ドールメイカー・カンパニー2 (31)

(31)初対決

「あ・・・何か来る」

 広大な庭を囲う3メートル以上もあるフェンスの向こう側を、何かが凄い勢いで駆け抜けていることに“きつね”くんは気付いた。
 おそらく未舗装の道を行く車だろう。
 フェンスの上部から舞い上がった砂埃が見えたのだ。
 しかし、その移動スピードは尋常ではなかった。
 まるでラリーカー並みだった。

 “きつね”くんのその声につられたように、皆の視線がその物体に注目する。
 すると、それは益々スピードを上げ、そのままゲートの方まで突進していったのだった。

 (いったい、何?あれは・・・)

 全員が感じていたその疑問に答えるように、突如その正体が明らかになった。
 幅広のゲートを4輪でドリフトしながら駆け抜け、そのまま一気に突入してくるリムジンの姿となって・・・・

「ちょっ・・・“きつね”くん。これって・・・ヤバくない?」

 いきなり邸内に進入してきたリムジンの姿勢が一直線に自分達の方に向いていることを見た“くらうん”は、痰が絡んだような声でそう言ったのだった。
 しかしそう言って“くらうん”が振り返った時には、既に“きつね”くんは諒子と手を取ってスタコラと逃げ去った後だった。

「“くらうん”さ~んっ!早くこっちぃ。坂田クンもぉ」

 “くらうん”が運転してきた国産の乗用車の陰から“きつね”くんが手を振った。
 背後からは腹に響くようなエンジン音と地響きを立てながらリムジンが突進してきている。
 “くらうん”は腰が抜けそうな恐怖を強引に振り払って、足をガクガクさせながら“きつね”くん達の方へ駆け出したのだった。
 “きつね”くんに呼ばれた勇作も香をその場に討ち捨てて車の陰に駆け出す。
 結局その場にポツンと留まったのは、腕を極められ息絶え絶えの香と、サスペンド状態で凍りついた秦野だけだった。
 そしてそんな秦野をまるで轢き殺すように一直線に突進して来たリムジンは、しかし突然急ブレーキをかけると、4輪をドリフトさせながら強引に進路を変え、ちょうど秦野の身体を“きつね”くん達から隠すように車体を割り込ませて停車したのだった。

 弾き飛ばされた砂利が10mも離れている“きつね”くん達に飛んでいき、皆慌てて車の陰に頭を隠した。
 そして再び車の陰から頭を出した時、そのリムジンに相応しい偉丈夫が運転席から姿を現したのだった。

 180センチを軽く凌駕していそうな体躯を黒の背広で包み、黒のサングラス、そして髪をカッチリと固めたその姿は、一目で特殊な訓練を積んだ暴力のプロを想起させた。
 しかもヤクザのような粗暴さでは無く、マシンのような冷徹さを身に纏っている。
 “きつね”くんの目にも極めて厄介な相手に見えていた。
 しかし、それだけでは無かった。
 ワンテンポ遅れて、最初の男とソックリな雰囲気の男が反対側の助手席側から姿を現したのだった。
 しかも体躯は更にでかく、190センチ近い大男だった。
 “くらうん”はポカンと口を空けてその2人を見ていた。
 しかし2人の男はそんなギャラリィの視線を完全に無視すると、リムジンの後部座席の扉の両側に立ち、恭しくそのドアを開けたのだった。

 最初に“きつね”くんの目に飛び込んできたのは、暗い室内からスッと明るい外の日差しの下に現れた白い綺麗な足だった。
 そして黒いヒールが地面に降り立つと、両側から男達にエスコートされて1人の女が姿を現した。
 黒い毛皮を優雅に身に纏ったその女は、観衆の視線を一手に引き付けたことを確認すると満足そうに微笑んだのだった。

「こんにちは。マインド・サーカスの皆さん。始めまして。私、蘭子と申します」

 女はそう言って、悪戯そうな瞳をキラキラと輝かせたのだった。
 “くらうん”は蘭子のその言葉にほんの一瞬だけ顔を強張らせたが、しかしそれ以上は内心を悟られないだけの老獪さは持ち合わせていた。

「あ・・・あのぉ、私ら黒岩先生のお宅にお年始でお伺いしてるんですけど・・・」

 困惑と、恐怖を半々に浮べた表情で“くらうん”は車の陰から蘭子にそう言ったのだった。
 しかし、その言葉を聞いた蘭子は実に嬉しそうな顔で言った。

「あらぁ・・・そうでしたのぉ?でも肝心の黒岩ぼっちゃんはもう死体になってる筈なんだけどぉ。もしかして葬儀屋さんだったのかしらぁ、マインド・サーカスって」

 それはまさに虚をついた言葉だった。
 まさかこんなに早く情報が漏れていようとは、さすがの“くらうん”も考えてもいなかったのだ。
 さっきよりも確実にハッキリと表情を強張らせた“くらうん”を、蘭子は余裕の表情で見詰めたのだった。

