ドールメイカー・カンパニー2 (14)

(14)踏み外した一歩

 翌朝、“きつね”くんが怜を伴い社長室の扉を開けると、“くらうん”はパッと顔を輝かせた。

「おはよう、“きつね”くん。随分眠そうですね」

 “くらうん”はそう言って“きつね”くんに話し掛けながらも、身体は怜の所にすっ飛んでいき早速服を脱がせ始めていた。

「おはようございます、“くらうん”さん。結局夜中の3時過ぎまであの姉妹の面倒を見てたんで・・・」

 “きつね”くんはそう言って大きく欠伸をした。

「そうですか、ご苦労様です。一人で二人看るのはちょっと大変でしたかねぇ?」

 怜の両手をテーブルに着かせた“くらうん”はジーンズを苦労して脱がせながら言った。

 口調とは裏腹に“くらうん”の視線は怜の股間に吸い付いたままである。

「いや、俺が看てたのは殆ど諒子だけで、美紀の方は“あらいぐま”さんがずっと使ってたんですよ。だから時々美紀の順応具合を確認してた程度だったんで、作業量的には問題なかったんですけどね・・・」

 “きつね”くんは“くらうん”の態度には慣れっこになっていて気にしないで話を続けた。

 聞いていないようで“くらうん”は実に良く“きつね”くんの話を聞いているのだ。

 今も怜に早速自分のイチモツを咥えさせながら、しっかりと“きつね”くんの話しに反応した。

「どうしました?あまり上手く行っていないのですか」

「う~ん・・・。ま、予想通りではあるんだけど、やっぱ、諒子は一筋縄ではいかないみたい」

 “きつね”くんは小さく肩を竦めた。

「おやおや・・・ウチのホープがそんな発言をするんですか?貴方らしくも無い」

 “くらうん”は怜を頭を撫でながら、右目の眉を上げて“きつね”くんを横目で見た。

「いや、別に上手くいかないって言ってる訳じゃないんですよ。ただ、普通のやり方を幾ら繰り返しても・・・丁度3ヶ月前の怜みたくモノに出来ないってことです」

 その言葉に“くらうん”は自分の肉棒に一生懸命奉仕している怜に視線を落した。

 ホンの3ヶ月前、怜が大暴れした事は記憶に新しい。

 そしてそれを咄嗟の気転で鎮めたのも、その後の再教育を見事に成し遂げたのも“きつね”くんであることもまた忘れていなかった。

「なるほど。確かにあの娘は特別に強靭な精神力を持っていそうな顔つきをしてますからね。でも・・・貴方の口ぶりだと手は考えて有りそうですね」

 “くらうん”の問い掛けに“きつね”くんは身を乗り出した。

「えぇ、そのことで少し相談があって来たんですけどね。実はあの姉妹を今日、剣道の試合が出来る場所に連れて行きたいんですよ。最初はここの会議室を考えていたんですけどちょっと天井が低くてやり辛いんですよね。で、どっか良い所知りません?」

 “くらうん”は“きつね”くんの突然の申し出にちょっと思案するように宙を見詰めたが、やがて口を開いた。

「う~ん・・・、個人的に知っている場所は有りませんがぁ、とりあえずあの姉妹の学校はどうですか?契約書に書いてある今までの経緯を読むと、武道場が有りそうでしたけど」

 “くらうん”の答えに“きつね”くんも小さく頷いた。

「やっぱ、其処ですかねぇ・・・。学校で部外者が多いことが気になってたんですけどぉ。でも、この短期決戦であんまり贅沢を言ってもいられないし・・・」

「あぁ、なるほど。確かにその点は要注意ですけど・・・でも今回のクライアントの学校ですからね。上手く人払い出来るんじゃないですかねぇ。貴方がそこでしたい事って、何か突拍子も無いことなんですか?偶然第3者に見られたら完全にアウトみたいな・・・」

「いや、そんな事はないです。ちょっと奇妙に感じるでしょうけど、あまり問題はないです」

 “きつね”くんの答えに“くらうん”は満足げに頷いた。

「じゃあ、一応学校の武道場を使うことにしましょうか。クライアントには私から話を通しておきますよ。今日の何時から使いたいんですか?」

「う~んとぉ、5時か6時頃が良いかな。多分30分も有れば充分なんですけど」

「判りました。それじゃあ調整しときますよ。それであの姉妹は?まだ寝てるんですか」

 “くらうん”は怜の舌技に段々と追い込まれながら気になっていることを訊いた。

「えっ?いや、あの二人はもう学校へ行きましたよ。この急場の仕事で、まだ休ませる良い口実が無いんですよ。だから当分昼間は学校へ行かせて夜はここに帰ってくるように指示を埋め込んでおきました」

