イルス物語 1章 (3)

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 確かに戦闘は終結した。
 でも、こんな終結の仕方を望んだものがいたかどうかはなはだ疑わしい。
 その日のことを人生の中における最大の汚点として、永久に記憶の中から抹消してしまいたい。
 たぶんこの戦闘に参加した人間は、そう願うのではないだろうか……。
 イルスが使ったのはひどく初歩的な魔法だった。
 戦女神アシュティアの神官が頻繁に使う戦闘支援魔法で、戦闘時にはかならずといっていいくらい使用されるポピュラーな魔法。
 ストリング・ダウン。
 敵の攻撃力を弱めることによって、味方の戦いを有利に導くための魔法。
 でもあくまで補助でしかなく、この魔法によって戦いそのものに決着がつくなんていうことはない。
 少なくとも今までに、そんな例はなかったはずだ。
 それがついてしまった。
 それも最悪の形で。
 誰にも知られたくないこと。誰からも触れられたくないこと。
 人間ならそんな記憶の一つや二つはあるだろう。普通の場合なら誰からも触れられることなく、そっとしておいてもらえることも可能だろう。
 でも不幸なことにこの時の戦闘は、大陸の歴史の中で実に重要な意味を持つものだった。
 ゆえにこの日のことは、人の歴史の中に刻まれることになる。
 力が抜けた。
 全身くまなく、ありとあらゆる筋肉がその役割を放棄してしまったのだ。たまたまAMM(アンチ・マジック・マジック)がフルパワーでかけられていた人間か、もともと人間ばなれしたパワーの持ち主をのぞいて。
 こうして後世まで残る惨劇は生まれることになった。
 全身の筋肉を弛緩させて、戦場に類々と横たわる兵達。
 彼らには緩みきった自分の下半身がたれながす生暖かかいものを感じながら、ただ涙することしかできなかった。
 あたり一帯をえもいわれぬ異臭が包み、彼らの悲しみをさらに深める。
 その状況はまる一日続き、ようやく魔法の影響が薄れて起き上がることが可能となったとき、そのまま戦闘を継続しようという気力が残されている人間はただ一人としていなかったのである。

「やりすぎですね」
 そう言ったのは白銀の鎧に身をつつんだ美くしい女性。
 アシュティアである。
「誰にだって間違いの1つや2つ……」
 そう言いかけたのはイルス。
 ちょっと考えた後、
「5つや6つくらいあるってもんよ!」
 なぜか胸を張って、そんなことを言った。堂々とサバを読みなおす辺り、とてもイルスらしい。
「確かサヴァンの森は完全に消失してましたね?」
 と、アシュティア。 
「あリゃあ不幸な事故だったなぁ」
 なにかを懐かしむようにイルスが言う。
「ザイツェルク山脈は標高が3千メイルほど低くなったと記憶しているのですが?」
 アシュティアがといつめるように言うと。
「知ってるぜ。あの登りやすくなった山のことだろ?」
 人ごとみたいにイルスが答える。確かにいきなり3千メイルも低くなれば登りやすくもなるだろう。
「人にやさしい山になったんだ、いいことしたよな、実際」
 登山家のみなさんが聞いたら、首でも絞めてやりたくなりそうなことを言っている。
「イシュリスタ湖のときは……」
 いいかけたアシュティアにイルスが割り込んでくる。
「あそこはちゃんとまだあるぜ? 形だって変わってねぇだろ?」
 自慢げにイルスが言った。
 そんなことを自慢するのは、いかがなものかと思うのだが……。
「でも、水がなくなってしまえば、湖とは呼べないはずです」
 それはそうだ。水のない湖を湖などとみとめたら、陸地と湖の違いをどうやって判断すればいいというのだろう?
「……まぁなんだ。こういったことが糧となって今のオレがあるってこった!」
 どうやらそのすべてを過去の苦い記憶として、処理してしまうつもりのようだ。
 もっとも、どこら辺りが糧になっているのか疑問が残るが。
「まぁそれはどうでもいいのですが……」
 アシュティアが簡単に言った。
 これでは糧にされたものは、なんだか報われないような……。
「主さまの魔法はわたしとの契約によってなされたもの。つまりわたしの神カが動いた結果にすぎません。それはおわかりになりますね?」
 まるで子供にでも説明するかのように話すアシュティア。
「おいおい、オレさまを誰だと思ってんだよ? 女子供にみたいに言うんじゃねぇ!」
 女子供にしか見えないイルスが文句をつける。
「それはけっこう……。ではお尋ねしますが、なぜわたしに直接ご命じになられないのです?」
 当然というか、もっともというか、ぜひそうして欲しいというか……そんなアシュティアの意見だった。
「なにいってんだ? いちいち女に頼るような、はずかしいまねができるかよ!」
 イルス以外の人間はぜひ頼ってと心の底からねがうはずだ。
 ここはひとつイルスにはずかしがってもらうのが、世界にとっての幸せというものだろう。
「まぁ、ぜひにとまでは申しませんが……」
 アシュティアはあっさりと引きさがってしまう。
 どうやら世界にとっての苦難の日々は当面続きそうだ。
 天災と思ってあきらめ……きれるはずなどあるまい。少なくともこの戦いに参加した人々が、その恨みを忘れてくれるとは到底思えなかった。
「ま、そんなことよりこれからのこった。こいつをどうしたもんかね?」
 世界運命を、そんなことよりの一言でかたずけてしまったイルス。
 その目の前には一人の女騎士が横たえられていた。
