ハート・ハック・クラッシャー 1話

一話 始まりは驚くくらい唐突に

 ピンポーン…

 この音は…なんだっけ…
 ええと確か…
 どこかで聞いたことあるんだけど…

 ピンポーン…

 あー…
「どこかで」じゃないな…
 これはもっと頻繁に聞く音だ…

 ピンポーン…

 そう…
 例えば…家のチャイムとか…
 家のチャイム…

「あれ、誰もいないのかな…すいませーん!」

 うるさいなあ…
 今寝てるんだから静かにしてよ…

「…小包なんですけどー!判子お願いしますー!」

 小包…
 なんか通販で注文したっけ…
 …まあ、いいか…
 どっこらしょ…

「ふあ…なんですかぁ…?」

「あ、どうも!藤田和幸(ふじたかずゆき)さんですよね?藤田さん宛てに小包なんですけど…。」

「そうですかぁ…」

「こちらに判子かサインをお願いします。」

「んむ…どぞ…」

「ち、ちょっと!藤田さん、それキュウリですから!」

「…ぐー…」

「…藤田さん?藤田さーん!寝ないでくださーい!!」

 ジリリリリリリリリリ!!!!

 …あー、この音は嫌だ。
 直感がそう告げている。ものすごく嫌な音だ。
 この音を聞くとものすごおく嫌な行為をしなくてはならない。
 …えーと…?
 何をするんだっけ…

 ジリリリリリリリリリ!!!!

 …ちくしょう、うるさいなあ。
 こっちはまだ寝てるんだから…
 寝てる… 寝て…

「起きるッ!」

 洗面台の前で、ぼーぼーに伸びた髭をシェーバーで剃り落とし、顔を洗う。冬の冷たい水が、温度を奪うように顔にかかる。痛いような冷たさが今は必要だ。俺は完全に目を覚ますことが出来る。

「…めんどくさー…」

 何故目を覚まさなければいけないか。それは大学の授業があるからだ。

 時刻は昼を少し過ぎた時間。
 正直、目覚ましの時刻を間違えてしまった。このままだと授業開始に間に合うか、ギリギリになってしまう。
 飯を食っている余裕もなし。教科書の入った重いバッグを右手に持ち、玄関へと急ぐ。

「…あれ?」

 玄関前。靴の隣に、茶色の小包が置いてあった。
 …俺宛だ。藤田和幸様へ。
 …あれ、あっちの名前と住所がないぞ。こんなんでも届くのか?
 中身も書いてないし…

 大きさは、掌より少し大きいくらい。分厚いとまではいかないが…マンガ本の一冊くらいの大きさだろう。

 しかし…いつ届いたんだ?
 俺は一人暮らしをしているから、『誰かが受け取った』とは考えられないし…
 …まさか、俺が無意識に受け取ったのか…?

 …
 ま、いっか!
 今はそんな事気にしている場合じゃない。大きさもないし、大学に着いたら開ける事にしよう。
 小包を乱暴にバッグの中に入れ、俺は玄関から出て、スクーターへと走った。

「で、あるからして、この法律の解釈としては非常に幅が広く…」

 法学なんか取るんじゃなかった。つくづくそう思う。
 面白い人には面白いんだろうが、元々興味のない人間には先生の言っている言葉が外来語みたいにチンプンカンプンに聞こえる。

 文学部に進んだのだってそうだ。何を目指すわけでもない。何をしたいわけでもない。『とりあえず大学には行っておけ!』っていう親と先生の言葉と世間の風に当たって、とりあえず入っただけ。

 面白くない。
 何もかも面白くないんだ。

 凹凸のない、平凡な毎日。
 とてつもない良い出来事も、とてつもない悪い出来事も。
 俺は一回だって経験してない、と断言できる。

 普通に学校に行って
 人並みに勉強できて
 運動が出来るわけでもない。

 つまらない。
 とてつもなくつまらないんだ。

「…では、次の講義まで休憩にしましょう」

 教壇の上の先生がそう言うと、今まで鉄みたいに固まって勉強していた生徒が動き出す。ワラワラと教室の出口に生徒が出て行く中、俺の前の席の女がこちらを向く。

「和幸君ー。授業聞いてた?欠伸が五月蝿くて集中できなかったんだけど…」

 後ろに一本に束ねた茶色の髪を自分の肩に乗せ、くりくりした目玉で俺を睨む。
 鈴井悠希(すずいゆうき)。
 俺の高校からの同級生だ。この大学に、俺と出身校の同じ人間は悠希しかいない。

「え、俺そんなに欠伸してた?」

「してた。おかげでさっぱり内容頭に入らなかった。どうしてくれる」

 じとー、と恨むような目つきを俺に向ける。

「ご、ごめんごめん…気付かなかった…」

「勉強になるとコレなんだから…和幸君の悪いクセだね」

 悠希は普段はおちゃらけている、いわゆるムードメーカーという存在だ。
 容姿は、一言で言えば「可愛い」。普通の女よりやや低めの身長と、童顔がそうさせている。男からどころか、女からも人気があるようで、自分の妹みたいにみんなに可愛がられている。
 しかし勉強に関しては真面目で、高校の時からかなり優秀な成績を残している。
 そんな人間とどうして俺がこんな風に仲がいいのかと言うと…

