが笑った。ダメージの余韻で身体をよろめかせながら、それでも嬉しそうに頬を歪める。

「ほんのちょっとだけど、失神しちゃったわ。でも、もうそんな失態はしないから」

 それは、チャンスを活かし切れなかったということを、思い知らせる為の言葉だった。ぼくを嬲る為の、明るく悪意に満ちた言葉。

「ほら、早く逃げないと、わたしが復活しちゃうわよ」

 ぼくはエリーを背負うと、後ろも見ずに走り始めた。いつまでも、エレナの嘲笑が追い掛けてくるようだった。

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 あの後、エリーは負傷したまま一人でエレナに立ち向かい、達哉はエリーに操られ、一人で逃げ去る事となった。後日その場所には、エリーの服の切れ端と大量の血痕だけが残されていた。恐らく・・・エリーはほぼ相討ちの状態に持ち込んで、逝ったのだろう。そうでなければ、すぐにでもエレナに達哉達は殺されていたはずだ。
 達哉は、結局警察に捜索依頼を出すと、心に傷を負いながら北海道を後にした。瀬蓮や夕緋がいなければ、どんな事をしてでも仇を討ちたかったのだが。

「・・・あれは、エレナの仕業だ・・・」

 ぽつりと、達哉は呟いた。
 公園で見付かったと言う死体。それは、13年前にあった事の再現だ。あの時も、エレナに襲われる前に、街で惨殺死体が発見されていた。
 今更という気もするが、逆に言えば、今まで探し続けていたとも言える。その執念は有限の命を生きる人間には、理解し難いものだった。
 達哉は受話器を取ると、ある番号に電話した。

「潮崎ですけれども・・・やあ、峰岸さん、朝早くから済みません。例の品物がいつ届くか確認したいんですけど・・・ええ・・・今日の夜?・・・ええ、助かります。後で取りに伺いますから。はい・・・じゃあ」

 峰岸はこの付近を牛耳るヤクザの幹部で、今まで公に出来ない傷の治療を請け負う事で、達哉との間にパイプが出来ていた。今の電話は、昨日のニュースを見てすぐ銃を購入すべく、峰岸に依頼した結果の確認だ。
 電話を切ると、達哉はエリーの写真に視線を戻した。

「エリー、今度は負けないよ。見てて欲しい」

 今度は逃げない。達哉は静かな決意とともに、最愛の女性に誓った。

- 2 -

「ねぇ、夕緋ちゃん、ちょっといいかな?」

 放課後、帰宅しようとする夕緋を呼び止めたのは、神原美砂だった。夕緋は、周りの生徒に”神秘的な表情”と評される表情を変えずに、美砂に向き直った。

「あのね、瀬蓮先輩とお兄ちゃんの事なの」

 周りに聞こえないようにひそひそ声で、夕緋の耳元に口を寄せながら続けた。その事を予想していた夕緋は、少し眉をひそめた。なにしろ昨日、自分で瀬蓮を傷付けたばかりだ。出来れば関わりたくない話題だった。

「あの二人って、お似合いだと思うの。くっ付けるの、手伝ってくれないかなぁ?」

 夕緋の正面から期待に満ちた瞳で見詰める美砂に、夕緋は顔を逸らせた。夕緋にとって、美砂のあけすけな態度は、昔の傷を思い出させて・・・痛い。

「いや・・・かな・・・。あ!もしかして夕緋ちゃんも、お兄ちゃんの事・・・?」

 途端に夕緋を心配そうに見詰める美砂に、夕緋の胸の奥がざわついた。それでも、自分の事を気遣ってくれる美砂に、当たる訳にはいかない。
 ───自分達の事を、何も知らないクセに───
 そんな事を言う資格など、自分には無い事を夕緋は知っているから。

「・・・ううん。そうじゃない・・・。そうじゃないけど、なんで美砂ちゃんは、お姉ちゃんと悟さんをくっつけようとするの?」

 直接的な返答を避ける為に口にした疑問は、意外なことに美砂を考え込ませる事になった。右手の人差し指を額に当てて、美砂はあれ?という顔をしている。

「えと・・・瀬蓮先輩がお兄ちゃんのことを気にしてるから・・・だけじゃダメ?」

 首を小さく傾げながら、美砂が微笑んだ。考え無しととられても仕方が無い状況だが、悪気のない美砂の表情が夕緋の心を和ませた。それは、悲観的に過ぎる夕緋の悩みを吹き飛ばすように、底抜けに明るく。