 レゼの紋章が刻み込まれたア一マーがはずされて、そのかたわらに置いてある。
 リ・ノヴァの聖騎兵(パラディン)だった。
 魔力の使いすぎで死にかけていたのを、イルスが拾った。理由はもちろんキレイなオネェチャンだからである。
 でも問題があった。
 どうやって助けるかっていうこと。
 ようは限界を超えて使いすぎた魔力を補給してやればいいのだけれど、凶悪なまでにアバウトなイルスがやるのは危険すぎる。
 はっきりいって、このままほっといたほうが、遥かにマシな選択というものだろう。
 まだやってないところをみると、さすがにそこら辺の自覚症状はあったらしい。
 でも、それは手詰まりのまんまということ。早急になんとかする必要があった。
 そこに話しかけてきたものがいる。
「わたしがなんとかできると思うのですが……え~っと……」
 ルファンである。動けないアリアを担いでイルスにひっついてきていたのだ。
 ルファンがドワーフの格好をした究極美少女に、一体なんと呼びかけていいのか詰まっていると、
「イルスってんだ、おっちゃん」
 イルスが名乗る。
「で、おっちゃんが、エン………………」
 でも、何かつまってる。
「エンチャント・マジック・マジック?」
 ルファンがそれとなく助け舟をだしてやったが、
「そうそう、そのエンなんとか……」
 やっぱりいっしょだ。
「をやってくれるってのか?」
 イルスの適当な返事にもめげることなく、ルファンは答える。
「もちろん。でも、問題がちょっとばっかしあるみたいなんで……」
「なんだよ? はっきりいえよな、おっちゃん!」
「おっちゃんって……、わたしはルファンといいます。できれば、そう呼んでいただきたいですね、イルスさん」
 さすがに、おっちゃん呼ばわりはつらかったらしい、ルファンが訴えるようにお願いすると。
「わかったぜ、ルファンのおっちゃん。それよっかさ、オレをさんづけすんじゃねぇよ。女の子じゃあるめぇし、気色わりぃぜまったくよ。イルスだ、イルスだけにしてくれよ。そのほうが遥かにさまにならぁ」
 独特の感性を発揮してイルスが訂正を求める。
「わかりました、イルス。それより、わたしのほうもルファンと呼び捨てにしていただけたらうれしいんですけどね?」
 ルファンのほうも訂正をこころみる。
「わかったよ、ルファンのおっちゃん。考えといてやるさ。そんなことよっかさ、問題ってなんだよ?」
 どうやら、イルスに訂正の意思はまるでなさそうだ。
「おっちゃんって……いいですけどね……」
 ちょっと切なそうにため息なんかついた後、
「この女性は魔力を取り戻したとたん、間違いなく我々に襲いかかってきますよ」
 ルファンがいった。
 女性騎士の顔色はもうすかり青ざめ、呼吸はどんどん薄くなってゆく。
 鼓動が停止してしまうのも時間の問題だろう。
 でも、ルファンが言うような兆候を示すものなんてどこにも見当たらなかった。
 だからイルスが聞く。
「なんで?」
「彼女が頭に付けているのは、MB(マインド・バインド)サークレット……精神の拘束具です」
「それで?」
「これを頭に付けられた人間は自由意志を失い、MBサークレットの契約者の命じるままに動く人形となります」
「だから?」
「……力を取り戻した瞬間、再び命令に従って行動するっていうことです」
「ひっぺがせばいいじゃん?」
 それまで、手抜きの質問をしてたイルスが、お気楽にそう提案すると。
「それでは彼女の精神も一緒にひっぺがしてしまいます。そうなれば、たすけた内にはならないでしょう? ちなみに、壊しても同じ結果になりますね」
 否定的な意見が帰ってくる。
「じゃ、はずす方法はあんのかよ?」
「まぁ、ないことはないんですがねぇ……」
 なんか、いいずらそうにルファン。
「またかよ? あんま、もったいつけんのよそうぜ?」
 イルスはじれている。
「一番確実なのは、MBサークレットの契約者の死。もう一つは、MBサークレットの契約者の変更です……」
 ルファンがいいずらそうにしていたわけ、
「誰だかわからない契約者を葬ることはできない。となると契約者を替えてしまうしかない。でもこの方法は相手の魔力を陵駕できないと、それをやった人間もMBサークレットの人形になっちゃうんですよ」
 確かにこれではいいづらそうにしていたわけだ。
 相手がどのていどの魔力の持ち主かわからないのでは、賭けをしているのと大差ない。
 ただし、
「なんだ? そんなことかよ。オレさまがやってやるよ、契約者の変更ってやつをよ。まぁ~かせなって!」
 そう、イルス以外は。
 イルスを超えるということは、神を超えることと同義語だろう。
 でも、ルファンの話にはまだ続きがあった。
「え~契約者の更新にあたっては、もう一つ条件があるんですがねぇ」
 なんだかやたらと乗り気になってるイルスに、ルファンが水を差す。
「なんだよ?」
 イルスはふてくされた。
 我がままである。
「同性じゃだめなんですよ。MBサークレットの契約者は同性の人間を人形にすることはできないんですね、これが」
「……?」
 イルスはルファンの言葉の意味を今ひとつ理解しかねていた。
 同性じゃだめってところに……。
 でも、ルファンはまるで気づいてない。
「イルスの前ではちょっといいずらいんですけどね……、契約の変更が完了した直後にちょっとした儀式がいるんですよ」
 ドワーフのコスチューム(髭付)という非常に理解に苦しむ格好はしていても、絶世を超えた美少女に対して遠慮したい言葉というものはある。
