Midnight blue 第二話

第二話

 いつも以上に強い力がボクの体を駆け巡っている。

 それは、月へと向えば向うほど強く、恐ろしくなっていく。

「母さん……」

 高層ビルの屋上も、既にここからはゴマ粒より小さく見えるほど高いところへ来たというのに、更に更なる高みを渇望してしまう。

 冷たい風と漲る力が、唯一この飢えを癒してくれるものだ。

 雲を突き抜け、空気も薄くなる上空。

 ……今まででもここまでの高さには来た事はない。

 ただ、欠けることのない満月に魅せられて、ここまでやってきてしまった。

 ちょうどいい高さまで来たら黒い羽根を出したまま滞空し、物思いにふける。

 様々な感情が渦巻き、ボクの中で攻めぎあっている。

 父さんから吸血鬼に殺されたと聞かされてきた母さんが実は吸血鬼だったり、そしてその母さんはボクのことを気付かずに血を吸ってきたり、またボクはボクで気付かずに母さんを消そうとした。

 悲しみがどっと溢れ出る。

 これで良かったんだろうか。

 いくら母さんといえど吸血鬼。

 血を吸って生きる人外だ。

 だったら、滅せなければならない。

 だけれども、母さんを殺していいものか?

 母さんは、母さんだ。

 初めて温もりを感じた。

 例え何年も会っていなくても、というより一度も会った事なくても、母さんは母さん。

 あの人が居なければボクは居なかったはずだし、ボクに滅せられるはずだった吸血鬼は今頃元気に暮しているだろう。

 だったら、多くの吸血鬼を殺したボクを産んだ吸血鬼であるから、その分の犠牲は……必要なのかもしれない。

 ……詭弁だ。

 所詮、言い訳に過ぎない。

 けど……言い訳でいいんじゃないかな。

 イエスかノーかという判断で、このことは決めちゃいけないような気がする。

「うん……さよなら。 母さん」

 結局、逃げるような形で、月の夜空を駆け始める。

 相変わらず漲る力を一方的に無視し、目指すは我が家。

 大丈夫、あと数分で着く……

 さきほどから感じていた違和感が、突如どっと溢れ出てきた。

 異常なまで心臓が跳ねあがり、目に見えて失速しはじめてる。

 飛行は翼からの魔力でするものだから、失速すると同時に地面との距離が近くなることも同じ。

 地面に向って自由落下していく中、コントロールどころか意識すら、消えてなくなった。

 目覚めたら、いつもとは違う自分が居た。

 指に生える爪は、吸血鬼のそれに等しく鋭く伸び、また前歯の二つの歯が吸血鬼の捕食用の牙になった。

 そして、最も変わった物が魂。

 とても残忍な気分で、血の色を見たくてたまらなくなる。

 そして、それ以上に見たいのが……

「女だ」

 不意に口から出た言葉に、小さな驚きと大きな確信を得た。

 ボク、いや『私』は吸血鬼になった。

 並々ならぬ性欲が体中を駆け巡る。

 ただ、ほんのわずかに残る理性が邪魔をする。

「くっ……邪魔なヤツだ」

 目の上のたんこぶのようにヴァンパイアハンターのときの意識が体の自由を縛りつける。

 きりもみ状態で世界が回る。 

 本能と理性との葛藤、過去と未来との攻めぎあい。

 そうこうしているうちに、段々と地面は近づいてくる。

 あと、数十メートルのうちに決着がつかなければ、待っているのは死。

 肉体に振りかかるのは一時的な死ではあるが、ヴァンパイア化した私にとって朝日はとてつもない脅威になる可能性がある。

「最後に勝つのは……私だ」

 地上からほんの少しの距離で、それは起こった。

 やはり私は理性に勝ち、打ち破った。

 それの証として。

「もう一対の黒い羽根、か」

 新しい暗黒の波動を放ちながら、魔力を放ち、月光を辺りに照射する俺の体の新しい一部。

 最初からある翼が、副翼に見えるほど大きく、禍禍しい。

 俺が産まれてきたことを証明するそれ……いとおしい。

「さて、産まれてきたからには、まず最初に誕生パーティーをしなければならないな。 場所は我が城、照明は栄光の手の灯火、BGMは地獄の叫び、そしてメインディッシュは美女」

