イルス物語 1章 出会い(1)(2)

1章  出会い(あるいは腐れ縁の始まり)

- 1 -

 セネガルド大陸中西部。
 そこにハーン神聖王国はあった。
 太陽神レゼをまつる国である。
 この国の王は神官王と呼ばれ、政治と宗教が密接に関わっている国である。
 他国に対して徹底した中立を貫き、唯一北に位置するラグルード帝国を除き同盟国をもたなかった。
 小国ゆえの中立というわけではない。
 肥沃な土地。太陽神レゼの加護を得て、神聖魔法を駆使して戦う聖騎兵(パラディン)を中心とした強力な軍事力。
 太陽神レゼの司祭の長を兼ねる国王は神官王として、政治的にも十分過ぎる発言力を持っている。
 大陸中にいる太陽神レゼの信者達の聖地であるレジナードは、ハーン神聖王国の王都でもあったから、どうしても各国間のごたごたにまき込まれるわけにはいかないという事情もあった。
 でもラグルード帝国だけとは親密な関係にあった。
 政治形態も良く以た宗教国家でハーン神聖王国が太陽神レゼを奉っているのにたいし、ラグルード帝国は月の女神ネアを奉っている。
 その関係上皇帝ではなく皇女の一人が斎王となリ、神事の一切をとりしきることになる。
 とはいっても16才になった時にレゼ神官王の花嫁とならなければならないネアの斎王に、実権があたえられるはずもなく、実質的にネアの信者を束ねているのはやはりラグルード皇帝なのである。
 ここでさらに触れておかなくてはならないのは、ネアの斎王は16才を向かえる年にレゼの神官王の花嫁にならなくてはならないのだということ。
 神官王となるべき男子がハーン神聖王国に生まれたとき、それに見合った皇女が斎王にとして即位することになる。
 それは代々のハーン王家は、ラグルード皇家の皇女を母としているということでもある。
 それに対してラグルード皇家の皇帝はハーン王家に生まれた男子の第一子をもってなす。必然的にハーン王はラグルード皇帝の実の弟ということになる。
 つまりハーン、ラグルードと2つに分かれてはいても同一の血脈によって統治されているということで、同名国というより2つで1つの王国をなしているといったほうが良い国家だった。
 もっとも、太陽神と月女神を奉っている宗教上の違いから、剣(つるぎ)の国ハーン、魔法の国ラグルードといった国色の違いはけっこう鮮明にでてはいたのだけれど。
 でも3年前アフレリアで起こった事件が、400年に渡って続いて来た2つの国の未来を大きく変えてしまうことになった。

 アフレリアはハーン神聖王国とラグルード帝国の国境上にある都市で、ここにはレゼ神官王とネア斎王の婚礼のときに用いられるファルクナン神殿がある。
 ここで3年前、婚礼の儀式がとりおこなわれた。
 16才の斎王と10才になったばかりの幼ない神官王。
 婚礼をするには幼すぎる2人だけど400年を超える歴史の中では、これと以たような例はけしてめずらしくなかったので、とリたててさわぐようなことではなかった。
 それに、これは太陽神レゼと月の女神ネアの兄妹神の婚礼を模した神事でもあるので、両国の国民にとっては一生のうちに何回もはない、大きな祭りという意味合が強かった。
 普段の日でも両国の国境にあり様々な人々が行きかい、商人達は両国だけでなく世界じゅうのありとあらゆる品々を運んでくる。
 セネガルト大陸でも有数に活気あふれた都市、アフレリア。
 でも、そんな日々の喧騒ですら色あせて見えるくらい婚礼の日が近づくにつれて、より膨大な数の人々がこの都市に集まってくる。
 大通りはもちろんアフレリアにあるありとあらゆる公園や広場にも様々な出店が立ち並び、お祭りにはつきもののラミュ菓子やタロックの揚げ物なんて、それこそ隣合わせで売られているような場所もそこかしこに見られたし、ネア斎王が日常身につけているものと同じティアラだとか、神官王に献上しているサンダルとか、どうみてもうさんくさいとしか思えないようなしろものもそれこそ星の数ほど売られている。
 それでも道を行きかう人々はうさんくさいなどといって咎めだてするわけでなく、祭りの一部としてそれらを大いに楽しんで見て回っていた。
 ハーン神聖王国とラグルード帝国。2つの国を上げて祝う一生のうちにもけして何回もはないようなおめでたいハレの日。
 だれもが浮かれさわぎ、少しづつそれまで貯めてきた体カと財産を、このときばかりとめいっぱいつぎ込んでこの日を祝う。
 それがハレの日と呼ばれるレゼ神官とネア斎王の婚礼の日だった。
 そして3年前のハレの日も、2つの国に住むすべての人々が浮かれさわぐめでたい日になるはずだった。