 ルファンの説明もまた、そんな言葉だった。
「どんな?」
 むろん、イルスの方はそんなのにかまうわけない。
「え~男女の営みっていうか、結合っていうか……。まぁ、そういう行為がないと契約が成立しないんですね」
 せっかくルファンが最後まで言葉を濁して説明したけど、そんな気遣いなんてイルスに通じるはずなんてなく。
「なんだぁ? ようは、ヤっちえばいいってこったろ?」
 身もふたもない表現だった。
「……まぁ、そうなんですがね……」
 思いっきり苦々しそうにルファンが答える。
 美への冒涜……としか思えない。
 でも、それを本人が言ってるのなら、苦笑を浮かべるしかないではないか。
「で、それの、どこに問題があるってんだ?」
 イルスにとっての、素朴な質問だった。
「問題って……わたしとしては契約者の実力もわからずに、こんな危険を冒すようなことはしたくないんですけどねぇ……」
 それはそうだろう、確かに美人のオネェチャンでも、初めて会ったばかりの相手にそこまでの危険を冒す義理はない。
「おいおい、誰もルファンのおっちゃんにさせるっていってねぇだろ?」
 イルスとしては当然の言葉だったけど、それがルファンを混乱させる。
「ですけど、わたし以外に誰がやるってんです?」
 これもまたルファンにとっては当然の言葉だった。
「ところで……何してんです? 一体?」
 なにやら奇妙なポーズをとっているイルスにたずねる。
 どうやら、何かをアピールしているらしいのだが……。
「見てわかんだろ? フンッ!」
 気合を入れるイルス。
 どうやら、自分の肉体美を見せ付けているつもりらしい。
「た、たいへん美しいですねぇ……」
 しっかりと見とれるルファン。
 ゴクリと息を呑むところが、なんだか生々しかったりする。
 どうやら同じ肉体美でも、イルスとルファンの感覚の隔たりはお星さまより遠そうだ。
「なら分かんだろ?」
 自分の肉体美をみせつけてやったと確信を持ったイルスのセリフ。マッスルポーズを決めながらそう言った。
 むろんルファンにわかるわけない。
 っていうか、イルス以外の人間にわかったとしたら、かなりアブナイようなきがする。
「え~っ……」
 なんとコメントしてよいか、ルファンがいいあぐねていると。
「おっ? なんだそうか? わかったぜ!」
 なにやらイルスがまた勘違いしたらしい。
「この格好でわかんなかったんだろ? 実はオレってドワーフじゃなくて……」
 なにやら勿体をつけ……、
「人間だったんだぜ!!!」
 高らかに宣言しながら、激しく似合わない付け髭を剥ぎ取った。
 直に見るイルスの美貌にみとれながら、ルファンは初めて理解した。
 イルスがしていたとっても痛ましい格好は、どうやらドワーフに変装をしていたつもりらしいのだと。
 あまりに、とことん、究極に似合わないのでまさか変装をしていたつもりだったのだとは、まるで思いもよらなかった。
 一体何処をどう間違えれば、変装しているなどと思い込めるのかが非常に謎の残る部分ではあったにせよ、イルスの謎の一端に触れることができたのだ。
 もっとも、現状の解決にはなんの役にもたっていなかったが。
「うわあ。これはびっくり」
 ルファンが自分でもなんだかなぁって思うような、はっきりいって白々しい驚き方をすると。
「へへっ、やっぱ驚いたかよ? まぁ、このオレさまを見たらわからないのも無理ねぇけどよ!」
 うれしそうにイルスが言った。
 どうやらイルスにはあれで通じたらしい。
 別の意味で驚くルファンだった。
「どうだい? これでわかっただろ? なんの問題もねぇってよ!」
 そんなことをイルスがいっている。
 一番の問題が自分にあるって気づいてないようだ。
 つくづくはた迷惑なやつである。
 でもまぁ、ただでさえややこしくなってきてるのに、これ以上問題を積み重ねたくないルファンとしては、とりあえずうなづいておくことにする。
「……まぁ、そうですね……」
 返事がめいっぱいおざなりなのは、むしろ同情したくなるくらいだ。
 でも、問題をさらにややっこしくするための事態は、以外なほうからやってきた。
 剣を振りかざし、烈風を巻き起こしながら。
 キィン!!!
 澄んだ金属音が辺りに響く。
「どけっ!」
 短くはき捨てるように言ったのはアリア。
 その瞳映るのは、倒れたレゼの女聖騎兵(パラディン)。
 全身には憎悪の炎が纏わりついているかのようだ。
 アリアはそのまま剣をその身に纏わりつかせるように引き、そのまま立て続けに攻撃をしかける。
 迅い。
 使っているのはブロード=ソード。バスター=ソードほどの重量がないため威力はだいぶ落ちるが、その分スピードが倍増している。
 おまけのその剣の軌跡は奔放に踊り、疾風のごとく相手に襲いかかる。
 ルファンがヒーリングである程度治療はしたが、到底まともに動ける状態ではなかったはずだ。
 なのにとどまることなく、流れるように動きつづける。
 いかなる訓練が人にこれほどの動きを可能とさせるのか……。
 ある意味剣士としての到達点にいるのだろう。
 でも、その剣戟がまるで通じていなかった。
 豪雨のごとく襲いくる攻撃は、すべて軽々とあしらわれてしまう。
 受けているのはアシュティア。
 戦女神であり、イルスに取り込まれることにより、その実力は神々の限界をも超えている。
 どれほど強力な戦士であろうと、所詮ひとの身なるアリアの技が通用するはずなどなかった。
 パァンッ!!!