「いいよ」

 気が付くと、夕緋はそう言っていた。
 美砂は夕緋を見詰めて、珍しいものを見たように驚いた。夕緋の言葉もそうだが、その時夕緋は小さく・・・でも、確かに微笑んでいたから。

「・・・うん・・・うんっ!ありがとう、夕緋ちゃんっ!!」

 満面の笑みを浮かべて、美砂は夕緋の両手を取って、優しく握り締めた。戸惑う夕緋に笑い掛けながら、両手をぶんぶん振る。
 そんな二人を、美樹は少し不愉快げに顔を歪めて、距離を置いて見詰めていた。

- 3 -

「ねぇ、このお話・・・知ってる?」

 エリーが嬉しそうに手にしているものは、人間が書いた童話だった。確か、アンデルセンとか言う人間だったかしら。海辺で大きめの岩の上に腰掛けていたわたしに、エリーはにこにこと微笑みながら近付いて来た。

「わたし、すっごく感動しちゃった!人と人魚の切ない恋のお話!わたしも、こんな恋をしてみた~い!」

 大事そうにその本をぎゅっと胸に抱き締めると、エリーはうるうるした瞳で遠くを見詰めた。わたし達にとって、人間は対等の存在じゃない・・・そんな事も忘れてしまうぐらい、エリーは舞い上がっていた。
 わたしはエリーが大好きだったけど、人間なんていう下等な生き物に幻想を持つ今の姿は、まるで別世界の存在のようで、少し苛立たしい気持ちにさせられた。だから、エリーが人間を弁護すればするほど、わたしは人間を嫌っていったのだと思う。

「そう?人間なんて、わたし達からすれば、餌以外の何物でも無いわよ」

 わたしは下らないものを吐き捨てるように、言った。
 少し上目遣いに、エリーはわたしを見詰めた。その瞳に浮かぶのは、夢を否定された悲しみと言うよりも、わたしに対する同情のように感じられて、より苛立たしさが増した。

「でもね、エレナ・・・。人がただの餌だと言うのなら・・・」

 その後のエリーの言葉は、何故かわたしの記憶に残っていない。そのクセ、ふと気が付くとあの時の会話を思い出している自分がいる。まるで喉に小骨が刺さったように、いつまでも自己主張を止めない記憶。いっそ忘れられたら気楽なのに。
 それでも、大事なエリーとの記憶だから、忘れられるはずが無いの。だからまた、ふとした瞬間に思い出すんだわ。

 ・・・あの時エリーは、何て言ってたんだろう?って。

 ・
 ・
 ・

 保健室には、熱気が立ち込めていた。カーテンを締めて、ドアにも鍵を閉めている今、まったく外界と隔離されたままで、ただ熱気だけが充満していく。どこにも逃げ場の無い熱気は、次第に純度と密度を高めていくようだった。

「はっ、はぁっ!う、ああぁん!」

 室内にたった一つだけあるベッドに、二人の女生徒が並んで腰掛けている。一人は元気そうな印象の、短めの三つ編みの少女。もう一人は少しおとなしげな感じの、丸い眼鏡をかけたおかっぱ頭の少女。どちらも可愛らしい顔を快楽に火照らせ、目を瞑ったままで喘いでいる。
 それは、異常な光景だった。誰も・・・自分さえも愛撫していないのに、身体だけが昂ぶっていく、そんな状況。快感にぎゅっと閉じられた瞼は、不安や恐怖の欠片も浮かべずに、淫蕩に歪んでいた。
 岬恵美・・・エレナは、エリーの思い出から現実に復帰した。先ほど掛けた暗示に、幼い身体を震わせている少女達を見て、自分が”食事”の最中だった事を思い出した。もっとも、人間達に怪しまれる訳には行かないから、あまり目立つような・・・後処理に困るような”食事”は出来ないのだが。

「ふふ、放っておいてごめんなさい。それじゃあ、”二人で愛し合いなさい”。たっぷりとね」

 エレナが言うと、三つ編みの少女が右手を伸ばした。目を瞑ったまま、手探りでおかっぱ頭の少女のスカートを捲り、腿を撫でるようにしながら脚の付け根に進めていく。おかっぱ頭の少女は、誘うように脚を開いた。