 その日、レゼ神官王とネア斎王の婚礼の式典は滞りなく進んでいった。
 まだ幼さの残る16才になったばかりの斎王と、本当に幼ない10才の神官王の婚礼は、2人のあまりに美しく愛くるしい姿によって、とてもおめでたい式典であるのだということを、それを祝う人々の目に鮮やかに焼き付ける。
 若くして死んだラルク=ジ・ラーム=ラクーンの代わりに、10才で神官王の位につくはずだった少年の名はカウス=ジ・ラーム=ラクーン。
 ネア斎王からレゼ神官王の王妃になるはずだった少女の名はフェリア=ラス=ラクーン。
 でも二人はついに、正式にそれぞれの地位につくことはなかった。
 それが起こったのは式典も最後の段階にとりかかり、二人の頭にクラウンを冠する儀式を執り行うときだった。
 式典が行われているファルクナン神殿の司祭長、すなわち主神アンセウスの司祭長が神官王となるべきカウスの頭上にクラウンを冠し、次にその王妃となるべき現ネア斎王の頭から斎王のティアラを取って、王妃の証たるプラチナとルビーのサークレットをその頭に冠したその瞬間。
 その時を迎えた。
 まず、人々の目に映ったのは吹き上がる鮮やかな赤。
 それは白と金とで統一された神殿の中で妙にまぶしくて、美しく映えた。
 真っ赤なものをふきだしながら、つい今までカウス=ジ・ラーム=ラクーンとファルクナン神殿の司祭長であったものが倒れて視界から消えた。
 フェリア=ラス=ラクーンがゆっくりと立ち上がる。
 純白のはずのドレスが真っ赤に染まっていた。
 一万人近くを収容した神殿の中は静まり返り、そこにいる人々はみな、憑かれたようにフェリアを……フェリアだけを見ていた。
 止まったような時が再び動き出したのは、フェリアがゆっくりと人々の方へ振り向いたとき。
 左手には幼いカウス、右手にはアンセウスの司祭長の生首が、それぞれ抱えられていた。
 何が起こったのかをようやく理解した人々の間に戦慄がはしる。
 静まり返っていた神殿の中がいっせいにざわめいていた。
 でも、それはとなりの人に何がどうしてあんなことになったのかっていう確認や意見を求める声で、ようするに人事に過ぎなかった。
 でも、それも短い間。
 フェリアが右腕に抱えた司祭の生首を人々の方へ放り投げる。
 そのまま右腕を伸ばし、手のひらを真っ直ぐに正面に向けた。
 その先にいるのは実の父であるラグルード皇帝。
 短い呪文の詠唱が終り、彼女の魔力と契約によって引き出された神力が、巨大な光のやいばを生み出した。
 そのときフェリアは笑みを浮かべていた。
 禍々しく妖しく、そして美しい笑みを。
 光のやいばはフェリアの手から放れると、すぐにすさまじい勢いで回転を始める。
 回転する光のやいばは、その途中にいた不運な人々を一瞬で血塊に変えながら突き進み、ついにラグルード皇帝に迫る。
 皇帝の左右にいた神官兵が、マジック=シールドによって阻もうとしたけど無意味だった。
 ほんの一瞬、まばたきをするくらいの時間だけ留めることに成功したが、マジック=シールドはすぐに粉砕され、ラグルード皇帝も他の人々と同様たんなる血塊に変えてしまう。
 人々の悲鳴と飛び散る血と肉塊。
 それはたぶん悪夢そのものだった。
 フェリアの放つ魔法によって、この神殿に詰めかけていた人々はほとんど肉塊に変えられてしまうことになった。
 奇跡的に生き残ったほんの僅かの人たちは、たぶんその光景を一生夢にみることになるだろう。
 血の海の中にただ一人たたずみ、両腕の中に抱えた少年の生首にキスをする美しい少女。
 それはとてもきれいで、とてもおぞましい光景だった。

 これが後にファルクナンの悪夢と呼ばれることになった、アフレリアで起こった事件だった。

 その後フェリアは、フェリア=ノヴァ1世と名乗り、ハーン神聖王国とラグルード帝国を統一してリ・ノヴァ大帝国を打建てる。
 ハーン神聖王国とラグルード帝国の有力な貴族や主だった将校クラスの人間は、すでにファルクナン神殿でまとめて殺されてしまっていたので、両国内にまともにフェリアに抵抗できるような勢力は残されていなかった。
 フェリアがリ・ノヴァ大帝国を建国して神帝を名乗ったとき、彼女の意見に逆らうものはすでに死に絶えていたのである。
 膨大な血の海の中に築かれた恐怖の帝国、リ・ノヴァ。
 それを治める圧倒的な力を持った支配者のことを、人々は“真紅の魔女”と呼んだ。
 現在リ・ノヴァ大帝国は聖騎兵(パラディン)を中心に軍を再統合し、16才以上の男子に対し徴兵義務を課し、のみならず多数の傭兵もつのっている。
 ひどくおおっぴらに、なんの画策もなくそれをやっているものだから、他国へ侵攻したいのだという意図がありありとわかってしまう。
 もちろん隣接する国々も黙って見ていたわけではなかったが、リ・ノヴァがやっているような貴族や商家たちの利権や、平民たちのくらしのことなんて一切省みようとしない無茶な強兵政策なんてとれるはずもなく、結局のところリ・ノヴァの出方を伺っているしかないというのが実態だった。
 隣接する国々の支配者は他国と同盟を結ぶことにより、それに対抗しようと画策したが、それはいずれかの国が侵攻を受けた場合、派兵以外の援助を行うといった極めて消極的なものでしかなかった。
 どの国も自国の兵力をわずかにでも割くことによって、自国の守りが手薄になることを嫌ったからだ。
 だから結果として回りの国々にできたのは、リ・ノヴァ大帝国……女帝フェリアがどの国を最初の生贄に選ぶのかを息をひそめて見守っていることくらいだった。
 人々の口々にはたえず戦のことが話題にのぼり、行商を営む人々の口から語られる最新の話題がよりいっそうの好奇心と不安をかきたてていた。
 とくにリ・ノヴァとの国境付近に位置する町や村では行商人だけでなく、職を求める傭兵たちや、国境と王都を激しく行き来する兵たちによってもたらされる、いかにも信憑性の高そうな噂話が飛び交っていて、とにかく話題にことかくようなことはなかった。

