ダークブレス (2) まごころ

(2) まごころ

 扉を開けると、ピアノの調べが溢れ出た。
 部屋の中央にはグランドピアノが置かれている。ピアノを弾いていたのは結菜だった。細く長い指が、巧みなタッチで鍵盤を叩いていく。
 虹華が部屋に入ってきた。演奏の邪魔にならないよう、部屋の隅に無言で立っていた。

 結菜の演奏が、鈍い余韻を残して終わる。
 虹華は窓の外を眺めていた。ここは、結菜の家だった。
「今夜は月夜ね。そう言えばあの夜も、こんな風に月のきれいな夜だった」
 結菜は黙ってピアノを閉じた。
「ねぇ、前から聞こうと思っていたんだけど。魔法をかけた司さんを、結菜は恨んではいないの?」
「恨む?」
 結菜は困惑したような表情を浮かべていた。
「もちろん、今の私に恨む気持ちなんてない。でも、この事自体私にかかった魔法の効果なのか、それともそこまで私を求めてくれたお兄ちゃんの気持ちを受け入れたからなのか、それはわからない」
「埒もない事聞いちゃったわね」
 自嘲気味の笑みを浮かべて、虹華は再び月に視線を戻す。ピアノの調べが消えた室内は、静寂に包まれる。
「・・・本当に、あの黒魔術をやるつもりなの?」
 結菜は虹華の背を見つめて問う。
「ええ、こうなる事は決まっていた事なの。三年前のあの日から、ね」
 結菜は実際の年齢より、遥かに幼く見えた。三年前に兄の司が姿を消してから、結菜の中で時間が止まってしまったかのようだ。
「結菜は司さんに会いたいんでしょう?だったら、もう一度やるしかないのよ」
「でもどうして、あの人なの?」
「正樹の事?誰でも良かったんだけどね。あいつ、どことなくだけど、司さんに似ているじゃない」
「・・・」
 結菜は何も言わない。思慮深い大きめ瞳には、いかなる感情も読み取れない。
「まだ、結菜にも全てを話せるわけじゃない。でも、何があっても私は結菜の味方よ。それだけは信じて」
「・・・」
 結菜はやはり何も言わない。
 空に月が、明るく輝いていた。

「どうだった?初めての『女』は」
 揺れる助手席で、虹華はわざとそんな聞き方をしてきた。顔には意地の悪い笑みを浮かべている。
 俺は、どう答えてよいか判らず、運転に集中しているフリをしながら言った。
「別に。大した事はなかったよ」
「そう。男ってやる前とやっている最中は盛り上がる癖に、事が終わると急に冷めちゃうのよね。でもそれも、実際に経験していなければ言えない事よ」
 俺と虹華は、レンタルしたワンボックスカーで移動中だ。向かう先は、三年前に虹華達が黒魔術を行った場所だ。
 車は郊外の山間部へ入っていった。もう一時間は険しい山道を走っている。
 後部座席は儀式で使う荷物で満載だ。そのほとんどは虹華がアメリカから取り寄せた本物の魔術用品だ。
 虹華によると日本に出回っている魔術用品のほとんどが模造品であり、本当に儀式に使おうと思うなら、海外から取り寄せなければならないそうだ。
 不意に、視界が開けて大きな建物が姿を現した。それは古臭い小学校だった。
 あまり広くない校庭の先に、二階建ての木造校舎が見える。よく見ると、何枚もの窓ガラスが割られたままになっていた。人の気配がまったく無い、廃墟同然の建物だった。
『私有地につき立ち入り禁止』
 錆びた立て札が校門の所にあった。校門自体、大きな鎖で閉じられている。
 虹華は車を降りると、持ってきた鍵で鎖を外す。
「ここが三年前、私たちが黒魔術を行った場所よ」
「小学校じゃないか」
「ずっと昔に廃校になったの。それを司さんが買い取ったのよ。さ、車を入れて」
 俺は草だらけの校庭に、車を乗り入れた。

