帝国軍特別女子収容所 FILE 13

FILE 13

 あの女を止めるには――。
 考えるが、答えは出ない。時計は既に深夜と言っていい時間になりつつある。今日の午後の巡察は、司令部の警備に重点が置かれたので、こっちはお呼びでない。その時間を利用して、打開策を考えていたのだが、いい案は見つからなかった。
――洗脳はおそらく効かない。
 あの目には『個』がない。人としての尊厳とかそういうものすら、今のあの女からは抜け落ちている可能性がある。
――たとえレイプされても、顔色を変えず、あえぎ声1つ出さないに違いない……。
 何か、全てが壊れるようなことが、あの女の身の上に起きたのだ。そしてそれは帝国が原因なのだろう。
 親が殺されたか、恋人が殺されたか、それ全部か。
 とにかく帝国を破壊するそのために、どんな手段も問わない『化物』を生んでしまったのだ。
――そう。化物だ。でなきゃ、総帥の弟を処刑するなんて無謀なことはできない……。

 思考がぐるぐる回るだけで、答えは出ない。
 レジスタンスである証拠をみつけて告発できればいいのだが、エミリアの朝食に自白剤を混ぜただけでは無理だ。
――罠にかけて、レジスタンスであることを暴露する?
 エミリアを利用して、レジスタンスだと見える瞬間を撮影するとか……。
 だが向こうはエミリアを殺すのが目的だ。危険を察知したら躊躇しないだろう。それに親衛隊側が軍による謀略を疑う可能性も高い。
 これまでの過程はともかく、実績は上げてきている女だ。レジスタンスだって平気で殺してきている。「レジスタンスの仲間です」と言われて「はい、そうですか」と信じるとは思えない。

――ではどうする? どうする? どうする?

 俺は大きくため息をついた。答えは出ない。
『壊れた人間』に洗脳は無理だ。催眠術だって同じだ。
『化物』になる前ならともかく、今のままじゃ手も足も出ない。

――ん? 『化物』になる前……。『化物』になる前!
「そうか! その手があったっ!!」
 俺は本棚に飛びついた。

 昔仕入れた資料をひっくり返す。
 臨床心理に関する本を見つけて、バラバラめくった。
「あった! 退行催眠!」

――催眠暗示で、心的外傷の原因となった記憶まで精神時間を戻し(退行)、不安症を軽くしたり、恐怖心を取り除く治療法。
 問題を客観的に見つめなおし、心の痛みを癒すことを目的としているが、逆に忘れていた事象を思い出し、再び心的外傷を受けて悪化することもある。

「なるほど。単純ではないな」
 ディートリッヒの過去の経験は、相当強烈なものだろう。単純に思い出すだけでは、かえって帝国への憎しみが増す結果になるかもしれない。
 それに目的は、ディートリッヒのトラウマを取り除くことではなく、エミリアへの危害や俺の活動の妨害を阻止することだ。そのために退行催眠をどう利用するのかが難題である。
「くそっ。こんなことになるなら、もっとちゃんと催眠術の研究をしておくべきだった」
 本来、尋問が目的だから、今の事態は想定外だ。しかしそれでも、もっと広く催眠術の可能性を探っておいても良かったのではないか?
――こんな形で後悔することになるなんて。ちきしょう。
「とにかくやるかない。向こうは親衛隊。しかも総帥の弟を殺せる女だ。摘発失敗の汚名がある以上、ワッツも俺も即射殺することだってできる……」

 翌朝、ディートリッヒは司令部の外周の視察から始めた。
 漆黒の軍服を身にまとい、銀色の鷲の紋章をあしらった軍帽を目深にかぶっている。顔は親衛隊特有の無表情だ。その上この女は、目に感情がないから、余計人間味を感じさせない。
――美人なのに、もったいないことだ。
 一寸も乱れのない姿だが、親衛隊は30分も鏡で身なりの確認をするという噂は本当なのだろうか。
 とりあえず司令部内でなければ、俺の出番はない。

 一番いい方法は、『できるだけ目立たないで、ディートリッヒの隙を突く』ことである。だが、それは昨日の1件で無理だった。
――あそこまで走って目立つようなことをやらなければな。くそ。
 寝坊しなければ、走ることもなかったし、そもそも前日に攻められて昏倒していなければ、寝坊することもなかった。
 一瞬の油断が、今の苦境を作り出している。

