「ま、まただわ…」
私は沸きあがってくる衝動を押し殺すのに必死だった。
わずかでも油断していると、堰を切ったように体が動き出してしまうのではないか、そんな怯えが今の私の心を支配していた。こうしている今も、こちらに向かってくる男性とすれ違う度に、全身が熱くなってしまっている。
…私はそんな女じゃないのに…
このような体の異変に気がついたのはつい数日ほど前のこと。いつもより仕事が遅くなった私は、たまには、と月に一度ほど行くショットバーで一杯だけ戴いていたのだが、その時にある男に声を掛けられたのが今にして思えば異変の始まりだった。
私はそれほど軽い女ではないのだが、あの男の話術の巧みさか、わずかとはいえアルコールの勢いか、ついつい男の誘いに乗ってしまった。
あとのことはよく覚えていない。朝、気が付いた時には自宅のベッドの上だった。ただ、男の甘い声の感じだけは耳にこびりつくように残っている。
それからはずっとこんな感じなのだ。男と見ると誰彼構わずに反応してしまう。そりゃあ私だって人並みに恋愛してきているし、セックスだってしたことがないわけじゃない。でも、男なら誰でもいい、なんて思うほど男に飢えているわけじゃない。
それが下半身をウズウズとさせて、こんな淫乱女のように――誘惑に負けそうになる心を必死で保ちながら、私は逃げるように家路へと急いだ。
「ん…ふぅ…」
いくら自分ではふしだらと思っていても、丸一日欲望を抑え続けていることは、事実上できることではない。私は家のベッドの上で、自分を慰めていた。
「あ、くふっ!」
立て続けに三度。それでようやく体の疼きが収まった。ここ数日は毎日こうだ。ううん、同じじゃない。日に日に程度が増していっているような――私は底知れず自分の体から沸きあがる欲望に恐怖を感じずにはいられなかった。自慰に疲れ果てるとようやく睡魔に負けて眠る、それがここ数日の私の行動パターンだった。
「智奈ったら、どうしたの?このところおかしいよ。体調でも悪いの?」
「え。う、うん。ちょっと寝不足気味で。でもそれだけだから。心配しないで」
「そ、そう?それだったらいいんだけど。でも、寝不足だって女の肌にとっては天敵なんだから。気をつけなさいよ」
「うん。ありがとう、美紀」
秘書課の美紀が私の異常に気付いて話しかけてきた。彼女とは入社した頃からの付き合いだから、もう3年ほどになる。秘書らしくなく、垢抜けた女性で、人当たりもよく社内での評判もよい。受付という対外的な仕事をしているにもかかわらず、内向的な私とは対照的な美紀とは妙に馬が合った。今では社内では一番の親友となっている。
「あ、そろそろ時間だから行くね。智奈も余り無理をしちゃだめだよ」
「うん。ありがとう。美紀もね」
正業に戻った私はそれからは大人しいものだった。それは意識してそうしていたのではなく、全身を襲う衝動をどうにか抑えるための自己防衛手段に過ぎなかったのだが。商社なのだから当然の話だが、受付を訪れる人間のほとんどは男性だった。私と同い年程度から定年間際の人まで。私の体はそれらと話すだけでもじくじくと疼いてきてしまうのだ。
もちろん、ハゲ頭のオヤジと年頃の青年とで、全く同じ反応をするわけではない。自分の好みに合う男性のほうがより激しく興奮してしまう。そんな人に相対する時、私は必死に性欲を押し殺して、顔を真っ赤にしながら応対していた。お客様の多くは、それを私が上がり症だ、という風に好意的に受け取ってくれているらしい。『そんな緊張しなくても大丈夫だよ』などという人もいた。
いずれにせよ、今の私には地獄の責め苦にも似た受付という仕事は、私の精神力を徐々に削り取っていった。
「――営業部でしたら、3階になります。そちらのエレベーターで3階へ出て右側になります」
「そう。ありがとう」
今すぐ後ろから抱きつきたい――そんな衝動を目を閉じて必死に押し殺しながら、私は今日の最後になるであろう客を送り出した。
「どうしたの?この頃元気ないみたいですけど。体調でも悪いんじゃないですか?」