 その答えに“くらうん”は明らかに落胆した表情になった。

 まだ他のメンバーが出社してきていないこの時間に、二人のどちらかを味わっておこうと考えていたのだろう。

「あ~そうなんですかぁ、それは大変ですね。女性に夜更かしは大敵ですからね、クライアントに引き渡す前には充分に休ませてあげて下さいね」

 当てが外れた“くらうん”は、そんな取ってつけたような事を言いながらソファの上で怜の腰を抱えようとした。

 とりあえず怜の媚肉で代用するつもりになったのだろう。

「あ・・・あのぉ、“くらうん”さん?」

 しかしそのタイミングで“きつね”くんの申し訳なさそうな声が割って入った。

「怜なんですけど・・・ちょっと今から仕事があるんですけどぉ」

 その言葉に“くらうん”は情けない表情になる。

 しかし“くらうん”が口を開くより早く、怜はパッと起き上がり腰を抑えていた“くらうん”の両手を優しく、しかしきっぱりと振り切った。

 そして“きつね”くんの足元に跪きスッカリ命令を受ける体勢になっていた。

「ごめんなさいね“くらうん”さん。誰か代わりによこしますから」

 “きつね”くんは寂しげにイチモツをぷらんとさせている“くらうん”に片手で拝むようにしながらそう言うと、怜の服をかき集め逃げるように社長室を後にした。

                    *

 怜が社内をうろついていると誘蛾灯に引き寄せられるように男が群がって来て仕事にならないので、“きつね”くんは怜に手早く服を着せ、2つ、3つの用事を言い付け社外に放り出した。

 そしてその結果が出るまで、目覚ましのコーヒーでも飲もうと“きつね”くんは会議室へ向ったのだった。

 今日の会議室はパーティションで区切られ、休憩室になっている。

 “きつね”くんは何気なく扉をあけたのだが、意外にもそこには何人か先客がいた。

「あれ?皆さん早いんですね」

 “きつね”くんがそう言いながら入っていくと皆一斉に顔を上げた。

「おぅ、“きつね”!久しぶりじゃねぇか。学校はもうお終いか?」

 そう言って渋い笑みを浮べたのは、マインド・サーカスの創始メンバーの一人“とら”だった。

 40歳を少し超えたくらいのやや細面の顔が良く日に焼けている。

「わぁ、“とら”さん!お久しぶりですっ。“くらうん”さんから聞きましたけど、“とら”さんがあのデータベースを組んだんですって?俺、すっげえ感動しましたよっ」

 “きつね”くんは瞳を輝かせると“とら”の前に腰掛けて話し出した。

 しかし直ぐに良くとおるバリトンがそれを遮った。

「おいおい、あれは私が発案したんだよ」

 そう言って目をぎょろっとさせたのは“くま”だった。

 ごつい手に隠れそうな小さなペットボトルからミネラル・ウォータを飲んでいる。

「あれっ?そうなんですか?僕も“とら”さん作だと聞いてましたよ」

 色白でひょろっと背が高い“きりん”は大き目の眼鏡をズリ上げながらそう言った。

「あぁあっもう・・・ひでぇなぁ。“くらうん”の奴、情報を捻じ曲げてやがるよなぁ」

 “くま”は両方の眉を上げて大げさに溜息を吐いた。

「何いってやがるっ、“くま”。お前が言ったのは『誰かに暗記してもらえないかなぁ』って呟いただけじゃねぇか。俺が、仕組みを考えて、メンバーを連れてきて、暗示をかけて・・・お前なんかメンテもしたこと無いくせにっ」

