亜見智 2
夜も明けようとする時刻。
いまだ暗い森の中、樹に背もたれ、亜見智は優しく歌う。
何年か前、毎晩のようにこの森に木霊した歌。
誰が歌っていたかは興味は無く、ただ膝を抱え穏やかな気持ちで聴いていた歌。
この歌を聞いている時も、歌う時も世から離れたように穏やかな気持ちになれる。
ふ~わり 真夜の空 舞う星ひとつ
ぼんやり 月の下 這う影ふたつ
目を閉じて さぁ 怖くないよ
手を出して ほら 一緒にいるよ
夜に咲いた 言の葉は 静かな闇に消えて
夜深く消え 歌収め お休みこの胸の中
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
深い森の中、拍手がもれる。
「・・・・いい歌ね」
遠くから声ーおそらく女性のーが聞こえる。
顔、姿、彼女を認識するものは何も見えない。
「ありがとう」
「・・・・どういたしまして」
「ここへは何をしに来たの?まさか迷子なんかじゃ―――」
「ないわ。・・・・ごめんなさい」
「私は抵抗するわ。死にたくはないもの」
「・・・ええ。分かってる・・・・」
「そう。・・・・・それは仕方のないことなの?」
「・・・・ごめんなさい。あなたは私たちにとって危険なの」
「・・・・・そう」
「なにか、言うことがある?」
「・・・・・あなたは交渉人?」
「いいえ」
深い森に響く暗い声。
「私は、私が生きるために人の”性”を摂取するの。・・・・・それは――――」
「悪いことじゃないわ。死にたくない―――それだけだから」
「それでも私は―――あなたは」
「ええ。あなたを殺すんでしょうね」
「あなたはそれを願っているの?どうしてそうしようと思ったの?」
小さく男の声が聞こえる。
”アイツの話に耳を貸すな”
「私は、別にあなたのことをなんとも思っていない」
”早く始末してしまえ”
「もっと、あなたと話がしたいとも思っている」
「・・・・・・・」
”早くするんだ”
「お友達になれるかもしれない。だけど私は――――」
「あなたは、私を殺さなければならない、か・・・」
感覚として、彼女が頷くのが分かった。
”アイツはあやかしなんだぞ”
「でも私は抵抗するわよ。私は生きたいと思うから」
「分かってる・・・・誰だって・・・・」
”もういい―――――”
四方から火花が散る。
飛び起き、舞うように草の上を移動する。
元居た場所へ、元居た場所へと鉄の雨が降り注ぐ。
「ふふ・・・・・」
弾は一発たりとも亜見智の体を傷つける事はない。
とんっ、と地を蹴る。
亜見智がいた場所にまた雨が降る。
幾重にも降り注ぐ鉄の雨。
もう一度、今度は樹の幹を蹴る。
またも亜見智の浮遊していた場所へ雨が降り注ぎ、樹の皮がはがされていく。
「せっかく育ったのに・・・・・・ごめんね」
薄明るい空、亜見智の姿が空に舞う。
続けて、何発もの銃声。
身を翻しながら銃声の数を冷静に数える。
(1・・2・・3・・4・・5・・・・・)
少し遅れて何発かの銃声。
(6・・・7・・・8)
少なくともこの場に居るのは8人。
「せっかく・・”性”を受けたのに・・・・・」
すばやく背中に手を回し、帯をはずす。
すぐさま亜見智が着ていた白い服にいくつもの穴が開き、ぼろぼろの布切れへと変えられていく。
”やったか・・・!?”
とさっ。
裸身の女が地に降り立つ。
「男・・・・・・か・・・・・」
明らかに男は自分の存在に気づいている。
しかし、背後に居る自分の方を振り返ろうともしない。
(あやかしの力・・・・知っているのね・・・でも)
「・・・貴方勘違いしているのね。何も私の瞳があやかしの淵源ではないわ」
男の襟元から声が漏れる。
”あやかしはいたか!?”
「・・・はい。7番発見しました」
少し動揺した声。
構わず亜見智は、他の仲間にも聞こえるようわざと声を大きくする。
「月が満ちる時、その夜だけあやかしの力は濃く反映される。
―――安心しなさい。今なら・・・・・・自分の力を抑えられるから」
亜見智は木々から漏れる月の光を慈しむようにその手に受ける。
男は思い切ったように亜見智のほうへ振りかぶる。
「想い・・・・届かず・・・・」
その瞬間に、男の足元に生い茂る草達が急成長する。
草は男に巻きつき足を、腕を縛り、耳の中、口の中へ”生”を喰らうように襲い掛かる。
目をえぐり体内へ入り込んだ草は中から外、中から外へと”生”に喰らいつく。
血を、夥しいほどの血を吸収し爆発的に草がヒトを喰らう。
―――それは一瞬の事。
叫び声ーー呻き声一つ出す間も与えられず男は息絶えた。
裸身に飛び散る血を指先で拭い、舐め上げると亜見智は”微笑んだ”。
さらに、どさりっという音がして、胸を樹に突き刺された男が二人後ろで倒れる。
倒れた男達はもうこの世には居ない。広がる血の量がそれを教える。
「あまり力を使いたくないの。酷く疲れるから。だから・・・・・・・止めて欲しいんだけど・・・・・」
それは、亜見智の本心だった。
自分の身を惜しんでいるわけじゃない。あくまで追跡者達の身を案じているのだ。
”構わん・・・撃て!!”
