まいごのおまわりさん プロローグII

【プロローグII ~オモイツタエテ~】

 その指輪は、欲望を実現させる道具であった。

 かつて、盗賊はその力を使い、金銀財宝を手に入れた。
 かつて、王侯はその加護を得、平和と名声を授かった。
 かつて、軍閥はその威を振るい、数多の干戈を収めた。
 かつて、大工の息子はその佑助を賜り、死より甦った。

 すべてが皆、現実となる。
 指に嵌め、願いを込める。
 ただ、それだけで。
 故に、人々は『八面六臂(ダグザ)』と呼んだ。
 幾多の人間が、ソレを欲し、奪い合った。
 そして、その過程の中で、指輪は削れ、崩れ落ちていった。
 もはや、ソレは指輪とはいえなかった。

 だから、残った鉄屑を、煌く欠片を、ドブ川に棄てた。

≪1≫

「その指輪を模して親父が創ったのが、こいつさ」

 指輪について一通り語り終えた恋弥は、視線を指輪から外し癒亜の方に向けた。
 話を聞かせている間、彼女はずっと嬉しそうだった。

(そらまあ、自分の目論見が成功すりゃあ嬉しいよな)

 しかし、恋弥の心内は静かな怒りに荒れていた。

「気に入ったか?」

 それでも、表面にはそんなそぶりを微塵も見せずに、恋弥は癒亜に見せるように指輪を掲げた。

「……う‥ん、………きれい」

 たくらみが成功したことで安堵したのか、癒亜は落ち着きを取り戻している。

(それに十分くらい話してやってたからな。流石に気楽になってきたろう)

 彼女は、恋弥がしつこく”答え”について言及しなかったおかげで、警戒を解いていた。
 夢見るような目つきで、指輪に埋め込まれた翡翠を見ている。

(やっぱり、女の子なんだなぁ)

 二年前までは。
 見下す大人に一泡吹かせたり、お惚け教師からテストの答案をパクったり。
 そんなことをして、一緒に馬鹿笑いした友達だったのに。

 今では。
 綺麗なものに惹かれたり、格好好い人に憧れたり。
 そんな、絵に描いたような、夢見る乙女になっていた。(←言い過ぎです)

 それに、変わったのは雰囲気や中身だけじゃない。

(……E…ぃや、Fかな)

 その胸の豊満なこと。
 際立たせるように、いや、挑発するように、その大きなマシュマロを緩々のタンクトップが覆っている。
 断言しよう。癒亜はその一枚しか着ていない。
 絶対に下着なんか付けていない。

 夏万歳!! といったところだろうか。

(まぁ、俺に会うなんて分かってりゃあ、絶対着なかったろうな)

 ―――いや、そうでもないか と自己否定してみる。

 思えば、彼女は自分の事に関してはかなり無関心だったのだ。
 それは、他人の心にヅカヅカと入り込んでくる、あの無遠慮さの裏返しだったように思う。

(それに助けられた……つったら助けられたんだけどさ)

 スッ、と指輪を指から外した。

「へっ?!」

 すると、癒亜の口から間抜けが飛び出た。
 どうやら魅入っていた様だ。

 ここぞチャンスとばかりに、恋弥は呆然とする癒亜の左手を取った。

「指輪の交換を――――」

 芝居がかった口調でそう言い、彼女の薬指に指輪を嵌める。

「あっ」

 そんな台詞に顔を赤らめさせる癒亜。
 当然といったら当然の反応だ。

「どっ?似合うんじゃない?」

 そう言って、翡翠の中に閉じ込められた”あるもの”が癒亜に見える様に手を少し傾けてやる。

(つーか俺が惚れた女だぜ。光物でも何でも似合うに決まってるって。まっ、一番は泥遊びで汚れた顔だろうな。………見たことないけど)

「ふぇっ……そう‥かな」

 愚鈍な反応。
 どうやら、八割がた取り込むのに成功したらしい。

 というのも、この『八面六臂』を模して創られた錬具(れんぐ)『トゥプシマティ』は、嵌めた人間の精神に干渉し〔登録者〕の想うがままに操らせる、という付加能力があるのだ。
 ただ、彼女は普通の人間と違い精神修養に長けているから、恋弥は少し不安だったわけだ。

 まあ、ソレも杞憂に終わったというわけで、早速次の段階に進めることにしよう。

「似合ってる似合ってる。それでな、この指輪、ちょっとした細工があるんだが……………わかるか?」
「――細工?」
「そっ。実はな、ここの翡翠の中に”白鳥”がいるんだ。……どう?」