 口の端から漏れた涎をぺろりと舐め、想像しただけで体の一部に血液が集まり、石のように固くなる。

 ああ、欲望の荒波に身を任せることが、ここまで甘美なことだったとは。

 私の、体と魂を産んでくれた母君には、感謝せねばなるまい。

 勿論、『俺』流の感謝の仕方で、な。

「その時が楽しみだ。 が、今は今を楽しもう」

 翼が増えたおかげで、前までのスピードとはけた違いに上がり、またヴァンパイア化したことにより、遥か多くの奇術に魔術が扱えるようになった。

 それに加え、元ダンピールとしての特権――対ヴァンパイア装備の豊富さ。

 銀の銃弾が豊富の大口径の拳銃、幾数のヴァンパイアやヴェアヴォルフを屠ってきた銀のナイフ、ロザリオは流石につかえないだろうが、鋭く強度も高い銀の糸に、ヴァンパイアを完全に消滅させるために使われる白樺の杭さえある。

 私は今、全ての生き物の脅威であるヴァンパイアで、全てのヴァンパイアから脅威とされる存在なのだ。

 即ち、意志あるもののヒエラルキーの頂点に立っていると言っても過言ではない。

 だが、それだけに留まるわけにはいかないのもまた事実。

 頂点である者は頂点にある者の宿命として、敵が存在する。

 同族のヴァンパイア然り、ヴァンパイアハンター然り、ヴェアヴォルフや他の化け物どものように馬鹿で愚かでこの上なく愉快なヤツらが、その位置に立とうと目論む。

 目指すはヴァンパイア・ロード。

 ヴァンパイアの王。

 それの経路はヴァンパイア―ロード。

 ヴァンパイアの道。

「ふふふふ、くっくっくっくっく。 間抜けどもめ、せいぜい目を閉じておくんだな。 そうすれば自分が肉の塊になるのを直視せずに済むぞ」

 影を生み出す。

 それは右手をほんの少し前に出して、魔力を地面に向かって投射すればいいこと。

 影、我が城に直通の、影。

 暗闇に身を落とすその快感を噛み締めて、その場から俺は立ち去ったのだった。

 なにもかもがセピア調。

 狂ったような喜劇。

 素晴らしき幕切れ。

 運命の途切れ。

「ふっ、ククク……そうだな」

 自分に相応しき名。

 過去の自分には、ヴァンパイアハンターコード1345というものしかなかった。

 ランク付けはBマイナス。

 そのときは何物にも勝る自分の宝物のように思っていたが、今では狂った時計ほどの価値も無い。

「そうだな、私の名……バウンダー。 相応しい名だな、ヴァンパイアハンターから跳ね返ってヴァンパイアになったヴァンパイア」

 グラスの中でゆらめくワイン。

 ワインの朱を通して見る、狩りの収穫。

 我が城のコンクリートが剥き出しなった支柱に括りつけられた美女。

 手は両方ともまとめられ届くギリギリのところで縛られている。

 赤い唇、真っ白い肌。

 かわいらしいまつげのついたまぶたが、澄んだ青の瞳を隠している。

 流れるような金色の長髪、髪の長さに見合う長身。

 素晴らしい、素晴らしいものだ。

 何故、これほどのものが我が同族の手にかからなかったかと思うと不思議でたまらない。

 愛しい、愛しい……マイ スウィート。

 これがすべて、足の爪から黄金の髪の毛の穂先まで全てが私のものになるのだ。

 歓喜せずに何をしようか。

 今すぐにでもあの綺麗なうなじに吸いつきたい衝動をなんとか抑えつける。

 ……ふ、お客さんか。

「止まれ! コード1345! それ以上動いたら我が組織に対抗するものとみなすぞ」

 窓を叩き割り、侵入してきた女。

 日本人だ。

 ポニーテールの髪を揺らし、ヴァンパイアを狩りなれた手付きで銀のボウガンをこちらに向けている。

 タイトな戦闘服、至る所に装備が隠せ、ダメージに強いゴムのような質感のぴっちりしたスーツだ。

「結構! むしろ面白いぞ。 束になってかかってきてもらおうか、コード0089」

 ボウガンの矢が顔面に突き刺さる。

 ……しゃらくさい。

「くっ、やはりやつには銀の装備は効き辛いか」

 目を貫通した矢を引きぬく。

 最高だっ!

 この痛み、この恐怖、この絶望!

 全てが甘露、全てが天使の祝福!