 リ・ノヴァ大帝国の南に国境を接する小王国ベイル。
 その中でも最も北端……つまりリ・ノヴァに一番近い村ルチアから、物語は始まる。

- 2 -

「ねぇちゃん、一人でなんか飲んでないでさぁ、こっちで俺らと一緒に飲もうぜぇ?」
 いかにも傭兵くずれっていった感じの男が、にやにやと露骨にいやらしい笑みを浮かべながら、酒場のカウンターに座っていた一人の女に近づいてゆく。
 男の年齢は30をいくつか過ぎているといった感じ。
 もう完全に出来上がってて、足元はふらふら目元はまるで焦点が定まっていない。
 どうもこの村に駐留する傭兵らしく、自前のロング=ソードを腰にぶら下げている。
 それを歩くたびにあちこちにぶつけては、そのたびに回りから罵声を浴びせられるのだけど、酔っ払い特有の鈍感さで、まるで気に止めることなく女に近づいてゆく。
 ショートカットにした黒い髪、額には銀色のなんの飾りもないサークレットをはめている。
 女が身に付けている上半身だけのハーフ=メイルには、いくつもの古い傷と最近できたばかりらしい傷とが無数に混在していて、女が常に戦いの中に身を置いているということを物語っている。
 その脇に立てかけてあるのはバスター=ソード。
 両手持ちの大剣で男の持っているロング=ソードの1.5倍くらいの長さと、3倍以上の重量をもっている。
 どうみたって護身用なんて生易しいしろものじゃない。
 戦場でいかに多くの敵を切り伏せられるかのみに重点を置いて作られた、ぶっそう極まりない剣。
 威力は抜群にあるけど、実際に使おうとする人間はごく少数に過ぎない。
 なにせ重すぎる上に使い勝手が悪い。
 これがメイスなら、とにかく敵にぶち当てさえすればそれでケリがつく。だけど、剣ではそうはいかない。
 やいばで相手をとらえる必要があるし、盾を持てないバスター=ソードでは敵の攻撃は剣で受ける必要がある。
 よっぽど修練をつまなけりゃ、こんな剣は実戦では役に立たないということなのだ。
 だから、それを平気な顔で持ち歩いているような者は、まず相当な使い手だと考えて間違いない。
 たとえそれが美しい少女であったにしても、だ。
 ドン!
 ふらふらと歩いていた男が、いそがしく給仕をしていた女にぶつかった。
「へへっ。ミリちゃん、いつもいいお尻してんねぇ」
 いやらしい笑いを浮かべながら、けしてキレイとはいかないけど、それでも女性としての魅力に満ち溢れた女給の尻をわしづかみにしていた。
 パンッ!
 派手な音が店内に響き渡る。
「どこ触ってんのよ!? まったく、いっつも手癖悪いんだから!」
 女給が派手にまくしたてると。
「いってぇなぁミリちゃん。へるもんじゃないしさぁ。ちょっとくらいいいじゃんかよぅ」
 別に悪びれたふうもなく、頬にくっきりとついた手形をさすりながら男が訴える。
「へんっ! あたいのは減るんだ! 気安く触んじゃないよ!」
 いせいのいい啖呵を男に向けて言い放つと、
「ほら、そこ。じゃまになるんだよ! さぁ、どいたどいた!」
 辺り中に元気を撒き散らしながら去ってゆく。
 男はそれを少しの間目で追った後、当初の目標に視線を戻し近づいてゆく。
「なんの用だ?」
 若くて美しい見かけからは想像もつかないような、しゃがれた不気味な声がする。
「へっ……へへっ。ね、ねぇちゃんどうだい、こっち来て一緒に飲まねぇか?」
 少しひるんだみたいだったけど、それでもめげずに男は声をかける。
「……わたしにかまうな。……され」
 短く、とりつくしまのない返事。
 たぶん男がしらふだったら、肩でもすくめて立ち去っただろうけど、あいにくしたたかに酔っていた。
 女の周りにへばりつくように漂っている殺気にまるで気づいていない。
「ねぇちゃん、つれねぇなぁ。仲良くやろうぜ、なぁ?」
 なおもいいながら、近づいてゆく。
 ちょうど背後に男が立った瞬間、女が男の方へと向き直る。
 意外なくらい立派な胸が、男の目の前にあった。
 たぶんそれは条件反射。……本能と言い換えてもいい。
「おっ?! をを! ねぇちゃん、いいおっぱいしてんなぁ!」
 男の右手がへばりつくように女の胸に張り付いていた。
「警告はした……」
 女がつぶやくように言葉を口にしたときだった。
 何かが男の目の前でひらめいた。
 次いで赤いものが飛び散る。
「へへっ? なんだぁ?」
 何か不思議なものでも見るかのように、男は自分の右手を眺める。
 そこに本来あるはずのものがなくなっていた。
 平たくなった手首の先。あふれる鮮血。
 手のひらの変わりに男が見たものはそれだった。
「お前のものだ」
 そう言って女が突きつけたものを左手で受け取ると、それは自分の手首だった。
「う、う、うおおっ」
 なんとも言いようのないうめき声を上げながら、手首を抱えて床の上にしゃがみこんだ男。
 店の中が静まり返る。
 手首から先を失って、うずくまっている男。
 床の上に広がる鮮やかな赤。
 ここに集まっている男たちは、ほとんどが戦をなりわいとする傭兵たちで、人が切られるとこなんて十分見慣れているはずだった。
 酒場でのけんかなんてこともよくあることだ。でも、それは酒を盛り上げるためのつまみのようなもので、剣を抜いての切りあいなんてのはシャレにならない。
 もし、そんなことをするようなやつがいたとしたなら……。
 真っ先に動いたのは男達ではなかった。
 床の上にくずおれている男の腕を強引にひっつかむと、自分の腰帯をほどいて巻きつける。
 途中でひっつかんできたほうきの柄を半分くらいに叩き折り、それを腕に巻きつけた腰帯の間に突っ込んで、ぐるぐるまわしながら絞り上げる。
 あふれていた男の血が止まった。
 それをしたのはさっき尻をなでられ、男の頬を派手にひっぱたいた女給ミリ。
 怒りに満ちた視線を女に向ける。
「なんてことすんだよ、あんた! ここは戦場じゃないんだ。イヤだったら、顔でも張りとばせばすむんだ。あんたは血に飢えてんのさ! あいにくこの店には血の味のする酒は置いてないんでね。今すぐでてっておくれ!」
 辛辣な言葉を、どうみてもアブナイ少女に投げつける。
「……」
 少女はバスター=ソードを背負うと、黙ったまま酒場を立ち去った。
 そこに残った男たちの突き刺すような視線なんて、まるで気にとめることもなく……。

