ビッチシステム 1日目夜

1日目夜 サンプル

 玲奈が気がつくと、そこは宇宙だった。
 正確には、暗闇の中、無重力に浮かんでいる様な感覚でたゆたっていた。とはいっても、玲奈の体は動かない。首から下に力が入らない。最初は声を出してみた玲奈だが、今はひとまず僅かに瞬きを繰り返すだけで、どうすればいいのかを思案していた。
 不意に、目の前から光が洩れ出す。次の瞬間には、
「こんばんわぁ、お嬢ちゃん」
 妖艶に右手を振る女……玲奈ですら一瞬息を呑む美貌を有した女が、目の前に立っていた。

「初めまして、あたしはメイア。種族はサッキュバスよ」
「サッキュバス……?」
「あら、知らない?」
 意外、という表情にサッキュバスとは何か、を簡単に説明されたが、玲奈には非常識すぎて理解ができなかった。結局、「まあ今回は関係ないし」と、メイアは説明を打ち切った。
「ところで、あの空間、どうだった?」

「あんた達が子どもを産まなすぎるからよ」
 先ほどまでいた空間が、やはり現実世界を模した「似て非なる」空間であり、現実世界では玲奈達は一時的に「存在しないことになっている」という説明を受けた玲奈。何でそんなところにあたし達を放り込んだのよ! という訴えに対するメイアの答えがこれだった。
「あんたの民族の年齢分布がおかしくなると、人間社会全体に悪影響があってね、当座の対応として子供を増やさなきゃならなくなったわけ。これはそのための実験の一つ。ちなみに、人間の政府とかじゃなくて、もっと上の世界の要求よ」
 玲奈はその説明の意味がほとんど分からなかったが、一つだけ分かったことがあった。
「実験って……」
「そ、実験。女性がたくさんセックスして、子供を増やすためのウイルス類似物の開発があってね。あなた達はその実験台」
 あっさりと答えるメイアに、あっけにとられる玲奈。
「正式名称が長いから、あたしは『ビッチウイルス』って呼んでるけどね、あの世界にはビッチウイルスをばらまいてあんのよ。まあ、少しあたしの趣味で味付けしてあるけど」
「そ、そんなものをばらまくなんて!」
「大丈夫よ、閉鎖空間だし」
 玲奈が怒っているポイントは明らかにそこではないのだが、メイアは意に介さない。

「ウイルスはまだ実験段階で、現実世界にばらまけないのよ。感染力と効果が強すぎて、社会が崩壊しちゃうわ。だから、ウイルスを改良する情報を得るために、少しずつサンプルの人間を投入して、感染前後の行動や症状を観察するのが、あたしのお仕事。そして、今回のサンプルがあなた達5人。ちなみに、あの空間にいるのは、全員人間の形をした人形のようなものよ、あなた達5人以外はね」
「……そんなこと……」
 すでに、玲奈は説明の理解を放棄していた。メイアの説明はあまりにも非常識的であり、犯罪的であり、また非現実的であった。
 玲奈が理解できていないことを察知したメイアは、手短にまとめる。
「つまり、あなた達にこのウイルスに感染して、その後に現実世界でオトコを捕まえて、子供を産んで欲しいわけ。できればたくさん」
「……あり得ないわ! 絶対に嫌よ!」
 その一言を理解した玲奈は、即座に要求を拒んだ。
 レイアはそれを見て、反応を愉しむように追い打ちをかける。
「あーら、オトコとセックスするのって、気持ちいいわよぉ?」
「やめてよ汚らわしい! 第一、そんな怪しいウイルスなんかでそんなことになるわけないでしょう!」
「あら、信じられないというのかしら……」
 ぽぅっと、メイアの右側に画面が現れる。
「これが、何回か前にサンプルになった人間の現在」

