つい・すと 昔話2

昔話2 俺と千晶

「ちーあーきー。あーそーぼー」
 俺と千晶との最初の記憶といったら、この言葉だ。それこそ、公園で会う度に言っていた。
 そしてたいていの場合、俺と千晶は砂場で遊んでいた(稀にマコトも加わっていたが)。千晶が黙々と砂で山を作り、俺がひたすらにトンネルを掘った記憶が、おぼろげながら残っている。
 当時の千晶は無口で、言葉を発することはほとんど無かった。マジな話、千晶の声を初めて聴いたのは、小学校に入ってクラス内で自己紹介をしたときだ。

「こうの、ちあき、です。みんな、なかよくしてね」

 とかなんとか、そんなことを必死に言っていた気がする。ころころ、と鈴を鳴らすような声だった。
 ただ実際は、あまりに大人しすぎることが災いして、千晶は休み時間中、一人でいることが多かった。昼休みにグラウンドに出ても、千晶は一人、ジャングルジムに腰掛けているのを良く目にした。
 俺はそんな千晶が気にかかり、マコト達と遊んでいても、ふらりとジャングルジムを訪れることが多かった。そして、俺が千晶を気にしてジャングルジムの中に入ると、決まって千晶は「おとうさん、おかえりなさい」と言った。ジャングルジムの中では、俺が「おとうさん」で、マコトが「おかあさん」だった。
 そんなままごとは、小四になって叶が千晶と同じクラスになり、千晶を連れ回すようになってすら、たまにやっていた。

 大人しくて、お世辞にも社交的とは言えない千晶だったが、……いや「だからこそ」と言うべきなのか、千晶は本が好きだった。小三までは、休み時間に千晶がジャングルジムにいなければ、学校の図書室にいると思って差し支えないくらい、千晶は図書室にも入り浸っていた。当時から三つ編みだった千晶が、図書室で本を読む姿は、恐ろしいほどに様になっていたのを覚えている。
 きっとそのせいなんだろうと思うけれど、千晶は想像力が高かった。おかげで、千晶と話していると、「ふしぎな世界」に連れて行かれることが多かった。「もし○○だったら」という例え話で、どこまでも話をすることができたのだ。

 こんな覚えがある。

 確か、小五の冬休み直前だったと思う。俺と千晶は音楽室の掃除当番だった。普段なら他に三人の当番がいるのだが、風邪が大流行して三人とも欠席したせいで、俺達二人だけで掃除をする羽目になったのだ(余談だが、翌日から学級閉鎖になり、そのまま冬休みに突入した)。
 あのときのお題は、もし俺が音楽の先生だったら、だったと思う。千晶との話の中では、それほど突飛でもないお題だ。確か千晶は、俊ちゃんが先生だったらみんな楽しいと思うよ、とか、マコちゃんを贔屓しそうだとか、そんなことを連想していた気がする。
 そこで、ふと思い立った俺は、思いつきで、確かこう聞いた。「俺が音楽の先生だったら、千晶は誰なんだろ」と。

 その時の千晶の答えは、良く覚えている。
 少し下を向いて考えた千晶は、顔を上げないまま、ぽつりと、
「……あたしは、ピアノかなあ」
 と言ったのだ。

 俺はその理由を千晶に聞いたが、千晶は何も答えなかった。

 きっと、今の俺達だったら、その答えはもっと卑猥な連想を前提にしただろう。しかし当時の俺達は、今より遙かに純粋だった。だから、千晶のその言葉の真意も、とても純粋なもの。

 ――あたしは、俊ちゃんがいるから、音を奏でられる。

 今から思えば。
 千晶が自分をピアノに例えたのは、とても遠回しだったが、アプローチを飛び越えて、ほとんど告白に近い言葉だった。
 ただ残念ながら、当時の俺はそれに気がつくほどの知能を持ち合わせていなかった。もっとも、その頃は既に無意識ながらマコトに惹かれていたので、気づいていても気づかないふりをしてしまったかもしれないけれど。