「うふふっ。ダメよ、そんなすぐばれるような嘘ついちゃ」

 蘭子はそう言うと、不意に視線を香に向けた。

「こっちにいらっしゃい、香ちゃん。さ、ヘルメットを取って皆さんにご挨拶っ」

 そう言って香を呼び寄せると、蘭子は“くらうん”達に香を顔を見せたのだった。
 途端に“くらうん”の目が見開かれた。
 この半月の間探し回っていた、喫茶「サ・モン」のウェイトレス、遠藤香がそこに立っていたのだった。

「あらぁ、香ちゃん。痛々しいわねぇ。待っててね、すぐに治療してあげるわ」

 蘭子は片腕を庇いながら苦しそうな表情で立っている香にそう言うと、その肩に手を置き、一転して静かな深い声で語りかけたのだった。

「私の目を見なさい・・・そう・・・それで良いわ・・・さぁ思い出すの・・・私の手のことを・・・私の手はどんな手かしら?」

 蘭子の囁きが始まると、香は途端に虚ろな表情となり幸せそうな声で答えた。
 その反応を見て“きつね”くんは興味深げに瞳を輝かせた。

「蘭子さまの・・・手は・・・神様の手・・・」

「そうね・・・そのとおりよ、香。では神の手が命じます・・・痛みよ、去りなさい」

 蘭子はそう言って軽く香の肩を叩いただけだった。
 しかし、たったそれだけの行為が奇蹟のように香に効果を現していた。
 小さく息を吐いたその一瞬後には、もう表情から暗い影が消え去っていたのだ。
 そして晴々とした嬉しそうな表情で蘭子に笑顔を向けたのだった。

「ありがとうございますっ、蘭子様っ」

「良いのよ、香。何といっても、貴女が私をマインド・サーカスに導いてくれたのですから」

 そう言って香に笑顔を向けた蘭子は、次に“くらうん”を振り返った。

「元々、この娘は私の駒なのよ。派手に売り出してらっしゃるマインド・サーカスさんとは一度お会いしたかったので色々網を張ってたんですけど・・・。まさか香が直接盗まれちゃうとは思いませんでしたわ。それって、ちょっと酷いと思いませんこと?」

 その言葉とともに蘭子に軽く睨まれた“くらうん”は、顔の前で大きく手を振ったのだった。

「いやいや、それは誤解ですよ。私どもはその男とは全く無関係ですから」

「あら。随分と白々しいことを仰るんですね」

 余裕たっぷりに言い返した蘭子は香のライダースーツのジッパーを明け、その内ポケットから小さな黒いモノを取り出し、それを“くらうん”にポンと放ったのだった。
 反射的に受け取った“くらうん”は掌の上のその物体を見た。

「ワイヤレス・・・マイクですか」

 溜息と供に呟きが漏れた。

「もう韜晦はいい加減にすることね。その男の素性も、何を企んでいたかも全部香から報告を受けているんですから。それに、ここで今まで何があったかも、そのマイクで全部聞かせてもらったわ」

 蘭子は一転してピシャッと言い切った。
 その表情をじっと見ていた“くらうん”は、やがてそれまでの口調を一変させた。

「そうですか、蘭子さんとやら。で?何が目的なんでしょうか」

 対等な交渉相手と認めたのだ。
 その“くらうん”の態度に蘭子は満足の笑みを浮べた。

「目的ですか?ふふふ・・・そうですねぇ、幾つか有るんですのよ」

 蘭子はそう言いながらゆっくりと歩き出した。
 リムジンの周りを散歩でもするようにノンビリと・・・
 そして、丁度車の裏側に辿り着いた所で歩みを止めたのだった。

「目的の一つは・・・廃品回収」

 そう言って蘭子は凍りついたように固まっている秦野の顎を撫でた。

「どうやらお払い箱みたいだから、私が貰っておいて上げるわ」

 その言葉に“くらうん”は首を横に振った。

「それはいけません。貴女もどうやらこの業界の方らしいが、それはご法度でしょ?トレードは無しです」

「あら?何のことかしらトレードって。私、ちょっとそういう方面は疎くって。ふふふっ、だからそんなルール知りませんの。ただし・・・」

 蘭子は目を一層輝かせて“きつね”くんを見た。

「ただし、新品を頂けるのなら、ポンコツは要りませんことよ」

 “くらうん”は蘭子の視線を目で追い、そこに“きつね”くんの姿を見つけると、一瞬ビックリしたように眉を上げたが、しかし次の瞬間噴き出してしまった。

「ぷははっ。“きつね”くん、君御指名だよ?」

 “くらうん”のその言葉に、しかし“きつね”くんは困ったような表情で肩を竦めるだけだった。
 しかし、そんな2人の態度にプライドを刺激された蘭子は、忽ち目に怒りの色を浮べて口を開いた。

