浮遊館 第一章

第一章  エレクトラ誕生

「ご主人様、こちらが今度新しく入ることになった・・・」
「エレクトラ君だね」
「は・・・?」
 ご主人様と呼ばれた男の前で、少女は思わず不審げな声を発した。
 ご主人様と呼ばれた男は、まだ若くいかにも高級そうなスーツを上品に着こなした細面の男だった。一方の少女は丸いくりくりした瞳に長い髪の持ち主で、やや幼げながら整った美貌なのだが、どこか品位には欠けたところがあり、瞳の奥には不敵な光を宿している。ボーイッシュで危険な雰囲気を漂わせており、そのせいか表情もどこか不良少女めいて見える。しかし面白いことに、今、身にまとっているメイド服はなぜか似合っていた。
 もっとも、そのメイド服は、その少女専用に特別あつらえたものらしい。と言うのは、その場には、ご主人様に少女を引き合わせた女性の他、幾人かのメイドたちがいたのだが、誰一人として少女と同じデザインのまとっている者は、いなかった。もっとも、それを言ってしまえば、皆それぞれ異なるデザインと色づかいの服をまとっている。しかも、みんな似合っていた。
「エレクトラ君、マリア君たちから聞いていないかね?君の新しい名前について・・・」
「あ、い、いえ・・・聞いております。ご主人様。すすみません、つい慣れていないもので・・・」
 この館内では、メイドたちは誰一人として本名では呼ばれていなかった。皆それぞれに特技や個性があり、それに応じたメイドネームをご主人様から頂戴して使用することになっていた。
 エレクトラのメイドネームの由来は、エレクトロンから来ていた。見た眼と違い、この娘は電子工学を得意としていた。おそらく専門学校に通っていたのか中退といったところなのだろう。この館の主人も他のメイドたちにしても、彼女の前歴や本名などには興味が無いので調べようともしていなかった。ただ、この館に電子錠を開けて盗みに入った彼女の所行について知っているのみだった。発見されて逃走した時の様子から、知性は推測出来ていた。抵抗して力づくで捕らえられた時の様子から、武術こそ身に着けていないもののケンカ馴れしていることはわかっていた。これ以上、何も望むものは無かった。知る必要のあることは一切無かった。これが世間ならば、人格というものも気にしたことだろう。しかし、この館の主人にとっては人格とは与えるもので、元から存在するものでは無かったのだ。
「さて、エレクトラ君・・・」
 主人は、いつの間にか懐中時計を手にしていた。銀色に煌めく丸い時計で、やはり銀色の鎖がついている。
「・・・君は、ここに盗みに入った。世間では君を泥棒と、犯罪者と呼ぶだろう」
 主人は銀色の懐中時計をもてあそんでいる。
「だが、その君の行為こそが、そうした行為を起こした精神こそが、この館の住人となるに相応しい・・・」
 主人の手から銀色の鎖がこぼれる。その先に、銀色の時計がぶらんぶらんと揺れている。
「加えて電子錠に細工した君の技術、警報が鳴るや否や敢えて出口を目指さず中枢を目指した判断力と決断力、加えてマリア君たちを手こずらせたケンカの腕。どれを取っても、君はわたしに仕え、悦びを味わう資格が充分なのだ」
 エレクトラと名付けられた娘は、ぼんやりと話を聞いていた。なぜか判らないが、思考が徐々に鈍って来ている感じがしていた。視界に銀色の煌めきが踊っている。
 ああ・・・眼が回る・・・アタマが・・・アタマが働かない・・・
「ふふ・・・君は、今、何をしたい・・・?」
 何を?何を・・・って・・・
 エレクトラは、いきなりその場にひざまづいていた。脚が長い所へもってきて、かなりミニのエプロンドレスなので白いパンティが丸見えになっている。
「ふふ・・・暗示が効いているようですね・・・」
「え・・・?あ、暗示・・・?」
「捕まった時、そこのマリア君から君は尋問されたんですよ。思いだしませんか?」
 不意に、その時の情景がよみがえってくる。
 そうだ!わたしは尋問された!でも、なぜ忘れていたの・・・?
 床にひざまづく娘の顔に、愕然としたものが浮かび上がる。
 ちょっと待って・・・そもそも、何でわたしメイドなんかになってるの?尋問されて・・・それがどうしてこんな恰好しているの?そうよ!わたしは捕まった!そして・・・!そして・・・!
 そこから先の記憶が無かった。いや、ぼんやりとはある。この館の主人にマリアと呼ばれている美しい女性に、何やらいろいろと訊かれた。夢うつつの中で・・・だったような気がする。一体、いつのこと?あれは、どのくらい前のこと?
「どうやらテストは成功だな」
 ああ・・・ご主人様の声が聞こえる・・・
「普通は記憶に残しておいてあげるのだけれどね。最初の時だけは記憶を消させてもらってるんだ。でも、君がすぐに受け入れ態勢に入れるとわかったんだ。返してあげよう」
 主人の口が動いて言葉を刻む。言葉は脳に染み込み封鎖されていた記憶を解除した。途端にエレクトラの中に真実がよみがえる。
 すべてがにせもの・・・メイドとしてのこの悦びも、すべてが偽り・・・
 だが、不思議と怒りが湧いてこない。ただ、悦びがあった。その理由もわかっている。
 それでも君は怒ることが出来ない。自分が暗示にかけられていると、そう自覚しただけで君は悦びに打ち震えるのだ・・・
 言葉通り、エレクトラは悦楽に身を震わせていた。わたしはご主人様にお仕えする。自分の意志に反して・・暗示のせいで・・そう思うだけで、悦びが溢れかえってくる。実はエレクトラは一週間も暗示下で尋問され続けていたのだ。その間に、潜在意識下まですっかり調べ上げられ、被虐的な性的欲望が本人も気づかぬまま徐々に膨れ上がっていることまで、館の主人は把握していたのだ。
