第7章 残り火
1
こういうのはどうだろう?
小野寺晴菜の法則――全ての男は小野寺晴菜に恋をしている。
だがこれは、桐野梓に訂正されてしまった。
小野寺晴菜の法則――男には2種類ある。小野寺晴菜に恋している男と、小野寺晴菜を知らない男と。
さすが梓だ。
たしかにこちらのほうが洗練されている。
成瀬孝太は、大学1年の語学のクラスが、晴菜や倫子と同じだった。
だから成瀬は、小野寺晴菜のことを知っている。
当然、小野寺晴菜に恋している。
ちなみにもちろん、小田ツトムも同じクラスだ。
2
倫子は、3時を少し過ぎてから、タリーズに行った。
成瀬は1階席の窓際の端に座っていた。テーブルの横に二人の女子学生が立って、成瀬に話しかけている。
ちょっと面白そうなので、しばらく様子を見る。
成瀬が何か言って、女の子二人が嬉しそうに笑う。女子二人で肩をつつき合っている。
成瀬は、イケメンはイケメンだが(そうでなければ、用があったとしても倫子がお茶に誘ったりするわけがない)、男らしいというタイプではなく、可愛い顔だちをしている。
ちょっと目じりが下がっているところが、特に可愛い。年上受けしそう。
でも、そこにいる二人組は年上ではなく、きっと1年生だろう。二人の女の子は、身長も髪型も違うのだが、遠くから見て受ける印象はどことなく似ている。
たぶん服装のせいだ。
地方出身者が、東京に出てきて、おずおずとお洒落をはじめました、という格好かな。
年下の女の子から見て、成瀬みたいなタイプはどうなんだろう?
地方から出てきたばかりです、な感じのあの二人から見ると、親しみやすくて、がんばれば手が届きそうに思えるのかもしれない。
女の子の1人が成瀬に、同じテーブルに座っていいですか、といった身振りで話しかけて、成瀬が申しわけなさそうに断る。
それを見て倫子は、成瀬に近づいて「ゴメン、お待たせ」と声をかけた。
「おお、待ったよ~」という成瀬の答えは、女子二人にとっては、親密そうな会話に聞こえたに違いない。二人とも同時に、倫子を見て、品定めの目つき。
1人が成瀬に尋ねる。
「うわ、キレイな人。成瀬さんのカノジョですか?」
その率直さに、倫子は苦笑いする。
彼女たちにとって幸いなことに、倫子は成瀬のカノジョではない。
二人の女子学生は、すこしほっとした様子で、成瀬に挨拶してから別の席を探しに行った。
「モテてるね」
「あの子たち? そんなんじゃないよ。サークルの後輩。色々面倒みてあげたらなつかれて」
「面倒みてあげたとか言っちゃって、いたいけな少女をオモチャにしたんでしょう?」
「おいおい。相変わらず下ネタ好きだね、ミッちゃん」
成瀬が笑う。
しばらく世間話をした。
成瀬と話すのは、6月に飲んだとき以来だ。久しぶりなので、近況報告だけでもそれなりに動きがある。
成瀬は、引っ越して、バイト先を変えて、交通事故に遭ってバイクを壊したらしい。
それから、6月の頃つき合ってたカノジョとは別れたらしい。
「今はオンナ関係は?」
「デートしている女の人はいる。でも付き合ってるって言うのかな?」
バイト先の店長をやっている女の人だそうだ。相手は社会人。かなり年上。
成瀬は、年上キラーだからね。
「つき合いたいの?」
「うーん。たぶん」
気乗りしなさそう。
小野寺晴菜を見た後では、たいがいの女が見劣りするんだろうね。
倫子はしばらく黙ってみる。成瀬が何も聞いてこないので、諦めて自分から言い出す。
「なんで『ミッちゃんはカレシは?』とか聞かないの?」
成瀬は苦笑いした。
「聞かなくてもわかるって。相変わらず、なんだろう?」
「よくご存知で」
共通の友人の噂話をする。すぐに晴菜の話が出た。成瀬が眉をひそめて言う。
「この前、オタが小野寺さんの近くにいるのを見た」
うんうん。知ってるよ。
小田は、晴菜をモノにしてからは、大学にも来るようになった。フーゾク通いの軍資金のためにバイトに励む必要は、もうなくなったというわけだ。
過去の経緯もあるので、小田には、大学では晴菜に近づくのは慎んでもらっている。もっとも、「禁止」はしていないというところが、倫子のいやらしいところだ。
