洗脳魔法少女ヒプノちゃん 第12話(欠番)

第12話(欠番)

「あーあ、来るんじゃなかったなぁ…」

 公園のベンチに腰掛けて俺は、一人ため息をついた。
 土曜の午後。家で孤独に受験勉強するにも飽き、かといって知人を誘ってどこかへ行く気にもなれず、そもそも誘いに応じてくれる暇な知人もおらず、俺は暇つぶしに近所の公園に出かけたのだが…。

「まさかこんなところで見せ付けられるとは…」

 周囲はカップル、アベック、恋人同士、夫婦、とにかく男女のペアがいちゃいちゃと楽しい休日を過ごす光景ばかりだった。
 勉強がしたくて進学校に通った俺だが、年頃の健全な男子としては彼女の一人や二人…、いや一人でいいから欲しいわけで。しかし、男子校ではそれも望めず、ただでさえフラストレーションが溜まっているところにこれだ。

「やっぱ共学校はいいよなぁ~…」

 と、周囲の注目を浴びない程度に声に出してぼやいてみる。
 同じ学校を受けて試験に落ち、公立の共学校に通っている昔の友人は、今は同じクラスが縁で付き合い始めた彼女とうまくやっているらしい。おかげで奴と一緒に遊ぶ機会は激減した。というか全くない。しょせん、友情よりも愛情か。
 好きで進学先を選んだのだから、人生の選択を後悔しているわけでもないが、特に同年代の仲間とつるむこともなく、ひたすら勉強だけで二度とない青春時代を終わらせていいものかとは思ってしまう。
 ましてや、女っ気の一切ない青春時代なんて!

「はぁ~」

 俺は頭を落として再び深くため息をついた。むなしい。こうやって悩んでいること自体がむなしい。
 あまりにもむなしいので、そろそろ帰ろうかと思って顔を上げると…。

「おにいさん、悩みがあるんですの?」

 目の前に、小学生ぐらいに見える小さな可愛い女の子が立っていた。
 いや、ただの小学生じゃない。髪は幼い子ならではのツーテール。ピンク色のやたらとフリルの付いた服に、やはりやたらとひらひらふわふわしたスカート、首からは5円玉を模したようなペンダントを下げ、手には妙にごてごてとファンシーな飾りのついたステッキというかバトンを持ち、肩には猫だか狸だかわからない上に、背に小さな翼を生やした奇妙な小動物のぬいぐるみらしきものまで乗っている。
 どう見てもテレビアニメの魔法少女のような格好だ。よくは知らないが、最近こんなアニメをやってるんだろうか。ああ、隣の席の小原なら知ってるんだろうな。あいつ眼鏡でガリ勉で無口のくせに、アニメやマンガの話だと急に雄弁になるから…。

「悩みがあるんですの?」

 小首をかしげて再び聞いてきた。その仕草がいちいち可愛い。
 その可愛さについ向こうのペースに引き込まれそうになってしまったが、

「その前に、君、誰?」

 と、俺はもっともな質問をぶつけてみた。

「あっ、いっけない! 申し遅れましたの」 

 女の子はちろっと舌を出して反省してみせると、びしっと決めポーズをつけて、

「魔法少女まいんど☆ヒプノ! あなたのお悩み、解決ですの☆」

 と可愛く名乗った。ずいぶんと「なりきった」女の子だ。アニメの主人公になりきるのは俺も小さい頃はよくやったもんだが、コスチュームまで揃えるとは相当なものだ。
 俺は少々苦笑しながら、その『ヒプノちゃん』とやらに聞いてみた。

「ははは、で、ヒプノちゃんはどうやって悩みを解決してくれるんだい?」
「もちろん魔法で、ですの」

 いいなぁ、こういう何もかもを信じられた時代、って。

「そもそもさ、何で俺の悩みを君が解決しなくちゃいけないんだい?」
「それはですねぇ…」

 ヒプノと名乗った女の子は、その事情を語り始めた。『魔法界』からやってきたと主張する彼女が言うには、魔法少女が魔法の力で『人間界』の人々を助けるのは、言わばボランティア活動のようなものだという。『魔女』になる前の『魔法少女』のうちに、魔法の力で奉仕活動をすることで、『魔法学校』の単位がもらえるのだという。こういうことはどこの世界でも変わらないようだ。