 画面を見ると、一組の男女が腕組みをして繁華街を歩いていた。
 玲奈は顔をしかめたが、ふと気づく。自分の学校の制服を着たその少女には……見覚えがあった。

 「会長!?」
 それは、玲奈の学校の生徒会長である神野 葵(じんの・あおい)だった。容姿端麗、頭脳明晰という言葉がよく似合い、人望もあついことで知られる凛々しい少女だ。
 しかし葵は、玲奈が持つそのイメージにそぐわない、男に媚びる表情を浮かべていた。しかも、相手はその少女には到底釣り合うとも思えない風貌の男。葵はその男に「お兄さま」と呼びかけているので、一瞬兄妹なのかと錯覚したが、葵は一人っ子だ。鈴川家と神野家は両親同士に付き合いがある関係で、玲奈も神野家の家族構成を知っていた。
 それに何より、兄妹とみるには、二人の行き先はあまりにも似つかわしくないものだった。

「そんな……」

 西洋風の小城を模した外見の建物に入っていく二人。その場所が性的な行為をする場所であることは、玲奈も知っていた。

 あの会長が、そんなこと……

 玲奈は、目の前に映る映像を……いや、葵がそこで行為に及んでいるということを認める気にならなかった。もしかしたら、葵は部屋の中で、単に愛を語らっているだけなのかもしれない。
 だが、次に映った映像は、玲奈の現実逃避に近いその願望を、あっさりと打ち砕いた。

『気持ち、いいっ! お兄さまのちんちん、マンコにピッタリはまってますっ!』
 そこには、バックから男に貫かれ、僅かに脱色した髪を振る葵の姿があった。

 玲奈は目が離せなかった。あまりの衝撃に、目を逸らすことすら思いつかなかった。
 後ろから貫かれている葵は悲鳴を上げている様にも思えたが、よく見ていると、むしろ葵の方から押しつけているようにも見える。なにより、本人の「気持ちいい」という言葉が、第一印象を否定していた。
 四つん這いから仰向けになった葵は、そのうち自らの胸の頂をつねり、最後には激しく体を震わせた。

 まさか。そんな。
 信じられない、という衝撃と、こんなことを、という軽蔑。
 自らでも測りきれない、複雑で重い感情を引きずりながら、しかし玲奈は、さらに衝撃的な光景を目の当たりにした。

『口で掃除してよ』
『いいですよ……もう少しお小遣いくれたら』
 その言葉に男は、側に置いてあった自分の上着から財布を取り出し、紙切れを1枚手渡す。それを受け取った葵は、男の前に跪き、しなびかけた物体に顔を近づけたのだ。

 援助交際。
 その4文字が玲奈の脳裏にはっきりと浮かんだ。

「この子も実験前は、オトコに対しての抵抗感が強かったけどね。実験でウイルスに感染して、完全に発症したらこうよ。この子はもうウイルスは持ってないけど、頭の中が変わっちゃってるから、もうオトコ無しでは生きられないわね。ちなみに本人はまだ気づいてないけど、もう妊娠してるわ」
「そんな……」
 確かに、今週の月曜日に朝の総会で見た葵は、髪の色が僅かではあるが薄くなっており、大人びているように見えた。しかし、こんなことになっていたとは……。
「フフ、いいわよその反応。今回も、奥手だったり、オトコを嫌悪してたり、恐怖してたり、幻滅してたり、不感症もどきだったりするあなた達がどうなるか見たいんだから。
 逃げるならそれでも良いわ。期限は7日、もう1日過ごしたからあと6日よ。その間に発症し切らなければ、ウイルスを抜いてそのまま現実社会に戻すわ。そういうサンプルも必要だし」
 玲奈は無反応だったが、やはり意に介さず、メイアは続ける。
「ちなみに、あの閉鎖空間での行動時間は午前8時から日没までにしてあるわ。日没になると強制的に居住用の閉鎖空間に飛ばされるわ、この亜空間を経由してね。居住空間にはあなた方各自の私物と同じものも置いてあるから、好きに使ってちょうだい。一人暮らしで、サンプル同士の交信はできないけど、その代わり人形とかも絶対でないから安心しなさい。あと、ちゃんと身だしなみを清潔にして次の朝に臨みなさい。午前8時になると強制的に前日の日没にいた場所に飛ばされるからね――」

 メイアと名乗った、露出度の高い女の人は、一通り沙奈達の置かれた状況を説明した後、夜の居住空間について説明してくれた。その環境は、聞く限りでは昼間の過酷な状況と比べれば遙かに心地の良いものだった。
 宇宙空間のようなところで、沙奈は浮かびながらメイアの説明を聞く。
「昼の閉鎖空間では多分ご飯が食べられないから、居住空間で十分に食べておきなさい。そのほか必要なことはおいおい説明するわ」
 その説明で、沙奈は昼食を食べていないことを思い出す。そして気がつくと沙奈は、ダイニング風の部屋に座っていた。目の前には、今さっき出来上がったと思しき夕食が既に配膳されている。