北村のことを少しだけ小田に話したら、小田は、自分も学内フェラチオをさせてみたくなったらしい。トイレに連れ込んでしゃぶらせた。
その直後、具合悪く成瀬に会った。
よりによって一番間の悪い相手だ。
なんといっても、小田が晴菜にストーカーしたとき、小田を捕まえたのがこの成瀬だからだ。
大学内で晴菜の横を歩いている小田を見つけて、成瀬は、小田の胸倉を掴んで問いただした。
成瀬は、小さい頃から空手を習っていたので、可愛い顔に似合わず、強い。
本質的には気が弱い小田は、しどろもどろで、ガクガク震えるだけだ。情けないことに泣き出した。
そこを晴菜が「ツトムさんは、単に謝ってくれてただけだから」ととりなした。
プリンセス晴菜にそこまで言われて、忠実な下僕の成瀬(晴菜にはフラれた忠実な下僕)が逆らえるわけがない。しぶしぶ成瀬は小田を解放した。
小田は逃げ出すようにその場を去った。
ちなみに、その夜、小田のほうは晴菜に八つ当たりして、たいそう乱暴なプレイを強要したとのことですが、それはまた別のお話。
小田が逃げ帰ったあと、晴菜は成瀬に、「もうツトムさんは反省しているから、そんなふうに乱暴なことはしないで」と諭したらしい。
成瀬としては、晴菜に対する忠誠心のつもりが、そんなふうに窘められて、納得いかなかったはずだ。
しかも、晴菜は小田のことを、「ツトムさん」などと恭しく呼んでいる。怪しんで当然だ。
そこでこうやって倫子に相談しているというわけだ。
倫子は、「謝ってきたって話は、ハルハルからも聞いてたけど、そんな様子だっただなんて、思いも寄らなかったよ」と、驚きながらため息をついて見せてやる。
「ねえ成瀬クン、今度、一緒に、晴菜に直接聞いてみようよ。いい機会だし、久しぶりに飲みにでも行こう」
その場で晴菜に電話して予定を聞いた。その週の金曜日の夜に飲みに行くことにした。
「ところでハルハル、あのねえ、成瀬クンってね、いま10歳年上の女の人とつき合ってるんだって。若さと体力にモノを言わせて、年上の女を手玉にとって、貢がせてるって。昨日マンション買ってもらうことになって、一緒に見に行ったんだって。信じられないよね。1年のときは、あんなに素直そうないい子だったのに」
それを横で聞いて成瀬が目の色を変える。送話口に聞こえるように、「違うって、ミッちゃん黙れ!」と大騒ぎして、ケータイを取り上げて、自分で直接話す。
「小野寺さん、今のウソだからね」
必死に弁解を始める。
今さら、晴菜に弁解していい印象持ってもらっても、晴菜にはれっきとしたカレシがいるんだし(そのうえ小田っていうキョーレツなセフレもいるんだし)、成瀬クンにはなんのチャンスもないんだけどね。
とりあえず倫子は、成瀬の反対側からケータイに顔をつけて、会話を盗み聞きする。
成瀬と倫子が親しげに二人の顔をくっつけて、間にケータイを挟んでいる格好になっているので、さきほど成瀬と話していた1年生の女子二人が、険しい目でこちらのほうを見ている。
ケータイの向こうでは晴菜が笑っていた。小田との逢瀬を目撃されたという、成瀬に対する気まずさはない。
《大丈夫大丈夫。ミッちゃんがウソつきだってことくらい私も知ってるから》
ふふふ、バカね晴菜。
どのくらい私がウソつきかは、知らないくせに。
成瀬がわざとらしく声をひそめて言う。
「小野寺さん、友達はちゃんと選んだほうがいいよ」
晴菜も調子を合わせて、声をひそめる。
《うん。実は私も最近、友達選びを考え始めたとこ》
ここはお約束よね。倫子が口を挟んだ。
「あんたら、なに聞こえるように人の悪口話してるのよ」
《あ、ミッちゃんにも聞こえてた? ふふふ。でも、ミッちゃんのことだなんて、一言も言ってないのに、どうして自分のことだと思うんだろう?》
晴菜が楽しそうに笑う。
倫子は心の中で嘲笑った。
友達選びなおすのには、もう手遅れなんだけどね。
倫子は、裏でこそこそと晴菜を陥れながら、ふだんは友達ごっこをするというのがとても楽しい。
さあ、次の舞台は、金曜日の夜だ。
友達ごっこの新たな展開!