 癒亜が虚ろな目で翡翠を覗き込む。

 ―――ドクンッ。

 恋弥は、今ここで癒亜を襲っちゃいたくなる衝動に駆られた。

(くそっ……はやく……ハヤクキキタイ)

 卒業式のあの日、恋弥は癒亜に告白した。(←はいっ、ここ大事ですよ)

 別に、小学校生活六年間の最後をそんな人生最大のイベントで締め括ろうなんて思ったからじゃない。
 たまたま、その日に告白したくなっただけだった。

 けど、だからといって、恋弥の気持ちが本物じゃないということにはならない。

 三年生のときからずっと一緒に居たけど、その焦がれるほどの想いに気付いたのは告白前夜だったくらいだ。

 次の日会ってすぐに言った。

―――――すきなんだ。へんじをきかせてくれ、いますぐ…

 彼の行動は軽薄だったかもしれない。

 ただ、それでも確かだった事は。
 あの時、癒亜が逃げた事と、
 溢れ出る熱情を止められなかった事だけだ。

 そして今も、また止められそうにない。

 まるで母性の証かのように、大きな胸。
 弛緩して小さく開いてしまった、桜色の唇。
 広きに渡り降り積もる雪がごとく、白い柔肌。
 母なる海のように深く青い、それでもなお黒い瞳。
 落ちる滝のように艶やかで色褪せない、長い、長い髪。

 そっくりだった。
 本当に、何もかもが。

(はやく……)

 もはや癒亜は人形に成り果てていた。”白鳥”を使うまでも無い。
 早急とも思うが、恋弥は癒亜を連れ出すことにした。
 平日だが人通りもある商店街で事を起こすと、彼女にも迷惑がかかるからだ。

≪2≫

 その建物は”家”と言うのも憚られるほどの大きさを占めていた。

 大の大人 二人分はある塀に、物々しくたたずむ鉄の門。
 敷地内には庭園もあるが、手入れがいきわたっているとは到底言えない位に草木がボーボーに生えている。
 だが何より大きいのは、その屋敷自体の構えだった。
 洋風と思われるレンガ造りの建物で、レンガの間には所々に鉄格子付きの窓がはまってある。その数は実に、百を超えていた。

 そんな巨大な構えの中央、正面口と取れるチョコレート板の扉の前に、恋弥は立った。
 背後には癒亜が連れ添っていて、彼女の右腕を恋弥の左手が握っている。
 そして、彼の右肩にはボストンバッグが担がれている。

 ゆえに、扉を手で開けることが出来ない。

 数秒考えた後に、彼は足を大きく振りかぶって、自宅の正面口の扉を蹴破った。

 ドガアァァァァァァッ!!!

 自分で蹴っておきながら、その凄まじい音に恋弥は顔をしかめた。
 後ろの癒亜は、無反応である。

 本来なら神々しく開くはずである観音開きの戸は、蝶番(ちょうつがい)が外れて見当違いの方向に開いている。

 少し破けて、地面に飛び散ってしまった扉の木片を踏みつけて、屋内に入る。

 日照量が増す初夏の昼において、中は異様に暗かった。

 と、その薄暗い闇の中から、パタパタと何かが降りてくる音がした。

「はわわわわ、いったい何の騒ぎで――」

 続いて、か細い女の声。

「――!!…れっ、れんや様!…おっ、お帰りになられるのであれば連絡をくださ―――あっ!いやっ、すみまっ、いやっ、あっ、ああああ!!すっ、すみません今すぐ片付けますので」

 …服を着た少女が出てきた。

「いやおい、家に居るときぐらい普通の服を着てくれ」

 恋弥は嘆息しながら、目の前の少女の服装を諫(いさ)めた。
 年のころは十一、二ぐらいだろうか。
 見栄えのする蒼い瞳と 同色の髪。
 肩までかからないショートヘアーの隙間からピョコンと撥ね出る長い耳。
 その、人とは思えない風体から判るように 少女は人外のものだった。
 彼女は恋弥から”フィオ”と呼ばれている。