「言いだしっぺがそんなんじゃ、映画サークルなんて作ってもふにゃけて終りそうだねぇ…」

「ちょ、そ、そんな言い方ないだろ~…」

「あはは、冗談だよ。…頑張ろうね」

 そう。映画。
 俺と悠希に共通している趣味だ。
 俺の唯一の趣味は映画。
 子どもの頃から変わらない趣味。あの暗闇で見る大スクリーンの映像に常に俺は魅力されていた。俺のつまらない日常を解放してくれる、あの感情の洪水。

 息つく暇もないSF。
 溢れる涙の止まらない感動。
 心臓が止まるほどのホラー。
 心躍らせる冒険。

 暗闇から溢れる光が紡ぐ物語は、見る者の感情を鷲掴みにし、思うままに操る。
 その感覚のなんと心地いいことか。

 そんな趣味が俺と悠希にはあり、ちょくちょく一緒に映画を観にいったりする。

 断っておくと、恋人とかそういう関係ではない。確かに俺に彼女はいないし、悠希にも彼氏はいない…と、言っている。
 だけどそういう関係じゃなく、純粋な『友達』なのだ。
 女として意識してないかというと嘘にはなるし、まして悠希は可愛い。
 だがそれ以上に、悠希と語る映画の話が楽しくて仕方ないのだ。だからその関係を崩すような行動は控えるし、逆に悠希もしてこない。
 …それは俺に男として魅力がないからかもしれないけどさ…

 ひょっとして、この大学にも同じ趣味のヤツがいるんじゃないだろうか。
 そう思って、ならいっそサークルにしよう!と悠希に持ちかけたのがつい先日。二人より、大勢でその映画について語り、謎を解き明かし、燃え上がりたいという願望だった。
 勿論悠希はオッケー。もう少ししたら、メンバーを呼びかけるつもりだ。

「集まるといいけどね…」

 悠希が溜息混じりに、不安そうな声を出す。
 正直俺も不安だ。
 このご時世、一回千円ちょいのお金を払ってまで映像作品を見たいという人は減ってきている。
 何人でもいい、映画好きに来てもらって、夜が明けるまで映画を語り明かしたい!
 そんな熱い願いが、二人にはある。

「…集めるんだよ。俺には無理だけど、悠希には人望があるから。頼むよ、部長」

「始まる前から私が部長なの!?あはは。人任せだなあ…」

「…っと、そろそろ始まるみたいだな…」

「あ、ホントだ」

 気付けば先生が再び教壇に上がって咳払いをしている。またあの呪文をしばらく聞き続けなければいけないのか…
 はあ、と溜息が出る。

 何か暇潰しでもしてるか。そう思ってバッグの中を漁る。
 携帯ゲームでも持ってきてなかったか…お?

 なにか変な感触のある物をバッグから取り出す。
 これは…小包?
 …ああ、出かける前のアレか。すっかり忘れていた。

 音を立てないようにそっと、小包の紙を破いていく。
 ビリビリ…っと。
 …ん?

 教室の照明に当たって、銀色が眩しく光る。
 これは…!

 …

 …何だ?

 …見た目は電子辞書みたいに見える。だが横に広い電子辞書には、画面とキーボード。そう、キーボード。しかし変な事に、A~Zの文字の部分しかない。
 それと…ええと、矢印。上下左右に4つの矢印のボタン。あと…『起動』と『選択』と『実行』っていうボタンがある。
 それだけしかない…電子辞書って普通、『国語』とか『電卓』とかないか?

 …まあ、起動させれば分かるのかな。
 俺は『起動』というボタンを押した。

 …??????
 画面にずらーーーーーーっと文字列が並ぶ。
 何だ、この漢字ばっかりの文字列。

 …いや…?

 よく見ると、これは名前だ。
 木村…田中…名字が読み取れて、その横にそれぞれの名前が書いてある。

 …待てよ…これは…

 この教室の奴らの名前じゃないか…?

 間違いない。何人か、知っている名前がある。
 矢印の下ボタンを押しっぱなしにしながら、その名前をずーっと見ていく。

 …あ…

『鈴井悠希』

 悠希の名前もあるぞ…!
 
 なんだ、どうなってんだこれ…

 まさか…
 リアルタイムで、この教室の人名が表示されているのか?

 …それだけの機能なのか、これ。いや、それでも十分スゴイけどさ…。
 …『選択』。
 何故か俺は、そのボタンを押していた。

 画面に文字が表示される。

(映画サークルかぁ…。部員集まるかなあ…。不安だなあ…。)
(っと…今は考え事してる場合じゃないか。勉強勉強。)
(えーと…教科書はここをやってるから…)

 なんだよ…これ…なんなんだよ…
 まさか…え、でも…
 そんな…非現実的すぎる!まさか…!