3
成瀬孝太は、本当にいい人だったと、倫子は思う。
カワイイ系の顔だちだったけど、中身はどちらかというと硬派で、真面目ないい子だった。機転が利くとか、冗談が上手いとか、そういうタイプではなく、実直で素直だった。
硬派なので、女の子は苦手だった。大好きな晴菜に対しても最初のうちは、真っ赤になって緊張して話しかけられなかった。
そういうところも、カワイくて、魅力的。
小田のストーカーぶりを、倫子は面白半分で周りに話した。
それに対する成瀬の反応は、献身的で涙ぐましいくらいだった。晴菜のことを守るだなんて、忠誠心溢れることを言い出した。
晴菜にいいとこを見せたい他の男たちが同調したせいで、警備団を組織して護衛張込みまでやることになってしまった。
現場を押さえることにこだわらなくても、直接小田を捕まえてドロを吐かせればいいと思うんだけど。
でもまあ、おもしろそうなので、倫子は男どもをけしかけてみた。どうせ小田が捕まるなんてないだろうと思っていたのに、小田は本当にバカで、のこのことやってきて張込み初日に成瀬に捕まってしまった。
小田の謝罪の一幕の後日、晴菜は、お礼に、みんなに手料理をご馳走してくれた。
晴菜のファンにとって、晴菜姫おん自らの手料理を食べられるなんて、夢の食事会だ。だが、成瀬は都合が悪いということで来なかった。
成瀬は晴菜に気があるはずなので、倫子には意外だった。
なにかあるなと思った。
小田を現行犯逮捕した成瀬は、最大の功労者と言っていいはずだ。
食事会に来れなかった成瀬に、晴菜が別途なにかお礼をしようとすると、成瀬は、かわりに1日デートにつき合って欲しい、と誘ってきた。
なんだ、そういうことか。
成瀬は、カワイいし、いい子だし、晴菜もまんざらでもないだろう。
晴菜は当然OKした。
例によって倫子は、晴菜の男除けをやった。
いつものごとく、晴菜に成瀬を売り込むふりをしながら、晴菜に疑念を吹き込んだ。
小田退治で成瀬は晴菜に貸しがある。本来晴菜が借りを返さないといけないはずなのに、成瀬はデートで高い料理やワインをごちそうして、さらに貸しを作る。そこで口説いたら、女としては断りにくい。
あいつは勝負に出ている。
ハルハル、あいつはホンキよ。アソビなんかじゃない。
真剣に、あいつの気持ちにこたえてやって。
「誠意を見せる」「気持ちを込める」と言えばいいところを、あえて倫子は、「貸し」「借り」とナマナマしい言葉を使ってやった。
倫子の予想通り、ロマンチストの晴菜は、駆け引きじみた恋愛は好きではない。晴菜の中に、かすかにあったはずの、ときめくような期待感はしぼんでしまった。
きっと成瀬は、女慣れした友達の誰かに入れ知恵されたんだろう。
ばかだなぁ。
プレーボーイの勝負のしかたと、純情ボーイの勝負のしかたは違う。
成瀬自身は誠実なキャラが売りなんだし、晴菜もそういうストレートな気持ちに弱いはずだ。貸しに付けこむような口説き方は、むしろ避けるべきだったのに。
成瀬は女心を察することはできない。
コクる前に探りを入れるようなこともなく、逃げ道のない口説き方をして、あっさりと玉砕した。
ただ、倫子の誤算は、倫子が成瀬を食い損ねたことだ。玉砕して完全敗北してしまったせいで、相談に乗りながら仲良くなると言ういつもの手は使えなかった。
4
金曜日の3人での飲み会は、晴菜がドタキャンした。
成瀬と倫子がテーブルに着いて、晴菜を待っていると、晴菜から倫子に電話がかかってきた。約束した時刻を15分過ぎていた。
急に都合が悪くなって行けなくなったと言う。
「ねえ、ハルハル。そんなのもっと前にわかったはずでしょう? 前もって連絡してくれたら調整しようがあったのに、なんでこんなドタキャンするわけ?」