「すっ、すいません。こっ、この服しか持ち合わせがないもので」

 少女が真剣に謝るも、恋弥はああそうだっけか、と取り合わない。

「じゃっ、じゃあすぐ片付け…ます……の‥で?」

 砕け散らばる木片を片付けようとしたフィオは、たたずむ癒亜を見つけて、その動きを止めた。

「―――っ!!まっ、またっ、お、女のひとを連れ込んで……おんなぐせのわるい」

 本人はボソッと言ったつもりだろうが、耳のいい恋弥には聞こえている。

「おいこら、人聞きの悪い。意識があったらどうするんだ」

「―――なっ!?!?意識のない女性を家に入れて、いったいナニをなさるおつもり……」

 なおも小さい声で食い下がるフィオ。

「ダアアアアァァ―――――ッ!!」

 さっさと自分の部屋に入って「やりたいこと」を早くしたかった恋弥は、フィオとのあまりにも長いやり取りに、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「いいからおまえはそこの掃除でもしてろ―――っ!!!」

 びくっ、と体を縮こまらせて、フィオはなみだ目になった。

 恋弥はというと、ゼェハァと息を切らせて、きびすを返す。
 すでに修復が完了してある玄関口の扉へ向かって歩を進めた。
 …心なしかズカズカと歩いているような気がする。

「ふぇ、う……ごっごめ、んなっ…、すっ…すいませ……ぇぐっ」

 少女の泣き声は恋弥には届かなかった。

≪3≫

 玄関を開けると、当たり前のように恋弥の自室へとつながった。

 外観の物々しさとは対照的な、幾分庶民的な広さの部屋である。
 ただ、そんな中にも、平凡とはいえないような違いも見受けられる。

 ひとつは、部屋の奥にグランドピアノが置いてあるということ。
 ふたつは、演奏のためにか、壁が防音壁であるということ。
 みっつは、所々に奇妙な置物や器具が存在するということ。
 よっつは、ベッドがなぜかキングサイズということ。
 最後に、庶民的な広さだというのに何故かこんな大きな家具たちが平然と納まっているということ。

「よっこらしょ」

 と 二つのバッグを床に置いて、恋弥はベッドの上にポフッと腰掛けた。

「よしっ、じゃ、こっち来て座って」

 ポンポンとベッドの空いているスペースをたたく。

 体裁も倫理も道徳も振り捨てて、勢いだけでこの場を突っ切ると決めた恋弥は速攻ではじめるつもりらしかった。

 扉を背に立っていた癒亜がフラフラと近づいてくる。

 恋弥が指を鳴らすと、扉が掻き消えた。
 今後のことを考えて逃げ場を消したのである。

 ストンと、質量の感じられない音を立てて癒亜はベッドに座った。

「じっとしてて」

 いつになく優しい声で言う。
 恋弥は、癒亜の無防備な頬に手を添えて、女の聖域に口を付けた。
 二年前までは嗅げなかったオンナの匂いがする。
 食欲をそそる匂いだが少し違う。流石にここまではそっくりというわけにはいかなかったようだ。
 だからといって、触れるだけなんて野暮なことをするつもりはなかったのだが。
 舌を入れて彼女の味を確かめようとするも、肝心の癒亜がまったくの無反応だということに気付き、彼女から離れた。

「……マグロはいかんな」

 まるで彼女のために創られたかのように、スッポリと癒亜の指に吸い付いている指輪、『トゥプシマティ』に手を触れて恋弥は言った。

「つっても、いちいち命令する暇ねぇし………そだな、『俺が触れてるところは全部気持ち良くなる』―――――もちろん、あっちの意味でな」

 そこですかさず キス再開♪
 今度は舐めまわすように舌で彼女の唇を這う。
 さっきはあまり気にしなかったが、癒亜のそこは少し冷たかった。

「んっ!ふっ、うぅ…ふぅっ!んっ……ふぁ、あっ!あぁあっ!!」

(…なんか……唇だけでイけそうだな)

 舌を口内に挿入する。

「…………んっ…ふうっ!!」

 そんな反応がいとおしくて。
 もっと彼女を求めようと、腰に手を回し、体を密着させようとする。
 ふにっ、とした感覚が恋弥の胸に当たった。

(そっか、こういう楽しみもあったっけか)

 舌の裏などを擦りながら、彼女の胸に手を当てた。

「くっ、……ふうっ、んっ!!」

 そのまま揉んでみる。
 押し返されるような弾力。
 それでも吸い付けるように指を動かした

(これはまた……)