 翌日。
 ようやく日はまた昇り始めたばかりだっていうのに、雲のない空から降り注いでくる、えらく強烈な日差しのためにもうかなり気温があがっている。
 小さな村に住む人々は、もうとうに起き出して畑や家畜の世話に行ってしまっていて人通りはそんなにない。
 女が通りを歩いている。
 でっかいバスター=ソードと小さなバッグを背負い、村の外に向かっている。
 でも、すんなりと外には出られそうもないみたいだった。
 村の出口のところに5人の男、それも武装した男達が立っていて、女が歩いてくるのをじっと見ている。
「待てよ、おい!」
 男たちのことなんて、まるで見えていないかっていうくらいみごとに彼らを無視して通り過ぎようとする。
 で、男たちは、あわてて女を呼び止めたのだけど、まるで効果はない。
 だから行動に移る。
 一人が女の正面に回って、残りの連中が視角へと回り込む。
 それでも女の剣の間合いからは、はずれるだけの距離はとっていた。
「おい、とまれよ!!」
 囲まれてなお無造作に進みつづける女に、正面の男が叫ぶように言う。
 女の剣の間合いに一歩でも踏み込んだら、たぶんバスター=ソードが襲いかかってくる。
 宙を舞う自分の首。飛び散る鮮血。
 そんな光景が男の頭の中に浮かんでくる。
 言いようのない恐怖。
 男を叫ばせたのは、その恐怖からだった。
「おい、あんた“血風のアリア”だろう? 逃げんじゃねぇぞ? それともびびってんのかよ?」
 背後に回りこんだ男は、それにあわせるかのように女を挑発しはじめる。
「あんたがいくら名の知れた傭兵だからって、こんだけの男に囲まれてちゃあ逃げられねぇぞ!?」
 さらに挑発した後、勝ち誇ったように付け加える。
「なぁ? “血風のアリア”さんよぅ?」
 ついに、女の足が止まった。
 背後の男は歓喜する。自分の挑発が効をそうしたと思ったから。
 正面の男は恐怖する。仲間の挑発が効いたと思ったから。
“かたきを討ちにいこう”
 戦場でバスター=ソードを振り回し、血の色をした風を巻き起こす女剣士アリア。
 その名を聞いてなをそう言った男の本当の目的が、かたき討ちなどではないことは簡単に想像できた。
 “血風のアリア”と戦って勝ったとなれば、たとえどんな手段を使ったって相当な名声を手にすることができるはずなんだけど……。
 今となったら、ふざけた妄想でしかないように思える。
 姿だけなら愛らしい少女のようにも見える。顔立ちは間違いなく美少女といっていいだろう。
 でも、その瞳には闇が住み着き、その体からは血の匂いが漂ってくる。
 存在そのものが死を意味してるようにしか思えない。
「その名で……」
 女の口から、低くつぶやくような声が聞こえてくる。
「わたしを呼ぶな!」
 言い終わったとき、背後で挑発を繰り返してた男の首筋に、バスター=ソードの刃があてられていた。
 沈黙が辺りを支配する。
 挑発を繰り返していた男も、顔を引きつらせながら黙ってつったってることしかできなくなっていた。
 男たちの間にただよった重苦しい沈黙。死の恐怖っていうおまけつき。
 それをうちやぶったのは……。
「きさまら、ご婦人を大勢で取り囲み、何をしている?」
 そんな言葉とともに飛び込んできた男。
 白と黒で塗り分けられたプレート=メイル。
 片側だけに刃の入った長剣ベルグランジュ。
 そしてプレイト=メイルの胸部に取り付けられているアンセウスの紋章。
 どうやら主神アンセウスに仕える神官戦士のようだ。
「どういう事情があるのかわし知らんが、お前たちのやってること黙って見過ごすことはできない!」
 そんなことを言いながら男は、ベルグランジュの峰を使ってそこにいた傭兵達を次々とたたき伏せていってしまう。
 でもって最後に残ったのは、女から首筋にバスター=ソードをつきつけられている男。
 アンセウスの神官戦士は、その男にベルグランジュをつきつけて、
「そのお嬢さんに手をだすことは、このわたしがゆるさない!」
 って言い切った。
 2本の剣でおどされることになった傭兵は、ひどく疲れたような声で、
「てめぇの目は、節穴だろう?」
 それは当然。……たぶんこんな状況に置かれた人間なら、誰もがそう思うはず。
 でも……。
「やはり悪党、ひらきなおったか?」
 アンセウスの神官戦士の答えはそれだった。
 なにを、どうとればそんな答えになるのか……。
 男がため息と一緒に吐き出した言葉は、
「勝手にしてくれ……」
 とっても疲れているみたいに……。
 まぁ、無理もないかも……。
「やっと観念したようだな。だが罪は罪。少し痛い目にあってもらおう」
 言うなり、今度は相手の返事も待たずにベルグランジュで相手をどつき倒す。
「お嬢さん、ご安心ください。悪人どもはこのわたしめが、すべて倒しました」
 いかれた神官戦士がベルグランジュをしまおうとしたときだった。
 いきなりきた。
 右側から首筋を薙ぐように。
「うひゅっ?」
 奇妙な声をあげながら神官戦士は体を沈める。
 頭をバスター=ソードが掠めていった。でも完全には交わすことができずに、髪の毛がごそっともっていかれた。
 少し変な髪形になってしまったけど、今はそんなこと気にしてる余裕はない。
 神官戦士はそのまま後ろ向きにころがり、続けざまに襲いかかってくる追撃をかわす。
 バスター=ソードの間合いから出た神官戦士は立ち上がってベルグランジュを鞘に収める。
「ま、まってください、お嬢さん! 何かの誤解です! は、話を聞いてください!」
 神官戦士が説得を始めた。
 いま地面の上で気絶させられている男たちが聞いたなら、“そりゃねぇだろ!”っていいたくなったに違いないセリフである。
 だけど、アリアと呼ばれた少女はまるで聞く耳も持たずに無造作に間合いをつめてゆく。
 だから当然神官戦士のほうも、そのぶんだけあとずさりしてゆくことになる。
「わたしは敵ではありません! お嬢さんをお助けしようと……うわっ!」
 ギンッ!
 剣と剣がぶつかり、火花が散った。
 間合いはまだある、そう判断した神官戦士のミスだった。
 アリアの踏み込みは想像を越えていた。
 たった一歩で間合いはつまり、今度はよけきれそうもないくらいの剣戟がきた。
 だから、神官戦士は再びベルグランジュを抜きそれで受けるしかなくなったのである。
 アリアの体が回転する。