 素晴らしい……素晴らしいぞ、コード0089。

「ほら、何をしている。 まだ他に装備があるのだろう? 私を楽しませてくれ」

 ついには腹をこみ上げる狂喜の笑いを抑えきれなくなり、爆笑する。

 ナンバー0089は、それを侮蔑ととったのか――事実、侮蔑だったが――烈火の如く怒り出す。

 そう、本当に烈火の如く。

「ダスト トゥ ダスト!」

 中に液体が入ったビンを投げつけてくる。

 私の手に微かに当たったと思うと、爆発、炎上。 

 身を焦がす炎。

 だが、ただの炎ではない。

「知ってるぞ、知ってるぞ! 聖水入りの火炎瓶だろう。 聖なる水と聖なる炎の複合攻撃だろう! それくらいで私を仕留めようとは、笑止!」

 炎と聖水で焼きついた肌をすべて体からはがす。

 侵食された肉は腐ってしまったが、肌の下からは直ぐにあたらしい肉体が。

 聖なるエネルギーのコントロールの方法を知っている私にとって、それの対処方法も知っているのだ、産まれつきのヴァンパイア以上に。

 既にコード0089は身を隠し、気配も絶っていた。

 相手も熟練のヴァンパイアハンター、私の力を持ってしても居場所を特定するのは難しい。

 だが、セオリーは。

「後ろかっ!」

 黒い魔術の網を、肩越しに後方に向って投射する。

 ちょうどそこには腰元から抜いた銀のナイフをかざし、私の喉を掻き切ろうとしていたコード0089。

 この熟練の、対吸血鬼人間クルースニックは、まんまと網に引っかかったのだ。

「よくもまあ、こんな恥知らずな戦い方をするものだ。 ヴァンパイアハーフを見下すほどの実力者、クルースニックともあろうコード0089がな。 お笑いだ」

「くそ、裏切り者のくせに!」

 網は即座に銀のナイフに切り捨てられる。

 そうでなくてはな。

「塵に戻りなさい! この悪魔め!!」

 ナイフが連続で投射される。

 ざっと七本、八本。

 銀色に光るそれらは、一本でも刺さると重大なキズを負う。

 さすがにそこまで……食らうような酔狂ではない。

 闇の力を経由して、すべての銀のナイフをかわす。

 動き自体は単調だ、当たるはずもない。

 そして、コード0089がこれだけの攻撃で終わらせるはずもない。

 次の瞬間、肩に銃弾が掠めた。

「ちぃっ!! 外したかっ!」

 狼狽する声が聞こえる。

 吸血鬼は一撃でしとめなければならない、わずかにダメージを与えただけならば直ぐに再生してしまうからだ。

 肩の肉を引き千切り、銀の汚染が及ばないようにする。

 弾が貫通していたのは幸いだった。

「さて、そろそろ反撃を開始させてもらおうか」

 あの経口の銃の残弾数は体で覚えている。

 目視で弾の数を数え、いっきに距離を詰めて、爪でなぎ払う。

「ちっ、小癪な……ヴァンパイアハーフ風情がっ!」

「今はもうハーフではない、ヴァンパイアだ。 そこのところを忘れると痛い目を見るぞ」

 闇の爆発、苦しみの髣髴。

 影が、獣の影が、数十の影がコード0089に襲いかかる。

「このくらいでッ!」

 コード0089はステップで後ろに飛び避け、影を足にし込んでいた銀のナイフで切り裂いていく。

 ほんのすこしも触れることなく、影が殺されていく。