「んっ!」

 おかっぱ頭の少女は小さく声を上げると、仰け反るように喉を晒した。三つ編みの少女の指が、脚の付け根に辿りついたからだ。

「あら、気持ちが悪くなったあなたを連れてきてくれた友達に、今もしてもらうだけ?ちゃんと感謝の気持ちを持たなくちゃダメよ?」

 エレナに言われたからか、おかっぱの少女は身体の向きを変えて、三つ編みの少女にしがみついた。そのまま、軽く触れるようにキスをする。もともとの経験が無いのか、ただ触れ合うだけの唇に、陶酔の表情を浮かべている。

「んぁっ!」

 今度は、三つ編みの少女が顔を仰け反らせた。おかっぱ頭の少女がお返しとばかりに、指を秘所に差し込んで来たからだ。今まで未知の快楽に炙られてきたそこは、まるで自分から指を引き込むような動きを見せた。

「はぁ、あ・・・ん・・・。うふふ・・・」

 三つ編みの少女の反応が嬉しかったのか、おかっぱ頭の少女は小さく笑い声を上げると、中の感触を確かめるように、柔らかく指を躍らせた。深くまでいれようとしないのは、やはり怖いからだろうか。

「あ・・・ああぁ・・・もっと・・・」

 三つ編みの少女の喘ぎは、おかっぱ頭の少女をより積極的にさせた。ベッドの上に押し倒すと、三つ編みの少女のパンティを脱がし、自分から逆向きに跨る。三つ編みの少女の秘所は、蜜を多量に分泌して、妖しく輝いていた。早く愛して欲しいと、小さく入り口を開いて震えている。

「きれい・・・」

 おかっぱ頭の少女は食い入るように見詰めると、躊躇う事無く口を近付けた。どうしたらいいのか判らずに、取り敢えずその場所を舐め上げた。

「きゃうっ!」

 大きな声を出すと、上に乗っかっている少女を跳ね飛ばすほどの勢いで、三つ編みの少女は身体を仰け反らせた。驚いたおかっぱ頭の少女は振り向いたが、三つ編みの少女の顔に嫌悪の表情が浮かんでいない・・・それどころか恍惚と魂を抜かれたような悦楽の表情を浮かべているのを見て、安心したように愛撫を再開した。

「ひっ!ふあぁんっ!あくっ、ああっ!」

 おかっぱ頭の少女の拙い舌遣いに、それでも過剰なほどの反応を見せる三つ編みの少女。眼鏡がずれるのにも気付かずに、おかっぱ頭の少女は嬉しそうに舌を踊らせ続けた。

「ほらほら、あなたもされてるだけじゃ、ダメでしょ。そうね・・・クリトリスを可愛がってあげなさい」

 三つ編みの少女は、悦びの涙を流した目を薄く開き、自分の顔の上にあるパンティを下ろそうとした。しかし、脚を開いている為に腿の途中でそれ以上は下ろせずに、仕方なく手を伸ばした。

「え?ああっ!!あぁん!」

 今度は、おかっぱ頭の少女が嬌声を上げた。三つ編みの少女の指が、クリトリスを剥き出しにして、付け根の当たりを柔らかく愛撫したからだ。滴るほどに溢れた愛液が、下にいる三つ編みの少女の恍惚とした表情を浮かべる顔を汚した。

「そ、そこっ!ひゃぁあん!」

 可愛い悲鳴を上げると、おかっぱ頭の少女は三つ編みの少女のクリトリスに唇を当てた。そのままチュっと音をさせて、吸い上げる。二人はお互いを攻撃しあうように、何度もそこを責め続けた。快楽のテンションが天井知らずに上がり、頭の中が真っ白い光で埋め尽くされる。

「あ、ああっ、あああぁあっ!!」
「んふっ、あん、いく、いくぅっ!!」

 二人の少女は同時に身体を突っ張らせると、大きく悲鳴を上げて絶頂に達した。重なり合うように倒れ伏すと、ぴくんぴくんと何度も身体を震わせる。

「うふふ、ごちそうさま。ふたりとも可愛かったわよ」

 エレナは二人を見下ろして、艶やかに微笑んだ。良質の精気に、力が満ちていくのが実感出来る。さらさらの金髪を後ろに流すと、エレナは立ち上がった。

- 4 -

「そう言えば、保健室の岬先生って、ヘンだよね」

 美砂は、図書室で夕緋と向かい合わせに座りながら、秘密の話しをするように、小さな声で囁いた。瀬蓮と悟をくっ付ける、その為の話しをする為に来たのだが、美砂の話題はまるで、流れる川のように留まる事を知らない。今も突然、思い出したように別の話題が出てきた所だ。