「でもさあ、君みたいな小さな子に悩み相談するのも…」
「むー、失礼ですの! ヒプノはこう見えても10万飛んで9歳ですの! おにいさんよりずっと年上ですの!」

 ヒプノちゃんはむきになって反論したが、何だよそのどっかの悪魔みたいな年齢設定は。「年下」のはずの相手に「おにいさん」と呼ぶ矛盾もむしろほほえましい。

「しかし、俺が悩んでるってよくわかったよね」
「この『ミャフェス』の26の秘密のひとつですの。ミャフェスは3キロ先のため息を聞き分けることができるんですの。ねー、ミャフェス?」
「んあ゛~」

 ヒプノちゃんに話しかけられた小動物が、無愛想に反応した。というか、これぬいぐるみじゃなかったのか?

「で、おにいさんの悩みはなんですの?」

 ヒプノちゃんがさらに再び聞いてきた。よし、ここは適当にからかってやろうと、俺は「悩み」の内容を考え始めた。しかし、こんなときに限ってうまいネタが思いつかない。まさかこんな小さな子相手に「彼女が欲しい」だなんて言えるわけもないし…。

「まあいいですの。こっちから悩みを聞くですの♪」

 そう言ったヒプノちゃんは、すちゃっと手にしたステッキの先端を俺の鼻先に向けた。何をする気だ!?と思う間もなく、女の子はそのステッキをゆっくりくるくると回し始めた。俺の視線が、なぜかそのステッキに吸い寄せられていく。くるくると、くるくると…。

「おにいさんは今から悩みごとを話したくなるですの~。さあ、話してみるですの」

 …そう言われると、なぜだか本当に悩み事を話したくなってきてしまった。
 頭の中が霞がかかったような気分で、俺はヒプノちゃんにぽつぽつと『悩み』を話し始めた。

「…うちの学校、男子校でさ、青春を謳歌する場所としてはやっぱり味気がないんだよ」
「ふんふん」
「…やっぱ青少年の夢としては、セーラー服姿の可愛い子と一緒に登校したりとかさ、授業受けたりとかさ、ついでに交際までできちゃったら言うことなしなんだよ」
「ふんふんふん」

 彼女は腕組みしながら、いちいちうなずいて俺の愚痴めいた告白を聞いてくれている。時折、どこからか手帳を取り出してメモを取ったりもしている。
 一通り俺が話し終わると、女の子はぱたんと手帳を閉じて、俺に言った。

「…なるほど、わかりましたの。要するに、おにいさんは男子校じゃ味気ないから、セーラー服の可愛い子と一緒に学校に通って、さらに交際もしたい、ということですの?」
「うん、まあぶっちゃけて言うとそんな感じ」
「わかりましたの! ではおにいさんの願いをかなえてあげますの!」

 ヒプノちゃんは胸を張って高らかに宣言した。

「でもさ、どうやってかなえてくれるんだい?」
「ですからぁ、魔法の力で、ですの。魔法の力を信じなさい!ですの。信じる者は救われるですの☆」

 なんか魔女じゃなくて聖職者のような言いようだ。

「では、ちゃちゃっと魔法をかけに行ってくるですの~! そこで待ってるですの~」
「えっ? ちょ、ちょっと君っ…」

 そう言うなりヒプノちゃんは公園の外へと駆け出していってしまった。あとに残されたのは、呆然としてベンチに座っている俺一人。彼女を止めようと伸ばした右腕が、むなしく宙をつかむ。
 体よくかつがれたのか…? 俺…。

 …5時間後。
 日もとっくに暮れた公園のベンチで、俺はヒプノちゃんを待ち続けていた。公園の人通りはもうほとんどなく、空気も肌寒くなってきた。
 かくれんぼで鬼を無視して全員で家に帰ってしまうという禁じ手があるが、まさにそういう状態に置かれているのではないのかと思う。しかし、なぜか俺は家に帰る気にはなれなかった。別に彼女が本当に『魔法をかけに』行っているとは思えないのだが、なぜだか彼女の言った「そこで待ってるですの」が頭にこびりついて離れなかったのだ。