私と同じ受付をしている、後輩の桜が仕事が終わるとすぐ話しかけてきた。前から話しかけようと思っていた素振りを見せていたが、仕事が終わるのを確認してから話しかけてくる辺り、真面目を絵に描いたようなタイプの人間だ。
「うん、大丈夫よ。心配かけてごめんね。ちょっと熱はあるみたいだけど、他は何ともないから」
「あ、そうなんですか。それで時々顔が赤くなっていたんですか。お大事にしてくださいね」
「ありがとう、桜ちゃん」
この間から、何度こんな問答を繰り返しているのだろう。こうして女同士でいると、問題なく平静を保てるのだが、視界に男の人がちらっとでも入った瞬間、私の中のスイッチが切り替わってしまう。そうなった私は完全に娼婦顔負けの淫乱ぶりだった。未だに男に手を出していないのは、私の中にまだ理性のかけらが残っているからだ。もし一人でも男と交わってしまったら――きっと私は歯止めを掛けられないだろう。
「それじゃ、お疲れ様でした!」
桜が帰った後、本日の来客の情報を整理した私は、早めに会社を出て、例のショットバーに出かけた。
このところ、毎日のようにあの店に足を運んでいる。目的は例の男と再び巡り会うためだ。記憶は定かではないが、あの男が私をこんな体に変えたに違いないのだ。彼なら私を元に戻す方法も知っているはず――私は彼との唯一の接点であるその店に入り浸っていた。
「今日も空振りだったわね…」
終電の時間まで待ったが、結局男は現れなかった。店にずっといるためか、途中、バーテンダーに声を掛けられ、思わず反応してしまったりして、どうにか誘惑を振り切る、などという事もあった。店は男女比でいえば女が8割程度なので、それほど苦ではなかったのだが。それでも脇を男性が通ると、体が勝手に反応を始めてしまう。我ながら情けなくなってくる。
「…あ」
今も男の人とすれ違った。一瞬、足を止めたくなる衝動を懸命に抑え、何とか無難にすれ違った。一瞬だけだというのに、私の体はすでに出来上がっていた。下半身は熱を帯びており、すぐにでも受け入れられるような体制を取っている。本来であれば、男とすれ違う時には女が『襲われはしないか』と距離を取るものなのに、今の私は『襲いはしまいか』と考えて距離を取っていた。
そして家に帰れば、溜まりに溜まった性欲を自分の手で吐き出すのだ。指だけでは満足し切れなかった私は、昨日からは道具を使い始めていた。極太のバイブをねじ込んで、膣内を掻き回す。一時的に得られる満足感。しかし、それは新たな刺激を求めるきっかけにしかならなかった。
――欲しい。いつも意識がなくなる直前には、そう考える自分がいた。それを殺すために、バイブを更に押し込む。それこそ意識がなくなるまで。気が付いた時には朝を迎えているのだ。
「…こんな事をしていたら、いつか体が壊れてしまう…」
しかし、こんな事を誰かに相談するわけにもいかない。下手に男の人に相談しようものなら、その人物に自分から襲い掛かる懸念もあった。私は一つ大きく溜息をつくと、出社の準備を始めた。
しかし、ついにその時はやってきた。男と交わりたい誘惑を懸命に断ち切っていた私だったが、それはあくまでも向こうが私に興味をしていなかっただけの話だった。
会社帰りの私とすれ違ったその男は、あちらから私に声を掛けてきたのだ。声を掛けられた以上、無視する事もできず、しばらく相手をしていたが、その間にも体の疼きは抑えられないところまで来てしまっていた。
「ねえ」
「ん?何だい?ん…余り顔色がよくないみたいだけど、大丈夫?」
「うーん…大丈夫じゃないみたい。ちょっと私のマンションまで送って行ってくださらない?」
「え?え、ええ。いいですけど。いいんですか?」
私の『意志』に逆らって、男を誘いにかける自分自身をどこか醒めた目で見ていたものの、それにストップをかけるには至らない。私は男の手を引いて、とうとう私のマンションまで辿り着いてしまった。
「じゃ、僕はこれで。お大事にしてくださいよ」
「あ、ちょっと待って」
私は必死に彼を呼び止めていた。もはや私の意志は、完全に肉体の欲望の前に屈服してしまっていた。一度そうなってしまうと、もはや歯止めは利かない。一瞬、渋るような表情を見せた男も、自分から誘った女に部屋に招かれれば断る理由などない。