倫子は顔をしかめながら、成瀬に向けて、右手の人差し指でバツを描く仕草をしてみる。
成瀬が、え?と聞き返す表情をするので、もう一度同じ仕草をして、大きな口パクで「ハルハル」と伝える。
成瀬が目に見えてがっかりする。
素直な子。
ケータイの向こうで晴菜が答える。
《ご……ごめん、急……だったから》
晴菜はくぐもった声で、途切れ途切れに言う。
倫子は、成瀬にも聞こえるようにしながら、晴菜をとがめる。
「だいたい、この日って、ハルハルの予定に合わせたんだよ。お店も、ハルハルがスペイン料理が食べたいって言うから。
成瀬クンも楽しみにしてたんだよ。成瀬クンに失礼だよ。ハルハルから直接謝りなよ」
返事を聞かずに、ケータイを成瀬に渡す。
「あ、もしもしオレ」
成瀬は、晴菜の弁解に耳を傾ける。ものわかりのいい成瀬は、すぐに納得してやっている。
「うん、急な用だったら、しょうがないよ」「そんなに気にしなくてもいいよ。そうだね、また今度飲もうよ」「ミッちゃんは、オレに気を使ってくれて怒って見せているだけだと思うから。言っているほどは怒ってないって」「いや、そんなこといいよ。……ああ、そうだね……うん、それじゃ、ミッちゃんに代わるね」
最後に晴菜は、もう一度倫子に謝ってから、電話を切った。
ケータイを閉じたあと、倫子は試しに成瀬に聞いてみた。
「ハルハル、何の用だって言ってた?」
「いや、別になんにも」
「そうよね。私にもなんにも言ってなかった……」
もったいぶった間を空けてから、成瀬に聞く。
「電話の向こうで、なんかヘンな音してなかった?」
「そう? 別に気が付かなかったけど?」
「ならいいけど……」
倫子は、それ以上は聞かなかった。
成瀬は、すっかり気を落としていたものの、しばらくして気を取り直した。
成瀬は油っこい料理が好きだったから、この店の料理は口に合うはず。
料理を楽しみながらおしゃべりをした。
晴菜に小田のことを確認するのが今夜の本来の目的だったので、主賓の晴菜はいないものの、小田の話題にもなった。
成瀬は当然、小田に対しては悪い印象しか持っていない。
成瀬は小田の悪い噂も聞いていた。小田に乱暴されそうになった女の子がいるという。
成瀬と倫子は、一通り小田の悪口を言って、憂さを晴らした。
倫子は、晴菜と今井弘充のラブラブエピソードを話してやった。
この話をすると男たちがガッカリするので、倫子は気持ちいい。小さな失恋を味わっている男たちに、倫子が気のあるそぶりを軽く見せてやると、食いつきがよくなる。
成瀬は、「そっかぁ、小野寺さん、いいカレシができて良かったねぇ」と、さびしそうに微笑んだ。
5
店を変えようと移動している途中で、成瀬は倫子から腕をつつかれる。
「ちょっと、あれ……ハルハルじゃない?」
成瀬は、倫子が指さすほうを見る。
こちらに向かって歩いてきているカップルがいる。その女性のほう。
ネオンと街灯の明かりだけでは顔は良く見えない。
だが、成瀬が晴菜の姿形を見違えることはないだろう。
すらりとした体型、肩までかかるストレート。それから、長袖のピンクのブラウスと、2段のティアードがある膝上丈のベージュのミニスカートは、昼間大学で見かけた服装と同じだ。
「あホントだ」
「何やってるのあの二人?」
晴菜が、男の腰に腕を巻きつけて、寄りかかるようにして歩いてくる。立ち止まって、晴菜が背伸びして、男に顔を寄せる。顔を傾け、男とキスを交わす。そのまま数秒間動かない。
周りを通る人だかりが、その二人をじろじろと見ながら、避けて通る。
成瀬は心の中で否定する。
違う!