 埃だらけの廊下を、俺と虹華は進む。『整理整頓』などと書かれた子供向けのポスターも、そのままになっていた。
『3年2組』
 立て札にはそう書いてあった。校舎の一階の隅の教室だ。子供たちの姿の消えた教室は、不気味さすら感じられた。子供用の小さな机や椅子も、そのまま残されていた。
「さあ、まずは大掃除よ。この教室の机を全部外に出すの」
 俺たちは準備に取り掛かった。
「中の拭き掃除は私がやるから、正樹には他にやってほしい事があるの」
 全ての机と椅子を、隣の3年1組の教室に運び終えた頃、俺は虹華に連れられて、一旦校庭に出た。校庭の隅にはひときわ大きい桜の木があった。
「この木の根元に、前に儀式で使った道具が埋めてあるの。正樹はそれを掘り出して」
「机運びの次は穴掘りかよ」
 思わず不平が口をつく。
「文句を言わないの。これは儀式に不可欠なものなのよ」
 だから荷物の中にシャベルなんてあったのか。諦めて、俺は仕方なく車まで取りに戻った。

 日が西に傾いた頃、汗だくになって地面を掘り続けた俺は、シャベルの先に異物の感覚を感じていた。シャベルの先でそっと土をどける。
「これか」
 姿を現したそれは木箱だった。かなり大きめの頑丈そうな木箱で、表面には不思議な模様が書かれている。ご丁寧に鍵までかけてあった。

「おい虹華、埋まっていた木箱見つけたけど」
 3年2組の教室の扉を開けつつ、俺は言った。教室の中を見て、息を呑む。
 教室の窓は、全て厚手の黒に布で覆われており外から光が入ってこないようにしてあった。
 更に、異臭が鼻についた。よく見ると、教壇のところで香が焚いてあったが、それは今まで嗅いだ事のない不思議な香りだった。
 机がなくなりガランと広く開いた床には、一面複雑な図形が書かれている。それは、前に手に血で書かれた模様とよく似ていた。
「お疲れ様。木箱は台車を使ってこの教室に運んでいてね」
 地面に座り込んで図形を描いていた虹華が振り向いて言う。
「どうしたの?キョロキョロしちゃって」
「いや、なんかすごいなって思ってさ。本格的でさ」
「当たり前よ。本物の魔術をやろうっていうんだから」
 苦笑して虹華が答える。
「こうした周到な用意を経て、日常の空間が魔術の空間へ姿を変えるってわけ。ただ、これだけではまだ足りないけどね・・・さ、木箱運んだら食事にしましょう」

 ここは昔、校長の部屋だった。革張りの応接セットがそのまま残されていた。
 虹華の手作りサントイッチとコーヒーで、俺たちは簡単な食事をとった。この建物には電気がきていない。明かりは、ほの暗いキャンドルだけだ。
「準備は順調よ。明日の夜には予定通り儀式ができるわ」
「結菜は?」
「今夜遅くにはここへ来るはずよ。まだ来てもらっては、少し都合が悪いのよね」
 時計を見ながら、虹華が意味深な言い方をする。
「一体どう説明したんだ?」
「黒魔術をする事は言ったわ。もちろん、本当の目的は伏せて。『司さんの行方を捜す』って説明したのよ。ただ」
 虹華が言葉を区切って、じっとこちらを見つめてくる。
「もし、本当の目的を結菜が気づいたら、激しく抵抗するはずよ。その時は力ずくでも逃がさないようにしないとね」
 もし結菜に気づかれて逃がしてしまえば、確かに二度とこんな機会はないだろう。最後は、暴力も辞さずって事か。
「結菜は、本当はどう思っていたんだ?その司というお兄さんを」
 沈黙に耐えられなくなり、俺は話題を変えた。
「本当は?」
 虹華が俺の言葉を繰り返す。
「本当はって何?今の結菜にとって、司さんを好きという気持ちは絶対の真実よ。それが、何の効果なのかどうか、誰にもわからないし、その事に意味はない」
 虹華は、目の前のキャンドルの明かりに目を落とした。その表情は寂しそうで、そして大人びて見えた。
「人の心なんて目には見えないもの。そして他人の心を、いろんな方法で自分の心に従わせようとする、それがこの世界の真実の姿。問われるのは方法じゃない。結果だけよ。もし、そこに問題があるとすれば」
 虹華はまっすぐ俺を見つめてくる。俺の心を見透かすように。
「それは正樹の心。つまり、あなたの罪悪感の問題だけってわけ」
 悪魔に魂を売るというのは、きっとこういう事なのだろう。だが、もう俺は引き返す事などできない所まできているのだ。
「わかっているよ・・・」
 俺は小さく呟やいた。