―――銃声は聞こえない。
銃に手をかけたものは皆その場で木々、草々に喰い尽くされた。
心の臓を枝に突き刺され体の養分を吸収されていく。
残ったのは樹にかけられた服を纏った骨だけ。
骨を包み込むように絡みつく草。
残った鮮血を大地が吸収していく。
もはや何人居たかなど関係なくなっていた。
亜見智はまた元の場所へ戻ってきた。そこが自分の住処であるかのように。
がさ。
誰かが後ろで草を踏んでいる音がする。
「何をしたの・・・・・・・あなた・・・?」
先ほどとは違い、今は声が震えている。
「あなたは・・・一度も撃たなかったのね」
亜見智は彼女の方を振り返る。
「何をしたのっ!!?」
彼女はこちらに向け小型の拳銃を初めて構える。
「止めなさい。ただじゃすまないわ」
それでも彼女は銃を降ろそうとはしない。
「・・・・いいわ、教えてあげる」
亜見智の目が真紅の輝きを帯び、周りの草が足元で踊りだす。
「この森のものはほとんど一度私に生気を吸われている。だから私はこの子達に命を与えた。
”私を、貴方たちの主を討つものを喰らえ”・・・・・・・・・・・ってね」
「・・・・・っ!?」
「少なくともあなたは私を討つつもりはなかったのね。・・・どうして?」
亜見智の問いに彼女は何も答えない。
息を荒げ、一層に体を、拳銃を握る指を震えさせる。
「どうしたの?あなたも知っていたんでしょう・・・私のあやかしの力―――生を奪われたものを自由に使役する力を。・・・・もっとも、ヒトや動物のように高い生命力を持たないものは今日のように―――満月が出ている間くらいしか使役できないけれど」
自嘲するかのよう、亜見智はくすりと笑う。
「不便でしょう?」
「・・・・・何が・・・・?」
「私はこの力のために、満足に生を受けられないの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「今も残る御伽話に―――――――――鬼が踏みしめた土、草は枯死してしまったと言う表現があるでしょう? ―――あれは死に至らしめるほどに生を吸われているの。でも私は、少しの生気を残し私自身の生気を与えなければならない」
「・・・・じゃあ、生気を吸われたものは―――――――」
「私の虜・・・・・・余りいい響きじゃないわね。そう”魅せられる”とでも言いましょうか?」
依然亜見智の瞳は真紅の輝きを帯びたままだが草は元の形へ姿を変えていく。
薄く射し込む木漏れ日が亜見智と彼女を照らし出す。
「時間切れ・・・・・これで貴方を襲う力はなくなったわ。どうするの?」
「少し・・・少しだけ話をさせて・・・・」
「それは貴方の興味?それとも―――――胸元の無線で仲間に情報を送るため?」
「・・・・・・っ」
「いいわ。好きなだけ送りなさい。包み隠さずなんでも教えてあげる」
「何を考えているの?」
「何も考えてないわ」
「ば、馬鹿にしているのっ!?」
「いいえ」
けして亜見智は彼女を馬鹿にしているわけではなく真実を答えていた。
「どうして人を襲うの?あなたは草や木からでも生気を受けることができるんでしょ?」
少しだけ、銃を構える手に力が込められるのが分かる。
そして、亜見智の顔からも表情が消える。
「あなた達はどうしてあやかしを討つの?」
「どうして・・・って・・・・・・あなた達が危険だから・・・」
「危険・・?どうして?和解も起こそうともせずどうしていきなり襲い掛かるの?」
「それはっ・・・・・・」
「あなた達と私は何が違うの?」
「・・・・・・・・・・それは」
「ヒトは危険ではないの?あなた達はそうやって裏切るの?」
「それはっ・・・」
「それは何?」
長く訪れる沈黙が話し合いが終わったことを物語る。
彼女の瞳からは涙がこぼれている。
「ごめんなさい・・・・・・」
(ごめんなさい・・・・・・・?)