 バスター=ソードが風を呼び、それと同化した。
 鎧を着ていようが盾を構えていようが、剣の間合いにあるものはことごとく切り裂くアリアの技。
 “血風のアリア”と呼ばれる所以である。
 その技を神官戦士が受けられたのは、どう考えても奇跡だった。
 ベルグランジュを両手で構え、受ける瞬間にほんの僅かだけ力を抜く。
 ギィン!
 二つの剣が火花を散らし、バスター=ソードが神官戦士の首筋ギリギリのところで止まった。
 神官戦士は体中から嫌な汗が流れ出すのを感じた。
 今の一撃で彼のベルグランジュの刃は欠けて、刀身にはいくつもの亀裂がはしっている。
 次に同じ攻撃がきたら、どうみたって受け止めることはできそうもない。
 殺られる……。
 さすがに神官戦士がそう思ったのも無理はないだろう。
 でも、次はこなかった。
 アリアは一歩下がりながら剣を収める。
 叫び声が聞こえた。それが首が胴体から切り離されるという、あまりうれしくない運命から神官戦士を救ったのだ。
「敵襲! 敵襲! 全員配置につけ!」
 一人の騎兵が馬を駆りながら、そう叫んで村を駆け回っている。
 アリアは神官戦士に一瞥もくれることなく、いきなり駆け出した。
「たすかったな……」
 後に残された神官戦士はそうつぶやいた後、小さく息をはきだした。
「いやー、よく助かりましたねぇ、ルファン隊長」
 どことなくとぼけた声が聞こえる。声がしたのは近くにあった小屋の裏手。
 そこから2頭の馬を引っ張って20代半ばくらいの男が出てくる。やはり同じいでたちをした神官戦士だった。
「ヴァロー君。なにもせずに見てただけっていうのは、ちょっとつれないんじゃないかね?」
 神官戦士……ルファンがほとんど使い物のならなくなったベルグランジュを鞘にもどしながそうたずねる。
「なにもせずにっていうのは、いささか心外ですねぇ。ちゃんとルファン隊長亡き後のことをあれこれ考えておりましたとも」
「ハハッ……。相変わらずたのもしいねぇ、ヴァロー君。思わず泣きたくなってしまうよ」
 ルファンはベルグランジュを腰からはずしながら、そう答える。
「それで、あれと直接当たってみた感想はいかがです?」
「噂以上だね。バーサーカーなんてしろものじゃないよ、あれは。パワーとスピードともにバーサーカーのそれを遥かに陵駕しているし、なにより怖いのはあの冷静さだ。つけいる隙ってものが見当たらない」
 今度は自分が気絶させた男の腰からロングソードを鞘ごとはずしながら、そうルファンが答える。
「う~ん、ルファン隊長にそこまでいわせるなんて……少なくとも、怪物以上ってことですね?」
 ルファンが自分のベルグランジュを男のベルトに取り付けるのを珍しそうに眺めながら、ヴァローがそういった。
「か、怪物以上って……。ヴァロー君、君たちは僕のことをそんなふうにみていたのかね?」
 少し傷ついたような感じで、ルファンがそういった。ちなみに今は、倒れてた男のロングソードを自分のベルトに取り付けているところだ。
「いや、そんなことはないですよ、ルファン隊長。少なくとも自分は怪物よりは少しはマシだと思ってますから」
 じつに情け深い、ヴァロー君のフォローのお言葉だった。
「気を使ってもらってありがとう。でも、できれば今後は僕のいないところで気をつかってほしいねぇ。君の気の使い方はあんまり精神的によくないよ」
 ロングソードを抜いて刀身をながめながら、ルファンが言った。
「そうですね、前向きに善処しましょう。ところで、さっきから気になってたんですが……。一体何をやってるんです?」
 政治家めいたセリフを吐いた後、ヴァローがついにそうたずねてみた。
「僕のベルグランジュと彼のロングソードを交換しただけだよ」
「してただけって……。でも、ルファン隊長のベルグランジュはかなり亀裂が入ってたようですが?」
「まぁ、ささいなことだから、気にする必要はないって」
「自分は気にしなくっても、彼は気にするんじゃないかなぁ」
 そういって、倒れてる男を指差すと。
「それならなおさら大丈夫だ。彼は今気絶してるし、気絶してる間は気にすることもない。つまり全然問題なしってことだよね。……それにしても、あんまし質がよくないなぁ……まぁ、あとは腕でカバーするか……」
 ルファンはなにやらかなり自分に都合のいい理屈をこねくりまわした後、しっかり文句まで付けている。
「そう言われればそうですね。ルファン隊長の言い分にも一理あるし、とりあえず今回はそれでなっとくしましょう」
 い、一理あるのか? それに、なっとくするのか?
 どうもこの二人はどこか普通の人の精神構造からは、ズレているようだ。
「それじゃルファン隊長。これからどうします?」
 ヴァローがそう指示を仰ぐ。
「こんなところで部隊をリ・ノヴァ軍と接触させるわけにはいかないからなぁ。とりあえず君が指揮してタルン郊外で部隊を駐留させといてくれ」
「わかりました……、でもルファン隊長はどうされるんです?」
「まぁ、ここまで来て手ぶらで帰るってわけにもいかないだろ? せめて謎の多いリ・ノヴァ軍の実戦情報でも集めて引き上げるさ。それに、もう一つやっかいな役目もあるしね」
「隊長がお一人でですか? 他の者に任せたほうがよろしくないですか?」
 そういうヴァローの言葉に、ルファンは肩をすくめて答えをかえす。
「僕以上の適任者がいると思うかい? ……っていうか、あんな危険なお嬢さんのお守りをしたいと願う連中がいると思う?」
 その言葉に今度はヴァローが肩をすくめる番だった。
「気にしないでください。一応言ってみただけですよ。まぁ、これでもあなたの副官ですし、それなりの仕事はしとかないとね」
 ヴァローのその言葉に、ルファンは頭を振りながら、
「まったく君は理想的な副官だよ、ヴァロー君」
 そうしみじみと言った。
「どういたしまして」
 謙遜してみせた後、
「それでは自分はご命令に従い部隊を指揮し、ルチア郊外からタルン郊外へと駐留地を移します」
 そう言ってヴァローはビシッと一点の隙もない敬礼をしてみせた後、馬上のひととなる。
 ルファンも自分の馬にまたがりながら、地面にころがったままの男たちに向けて覚醒の魔法をかけてやった。
 このままほっといたら、せっかくアリアから助けた命が無駄になる。
 う~ん、と男たちがうめきだしたのを確認してルファンは馬を走らせた。