「そろそろ帰りたいなぁ…」

 とぼやいてみるが、単にベンチから腰を上げるだけでそれは達成できるはずなのに、それができなかった。まさに魔法にかかったように。

「まさかこのまま放置、ってことはないよなぁ…」
「……お、おまたせですの~…」
「うわぁっ!」

 背後の茂みの中から急に声をかけられ、俺は思わず大声を出してしまった。もちろん聞き覚えのある声と口調なのだが、背後から不意を突かれたら誰だって驚く。

「…ぜいぜい、思ったより時間がかかってしまいましたの~。ぜえぜえ」
「ははは…、そ、それはご苦労さん…」

 茂みからがさがさと出てきたヒプノちゃんには5時間前の快活さはなく、息も絶え絶えでよれよれになってしまっていた。

「で、早く戻ろうとして近道を通ったら、茂みに裸で抱き合っているカップルさんがいっぱいいて…」
「こ、子供は見ちゃだめー!」

 こんな公園で何やってるんだ、バカップルどもよ!

「ですから、ヒプノは子供じゃないですの、少女ですの~! 『魔女っ子』と『魔法少女』ではランクが違いますの!」
「いや、その問答はもういいから」

 むくれるヒプノちゃんをなだめつつ、俺は本題を切り出した。

「で、例のお願いの件はどうなったの?」
「ああ、それはもうバッチリですの! 休み明けから、おにいさんの願い通りの学園生活が送れますの!」
「ふ、ふーん…」

 本当は家に帰っておやつでも食べてて、夕食後に俺のことをすっかり忘れてたことに気づいて律儀に戻ってきてくれたんじゃないのか、という気もするが。

「では、もう夜遅いのでヒプノはこれで帰りますの。おにいさん、バイバイですの☆」
「え? あ、うん、バイバイ…」

 いきなり彼女は、元気よく手を振って帰ってしまった。
 完全に向こうにペースを握られたまま、俺は小さく手を振ってヒプノちゃんを見送らざるをえなかった。

「…俺も帰るか」

 今日一日無駄に時間を過ごしてしまった、という後悔の念にさいなまれながら、俺は公園を後にした。

 窓の外で、ちゅんちゅんとスズメの鳴く声が聞こえる。ような気がする。
 だんだんと頭が覚醒していくが、まだこの心地よい世界の中にいていたい。
 この暖かな、心地よい世界に…。

「こら~、朝よ! 早く起きなさい!」

 その世界を破壊するかのような母さんの怒鳴り声が部屋の向こうから聞こえてくるのと共に、ドンドンとドアを叩く音がする。
 ううーん…、あと5分だけ…。

「もう真里ちゃんが迎えに来てくれてるわよ! 早くなさい!」

 いくら真里が迎えに来ているからって、この心地よさは…。

 ……………
 ………
 …?

 真里!?

 俺は慌てて跳ね起き、制服に着替え、朝食をかきこみ、玄関の扉をがちゃりと開けた。
 そこには…、

「おはよう。もう、今日もまた寝坊?」

 そう言って微笑む可憐な美少女が、もとい、超が付く美少女がひとり。服装は純白のセーラー服に、紺のプリーツスカート。綺麗に手入れされた艶やかな長い黒髪が朝日に輝いている。

「え、あ、うん、いや、ついうっかり…」

 あまりの可愛さに思わず顔を赤くしながら、俺はしどろもどろに答えた。いったい、何がどうなってるんだ?