 フェイントで一本のナイフを投げる。

 つまらなさそうに俺は弾く。

「死ねぇぇぇぇぇぇ!!」

 数ある影の1つを踏み台にして、10本の銀のナイフを引き抜き、斬りかかる。

 極々単調、極々シンプル。

 ……罠か。

 影の中に身を寄せ、私の分身を出す。

 銀のナイフ……ではなくそれらの刀身のみが分身に突き刺さった。

 断末魔の叫び声とともに、消えた。

 そうか、スウィッチナイフ……刀身が飛び出す仕込みナイフか。

 私の知らない装備……やはり、クルースニックはヴァンパイアハーフであった私達を警戒していたのだな。

「勝ったつもりか?」

 影の中から手を伸ばし、コード0089の足を思いっきり影の中に引きずりこむ。

 腰まで一気に闇の空間に浸かる。

 ……チッ、また罠か。

 銀の糸が手を掠め、ミミズ腫れのような形状で肌が腐る。

 腕を落とされなかったよりマシ、ということでそのまま撤退。

 影経由で、体を沈める。

 流石熟練のヴァンパイアハンター。

 私とは年季が違うな、冷静になったヤツは一枚も二枚も私の上を行く。

 ……やはり……

「臆したか、コード1345。 昔も貴様は人間としてもヴァンパイアハンターとしても三流だったが、今のお前はヴァンパイアとしても三流だな」

 たからかに笑うコード0089。

 獲物の影の柱から姿を現す私。

 両者、対峙する。

「チッチッチ、今は私はコード1345ではない。 『バウンダー』これが私の新しい名だ」

「死に逝く者の、気の狂いかコード1345。 死者は名を語らないのだぞ」

「笑止、死者の癖に生者の狂気を語るのは愚かとしか言えないぞ。 貴様が名を語れぬのを忘れてはいまいか?」

 この侮蔑が最大級の効果を成したらしい。

 かわいらしい……愛らしい愛らしい顔を真っ赤に染めあげ、ポニーテールが溢れる魔力に耐えきれず逆立ち、中肉中背の体をいからせるコード0089。

 猫科の一撃を思い出させる飛び込み、手にはナイフ、ナイフ、ナイフ……すべてスウィッチナイフ。

 思わず、口元がニヤけるのを抑えられなかった。

 ゴウンと、銃が、跳ねた。

 猛獣も人も構わずに殺す、大口径の銃が。

 私の手の中でッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!

 両肩に三発と両足四発、脇腹に二発、全9箇所を貫通する銀の弾。

「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは、バカか貴様は! 最後まで笑わせてくれるヤツだッ!!」

 笑いが止まらない。

 笑いが止まらない。

 勝利を確信した笑い、確実にしとめた感触。

 分身などではない、本物をしとめた感触。

 この血の臭いは本物だ、偽者ではない。

 地べたをはいつくばるコード0089。

 あの銃弾を受けて死ななかったのは、やはり選ばれし人間、クルースニックだからこそか。

「今まで、銃器を使った吸血鬼がいただろうか? 銀の銃弾が入った銃器を使ったものがいただろうか? 銀の糸を、銀のナイフを、白樺の杭を、聖なるバラを……使ったものが……いたか? 答えは、『ここに居る』だ!」

