昔話4 私と千晶さん
私が千晶さん達と出会ったのは、小四で同じクラスになったときだった。
それまでも女の子の友達はたくさんいて、その友達と同じように千晶さんも私の友達になった。多少、私が強引だった気もするけれど、別に嫌がってなかったようだし、いいことにする。
今から思うと、私は小さい頃から女の子にしか目が行かなかった。男子には興味がなかった。というか、嫌いだった。がさつとか乱暴とか、そういうありきたりな理由を口にしていた気がするけれど、結局私は男子に、「決定的に合わない何か」を感じていた。それは生理的な嫌悪感とは違うけれど、男の子とはお近づきにはなれない感覚だった。この感覚は、今でもずっと私の中にある。
千晶さんはとても大人しく、か弱かった(身体は別に弱くなかったけど)。それまで私の周りに、千晶さんのような子はいなかったので、私は自然に千晶さんの様子を気にし、その勢いで連れ回すようになった。
その千晶さんへの興味が「恋」だと気づいたのは、私が小五になった頃だった。
春の終わりのある日、友達の中で「超ススんでいた」子が、女性用のエッチな雑誌を学校に持ってきた。興味を示した子と拒絶した子がはっきり分かれたけれど、私は興味があったので、読んだ。その中に、自慰の特集があった。
そこには、自慰のやり方と共に、「好きな子を思い浮かべてするといいよ☆」という一言があった。その「好きな子」が恋の相手だと言うことはもちろん分かった。そして、その「好きな子」に、私の中で当然のように千晶さんが当てはまった。私はその夜、千晶さんを思い浮かべて初めての自慰をした。
私は千晶さんが好きだ、という事実を、私はその日、当たり前のように受け入れた。
「千晶さん、好きです」
「うん、あたしもカナちゃん好きだよ」
それからしばらくして、私と千晶さんの間でこんなやりとりが流行った。
もちろん、私がそうし向けたのだ。そしてもちろん、私はじゃれ合うフリをして、毎回本気で告白していた。そして、もちろん千晶さんはそんなことととは全く気づいていなかった。
その頃の私は、同性の千晶さんが好きだという自覚はあったけれど、「同性愛」というものの知識はあまりなかった。何となく周りには言わなかった――本当は「何となく」という感覚は、女の子にとっては大事だ――けれど、それを表に出したらどうなるか、なんてことはほとんど分かってなかった。
だから、私が千晶さんにまともに告白できなかった原因は、別にある。
千晶さんはとても大人しかったので、お世辞にもクラスで目立つ存在ではなかった。だから、あまり気づかれてはいなかったのだろうけど――千晶さんをじっと見ていれば、千晶さんが誰を好きかなんて、誰でも分かったと思う。
千晶さんの視線は、俊一君から決して離れることがなかった。
私は、嫉妬深い。けれど当時はもう、嫉妬を嫉妬だと周りに悟らせない程度には女だった。そして、当時の私はまだ乙女だった。俊一君に直接的になにかしてしまって、千晶さんにバレたらどうしよう、と考えるくらいには。
その結果が、冒頭の二人のやりとりを俊一君達に見せつける行為に繋がった。今から考えると、悲しいくらいに程度の低い嫌がらせだった。何より、俊一君は当時、別に千晶さんに恋していなかったのだから、嫌がらせとして成立すらしてない。
そんな嫌がらせもどきは、結局なぜか真琴さんの――当時の私は、真琴さんの想いに関心がなかった――傷ついた顔を見るだけに終わった。
そのまま時間は無為に流れた。私は千晶さんとの関係に満足はしていなかったけれど、いつかはもっと深い関係になれたら、と思っていた。しかし、その思いは叶わないことを知る。小学校を卒業する二週間前、両親に引っ越しを告げられた。行き先は、北の大地だった。
聞いた瞬間に、絶望が襲った。とりあえず両親に反発したけれど、そんなものは意味をなすわけがない。次に千晶さんとの関係を考えた。二週間ではどうにもならないと、すぐにわかる。自分で自分の考えに納得できなかった私はどうにかしたいと思ったけれど、実際にいざとなるとその勇気がなくて、何もできなかった。両親に頼んで、みんなに引っ越しのことを伝えないように、と頼むのがせいぜいだった。
それからも変わらず、いやそれ以上に、私は千晶さんの側にひっついていた。そして毎晩、千晶さんのことを想って泣いた。
引っ越しの当日、出発直前になって、真琴さんに見つかった。事情を知った真琴さんは、顔をくしゃくしゃにして黙り込んだ。
その顔は、それまで私が見たことのない、真琴さんの女の顔だった。
時間があれば、私はその顔の意味に気づいたかもしれない。けれど、もう時間がなくなって、ましてや決して千晶さんには引っ越しを知られたくないと思っていた私には、その余裕がなかった。私は真琴さんに別れを告げ、旅立った。
その時の真琴さんの顔が、夜泣いた後に鏡で見た私の顔とそっくりだったことに思い至ったのは、新居での生活が始まってから、実に二年経ってからのことだった。
< つづく >