「勘違いしないで下さらない?これはお願いじゃないのですよ。飛ぶ鳥を落す勢いのマインド・サーカスって聞いたから用心していましたけど、どうやらここに来てるのは警戒心の欠如した下っ端のド素人だったようですね。あなた方には不運でしたけど、このまま一緒に来てもらいますからね」

 蘭子はそう言うと、次に手下の男に視線を向けた。

「田代っ!」

 すると車の前に立っていた190センチの大男が弾かれたように振り返った。

「はっ、はいっ!蘭子様」

 その蘭子は振り向いた田代に人差指をピンと向け、厳かに命じたのだった。

「神の手が命じます・・・お前を縛っている3つの環を解き放つ・・・1~~つ、2~つ、3っつ!さぁっ、目覚めなさいっ田代!お前の本性を見せてごらんっ」

 蘭子のその叫びに男は一瞬感電したように身体を震わせると両手で頭を抱え下を向いた。
 しかし再び顔を上げたその時、見る者全ては感じていた・・・この男の中身はすっかり別人となってしまったと。
 田代はニヤッと笑うと、思いっきり伸びをした。

「ふぃ~っ。久しぶりに出させてもらったなぁ。なぁ、蘭子さんよぉ」

 先ほどまでの丁寧な物腰が消え去り、代わりにもっと野蛮で原始的な個性の男が姿を現していたのだった。
 そして蘭子の冷ややかな視線を平然と受け流すと、ゆっくりと振り返り“くらうん”達をギロリと睨んだのだった。
 一人一人記憶の回路に刻み付けるようにじぃっと見詰めていった田代だったが、諒子の顔を眼にするなりニタッと笑ったのだった。

「へへぇ?いい女が居るじゃねぇか。蘭子さんよぉ、あれ、俺が貰うぜ」

 顎で諒子を指して、田代は蘭子を見た。
 しかし蘭子はそれには答えず、代わりに腕を組んだままリムジンの屋根に肘を着き猫のように目を光らせながら“くらうん”に話し掛けたのだった。

「どうかしら?この男、見かけも中々だけど、実力も有るのよ。貴方の首なら片手でへし折るわ。それにね、性格が最悪なのよね。天然モノのサディストって言うのかしら?なぶりながらジワジワと痛めつけるのが大好きなの。私が手懐けるまでは手が着けられなかったんだからぁ」

 悪戯好きの少女のような笑顔と口調なのだが、言っている内容は笑い事では無かった。

「さぁ、どうなさいます?ご自分からこの車に乗っていただけるのなら、ちょっとご不自由ですけど手錠と目隠しだけでウチまでご案内致しますわ。でも・・・無駄な抵抗をなさりたいのでしたら、どうぞご自由に。ただ、車に乗るときには酷いことになっていると思いますわ」

 蘭子のこの言葉に“くらうん”は硬い表情で口を開いた。

「我々を拉致して、一体何をするつもりですか」

「まぁっ!拉致だなんて。ちょっとお話を伺いたいだけですわ。どうやって商業ベースに乗せることが出来たのか、とか。どうやって催眠ワードの有効期間を延ばしているかを・・・ですわ」

 そう言って蘭子はニンマリと笑った。
 “くらうん”は、しかし蘭子のその言葉にショックは受けていなかった。
 それどころか、少し安心したような口調でこう言ったのだった。

「なるほど。ようやく貴女の背景が見えてきましたよ。中々資金力が有るようですから、道楽とも思えなかったが・・・そういう事ですか」

「あら?何か気づいたような口ぶりですこと。ふふふ、意外と頭が切れるのかしら?でも・・・手遅れですことよ」

 蘭子は相変わらず勝ち誇ったように両手を腰にあてて“くらうん”を見下した。

「あの・・・蘭子さん?ちょっとだけ言わせて貰っても良いですか」

 “くらうん”とのやり取りを横で見ていた“きつね”くんは、その時急に口を開いた。

「あら、何かしら。えっとぉ、“きつね”くんっていったかしら?」

「はいっ。“きつね”です。始めまして」

 まるで道で先生に出会った優等生のようなはきはきした口調で“きつね”くんは話し出した。

「蘭子さんは秦野さんも連れて帰るんですか?あの、後で固まってるその人です」

 蘭子はその言葉にチラッと後を振り返ってから言った。

「えぇ。そのつもりよ。どうして?」

「やめた方が良いですよ。その人、すぐ裏切るから。信用するとバカを見ますよ」

 “きつね”くんは肩を竦めながらそう言ったが、しかし蘭子はまるで相手にしなかった。

「あら。大丈夫よ、ご心配には及ばないわ。私、男を手懐けるの得意なのよ。あなた方にとって手におえない裏切り者でも、私の前では大人しい従順な僕(しもべ)になってくれるわ」