 ディートリッヒはどこまで警戒しているのだろうか? 俺がレジスタンスだと疑っていることまではわからないはずなのだが……。
――?
 ふと視線を感じた。
 思わず振り返りそうになるのを、力づくで抑える。
 司令部の周りの雑草を抜く振りして、窓ガラスを鏡代わりに後ろを確認した。

 ディートリッヒだ。
 広い閲兵広場の向こうから、こっちをじっと観察している。

 背筋を冷たいものが走るほど、ぞっとした。
 遠いし、鏡ほどはっきり映らないので、表情まではわからない。
 だが昨日確認したあの感情のない瞳が思い出されて、思わず唇を舐めた。

 できるだけ普通の動作で身体を起こし、指令本部に入る。
 昨日、今日と外の警備状況の視察に切り替えたのは、自分がどこまで警戒されているか確認するためだったのかもしれない。
 レジスタンスと疑われていたら、指令本部の警備を見回らせることは絶対させないからだ。
 それにいざという時、逃走も楽だろう。
――俺の行動が、どういう意味だったのか考えているのか? あれだけ慌てて食事を妨害したのは、どういう意図があったのか、と。

 尋問官は、自分の担当する捕虜を他人に関わらせたがらない。
 実際俺も、ワッツに出した最初の条件は、捕虜の管理権だった。
 それに軍は親衛隊が嫌いだ。
――そうだ。いきなりやってきた親衛隊を警戒することはよくある。俺は親衛隊に強い偏見を持っていて、親衛隊の行動を妨害した。そういうことにすれば……。

 一番悪いのは、俺がディートリッヒを疑っていることがバレることだ。
 それを感じさせた瞬間、彼女は俺を射殺するだろう。
――総帥の弟を躊躇なく殺せるなら、俺を殺すことぐらいわけはない。
「中尉」
 突然背後から呼ばれて、飛び上がりそうになった。

 焦って振り返ると、いつの間にかすぐ背後にディートリッヒが立っている。
――全く気配がなかった。それにあの距離をいつの間に?
 冷たい汗が、全身から一斉に噴き出す。
「なんでしょうか? 少佐」
「尋問室を視察する。どうも尋問がうまく進んでないようだな」
「進んでないわけではありませんが……」
「ほう。どんな成果を上げたのだ?」
 ディートリッヒの感情のない瞳が、じっとこちらを睨んでくる。

「レジスタンス拠点の情報を手に入れまして、そこの摘発を行いました」
「結果は?」
 ディートリッヒの左手が、ホルスターの銃にかかった。癖なのか、それとも威嚇なのか。
 後ろについている警護の兵士が固唾を飲んで見守っている。
「……失敗しました」
「それは、情報が間違っていたのか?」
 追い詰められているのを感じた。

「調査中です」
「情報が信用できないことを判断できなかったということか?」
「情報は確度が高いと確信しておりました」
「しかし摘発に失敗した。その情報を吐いたのは? 下の捕虜か?」
「いえ、別の捕虜です」
「どこにいる?」
「解放しました。司令官命令で」
――我ながら、なんて間抜けな話なんだろう?

「解放だと?」
「捕虜はセシル=トレクスであります。社会的影響力の高い捕虜であるため、司令官が解放を命令いたしました」
「なぜ再逮捕しない?」
「手配中であります」
――本当かどうかわからないが。
 ディートリッヒは感情を写さない瞳で、正面から睨んでくる。
「つまりこういうことか、中尉? 捕虜から引き出した情報で、摘発は失敗。さらにその捕虜も解放してここにはいない。現在有効な情報は全くなし、と」
「下の捕虜をこれより尋問し、汚名を返上する所存です」
「まだ、尋問してなかったのか?」
「セシル=トレクスの尋問を先に行いました」

 段々腹が据わってきた。
 失点は明らかなのだ。こうなったら開き直るしかない。
 俺はディートリッヒの目を睨み返した。
――親衛隊に負けるもんか、という気持ちを出して……。親衛隊に対する敵意をむき出しにして……。
「これから尋問を行います。今回は強い薬品を使って、激しくいく予定です」
「薬品?」
「はい。必ず有効な情報を引き出します」
「……」
 ディートリッヒは、俺の挑戦的な表情を、じっと探るようにみつめてくる。
「……期待しよう」
 左手がようやくホルスターから離れた。
――なんとか乗り切ったか。
 薬品と聞いて、興味が出たらしい。自白剤を使えば、エミリアは即死だ。失態が続いた俺は即処刑に値する。懸念を一掃できて万々歳ということだろう。
――食事を止めたのが、自白剤が入っていたからではないと思えば、警戒も薄れるはず……。
 自白剤のことは、とっくに報告として上がっているはずなのだ。もっとも俺は「薬品」とは言ったが「自白剤」とは言ってない。
 時間は稼いだが、その時間は短い。
 エミリアの尋問に入る前に、なんとか仕掛けなければ……。