あれは小野寺さんじゃない!
小野寺さんが道路の真ん中で、こんなことするわけない!
別人だ! ぜったいに。
でも、似ている……
成瀬と倫子は、立ち止まってそのカップルを眺める。
倫子も同じことを思っていたらしい。
「あれ……、あんなことするの、ハルハルじゃない……よね?」
「う、うん……」
キスを終えたカップルは、再びこちらに向かって歩いてくる。
歩きながらいちゃついている。男が女の顔を触ったり、髪の毛を触ったりするのはまだしも、胸に触ったり、お尻に手をやっている。
女の方は、ずっと男の顔を横から眺めていて、男に触られるとくねくねと身体を動かす。二人とも自分たちだけに夢中で、まっすぐに歩いていない。
人目を気にしないバカップルぶり。いくら六本木でも、まだこの時間帯では、こんなカップルは少ない。
男が女の襟元にキスをした。女が身体をのけぞらせるようにして、体を捻る。
たまたま街灯の下で、正面から顔が見えた。
その端正で品のある美貌は、見間違えようがなかった。
小野寺晴菜だった。
小野寺さんが、人前でこんなことを?
そんな、まさか……。
身体中の血がゾワゾワとざわめく。
倫子が成瀬に身を寄せてくる。不吉なことを口に出すのを恐れるように、声をひそめる。
「あれ、ハルハルだし……それに、あいつ……小田じゃないの?」
成瀬は、晴菜の姿形は自信をもって見分けられるが、嫌な小田のことははっきりと覚えていない。
だが確かに、先日見かけた小田と風貌体格が似ているような気がする。
けど、まさか……!
小野寺さんが小田と?
ありえない。あんなに嫌っているんだから。
それに、だって、小野寺さんはカレシがいるんじゃなかったのか?
呆然と立ちすくんでいる成瀬の腕を倫子が掴む。
「直接聞きに行こう」
成瀬がしっかりと歩こうとしないので、倫子はもどかしそうに腕を絡ませて引きずっていく。
晴菜たちに近づく。
この距離まで近づくと、晴菜と小田だということは見間違えようがない。恋人同士のようにいちゃついている。周りのことは見えないらいしく、成瀬たちに気づく様子はない。
成瀬の目の前で、あの汚い小田が、晴菜の身体をべたべたと触っている。
晴菜は、それを嫌がるどころか、うっとりと小田の顔を見つめている。本当に、恋人を見るように、澄み切った瞳を潤ませている。整った美貌は、成瀬がこれまで見たこともないほどに、甘く緩んでいる。
成瀬は何も言えない。
倫子も何も言わない。
二人は晴菜に近づいていく。
すぐ目の前まで来たのに、晴菜も小田も気づこうとしない。
倫子が、とがった声で呼びかけた。
「ハルハル!」
その声に、晴菜が顔を向けてくる。
「何してるのよハルハル!? こんなところで」
晴菜が、成瀬と倫子の姿を見て驚く。
「ミッちゃん……、成瀬くん……」
小田が、ニヤニヤ笑いながら言う。
「おや、こんばんは。あんたらもデート?」
成瀬が小田の言葉を聞きとがめる。
あんたら「も」?
そんな……
倫子が小田の言葉をさえぎる。
「あんたは黙ってて。私は、ハルハルに聞いてるの。私たちとの約束をドタキャンして、なにをやってるのかって」
晴菜は、倫子の剣幕に目を伏せる。
「ミッちゃん……」
それ以上言葉が出ない。
その間も小田は、晴菜の肩を抱き寄せ、成瀬たちに見せつけるようにブラウス越しに晴菜の胸に触る。
あまりの光景に、成瀬がカッとなる。
「小田! その手を放せよ。小野寺さんに触るな!」
小田の手を払いのけようと成瀬が詰め寄ると、小田を守るように晴菜が前に出る。
「やめて、いいのよ、成瀬くん」
そう言って晴菜は、自分の胸を揉んでいる小田の手に自分の左手を添える。小田にいっそう身をすり寄せる。
成瀬が伸ばしかけた手を凍らせる。
「小野寺さん! どうして!?」
どうして、小野寺さんが小田をかばうんだ? あんなに小田のことを嫌がっていたはずなのに!