 初めての感覚に恋弥は酔い痴れた。
 まあ、なにしろ彼は、初体験ではないにしろ、攻めをするのは初めてなのである。

「ふっ!!んっ…んんっ!!んっ…くうっ…ふうっ!!んっ、んんっ!!!」

(…このままこれで楽しませて――)

 ――もらおうとして、肝心なことを思い出した。
 べつに恋弥はこんな情事を愉しむために癒亜を操ったわけじゃない。
 そこのところを、フィオとのつまらない遣り取りのせいで失念していた。
 …あと、勢いに任せすぎて状況に流されていたせいもある。

(―――チッ、くそっ…まったく)

 癒亜の唇から離れると、彼女に服を脱ぐよう命じた。
 自分も着ていたものを脱ぎ始める。
 夏も始まったばかりだったが、二人はとても薄着だった。

 ほとんど一瞬ですべてを脱ぎ捨てた恋弥は、緩慢と服を脱いでいた癒亜に痺れを切らして押し倒した。
 タンクトップを無理矢理脱がしてやると、隠れていた乳房がぷるんと跳ねた。
 やっぱりブラジャーを付けていなかったらしい。

 下を脱がしにかかる。
 機動性を重視したジーンズ。
 こういうときに限って、これは本当にウザイ。
 必要以上に太股(ふともも)や脹脛(ふくらはぎ)にフィットしていて、どうしようもないのだ。
 汗も手伝ってか、膝より下には降ろせそうにない。
 しょうがないから、このままパンツを降ろそうとするが―――

「―――あ゛あ゛?!」

 ……穿いていなかった(汗)

 どうやら彼女はズボンを穿くときはパンツを穿かない種類の人間らしい。
 若干 興がそがれるが、これはこれで。

 よく見れば、生え始めたばかりのような陰毛の影にあるお口が ほどよい具合に濡れている。
 癒亜の体躯にしか目は行っていなかったが、周りを見ればベッドが結構大変なことになっていた。

(…たしか、あの女はここら辺に突っ込んでたよな)

 そして、恋弥は腰を沈めて、自分のモノを癒亜の中に入れる…

 ここまでくれば、恋弥が何をしたかったか わかってくれたろう。
 そう、彼は処女を奪うつもりなのだ。

 いつまでたっても”答え”を聞かせてくれない癒亜に 業を煮やした恋弥が考えた苦肉の策――――それが、処女強奪。

 自分に都合が悪いからって、話の論点をすり替えるのも結構。
 ボストンバッグを背負って親戚の家に行くのも結構。
 ズボンを穿いてパンツを穿かないのも結構。

(――けどな…)

 だからといって、【すき】か【きらい】かも言わないで逃げるのだけは許さない。

 恋弥だって勢いで告白したのだ。
 彼女も勢いで答えるのが、然るべきではないだろうか。

 それなのに癒亜は”勢い”で逃げた。
 とうぜん恋弥は傷ついた。

 再会して もう一度聞いた。
 話を逸らされた。
 とうぜん恋弥は傷ついた。

(――もうたくさんだ…)

 聞きたいのは【YES】か【NO】かだけなのに。

 どうして素直に答えてくれないんだろう………

 だから決めた。

 もう話を逸らさせないために。
 もう何処にも行かせないために。
 もう……逃げることがないように。

(――俺は…)

 彼女を犯す。

≪4≫

 突き抜けるような快感が過ぎ去った後で。
 癒亜に残ったのは忸怩たる想いだけだった。

 不思議と怒りは感じない。
 嫌悪感もない。
 本当に、恥ずかしいと、ただそれだけを思った。

 うつむく顔を上げると、恋弥がベッドに腰掛けているのが見える。
 彼は、白地に拡がる赤い血を掬って見つめていた。
 ほんのりと血に染まった彼の手のひら。

 恋弥は、その手を口まで運んでいき、舌で舐めた。

――ゾクッ

 処女を失った証であるその血を、字の如く舐め回す姿は、あまりにも蠱惑的で。

 奪われた少女は、そんな猥らな少年に見惚れていた。

「…あっ……」

 口から出たのは間抜けな吐息だったが、少年は聞き逃さなかったらしく、嚥下を止めて癒亜のほうに振り向いた。

「それで……?」

 一糸も纏わぬ自分。
 目の前の少年は半裸。
 彼に犯されたという事実。

 そんな状況の中で芽生えた怒りは、純潔を奪われたことに対してではなく、それでもなお食い下がる恋弥に対してである。

 どうして放っといてくれないんだろう。
 どうして弄った後なのに優しくしてくれないんだろう。
 そんな理不尽な怒りを少年にぶつけられるわけもなく、また話を逸らそうとキョロキョロと周りを見渡す。