 そう言って“とら”は“くま”の顔にふっとタバコの煙を吹きかけた。

 創始メンバー同士で仲の良い二人である。

 “きつね”くんはそんな二人からデータベース談義をしてもらったり、“きりん”と二人で茶化したりしながら暫らく時間を潰していた。

 するとそこにまた部屋の扉が開いた。

 再び一斉に顔が上がる。

 そして次に扉の陰から現れたのは・・・“ぱんだ”だった。

「おぅ“ぱんだ”、おはよう。どうしたい、朝寝坊のお前さんが、こんな早くから」

 真っ先に声を掛けたのは“とら”だった。

 半年前まで“ぱんだ”の指導教官をしていたのだ。

 それに対し、“ぱんだ”はうっすらと笑みを浮べて小さく頭を下げた。

「おはようございます、“とら”さん。ちょっと仕事の準備があって・・・」

 それまでの会話のテンポを中断するようなゆっくりした声で“ぱんだ”は応えると、“とら”の横にそっと座った。

「お久しぶりです、“ぱんだ”さん」

 “きつね”くんは3ヶ月ぶりに顔を合わせた“ぱんだ”に挨拶をした。

「やあ、久しぶり。どうしたの、クリスマス商戦で誰かの手伝いに引っ張り出されちゃったの?」

 “ぱんだ”の口元がニンマリと広がる。

 当人は親しみを込めたつもりかもしれないが、沈んだ眼差しとのコントラストが正直不気味だ。

「引っ張り出されたのは当りだけど、手伝いじゃないんですよぉ。1週間で2人も仕上げろって闇の大ボス“くらうん”さんから厳命されちゃってぇ」

 “きつね”くんは『しくしく』と泣き真似をしながら言った。

「おいおい、そりゃあちょっとホネじゃねえかぁ?」

 さっそく“とら”が顎を撫でながら言う。

「ウチの期待の新人に早速イジメの試練ってやつかな?“くらうん”も優しい顔してやる事は陰険だからな」

 横で“くま”がニヤニヤとしながら頷いている。

「でも、“きつね”くんは優遇されてるよ。見たよ昨日、君のターゲット。またまた特上クラスの美女じゃないかっ。ウチのターゲットはどれもレベル高いけど、その中でもカナリのモノだよ。年間ベスト3は間違いないね」

 意外と観察が鋭い“きりん”が顔を紅潮させて言った。

「なんだとぉ?本当か“きつね”。もしそうなら前言撤回だ。おめぇ“くらうん”と密約でもしてねぇか」

 “とら”はそう言ってギロッと睨んだ。

「と、と、と、とぉ~んでもっ・・・・ないっ!」

 “きつね”くんは大げさに両手を広げて“とら”の前で振った。

「ただの偶然ですってっ。だいたいベスト3って事は、最低あと2人は同クラスのドールが居たんでしょ?誰のターゲットだったか知らないけどさぁ。俺なんて勉強、勉強でそんな美味しそうなドール、抱くどころか、顔も見てないんですよぉ」

 “きつね”くんはそう言いながら胸の前で両手を交差させ『不幸な自分』を演じていた。

 しかしどうも周りのノリが悪い。

 しれっとした視線が注がれているのだ。

 そしてそこに“きりん”がニンマリと顔を寄せて割り込んできた。

「“きつね”くん、11月までの暫定ベスト3を教えてあげようか?」

 そう問われて“きつね”くんは怪訝な顔で頷いた。

「第3位は、エイプリル・ドールの二ノ宮真由美、22歳のレースクイーンにして某薬科大学の4年生・・・この娘は知らないわけないよね、“きつね”くん。君が入社するきっかけになった娘だよ」

 そう言われて“きつね”くんも目を丸くした。

「あぁ!真由美ちゃんが3位だったんだぁ。うんうん、わかるよ。あの娘は確かに良い味してたっ」

 そう言って“きつね”くんは嬉しそうに手を叩いた。

「それで、それでっ?2位と1位はっ?」

「2位と1位・・・教えてあげる」

 “きりん”はそう言って意味ありげに“きつね”くんの目を覗き込んだ。

「第2位は・・・オーガスト・ドールにして当社最高得点の完成度で納品された、竹下映美、25歳なんだよ、“きつね”くん。そしてぇ・・・堂々の第1位はっ、正義の女狼にして破壊の化身、オーガスト・ドール松田怜っその人だっ」

 高らかに言い放った“きりん”の迫力に押され思わず仰け反った“きつね”くんだったが、一呼吸おいて出た言葉は・・・

「・・・あ」

 気まずい沈黙のなか、4人の視線が集中した。

「おめぇ・・・やっぱ、なんか裏取引してんだろぉ」

 “とら”が口をへの字に曲げて白い目を向けた。

「ははは・・・偶然、ぐぅ~ぜんっ」

 “きつね”くんは開いた両手を振りながら、顔を引きつらせて必死に弁明した。

「そっ・・それにさっ、真由美は結局“あらいぐま”さんの仕上げだし、怜は“ぱんだ”さんの仕込みでしょ?映美は確かに俺だけどさ、今度の姉妹なんて顔を見るどころか電話で“くらうん”さんから提案されたんだからねっ」