「ほら、ここで話し込んでたら遅刻しちゃうわ。早く行きましょ?」

 そう言って真里というらしい美少女はくるりと俺に背を向けた。遠心力の作用でふわりと広がるスカートから、ほんのちらりとのぞいた脚がまぶしい。
 俺は有名進学校にそれなりの成績で合格した頭脳を総動員して、記憶をたどった。真里という名の子は、親戚にも知り合いにも過去のクラスメートにもいない。ましてや、こうやって一緒に学校に行くような関係ならなおさらだ。
 まさか…、あのヒプノちゃんの『魔法』のせいか? そうでなければ説明がつかない。先週まで一人寂しく登校していた俺が、いきなりこんな可愛い子と一緒に登校するなんて。

「もう、どうしたの? そこでぼーっと突っ立っちゃって」
「あ、ごめんごめん。まだちょっと寝ぼけてたみたいで」
「夜遅くまで勉強もいいけど、遅刻したら内申書に響いて意味がなくなるわよ」
「うん、気をつけるよ。じゃ、行こうか」

 俺は内心ぐっとガッツポーズをしながら、真里の横に並んで歩き始めた。

 いい。良すぎる。最高だ。
 ただの登校が、横に女の子がいるだけでこんなに楽しくなるものとは知らなかった。あまりにも楽しすぎて、学校に着くまでの時間がいつもの10分の1に感じられるほどだった。
 真里とはたわいもない話をしながら歩いたが、その一つ一つがとても新鮮だった。勉強の話、スポーツの話などなど。真里が切り出した少女漫画の話はちんぷんかんぷんだったが、それでも聞いているだけで楽しくて仕方なかった。
 ああ、もう校門の前だ。真里はここから別の学校に行くのだろう。これでもう楽しい時間ともお別れか…と思ったその時、

「え?」

 真里はまるでそうするのが当然かのように、うちの学校の校門をくぐっていった。
 そして、呆然と立ち止まってしまった俺の方を振り返って、

「どうしたの? 立ち止まっちゃって」

 と不思議そうに聞いてきた。聞きたいのはこっちだ。うちは創立当時から男女七つにして席を同じくせずを校訓にしたかのようなバリバリの男子校で、セーラー服を来た美少女が平日に入れるような場所じゃない…と思いつつ周囲を見回すと、真里と同じセーラー服を着た女の子が次々と校門をくぐっていっている! そんなバカな!!
 もう間違いない。あのヒプノちゃんの魔法のせいだ。俺の願い通り、男子校を共学校に変えてくれたに違いない。魔法万歳!

「いや、ちょっと、その…、なんでもない」
「ふふっ、ほんと寝ぼすけさんなんだから」

 ああっ、そうやって微笑んだ笑顔も可愛すぎるっ! ありがとう、ヒプノちゃん!

 こんなことがあっていいのだろうか。いや、いい! 真里とは同じクラスなだけでなく、席が隣同士だったのだ! なんという至れり尽くせりぶり! 俺はあまりの幸せぶりに、朝礼も授業もろくすっぽ聞いていなかった。
 しかし、その至れり尽くせりぶりにひとつ苦言を呈するなら、もうちょっと質も考えて欲しかった気がする。クラスの半分が女子になったのはいいんだけど、真里が群を抜いて超絶な美少女であるのを除けば、こう言うのも悪いが他のクラスメートの女子のレベルはどう見ても水準以下。ゴリラみたいなの、50代のおばさんみたいなの、男か女かわからないようなものまで。いやいや、これも全て真里の引き立て役だと思えばいいか。
 そんな幸せ気分にひたっていると、隣の席の真里に袖をくいくいと引っ張られた。気が付けば、もう3時間目の初めだ。
 俺が視線を真里に向けると、真里は少しこちらに体を傾け、小声で俺にささやいてきた。

(…ねえねえ、ちょっといい?)
(な、なに?)
(国語の教科書、持ってくるの忘れちゃったの。見せてくれない?)

 た、たまらん! 一度は体験してみたかった『授業中の教科書の見せ合い』。ましてや真里クラスの美少女なら断る理由なぞあるはずもない!

(も、もちろん! いくらでも見せてあげるよ!)
(…あ、ありがとう。でもほんと今日はどうしちゃったの? 熱でもあるの?)

