まいごのおまわりさん プロローグI

【プロローグI ~マイゴノマイゴノ・・・~】

―――どうしたん…――
「………」

―――えっ!?まっ、まよった?でっ、でもここは……――

「………」

―――あぁっ!?わっ、わかったからなかないで…――

「………」

―――ほらっ、ねっ…――

目の前に、差し出される手。

―――どうしたんだよ。ほら、はやくいこっ…――

そして、少女はその手を握った。

≪1≫

――2005年7月。
 舗装された歩道とともに連なる街路樹にも、新緑が見られるようになる。
 初夏独特の涼しげな風が、スズカケノキの大きな葉を揺らした。

 喧騒止まぬ、平日の昼日中。
 おしゃべりに夢中になっているおばちゃんや、少しおそい朝帰りでくたびれているおじさん達の中で。
 木内癒亜(きうちゆあ)は、プラットホームで右往左往していた。

 迷ったのだ。
 この世に生をうけてから、小学校卒業のその時までを育った唯一の故郷なのに――だ。

 と、足元に置いておいたボストンバッグに足を引っ掛けた。
 ころんだ。
 顔面から地ベタに突っ込む。鼻を打った。
―――痛い。
 鼻の頭がジンジンする。
 鼻血が出てるかも、と鼻の下をさすった。
 よかった、出てない。

(とりあえず、落ちつこ……)

 すぅ、と深呼吸してみる。

(よし、ばっちし………かな?)

 ぐっ、と背伸びをして、何か現状を打破する法はないかと辺りを見回してみる。
 すると、案内板をみつけた。
 とりあえず駆け寄ってみる。

(え??っと……東鶫町四丁目三の二の二十九――だからぁ…)

 携帯のメモ帳と、案内板の地図とを見比べながら、癒亜はうんと頷いた。

(これだっ……うぅ?んと………東口から出るのか…………)

 そこで彼女はあることに気づいた。

(――って、東口ってどっちよ?!…東口……東………ひがし…、
 北が上で東が右…?で、Nがヒガシだった……よね??)

 思考という深い迷路にはまってしまった癒亜は、そのまま混乱し―――ショートした。
 ちなみにNは北である。

(東…ヒガシィ………ひがしぃぃぃぃぃぃ―――――って、そうだっ!!!
 コンパスっ!コンパスだっっっ!!!……あれを使えば方角がわかる
―――――ってんなもん持ってるわけないよぉ)

 頭を抱えてもだえ始めた。腰まで伸びた漆黒の髪が振り乱れる。
 傍から見たら、ただの変態だった。

 中学も三年目だというのに、正しく地図を見ることもできない―――――癒亜がクラスメイトに『おバカさん』などと、からかわれていた所以の一つだ。
 ………本人は酷評だと否定したが。

 好奇と侮蔑の目が、嵐のように降り注がれるなか、それでも彼女はもだえ続けた。

 だが、いくら『おバカさん』と言われども、癒亜は『変態』などに成り下がるつもりは毛頭ない。
 だから、このようにもだえ続けるにもそれなりの理由があるのだ。

(あぁあ……どうしよう、家に帰れなかったら………。頼るところもないのに……)

 さすがに小学校の友達を頼るわけにもいかなかった。
 何の予告もなしに消えていった自分などを快く思ってくれる人はいないだろう。

 自分でも、そう自覚できるほどに、悪いことをしたと思っているのだ。

(とくに…あの子には……)

 悩みのタネが見事にすり替わっていることにも気づかずに、癒亜は頭を抱えうなだれていた。

「ハッ………ハッ……ハッ…、ぃよっ、ようっ………。」

 不意に、何の予告もなしに、肩をたたかれた。
 振り返ると、癒亜と同じようにボストンバッグを担いで、肩で息をしている少年がいた。

 ひざを折るその姿でも、自分より頭ひとつ分大きいことがわかる。

(同い年かな?)

 思い、すぐさま否定する。
 年齢を予想して、当たったことなど一度もないのだ。

 さらに数秒、最初に気づかなければならなかったことに気づいた。

(…だれ?……この人?………わたしに、用?)

「ハッ……、……ハ、………ハッ、わるいな、待たせて………さっさと行こうか」
「えっ?!」

 癒亜はその少年にうでをひかれて、改札口へと姿を消した。

≪2≫

「いや、ホントごめん」

 数分後、癒亜は駅の正面口の真ん前に位置する、商店街の中の喫茶店に座っていた。
 向かいの席には、両手を合わせて真摯に謝りながら、先ほどの少年が座っている。

 しつこい奴に追われていた――――と少年は言う。
 だから、カップルの旅行者を偽装させてもらった。おとりに使ってすまない――――と付け加え、謝った。

 本来ならば、怒るところだろう。
 だが、今の癒亜はそれができなかった。

 オレンジジュースをおごってもらったからではない。
 驚いたからだ。

 驚いて、そして、早く立ち去りたかったからだ。

(どうして……)

 目の前の少年が―――

(どうしてなの………ッ!)