 蘭子はそう言って秦野の頬をそっと撫で、“きつね”くんを振り返ったのだった。
 “きつね”くんから見ると、ちょうど秦野を背に蘭子が立ち塞がっている状況である。
 それを確認した“きつね”くんは、そこで初めてニッコリと微笑むとこう言ったのだった。

「そうですか。失礼しました。それでは、僕から申し上げることはあと一つだけです」

 蘭子は小首を傾げてそんな“きつね”くんを見詰めている。
 そんな蘭子に向って“きつね”くんは優しく呟いたのだった。

「蘭子さん・・・“メルト・マインド”・・・」

 キョトンとした表情の蘭子だったが、しかし次の瞬間文字通り飛び上がったのだった。

「痛ぁ~~~~いっ!!」

 ぎょっとして振り返った運転手、加賀の目に飛び込んできたのは、蘭子の尻に突き立てられた小型のナイフと、その前で呆然とその様子を見ている秦野の姿だった。

「蘭子様っ!」

 一挙動で車の向こう側に飛び移った加賀は、オロオロと怯え混乱した表情で立ち竦んでいる秦野をモノも言わずに張り飛ばした。

 秦野は自分の身に何が起きているは全く判らなかった。
 何か電撃のようなものが脳裏に走った途端、まるで機械仕掛けのように自分の手が前に素早く突き出されていったのだった。
 そして左手に手ごたえを感じたその時まで、自分の手にナイフが握られていた事にさえ気付いていなかったのだ。
 目の前のモノが突然動き出し、叫び出した事で、秦野は自分が人にナイフを突き刺したことに気付いた。
 そして、その次の瞬間には、もう大男が突然現れ秦野を張り飛ばしていたのだった。

 “きつね”くんはその混乱した様子を抜け目無く見詰めている。
 蘭子は大げさに騒いでいるが、既に男の手にナイフが移っていた。
 先端がほんの少し刺さっただけなのだろう。
 しかし“きつね”くんにとってそれで十分だった。
 一瞬だけ蘭子の気を逸らすことが出来れば十分だったのだ。
 まるでダンプカーにぶつかったように弾き飛ばされた秦野は、砂利のアプローチの上でもがいている。
 そんな秦野に“きつね”くんは良く通る声でこう言ったのだった。

「キャンセルMC、フォウレバァ」

 それこそが、封印のラスト・ワードだったのだ。
 封印の4ワードによりマインド・サーカスのあらゆる記憶を封じられた秦野に、更にその封印ワードすら消してしまう最後の言葉だった。

 “きつね”くんのその声が届いた瞬間、蘭子は驚愕に目を見開き間髪を入れずに叫んだ。

「フリーズ、マインドォッ!」

 そして加賀の身体にしがみ付きながら、一瞬の静寂に包まれた秦野に視線を注いだのだった。

 しかし・・・

 その瞳に映った男は、キョトンとした表情で蘭子を見詰め返していた。
 ドール・メイカー“ぱんだ”は、この瞬間、完全に消滅したのだった。

「ちっ・・・ちっくしょぉおおおおっ」

 蘭子の口から出るとは思いもしなかったその言葉が、その怒りの大きさを物語っていた。

「よくもやったわねっ!このアタシに傷をつけて、生きて帰れるとは思わないでよねっ」

 目から稲妻が迸りそうな勢いで睨みつける蘭子に、“くらうん”が呟いた。

「そんなぁ・・・わざわざ“きつね”くんが忠告してあげたのにねぇ」

「ホント、あの男を信用すると酷い目に逢うって言ったばかりだったのにぃ」

 “きつね”くんはそう言うと、“くらうん”と目を見合わせ、二人して小首を傾げ、肩を竦めたのだった。
 そんな2人の仕種に蘭子は遂にブチ切れた。

「田代ぉ~~っ!殺(や)っちゃいなさいっ!ギッタンギッタンにしてやってっ!」

 蘭子のその声に、この混乱を面白そうに眺めていた田代は、ニヤッと笑った。

「OK~っ。中々面白いショウだったけど、あんたら、蘭子を怒らせすぎだぜ。かなりハードな目に遭わせるけど自業自得と思いな」

 そう言って“きつね”くんに向って歩き出した。
 そして腰の後から特殊警棒を取り出すとゆっくりと引き伸ばしたのだった。
 しかしその余裕の表情で踏み出した歩みは、2歩と進まぬうちに停止を余儀なくされた。
 まるで磁石に引き寄せられるように車の陰から諒子が姿を現し、日本刀を片手に田代の前に立ち塞がったのだった。