 心配そうにこちらを見る真里。その表情にもつい見とれてしまうが、あまり心配させるのも悪いので、

(いや、大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫)

 と無難な返事をしておいた。「君にお熱なんだ」とでも言っておけば良かっただろうか? いやそれはさすがに引くか。
 こうして、退屈な国語の授業は、至福の時間と変わった。隣の席に座っている時より、より近づいて授業を受けるのって、いいなぁ…。

 昼休みになった。さて、これからは楽しいランチタイム~♪ と鼻歌の一つでも歌いながらカバンをあさる俺。…あれ? ないぞ。弁当がない。
 そういえば、朝ずいぶんとばたばたしてたから、持ってくるのを忘れたのか…。いやちょっと待て、いつも弁当が置かれていた場所に今朝弁当あったか? 記憶があやふやだが、たぶんなかったような気がする…。母さんが作り忘れたのか?

「ねえ、何やってるの?」

 そんな俺に、横から真里が声をかけてきた。

「いやさ、今日弁当持ってくるの忘れたかと思ったんだけど、どうも母さんが作り忘れてたみたいでさ…」

 俺はそう言って苦笑しながら真里の方を向いた。が、当の真里はきょとんとした表情で、まるで「何を言ってるの?」とでも言いたげな顔をしていた。

「あれ、真里、どしたの?」
「やっぱり…、お母さんのお弁当の方がいいのかな」
「へ?」

 少し寂しそうな表情をして言う真里に、俺は混乱させられてしまった。

「私のお弁当、飽きちゃった…?」
「は? いいい、今なんと?」
「だから、いつも私の作ったお弁当を食べてくれてたのに、急にそんなこと言うから…」

 そうか! どういうわけか、いつも俺は真里の手弁当を食べることに『なっている』から、最初から弁当が作られていなかったのか!
 とりあえず、真里にフォローを入れないと。

「あ、いや、ごめん! 何か寝ぼけてたみたいだ。もちろん真里の弁当を食べたいさ! ははははは!」
「そう? ありがとう。じゃあ、いつものところに行って、食べましょ?」

 こんな可愛い子とこんな関係になっていたのか、俺。ナイスだ、ヒプノちゃん!
 その後のランチタイムは至福の時間となったのは言うまでもない。さすがに「真里が食べさせてよ」という提案は却下されてしまったが、その時の恥ずかしそうに少し怒った表情の真里がこれまたとても可愛くて、手弁当の味を二倍にも三倍にもしてくれた。味の方は「向上の余地あり」レベルだったが、そんなことはどうでもいい。例えマンガに出てくるような常軌を逸した料理だろうと、真里が作ったものなら喜んで食べてみせるさ!

 試験期間ということもあって、部活動は休み。さっさと帰って試験勉強でもするか…、と靴に履き替えて外に出ようとしたら、外は雨模様に。日中はいい天気だったし、さっきまではただの曇り空だったのに、なんて運のない…。雨が降るなんて思ってなかったから、折り傘持ってきてないよ…。まいったなぁ。

「あら、どうしたの?」

 そんな俺に後ろから声をかけてきたのは真里だった。振り返って、俺は答えた。

「雨振るなんて思ってなかったから、傘、持ってきてないんだよ」
「だったら…、私の傘に入る?」

 ここここれって、かの有名な『あいあい傘』というやつですか!? 死ぬまでに一度は体験してみたいと思ってたけど、まさか本当に体験できるとは!

「いいい、いいの!?」
「いいの?って、今まで何度もやってたじゃない。あ、私の傘に入るのは初めて…かな」

 真里の記憶の中での俺は、そんなこともやっていたのか。それは本当に俺なのか心配になるぐらいだ。

「立ち話しても仕方ないから、早く帰りましょうよ」

 真里にせかされた俺は、真里が広げた折り畳み傘の中に入れてもらった。
 本来なら傘は俺が持つべきなんだろうけど、何となく言い出せなかった。それに、真里と俺は身長差があまりないので、俺が持たなくても不都合は特にないのもあった。
 それにしても、いいなぁ…。朝、並んで登校したのとは違う密着感。傘の下に入らなきゃならないから、当然至近距離になるわけで。耳をすませば、彼女の心臓の鼓動すら聞こえてきそうな気がする。
 逆に密着しすぎて話しにくいせいか、自然と無言になる俺たち。雨がアスファルトを叩く音だけが聞こえてくる。そして、向こうの方から自動車のエンジン音が近づいてきて…、俺がある事実に気づいた時には、もう手遅れだった。