「さてと、それじゃ魔法陣の仕上げにしましょうか。教室まで来て」
 虹華はそう言うと、俺を3年2組の教室へ連れて行った。
「正樹、あなたは魔術の力の源って何だと思う?」
 辺りは完全に暗くなっていた。教室に着くと、虹華は四隅に置いたキャンドルに火をつけていく。
 教壇のところには、俺が持ち込んだ木箱がそのまま置いてあった。
「そりゃ、悪魔なんだろ」
「そうね、それも正解。だけど悪魔の魔力をこの世に呼び寄せるには媒介が必要なの」
「魔法陣の事か」
 床に書かれた魔法陣に目を移した。これは虹華が特別に取り寄せた染料で書いたものだ。
「これはまだ、ただの図形。これが、魔法陣に変わるには、人間の心を吸わなければならない。つまり究極的に言えば、人の精神こそが究極の魔術の媒介ってわけ」
 俺は魔法陣の中央に立たせられた。その正面に虹華が立つ。長身の虹華は、俺とあまり変わらないくらいだ。
 四隅に置かれたキャンドルの明かりが一斉に揺らめいた。
 虹華は俺に向かって目を閉じ、呪文の詠唱を始めた。日本語でも英語でもない。一言も意味の解らない言葉が続く。

 不思議なことに、俺は激しく勃起している事に気づいた。普通、肉体か精神に性的な刺激がなければそうなる事はない。それは俺自身からかけ離れた何かによって、無理やりさせられたとしか思えない現象だった。
 呪文の詠唱が終わると、虹華は俺の股間を見て、そしてニタリと笑った。それは、娼婦の笑みだ。
「正樹のそこは、もう元気になったみたいね」
 虹華はゆっくりと近づいてきた。ズボンの上から股間をなで上げると、あっという間にズボンとパンツを下ろし、俺の下半身を露出させた。俺は金縛りにあったように、身動きする事ができない。
 虹華は座り込むと、肉棒を咥えこんだ。暖かく、しっとりした感覚に包まれる。
「虹華、やめろ。ふざけるな」
「ふざける?私は大真面目よ。魔法陣に心を吸収させるって言ったでしょ。人が心をもっとも発散するのは、もちろんセックスの時。それとも、私とじゃ嫌?ココはそう言ってないけど」
 ツンツンと虹華の指が、肉棒をつつく。
 肉棒を硬くさせて、嫌と言っても白々しいだけだ。俺からの反論がない事を同意と受け取った虹華が、本格的に愛撫し始めた。
 ピチャピチャといやらしい音が俺の股間から聞こえてくる。虹華の唇と舌が、巧みに性感を刺激する。美夜乃のフェラチオと比較しても、その巧みさは段違いだ。余りの快感に、腰が引き気味になる。
 虹華が俺の腹を押した。俺は押されるがまま、床に座り込む。すかさず虹華が覆いかぶさってくる。
 虹華の手が、俺のセーターをシャツごとたくし上げる。乳首まで露出させると、舌で円を描くようになめ上げる。
「ウ・・・」
 乳首を舐められる感覚に、呻いた。
 虹華は乳首に唇をつけると、きつく吸い上げた。左の乳首の次は、右の乳首だ。
 俺は虹華の愛撫に、次第に夢中になっていった。
 虹華の舌は、次第に体を降りていく。横腹に舐め上げると、へそに舌を埋める。
「正樹の味。おいしいわ」
 髪をかき上げながら、虹華が言う。普段の虹華からは想像もできないような、妖艶さがあった。
 次第に降りていく虹華の舌に、俺は肉棒を息づかせて、そこへの愛撫を期待していた。しかし俺の思いを裏切って、虹華が再び唇をつけたのは袋の方だった。暖かく柔らかい、生まれて初めての感覚に俺は包まれる。
 虹華は口を大きく開けて袋を口に含むと、やわやわと刺激する。その後、手で袋を持ち上げると、袋の裏側に舌を這わせた。蟻のと渡りだった。ビクンと、肉棒が震えた。
 虹華の手が、俺の膝裏を触る。虹華は膝裏を押して、ゴロンと俺の下半身を高く持ち上げた。
「!」
 虹華の舌が、アナルに触れる。強い快感が、脳髄を突き抜けた。
 虹華はアナルの皺を一本づつ伸ばすと、丁寧に舐め上げる。アナルが柔らかくほぐすと、舌をアナルの奥へ突き入れた。同時に、虹華の手が俺の肉棒を柔らかくシゴく。俺は、余りの快感に俺は呆然となっていた。
 虹華のテクニックは、素人離れしていた。性的な経験がほとんどない俺がこれに耐えるのは難しい。俺はただ、虹華に翻弄されていた。虹華に犯されていたも同然だった。