「おっとぉ。お嬢さん、危ない物を持っているねぇ。へへへっ、止した方が良いぜ。怪我のもとだ」

 田代は油断無く警棒を構えたが、しかしその表情はまだ余裕だった。
 諒子はそんな田代を構えをじぃっと見詰めていたが、やがて小さく息を吐くと刀を構えたのだった。
 正眼である。

「なっ、なにぃっ!」

 途端に田代の顔つきが一変した。
 まるでフランス人形のような美しさを誇る美女が、一度(ひとたび)剣を構えた途端、修羅へと豹変したのだった。
 男の顔から余裕が消し飛んだ。

「おっ・・・お前、何モンだっ」

 呟くような誰何が男の口から漏れたが、諒子は無言で見詰め返すだけだった。

 その対戦を横から見ていた“きつね”くんは、しかし少し不満げな表情だった。
 1月前の“きつね”くんとの対戦で見せた諒子の奥義ともいえる技の冴えをもう一度見ることができると期待していたのに、今の諒子はあの時の半分も集中していなかった。
 期待はずれの成り行きでがっかりして、ふと視線を蘭子に向けると、なんと2人の対戦には全く興味を示さず、燃えるような怒りの視線をまともに“きつね”くんに注いでいたのだった。

 (あ~ぁっ・・・復讐心満々って顔だね。よっぽどあのボディガードに自身有るんだろうけど・・・。ふふふっ、もう少しそのプライドをへし折ってあげちゃおうか?)

 そう考えた“きつね”くんは、わざと片頬で笑みを作り蘭子を見詰め返した。
 そして小さな声で、諒子にだけ届くように呟いたのだった。

「随分怒らせちゃったみたいだなぁ・・・。こりゃ、諒子が負けたら、俺、ホントになぶり殺しだろうなぁ」

 その言葉に、田代の言葉を無表情に跳ね返していた諒子の表情に驚きの色が走った。
 ホンの一瞬、視線が“きつね”くんに向けられる。
 そのタイミングを見計らったように“きつね”くんは声を出さず唇だけを動かした。

「頼んだよ」

 果してその唇の動きを読み取ったのか、諒子はすぐに前に向き直った。
 そして田代の動きを一旦牽制したあと、いきなり自らの靴をポンと脱ぎ捨てたのだった。
 アプローチの玉砂利の上に素足で立ち、再び剣を構えなおす。
 先ほどと全く同じ構え。
 ・・・しかし、それに相対している田代は再び我が目を疑った。

 (なっ、な、な、な、なんなんだっ!コイツ、一体どうなってやがるんだっ!この気勢っ!こっ、こんな化け物、見たことねぇ!勝てる訳ねぇじゃねぇかっ!)

 入念に心理防御を行っていた“きつね”くんですら背筋が寒くなるような気分を味わったあの諒子の本気モードの“気”が、いきなり全開となり男に吹き付けていた。
 しかも今手にしているのは木刀ではなく真剣である。
 “きつね”くんですら、この世で出会いたくない者の筆頭に上げるだろう。
 傍で見ている“きつね”くんの二の腕にもプツプツと鳥肌が立ってきた。

 (もうすぐだ・・・もうすぐ見れるんだ。この僕をまんまと嵌めたあの信じられない“気”の変化を、もう一度見ることができるんだ)

 益々その勢いを増すブリザードのような“気”を感じながら、“きつね”くんは固唾を飲んでその時を待ちわびていた。

 しかしその諒子に対峙している田代は、もう自らの身体の強張り、腕の震えを止める事が出来なくなっていた。
 顔面を蒼白にして無意識に後ずさっている。

(だ・・・だめだ・・・ダメだ、駄目だっ、駄目だぁっ!こっ、殺されるっ、殺されるよぉ~っ!いやだっ、嫌だぁっ・・・う、うっ、うっ・・・タスケテ・・・助けて、誰か・・・)