「きゃあっ!」

 車は遠慮なく水溜りを通過し、溜まっていた水は容赦なく真里を襲ったのだ。並んで歩く時は男が車に近い方に立つのがマナー、って何かの本で読んだ気がしたが、浮かれていた俺はそれを失念していたのだ。完全な失策だ。

「ああん、もう最悪…」

 真里が泣きそうな顔で言う。無理もない。真里のスカートや白い靴下には派手に泥交じりの水が飛び、見るも無残な状態になっていた。

「ごめん! 俺が車道側に立つべきだった!」
「いいのよ、あなたが悪いんじゃないわ」

 ハンカチでスカートをぬぐいながら、真里が優しい笑顔で逆に俺を気遣ってくれる。とはいえ、このままじゃまずいだろう。俺は真里に提案した。

「俺の家、もう少しだし、うちに寄って洗濯していった方がいいんじゃないか?」

 後先考えずとっさに口から出してしまったが、よく考えたらかなり大胆じゃないか? 早い話がハプニングにかこつけて女の子を部屋に連れ込むに等しいわけで。下心があると思われたらどうしよう。いや、無いとは言わないが…。
 そうやって一人でぐるぐると思考をめぐらせていると、真里がうつむきがちに答えた。

「うん…、じゃあ、そうさせてもらおう、かな…」

 まじですか!?

「と、とりあえず着れそうなもの全部持ってきたから、好きなの着てよ!」
「う、うん。ありがとう…」

 ちょっと苦笑した真里が、脱衣所のドアを閉めた。うちに若い女の子向けの着替えがあるわけもないので、俺のや母さんのやとにかく着替えに使えそうなものを山のように渡したのだが、急展開で舞い上がっていたとはいえ、少しやりすぎたかもしれない。
 ひとまず、俺はリビングのソファに腰掛けて、真里を待つことにした。
 しかし、これはすごいことになったぞ。おそらく俺に好感を持っている美少女が俺の家に、しかもバスルームにいる。ついでに、母さんはパートに出ていて夜まで帰ってこない。つまりしばらく二人っきり。まさか、これも魔法のおかげ? いや、単なる偶然でもいい。これは千載一遇のチャンスじゃないのか?
 いやいやいや落ち着け俺。急いては事を仕損ずると言うじゃないか。ここで焦って押し倒したりなんかしたら、一気に振られる、なんて最悪の事態も考えられるぞ。第一俺たちまだ若いんだし、まずは健全なお付き合いから…。それ以前に、俺自身に今までの真里との思い出がないのは魔法で何とかならなかったのかなぁ。どこまで関係が深まっているのかわからないんじゃ、対策が立てにくいじゃないか。もうあれもこれも許し合った仲なのかもしれないし。そうだったら最高なんだけど…。
 とりあえず、今日は紳士的に行こう。うん、それが無難だ。

「おまたせ…」
「いや、別に待ってな…」

 かくん。
 リビングにやってきた真里を見た瞬間、俺のあごが力なく落ちた。

 …アナタハナゼニワイシャツヲチョイスイタシマシタカ?

 何十着の服という服を渡された真里が選んだのは、なぜか男物のワイシャツ一枚だけ。そこそこ背丈があるので袖に手が隠れるということはないが、裾からは綺麗な素足が丸見え。紳士的に行こうと決めたばかりの俺の理性を吹っ飛ばすには十分だった。
 上ずってしまう声で、俺は聞いた。

「ああああの、真里さん? 何でそれを…」
「マンガとかでこういう格好喜ばれてるし、それに、着ているところを見てみたいって言ってたから…」

 やはり恥ずかしいのだろう。真里はそう言うなり顔を赤くしてうつむいてしまった。しかし、そんなリクエスト出してたのか、俺。

「やっぱり、おかしかったかな…?」
「そそそそそんなことない! 似合うよ、似合いすぎ! ワイシャツを着こなせさせたら世界一だよ! うん!」

 真里が自信なさそうに言うものだから、思わず俺はわけのわからないフォローを入れてしまった。
 し、しかし、二人っきりの状況でこんな格好されたら、理性を保てるかどうかわからん! というか無理! 早く洗濯と乾燥が終わってセーラー服に着替えてもらうか、その前に普通の服に替えてもらわないと…。
 そんなことを必死で考えていると、いつの間にか真里が俺の横にちょこんと腰掛けていた。

「どうしたの? 考え事しちゃって」

 俺の横でくすりと微笑んだ真里。も、もうだめだ! さらば、俺の理性!