 素晴らしい再生能力。

 クルースニックはもう既に銃創のキズを治して終わっていた。

 ふっ、私が銀の銃弾で撃ち抜かれたらあそこまで早くはあるまい。

 だが、勝負はもう決まった。

「私をしとめなかったな、コード1345! その驕りがッ、貴様の敗因だ!!」

 ロザリオを掲げるコード0089。

 少なくとも、彼女はそう思ってる。

 だが、実際は……アンチクロス。

 逆十字架。

「なっ!? 何故……力が……」

 逆十字は神への反逆を示す。

 私に効くはずが無い。

 だが、そのことに気付かないコード0089。

 それでいい……それで、な。

「ハッハッハ! 麗しき女性、少女から女性になった感想はどうかな?」

「……なっ!?」

 私の言葉に驚愕を隠せないのか、プルプルと震え出すコード0089。

 何を言いたいのか……わかったようだ。

「影の中に入った瞬間、貴公の戦闘服にちょっとした影の虫を忍び込ませましてね、今頃、貴方の純潔を頂いたのは勿論、処女の証に……到達している具合でありますが、いかがでしょう?」

 ヒッと短い悲鳴。

 かわいらしい声も出せるじゃないか。

 ガクガクと震え、私から数歩下がって逃げようとする。

 だが、それも無駄。

 我が術中にはまった愛しの人は、もう逃げられない。

 手に持っていたロザリオを投げ出し、急に股間を両手で抑えつける。

 まるで病気にかかったもののように震えが止まりそうにない。

 再び、笑いが堪えられなくなってきそうだ。

「おや? 女性がそのようなところを人前で触るとははしたない。 お慰めになるのは自室のベッドの上ですることをお勧めしますよ」

「このッ、悪魔め! 消せッ、虫を消せッ! 殺すぞ!!」

「……それをしないと分かっているのは貴公でしょうに。 往生際の悪い」

 足元に落ちていたスウィッチナイフを拾おうとするマイラヴァー。

 その前にパンと手をたたいてやれば、再び短い悲鳴とともに顔を地面に落とす。

 股間を股に挟み、身をちぢこめ、尻を突き出すような格好のうつむけの彼女。

 産まれてきた子やぎのようにブルブルと震え、ポニーテールが彼女の顔にかかる。

 この喜劇、誰が笑わずにいられようか!

 この笑いを堪える私は、まさに1秒1秒が地獄のそれに感じられる。

 腸がねじれきれそうになるまで笑いたいというのに、笑えない。

 その苦痛、誰がわかろうか。

 最後の手筈が残っている。

「……破れ」

 残酷な宣告。

 少なくとも、彼女にとっては残酷な宣告なのだろう。

 虫が、幻影!

 虫が、幻影!

 我が魔術による術中にはまっているのだ!

 精神操作により、彼女の陰部に虫がいるように感じているだけ!

 銀の銃弾を撃ち込まれ、コード0089の精神防御壁が無くなった時にすり込んだ魔術!

 それに身悶え、戦意喪失する熟練のヴァンパイアハンター!

 彼女の絶望を……頂こうか。

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 ……甘露。

 これほどにも甘く、甘く、甘く、甘く、甘い絶望の味。

 狂信者の、絶望の味こそがこの世の至高。

「ウッ……くぅぅ、殺して……殺してやるッ! 絶対に、貴様を、殺してやる!!」

 今まで抑えていた笑いが堰をきった。

 何を言う!?

 バカも休み休み言え!

 非処女になったと思い込んでいるクルースニックに、何が出来る!