 俺の肉棒は、パンパンに膨張していた。自分でも信じられないほど、感覚が敏感になっている。
 虹華は立ち上がって、スカートのホックを外した。はらりとスカートが床に落ちる。白いレース生地のショーツが、目に飛び込んできた。俺は、ただぼんやりと虹華の様子を眺めていた。
 虹華はショーツに手をかけ、足首まで下ろした。虹華の恥毛に覆われた局部が、キャンドルの明かりに浮かび上がる。
 まさか、虹華とセックスする日が来ようとは。虹華の幻想的な裸体をぼんやりと眺めながら、どこか現実と思えないでいた。

 小さい頃、俺は虹華のママゴトに付き合っていた。俺がパパで、虹華がママ。ママゴトの最後は、面倒くさくなった俺が適当に演じて、虹華が頬を膨らませて怒って終わる。それでも翌日には、やはり虹華はママゴトをやりたがった。
 ある日、俺と虹華は結婚式ゴッコをやった。花飾りを応用して指輪も作った。
 虹華は珍しくしおらしく、俺が花の指輪をはめてやるのを待っていた。
「大きくなったら、ちゃんとした指輪を頂戴ね。大きなダイヤの付いているやつじゃないと嫌よ」
 虹華はそんな事を言ったっけ。

 虹華は上にまたがってきた。上半身は服を着たままだ。虹華は肉棒を掴むと、自分の性器にあてがって腰を下ろした。
「ン・・・きつい・・・!!」
 形の良い虹華の眉が寄る。俺はといえば、虹華の中の感覚に夢中になっていた。肉棒に絡み付いてくるような、不思議な感覚があった。
 肉棒が根元まで虹華の中にぴったりと納まると、ゆっくりといやらしく腰が動き出した。
「ク・・・」
 肉棒が抜けかけた時、カリが中で引っかかる。その時、ゾクゾクするような感覚が背筋を這い上がっていく。
 俺は無意識のうちに虹華の胸に手を伸ばした。ブラウス越しに、形の良い虹華の胸を触る。
「じかに触りたい?」
 虹華の表情も、欲情に赤く火照っていた。
「ああ・・・」
 虹華は肉棒を入れたまま、腰を前後に振りつつ自分の服を脱ぎだした。
 上から、ゆっくりブラウスのボタンを外していく。次第に明らかになっていく虹華の肌。
 虹華は、ボタンを全て外すと、手を抜いてブラウスを脱いだ。ショーツとお揃いの白いレース生地のブラだった。
 虹華は笑みを浮かべたまま、両手を後ろに回す。緩んだブラを手を押さえながら、ゆっくりと片手を抜いていく。両手を抜いてから、虹華はブラを持った手をダラリと下ろした。ブラを軽く投げ捨てると、両手で髪をかき上げる。ツンと乳首が上を向いた、形の良い胸が露になった。
 虹華は胸に触りやすいように、前に体を倒して床に手をついた。下を向いてもほとんど形の崩れない虹華の胸が、俺の手を待って静かに息づいていた。
「ああ・・・」
 俺の手が胸に触れると、虹華は喉を晒して呻いた。本能のまま、虹華の胸の形を歪めていく。同時に、下から激しく虹華を突き上げた。