 悠希の考えていることが表示されている!?

 い、いくらなんでも…そんなバカな話あるわけない。
 そんな夢みたいな…

 …ありがちだが、自分の頬を抓ってみた。…痛い。夢じゃない。…らしい。

 …い、いや待て藤田和幸。落ち着け。
 確かめる方法があるじゃないか。これが本当かどうか。

 トントン。
 俺はシャーペンで、悠希の肩を叩いてみる。
 
「ん?なに?和幸君」

 ふ、と画面に目を向ける。

(もー…集中しようと思ったのに…また途切れちゃった)

 画面の文字を見て、悠希の表情を見る。
 その文字の伴う感情のように、悠希の顔は不機嫌そうだ。

「あ…あ、え、えと…ごめん。気のせいだった」

「…?…うん…」

 ?という表情をして、悠希はまた前に向き直る。

(気のせいって…なんのだろ?)

 声ではない言葉が、画面に出されていた。

 …間違いない。
 この機械は…『選択した相手の心の声が読める』!!

 い、いや、待て。
 まだ一つ分からない事がある。

 …このキーボード。心が読めるだけじゃ、これはいらないはずだ。

 まさか。
 いやひょっとして。
 そんなに上手い事いくわけない。

 だけど。
 …多分これは…

 物は試し。さっきと同じだ。
 キーボードの「k」を押してみる
 すると、画面の下の空欄にも「k」が写る。
 …よ、よし…

【くしゃみする】

 …くだらないけど、物は試しだ。
 えと…多分これだな。『実行』。
 …少し震える手で、そのボタンを押す。

「…ッくちっ!」

 瞬間、前の席から悠希の声が聞こえた。
 間違いようがない、くしゃみの声。
 即座に画面を見る。

【くしゃみする】
(うー…風邪引いたかな…)
(ティッシュティッシュ…)

 また悠希の方を見ると、鞄を見て、ティッシュを取り出す悠希の姿。

 ドクン。

 心臓が高まる音が聞こえた。
 それは…黒い感情の表れ。

 これを使えば…

 悠希を…
 いや…何もかも。
 操ることが出来るんじゃないか?

 俺は……実験そのニを思いついた。
 これは…俺のどうしようもなくドス黒い感情。
 だけど男として制御のつかない…
 そして悠希くらいの女を見れば、当然の感情。
 欲望のままに、俺は文字を叩き込む。

【性感が高まり、自慰行為をしているように気持ちよくなる。イくとそれが終わる。】

 少々長い文章だけど…どうなんだろう。
 さっきはあれだけだったから上手くいったけど…分からない。人の多いところだから大胆な事は出来ないし…
 …いや、十分大胆かな。
 …せいぜい耐えてくれよ、悠希…

 さっきより震える手をどうにか『実行』まで持ってきて…
 そしてそれを…押し込んだ…

「……ひゃうッ!?」

 また瞬間。すぐだ。
 前の席から声が聞こえる。
 聞いたことのない悠希の声…信じられないくらい高い声だ。

 急に大きな声を出してしまったので悠希は慌てて自分の口を塞ぐ。
 何人かはその声に反応して悠希の方を見るが…寝言か何かだと思ったのだろう、また教壇の方を向いた。

「…あ、あッ…う、ぁ…!」

(何これぇ…!あ、そこが…気持ちいいよぉ…!なんで、急に…!はぁッ…!)

 塞いだ口から、必死に我慢している喘ぎ声が聞こえてくる。
 しかし心の声は正直に、画面に悠希の感情を写してくれる。

「…くゥ…!ん、んんんッ…!!」

(これじゃ、まるで…一人で…シてる時みたいに…はああああッ…!!!)

 …へえ、一人でもシてるんだ。あの清純そうな悠希がねえ…。
 俺だけしか知らない秘密を知ることが出来て、少しだけ嬉しくて笑ってしまう。

「…ッ!あああッ…!!く、ひィッ…!!」

(声が…漏れて…!!ダメ、ダメェッ…!!聞かれちゃ…うううッ…!!!)

 性感が高まってきたのか、段々と声が塞ぎきれなくなる。
 大きくなる喘ぎ声に、周りの数人は悠希の方を見る。
 …が、何をしているわけでもない。特に、オナニーなんて。
 腹痛か何かと思っているのだろう、「大丈夫?」なんて声をかける人もいる。

「だ…だいじょぶ…だか、ら…ふあああああッ…!!!」

(や、だ…!声かけないでええええ…!!!バレちゃうよおおおお…!!)

「あッ…あ…!い、イ…ん…!!」

(ダメェ…イっちゃう!!く、あ、き、きちゃううううううううッ!!!!)

 …らしいね。
 悠希の身体は小刻みに震え出して…喘ぎ声も一層大きくなってきた。
 …『終り』らしい。

「あ……!!!!!!」

 ビクっ、と悠希の身体が跳ねるように震えると、それが止まる。
 画面に目をやる。

(ふあ…き…気持ち…よかっ、た…)

 …心の声は、正直だね。

< つづく >

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