「じゃあ、遠慮なく」
私は男をリビングで待たせ、素早く着替えると、お茶の支度を始めた。ホントは一気に彼を押し倒して始めたいところなのだが、この時点ではまだそのもどかしさを楽しむ余裕は残っていた。私は弾む鼓動を懸命に我慢しながら、彼にお茶を差し出した。
「お、ありがとう。しかし、広くていい部屋ですね。見晴らしもよくって。結構家賃が高いんでしょう?」
「え、ええ。給料の三分の一ってところかしら。おかげで贅沢もロクにできない始末なのよ。崇さんはどこにお住いなの?」
「ええ。千葉の郊外でひっそりと暮らしてますよ。きっと家賃もここの半分以下でしょうね。おかげさまで贅沢は出来ますよ」
にこりと微笑む崇。それを見ただけで、私は彼に飛び掛りたくなってくる。あ、表情が変わった。私がしようとしていたことに気付いてしまったのかも。ええい、このまま行ってしまえ!――私の思考パターンは一気に場当たり的なものに変化して行ってしまっていた。
「ところで。こうやって家に誘ったからには…分かっているわよね。さ、こっちへ来て」
「え、ええ」
私の視線に魅入られたようにして、崇は私の後についてくる。部屋に入ると、私はすぐに彼の背中に手を回した。彼もすぐに承知して、私の肩を抱いてくる。少しの抱擁の後、私と彼の唇が重ねられた。
自ら舌を差し込んで崇のものと絡み合わせる。始めは受けているだけだった崇も、すぐに開き直ったのか、舌を絡めてくる。脳が蕩けるような心地が私の全身を包み込んでいく。私の膝の力が少しずつ抜けていく。崇はそれに負ける事なく、私の体をしっかりと支えてくれる。私はそれに甘えるように、彼に体を預けていった。
「んふ…」
私たちの唇が離れると、離れた舌先を一本の糸がつうっと二人の間を結んでいた。私はその光景を楽しむように、ゆっくりと彼との距離を取っていった。
「ああ、すごい。頭の中が蕩けてしまいそう。私たち、よっぽど相性がいいのかな」
「そうだね。でもさ、君の舌使いはすごかったよ。結構、慣れているんだね」
「え?そ、そうかな…」
そういわれてみても、今は必死に舌を崇と絡ませようとしていただけなんだけど…そういうのが得意な『軽い』女だとは思われたくない私は、困惑してしまった。元来、私はそれほど経験があるわけではないし、そんな技に長けている、なんてこともいわれた記憶がない。
よほど私の体が飢えていたのだろう、そう思うしかない現象だった。
「きっと、私たちの相性がいいんだよ。それで普段よりも感じるんじゃない?」
「そうかも。さっき声をかけたときも、何となくビビってきたんだよね。それで思わず声をかけちゃってさ」
「そ、そうなの?」
一気にうれしい気分がこみ上げてくる。私は思わず彼をベッドの上に押し倒してしまっていた。崇もそれを嫌がることなく、むしろ微笑みながら受け止めてくれる。私たちはベストカップルだ。私はそう信じて疑わなかった。
「んむ…」
遠慮なく崇のズボンを脱がせると、青いトランクスが姿を現した。すでにそこはわずかに盛り上がってきている。キスだけでも、崇は興奮してきているようだった。私は喜ばしい気分になって、そこを優しくなで上げた。
「ううっ、感じてしまうじゃないか」
「いいのよ。遠慮することなんてないじゃない。よーし、じゃあ、これも脱がせてあげるよ」
私はとうとう彼のトランクスまでも脱がせてしまった。ここまでくればもう後戻りは出来ない。私は崇のものを握り締め、ゆっくりと手を上下に動かし始めた。
「うううう。す、すごいよ。本当にテクニシャンなんだね」
「そんなことはどうでもいいでしょ。よーし、早いところ止めを刺してあげるから!」
私は手の動きをいっそう早め、崇のそこに刺激を与え続けた。眉をしかめて私からの刺激に抵抗する崇だったが、とうとう陥落してしまう。
「ううっ!」
一瞬体を震わせると、崇は虚空に精を放ってしまっていた。気配を察した私は、いち早く彼の放ったそれを口で受け止めた。わずかに狙いを外してしまったものの、相当量の白濁液が私の口腔内に飛び込んでくる。私はそれを舌でゆっくりと味わうと、ゴクリと飲み干してしまった。
「美味し…」
「…」