 周りには誰もいない。玲奈もいない。目の前の料理に手を出してよいものか迷ったが、自覚した空腹に勝てるとは思えず、
「……いただきます」
 と挨拶した後、目の前に置いてある箸に手を伸ばした。
 よく見るとその箸は、自らが自宅で使っているものだった。長さや柄だけでなく、傷や塗装のはげも同じなので、何らかの方法で持ち込まれたものなのだろう。
 沙奈はいつも通り、左手で茶碗を持ち上げて、いつもより少しだけ多めにに盛られた白米を口に入れる。
「……おいしい……」
 よく噛んで呑み込んだ後に発されたその感想は、静かな部屋の中に空しく響いた。

 手早く夕食を終えた留香は、風呂に入る前にじっくりと部屋を観察することにした。フランスパンとシチューを基本とした夕飯は確かに美味しかったが、満腹となった今は自らの置かれた状況を打開するヒントを得ることが一番大事だった。幸いにも、食器はダストシュートに放り込むようにとの指示板が置かれており(ご丁寧にも「食器は洗浄後再利用されます」とも書かれていた)、洗い物などを気にする必要はなかった。
 部屋はダイニング、寝室、風呂・お手洗いで構成されている。横に窓はない。天窓はあるが、手が届かないし、見るからに開閉できそうではなかった。なぜか玄関は寝室のそばにあったが、こちらも予想通り扉は開かないし、鍵の構造も見あたらない。この部屋に飛ばされたときに、履いていたはずのローファーが無くなっていたが、玄関の靴箱を開けても靴は一つも置いていなかった。寝室はダイニングより広く、リビング代わりに使用するべきなのだろうと理解した。
 寝室には化粧台が置かれており、その前には留香が普段から使っている化粧セットが置かれていた。中身を確認すると、その内容と減り方から明らかに留香が今朝使用したものだった。隣には眼鏡ケースも置いてあった(眼鏡拭きは制服の胸ポケットに入りっぱなしだったが)。普段は風呂に置いてある化粧落としも置かれており、入浴の際に持っていこう、と心の中で確認した。
 次にクローゼットを開ける。と、ぽわぁっ、と青い光に一瞬照らされ、気が遠くなる様な感覚に襲われる。
 しかし次の瞬間には正気を取り戻し、改めてクローゼットを見ると、そこには何着かの寝間着がぶら下がっていた。いくつかは留香が普段使っているパジャマだった(なぜか冬物も夏物も全部ある)が、
「……」
 残りは留香の見たことのないものだった。取り出してみると、露出が多かったり、透過性があったり、明らかに異性を誘うためのものも見受けられた。
「……」
 留香は呆れた様子でそれらをクローゼットに戻し、普段使っている冬物の寝間着を取り出す。足下にはランジェリーボックスのようなものがあり、開けてみると、こちらにも留香の持ち物と、派手な下着が並んでいた。こちらからも自分が普段から使う下着を選択する。

 着替えを一旦ベッドの上に置き、留香は屈んでクローゼットの横にある隣の据置戸棚に手を伸ばす。その家具は両側開き戸のタイプで、開けると3段の収納スペースがあった。だが、
「……っ!」
 下の段に置かれていた物体に、留香は固まった。

 そこには、ピンク色を中心とした細長い物体。小さい球形が連なった物体。小さいクリップとコントローラーが電線で繋がった物体。それらは全て、「性具」と呼ぶべき物体だ。
 しかし、留香が最も驚いたのは、その左端に置かれたピンクの卵形の物体。
 それは明らかに、留香が密かに通販で購入したものだったからだ。