小田が嘲笑う。
「ま、そういうことだ。ヤキモチ焼きたいキモチもわかるが、ボクたちの邪魔をしないでくれ、成瀬クン。みっともないよ」
からかうように言う。
あの小田が、オレのことをばかにするのか?
「小田、おまえ!」
晴菜がとがめる目で成瀬を見る。
それがあまりにショックで、成瀬はひるむ。
倫子が成瀬を引き止めるように、腕を引き寄せる。倫子は冷静な声で言う。
「成瀬クンも落ち着いて」
それから、晴菜に向き直る。
「私はハルハルに聞きたいの。どういうことなの? 私たちをすっぽかして、なにやってたの?」
「……ごめんさい」
「なッ」
倫子は、怒鳴りかけて、息を継ぐ。無理やり感情を抑えているような機械的な声でしゃべる。
「謝られてもよくわからないの。ハルハル。ちゃんと答えて。いったい何をしてたの今まで。どうして小田と一緒なの?」
倫子と晴菜のやり取りを尻目に、小田が平然と晴菜のブラウスの襟元のボタンをはずす。
成瀬は目を見張る。言葉が出ない。
晴菜は抵抗するどころか、身を寄せたまま、甘えるように肩を揺らしている。話している倫子に対しても失礼だ。
晴菜が、うつろな声で答える。
「その……、ごめんなさい、ミッちゃん、それは、今度話すから……」
「今話してっていってるでしょう! ごまかす気!?」
小田が口を挟む。
「それはだな、ミッちゃん……」
「馴れ馴れしくミッちゃんだなんて呼ぶな! あんたには聞いてないって言っただろ!」
小田は、「はいはい」と首をすくめる。
かまわずに晴菜のブラウスの襟の中に手を入れる。
成瀬にも、晴菜のブラジャーと胸の谷間が見えて、ドキリとする。
成瀬の大好きな小野寺晴菜が、街中で服を脱がされている……。
小田が、まるで自分の持ち物のように、晴菜の美しい身体に触れている光景から、成瀬は目をそらすことができない。
胸を触られた晴菜が、身体をくねらせて、「アハン」とため息をつく。
その反応が、成瀬の胸を突き刺す。
ああ、どうして?
どうして小野寺さんがこんな……?
晴菜が気持ちよさそうに小田の愛撫を受け、倫子をシカトしているので、倫子が業を煮やす。
「ハルハル! いい加減にして! なにいちゃついてんのよ! 私が話してるのよ!」
晴菜が困ったように小田の顔を窺う。小田にすがりきった態度。
小田が晴菜に促すように言う。
「しょうがないだろ、言ってやれよ」
晴菜が倫子の顔を見る。小田にオッパイを揉まれて、とろんとした目をしている。倫子に睨まれて、すぐに目を伏せる。
「今までずっと、ツトムさんと二人でいたの」
「なんでよ。どういうことよ! 二人でなにやってたの? 私たちとの約束をすっぽかすほど大事なこと? 私たちのほうが先に約束してたんでしょう?」
倫子が次々と問い詰める。
倫子の激昂を気にもかけず、小田は晴菜の身体を弄ぶ。右手で胸を触りながら、横向きになって、左手を晴菜の背後に回す。その手の動きは見えないが、晴菜が腰をまわすように動かすので、お尻を触られているのだと判る。
小田はチラチラと成瀬の顔を見てフッと笑う。成瀬の感情を逆なでするためにわざとやっているのだ。
その光景に目を奪われて、成瀬は倫子と晴菜のやりとりもほとんど耳に入らない。
「その……ツトムさんとは、二人でずっと……ミッちゃん、ごめんなさい。その、私、どうしようもなくて……」
倫子の声が少し低くなる。
「どうしようもなくてって? 小田に脅されたの?」
晴菜が慌てて否定する。
「そうじゃなくて……」
「じゃあ、どういう意味よ?!」
「私……その……ツトムさんと一緒にいたくて……」
晴菜は、自分を恥じるように顔を伏せる。
「何よそれ? どういう意味よ? わかんないんだけど?」
小田が、しょうがないなあといった調子で口を挟む。