 ついさっきまでのふてぶてしい態度はすっかり吹き飛ばされてしまい、情けないほどの逃げ腰になって必死に警棒を握り締めていた。

「田代っ!何をしているのですかっ!早くその女を叩きのめしてしまいなさいっ。とっととあのガキをぶち殺すのよっ」

 状況がまるで飲み込めていない蘭子は、そう言って田代を叱り飛ばしたが、しかしそれは完全に逆効果だった。
 後退に後退を重ねていた田代だが遂にリムジンの車体にその退路を塞がれ、その上蘭子から更なる攻撃命令を受け、もう完全にパニックとなってしまっていた。
 蘭子に涙目を向けると、顔をぶるぶると横に振ったのだ。

「た・・・田代?」

 そこでようやく田代の変調に気付いた蘭子だったが、その意味するものは全く想像の外だった。

「なっ、何をしてるのですかっ。お、お前、一体どうして・・・」

 蘭子が混乱の中そこまで言った時だった。

「無理だ、無理だっ、無理だぁ~~っ!!出来ないよぉ、ぼっ、僕、できない~っ!」

 突然大声でそう叫んだと思えば、いきなりその場に跪き両手で顔を覆って泣き出したのだった。

「なっ・・・た、田代っ!ちょ、ちょっと、一体どうなってるのっ」

 蘭子は混乱してそう叫んだが、その顔は恥辱で真っ赤だった。

「あ~ぁ・・・可哀想に。彼、元々ああいう性格なんでしょ?何ていうか・・・苛められっこタイプっていうか。蘭子さんが無理やり作り上げたタフな見せ掛け、ワリト良く出来てたけど・・・やっぱ、ちょっと無理があったみたいだね」

 “きつね”くんが肩を竦めてそう言ったのだった。
 その指摘が図星だっただけに蘭子のプライドはズタズタに傷ついた。

「おっ・・・お前っ!勝手なこと言うんじゃないわよっ!許さないからねっ。こんな侮辱初めてだわっ!」

 そして縋りついていた加賀を見上げて命令した。

「ぼやぼやしてんじゃないわよっ!あ、あ、あのガキをやっつけちゃってぇっ!」

 しかし加賀は僅かに青ざめた顔をゆっくりと横に振ったのだった。

「蘭子様、駄目です。ここは引かないと。正直、私もあの剣士には自信が有りません」

 荒事のプロの筈の2人が揃っていながら女1人にこんな結末を迎えるとは、蘭子は信じられなかった。

「な・・・何言ってるのよぉっ!それでもプロ?退きなさいっ、あんな女私がっ」

 そう言って憎しみの篭った視線で諒子を睨みつけた。
 しかし蘭子はその時初めて諒子の視線をまともに受け止めたのだった。そして、その瞳に宿る強烈な意思を初めて思い知った。
 何が有ろうと一歩も引かない不動の想いが、諒子の氷のような“気”と供に蘭子を圧倒した。

「ひっ」

 思わず悲鳴が出かかり、それをプライドだけで必死で押さえた蘭子は、しかし解消されることの無いフラストレーションが胸の内で渦巻き身体が爆発しそうだった。

「さっ、蘭子様、ここは一先ず・・・」

 そう言い募る加賀の言葉を無理やり押さえ込むと、視線を彷徨わせ必死に突破口を探したのだった。
 すると・・・

「あっ、あれっ!」

 蘭子はそう叫ぶやいなや、刺された尻を片手で押さえながら秦野に向って駆け出したのだった。

「邪魔よっ、退きなさいっ!」

 そう言ってアプローチで尻餅をついた姿勢のまま呆然と成り行きを見ていた秦野を蹴り飛ばすと、そのすぐ傍に落ちていたモノを必死で拾い上げたのだった。

「こっ、これで形勢逆転ねっ!」

 そう叫んだ蘭子の手には黒光りする拳銃がしっかりと握り締められていたのだった。
 そんな蘭子を見て目を丸くする“きつね”くん。
 しかし、次の瞬間、諒子に何事かを短く伝えると、クルッと背を向けて逃げ出したのだった。
 そんな“きつね”くんを庇うように諒子がその後に続いた。
 憎い2人の背中が丸見えである。

「逃がすモンですかぁっ!」

 最大の逆転のチャンスに蘭子は完全に我を忘れた。
 先ほど車内で盗聴していた時に拳銃のシーンをしっかり聞いていれば、或いは違ったかも知れない。
 しかし今の蘭子にはそれを思い出す余裕は無かった。
 走り去るターゲットの背中に向けて、蘭子は躊躇いなくその拳銃の引鉄に力を込めたのだった。
 勝ち誇った笑みが、その頬に刻まれる。
 しかしその瞬間、先ほどの美紀を彷彿させる叫びが香の口から上がった。

「だめぇぇえええええっ!!!蘭子様ぁっ!!!」

 しかし・・・

 次の瞬間、その絶叫を完全に打ち消す落雷のような轟きが周りにいた全ての人間の耳を貫き、稲妻のような閃光が全ての目を眩ませたのだったっ!