 留香は処女ではない。3年前に、当時交際していた男子生徒と数える程度だが関係を持ったことがある。
 留香が現在通っている学校は高等部までの一貫校だったが、留香は高等部からの転入組で、それまでは共学校に通っていた。留香はその男子生徒は特段好きだったわけではなかったのだが、交際すること自体への科学的な興味が勝り、性行為もその成り行き上のことであった。
 結果として、留香は数度の行為であまり気持ちよくなることはできず、そのまま男子生徒との関係は自然消滅した。留香がバイブを購入したのはその数週間後のことだった。これもやはり性的な欲求というよりは、科学的な興味が先に立ったためだ。もっとも、2~3度使用した後に押し入れにしまいっぱなしになったという結果からみて、嵌るような感覚ではなかったのは確かなようだった。そもそも、最後に指で自慰をしたのも1ヶ月以上前のこと。自分は性的な感覚と相性が良くない、というのが留香の分析だ。
「……」
 留香は黙って扉を閉じた。
 自らの私生活を完全に知られていることを察し、言いようのない怒りがこみ上げてきた。

「ふぅ~、良い湯だ」
 湯船に浸かった恵は、一瞬だけ自分が置かれている状況を忘れ、湯の温かさに身を委ねる。
 『着替えは寝室のクローゼットからお持ち下さい』との案内に従って着替えを引っ張り出し、着ていた服は洗面所のダストシュートに放り込んだ。湯は既に用意されており、身体を洗ってすぐに入ることができた。
 一通り暖まった後、メイアに言われたことを思い出す。
「男か……」
 神野葵という生徒のことは、恵も知っていた。当時はまだ副会長だった葵と、部長だった恵は何度も話したことがある。その時の様子は、先ほど見た嬌態とはかけ離れていた。

 葵の行っていることは、許されないことだ。とはいっても、彼女を責めることには全く意味がない。その行為がメイア達の実験によってもたらされたことは明らかだったからだ。メイアの行為こそ、全く許し難いものだった。
 だがそれはそれとして、「男と関係を持つ」ということに関しては、恵には別の思いがあった。

 恵は処女だ。男性経験がないどころか、自慰やキスすらも一度もしたことがない。
 高等部までの女子一貫校に所属していた恵は、大学も女子大を選んだ。大学に進学してからは友人に誘われて何度か合コンもした。そこそこの顔つきだとは自覚していたが、何よりもFカップを数える巨乳は男性にとってはとても魅力的だったらしく、その結果として2人の男性と交際に至ったこともある。
 しかし、親からのしつけが厳しかった恵は、男と深い関係に踏み込むことがどうしてもできなかった。興味がないわけではなかったが、相手がそれを求めていることを察知すると、そうしても身体が凍り付いてしまったのだ。
 交際していた男達はその反応に焦れ、結局いずれも3ヶ月経たずに別れることとなった。恵は申し訳ないと思うと共に、2度も性的な問題で交際を解消されたことで、男性に幻滅を感じたのも事実だった。
 その結果、今は彼氏はおらず、合コンもしばらくご無沙汰になっている。
「…………」
 あのウイルスに感染するのは御免だ。しかし、もしあの完全感染者の1割、いや1%だけでも自分に積極性があれば、自分の大学生活は違うものになっていたかもしれなかった。
 そんな意味のないことを考えながら、恵の風呂は2時間にも及んだ。

「ふぅ……あぁ……」
 長い風呂を終え、髪と肌の手入れを入念にこなした凜は、ふと眠気を感じ、大きなあくびをする。
 寝室にかかった時計を見上げる。普段ならば寝るにはまだ早い時間だったが、時間を潰すものが何もない上に、異常な出来事の連続で気疲れもしていたのだろう。考えなければいけないことは山ほどあるが、メイアの言葉を信じれば午前8時には強制的にこの部屋を引きずり出される。早めに休んだ方が良さそうだった。
 ありがたいことに、枕は凜が使用している私物が置かれている。枕が変わると眠れないタイプの凜は、メイアに思わず感謝してしまった。もちろん、一瞬の後にメイアが自分達にした仕打ちを思い出し、その感謝は取り消されたのだが。
 そして凜のショートの髪は幸い、乾くのも早い。寝転がっても大丈夫だと判断し、普段着のパジャマを身にまとった凜は、枕元にある時計でめざましをセットした後、電気を消して、用意されていたベッドに潜り込んだ。