「だからぁ、見れば判るだろう? 察してやれよ。さっきからずっと、晴菜とボクはヤリまくってたんだよ。晴菜は、ボクとエッチしたくてしょうがなかったって、そう言ってるんだよ」
成瀬の顔からさっと血の気が引く。
「晴菜は、夢中になりすぎちゃって、あんたらとの予定を忘れたんだよ。で、ボクが注意してやったんだよ。約束の時間だぞって。
でもこの晴菜のヤツは、ボクのチンポから離れたがらないんだ。それじゃお約束の相手に失礼だぞって、たしなめてやったら、しぶしぶお前らにお断りの電話を入れたってわけだ。晴菜ってヘンタイだから、お前らに電話している最中も、ボクの上から降りようとしなかったんだよ。
ま、そんときボクは、約束の相手はお前らだって知らなかったんだけどな。知ってたら、そこまで気を使ってやることもなかったよ」
成瀬が、やっと言葉を搾り出す。
「うそ……小野寺さん、そんなことないよね? うそだよね? こいつの言ってること?」
晴菜が、後ろめたそうに、小田の言葉を肯定する。
「ごめんなさい……」
「小野寺さん……」
成瀬は泣きそうになる。
倫子が怒りのこもった声で晴菜に聞く。
「どういうこと? ハルハル? 小田とデキてんの? 今井クンは? あんた、小田のことあんなに嫌がってたよね?」
倫子の声がだんだん高くなる。
「私や成瀬クンに、小田のこと追い払わせたりしてたよね? それでなに? 裏ではこっそりと小田とデキてたの?
ねえ、どういうこと? 説明してよ。
あんた、私たちのこと裏切ってたの? ずっと小田とデキてたこと隠して、真剣に心配してた私たちのこと、へらへらと笑ってたの?
何か言いなさいよ。ハルハル!
今夜も、成瀬クンと私、小田のことでハルハルの心配してたのよ? その間あんたは、小田に抱かれて気持ちよがってたんだ?
ふんっ。サイテー。
ほら、黙ってないで、何とか言いなさいよ! そんなふうに、カワイコぶって泣けば許してもらえるとでも思ってるの!?」
激昂した倫子の声は、最後は怒鳴りつけるようになる。
晴菜は怯えて涙ぐむ。倫子にこんなに厳しく問い詰められたのは初めてだ。
周りの客がじろじろと見ているのに気づいて、倫子はいったん声を抑える。低い声で、晴菜に言う。
「説明しなよ。あんた、私を裏切ってたの? 私の前では友達ヅラして?
私だけじゃない。成瀬クンも! 今井クンも!
そうなの? ねえ、そうなんだね!」
「……ごめんなさい。でも、私、本当に、どうしようもなく……」
倫子が氷のように冷たい声でさえぎる。
「言いわけはいいわ。なにも聞きたくない」
倫子も晴菜も黙り込む。
小田が感情を逆なでするのんきそうな声で言う。
「ま、二人とも、そうカッカするなって。男女のことは、しょうがないじゃんか? な、晴菜?」
そう言って、無神経にも晴菜にキスをする。
一瞬嫌がる様子を見せた晴菜だが、小田に顎や口の周りを舐められると、我慢しきれなくなったかのように、キスに答えてしまう。そのまま、成瀬と倫子の前で、ディープキスを交わす。
晴菜は小さい口を懸命に開けて、小田の汚い口に吸い付く。舌を交換し合い、合わさった唇の隙間から唾液が滴る。相手のことだけに夢中で、成瀬たちのことはまったく気にも留めていない。
二人の関係を見せつけられて、成瀬は呆然となる。
倫子が、毒づく。
「サイテー。恥ずかしくないのかしら? このヘンタイ女。こんな女のことを、私、天使みたいだなんて言って褒めちぎってたんだ?」
長々としたキスを終えて、小田が晴菜にささやく。
「これで、気持ちがおさまったか? あいつらのことは気にすんな。お前はボクがいれば、幸せだろ? な?」
晴菜が、キスの余韻に浸るような恍惚の表情で頷く。
「ほらキスするだけでこんなに気持ちよくしちゃって」