「・・・っつ・・・」
彼女は静かに引き金を引く。
サイレンサーは着けていなかったらしい。日の光が射し始めた森に銃声が木霊する。
軌道に乗った銃弾が亜見智の肩を掠める。
確実に肉を抉り、肩から血が吹き出る。
しかし、立場は逆転していた。
相も変わらずの無表情、均整の取れた体。
外見ではなく、”身に潜む物”を彼女は見た。
「あ・・・・・・・・ひ・・・・・・・・・・」
森が大気が震えだす。
歯からカチカチという音が流れる。
今目の前に居るのは先ほどの女ではない。
これが、ヒトが危険とみなすもの、正真正銘の――――――。
「あ、あや・・・・かし・・・」
草を踏みしめ裸体の鬼が目の前に迫る。
足が動かない。息が出来ない。
指があと数センチ動けば鬼を討つことが出来る。
「・・う・ごけ・・・動け・・・動けっ!!」
カラカラの喉から声を絞り出すが指は動かない。
「・・・・・・どうしたの?私は何もしていないわ」
「・・・・・ひっ・・・・」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
嫌な汗が体中から吹き出る。
ガチガチガチガチ。
「捕まえた」
亜見智の手が髪の毛を撫でる。
真紅に金色がさした瞳が彼女の顔を映し出す。
「”私”はヒトを許さない。あなた達が嫌い。あなた達が憎い」
「何を・・・・・」
急に体の緊張が解ける。
重い鎖の呪縛から逃れたように体が軽い。
「八つ裂きにしても満たされない・・・・・。だったら少し私を楽しませなさい」
銃が草の上に落ちる。
銃を握り締めていた手はズボンを脱ぐためベルトに当てられる。
「どうして・・・・止め・・・・・」
鎖なんて外されていなかった・・・・・新しい首輪がはめられたのではないか。
「あなたはせいぜい抵抗しなさい」
次は上のジャケット。カッターシャツ。
「殺されるまでの・・・・束の間の楽しみ・・・苦痛。どっちがいい?」
「嫌・・・・殺さないで・・・・・」
「死ぬのは怖いものね。・・・・・ふふ・・・・・・だから何?」
ブラジャーが地に落ち彼女は続いて薄紫の下着に手をかける。
「殺さ・・・ないで・・・」
「嫌」
無常な一言。
それと同時に最後の下着が地へと落ちる。
「快楽か苦痛か。選びなさい。答えがなければ苦痛とみなすわ」
「・・・ひ・・・・・・・」
亜見智の爪が彼女の首に触れる。
そして彼女は――――――。
「っふう、ひんっ!!」
「気持ちいいでしょう?」
「はいっ、気持ちいいですぅ」
顔に浮かぶは陶酔の色。性の快楽に溺れた者が見せる表情。
彼女は快楽を選んだ。おそらく最善の選択だ。
首筋を這う舌も乳房にあてられた手も、股座を玩ぶ指も全てが心地よい。
「ひゃっ、あぅ、っはあああああああああああ」
「イったの?ふふ・・・・でももう少し”性”を頂戴」
「ひぁぁ・・・おっぱい・・おっぱい弄らないでぇ・・・・」
「こんなに嬉しそうにしているのに?いいの止めても?」
「あはっ、止めないで、やめないで、もっとつねって下さいっ!!触ってぇ!!」
「我侭ね」
「あ、あふっ、いいのっ!!胸も、あそこも気持ちいいのぉっ!!
ああっ、イク、イク、またイっちゃうのおぉ!!!」
亜見智は構わずに彼女の体に愛撫し続ける。
冷徹な微笑を浮かべながら―――――――――。
彼女の嬌声は薄明るくなりつつある森に響いた。
ダンッ。
再び拳銃を握った彼女の手は自らのこめかみに当てられていた。
目を見開き、それでも惚けた笑みを浮かべた彼女は草の上に倒れる。
突如亜見智の体のバランスが崩れる。
飛んだ意識からすぐさま回復すると地を踏みしめ転倒を防ぐ。
「・・・・・・・っ?私・・・・・・・」
鎮痛な顔つきで頭を押さえ込む。
幸い、小さな頭痛は一瞬で何処かへ消え失せた。
辺りを見回す。
心持ち先ほどより森が明るくなった気がする。
スーツ姿の彼女が目の前で息絶えている。
「そうか・・・・・私が咄嗟に・・・・・」
発砲しようとした彼女を自分が討ったのだ。
「なんだか・・・体が楽・・・・・あやかしの力を使った後なのに・・・・・・」
彼女の亡骸を目の前にし、亜見智はまた裸のまま樹にもたれるようにして座り込む。
「”ごめんなさい”、ね」
気にしないで。・・・・・・・・・・・慣れているから。
死者への手向けの様、歌を唄う。
ふ~わり 真夜の空 舞う星ひとつ
ぼんやり 月の下 這う影ふたつ
目を閉じて さぁ 怖くないよ
手を出して ほら 一緒にいるよ
夜に咲いた 言の葉は 静かな闇に消えて
夜深く消え 歌収め おやすみこの胸の中
「昔は・・・・・・小動物から、草や木から生気を受けていた・・・のに」
いつからヒトを襲うようになったのだろう。
いつからヒトの性を受けヒトを操ることに快感を覚えるようになったのだろう。
少なくとも昔は――――――?
「全ては闇の中・・・・・・・・か。ううん、もう朝が来る・・・・」
ぼんやりとしたまどろみの中。
亜見智は歌を続ける。
暁に消えた 時の歯は 遠い明日に流されて
今宵描いた 夢収め おやすみ深闇の中
今宵流れた 風の音 遠のせせらぎ流されて
弔旗捧げた 花収め おやすみ閑寂の中
「永久の中・・・・・・・・・御休み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
< 続く >