 しかし、調子付いてきた“とら”にはこんな弁明など通用しない。

「なぁに言ってんだ、こらぁ。あの真由美なんて、元々お前さんのパーソナル・ドールじゃねえか。“きつね”の匂いをたっぷりとマーキングされたドールを“あらいぐま”が出荷用に化粧直ししただけじゃねぇか。それに、なんだぁ、怜が“ぱんだ”の仕込みだとぅ?冗談じゃねぇや、あんな駻馬を“ぱんだ”のレベルで乗りこなせる訳ねえじゃねえか。ありゃあ、誰が何て言おうとお前さんのドールだぜ。なあ“ぱんだ”、そうだろっ?」

 “とら”は横で3人の話など聞いていないような顔で静かにコーヒーを飲んでいる“ぱんだ”の肩を叩きながら決め付けた。

 しかし“きつね”くんはそんな“とら”の言葉をヒヤヒヤしながら聞いていた。

 以前“くらうん”から怜の件で“ぱんだ”がショックを受けていたと聞いていたからだ。

 案の定、一瞬“ぱんだ”の表情が固まる。

 しかしすぐにさっきのアルカイック・スマイルを浮べ、小さく頷いた。

「勿論ですよ・・・。僕の手に負える相手じゃなかったですからねぇ・・・」

 視線を誰にも向けず、手元のコーヒーを見詰めている。

 その仮面を被ったような無表情の一言が、楽しげだった場のトーンを一気に盛り下げた。

 そしてそんな“ぱんだ”の様子を誰よりも苦々しく見ていたのは、話を振った当の“とら”だった。

 天使が通ったように、一瞬の沈黙が訪れる。

 そしてその沈黙を打ち破ったのは、ミネラル・ウォータで口を湿らせた“くま”だった。

「さぁてっ・・・それじゃあ、いよいよ“きつね”くんの密約嫌疑が深まったところで、今回の疑惑のターゲットの顔でも拝見させて貰いましょうか?」

 ニヤッと笑い、手をこすり合わせて嬉しそうに“くま”は言った。

 気まずい雰囲気を盛り上げようとした“くま”に応えるように“きつね”くんも『にっ』と笑い返して言った。

「ざ~んね~んでしたっ!もうあの姉妹は出かけちゃったよ。帰ってくるのは・・・夜だね」

「なにぃ?そりゃぁ益々怪しいじゃねえかぁ。こんな早朝から隠し立てするなんてよ」

 “とら”も本来のテンポを取り戻して捲くし立てた。

「違いますよぉ。二人は女教師と、その学校の生徒なんですから、今ごろ学校で授業中です」

 “きつね”くんは腕時計にチラッと視線を走らせて言った。

「へぇ・・・先生だったんだ。いいなぁ、そこの生徒。ねぇ、何処の学校なの」

 “きりん”は身を乗り出して訊いた。

「私立・・・栄国学園・・・っていう名前だったと思うよ。知ってます?」

 その問いに“きりん”は大きく頷いた。

「なるほど。あそこかぁ。わりと金持ちの子弟が通っている学校だよ。今時の箱入り娘御用達の高校」

「ふぅ~ん・・・いい事聞いちゃった。俺、今日そこの学校に行って出張調教して来るんだ。ついでにクリスマス用の綺麗ドコロをスカウトしとこかな?」

 “きつね”くんはニンマリとしてそう言ったのだ。

 そして“きつね”くんのこのセリフに皆一斉に反応し、新たな話題で雑談に花が咲いた。

 しかし独り“ぱんだ”だけは無言で手にしたコーヒーカップを覗き込んでいた。

 (学校で出張調教だってぇ?・・・ふふふ・・・良いねぇ、このタイミング。あんな部外者が多いところで催眠調教しようなんて、舐めすぎだよ“きつね”くん。ちょっとだけ・・・ちょっとだけ痛い目に会って貰うからね)