 せいぜい足に噛み付こうとして、私の靴を舐めるのが落ちだ。

 だが、コイツ、気に入った。

 我が眷族に迎え入れることにしよう……だがその前に。

「おおう、怖い。 怖い怖い、この女性に殺されてしまう」

 からかう口調で。

「足が震えて止まらない! 悔い改めます、主に懺悔します! だからどうか助けて下さい!!」

 笑いがところどころに溢れてしまう。

「……そんな、許して下さらないのですね、コード0089様……」

 悲しみのパロディー。

「なら、今動けない貴方を縛りつけて、貴方の仲間が来る前に逃げるだけです」

 ビクリと跳ねるコード0089。

 ……よくよく考えて見ると、奇妙奇天烈、それこそ笑いが止まらない体系をしていた組織に入っていたものだ。

 組織は、裏切り者を決して許さない。

 純潔があるか否か……それも裏切り者であるかどうかの条件でもある。

 誰に奪われたとしても、また奪ったとしても、それは例外に含まれない。

 裏切り者には、文字通り死すら生ぬるい罰が下される。

 言語に絶する……言葉に表せるすべてのことも、全体の凄惨さと比較出来ないほどの罰。

 勿論、私もその罰を下される可能性がある。

 だが、コイツと私と違うところは、私には組織を潰せる自信があること。

 ……絶対に逃げられない運命か否か。

 コード0089の震えが再び戻り、足元から黄色い液体が流れ出す。

 狂信者の信仰すら揺るがす刑と聞く、気高い女が尿を垂れ流すのも頷ける。

「おやおや、粗相ですかはしたない」

 ケラケラ。

「……では、私、もう逃げなければなりません。 貴方を。 そうですね貴方の仲間がくるまで、縛らせていただきますぞ」

 魔力と影を合わせた影ヒモを作り出す。

 影ヒモは、影のように自分の力で動く事はできない。

 だが、銀のナイフであってもなかなか切れない強度を誇るもの。

 影の獣が、影ヒモでコード0089を縛り上げる。

 私の意識した通りに。

 足首と手首を結び、大きなV状になるように。

 そして、足と手が万歳するような格好で柱に括りつける。

 ……尿はスーツから漏れないので、チャプチャプと不快な感触をしているだろう。

 魔力を使い、床に零れた尿を浮かばせ、足元の隙間から再び注入してやる。

「では、私は……コレで」

 丁寧に、丁寧に、マナーを忘れずに。

 グッと頭を下げ、にこやかな笑みも忘れずに。

 そして……トドメの一言を忘れずに。

「あ、そうそう、流石に貴方をこのままにしておくのは忍びないですから、貴方のお仲間に連絡をしておきますよ。 もっとも、私はそれなりに逃げた後ですが……勿論、貴方が大人の女性になったことも忘れずに伝えておきますので、ご心配なく」

 本気の目で。

 絶対にふざけずに。

 ……もしコイツが私にすがらなければ、本気で言うつもりで。

 目を見れば私が本気だということを、コイツに分かるように。

「イヤッ、離してッ! 離してッ! いやっ、死にたく! いや、いっそ死なせて! 0078の二の舞はいや、0032の死に方はいや、0786のようにはなりたくない! 逃がして、私を逃がしてッ!!」