――待てよ? そう言えば、銃が左にある……。
「少佐殿は、左利きなのですか?」
「右利きだが、それがどうした?」
 感情のこもらない声。嫌そうだったり、不思議そうだったりといった細かな感情すら見えない。
――そう言えば昨日、軍帽を右手で直していたっけ。
「いえ。銃を左につけてらっしゃるので」
「右だとうまく当たらなくてな」
「それは珍しいですね。なんかケガとかの影響ですか?」
「いや。していない」
「うーむ。それは不思議ですね」
――右利きなのに、左撃ち。使えるか?

 考えながら、独房より先に医務室に回る。
「ここでは、尋問に使う薬品の保管を行っています。本来は別に保管するのですが、あくまで臨時の処置です。自白剤のシオメトロもここにあります」
 シオメトロの名前を出したが、こちらの顔を伺うでもなく、表情を動かさない。セシルもやりにくかったが、この女も同じくらいやりにくい。
「そうだ、少佐。さきほどの右手の話、ちょっと肩とか肘を見てもらったらいかがですか? すじとか、自分で気付かない間に怪我していることもあるそうですよ。君、ちょっと」
 俺は問答無用で医務員に声をかける。
「必要ない」
「まぁ、そう言わず。本部の医務室ではいろいろ報告されることもあるかもしれませんが、ここでちょっと受けるだけならそんなことはありません。カルテも作りませんし」
――あれだけ暗殺未遂があるなら、薬物のある場所はもちろん、健康診断も受けてないかもしれない。
 ディートリッヒは俺の思惑を探るように、ちらりと無表情にこちらを見る。
「……少しだけならな」
「上着をそこにかけます」
 俺は半ば強引に上着を脱がし、上着掛けにかけた。
「右手の調子を見て欲しい。肩とか肘も」
 俺はそう言って医務室を出る。急いで給湯室に飛び込んで紅茶を淹れた。
 理由はともかく、こちらの言葉に従ったのである。
 一番の警戒対象から、若干落ちた証拠だった。
――この千載一遇のチャンスを無駄にはできない。
「すまない。この紅茶を、医務室の親衛隊に届けてくれないか?」
 警備の兵士に頼んで、こっちは医務室にとって帰る。

「脱臼か骨折をしたことはありませんか?」
「いや、ない」
「ちょっと骨が歪んでいるようですが」
 俺が戻ると右腕を天上に引っ張り、医務員が所見を述べていた。
――本当に歪んでたのか。
 俺は表情に出さず考える。
「一度、レントゲン等で確認した方がいいかもしれませんね」
「了解した」
 背後からトレーを持った兵士が入ってきた。
「これから尋問室の方へ案内いたします。実際どんな尋問を行っているか、見ていただきましょう。ちょっと準備を急がせますので、お待ちください」
 部屋を出る時、一礼するために振り返ると、ディートリッヒは軽くうなづき、紅茶に口をつけていた。

 時計を見ながら、尋問室の案内を進める。
 カーテンで仕切られた尋問室が勝負所だった。
 俺は事細かに説明し、時間を稼ぐ。
――催眠導入剤の入った紅茶に口をつけた。もう後戻りできない。
 紅茶に何か入れたとわかれば、すぐ上官侮辱罪で殺される。いや、反逆罪か。
 いよいよ、カーテンの尋問室に入った。
「そこに座ってください。そこから見ると、このカーテンは……」
 目をしきりにしばたかせるディートリッヒ。そろそろだ。

「ここと隣り合った3つの尋問室は、防音になっています。音を聞かせる必要のある尋問と、それが邪魔になる尋問があるためで……」
 ディートリッヒは崩れるように椅子に座っている。
――もういつ異変に気付いてもおかしくない。急がなければ。

「目をつぶってください。今ちょうど隣で尋問が行われていますが、その音は聞こえないはずです」
――気付くな。つぶれ。つぶれ。つぶれ……。
 念じた気持ちが通じたわけではないだろうが、ディートリッヒは目を閉じた。