崇は私のその姿を見て少し引き気味のように見える。私はそれには構わずに、崇の股間を再び優しくなで始めた。一度達して力を失っているそこは、そう簡単には回復してこない。
「だめねえ。若いんだから、もう少しがんばらないと!」
私は彼を勃たせようと、着ている服を脱ぎ始めた。我ながら恥ずかしいが、興奮で熱くなっている体にはちょうどよかったのかもしれない。ひんやりとした部屋の空気が、私の肌を冷ましてくれる。しかし、逆に私の精神は恥ずかしさとこれから展開されるであろう痴態を想像し、火がつき始めていた。
「…きれいだ。ここもハリがあって」
「あん。崇さんったら。せっかちなのね」
私はそう彼をたしなめたが、内心では快哉をあげていた。もっとやって欲しい、そんな思いが全身に広がってゆく。彼もそんな私の雰囲気を察したのか、にこりと微笑むと、私の体に触り始めた。
「ふうっ…す、すごい。ど、どうしてこんなに感じるの…?」
彼の手が触れるところ、どこであろうとも、私は快感を覚えずにはいられなかった。指先がそっとなぞるだけで、私の全身に寒気にも似た興奮が駆け巡っていき、それが脳へ達するごとに私を蕩けさせるのだ。
私はあっという間に全身に力が入らなくなっていった。もともと抵抗する気などないが、こうなったらもう完全に崇のペースだ。今の私には彼の手業でいかに私が悦んでいるのかを、声で彼に伝える他はなかった。
「ん…そ、そこ、もっと…!!」
気が付いた時には私は意識を飛ばされてしまっていた。臀部にひんやりとした感覚が残っている。不覚にも漏らしてしまってしまったようだ。それと知った私は、一気に顔が熱くなるのだった。
「ふふ、快感のあまり、出てしまったみたいだね。よし、俺のほうも準備できたし、挿れさせてもらうよ」
「は、はい~」
その言葉でまどろみから醒めた私は、彼に向かって脚を拡げた。優しく微笑んだ彼は、私のそこに自分のものをゆっくりと突き立てた。
「はぁ…」
――何という心地よさか。ここ数日、色々なものを自分で入れてみたり、アソコを自分で弄ってみたりもしたが、まるで比較にならない。この体中を包み込む満足感は、他のものでは決して与えることの出来ないものに違いない。
――私はこんな素晴らしいものをこれまで忌避してきていたのか――激しい後悔の念が襲ってくる。
でももういいの。これからの私は――
そんな思考は一瞬のことだった。彼の動きに合わせて、私の思考はただ感じることのみに集中していた。
それから、私は幾度となく果て、崇のものが反応しなくなるまで、彼の精を搾り取り続けた。さすがの崇も、疲れ果てたのか、私の横で小さな寝息をたてている。私はそれを横目で見ながら、精液と愛液がこびりついた自らの股間に手を這わすのだった。
それからの私は直滑降のように堕ちていった。いい男と見るや、誰彼構わずに声を掛け、首尾よく部屋に引きずり込めば、セックスを『強要』していた。今では男の誘い込み方も心得たものだ。私は完全に『そちらの世界』にはまり込んでしまっていた。
「あ、そこのあなた。今時間あります?」
「は?私ですか?」
声を掛けられた真治は声のした方を見た。
(ああ、あの時の女か。俺のことを覚えてたか)
真治は最初はそう思ったが、そうではなかった。智奈というこの女は、単に真治に男としての興味をひきつけられたに過ぎないようだ。
(あの時、バーで『オクテな女になる』ように暗示を掛けたんだが。結局、元の木阿弥かよ。やはり所詮は肉体の淫乱さに勝てなかったってことか…)
「あ、ちょ、ちょっと待ってよー」
智奈が真治を呼び戻そうとするが、真治はそれを無視して立ち去った。
(精神をいくら操作しようとも、肉体が変わらなければ影響を受けてしまうってことか。俺の術もまだまだだってことだな。もっと上手くならなけりゃあ)
「ちぇっ、何よ。ふんだ。もっといい男を見付けてやるんだから!」
智奈の悪態を背中で受けながら、真治はそれを自分の力が及ばなかった、という事実を突きつけられていると感じていた。
(肉体に打ち克つほどの精神力…これが次のテーマだな。よし、もっと修行をするぞ)
催眠術師、真治の修行はまだ始まったばかりだ。
< おわり >