「さあ、それではエレクトラ君・・・」
「い、いやですっ!いやだっ!あたいは、そんな名前じゃないっ!」
 立ち上がろうとしたが、身体は動かなかった。しかし口は働いていた。頭もまともに動いている。
「じゃあ、君は本当は何て名前なんだい?」
「もちろん、ご主人様に頂いたこの名前こそが・・・」
 何だ、これは・・・このオレ様の口が勝手に・・・
「他の名前なんて、君にあるのかい?」
 もちろん、ある。友人たちは、このあたしのことを・・・
 記憶がよみがえる。教室で隣の子が囁いている。ねえ、エレクトラ、ノート貸してよ・・・違う!違う!違うっ!あの子は、ボクをそんな風には呼ばないっ!あの子は・・・
「どうかね?」
 主人は、愕然としている娘に非情の眼差しを向ける。
「あ、あの子を思い出せない・・・顔も・・・名前も・・・声しか思い出せない・・・あたくしの親友だったと言うのに・・・」
「本当に親友なのかね?あたくしの隣の席の子は・・・」
 途端に別な記憶がよみがえる。
 ・・・そうだ・・・君には親友がいたんだよ・・・隣の席に座っていた子だ・・・ちゃんと君をエレクトラと呼び、君からノートを借りたり宿題を写させてもらったりしていたんだよ。君はちゃんと憶えているんだ・・・ああ、それから、その親友のことを憶えている君は、自分のことを「あたくし」と呼んでいるんだ・・・
 少女の顔に、愕然とした表情が浮かぶ。それを認めたのか館の主は笑みを浮かべると、
「大丈夫だ。ちゃんと記憶の区別はついているだろ?」
 言われた途端にまたしても記憶がよみがえる。
 大丈夫・・・君本来の知っていたことを思い出す時は「わたし」のままだ。「わたし」が憶えていることだけは、暗示で刷り込まれたものではない・・・
 ご主人様に仕えたいという欲求も、それを快感と感じるのも、すべては暗示で刷り込まれたものだった。しかし、わかっていてなお欲求には逆らえない。
 エレクトラは、恨むような眼で主人を見上げた。
「いいぞ。エレクトラ君。君はおのれの欲求を無視出来ない。わたしに仕えたいという欲求には抗い切れない。だが、いやだろう?」
 そうだ!いやに決まっている。だからこそ、わたくしは・・・わたくし?
「そうそう、人はみな自由を求める。だから、わたしは君の中に眠る自由への憧れも強化しておいてあげたよ。何としても、自分に仕えるべき主人がいることなど認めたくない。その欲求も、ちゃんと刷り込んでおいてあげたよ」
 もはや、エレクトラにはき何も言えなかった。何も出来無かった。何が本当に自分の望んでいることなのか、後になってみなければ、はっきりとわかりそうにもなかった。おまけに、それがわかったとしても、何ら事態に変わりは無いのだ。
 エレクトラは力無く立ち上がった。さっき、自由に身動きが出来無かったのが、ウソのようだった。おそらく逃亡とか反抗の気持ちが無ければ、問題ないのだろう。
「どうやら、エレクトラ君は完成したな」
 主人が呟くと、それまで黙って主人の後ろに控えていた長身のメイドが、
「はい、お美事です」
「マリア、わたしは君の良い弟子かな?」
「はい、ご主人様。すでに、わたくしを虜になさった時からご主人様は、わたくしを超えておられますわ」
「そうだったな。すべてはあの時から始まったのだな。おかげで、わたしはいまだ正式にメイドの募集を出した憶えが無い」
「わたくしみたいなパターンが一番多かったですね」
「マリア君、君は特別だよ。わたしを催眠術で操ったのだから。第一、君がメイドだったのはカムフラージュだろう?あの半年間、ここの主はわたしではなく、君だった。後悔しているかね?戯れにわたしに催眠術を教えたことを?」
「・・・していないと言えばウソになります。おかげで、わたしはいまだにこの館から、一歩も外へ出られません。一歩でも出てしまえば深い喪失感に襲われて、また館の中へ戻ってしまうのです」
「君はすでに自由を言い渡してあるのだがな?」
「あの喪失感を埋めることが出来無ければ、わたしは死んでしまいます。自らくびれて死ぬかもしれません」
「普通、催眠術で自殺は出来ないと言われているが」
「自殺しろと言われれば抵抗するということです」
「君は、やはりここにいるのかイヤかね?」
「正直、今は状況を楽しんでいます。でも、やはり自由になりたいと思います」
「どちらも、状況を気に入っているのも自由に憧れるのも、いずれもわたしの暗示なのだがね」
「構いませんよ」
 マリアは、ふっ、と寂しげに笑ってみせた。傀儡であった筈の館の主人にいつの間にか暗示をかけられていて、そのことに気づいた時にはすべてが逆転していた。館の使用人一人一人に自ら催眠術をかける手間と時間を惜しみ、主人に催眠術を使えるようにしたのが失敗だった。もっとも、そのことで後悔はしていない。それもまた、暗示の成せる技なのだが。
「うっ・・・」
 マリアは呻いてミニの裾をまくり上げると、指をそこに這わせた。
「あっ・・・」
 思わず立ったまま身をのけ反らせる。エレクトラも、パンティの上で手を動かしていた。
 この浮遊館に仕えるメイドたちの性欲は、すべて主人の暗示でコントロールされていた。いや、コントロールではない。暴走と呼ぶべきか。それとも予定調和なのだろうか。
 主人を囲むようにして、居合わせたすべてのメイドたちが、オナニーに耽り始めていた。

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