 知らず知らずに“ぱんだ”の口に笑みが広がる。

 しかし雑談に夢中になっている4人は気付かない。

「じゃ・・・僕、仕事の続きがあるから・・・」

 手にした紙コップをそっとゴミ箱に落し、“ぱんだ”は席を立った。

 4人は夫々軽く手を上げて挨拶をすると再び雑談に花を咲かせる。

 (今に見てろよっ・・・“きつね”)

 背中に楽しげな会話を聞きながら“ぱんだ”は部屋を出た。

 しかし・・・扉を閉める一瞬、その横顔に“とら”が視線を走らせていたことに“ぱんだ”は気付くことはなかった。

 一方、部屋に残った“とら”は、閉じられた扉を渋い顔になって見詰めていた。

 しかし不意に何かを思いついたように“きつね”くんに言った。

「おい、“きつね”よぉ。お前の今日の出張調教ってよぉ、何処でやんだ?教室か」

 “とら”の突然の質問に“きつね”くんは、目をキョトンとして答えた。

「え?いいえ、武道場が有るそうなのでそこでしますけど・・・」

「武道場・・・か。人払いは出来んのか?」

「えぇ・・・多分。クライアントの学校らしいんで」

 “きつね”くんは、小首を傾げて軽く答える。

 しかしその様子を見ていた“とら”は納得したように言った。

「なるほど。その口ぶりじゃあ、それほど人払いに神経質になる事も無いって感じだなぁ」

「う~ん・・・ま、そうですね。でも、それがどうかしたんですか」

 その問い掛けに“とら”はニヤッとして言った。

「実はよぉ、せっかくだからお前さんの疑惑ドールをそこで見せてもらおうと思ってよ」

 この“とら”の意外な申し出に“きつね”くんは目を丸くした。

「見に来るんですかぁ?ワザワザ来なくっても夜には戻りますよ。“ぱんだ”さんのセリフじゃないけどクリスマス・プレゼント用のドールで手が離せないんじゃないんですか」

「いや・・・そっちはもう大体目処は立ったんだ。ま、折角だからお前さんの調教もチョコっと見学させてもらいたいなってことだ」

 “とら”は顎を撫でながら横目で“きつね”くんを見ながら言った。

 するとそれを聞いていた“きりん”も身を乗り出してきた。

「良いですねぇ。僕も一口乗せてよ、その企画。あの先生の誘導シーンなら、金払っても見たい」

「私も行こうかな。良いだろ?“きつね”くん」

 “くま”まで乗り気のようだ。

「え~~~っ!ちょ、ちょっと待ってよぉ。俺、ちょっと、それ、恥ずかしいなぁ」

 “きつね”くんは珍しく赤面して言った。

「なぁ~に言ってやがる。らしくもねぇ。俺ぁ社内の技術向上委員会の委員長だ。いいか、今月は“きつね大先生による催眠調教の実演”のテーマにしたからなっ。後で他の奴らにもメールをまわして置いてやるから時間と場所を教えろ」