 ひときわ高い音をたてて、アリアの使うブロード=ソードが折れとんだ。
「くうっ!」
 アリアがそんな声を洩らして方膝をつく。
 アシュティアは一切攻撃していない。
 アリアの肉体に限界がきたのだ。
 でも、それでも折れた剣を支えに倒れることなく踏ん張っている。
 とてつもなく強靭な精神力だった。
「どけっ……そこを……でなければ、きさまを殺す」
 確かにそこにはもう気力しか残ってなかった。でも、その言葉にはある種異様な迫力があった。
 執念と言い換えてもいい。
「我が主がいる、ここでの剣の使用は控えてもらおう。これ以上手間をかけるというならお前を消す」
 むろんアシュティアはそんなものなど、歯牙にもとめたりはしない。
 足元に躓きそうな石ころがあったから、それを排除する……そのくらいにしか感じていないのだ。
 人の身を装ってはいても、しょせん神々の一族なのだから。
 けれど、それを超えてなを人であり続けるものもいた。
「まてよ、アシュ。……なんか、わけありってかんじだな、ねぇちゃん?」
 もちろん、煩悩と妄想の塊であるイルスである。
 同じことをルファンがやってたら、アシュティアから消されてもキッパリと無視していたことだろう。
 イルスの言葉に、アリアは意外な答えを返した。
「早くその呪われた騎士からはなれなさい! それはやつの手駒。意識が戻る前に仕留めなくては!」
 どうやら、イルスのことを助けようとしていたらしい。
「なんか、ぶっそうだなぁ? 助けられんだろ? このおねぇちゃん?」
 ちょっと自信がなさそうなのは、その話が又聞きだったりするからだ。
 イルスの自信には根拠がなくても、自信のなさにはちゃんと根拠がある。
「絶対に無理! 再契約をするつもりなら今すぐやめろ! まちがいなく人形にされる。それはただのMBサークレットじゃない!」
 アリアは必死だった。
 憎悪とともに焦りが見える。
「?????」
 でも、イルスには伝わってなかった。
 だいいちMBサークレットのことが今ひとつ分かっていないのだから、違うとかいわれても分かるわけがない。
「どういうことなんです?」
 ただならぬアリアの様子に唯一反応したのはルファンだった。
 アリアはちらっと一瞬そちらに視線を投げかけたあと、
「そいつは感染(うつ)るんだ!」
 叫ぶようにいった。
「感染(うつ)るっていうんですか? MBサークレットが?」
 ルファンはそう尋ねながらも苦笑を浮かべてる。
 サークレットが感染(うつ)るだなどと、正気の沙汰とは思えない。
 だいいちそんなマジック=アイテムなど見たことも聞いたこともない。ルファンが学んだどの魔術大系にも、そんなマジック=アイテムの存在を示す記述はなかったはずだ。
「そうだ、それは感染(うつ)る。いったん感染(うつ)ったらそいつを媒介して広がり続ける。契約者の変更を試みたやつもいたが、例外なく感染(うつ)されてしまった。その大元が最強と呼ばれる魔術師だから、しょせん無謀な試みだったんだ」
 まるで地獄を見てきたような、そんな壮絶さを感じさせるアリアの言葉だった。
「最強の魔術師……まさか……」
 ルファンは思わず言葉を飲み込んだ。後に続く言葉があたっていたら……。
「そう、リ・ノヴァ皇帝を僭称するあの魔女、フェリア=ノヴァ1世だ」
 真紅の魔女……。
 確かにその言葉には重みがあった。
 重すぎるといってもいいくらいだ。
 ルファンとしても魔力にはそれなりに自信があったが、それでも真紅の魔女と自分を比べてみるほど無謀ではない。
 だとすると契約者の変更など、なんと無謀なまねであることか……。
 でも、しかし……。
「感染(うつ)るっていうのはどうにも……」
 信じられないっていうのが、ルファンの常識的な判断だった。
 でも、ほぼ同時にその常識は修正をよぎなくされる。
 イルスによって。
 いくつもいっぺんに……。
「をっ? こりゃおもしれぇ、分裂しやがった!」
 鈍く銀色の光沢を持つサークレットを、イルスが左手に握っている。
 でもそれは最初だけ。
 蠢いている。
 円の形はくずれ、うねうねと蠕動している。
 まるで金属でできた環虫のごとくうねり、イルスの美しい腕に巻きつこうとしていた。
 その様はとても禍々しく、そして淫靡に映る。
 真にそれは倒錯した美。
 でもそれは禁断のもの。
「捨てろ! 早く!」
 叫ぶアリア。
 その危険さを心の底から思い知っている。
 そう思わせる叫び。
「そいつの奴隷になる前に!」
 悲痛さを秘めて。
 でも、はっきりいってイルスはまるでかまってなかった。
 開いている右手をひらひらと振ると、
「心配ねぇって。こういうのなら、あんたらよっか詳しいさ」
 そういいながら腕に絡むそれをなでながら、口の中で小さく何かつぶやいた。
「見てなよ……」
 腕にからんだそれをあっさりとひっぺがす。
「疾(ジャイ)!」
 その言葉に気が込められた。
 すると、それまで蠢いていたそれは一瞬だけサークレットの形状を取り戻し、そのままサラサラと崩れさる。
「やっぱ、絶えられねぇか……」
 手の中に僅かばかり残った名残の砂を見ながら、イルスが洩らした言葉。
「ば、ばかな?」
 信じられないものを見た。そんな表情でアリアがつぶやく。
「な、なんだったんです? 一体?」
 理解しがたいものをみせられ、ルファンは混乱しているようだ。
「こいつぁあんたらの言った、えむ……えむ……」
 説明をしようとして、いきなり詰まってしまった。
 いかに他人の話をええ加減に聞いているかの見本である。
 それでも、
「MBサークレット」
 こりずにルファンが助けてくれる。
 無駄なのに……。
「そうそう、そのえむなんとかってやつじゃねぇよ」
 ほら、無駄だった。
「こいつっあパオペェさ、見ての通りかなりの粗悪品だけどよ。あんたらの言ってる、なんとかってぇのとは別もんだな」
 イルスが言った、耳慣れないことばに二人は、
「「ぱおぺぇ?」」
 思わずハモった。
「パオペェってのはセンドウが作った道具のことさ。おりゃぁじじいが作った物しかみたことねぇけどよ、間違いねぇな」
 などとイルスが説明しても、アリアもルファンも納得してない。
 初めて聞く言葉を始めて聞く言葉で説明したのだ。分からなくて当然である。
「まぁ、このさい実物を見たほうが早ぇな……。おいアシュ、おめぇの剣を貸してくれよ」
 アシュティアは神剣グランニールを鞘から抜き、イルスに手渡す。
 そのさい一言、
「限度というものをわきまえてください」
 ときっちり付け加えておいた。
「こいつは、じじぃの作ったパオペェの一つなんだけどよ……ちょいっと、あれをみといてくんねぇか?」
 剣の切っ先を空に向ける。
 その向こうにあるのは白い大きな雲。
 ほんわりと、気持ちよさそうにうかんでいた。