 俺が千晶の想いに気づいたのは、マコトに振られてすぐのことだった。
 マコトに振られた直後、俺は千晶の部屋で声を上げて泣いていた。本当は「直後」ではなく、一日かそれ以上後の話のはずだが、俺の記憶では直後ということになっている。その間の記憶が何一つ残っていないからだ。
 電気もつけていない千晶の部屋で、(マコトからカミングアウトされたこと以外の)全てをさらけ出して、俺は崩れた。千晶は俺が泣いている間、ずうっと、俺の側に寄り添って座っていた。千晶は、何も言わなかった。ちょうど、砂場ではしゃいでいた俺に無言で付き合っていた時のように。
 いつの間にか、太陽は地平線の彼方に沈んでいた。名残の夕焼けも消えかかった頃、俺はやっとの事で泣き止んだ。そこで俺は、やっと隣に千晶がいることに気づいた。
 俺は何となくほっとした。そして、一言漏らした。

「やっぱり、持つべきものは『もう一人の親友』だな」

 その時。
 千晶は、一瞬だけ。
 暗い部屋の中でも分かるくらい、ものすごく――傷ついたという顔をした。
 あたかも、千晶の繊細な心の一部が、鋭利なナイフで切り落とされたかのように。

「……ありがとう」
 そう言った時、千晶は何事もなかったかのように笑顔を形作っていた。しかし、その直前の一瞬は俺の目に焼き付いていた。

 家に帰った俺は完全に精神が摩り切れ、翌日から熱を出し、学校を休んだ。

 最初の一日は、本当に何も考えられず、ベッドで寝ていた。千晶のことが再び頭に上ったのは、二日目の夜になってからだ。
 最初は、意味が分からなかった。しかし、千晶との思い出を最初から思い返し、だんだん、その意味がはっきりとした形として浮かび上がった。

 なぜ、本が好きだった千晶がわざわざ何もせずにジャングルジムにいたのか。なぜ、中学生になって周りに冷やかされても、千晶は俺の側にいたのか。なぜ、俺が二人目(「もう一人の」)扱いをして、千晶が酷く傷ついたのか。

 それは、千晶が俺に恋をしているから。
 そう考えれば、全てのつじつまが合うような気がした。

 風邪から快復した当日、千晶は何事もなかったかのように、俺と一緒に登校した。
 俺は、「ゴメンな」と言った。千晶は、「何のこと?」と首をかしげた。
 それが千晶の思いやりだと気づくくらいには、当時の俺も成長していた。
 俺は、「ありがとう」とだけ言った。

 千晶は辛抱強かった。俺がマコトとのことを引きずっている間、千晶は何も言わず、俺の側に居続けた。
 千晶の想いに気づいた俺は多分、そのけなげさに惹かれつつあったのだと思う。ただ、マコトへの想いを割り切り、立ち直る前に千晶の想いに応えることは、誰に対しても不誠実な行為でしかなく、不可能だった。千晶には申し訳ないと思っていたが、おそらく千晶もそのことを十分に理解していたのだろう。
 結局、俺が立ち直るまでには一年かかったが、その時間は結果的には、俺と千晶の関係に明確な進展をもたらした。俺が同性愛を理解し、マコトを吹っ切ったあの日、即座に、「俺は千晶と付き合うのだろう」という確信があった。その確信は間違いなく、時間をかけた心の準備の賜だった。

 翌日から、俺と千晶との間に流れる空気は明らかに変わった。俺の意識が千晶に伝わったのか、恥ずかしがりながらのスキンシップも少しずつ増えていき、「親友以上、恋人未満」の関係を築いていった。

 ただ、個人的にはまだ、もう一つ解決しなければいけない問題があった。
 甘酸っぱい恋愛の話としてはあまりにも下品なのだが――マコトとの関係を割り切っても、マコトの肢体はまだ俺の性欲の対象だったのだ。有り体に言えば、俺はマコトで「抜く」のをまだ止められていなかった。
 これは、内容が内容だけに本当に誰にも言えなかった。千晶やマコトには、俺が立ち直ったことを伝えていたが、千晶との関係にそれでも踏み込めなかったので、二人は不思議に――もっと言えば不満に思っただろう。しかし、俺にとっては大事な問題だった。

 結局、マコトが性欲の対象から外れたのは、中三になり、俺の中でマコトがはっきりと「男友達」のくくりに入ってからだった(念のためだが、マコトは身も心も女で、「男友達」というのはあくまで俺にとっての扱いだ)。マコトを同性としてくくったおかげで、体が反応しても心が反応しなくなり、マコトで抜けなくなったのだ。それを自覚した俺は、やっと千晶にアプローチする決意をした。
 ただ今度は、あまりに千晶を待たせすぎたために、千晶の方が簡単に応じてくれなくなった。てっきり千晶が心変わりしたのかと思って焦り、さらにマコトに煽られて二重に焦った。手段に窮し、俺はマコトにアドバイスを求めた。