 “とら”は半ば冗談、半ば本気といった表情で“きつね”くんに迫った。

「ひ~っ・・・。そ、それはご勘弁を。駄目なんですよぉ、今回のだけはっ。ホント皆さんにお見せするような出来じゃないんで」

 “きつね”くんは必死で断わったが、“とら”は頑として頷かなかった。

「あ~ぁ・・・もう、酷いなぁ“とら”さんわっ。じゃあ、一応お見せしますけどぉ、もうあんまり人集めないで下さいよ。それと・・・絶対に笑わないで下さいね」

 結局、新人の“きつね”くんは従わざるをえなかった。

「おぅ、判ってるって。すまねえな、無理言ってよ。ま、そのうち埋め合わせしてやるからよ」

 こうして諒子と美紀の催眠第3段階は思い掛けぬギャラリィ付きの公開調教になったのだが、このことがこの後思わぬ波紋となって広がっていくのだった。

                    *

 一方、休憩室を出た“ぱんだ”は、その足で自室に戻っていった。

 そしてパソコンを立ち上げるとマインド・サーカスのメンバーの予定表を画面に呼び出した。

 続いて“ぱんだ”は慣れた手つきで本日の日付を選択し、表れたデータをスクロールさせて『10』と書かれた欄を表示させていった。

 すると、案の定そこには“きつね”くんの今日の予定が書き込まれていた。

「えぇと・・・『16時に外出、帰社は19時予定』か。外出先は・・・うん『栄国学園高校』になってる。間違いないな」

 “ぱんだ”はそれだけ確認すると、パソコンを終了させた。

 時計を確認するとまだ9時半だった。

 時間は充分にある。

 “ぱんだ”は椅子の背に身体を預け、目を閉じた。

 そして今日実行する独りだけのシナリオを頭の中に描き始めた。

 昨日咄嗟に刷り込んだワードはたった一つ。

 しかし、それがどれほどの威力を発揮するかは“ぱんだ”には十分予想がついていた。

 問題はタイミングだった。

 つまらないタイミングでそのワードを使っても何の意味も無い。

 そしてもう一つの問題は、“きつね”くんにそれが意図的なものと悟られないようにする事だった。

 あくまでも自然にそれが生じたと思い込ませたかった。

 また、その方が“きつね”くんの受けるダメージも大きくなる。

 (逆にもし、裏で俺が糸を引いていたってばれたら・・・どうなるか)

 “ぱんだ”の思考は一旦そこで非常に厳しい現実に向き合った。

 身体が緊張し、手に汗が滲み出す。

 しかし、“ぱんだ”は自らを落ち着かせるように大きく深呼吸をすると、頭を左右に振って気持ちを切り替えた。

 (大丈夫・・・、大丈夫だ。笑って済ませれば良いだけだ。『ジョークだよ“きつね”くん。びびった?』っとでも言えば良いだけさ。ホント・・・全っ然、大した事無い、軽いイタズラなんだからさ)

 “ぱんだ”は自分自身を納得させるように、何度も頭の中でそう繰り返した。

 そして再び目を閉じると、雑念を振り払い頭に描いたシナリオの点検に意識を集中させていった。

 DMCに入ってから既に4年経っている。

 催眠の腕こそ目覚しい進歩とは行かなかったが、シナリオ作成とその点検は“ぱんだ”の得意分野となっていた。

 その鍛えられた頭脳が今また新たな策略を生み出すべくフル稼働を開始したのだ。

 薄暗い部屋に“ぱんだ”の静かな呼吸音だけがゆっくりと繰り返されていった。

 そしておよそ1時間の後(のち)“ぱんだ”の呼吸のリズムが変わり、静かに目が開かれた。

 運命のシナリオの完成だった。

 今日これから何をすべきか、どうカムフラージュするか、結果をどうやって確認するか・・・

 全ては“ぱんだ”の頭の中に整然と収まっていた。

 もう何も迷わなかった。

 行動の前の迷いは禁物・・・DMCにおける鉄則である。

 “ぱんだ”は自分の中の迷いすら自己暗示で闇に押し込めていたのだ。

 大きく深呼吸した後、まるで糸に引かれるように“ぱんだ”は椅子から立ち上がった。

 そしてショルダーバックに今日必要なものを整然と詰め込み、次いでハンガーから茶色いダウンのジャケットを取り小脇に抱えた。

 準備完了である。

 軽く部屋を見渡した後、“ぱんだ”はショルダーバッグを手に部屋を後にしようとした。

 しかし・・・部屋の扉の横にある本棚の前に差し掛かったとき、不意に足が止まった。

 そして無意識に手を伸ばすと、ある古ぼけ皺だらけになった封筒を引っ張り出していた。

 “ぱんだ”は慣れた手つきで中から1枚の写真を取り出し、それを掌にそっと乗せた。

 雑然とした部屋を背景に二人の人物が写っている。

 一人は“ぱんだ”、そしてもう一人は怜だった。

 初めて独りでターゲットを仕留め、一晩中その甘美な肉体を堪能した次の朝、DMCにも内緒で取った1枚だけの写真だった。

 自信と達成感と心地よい疲労感を漂わせた自分の顔と、その横で少し悲しげな表情で微笑んでいる怜を“ぱんだ”は時を忘れて見詰めた。

 (俺の怜は・・・こんな顔していたんだ)

 昨日、怜を見るまで気付かなかった写真の表情が、今はハッキリと判る。

 何かが心の中で叫び声を上げようとしていた。

 しかし・・・既に発動していた“ぱんだ”の自己暗示は、そんな余計な感情を忽ち消し去ってしまった。

 そして代わりに登場した理性という欺瞞が、簡単に“ぱんだ”の目を本質から逸らし“きつね”くんへの敵愾心へと摩り替えていった。

 (怜、君のご主人様の慌てぶりを今日たっぷりと見せてあげるよ)

 “ぱんだ”は写真を鞄に詰め込むと、そのまま振り返らずに部屋を後にした。

< つづく >

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