「疾(ジャイ)!」
 イルスの声が放たれる。
「き、きれた!?」
 思わず驚きの声をあげたのはアリア。
「こ、これはまた……」
 言葉をつまらせたのはルファン。
 二人はそれからしばらく言葉を失っていた。
 剣が光った。
 ほんの一瞬だけ。
 その直後空に浮かんでいた雲は、真っ二つに別れていた。
 どうみても、斬った後にしか見えない。
 空に浮かんだ雲を斬り裂く。
 もし、これが地上にむけられていたとしたなら……。
 そう考えると、背筋が寒くなるようなできごとだった。
「こいつが、おれのじじぃが作ったパオペェのひとつさ」
 アシュティアにグランニールを返しながらイルスが説明する。
「パ、パオペェっていうのは、へ、兵器だったんですかい?」
 ちょっとどもりながら、ルファンが聞く。
 こんなものがほいほい手に入るようになったりしたら、世界はどうなってしまうのか……。
「まぁ、そんなもんだな。でも、ここまで強力な物こさえられるのはうちのじじぃくれぇしかいねぇ。それにじじぃはいなくなっちまったから、新しいパオペェはこさえられねぇしな」
 それを聞いたルファンは少し安心したけど……。
「では、MBサークレットに見えたやつも同じたぐいの物だと?」
 だとすれば、ルファンの理解の範疇を超えていた。
 だいいち勝手に分裂増殖するような変態的なマジック=アイテムなどありえるはずがないから、イルスのいうパオペェだという話は十分うなずける。
「まぁな。ただ出来のほうはかなりわりぃ。今までに相当複製を繰り返してきてんだろうな。呪の発動にまるで耐えられねぇ。せいぜい何もしらねぇ人間にくっついて、悪さすることくれぇしかできねぇだろうな、こりゃ」
 そのイルスの言葉に再び疑問が生じる。
「呪の発動って……、それじゃこいつはMCサークレットのように、人を支配するのが目的ではないんですかね?」
 ルファンの質問に、
「なんで、オレが知ってんだよ? そういうこたぁ、作った本人にきけよ」
 とイルスが答える。
 しかし……、ここまで思わせぶりな態度をとっておきながらこの男は……。
「さて、もう限界ってとこみてぇだな……」
 他人の気持ちなど微塵も気にかけることなく(とくに男は)、イルスは話を変える。
 でも、確かにその通りだった。
 寝かされた女聖騎士(パラディン)の顔からは、血の気がすっかり失せ真っ白になっている。
 呼吸もすっかり弱まり、あとわずかで命の炎は消えてしまうだろう。
「ルファンのおっちゃん、早ぇとこエン……」
 詰まるイルス。
「エンチャント・マジック・マジック」
 補助するルファン。
 打てば響くとはこのことだ。
 まぁ、ルファンにしてみたら、いささか疲れることだけど。
「そうそう、そいつをやってくれ。それと、その後すぐに放れたほうがいいぜ。オレが結界を張ったら、あんたら動けなくなるからよ」
 ルファンは結界とやらがどういったものか知らなかったが、素直に従うことにする。
 さっきのあれを見せられたあとでは、素直に従うのが理性ある行動というものだろう。
 目でアリアに合図を送ると、魔力付与の呪文を唱える。
「我が力の贈与」
 エンチャント・マジック・マジックが発動する。
 その直後、殆ど死にかけていた女聖騎士(パラディン)がいきなり起き上がる。
 でも、それだけではなかった。
「我が主の光……」
 いきなり呪文の詠唱を始めた。
 その瞳の虚ろさから、誰かにその精神を乗っ取られ、決められた通りの行動を取っているのが容易に想像がついた。
「……疾(ジャイ)」
「我につどいて彼の敵に降り注がん」
 レイ・ブラスト。
 彼女を死の寸前にまで追い込んだ高位の攻撃呪文。
 でも、それは発動しなかった。
 その直前に、イルスの結界が発動していた。
 イルスの張った結界は魔力ではなく、彼女の契約した神……太陽神レゼの力をこの場から締め出していたのだ。
 それでは、どれほど強力な魔力をもっていようが、けして魔法が発動するわけがない。
 なのに……。
「我が主の光……」
 彼女は再び詠唱を始める。
 まるで壊れたおもちゃみたいに、ほっておけばづっと続けることだろう。
「疾(ジャイ)」
 イルスはもう一つ別な結界を重ねた。
 4重の自消結界。この中ではすべての力は16分の1になる。
 イルスにとってはどうということのないレベルだけれど、女聖騎士(パラディン)は自分の体重を支えることすらできなくなる。
 地面に崩れ落ちることになった。
「ちっ、このできそこない、融合してやがる……」
 サークレットの形をしたパオペェを調べてみると、女聖騎士(パラディン)の額に完全に同化してしまっていることがわかった。
「さっきみたいにやったら、死んじまうな……」
 この状態でサークレットがなくなってしまったら、まるで蓋でも取るみたいに彼女の頭蓋骨は外れてしまうだろう。
 さすがに脳みそ剥き出しの状態で、人間が生きていけるとは考えずらい。
 それにイルスとしては、どれほど美人でもそんな姿のオネェチャンとお付き合いしたいとは思わない。
「とりあえず、このパオペェを完全体にしてやるか……」
 完全体になったパオペェを発動させてみて、その正体を掴み解除する。
 それがイルスの作戦だった。
 発動した後パオペェをどうするのかは、その時の状況に応じて臨機応変に対応する……。
 とてもイルスらしい、むちゃくちゃアバウトな作戦だった。
 まぁ、作戦などと呼ぶことじたい無理があるような気がしないでもないのだが……。
 右手の指で左手の掌を切り裂く。
 アシュティアが目をそらした。
 見ていたくなかったからだ。
 人間だ。しょせん人間に過ぎない。
 そんなもののために、自分の主が己が身を傷つけるなど……。
 割り切れない怒りがわだかまっている。
 もちろんイルスは、そんなことなんてきっぱり無視して作業を進める。
 といっても、自分の血をサークレットに降りかけただけだが。
 でもそれで十分だった。
 その血の中にはパオペェが流れている。老師タイハクの作った至高のパオペェ。
 “なのましん”とよんでいた。
 これで準備は整った。
 あとは……。
「疾(ジャイ)!」
 イルスの呪によってパオペェが発動する。
 女聖騎士(パラディン)の頭の不完全なパオペェは“なのましん”によって補完され、完全体として発動をみる。
 まずサークレットが鈍い光を放つ。次にその光は彼女の全身に急速に広がってゆく。
 光が失せたとき、そこにいたのはもはや人間に有らざるものだった。
 姿形自体はに変化はない、髪の毛一本にいたるまでだ。
 でも、その皮膚は銀の光沢を放ち、髪は透き通る透明な繊維に変化をとげていた。
 一体どうなってしまったというのか……。
 イルスはけっこう豊かな胸を揉んでみる。
 やわらかかった。
 金属ではないのか?