「どうです。尋問の音なんて聞こえないでしょう? しかし完全な静寂は、かえってよくありません。よーく耳を澄ましてください。何かの音が聞こえるはずです。さぁ、どうですか?」
 ディートリッヒは目を閉じたままだ。いつ目を開いて、銃を突きつけられるか気がきでない。
「ほら、聞こえますか? 時計の音なんです。チク、タク、チク、タク……。ほら、聞こえますよね?」
 催眠導入剤の効果は、順調に見える。もうワッツにバレるのもダメだ。これ1回で事態を改善させる何かを得なければならない。

「すると、音に合わせて段々身体が揺れてきます。チク、タク、チク、タク……。そうです。音に合わせて身体が揺れます」
 ディートリッヒの身体が少しずつ揺れていく。まだ順調だ。
 汗が流れる。催眠術に対する絶対の自信はない。しかしもうそんなことは言っていられない。

「それでは今度は、時計の音ともに身体の揺れが収まっていき、今度は首だけが揺れます。他は揺れません。さぁ、チク、タク、チク、タク……」
 俺の声に合わせて、ディートリッヒの首が揺れ始める。
――さぁ、いくぞ。

「それでは、だんだん首の揺れが収まりまっていきます。それと同時に記憶が過去へ、過去へと戻っていきます。さぁ、音をよく聞いて。チク、タク、チク、タク……」
 ディートリッヒは足を投げ出す格好で椅子に座り、首をがっくりと前に倒している。
――どこまで掛かっているのか?
――本当にできるのか?
――失敗したらどうなる?
 ネガティブな思考が浮かんでは消える。
 汗をぬぐった。

「ゆっくりと音に合わせて、過去に戻っていきますよ。チク、タク、チク、タク……。20歳……。19歳……。18歳。さぁ、18歳です。18歳のあなたはどこにいますか」
「学校……。クレント軍学校……」
 ディートリッヒは途切れ途切れで答えた。
――今、少佐なら当然士官学校に行ってるもんな。
「軍学校の試験結果が配られました。評価を見てみましょう」
 ディートリッヒの顔には喜びも悲しみもない。
「成績はなんですか?」
「Aが並んでいます。倫理だけBです」
 とんでもない好成績だ。ひょっとするとディートリッヒは士官学校を首席で卒業したのかもしれない。
「嬉しくありませんか?」
「特には……」
――感情がない? 既に?
「それでは、また時計の音が聞こえてきました。さらに過去に遡っていきましょう……」

 17歳――。
 16歳――。
 15歳――。
 14歳――……。
 その時、びくりと身体が震えた。
「止まってはいけません。13歳になります。13歳です。さぁ、13歳になりました。あなたの名前はなんですか?」
「ディートリッヒ……。ディートリッヒ=マウセウン……です」
 どこか口調がたどたどしい。
「あなたは学校にいます。友達はあなたの名前をどう思ってますか?」
「変な名前だって言うの。でもティナゲートでは普通だよ」
――ティナゲート!! そういうことか! しかし親衛隊には、帝国で生まれた者しかなれなかったはずじゃ?

                                ◇

 私のようなディートリッヒという男のような名前は、ティナゲート共和国では普通だ。
 なぜか男は他国での女性名、女は他国での男性名をつけるこの国は、山脈が国土の6割を占める山岳地帯に囲まれた国であった。
 父も母も伯爵の爵位を持つ貴族であり、帝国との貿易で多大な財を成して社交界ではそれなりの地位を占めている。
 私は帝国のシャバルテ貴院という寄宿制の学校に幼年期から入学し、勉強をした。
 当時の帝国の学問は、ティナゲートより数段進んでいたからである。

 帝国の変質は、軍の総帥が首相を兼ねたときに顕在化したが、貴族の私には関係がなかった。
 国家や政治、それらの上に貴族はいる。帝国も例外ではない。
 どこの世界でもそうだ。民主政治などというものは、貴族でない者の不満を消化する表面的な仕組みに過ぎない。

 ところが、帝国の総帥は、そのタブーに踏み込んだ。
 貴族院を停止し、貴族の税制優遇措置を撤廃した。
 凄まじい政治闘争の中、市民は総帥への圧倒的な支持で熱狂した。

 今だからこそ、総帥の本当の後ろ盾がわかる。

 後ろにいたのは資本家たちだった。
 貴族ではない彼らは、彼らの利益を色々な形で掠め取っていく貴族に対して、憎しみに似た感情すら抱いていたらしい。
 銀行家、保険屋、貿易商……。
 彼らはその信じる金の力を最大限利用し、市民の目を欺いて権力闘争を仕掛けたのだ。
 目に見えぬ劇的な権力の移行。