「そうなの?」
「そうなのっ!」

 夕緋が訝しげに聞き直すと、美砂は自分が抱えている秘密の大きさに興奮して、声を大きくした。すかさず周りから掛けられた「しぃ~っ!」という声に、代わりに夕緋が慌てて頭を下げた。

「だって、あんなに立派な金髪なんて、どう見ても日本人じゃないもん!」

 そう言えば、それは誰も突っ込んでいなかったと、夕緋は思い出した。どちらかと言うと、昼休みや放課後に怪我をする男子生徒が増えた事の方が、目立っていたからかも知れない。

「でも、日本人だから黒髪なんて、今は言い切れないんじゃない?染めてるとか」

 実は、かばうような事を言ってはいるが、夕緋自身が不吉なものを感じてはいるのだ。だが、それを言葉にする根拠が無いから、言わないでいるだけ。

「そりゃそうだけど・・・あと、こんな話しもあるの」

 美砂は、声をひそめると、夕緋に顔を近付けた。その、秘密めいた表情につられて、夕緋も真面目な顔で耳を近付けた。

「ふっ」
「きゃっ!!」

 耳に突然息を吹き掛けられて、夕緋は今居る場所も忘れて、可愛い悲鳴を上げた。にやにやしている美砂に向けて手をばたばたしながら、顔を真っ赤に染めて、口をぱくぱくとさせる。余りに動揺した為、まともに声も出ないらしい。

「しぃ~~っ!!」

 今度の「しぃ~」は、さっきよりも気合が入っていた。見れば、周りの生徒の視線が痛い。夕緋は「ごめんなさい、ごめんなさいっ」と謝りつつ、周りに頭を下げ続けた。

「ごめんごめん、ちょっと調子に乗っちゃった」

 あは・・・と小さく笑いながら、美砂は両手を合わせた。ひどく嬉しそうな美砂の様子に、夕緋はそれ以上怒れなくなってしまう。それでも不機嫌なままの夕緋に、美砂は嬉しそうに言葉を続けた。

「本当にごめん。だけど、嬉しかったから、つい・・・ね」
「嬉しいって?」

 今までの会話の流れで、嬉しくなる要素は無かったはず・・・夕緋はそう判断すると、原因が判らずに美砂の顔を見詰めた。今まで積極的に自分に接近してきた女の子・・・美砂のその真意が今更ながらに判らない事に気が付いた。

「あのね・・・夕緋ちゃんと、普通の友達っぽく話せたから。」
「え・・・?」

 美砂は、夕緋の顔を見詰めて、はっきりと言い切った。今までも、話しはしていた。でも、それは夕緋が壁を作った上での会話・・・美砂はそれに気が付いていたという事だった。

「わたし、ずっと夕緋ちゃんと友達になりたかったの。・・・でも、今まで夕緋ちゃんって、わたしも、わたし以外のコも、ぜんぶ一緒の・・・まったくの他人って見てるみたいで、寂しかったから・・・だから、今普通に話せてるのが、すっごく嬉しくて、つい調子に乗っちゃったの」

 小さく舌を出しながら、美砂は嬉しそうに笑った。それから言葉に詰まる夕緋を見詰めて、話題を切り替えるように続きを話し始めた。

「あのね・・・岬先生の所に男子が良く行くのは、知ってるよね?岬先生の美貌につられてなんだけど。でも、女子も良く行くんだ・・・。それで、暫くしてからその女子は何かに憑かれたみたいに、ふらふらしながら保健室から出てくるんだって!ね、ヘンでしょ?」

 オカルト話を嬉しそうに話す美砂に、夕緋は苦笑しながら、何も答えられなかった。それは、さっきの美砂の告白が心の奥に響いて、胸が温かいもので一杯になっていたからかも知れなかった。

- 5 -

 今日は部活が無いと言うのに、教室で昨日夕緋に言われた事を反芻していたら、夕日が射すような時間までぼうっとしてしまった。瀬蓮は考えたところで結論が出ない問題を一時保留すると、家に帰る事にした。
 瀬蓮が校門を出ると、後ろから声を掛けられた。

「お~い、潮崎~」

 それは、自転車に乗った悟だった。まっすぐ瀬蓮に向かって走ってくる。瀬蓮は立ち止まると、眩しいものをみるように目を細めた。頬が赤く染まったが、夕日の中では誰にも気付かれないだろう。