 今度は指ではじいてみる。
 キン。
 硬い澄んだ音がする。
 ゆっくりとした力には柔らかく反応し、早い力には金属としての反応をするようだ。
 これなら、自由にうごけるし剣などで切ることは不可能だろう。
 一通り反応を試してみた後のイルスの言葉。
「こりゃぁ、なかったことにゃあ……できねぇよなぁ」
 当たり前である。無責任な男だった。
 どうやらこれは、人の肉体を作り変えるためのパオペェのようだ。
 イルスはとりあえず自消結界を解き、反応をみる。
 彼女は地面に横たわったままだ。
 どうやら、自分の意思では動けないらしい。
「立て」
 言ってみる。
「はい、マスター」
 そういって立ち上がった。
「おまえさん、自分の意思は残ってんのか?」
「はい、マスター。残っています」
 それを聞いてイルスはちょっとばかしほっとする。
 このままいちいち命令しなきゃならないんじゃないかって、少し不安になってたところだ。
「じゃあ、好きに動いてみろ」
 さっそく命令する。
 が、
「不可能です」
 なんともつれない返事が返ってきた。
「なんで?」
 イルスが聞くと。
「そのための機能がありません」
 との答え。
 やっぱり面倒なことになりそうだ。
「名前はなんてぇんだ?」
 やっとイルスが名前を聞いた。
「リムル=マイネです、マスター」
 彼女……リムルが答える。
「で、リゼルちゃんの目的って何よ?」
 リムルの肉体にもたらされた意味とこれを作った人物の目的をさぐろうと、イルスがそんな質問をする。
 うまくいけば、一発解決だ。
 でも、リムルの答えは……。
「マスタ一のご命令を遂行することです」
 イルスの質問は、なんのやくにもたたなかった。
 ま、それはそうだろう。
 道具をどう作うかは、所有者がきめることだ。
 そういったことは、やっぱイルスが自分でさぐりあてるしかないのだろう。
 手抜きをもくろんだイルスの野望は一瞬でついえた。
「リムル、自由になりてぇか?」
 イルスが唐突に聞いた。
 話しをいきなり変えるのは、イルスの得意とするところだ。
 自慢できることじゃないけど。
「もちろんです、マスター」
 当然の答えだった。
「今まで、ずっと意識はあったのかよ?」
「はい、マスター」
「どんな感じだった?」
「とても、つらかったです、マスター」
 そこで、リムルの瞳から涙がこぼれる。
 涙までは取り上げられていないようだ。
「どんなことをした?」
 イルスが重ねて聞く。
 けっこう容赦がない。
「た、たくさんの……市民を……ころしました……。有能な者たちは……わたし同じように……人形に……かえまし……た」
 とぎれとぎれ答えるリムル。
 その言葉一つ一つから、辛さが伝わってくる。
 でも、イルスの質問はまだ終わってはいない。
「おめぇ、自由になったら真っ先になにするつもりだい?」
 イルスにとって、それはどうしても確認しておく必要があった。
「自分を裁きます!」
 リムルがキッパリと言い切った。
 その言葉には、ためらいというものが一切感じられない。
「やっぱなぁ……。たぶんそんなこっちゃねぇかと思ったよ……」
 ポリポリと頭を掻きながら、イルスがそんな言葉を洩らした。
 自由を与えたとたん、速攻で自殺するだろう。
 だから、その機能そのものを取り去ってしまっているのだ。
 やっかいなことになってしまった……。
 めずらしくイルスが悩んでいた。
 その姿はとてつもない憂いを帯び、見るものの心をゆさぶる。
 この人のためなら……、この人の憂いを取り去るためならどんな事だってしてあげたい……。
 そんな姿。
 そして、一つの奇跡が起きる。
「……でも、マスターが……マスターがお嫌なのでしたら……あきらめます……」
 イルスの姿が、リムルの心を動かした。
 イルスの色香が、リムルを惑わした瞬間だった。
 でも惑わされたのはリムルだけではなかったりする……。
 ルファンはその様子を手に汗を握って見守りつづけていたし、アリアはブロード=ソードを強く握り締めすぎてその柄をひんまげてしまっていた。
 ただ、アシュティアだけはそっぽを向いてしまっていたけど……。
「をを! そりゃよかった!」
 喜ぶイルス。
 でも……。
「問題は、どーやって開放するか……なんだよなぁ……」
 そう、実に根本的な問題が残ってたのだ。
 ぬか喜びを実地で演じてみせた。
 そんなシーンだった。
 でも、あんまし長時間悩んでいられないのもイルスの特徴だ。
 すぐに結論をだす。
 どうせ、あまり考えてないのだろうが。
「あんたの話を聞きながら、オレが命令をだす! ……完璧じゃねぇか!」
 訂正しよう。
 イルスは、まったく考えてない。
 問題の根本的な解決には、まるでなってなかった。
 でも、
「とりあえず、こんなとこでどうだい?」
 イルスが聞くと。
「は、はいっ! あ、ありがとうございます! マスター!」
 なんだかリムルは感動している様子だった……。
 まぁ、いいけどね……。
「そんじゃ、とりあえずどっかゆっくりできるとこ行こうぜ」
 その言葉とともに、それまであった緊張が解ける。
 問題は依然てんこもりで残っていたけど、とりあえず今すぐどうこうという事態ではなくなった。
「わたしがいい宿知ってるんで、案内しますよ」
 と案内役を買って出たのはルファン。
「おう、よろしくたのまぁ」
 イルスは気軽にそう言った。
 でも、続きがあったりする。
「いっとくけど、おりゃぁ金ねぇぞ」
 どうやら宿代をたかる気らしい。
「しかたないですね……わたしがお支払いいたしますよ」
 ルファンはけっこう太っ腹なのか?