「真里っ!」
「きゃあっ!」

 ばふっ、と音がして、真里が仰向けにソファに倒れこんだ。四つん這いのような姿勢で彼女の体を覆う俺。
 やってしまった…。押し倒した瞬間は無意識だったが、びっくりした表情で俺を見る真里に気づくと、どんどん頭にも背筋にも冷たいものが走り出す。俺は大急ぎで真里に謝った。

「ごごごごめんっ! お、俺、思わず…!」

 と謝りつつも、体を動かさないのでは説得力がないことにやっと気づいた俺は、真里から離れようと体を動かした、が…。

「…いいよ」
「へ?」

 その動きを制するかのように、真里の口からか細く声が漏れた。内容は聞き取れたが、その内容の信じられなさに、俺は裏返った声で聞き返してしまった。

「だから…、あなただったら、好きにして、いいよ…」

 優しく、それでいて真剣な目で俺を見る真里。本気だ。間違いなく本気だ。
 俺はそれに答えるように、そっと真里と唇を重ねた。やり方を知ってるつもりでも、実際にはどうすればいいかわからなかったから、ただ唇を軽く合わせるだけのキス。でも、それだけで心臓がバクバクしてしまう。
 唇が少し離れただけの至近距離で、真里が照れたように言った。

「ありがとう。こんな格好で出てきて、変な子と思われたらどうしようって思って…」
「そんなことないさ。真里みたいな可愛い子がこんな格好してくれるのって、男としてはすごくうれしいから」

 とはいえ、これからすることのためには、せっかく着てくれたワイシャツを脱がさないといけないわけで。俺はワイシャツのボタンを一つ一つ外していった。てっきりブラジャーはしていないものと思ったが、ピンク色の真里に似合った清楚なブラジャーが姿を現してくる。
 どうやら男にとってはありがたいフロントホックではないようで、かといって背中にごそごそ手を回すのも問題がありそうに思えたので、俺は思い切ってブラジャーを胸の上の方にずらし上げた。が、

 ぽろん。

 そんな音が実際にしたわけではないが、まさにその音にふさわしい感じで、ブラの中から柔らかそうな何かが転がり落ちた。

(…これって、パット?)

 男の夢を打ち砕く三大アイテムの一つと言われるあのパットが、よりによって真里の胸から出てこようとは思いもよらなかった。ちょっとショックでかいよ…。
 しかし、その当の本人はいたって平然としているのがよくわからない。普通、秘密を知られたんだから何らかのリアクションがあると思うのだが…?
 でも、真里がパットに頼りたくもなる気持ちもわからないでもない。ブラジャーがずらされてあらわになった彼女の胸は、まさにまな板。最近の発育のいい小学生にすら負けてしまいそうな感じだ。やはりここは、彼女のコンプレックスも全て受け止めてあげるのが男の道だろう。うん、俺って心が広い。
 頬にキスをしながら、俺は右手を真里の下半身の方に這わせていった。そして、ワイシャツのボタンが外されてあらわになっているブラと同じ色のパンティの中に手を入れていく。

「…あんっ」

 俺の指先が何かに触れると、真里が小さな声を漏らした。
 いやしかし、女の子のここって、思ったより色々な物があるんだな。この触っているうちにどんどん大きくなってきたのは、クリトリスというやつかな。へえ、意外と大きくなるんだ。それにどんどん硬くなってきたし、大きさも片手で握れるぐらいに…。

 ……?