 ルファンが駆けつけたとき目にした光景は、かなりひどいものだった。
 山道の出口付近に駐屯していた傭兵部隊は、ほとんど軍隊としての機能を失っていた。
 円形に纏まり、一見陣を組んでいるようにもみえるけどそういうわけではないようだ。
 指揮官はたぶん真っ先にやられてしまったのだろう、全体の動きはまるでちぐはぐで個人個人がばらばらに動いている。
 本来ならとうに敗退していてとうぜんなのだろうが、皮肉にもそうならずにいる最大の要因は敵の攻撃にあった。
 陣から僅かでも放れた兵士を見かけると、月女神ネアの神官の得意とするイリュージョン・マジックによって姿を消したリ・ノヴァ兵によってあっさりと斬り殺されてしまう。
 だから傭兵部隊は自分の身を守るために、丸くなって必死に剣を振り回しつづけているのだ。
 もうとっくに勝敗は決している。なのにここまで慎重に作戦行動をすすめているのは、たんなる勝利を求めているわけではないと見ていい。
 どうやらこれは、リ・ノヴァ軍は完全に包囲殲滅を図っている。一人の人間も生きて返すつもりはないらしい。軍を一気に進めて押しつぶせばその時の乱戦にまぎれて逃げおうす者がかならずでてくる。でもこのやり方なら一人残らず確実にしとめることができる。
 そうなるのがイヤなら、部隊を編成しなおして敵中突破をはかるしかないのだけど、肝心の指揮官が死んでしまっていてはそれもできない。
 まぁよくもここまで……と感心したくなるくらい見事に、リ・ノヴァ軍の作戦にはまってしまっていた。
 だからその様子を見たルファンの出した結論は、
「ダメだな、こりゃ……」
 というものだった。
 こうなったら、彼らには彼らの運命を辿ってもらしかない。
 そうあっさり結論をだすと、戦闘に巻き込まれない離れた場所から観察する。
 一人の少女……アリアを探すためだ。
 小国ベイルの傭兵部隊とはいっても5千くらいの兵力はある。リ・ノヴァの兵力がほぼ同数としても一万くらいはいる計算になる。
 普通はその中から、しかも戦闘中に探し出そうというのはかなり困難なのだけど、幸いなことに探す相手は普通ではなかった。
 もうにっちもさっちもいかなくなってしまっている傭兵部隊を尻目に、アリアはひたすら敵の中心部へと向けてつきすすんでいってる。
 剣の一振りごとに見えない敵が血煙をふきあげて両断されてゆく。
 あたるをさいわいって言葉が、とってもよく理解できる光景だった。
 しばらくは、あの調子で突き進んでゆくことだろう。
 でもアリアがどれくらい化け物じみた技と力をもってたところで、所詮一人にすぎないし敵にはマジシャンもいる。現に今も次々に投げかけられるマジック=バインドのために、わずかずつではあるけどそれでも確実に動きが鈍くなってきている。
 元々の身体能力があまりに高いために、今はまだたいして影響もないように見受けられるけど、そんなのは所詮時間の問題で、いずれはシャレになんない事態におちいるのは目に見えている。影響がでてないうちに、さっさと引き上げてくれれば一向に問題はないんだけれどどうもそんな様子もない。
「まいったねぇ……」
 ルファンは正直頭を抱えたくなっていた。
 敵のど真ん中で孤立しているアリアのとこまで突っ込んでいって、連れ出さなくてはならない。
 あそこまで辿り着くのも困難なら、そこから脱出するのはもっと困難だ。おまけに連れ出さなくてはならないのが、リ・ノヴァ兵以上に危険極まりない“血風のアリア”ときている。
 正直なところこのまま逃げだしてしまうっていうのが、正気の人間のとるべき道だろう。
「でもまぁヴァロー君じゃないけど、それなりの仕事はしとかないとまずいなからなぁ……」
 ちいさくため息をつくと、いくつかの呪文をとなえる。
「大いなる力の導きを」
 センス・オブ・マジック。
「大いなる力の盾を」
 マジック・シールド。
「大いなる力の加護を」
 メンタルアップ。
 最後にロングソードを抜き出す。
「我が主の力の顕現をこれに!」
 ロングソードの刀身に無数の電光がまとわりつく。
 エンチャント・ソード。
 主神アンセウスの力とされる雷属性を付与したのだ。
 斬らずとも、触れるだけで敵は倒れることになる。
 これでアンセウスの聖騎士としての標準装備はととのった。
 あとは突っ込むだけだ。
 もちろんセンス・オブ・マジックによって、敵の一番手薄なところをさぐりながらこそこそと。
 できればアリアを連れ出すまで誰にも見つからずにいきたいところなのだけど、さすがにそこまでは高望みのしすぎだろう……。