「経費で落ちるでしょうし……」
 じつはせこかった。

 それから半日後……。

「おい、胸を揉んでみなよ」
 イルスが命じると、リムルは、
「はい、マスター」
 そういって両手で自分のメタルの性質を併せ持つ乳房を、やわやわと揉み始めた。
「どうだ、気持ちいいかよ?」
「はい、マスタァ~」
 二人がいるのはタルンの町にある宿屋の一室だった。
 イルスのたっての願い(だだをこねた)でリムルと合い部屋にしてもらったのだ。
 目的はもちろん淫らしいことをするためだ。
 メタリックなボディを持ち、どんな命令にもけして逆らうことができない。
 こんなおいしそうなシチュエーションを前にして、イルスの煩悩が黙っているはずがない。
 なんといってもイルスは、自分の煩悩に誇りをもっていた。
 どんなヤツが相手でも、自分の性欲が劣るなどとは思っていない。
 どのような状況であれそこに美人のオネェチャンがいれば、自分の一物はかならずその凶悪なまでの雄姿を顕にする。
 その自信があった。
 それはイルスにとって最高の誇りであり、他の男共に対する絶対的に優位に立つ部分である。
 そんなイルスにとって、こういった状況を逃すことなどプライドがゆるさないのである。
 などと、相変わらず歪んだプライドを振りかざすイルスだった。
 一方、リムルの方は自分のむねを揉みながら、快感にひたっていた。
 冷めたく硬くなってしまった肉体。
 もうすでに人とは言えなくなってしまった。
 自分の意思では指先一つでさえ動かすことができず、マスターから命じらたことにはけして逆らうことはできない。
 サークレットに取り憑かれ、一切の自由を失ってしまったあのとき以降、他人から完全支配を受けているという状況はなんにも変わってはいない。
 だけどリムルは自由だった。
 少なくとも自由を感じることはできた。
 自分の気持ちを言葉にして伝えることができたのだから。
 しかもその相手は比類ない美くしさを持った女・性・で、その強さもまた比類ないものだった。
 もし普通に出会ったとしても、間違いなく彼・女・にあこがれ恋していたことだろう。
 その彼・女・に自分のすべてを支配され弄ばれることを考えただけで、倒錯に満ちたよろこびを感じることを抑えきれなかった。
 何一つ……そう何一つ自分の意思で自由にできることはない。
 でもそれこそがリムルの意思。
「あそこに指つっ込んで掻きまわしてみろよ」
 また命令される。
「はい、マスター」
 リムルのロが自動的に返事を返す。背筋の奥のほうから、ゾクッとこみ上げてくるものがある。
 快感だった。
 両手が意思とは関係なく動き出す。
 銀の光沢を放つリムルの指が動き、同じ光沢を持った陰部をめくった。
 奥から流れ出す潤滑液が指と太股をぬらし、あやしく淫美な化粧をほどこす。
 メタルのあそこをメタルの指がまさぐり、奥の方から快感を引きずりだす。
 もはや肉とは違うものになってしまっている体でも、快感を感じることはできた。
「鳴いてみろよ。気持ちよかったらよ、おもいっきり声をだせよ」
 また命令が追加される。
「ふぁうううっっっ!」
 その瞬間、口からは今まで出すことのできなかった喘ぎ声が溢れてくる。
 さらに快感が加速する。
「いっ、あうっうっっっ。き、きもち、いいっっですうっっっ」
 意思とは関係のない声。
 でも、それはリムルの心の声そのもの。
「マスタァ、マスタァ、マスタァ、マスタァ、マスタァァァァァァ」
 喘ぎ声はすでに叫び声へと変化している。
 すべてを支配される。
 そのことがリムルの心に、なんのためらいもなく自殺を決意させるほどの苦痛を与えていた。
 でも今、すべてを支配されていることにはなんの変りもないのに……。
 ただ、支配者となるべき存在が入れ替わっただけだというのに……。
 その心しめるのは……。
「マスタァァァ~~~」
 ひたすらに、
「……き、きて下さいぃぃぃ」
 一つの存在を、
「お願いですぅぅぅ……」
 求めつづける、
「お、お慈悲をををぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!」
 願い。

 もちろん、イルスがそんなお願いを無視できるはずがなかった。
 というより、イルスの自慢の一物がもはやだまっていられない。
 たけり狂った一物を、眩いばかりに光を跳ね返す銀色のあそこに突き刺した。
 中は少しひんやりとしていたけど、すぐにイルスの体温が伝わり熱くなる。
「くふぁぁぁっ!!! うっんっあうっ!」
 リムルが声を高々ともらす。
「ささささいこうっでででですうううううっ!!!!!」
 壊れてしまった機械のような声を発しながら、あっさりとイッた。
 でも、まだおわりではない。
「ひぃっうっ! うっうっうっんあっ! ま、ままままだいっいっいっいくっっっっうううっ」
 立て続けにイッていた。
「あふっっ、あいんっ、ひぃん、い、いいいいいいきききき、まままっすすぅぅぅぅぅぅ」
 一度いくたびに、イルスの強靭な肉棒がリムルの体からさらなる快感を引きずりだしてくる。
 もはや、リムルは際限なくイキ続ける。
 心の中は完全に空白となり、快感だけがすべてとなった。
 その様を楽しそうにみているイルス。
 自分の肉棒を派手に突っ込みながら、自己満悦にひたっていた。
“こうじゃなくちゃいけねぇや。男ってぇなぁやっぱ女をイカせてなんぼだかんなぁ”
 もう、心の中には、自分こそが男の中の男であると、そう確信していたのである。
「いくぜぇぇぇっ!!!」
 イルスが始めて高らかに叫ぶ。
「はひひひぃぃぃぃぃ!!!」
 リムルはまともに舌の回らない口で、必死に返事をした。