 しかし。

(やっぱり……)
 身を横たえた凜は、お腹の奥に熱い「もやもや」があることを認識し、そのままでは眠れないことを悟る。
 最初に思い浮かんだのは、夕方に完全発症者の女性に襲われたことだった。あのとき、誰も気づいていなかったようだが、自分の唇に相手の唇が触れた感触があった。日没で気を失うまで誰にも言えなかったが、もしかしたらその際、ウイルスに感染したかもしれない。だから、この部屋に飛ばされて、まず最初にしたことは丁寧なうがいだった。

 しかし、今抱えているもやもやは、それとは関係ないものであることは分かっていた。それは、次に来る衝動の前触れだ。
 凜は処女ではない。正確には、処女膜がない。ある日の自慰で、誤って自分の指で破いたからだ。お腹の奥のもやもやを性欲の発露であると理解し、自らの股間に手を伸ばした日から、その行為は凜の習慣であった。
「はぁ……」
 大きな溜息が漏れる。当初は、衝動を我慢した日もあった。しかしその日の眠りは大抵浅く、酷いときには淫らな夢を見て、翌朝に下着を取り替える羽目になることもあった。それ以来、凜は自らの衝動に抗うことを諦めた。
 3日に2回。凜の自慰の頻度は概ねその程度だ。修学旅行でも、同性の友達と泊まる日にも、その衝動は構わず襲った(そのときはさすがに無理をおして我慢したが)。そして昨日はその衝動がなかった。今日、その衝動が来ないはずはなかったのだ。
 こっそりと快感を愉しむことに慣れきった頃、男性経験の無いまま処女膜を破ってしまったその日は、さすがに泣きはらし、その手は止まった。しかし、翌日の衝動にはやはり耐えられず、激しい絶頂を迎えた後、そんな自分に強い嫌悪を覚えたのだった。

「しないと……」
 義務感とも諦めともつかないその一言を漏らした凜は、パジャマの上からそっと、自らの左胸に触れる。肌着を着けていないその胸は、先端の尖りかけた感覚を凜の右手に伝えた。
 数回、その感覚を右手が味わうと、「もやもや」ははっきりと衝動に形を変える。その衝動に引きずられるように、凜の左手はパジャマのボタンを開けていく。
「破廉恥な……」
 自分に言い聞かせるようにつぶやいたその言葉は、しかし自らの胸を直接触れる合図だった。
「…………ぅっ」
 パジャマの中に右手を滑らせ、左側の丘をくすぐる。自らを焦らすようなその動きの後、頂を摘むと、
「んっ!」
 ぴくん、と体が震える。その震えが、いつもの凜の「スイッチ」だった。(あ……破廉恥に、なる……)
 体が震えると同時に、衝動が脳を犯し始める。そうなれば自分が快感に飢えた獣に転げ落ち始めることを、凜は知っていた。
 凜はパジャマの左側をはだける。電気がついていないので視認はできないが、もし電気がついていたなら、凜のCカップの左胸は完全に露出していることが分かる状態だった。
 凜の右手は左胸をなで続け、続いて左手が左胸を請け負う。その途端、右手は右胸に移動し、両胸が快楽の餌食になる。
(ダメ……このままじゃ……)
 凜はなけなしの理性をかき集め、ベッドから上半身を起こす。足下には、洗面所から持ってきていたタオルが置かれていた。それを腰の下に敷き、同時に下半身のパジャマとショーツを膝まで下ろす。それは、身につけたものとベッドを汚さないようにする、凜の学習の成果だった。
「よし」
 そうつぶやいた凜の表情は既に、自らの性欲に支配されつつあった。