「ク・・・ア・・・そんなに激しく・・・!」
 虹華が髪を振り乱してよがる。その様子に、俺は激しく興奮していた。
 虹華をメチャメクチャにしたい。その、刹那的な衝動が俺を突き動かす。部屋の中に、二人の汗の匂いが拡散する。部屋に焚かれていた香の匂いと混ざり合い、教室はなんとも言い難い匂いに満ちていく。
 俺の性感は、もう暴発寸前まで高まっている。
「う・・・もう、出そうだ」
「私の中に、出して!」
 虹華の声は悲鳴に近かった。俺は最後のストロークを強く、虹華の奥に打ち込んだ。同時に、俺の肉棒は精を放った。
 ピクピクと俺の肉棒が何度も痙攣する。
 俺は、荒い息をしながら放心していた。ふと、胸に落ちる熱い水滴に気付いた。虹華を見ると、瞳から一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「あれ?」
 自分でも理解できないといった様子で、虹華は涙を拭った。
「虹華、お前・・・」
「なんでもないわ。正樹があんまり上手だから、ちょっとね」
 そう言った時には、虹華は再び妖艶な笑みを浮かべていた。
「これで儀式の準備は整ったわ。ご苦労様。そして、ありがとう」
 俺は何かを言いかけて、そして止めた。俺は結菜を手に入れたいだけだ。虹華もそれを望んでいる。これは儀式の準備であってそれ以上の意味はない。今の俺に、これ以上虹華に何かを言う資格などないのだ。

 校庭を、サーチライトの光が横切る。それは、タクシーのライトだった。
 タクシーは校門の前で止まり、中から黒いドレスを着た少女が現れた。結菜だった。
 結菜を残してタクシーは去っていく。
 草だらけの廃墟と化した校庭に、月明かりを背に結菜が立っている。ドレスから、わずかに露出した白い肌が青白く光っていた。
「・・・」
 結菜は無言で校舎を眺めていた。

 結菜が到着した。いつもの通りの黒いドレス姿だった。その時俺は、車の中で寝ようと校庭に出たところだった。
「正樹さん・・・」
 結菜に俺の名を呼ばれて、心臓は高鳴った。同時に、先ほどまで虹華とセックスしていた事への後ろめたさを感じていた。
「虹華に聞きました。儀式を手伝ってくれるそうですね。ありがとうございます」
「ああ、うん」
 俺の返事は、つい曖昧なものになる。
「・・・これで、お兄ちゃんの行方がわかればいいんですが」
 やはり、虹華は司がらみの話を結菜に持ちかけていた。
「あの、虹華はどこに?」
「ああ、校舎の中にいるよ。もう少し準備をして、校舎の中で仮眠を取るようだよ。俺は車の中で寝るんだけど」
「ありがとう。それでは、お休みなさい」
「お休み」
 結菜は会釈して、校舎の中へ入っていった。