 この硬度と握り具合には非常に覚えがあるのは気のせいだろうか? まるで、自分の体にもあるような…。
 俺はがばっと真里の顔先から離れ、真里の下半身を確認できる位置に移動した。すると、真里の女の子女の子したピンクのパンティの中に、『何か』があるのがよくわかった。
 嫌な予感がする。しかし、俺はその禁断の地を確認せずにはいられなかった。
 パンティに手をかけて、ゆっくりと下におろしていく。そこに現れたのは…。

「……………が」

 あってはならないものをそこに見つけた俺は、ショックのあまりたった一音しか発することができなかった。もしかしたら、今頃髪は真っ白になっているかもしれない。
 そこにあったのは、サイズこそ違えど俺に付いている物と全く同じものだった。つまり男性器。胸がまな板なのも当然なのだ、最初から男なのだから!

「ああっ…、見られちゃった…。恥ずかしい…」
「………見られちゃった、じゃねえよ! どういうことだよ、これは!」

 我に返った俺は、怒鳴り声を上げながら、真里の肩をつかんで乱暴にゆすった。

「どういうことって、ねえ、どうしたの? 何か怒らせるようなことしちゃった?」
「何でなんだよ! 何で男なの黙ってたんだよ!」
「黙ってた、って、どうしていちいちそんなこと言わないといけないの?」

 真里が奇妙なことを言い出した。逆ギレしているようには見えない。むしろ、俺が真里が男であることに怒っていることを奇妙に思っている感じだ。しかし、奇妙なのは俺じゃなくて真里の方だ。
 第一、男のくせにセーラー服で登校するなんて…。

「だってうちの学校、男子校じゃない。男の子しかいないの当たり前でしょ!」

 真里のその言葉で俺は全てを悟った。ヒプノちゃんの魔法は男子校を共学にしたんじゃなく、男子校の半分の生徒を女装させただけにすぎないのだと。そう理解すると、俺の頭はどんどん真っ白になっていく。今日やってきたこと全てが、次々と俺の心に致命傷のダメージを与えていく。至福だったはずのあれもこれも、全部が…。
 よく見れば、俺がさっき揺さぶったせいで真里の髪がずれている。おそらくかつらなのだろう。胸も偽物なら、髪も偽物だったのか。
 それに、髪がずれたことで今さらながら気がついたことがある。そうなのだ。隣の席の小原の名前は「真里夫」だったことに。そうか、小原って眼鏡を取るとこんなに可愛くなるんだ…。マンガでよくあるよな。ああ、ショックが大きすぎてわけがわからない。あは、あはは…。

「ねえ、どうしたの? ねえったら」
「だめだ…、いくら可愛くても俺にはできない…、あはははは…」

 突然怒鳴ったかと思うと急に黙り込んでぶつぶつとつぶやきだしたそんな俺を不思議そうに見ていた真里、もとい小原は、ぽんと手を合わせて明るく言った。

「そうだ、もしかして攻められる方が萌えるのね!」

 ちょっと待て、今のやりとりでどうしてそうなる! 
 身の危険を感じた俺はその場から逃げ出そうとしたが、ショックのあまり腰が抜けてしまってうまく立てない。這って歩くのが精一杯だ。

「なんだ、言ってくれれば良かったのに。大丈夫☆ 痛いのは最初だけ、ってマンガにも描いてあったから♪」

 お前、普段どんなマンガ読んでるんだよ! と心の中で思わず突っ込んでしまったことで隙が生まれてしまった。小原は俺の腰を背後からがっしりとつかみ、てきぱきとズボンと下着を脱がしていく。だめだ、逃げようにも力が出てこない…。
 俺は、最後の力を振り絞って、空に向かって叫んだ。

「そんなのってないよ~~~~!!」

< ギャフン >

 やれやれ、今回は大変でしたの。ヒプノは洗脳魔法しか使えないから、学校の関係者さんをみんな洗脳するのに、時間がかかってしまいましたの。でも、おにいさんが「女の子に限る」とは言いませんでしたから、その分手間が省けて助かりましたの。
 大丈夫、愛があれば性別が同じでも問題なしですの♪ おにいさん、お幸せにですの~☆

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