 やがて、それは帝国の中だけにとどまらず、周辺国へと飛び火することになる。

 天然の要塞とも言える環境のせいで、国防がおざなりになったティナゲート。その虚を突かれ、帝国は山道を強引に切り開き、戦車を通して侵攻した。
 掲げるのは他国に対する「開放政策」。
 ティナゲートだけでなく、周辺国も出遅れた。帝国の本性が見えない各国の市民が、むしろ歓迎したためである。
 ティナゲートはナハレル自治区を残して、1週間で陥落した。
 私が14歳のときであった。

 私は寄宿舎を飛び出し、家に駆け戻った。家はナハレル自治区にあったのだ。
 私が戻ったとき、そこにはあの軍団がいた。帝国陸軍第9軍団。後に虐殺部隊と呼ばれる奴らが。

 私の家には既に火が放たれ、ごうごうと燃え盛っていた。
 家の前には、数人の兵士が立っていて、その真ん中に母様がいた。
「母様!」
「ディータ! 来てはダメですっ!!」
 母の鋭い声に私は立ち止まる。しかし次の瞬間、後ろにいた兵士に抱え上げられてしまった。
「ディータ!」
 足をばたばたしても、まるで意にかえさない。屈強な兵士と私とでは、圧倒的な体格差があった。

 それから……。

 その後は……。

 そして……。

――私は銃を持っていた。いや、握らされていた。

 恐怖が私の心を鷲づかみにしている。

 
 撃てば、助かるぞ。さぁ、撃て――。

「撃ちなさい。ダニィ……」

 母様は涙を流していたが、鋭く言った。

――私が撃つ? 誰を? なぜ? どうやって?

 銃は重い。ふらふらする銃口を、後ろから誰かが力づくで母様に向けようとする。

――やだ! 母様! 怖い!

 撃てば、助かるぞ。さぁ、撃て――。

「撃ちなさい。ダニィ。私を……」

――母様! 嫌だ! 母様! 

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 撃て! 撃て! 撃て! 撃て――。

 私は目をつむった。

 唐突に銃が咆哮を上げた。凄まじい衝撃に身体が跳ね飛ぶ。右腕に激痛が走り、銃がどこかに飛んでった。

 よくやったぞ。お前は自分の母親を殺した――。

 私は目を開けた。

 母様は額の真ん中から血を流していた。

――母様っ!!

 世界から色が消える。

――母様っ!!

 音が消える。

――母様っ!!

 私の中の時が停止した……。

                                ◆

「酷いことを……」
 俺はうめいた。
 目の前の椅子には、紅茶に忍ばせた催眠導入剤で、虚脱したディートリッヒが座っている。
――助けると脅して、実の娘に母親を殺させるとは。
 しかもその後、輪姦されそうになったところを、親衛隊のシュナイゼン中佐がかけつけ、助けたのだ。
 実業家の顔も持つシュナイゼン中佐は、貿易関係で取引があったらしい。
 もともと帝国の寄宿舎に通っていたこともあり、ディートリッヒはシュナイゼン中佐の養子として帝国軍人になったのだ。

――親衛隊には入れたのも、シュナイゼン中佐、いや今は少将か。少将の意向が大きいのだろうな。
 それから彼女は帝国の人間として生きてきた。母親を自らの手で殺した罪を背負って。
――つまり単純な復讐じゃないわけだ。
 なぜなら殺したのは、ディートリッヒ自身なのだ。それをさせたのは第9軍の兵士だが、自分の手で殺した事実は重い。
 復讐をするなら、自分にもしないといけなくなる。
「! だからか!」
 無謀な行動の裏に見えるのは、極端な自己防衛の希薄さだ。
 帝国軍人全員に対する復讐という行動の中には、自分自身ですら含まれているに違いない。

 1人でも多く、帝国軍人を地獄の底へ引きずり込む。ただ、それだけのために――。

 これほど強烈な過去の事実は、催眠術で消すことはできない。
 退行催眠で、過去の方向を逸らせればとも考えていたが、これでは難しい。
 自分の手で引き金を引き、母親を殺してしまったことを確認しているのだから、絶望的だ。
 右手の歪みも、銃を撃ったときに脱臼したことが原因だったのだろう。
 それ以来、ディートリッヒは右手で銃を扱うのが下手に、いや実際には扱えないに違いない。

――? 
 何か今引っかかった。
 すんなり考えてしまったので、うまく思い出せない。
 もう一度、思考の流れを追いかける。

――自分で銃を撃ち、それを自分で確認している。撃った弾は、母親の眉間に命中した……。
 誰でもないディートリッヒ自身が確認したことだ。退行催眠中だから、ディートリッヒは嘘がつけない。だから、これも真実だ。そのはずだ……。

 また引っかかった。

 14歳の少女が、初めて銃を持って、人間の額を撃つ抜く。
 初めて銃を持って。

――! 本当にそんなことが可能か?