 マコトのアドバイスはこうだった。
「クラスのみんなの前で告白すれば、ちーも断らないと思うよ」
 それに乗せられた俺は、夏のある日、帰りの会で手を挙げて、言った。

「河野 千晶さん、俺と付き合って下さい」
 おおっ、と声が上がる中、千晶は「よろしくお願いします」と頭を下げて、晴れてカップルになった。

 後で分かったことだが、実際には千晶はどうやら拗ねていただけだったらしい。しかも、わざわざマコトと共謀して、マコトに俺を煽らせていた。つまり、俺がクラスのみんなの前で告白させられたのも、仕組まれたことだったのだ。

 ――意外に図太いな千晶、と思ったのは内緒だ。

 正式に付き合いだしてから、関係の進展は早かった。言うまでもなく、俺は男子中学生だった。デートもそこそこに、身体の関係に踏み込んだ。付き合ってすぐに夏休みに入ってからは、千晶の生理の日を除いて、ほとんど毎日ヤリまくった。二人とも志望高校の合格には余裕があったのも幸い――もとい災いした。俺は夏休みで、千晶の身体を隅から隅まで味わい尽くした(今でも飽きたわけではないぞ!)。比較的早熟だった千晶の身体は既に完成に近づいており、ひいき目でなくとも魅力的だった。当時なけなしの小遣いで買ったコンドームを、何箱空にしたか分からない。
 千晶も最初は特に積極的というわけではなかった(むしろ退き気味だった)が、女の悦びを覚えてからは全く拒まなくなった。……今でも決して自分から口に出そうとはしないが、千晶は実は、見かけによらずメチャクチャエロい。千晶はいつも受け身だけれど、その代わりに俺が与える快楽を、いつでも受け入れ、呑み込んでいく。無尽蔵とも思えるくらいに。

 無事に高校に進学してからは俺も細々とだがバイトを始め、千晶(やマコト)と遊ぶ金を稼ぐようになっていった。三人のつるむロケーションが、それぞれの家だけでなく、駅前や都市のショッピングモールなどに変わっていったのもこの頃だ。
 駅前や都市に出る時は大体三人だったが、いろいろと上手く回っていた。特に、マコトの空気の読み方は無駄に優秀だった。マコトは昼過ぎまでは俺達と一緒にはしゃいでいたが、俺と千晶の雰囲気が変わることを察するや否や、俺や千晶にとっては微妙にストライクゾーンを外れたショップに興味を示し(例えば、マコトはメガネショップが好きだった。マコトはサングラスにこだわりがある)、決まって別行動を提案したのだ。もちろんそれは、俺と千晶がラブホテルにしけ込むことを見越してのことだった。そして、夕飯の頃に適当な理由で「僕は先に帰るから」と顔文字付きでメールしてくるのもお約束だ。
 マコトの気遣いのおかげで、俺達は短い時間で親友としての時間と、恋人としての時間を同時に味わうことができたのだった。

「もし俺が洋服だったら、どうだろう」

 ある日、いつも通りラブホテルにチェックインした俺は、千晶にそう言った。それは、小学校から続いていた、「ふしぎな世界」への誘い水だった。
 少し考えて、千晶は、「俊ちゃんは、女の子用の服かな。あたしより少しだけ細いの」と言った。

「あたしは俊ちゃんを着られるように、頑張って痩せると思う」
「なるほど。……そして、ホテルに来たら服が勝手に脱げるんだな」
「もぅ」
 そう言った千晶は、声色と裏腹に笑っていた。花柄のワンピースを基調とした出で立ちは、三つ編みの髪型やかわいらしい顔つきと絶妙にマッチしていた。

「うーん、俺が洋服だったら、きっと俺の方からサイズを合わせに行くな」
「え?」
「だって、俺は今の千晶のスタイルが大好きだもん」
「……もぅっ……んっ」
 頬を赤らめた千晶の唇を少し強引に奪い、俺はワンピースのボタンに手をかけたのだった。

< つづく >

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