「でも、もう少しくらいは近づきたかったなぁ……」
 そういいながらルファンは一人目を屠った。
 ネア神官のイリュージョン・マジックによって敵の姿を見ることはできないけど、イリュージョン・マジックを付与された敵はセンス・オブ・マジックによってはっきりと感じることができる。だから、それは問題にならないのだけど、敵に発見されてしまったのはやっかいだった。
 アリアとの距離はおよそ500メイル(約500メートル)。馬を一気に駆けさせればたいした距離じゃない。
 ただし、途中に敵がいなければの話だ。
 おまけに敵の神官やマジシャンの注意を引いたらしく、マジック・バインドやスリープ・ストームといった攻撃がしかけられてくるようになった。
 マジック・バインドはマジック・シールドで、スリープ・ストームはメンタルアップでそれぞれ対応できるけど一定間隔で効果のうすれてきた魔法をかけなおさなくてはならないので、うっとうしいことこの上ない。
 もっともそれをうっとうしいなどと感じるのは、この男くらいのものだろう。敵と斬りあいしながら、かなりの精神集中を必要とするはずのマジックスペルを平気な顔で唱えるなんて芸当は余人にはなしえない技だ。
 しかもそれを連続で、複数の詠唱をやってみせる。
 副官のヴァローが化け物呼ばわりするのも無理もない。
 そうしたルファンの努力(?)のかいあって、確実にアリアとの差は縮まっていく。
 もう目と鼻の先……あと50メイルほどにまで近づいたときだった。
「こ、こいつは……」
 魔力を感じた。センス・オブ・マジックがなくてもはっきりと感じられるくらい強い魔力。
 今までのネア神官やマジシャン達のものとはレベルが違う。
 この力は……。
「よけろ!」
 考える前にルファンは叫んでいた。
 でもそれと同時にまぶしい光の束が、アリアに向けて収束する。
 レイ・ブラスト。
 太陽神レゼ神官の使う高位の攻撃魔法。
 これの直撃をくらえば、たとえアーク=デーモンクラスの上級モンスターだろうと一撃で灰になる。
 辺りに満ちた光の洪水。
 いくら“血風のアリア”だろうと……。
「まいったね、これは……」
 そうルファンが上げたのは感嘆の声。
 生きていた。
 なんと、今の直撃を喰らってなをアリアは生きていた。
 ハーフプレート=メイルはぼこぼこになって、がっくりと片膝をついてはいたけどしっかりと生きている。
 その回りに転がっているリ・ノヴァ兵のぐずくずになった死体が、いまの攻撃のすさまじさを示している。
 よく見たらバスター=ソードの長さが半分になっていた。それで今の攻撃を受けたのだろう。なんらかの魔力を帯びた魔法剣だったに違いない。おそらくそれで助かったのだ。
 でも、ほっとしたりするような暇なんてなかった。
 100メイルほど放れたところに、太陽神レゼの聖騎士(パラディン)がいた。
 女性用の胸元の膨らんだプレイト=メイルを身に付けている。
 遠目ではあるけど、かなり美しい女性であることが見て取れた。
 その彼女がゆっくりと両手を前に突き出す。
「おいおい、正気かよ……」
 ルファンの口からそんな声が漏れていた。
 ルファンも連続で魔法を使うことはよくある。でもそれは低位の補助魔法だから可能なことだ。レイ・ブラスト並みの上位攻撃魔法を立て続けに使用するなんて無謀の極みだ。
 どれほどの魔力を持っているかは知らないけど、しょせん人間がそんなことをすれば命にかかわる。少なくとも、身動きはできなくなるだろう。
 戦場では、そういうのを自殺行為っていう。少なくともルファンにとってはそうだ。
 でも、その女聖騎士(パラディン)はお構いなしに魔力を発動させる。
 さっきよりは幾分小さいが、ほぼ同クラスの魔力だ。どうやら本気らしい。
 それを感じ取ったルファンは、馬を捨てる。
 間にリ・ノヴァ兵がいるために攻撃魔法は届かない。だから、アリアを助けるためにはアリアの元に辿り着いて強力なマジック・シールドの魔法をかける必要があった。
 このままでは自由にうごけない。自分だけだったら目の前を通り抜ける分だけ切り開けばいいのだ。
 後は自分の方が早いか、女聖騎士(パラディン)が呪文の詠唱を終えるのが早いかの勝負である。
 片膝を突いて身動きができなくなってしまったアリアの背後、ほんの1メイルにまで迫ったときだった。
 無常にもその時はおとずれた。
 再び強烈な光がアリアに向けて収束を始める。
 レイ・ブラスト。
 女聖騎士(パラディン)の呪文の詠唱が終わったのだ。
 ルファンは間に合わなかったのである。