 傍目から見れば、どれほど滑稽な事だろうか。
 恋弥が見れば、どれほど不快に思うだろうか。

「…あっ…あれ、『マフディー』?」

 今は閉められているグランドピアノの蓋の上。
 そこにかつての友達を見つけた。

「――――――そうだ」

 石彫りのフクロウ。
 口うるさいが憎めない奴。

「『マフディー』は夜行性だから寝ているな」
「…へえ……」

 視線をずらせば、壁にかけられた縄が目に入る。
 あからさまに怪しい。

「………あれは?」
「『エンデルング』―――結び方によって縛った物の形が変わる」

 もっと探せば、もっといろんなモノが見つかりそうだった。
 だから、視線をずらして探してみようと、癒亜は首を動かそうとした。
 だが――――

「ホントに俺がそんなこと聞きたいと思ってるっておもうか?」

 止められた。

「どこまでアンタは無神経で無頓着なんだっ?」

 腕をつかまれた。

「俺はアンタを犯したんだっ! なあっ! おいっ、うんとかすんとか言えよっ!!」

 押し倒された。

「むかついたろっ? 気持ち悪いとおもっただろっ?!」

 啖呵を切って、大声を出した。

「 俺のこと毛虫かなんかみたいに見えてきただろっ?!!」

 無駄だとわかっていても、それでも恋弥は――――

「ほらっ! 怒ってんだろ? 腹立たしいだろ?」

 さほど長くもない髪を振り乱して――――

「だったらぶん殴れよっ!!」

 意外に端整な顔をグシャグシャにして――――

「俺をぶっ飛ばしてっ!! 蹴り倒してっ!!!」

 声を張り上げて――――

「地獄へでもどこへでも堕としてみろよっ!!!!」

 叫び続けた。

「……………」

 予想通り何も言わない癒亜に、恋弥はゼェハァと荒げた息をかけた。
 立ち上がって歩き始める。
 彼は、学習机の上においてあった手袋を分捕り、右手に嵌めた。

 錬具『アガリアレプト』―――触れた対象を「正直に……」の言葉の元に真実をしゃべらせる、拷問いらずの便利な道具だ。

 無論、その力を恋弥と一緒に使い 担任の先生にテストの解答を暴露させたことのある
 癒亜は、その能力を知っている。

「……あ………」

 だから、その呪力から逃れようとベッドから飛びのいたのは当然の事。

「…だっ………だめっ!」

 そして、逃げるのではなく、彼の右手に掴み掛かったのも当然といったら当然の事。

「なっ――! あだっ!!」

 ゴンッ、と鈍い音を立てて 恋弥はフローリングの床に頭から突っ込んだ。

 先ほどの威勢はどこへやら。
 痛みで顔をゆがめる恋弥、目の端にはうっすらと涙が浮かぶ。
 けれどその目は確かに癒亜を見据えていた。

 だが、何も言わないのは痛みのせいだけではない。
 さっきは流石に堪忍袋の緒が切れたようだが。
 二年前も、喫茶店でも、彼は甘んじて抗議しなかった。

 彼にとったら、逃げた癒亜を追いかけることなど容易い事。
 話を逸らそうとする癒亜をいさめるのは容易な事。

 それでも恋弥は、そこまで強要しなかった。
 最後の言葉を、告白の答えを、癒亜の意思で言ってほしかったから。

 だから、今まで彼はこの地で二年も待っていたのだ。

(…じゃあ………わたしは…)

 ――二年も何をしていた?

 恋弥の告白を、(おそらく) 彼の一世一代の大イベントを台無しにして、いったい二年も何をしていた?