 蘭子は勝ち誇った表情のまま、伸ばした両手の先に握り締めた拳銃から発せられる白光に・・・・・・飲み込まれていった。

 冬の空に轟いた一発の爆発音は、まるで花火の轟きのように遥か離れた初詣の参拝客達にもハッキリと聞き取れたのだった・・・

「う~~っ・・・強烈ぅっ」

 そう言いながら、いち早く伏せていた芝生から顔を上げたのは“きつね”くんだった。
 しかしキーンという耳鳴りは盛大にステレオで鳴っていた。

「諒子っ!耳、大丈夫っ?」

 そう言って一緒に伏せていた諒子に大声を掛けた。
 諒子はその言葉に上体をひょいっと起こして服を叩いた。

「あんまり大丈夫じゃないですっ。もうっ、せっかく綺麗な格好してたのにっ!芝だらけになっちゃいました」

 諒子は怒ったようにそう言った後、ほっぺたをぷっと膨らませた。
 2人とも拳銃に背を向けていたため、閃光の影響は受けていない。
 音だけはどうしようも無かったが、それでも反対方向を向いていたのと、距離を稼いでいたため多少はマシのようだった。

「やってくれるよなぁ、“ぱんだ”さんわっ」

 “きつね”くんはそう言いながら振り返り、その惨状を目の当たりにした。
 元々秦野が“きつね”くんを嵌めるために用意した閃光弾入りの音響爆弾なのだが、その威力はおそらく秦野の想像を越えていたことだろう。
 まるで爆風で吹き飛ばされたように皆地に伏せ、耳を押さえて身体を痙攣させている。
 そして、その爆心地に唯一立っている人影があった。

 蘭子である。
 両手を前に伸ばし、拳銃を構えた姿勢のまま、髪の毛を逆立てて完全に白目を剥いて気絶していた。
 開いた両足の間には水溜りまでが出来ている。

「あ~~ぁっ・・・。綺麗なオネェサンだったのにぃ、勿体無い」

 口調とは裏腹に、“きつね”くんはクスッと笑うと、ポケットから取り出した携帯でその惨状をカメラに収めたのだった。
 そしてナンマンダブと呟いてから、“きつね”くんは“くらうん”を助けに戻っていった。

 “くらうん”は“きつね”くん達が避難したところから半分ほど戻ったところにうつ伏せで耳を押さえていた。

「“くらうん”さんっ!大丈夫ですかぁっ」

 肩に手を掛け大きく揺すりながら“きつね”くんは声を掛けた。
 すると意外にあっさりと“くらうん”は顔を上げた。
 額に芝がくっ付いている。
 そしてひん曲がった眼鏡のフレームを直すより先にその口を吐いたその第一声は・・・

「この、薄情モノ!自分だけさっさと避難してぇっ」

 “きつね”くんは“くらうん”のこの言葉に目を瞬(しばた)いていたが、やがて顔を大きく横に振って言った。

「違いますよぉ、僕が囮になったんじゃないですかぁ。僕が背を見せて目立つように逃げれば“くらうん”さんだけでも助かるかなぁって」

 “きつね”くんは“くらうん”の横に膝をついて真面目そうな顔を作ってそう言ったが、無論それを真に受ける“くらうん”ではなかった。

「おやぁ?そうなんですか?・・・にしては、さっき“ぱんだ”くんへ拳銃を放り返したりしてましたけどねぇ」

 “くらうん”は憮然とした表情で身体を起こすと、胸の芝を叩きながらそう言った。

「あぁ、あれっすかぁ?あれはちょっと“ぱんだ”さんの顔つきが気に入らなかったんで、試しにカマかけてみたんですよぉ。あの人の場合、いざとなったらフリーズさせちゃえばよかったんで」

 “くらうん”の鋭いツッコミにも“きつね”くんは難なくきり返していった。
 益々仏頂面になる“くらうん”と、飽くまでも真面目ポーズを貫く“きつね”くん。
 意外な場面で火花を散らす2人だったが、しかしそんな暇なやり取りをしている隙に、事態は尚も進展していたのだった。

 不意に車のドアが閉まる音がして、“きつね”くんはふと顔を上げた。
 するとその瞬間、リムジンは重いエンジン音を轟かせてそのパワーを蘇らせていたのだった。
 気が付けば、いつの間にか突っ伏していたはずのボディガード達は勿論、蘭子の姿まで消えていたのだった。
 考えてみれば2人のボディガード達は暗いサングラスをずっと掛けていたので、あの閃光にも酷いダメージを負わずに済んだのだろう。
 そして、これは“きつね”くん達には知る由も無かったが、先ほどの蘭子のボリューム操作の大失敗で元々耳が聞こえにくくなっていたため、今の大音響にも比較的耐えられたのだった。
 無論、香に至っては秦野の企みを熟知していたので最初から目も耳も塞いでいたのだ。