 俺は必死に考えた。
 確か、後ろから誰かが銃を支えている。しかもそれでも撃った後、発射反動を支えられずに銃が飛ばされている。
 後ろの奴がもっとしっかり支えていれば、銃は撃った後も手の中にあるはずだ。だがそうはならなかった以上、銃口の方向だけ向けさせていた可能性が強い。
 もし反動を支えきれず、どっかに行ってしまうような非力な子供、脱臼してしまうほど反動を吸収する筋力がない子供が、銃を撃った場合……。
――その場合、俺の経験では……。

 弾丸は『遥か上に抜ける』。
 正面の標的の眉間に命中するなんてことは、ありえない。
 つまり。
――彼女の記憶は、『間違っている』!

 その推測に俺は緊張した。
 これが本当なら、この事態を好転させることができる可能性が高い。
 しかしそれをどうやって、彼女にわからせるのか?
 退行催眠中の彼女は14歳で、銃が当たらない理屈はわからない。
 かといって、時間を戻したら既に事件は起きているのだから、彼女は記憶を否定できない。18歳の段階でなんの感情も持っていないくらいなのだから、結果は想像できる。
――あとは『母親は殺すことはできなかった可能性がある』ということを、15才、16才、17才と毎年彼女に植え付ける。
 年を経るごとに、物理的な知識が増えれば、矛盾に気付くはずなのだ。矛盾が彼女の中に植えつけられれば、彼女の今はないことになる。

 本当にそうなるかは、蓋を開けてみないとわからない。
 結局は、現在の彼女と正面切って対峙することになる。
 それは賭けだった。文字通り。

                                ◇

 いつの間に寝たのか。
 いや、ちゃんと監察を行った記憶はある。
 だが、この違和感は?
 危険信号が鳴っていた。

――あの尋問官か?
 私のことを疑う兆候は、あの尋問官しか示していなかった。
 そう、捕虜の食事を止めさせたのだ。
 親衛隊に自分の領分を侵された兵士がよく見せる姿だったから、それほど注視しなかった。自分も自白剤を使うようなことを言っていたし、考えすぎかと思ったのだが。
 
 最初から気付いていた? いや、ありえない。
 今まで、自分とレジスタンスの関係に気付く人間はいなかった。
 当然だ。自分は山ほどレジスタンスを殺してきてる。

――だが、おかしい。何かがおかしい。

 私は服装を整えると昨日回ったはずの尋問室に下りていった。
 警備の兵士がきちんと私に挨拶する。

 昨日捕虜が居たはずの独房が空になっている。
「ここにいた捕虜は?」
「特別尋問室で尋問中です」
「? どこだ、それは?」

 廊下を一番奥まで行くと、書棚に隠れるようにその部屋はあった。
 危険信号が頭で鳴っている。
 扉を開けようとしたが、中からも鍵が掛かるのか、開かない。
 仕方がないので、金属の扉を叩くようにノックする。

 しばらく待つと、ドア横のインターホンから応答があった。
 なんとも徹底した秘密主義の尋問室である。
「今、尋問中だ」
「ワッツ将軍の伝言です」
 雑音交じりなので、こちらの声が女声なのはわからないだろう。
 ガチャリ。
 音ともにあの尋問官が隙間から顔をのぞかせた。
 私は間髪いれず、その額に銃口を押し付ける。
「!」
「私に何をしたかわからないが、殺しておくべきだったな」
「ま、待った!」
 急いで扉が開かれた。

 中には昨日の捕虜が立っている。囚人服だが、やたら色気のある女だ。
 驚いた表情の彼女を無視し、尋問官から銃を放さず中に入る。
「ちょっと待った! 話を……」
 蒼ざめている尋問官。射殺しても後でいくらでも理由はつけられる。
「問答無用」
 私は引き金に力を込めた。
「君はお母さんを殺していない!」
 尋問官が叫ぶ。

「そうか」
 私の心は動かなかった。躊躇なく引き金を引く。
 ダン!
 銃声はいつも通り、乾いていた。

< つづく >

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