 狂ったかのように暴れはじめる0089。

 足首が手首とまとめられて縛られ、そしてそこから更に柱に縛られている所為で、尻をフリフリするだけ。

 そして動く度に、チャポチャポと軽快な尿の音がする。

 あの狂気を目にしただけで発狂するものがザラにいるというのに、自分があの目に会うということは考えただけでも気が狂いそうになるだろう。
 
 だが、死ぬことも、狂うことも、ヤツらにとっては無意味。

 刑罰は四十年間に渡って続き、その地獄を見せる。

 死や狂いは、蘇生師によって消される。

 ……四十年の苦しみを経た後、ようやくやすらかな、もう二度と起こされることのない死が訪れるのだ。

 この私ですら、あの狂気を直視するのには躊躇いがある。

「さて、猿芝居はここまでにしようか、コード0089。 私の眷族になるか?」

「イヤよ! 誰があんたなんか……」

「交渉の余地なしか、では、さらば」

「やっ、ちょっと待って!!」

 本気で楽しませてくれるヤツ、0089。

 処女喪失の幻影を見たときよりかは劣るが、絶望の味は未だに頬が落ちるほどのもの。

 じわじわと精神汚染も完了しかけている。

 あと一押しの精神攻撃を納めることで、彼女のコントロールは完全に奪うことができる。

 この楽しみが損なわれるのだから、奪うことはしないが。

「では、どうする? 私と契るか!? ちょうど純潔も散らしたところだ、悦びたいか?」

 挑発の言葉。

 まだ反抗心が残る、コード0089。

 唾を溜め、こちらの顔に向って飛ばしてくる。

 それをかわし、今度は容赦無く。

「ふっ、聞く耳持たずか、貴様なぞ同族に食い殺されろ」

 ……精神汚染、コンプリート。

 すべての魔術を受け入れ、すべて私の命に従うようになった。

 一興だ、更なる死を見せてやろう。

 静かに、0089に魔力を投射した。

 私は絶望に打ちひしがれた。

 たまたま感知した大物ヴァンパイアの誕生。

 産まれて間もないヴァンパイアであれば、大物といえど差して強敵ではない。

 功名心にかりたてられ、普段孤立に任務をこなしているがA級ヴァンパイアであれば仲間に連絡し結託して目標を倒すというのに、一人でヤツをしとめにいった。

 最初は楽勝かと思った。

 魔術の使い方も甘い、戦術も浅い……産まれたばかりのヴァンパイアにしては上出来、といった実力の相手だった。

 挑発にのっているような素振りを見せ、上手く一撃、二撃と銀の攻撃を当てていく。

 どんなヴァンパイアであっても、銀の攻撃は決して無視できないもの。

 人間にとって毒に等しいそれは、たとえ傷口を切り離したとしても魔力的ショックを受ける。

 段々と体を蝕んでいくはずであったのに……やつはいけしゃあしゃあと動く。

 おかしいな、と思い始めているところで、更に目を見張る……ヴァンパイアとしては、絶対的矛盾が発生する攻撃。

 銀の装備……銀の弾丸を撃った。

 別に触れてないからいい、とかそういう問題ではない。

 ヴァンパイアは銀の装備が苦手なのではなく、銀の装備が『大の』苦手なのだ。

 使うことすら、その黒い魔力にダメージを負わせる。

 しかし、さも当然かのように使うあいつ……コード1345……いや、『バウンダー』

 ただのヴァンパイアではない、ヤツは新しい脅威だ。

 ……そして、私は破れた。

 純潔を散らされ、私を脅迫し、私にふしだらな行為をしようとしていた。

 ……今は柱にみっともない格好で縛られている。

 ヤツは姿を消し、もうここからでは感知できない。

 純潔を散らされた以上、組織の罰を受けるのは避けられない。

 ……ああ、あの狂気の罰!

 あの犠牲者の目を見ろ……いや、目が『あった』場所をみるだけで死にたくなる。

 ああ、ああ……神様、助けて下さい。

 さっきから全力で力を込める。

 股間の痛みも忘れ、必死に腰をふる。

 けれど、手足を縛るヒモは解けない。

 その間にも、あの忌々しくおぞましい虫が私の中で暴れまわっている。

「うっくぅ!」

 私は目を見張った。

 そんな……声を上げるなんて!

 ヤツの、ヤツの虫で。

「ひゃぁ!」

 ヤツのことが、頭を掠めるたびに声があがる。

「うあああ!」

 快感の声が。

 な、何故、ヤツ

「ああん!!」

 のことを考えるだけで!

 まさか、そんなことは考えられない!

 たしかに、ヤツ

「ううううあああ!!」

 は他のヴァンパイアとは違う。

 下劣ではあるが、明らかに違う。

 だが、そんなことだけで……

 ヤツ

「ひぃぃぃぃぃぃ!!」

 にヤツ

「はあああああああッ!!」

 に……惹かれているなどと……

 何故、何故……こんなにも……ヤツ

「あああああああああああああああああッ!!」

 のことを思うと……

「し、死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」

 何故、こんなに切ない。

 不条理だということはわかっている。

 ……今まで私には恋愛感情というものが欠落していた。

 クルースニックは基本的性に関しては淡白ではあるが、それでも人より少し劣っているというだけ。

 でも私の場合、異常といわれるほど恋愛というものに興味が無かった。

 無論、女にも男にも。

 ひょっとしたら、運命という……ものなのか?