 発進した車を見て、“きつね”くんは反射的に腰を浮かせた。
 あの巨体で再び体当たり攻撃でもされては、さすがに勝ち目は無かった。
 五右衛門でもないかぎり今度ばかりは諒子の刀も役にはたたない。

「やっべっ!」

 珍しく真剣な表情で“きつね”くんがリムジンの挙動に注目していると、そのリムジンは目の前で鮮やかにスピンターンしたのだった。
 一瞬こちらを向いた運転席には、香がハンドルを握っている姿があった。
 そして砂利を撒き散らしながらテールを向けると、そのまま一目散に逃げ去っていったのだった。
 その鮮やかな逃げ足に“きつね”くんまでが、ポカンとその後姿を見送るしかなかった。

 そして“きつね”くんがそれに気付いたのは、木枯らしがピュ~ッと吹き過ぎた後だった。

「あ・・・やられた。“ぱんだ”を持ってかれた・・・」

 今更確かめるまでも無く、ここに残っているのは“くらうん”と諒子、そして勇作に“きつね”くんの4人だけだったのだった。

「ま、大丈夫でしょう。彼には封印の最終ワードまできっちりと与えたんですから」

 後から“きつね”くんの肩をポンと叩いて“くらうん”が言った。
 “きつね”くんはそれに小さく頷いたのだが、しかし内心少しだけ危惧している点があった。

 (あの時、俺が封印の4ワードを唱えた時、蘭子さんのワードが“ぱんだ”に届いていた・・・)

 それが秦野にどんな影響を与えているのか・・・さすがの“きつね”くんにも想像できなかったのだ。

 しかし・・・

「まっ、それはそれっ・・・だな!」

 手をポンと打ち鳴らすと、“きつね”くんはそう言ってニコッと微笑んだのだった。

「そういう事です。あの人たちの件は、今はちょっと後回しにしましょう。大分派手に掻き回されちゃったので、急いでこっちを収拾させましょう」

 “くらうん”はそう言うと、ドアの隙間から心配そうにこちらを覗いている美紀と京子に視線を向け小さく頭を下げた。

「“きつね”くん。30分で仕上げられるよね?」

 ゆっくりと京子たちの方へ足を向けながら、“くらうん”は横を歩く“きつね”くんに問い掛けた。
 しかし、“きつね”くんはビックリしたように目を丸くした。

「あはははっ。ご冗談でしょ?1人半日、2人だから1日くらいですよ」

 その“きつね”くんの答えに、今度は“くらうん”が目を剥いた。

「えっ?どうしてです?別にドールを作るんじゃないですよ。あの女性のご主人の記憶操作程度なんですよ。2人って誰のことです?」

 しかし、“きつね”くんは大げさに溜息を吐いて言った。

「“くらうん”さん。駄目っすよ、それじゃ命が幾つあっても足りませんよっ。我々はここに誘き出されたんですから、当然、あの人のご主人には“ぱんだ”の暗示が眠っているんですよ。こんな所で迂闊に催眠誘導なんか始めたら、絶対地雷を踏んじゃいますから」

 “きつね”くんのその言葉に“くらうん”はピシャッと額を叩いた。

「ああっ!そうでしたね、迂闊でした。そうか・・・2人って言うのは、ご主人とあの女性ですか」

「まっ、女の人の方はどうか判りませんけどね。取り合えずウチの催眠室へ運んだ方が良いっすよ。半日ってのは少し大げさだけど、2、3時間は掛かりますよ」

「そうですか。判りましたけど・・・少し厄介ですね。警察の介入を遅らせなきゃなぁ」

「その辺はお任せします。“くらうん”さんの政治力で上手いことやっといてください」

 “きつね”くんはそう言うと、“くらうん”に片手を振ってスタスタと歩いていった。
 その後を諒子と勇作が追いかけていく。
 待ちきれなくなった美紀が扉から飛び出し、“きつね”くんに飛びついた。
 その様子を後から見ていた京子の顔に、驚きと同時に微かな安心感が現れた。
 “きつね”くんの表情を見たのだろう。

 (うん。あっちは任せて大丈夫そうですね。じゃあ・・・私は私の仕事をすることにしますか)

 “くらうん”は懐から携帯を取り出し、どこかへ連絡を始めた。
 “きつね”くんの言うところの、政治力を発揮する為に・・・

< つづく >

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