「あっ……いぃ……ぃぃ……」
 寝転がってすぐ、凜が股間に触れると、既にじんわりと愛液がしみ出していた。僅かに擦るだけで愛液があふれ出したことで、凜はタオルの準備が間一髪だったことを知る。
 そのまま凜の右手指は秘裂を擦り続ける。それは、凜が理性をかなぐり捨てるために必要な儀式だった。
(理性、10…………9…………8…………)
 催眠術のカウントのように、頭で数を数える。その儀式は、凜が処女膜を破った数日後から必要になった。
 つまり凜は、自分の膣内を犯すことに、興味を持ったのだ。
 しかしそのためには、自らが自らの処女膜を破ったことを認めなければならない。その壁を越えるために、(形だけでも)理性を全て無くすという儀式が、どうしても必要だった。
(7…………ろく…………ご…………)
 頭で数を数えながら、秘裂を激しく刺激する。その刺激で、頭が白くなっていくのを、凜は自覚する。凜のそれは技術もない催眠術もどきに過ぎないが、その感覚は催眠術もどきが今のところうまくいっている証しだった。
(よん…………さん…………に……………………)
 足りない、足りない、とまだ消えきっていない理性が訴え、凜はカウントを止める。普段と環境が違うからか、まだ快感に入り込み切れていない気がした。
 仕方が無く、凜は左手で右乳首を擦りあげる。
「んんんんんんっ…………いちっ…………」
 今だ。凜は右手指で、クリトリスを押し潰した。
「はぅっ………………ぜろっ…………んふぅぅぅっ……!」
 人差し指、次いで中指が、無事に凜の体内に侵入する。
「ここが、気持ちいいっ…………」
 それを終えた凜は、理性を完全に失った演技をする。恥部を「ここ」としか表現できないことが、その演技の限界を示していたが、それは凜にとってどうでもいいことだった。今理性が戻ってきてしまっては、嫌悪感に苛まれることが確実だったからだ。
(ああ、もっと、もっと……)
 その欲求に応え、右手は股間を、左手は両胸を、それぞれ犯し続ける。
(オナニー大好き……)
 頭の中にその言葉を思い浮かべる。何も嫌悪感がない。
 ここまでくれば、もう大丈夫だった。後は、いやらしいことを思い浮かべながら、お腹の中に積み上がっていく熱が、爆発を始めるのを待てばいい。ここから絶頂までが、凜にとって最も「気持ちがいい」時間帯だった。

 頭の中に、自分が気になっている男子生徒が思い浮かんだ。他校の生徒で、先日交際を申し込まれたが、保留にしている。校則で不純異性交遊が禁止されているので、交際は卒業後にすべきではないか、と思い悩んでいたのだ。その上、凜は処女ではない。別の男との交際であればまだしも、処女でなくなった理由が話しにくい。そのことが悩みを複雑にしていた。
 しかし、妄想の中では、いくらでも犯されることができる。

「高橋君っ……ああっ! 気持ちいいっ!」
 そう口に出した途端、自らの股間に差し込まれているものは、高橋君の肉棒になった。
 高橋君の肉棒は、激しく凜の膣内を蹂躙する。
「ああ、そこ、もっとっ!」
 じゅぶじゅぶ、と凜の股間が音を立てる。その音が高橋君によって立てられたものと錯覚した凜は、自らが犯される感覚に陶酔していく。
 不意に。
「あっ!」
 熱の爆発が始まった。そのまま、凜は駆け上がる。
「イクっ! イクっ! イクっ! いくいくいくいく、いく、いく、いく、いくっ」
 イキ方は決まっていた。左手が右乳首を、右親指がクリトリスを、人差し指と中指が膣内の気持ちいいところを、勝手に狙う。
 同時に、押し潰す。
「…………っ!!!!! ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!」
 最後の声は、いつもかみ殺す。
 この声だけは、別の部屋にいる両親に、聞かれる危険があったから。

(朝、シャワー浴びないと……)
 嫌悪感の後片付けと身支度を一通り済ませたのは、絶頂から実に30分後。
 凜は今度こそ、深い眠りに落ちる態勢を整えたのだった。

 目を覚ました沙奈は、天窓から日が差し込みつつあるのを見て、朝が来たことを知覚する。昨日起こったことがタチの悪い夢であることを心の底から期待していた沙奈だが、目の前に広がった光景は厳しい現実を示していた。(お父さん……お母さん……)
 言葉を発する気力もない。発したところで独り言にしかならない。重い腰を上げ、まずは着替えることにする。
(……クローゼット、なのかな)
 昨夜にクローゼットを開けた際には、寝間着しか入っていなかった。昨日着ていた制服は、指示板に従ってダストシュートに丁寧に投入した。指示を信じるならば、制服は返ってくるはずだった。
 若干の不安と共に、クローゼットを開く。青い光が目に入り、気が遠くなった気がしたが、すぐに気を取り直す。
(そういえば、昨日開けた時もこんな感じになったな……)
 そんなことを思い返しながら、沙奈はクローゼットの扉に付いた姿見に、一枚の紙が貼ってあることに気づいた。