「あああああ、イクッ! イックぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

 切ない、切ない、切ない、切ない、切ない、切ない、切ない、切ない、切ない、切ない。

 何時の間にか虫も消えてしまった。

 あの人の温もりが、残らない。

 悲しみが溢れてきた。

「こ、コード1345! 戻ってきてくれ! 頼む、私を、私を一人に……」

 あいつの顔を思い出すと涙が零れる。

 あいつが私に向けてくれた笑顔。

 あいつが私にかけてくれた情け。

 あいつが私に味あわせた……痛みすら、私にとってはかけがえのないもの。

「こ、こーどいちさんよ……いえ、バウンダー! 戻ってきて! 私、貴方の僕でも、何でも……お願い! バウンダー!!」

 虚空に消える、私の声。

 あの時、バウンダーの求めに応じなかった私が……憎い。

 時間移動できることなら、あの頃の私を殺したい。

 あんなつまらないプライドに貼りついていた、私をこの手で……五臓六腑引きずり出し、それを目の前でズタズタにしてやりたい。

「う、うえぇぇええええええ。 お願い、バウンダー! 私、あなたがいないと……もう死んじゃ……」

 おしっこの不快さももう気にならない。

 さっきは逃げ出す為、今はバウンダーの後を追いかけるため。

 必死に体を揺らす。

 体を揺らしたら、バウンダーが唯一残した影のヒモで私が縛られていたのを思い出した。

 彼の温もりがあったことに少し安堵する。

 でも、私は暴れまわる。

 彼に会う為に。

 ……コツリ、コツリ……

 コンクリートの床を足音が響く。

「バウンダー! 戻ってきてくれたのね! 私、私……もう、死んじゃうかと……」

「見つけたぞ、コード0089! この裏切り者め!!」

 私は、血がサーッと凍りつくのを感じた。

 目の前に浮かぶのは、断罪師。

 別名『地獄の仕置き人』

 朱に染まったマスクをつけ、筋肉質の体が裏切り者の体を容赦なく切りつけ、突き刺し、叩き潰し、鞭打つ。

 容赦ない、慈悲もない……人の心すらないと言われている断罪師の姿。

 縛られた状態で必死にもがく、勿論そんなことでヒモが解けるわけもない。

 自分でも考えられないような狂ったような叫び声をあげる、それで離してもらえるわけもない。

 私は……永遠の闇かと思えるほどの、暗い暗い、本部の地下室へと……ポツンと光の点として存在する出口を見ながら、運ばれていった。

「いやああああああああああああああああああああああ!!」

 目の前には、バウンダーの後ろ姿。

 周りを見まわしてみれば、あの懐かしい……もう戻れないかとおもっていたあの場所。

「ば、バウンダー! わたし、あなたの、あなたの下僕にも、何でもなりますから!! どうか、どうかこのわたくしめを、おそばに置いて下さいませ!」

 狂ったように声をあげる私。

 バウンダーは……まるで聞こえないかのように歩いていく。

「お願いしますッ! なんでも、なんでも、なんでも、なんでもしますからッ!!」

 バウンダーの背中が闇に消えた。

 ……終わった。

「お願い、お願い……お願いします」

 零れる一滴の涙。

 目を瞑る。

 そっと頬に触れる何か。

 手首足首が開放される感触。

 暖かく私を包む、何か。

 私は、その『何か』の唇に我武者羅に吸いついていた。

 ああ、バウンダー。

 私の愛しい人……。

< 続く >

   後書き

 どうだったでしょうか、『Midnight blue』二話は。

 前回、エロエロな話にすると言っておきながら、そんなにエロくなかったのが心残りです。

 MC要素を高めるために、続けていたらダラダラと……

 時間の関係で、寸止めになってしまいました、すみません。

 次回、次回こそはッ!

 次回こそは、本番に臨むみますので、どうかよろしくおねがいいたします。

  ~オマケ話~

 もう知っている人も多いと思いますが『Midnight blue』とは、ナンシー・A・コリンズの『Midnight blue』をそのまんまパクってます。

 そちらの方も、作者であるナンシー・A・コリンズの味である暴力とセックスを過激に描写する、新鮮なヴァンパイア小説なので、興味を持ったかたは御一読を。

 古本屋で手に入ると思いますので。

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