「丁度見掛けたからさ、一緒に帰ろうぜ」

 照れる様子も無くそう言って、悟は自転車を降りると瀬蓮の隣に並んだ。悟に他意は無いと判っているのに、瀬蓮は幸せな気持ちを止められなかった。

「はいっ」

 瀬蓮は嬉しそうに返事をすると、悟の斜め後ろを歩き始めた。悟が普通に歩く速さは、瀬蓮よりも速い。瀬蓮は悟に気付かれないように、少し小走り気味に歩いた。
 高校からの帰り道は、街の外れという事もあって、周りに自然が多く、車や人通りは少ない。丁度帰宅部が居なくなって、部活動の生徒ががんばっているこの時間は、不思議なほど周囲に誰も居なかった。まるで二人だけの世界のように感じて、瀬蓮はぼんやりと悟の背中を見詰めた。

「・・・今日さ・・・」

 暫く無言で歩いてから、悟がそんな風に切出した。なんでもないふうに装って、それでも少し緊張していたのかも知れない。不自然に遠くを見詰める目が、なんでも無くは無いと、瀬蓮には言っているように感じられた。

「なんだか潮崎が元気が無いみたいだったから・・・少し気になってさ」

 もしかしたら、悟の顔が赤く見えるのは、夕日のせいだけじゃ無いのかも知れない。瀬蓮は悟が自分の事を気にしてくれていた事に、胸の奥が熱くなるのを感じた。

「ごめんなさい・・・大した事じゃないの。昨日、夕緋ちゃんと少しあっただけ・・・あ・・・でも、ケンカじゃないのよ!」

 話している最中に、悟に誤解されたらどうしようとか、更に詳しく聞かれたらどうしようとかが頭に浮かんで、その口調が慌てたものになってしまった。一人で焦っている瀬蓮を振り向いて、悟は小さく微笑んだ。

「そっか、大した事じゃないんだ?」

 安心したように言う悟に、瀬蓮はがくがくと頷いた。いつもの物静かな瀬蓮からは、まったく想像できないほどの動揺した様子に、悟の笑みが深くなる。その笑みがまた瀬蓮を動揺させるのだと、悟は気付かない。

「でも、最近ここら辺も物騒だから、どっちにしろ一人で帰すのはまずいかなって思ってさ」

 当たり前のように、悟は言った。
 それは、護るという事。
 悟に恋愛感情があるかどうかはともかく、瀬蓮を大事に思っているという事。

 ───もう、怖くないよ───

 瀬蓮は、耳元で囁かれたように鮮明に、あの時の言葉が聞こえてきた気がした。かっ、と瀬蓮の身体が熱くなる。

「あ・・・」

 何を言おうとしたのか、瀬蓮の唇が開いた。悟が、ん?という表情で見返す。心なしか、先程よりも二人の距離が近付いていた。友達よりも近くて、恋人よりも遠い、それは微妙な距離。

「わたし・・・」

 その瞬間、瀬蓮は昨夜の夕緋の言葉を思い出した。それはあたかも罪を弾劾するように、瀬蓮の心を激しく揺さぶった。

 ───おねえちゃん・・・私達、普通じゃないんだよ・・・───

 瀬蓮はそのまま、それ以上何も言う事が出来なかった。さっきとは逆のベクトルで、瀬蓮の心臓がばくばくと鼓動した。

「ごめんなさい・・・なんでもないの・・・」

 悟は心配そうに、瀬蓮を見詰めるばかりだった。

 ・
 ・
 ・

 夕緋と美砂は一緒に校門を出た。暮れなずむ夕日の中、昨日よりも仲良く。
 朝よりも近しく。
 そして、二人を見詰める視線に気付く事も無く。
 その視線の主は、唇に酷薄そうな笑みを浮かべた。

 視線の主・・・エレナは白衣の裾を翻し、ポケットに手を入れて机に戻った。誰もが見惚れるほどに颯爽とした挙動が、誰も居ない保健室の中で、惜しげも無く披露されていた。

「もう少し・・・手駒を用意しておこうかしら」

 まるで愛しい人にする悪戯を想像するように、嬉しそうに含み笑いをしながら、エレナは呟いた。
 窓の外は黄昏を迎え、少しずつ闇の領域へと彩りを変えて行った。

< 続く >

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