 俺は車まで戻った。ドアを開けた所でトイレに行こうと思い立った。廃校になった学校だし、その辺で済ましてもよかった。しかし、ここには女性が二人もいるんだ。せめて物陰でしようと、車に乗る事なくドアを閉じた。もう一度、校舎の方へ歩いていく。
 俺は校舎の渡り廊下の所で、人影に気づいた。一つの影だが、厚みが違う。二つの影が重なり合っている事はすぐにわかった。
 ちょうどその時、月が雲の切れ間から姿を現した。明るい月光が当たりを照らす。
「な・・・」
 俺は絶句した。
 二つの影の正体は、虹華と結菜だった。二人は、唇を重ねていた。俺はあわてて校舎の影に隠れた。

「正樹に会わなかった?」
「さっき会った。車の中で寝るって」
 二人の会話が聞こえてくる。
「儀式の用意はだいたい終わったわ。でも、正樹に手伝わせて良かった。やっぱり女二人だけじゃ、ちょっと無理だった」
「正樹さん、可愛そう」
「なあに、結菜は正樹に情が移ったの?あいつ、司さんに似ているからね」
「・・・そんな事はないけど」
「あいつは結菜を自分のものにしようとスケベ心を出しているんだもの。同情なんてしなくていいのよ」
「・・・」
「結菜は司さんのものなのにね。馬鹿な男」
 虹華の声には、明らかに見下した調子があった。
 虹華は、俺との計画を全て結菜に打ち明けていたのだ。にもかかわらず、結菜は知らないふりをしていた。『司と再会する』という結菜の目的こそが本当の目的であり、俺の方が嘘だったのではないのか。
 虹華の奴、俺を騙していたのか。
「晩御飯は食べた?サンドイッチならあるけど、食べない?」
 二人はそのまま、校舎の中に入っていった。食べ物は校長室に置いてあった。二人はそこへ向かったのだろう。

「くそ!」
 俺は力任せに足元の小石を蹴り上げた。やたらと腹が立った。虹華と結菜、二人は最初からグルで、俺を利用しようと近づいてきたのだ。
 俺はもう黒魔術なんてどうでもいい気分になっていた。いっそ、邪魔してやろうか。
 俺は、自分が苦労して掘り出した木箱の事を思い出した。あれは儀式に必要不可欠な物らしい。もしあれが無くなれば、儀式はできないのだ。
 俺は足を忍ばせて、3年2組の教室に向かった。
 3年2組の教室は、キャンドルのキャンドルに照らされていた。微かに先ほどまでの情事の残り香が感じられた。
 虹華達の姿はない。俺が持ち込んだ木箱は、そのまま教壇の所に置いていた。
 木箱はかなり大きい。両手を伸ばしても端から端まで届かないくらいだ。重量もかなりある。台車がなければそんなに遠くまで移動させる事は難しいだろう。台車は校長室だ。ふと、蓋についていた錠前が、今は外されている事に気づいた。俺は中身だけを持ち去ろうと、蓋に力を込めた。
 ギイと蝶つがいが軋む音がした。錆びがボロボロと落ちていく。ゆっくりと蓋が開いていった。

「うわ」
 俺は中を覗き込んで、思わず悲鳴を上げて後ろに尻餅をついた。
 箱の中にあったのは、魔術用具などではない。人の骨だった。かなりの時間が経っているのだろう。完全な白骨化していた。
「三年前の、儀式・・・」
 俺の脳裏をある推理がかすめた。それは、まさに悪魔の発想だった。
「三年前の儀式、その後姿を消した司・・・まさか、こいつが司か!?」
 司は三年前の儀式で姿を消したのではなく、死んでいたのだ。
 キャンドルの明かりに照らされた目のくぼみが、俺に向かって百万の言葉を話しかけてくる。だが、俺には一言も理解できない。
「一体、何がどうなっているんだ」
 俺は思わず呟いた。
 ガツ。
 俺は不意に頭部に強い痛みを感じた。前のめりに昏倒する。薄れていく意識の中で、何か硬いもので殴られたのだと気づいていた。

< 続く >

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