――――『あの子』だったからだ。

「んっ?どうしたん?」

 少年がいぶかしげに訊いてきた。
 癒亜の顔を覗き込むように、テーブル越しに近づいてきて――………

「ひぁあッ!」

 癒亜は顔を両手で覆った。間一髪…だろうか。
 それともやはり、不自然だったろうか。

 幸いと言っていいか、少年はいまだ彼女の正体に気付いていない。
 このまま去れば、事なきを得るかもしれなかった。

「あ、あの」

 去ろう……そう思い、思いを口にしようと顔を上げ―――

「あれ?」

―――自分が迂闊だったことに気付いた。

「癒亜………じゃないか?」

 ………もろに顔を上げたのだ。ばれたって仕方がない。

「ぃあっ、あっ…いや……えれ…」

 『あの子』といつ知り合ったのかを、癒亜は憶えていない。
 ただ、よく二人でつるんで、おもしろおかしく、いたずらをしていたことは憶えている。

 二人で遊んで、大人をこまらせて。
 一つ一つが楽しい思い出として心に残っている。

 ただ、ひとつだけ思い出したくない思い出もある。

 それは、きっと彼女の悩みであり、同時につらい過去でもあった。

 あれは、小学校卒業の日。
 式が終わったその後で、彼は――…

「やっぱりッ!癒亜だ」

 店内に、ひときわ大きい声が木霊した。
 余暇を楽しんでいた暇人たちの怪訝そうな顔が向けられる。

「うわ…ぁ、髪‥伸ばしたんだ。どうりで気付かない筈……いや、昔はかなり短かったし
 な」

 少年は、一人ボソボソと感嘆の意を述べた。

「ホント、年頃の女の子は成長が早いな」

 言って、そして、沈黙。

 少年は居住まいを正して、真剣な視線を癒亜に注ぐ。
 静寂が周りを包み込み、聞こえるのは本の頁がこすれる音と氷がグラスに当たる音と、激しく鼓動する自分の心音のみ――。

「三年…いや、まだ二年か――」

 無言(しじま)を破るのは、無論、少年である。

「親戚の家じゃあ、仲良くできたかい?」

―――――本当はそんなことが聞きたくない癖に。あの時の”答え”が訊きたいんでしょう。
 そうわかるのは、長く連れ添ってきたいたずら友達だからだろうか。
 だが、頭の端では理解できても、癒亜の理性は心臓の拍動で破裂しそうだった。

「違うか。そうだったら、こんな時期に戻ってこないな」

 自分で言って、自分で否定する少年。

 彼も、そして癒亜も、今は高校受験を控える身。
 つまりは、受験生である。
 夏休みを目前に控えた大事な時期に、悠長にボストンバッグを抱えての帰郷など考えがたい。
 しかも一人で、だ。

―――――追い出されたと思ってるんだ。
 胸が熱く頭も真っ白なのに、癒亜は先ほどと同じように、冷静に少年の思考を分析していた。

「……仲良くしてた」

 これは嘘だ。
 目の前の少年にだけは真実を知られたくなかったから、癒亜は嘘をついた。

 やはり、どこか冷静だった。

「そう…じゃ愁慈さんは、もう――」

――見つかったのか?
 少年の言葉を予想して、癒亜は首を振った。

「ううん。まだ見つかってない」

 癒亜の父親、木内愁慈(きうちしゅうじ)は現在失踪中である。
 音信不通となったのは、卒業式の次の日のことだった。
 母親の顔も知らない癒亜は、親戚を頼って東鶫町から出て行ったのである。

 いや、それも言い訳にしかならないだろう。
 本当の原因は、なりより目前の少年があんなことを――…‥

「ふぅん。そう」

 独り言ちて、少年は目を伏せた。

 嵐の前の静けさ、とでも言うべきか。
 それはまさに、少年が次に言うだろう言葉の、その重大さを物語っていた。

「で、あの時の”答え”は?」

―――――きたっ!!
 予測はしていた。
 だがそれは、自分を、まるで上から見下ろしたかのような、第三者的な観測にしか過ぎなかった。
 本当の自分は、今此処にいる自分は、”ソレ”から逃げて怯える、ただの臆病者だ。

「…………」

 緘黙(かんもく)は、言うまでも無く、時間稼ぎ。
 少年から話題を逸らすのは考えられない。
 だから、自分から逸らす。二年前も使った手だった。
 目に見える違いを探す、これに尽きる。
 そして、指摘する。

 話題を変えるだけなら、この方法で充分だろう。
 だが、二年前も、今も。
 それだけでは、決して足りなかったのだ。
「…指輪………」

 少年が指にはめている、深い碧を湛える翡翠の指輪。
 十四、五歳の少年が付けるには少々分に合わない。

 話題の転換が唐突過ぎることくらい癒亜にもわかっていた。
 しかし、少しでも時間を稼ぐことぐらいできるかもしれない。あるいは少年が話に乗ってくるかもしれない。
 そんな希望に縋るくらい、癒亜は追い詰められていた。
 もはや冷静に状況を精査していた自分はいなかった。
 残されたのは、逃げることしか考えていない臆病な自分だけ。

≪3≫

 むせ返るような吐き気と不満の中で。
 高原恋弥(たかはられんや)は、正面の少女が呟いた、その指輪に目を落とした。

(おいおい、何じゃいそりゃ)

 なんともはや、タイミング・顔色・目線・居住まい・口調、どれを取っても、この話題から話を逸らそうとする魂胆が見え見え。
 何より、ともに幾多の死線を潜り抜けてきた戦友としての(←言い過ぎ)、あの風格が見受けられないことに彼は失望した。

 いや、そんなことよりもまず、彼は後悔していたのだ。

(やっぱ、あれはまずかったか)

 思えば店内に入ってからの彼女は、萎縮して妙にソワソワしたりと、『早くサヨナラしたいんですけど』オーラを発散していた。
 見知らぬ男に強引に引っ張られたんだから当然かと納得したのだが、その時から既にコッチの正体に気付いていたとしたらケッコー悲しい。

(つーか許せねぇ)

 あまつさえ、二年前と同じ馬鹿げた手口を使って煙に巻こうとしたのだ。
 もはや万死に値する。(←だから言い過ぎ)

(冗談は置いといて)

 とりあえず、二年も待たした報いを受けさせることにする。
 幸い、癒亜が言った”指輪”を使えばソレも容易にできる。

(もう俺は待たない………そして、逃がさない)

 あの時の、”答え”を聞くまで。

< つづく >

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