 でも……。

 アリアは救われた。
 ついでにルファンも救われた。
 それでもなをルファンとしては、こうつぶやかずにはいられなかった。
「なんて、非常識な……」
 と。

 突然目の前に現れた、それ。
 なぜかドワーフの格好をしている、それ。
 美しいプラチナ色の髪をなびかせて、小柄な体は美そのものを具体化しているようだ。
 いささか薄汚れたドワーフの服を着ていても、その後姿の美しさを微塵も損なうことはできていない。ただ、見た人の心を痛ましいような気分にさせるだけだろう。
 後姿だけでも、その存在がとんでもない美貌を持っていることは容易に想像がつく。
 その美しさだけでも十分に非常識なのに、なんとそれは女聖騎士(パラディン)が放ったレイ・ブラストを弾き飛ばした。
 それも素手で。
 魔法は使ってない。センス・オブ・マジックで感知できない魔法なんてこの世に存在しない。
 だから、間違いなくそれは……美し過ぎるくらい美しいそれは、素手でレイ・ブラストを青空の向こう側に弾き飛ばしてしまったのだ。
 はたしてこれを、非常識以外の言葉で説明できるのだろうか?
「おい、おめぇ、だいじょうぶか?」
 声が聞こえた。天上から聞こえてくるような、うつくしく官能的な声。
 それがゆっくりと後ろを振り返った。
 想像はしていた、でも想像などできていなかった。
 たとえ想像のひとかけらだとて、今目でみているものを超えることはできないだろう。
 なにものをももってしても、その美しさに触れることはできないだろうし、そこなうことも不可能だろう。
 なんのつもりなのかは知らないけど、顔中にべったりと付け髭を張付けている。
 でもそれだって、いささかも超絶的な美貌をそこなう役にはたっていなかった。
 ただ、痛々しいだけだ。
 これほど美しい女・性・が、この世の中に存在しているなんて……。
 一瞬で、ルファンは虜になった。
 たとえどんなに非常識な女・性・だろうとかまわなかった。
 ほんの一瞬ではあるけど、ここが戦場でアリアの身を守らなければ、ということすら忘れてしまっていた。
 それほどルファンの心は目の前の存在に奪われてしまっていた。

 でも心を奪われてしまったのはルファンだけではなかった。

 心など、3年前のあの日捨てたはずなのに……。
 真っ赤に染まった地獄を見たあの日、捨て去ったはずなのに……。
 この胸の高鳴りはなんなのだ?
 心が締め付けられるようなこの思いはなんなのだ?
 ただその黄金に輝く美しい瞳に見つめられるだけで、なにも考えられなくなってしまう。
 その魂をとろかしてしまいそうな声を掛けられたとたん、体中の痛みが消し飛んだ。
 なんでこんな女・性・がいるのだろう?
 自分が戦場にいることなど忘れてしまった。
 どうしても彼・女・から目を放すことができない。
 どれほど強く否定しても、もうアリアは逃れられない運命にとらわれてしまっていた。
 彼女の魂は、もう彼女自身のものではなくなってしまっていたのである。

「おう、おめぇら。おれさまが助けてやっからよ、安心しな」
 カッコつけて、そう言ったのはイルス。
 気分はタフで屈強なドワーフの戦士だった。
 実は自分はドワーフなんかではなく、普通の人間の男だと告白したときに相手がおどろく様子を想像するのは楽しかった。
 まぁ、想像だけなら自由だけど、いい加減現実とのギャップを理解すべきだろう。
 そんなんだから、自分がどれほどやっかいな運命に足を突っ込んだのか理解したときには、もう取り返しのつかないような泥沼にはまりこむことになってしまうことになる。
 自業自得というやつだった。

< つづく >

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