「うおっ!」
「ひゃぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!!!!!!」
 イルスが精を放ち、それ感じたリムルはそれまでの何倍も上の快感にその心を押し流された。

 そのとき、一瞬だけリムルの心をよぎったのは、このひとに出会えてよかったということ。
 誰よりも強く。
 誰よりも美しく。
 誰よりも快楽を与えてくれる。
 少し変った姿をした……。
 女のひと……。

 まぁ、今に始まったことではないが……。
 本人はまるで気づいてないにしても……。
 イルスはとっても哀れな男だった。

 その頃外では、ルファンが副官のヴァローから緊急を要する報告を受けていた。
「まさか、こんなことになるなんてねぇ? どうされます? 隊長?」
 すこし投げやりな感じで、ヴァローが指示を仰ぐ。
「先行隊の反乱……。まぁ、今となっては何があったのか容易に想像はつくけどね」
 その言葉に少し肩をすくめて、
「自分としては、あんまり想像したくないですねぇ。彼女が襲いかかって来るとことかはとくにですね」
 そういった。
「確かにあまり楽しい事態じゃないね。これは……」
 ルファンが苦々しく答えると。
「まぁ、別な意味であのひとに襲われるのなら大歓迎ですけどね」
 ヴァローが一言付け加える。
「ヴァロー君。そういうことは、あんまし彼女の前では言わないほうがいいよ」
 ルファンがそれとなく釘をさしておくと。
「大丈夫ですよ。ルファン隊長が言ったことにしておきますから」
 ちゃんと対策を考えてたりする。
「ヴァロー君、あんましそんなことばっかりしてると、夜道に襲われちゃうよ?」
「それも心配ないですね。自分は常々ひとの恨みは隊長がかうように心がけていますので」
「……これから夜道には気を付けることにするよ」
 ヴァローと話すたびに、とっても疲れるルファンだった。
「ま、今は隊長がかった恨みのことより、イスカ=セリエの部隊をどうするかですね」
 ルファンとしては言ってやりたいことが山ほどあったが、とりあえず今はおいておくことにする。
「どうもしない」
 ルファンが短く言った。
「えっ?」
 ヴァローも短く聞き返す。
「だから、どうもしないよ」
 今度は、ちょっと長めの説明だ。
「でも、こちらの方に攻めてくるとの報告があったんですけどね?」
 さすがにそれでは分からなかったらしい。ヴァローがもう一度たずねる。
「別に攻めてきても、一向にさしつかえないよ」
 ルファンは軽く答えた。
「……自分には、かなり差し支えがあるとしか思えないのですが?」
 めずらしく、ヴァローがまっとうな意見を披露する。
 やればできる子なのだ。
「彼女の隊がやってきたときにはわたしの隊はいない……。どう? 問題ないだろう?」
 との言葉にヴァローがなっとくする。
「なるほど、逃げるわけですね。でも、後で法王庁からなにかいわれませんかね?」
「後ろ向きに進軍したんだってことで、納得してもらうさ」
 気楽なルファンの言葉に、ヴァローは軽く肩をすくめる。
「まぁ、ご健闘をお祈りしますよ」
 その言葉がルファンのことを思っていったのか、それとも面倒を押し付けるつもりでなのかむづかしいところだ。
「でも、けっこう興味があったんですけどねぇ」
 少し残念そうに、ヴァローがいう。
「なにを?」
「あなたが率いる部隊と、イスカ=セリエの率いる部隊がぶつかったとき、勝利を収めるのはどちらなのか……」
 少し遠い目をして、ヴァローが言うと。
「それは無意味な想定だね、ヴァロー君」
 ルファンはあっさりと言う。
「なぜです?」
 思わず聞き返すヴァロー。
「それは、このわたしが力の限り逃げ回るからだよ」
「なるほど……」
 ヴァローは納得してしまった。
 ……でも、やっぱり心に描かずにはいられなかった。
 イスカ=セリエとルファン=ファージナルが本気で戦う姿を。
 聖騎士(パラディン)イスカ=セリエの剣の腕は至って平凡なものである。
 そこらの兵並みだろう。
 でも、魔力は桁外れに強かった。
 ルファンと比べても確実に頭一つ抜きん出ている。
 それゆえ、聖騎士(パラディン)というよりはマジシャンに近い。めったにお目にかかれないくらい強力な。
 高位の攻撃魔法を、連続で3度以上立て続けに放つことができるのは、アンセウスの聖騎士(パラディン)の中でもイスカくらいのものだ。
 つまり、魔法に特化した極めて特殊な聖騎士(パラディン)が彼女だった。
 それにくらべてルファンは、剣と魔法が極めてハイレベルな状態で安定している最も聖騎士(パラディン)らしい存在である。
 魔法ならイスカ、剣ならアリアにそれぞれ一歩及ばないにしても、どちらも普通の人間には容易には到達できないほどのレベルにたっしている。
 それゆえ、どのような局面にも対応できる極めて柔軟性に富んだ力の持ち主だった。
 同じアンセウスに仕える聖騎士(パラディン)ではあっても、これほどまでにタイプの違う二人が本気で戦ったときどちらが勝利を収めるのか、非常に興味深いことではあった。
 けれど、それは妄想の中だけに留めておいたほうがいいだろう。
 どのような結果になるにせよ、その結末が楽しいものになるなどとは思えないからだ。

 でも、その妄想は意外と早く実現することになる。
 彼らの予想より遥かに早い進行速度で、イスカ=セリエはすぐ近くにまで迫っていたのだ。
 ルファン達に、逃げ出せるだけの時間的余裕はすでに残されてはいなかったのである。

< つづく >

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