『へいさ空間はあつさもさむさも感じないようになってるから、
 上着は用意しなくていいわ

               メイア』

「ヘッタクソな字」
 張り紙を見た恵は、思わずそうつぶやいた。どうやらメイアは、日本語を書くのが下手らしい。ここまで酷いと、むしろ話す方が流暢なのは何故なんだろう、と余計なことを考える。
 張り紙を剥がしてゴミ箱に入れ、恵は洋服選びに戻る。3分考えて、自前の服の中から、パーカーとジーンズを基調としたスタイルに決める。昨夜に学習して、右側に掛かっている服を見る必要がないと見切っていた。自分の持ち物でない服は、どうせ扇情的なものしかない。
「よし」
 姿見の前でポーズを取り、今日一日を乗り切れるように祈る恵だった。

 昨日と同じ冬服を着込んだ玲奈がダイニングに向かうと、昨夜と同様に朝食が用意してあった。
 トースト、ハムエッグ、サラダ、コーヒー。
 いつもと同じメニューの朝食は、しかしトーストが半枚分だけ多く盛られていた。

『昼の閉鎖空間では多分ご飯が食べられないから、居住空間で十分に食べておきなさい』

「いただきます」
 メイアの説明を思い出した玲奈は椅子に座り、少し苦労しながらもメニューを完食した。

 制服を身につけた凜は、時計を見上げた。朝にシャワーを浴びるのはいつものことだし(それが自慰の後始末であるとは誰にも言えないことだが)、むしろ上着を着なくて良い分、昨日より身支度が少ない手間で済んだため、少し時間を持て余すかと思った。しかし、時計はすでに午前8時まで数分の時刻を指していた。やはり、慣れない場所での身支度だった分、時間が余計にかかったようだ。
(そう言えば、靴……)
 身支度はできているが、靴がない。そう思って玄関を見ると、靴箱から青い光が漏れていることに気づいた。
 靴箱に近づいて、扉を開ける。青い光で一瞬目がくらんだが、そこには数足の靴が並んでいた。
 右の方にはなぜかハイヒールなどもあったが、凜は左から二番目のスニーカーを選択する。形からして、凜の私物だった。向こうでは逃げ回らなければいけないのだから、活動的なものの方が良い。
(ここで待ってればいいのかな)
 凜は玄関に立ち、開かない扉の前で、その時刻が来るまで心の準備に集中した。

「大事なことを言い忘れてたわ」
 居住空間から活動空間に飛ばされる途中の空間で、留香はメイアと顔を合わせることになった。
 昨夜のメイアも胸元をはっきり露出した扇情的な格好をしていたが、今のメイアは全裸だった。留香の視線に気づいたのか、メイアは「さっきまでオトコと寝てたのよ」という不要な情報を提供する。
「向こうで情報が必要な時は、オンナに声をかけると、答えてくれることがあるわ。オトコは絶対に答えないから、話しかけるだけ無駄よ。答えるのはセックスのお誘いをした時だけ。あと、たまにテレビなんかも役に立つかもしれないわ」
 こちらの方はとても重要な情報だった。向こうでは、おそらく隠れ場所を探さなければいけないと思っていたので、そういった情報を得られる手段があることは大事だ。
 留香は雑言を呑み込んだ。昨夜に見つけたものを含め、メイアへの文句は積もりに積もっていたが、メイアは重要な情報を提供してくれる唯一の存在だ。機嫌を損ねられたらたまらない。
「情報をくれるとは言っても、本当の味方はあなたを含めた5人しかいないから、仮に誰か感染しても、仲良くしてやりなさいよ。これまでの実験で、前半に仲間割れをしたグループは全部、全員完全発症しているわ。1週間は長いわよ」
 そのアドバイスは留香が昨夜考えていたことと同じだった。昨日得た情報が正しければ、仮にウイルスに感染しても、完全発症しさえしなければ快復する。自らが感染するリスクはあるが、仲間の数がこれから増えることはないのだから、感染した者を安易に追い出すのは愚策だというのが、留香の結論だった。
「じゃあ、頑張んなさい。ふわぁ」
 あくびと共に、メイアは留香を送り出した。

< つづく >

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