 ――『思い出したくない 思い出』――

(…違う…)

 思い出さなかった日なんて一日もない。
 忘れた時なんて一時もない。
 逃げてしまった辛さや疚しさから逃れられた瞬間なんて一瞬もない。

 どんな場所でも悩んでいた。
 どんな天気でも煩っていた。
 きっと、この想いを墓まで持っていくものだと思っていた。

 ――それなのに。

 あたらしい友達が増えるたびに。
 はじめての土地に慣れるたびに。
 彼のいない学校に向かうたびに。

 どこまでも大きく、際限なく広がる少年との思い出。

 いたずらが成功するごとに見せる笑顔。
 他人をからかうと見せる無邪気な横顔。
 そして、いつも隣にいる自分。

 楽しく、愉快なあの日々が脳裏を掠める。

 ――『だったら、こんな時期に戻ってこないな』――

(…違う…)

 理由がないわけじゃない、もちろんある。

 けどそれは、父親が見つかったからじゃない。
 親戚の家でいじめられていたからじゃない。
 ましてや、追い出されたからでもない。

 ”答え”が見つかったからだ。
 いや、答えるべきだと気付いたからだ。

 喫茶店で言えなかったのは、恋弥があまりにも突然に現れたからだ。
 だから、決意の炎は揺らいでしまった。

(でも…いまは……)

 大丈夫。
 揺らいだ炎は再び燃え上がり、より大きく、より熱く、その輝きを増している。
 まるで、ベレトの炎のように。

 言えないわけがない。
 『恋弥は告白した。』
 いままで癒亜を苦しめ続けたその事実が、今だけは勇気をくれる。

(…彼は告白できたのに、自分にできないわけがない。)

 見つめる先には、恋弥の顔。

 もう………逃げない。

 恥ずかしくなんて、ない。
 その証拠に、きっと少年が思いもしないようなことを言ってやる。
 【YES】か【NO】か なんて言ってやらない。

 今から言うのは、癒亜の本当の気持ち。
 幾戦をともに通り抜けた、友としての礼儀。
 二年も待たせて、焦らしてやったきつーいお返し。

(………わたしは)

「わたしは………恋弥がすきっ」

 癒亜の予想通り、恋弥は目を丸くして驚いた。
 彼が求めていたのは【YES】か【NO】の二択であって、彼女から改まって告白してくるとは思わなかったのだ。

 だが、そんな彼の面白い反応はほんの一瞬で。
 すぐに、昔のようないたずらっ子の笑みを浮かべて言った。

「―――はい。たいへんよくできました」

(――――なっ?!)

 そのとき癒亜は、この男には一生かかっても勝てないだろうと確信した。

「えっ?! …なっ?――――ちょ、ちょっと!」
「んぁ?」
「いや……『んぁ?』 じゃなくてぇ。――――あっ、あのねっ。人が勇気を出して告白したっていうのに、そーいう態度……」
「……?? だから労ってあげたろ?……『よくできました』って」
「いや、わたしが言いたいのはね。そーいう―――通知表を返す先生みたいなノリがどうかな……って」
「んぇ?……じゃ、なんて言ってほしいの?」
「……えっ?! …え? ……えっ、え~と……」
「『え~と』はいらんよ」
「ちょっ…そんな前時代的なCMのネタを……あっ! いやっ、ちょっと待って! 考えるからっ」

 必死に考え込む癒亜。
 そんな彼女を見て、恋弥は一言。

「…………どーでもいいけどさ。そろそろ服着たら?」

「どーでもいいんかいっ!!」

 手近に置いてあったティッシュボックスを投げつける。
 恋弥の頭に当たり、パコッ と音が鳴った。

≪5≫

 PM 9:00

「くっ、フッ、ハハハハハッ! じゃあナニ? 向こうの学校じゃ、いじられキャラだったわけ?」

 夜の静寂をものともせずに、それをぶち破る恋弥の大きな笑い声。

「ちょっ、声大きいよぉ。…………うん、まあそうだったかな」

 それをいさめる癒亜の、控えめでも大きな声。

 二つの声は住宅地の闇に消えて木霊する。
 流石にやばいと思って、お互いに シィッ と人差し指を立てた。
 だが、見事にシンクロしたその仕草が、二人の琴線に触れたのか。
 今度は癒亜も交えて、二人で馬鹿笑いしてしまった。

「うるせえー!! ガキどもおっ!!」

 どう考えても『てめえの方がうるせえだろ』とツッコミが入るくらいの罵声を、バーコートーハゲのおっちゃんが窓から顔を出して叫んだ。

「うおっ、やべぇ」

 恋弥は肩にかけたボストンバッグをしっかりと握りなおし、空いたほうの手で癒亜の腕をつかんだ。

「ちょっ……わっ!」

「よしっ、戦線を離脱するぞ。………走れるか?」

「えっ?―――ひゃあ?!」

 後ろのほうで誰かが叫ぶ声がする。

 そんなことにはお構いなしに、二人は笑い合いながら、どこまでも走り続けた。

< つづく >

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