小田が、無造作に晴菜のスカートに手を入れる。
「アハン、イヤン」
晴菜は、じゃれ合うように口ではそう言って、まったく抵抗はしない。可愛いデザインのスカートがめくれて、小田の指がショーツをまさぐっているのが成瀬の目にもわかる。小田の指の動きと息を合わせるように、晴菜が細い腰を前後に揺する。
あんまりだった。
あの大人しい晴菜が、人前でこんな恥ずかしげもないふるまいをするなんて。
それも、成瀬たちに見せつけるように。
倫子が心配そうに成瀬に尋ねる。
「成瀬クン、大丈夫?」
「あ、ああ」
「この女に、なにか言いたいことあったら、はっきり言ってやった方がいいよ」
「いや、もう、いい……」
成瀬が力なく首を振る。
「そう……。ショックだよね……。あんなにハルハルのこと好きだったもんね。……こんなやつらほっといて早く帰ろ」
倫子が成瀬の腕を取って立ち去ろうとする。
晴菜の股間をまさぐって、晴菜をあえがせていた小田が声をかける。
「おい、お前らも、今夜は一発ヤルのか? なんだったら、ご一緒にどうだ?」
倫子が言い返す。
「黙れ。そんな、人前でパンツの中身触られてヨガル女と一緒にするな!」
侮蔑のこもった倫子の言葉に、晴菜は、悲しそうに細い眉をひそめる。
小田が気分よさげに笑う。
「親友のことをそんなふうに言うのはよくないなぁ。そうそう、晴菜の親友のあんたに、ちょっと預かってて欲しいんだけど、いいかな? もう晴菜はパンツ要らないみたいだから」
そう言って小田は、晴菜の耳元に囁いて、晴菜に促す。
晴菜は、恥ずかしそうにしていたが、こくりと頷いて、スカートの中に手を入れて、ショーツを脱ぎ始める。
成瀬はもう、これ以上、憧れの晴菜の変わり果てた姿を見るのは耐えられない。。
でも、どうしても目をそらせない。
街中で、あの小野寺晴菜がショーツを脱ぐ姿から……。
晴菜は、スカートの裾で股間を隠しながら、おずおずと、ピンクのショーツから片足ずつを抜く。真っ赤になって、それを小田に差し出す。
小田が、手にとって、適当に匂いをかぐ。
「ははは。やらしい牝のにおいがする」
そんなひどい感想を言って、晴菜に返す。
晴菜は、小田になじられたというのに、嬉しそうにはにかむ。
どうして小野寺さんがこんなことに……?
成瀬は何度も繰り返した言葉を頭の中で繰り返す。
「ほら、晴菜。お友達のミッちゃんに預かってもらいなさい」
晴菜は、小田の非常識な命令に従順に従う。小さな声で倫子に言う。
「ミッちゃん。私のショーツ、持っていて欲しいの。もう、私、今日は要らないから……」
倫子が、晴菜の顔を黙って睨みつける。数秒間動かない。
晴菜は目を伏せたまま、何か言いかける。
「ミッちゃん……」
言葉をさえぎるように、倫子が、乱暴に晴菜の手からショーツを奪った。
「あんた何様のつもりなの? あんたの頼みなら、何だって私が聞くとでも思ってるの? そう? わかったわよ。でも、今回が最後よ。餞別だと思って聞いたげる。そのかわり、二度と私の前に、そのイヤらしい顔は見せないで」
晴菜が泣き出す。
「ミッちゃん……、その、そんなつもりじゃ……、ねえ、聞いて……わかってほしいの。わたし本当に、自分でもどうしていいかわからなくて……」
倫子は聞く耳を持たない。晴菜の目の前で、奪ったばかりのショーツを地面に叩きつける。そして、晴菜に見せつけるようにヒールで踏みにじる。ピンク色のショーツが土汚れにまみれる。
言葉より雄弁なその動作を見せられて、晴菜は言葉を失う。
倫子は、無表情に言った。
「さよなら、小野寺さん」
倫子は、踏みつけにしたショーツをしばらく睨みつけてから、汚そうに指先でつまんで地面から拾う。何も言えない成瀬の腕を掴んで、その場を立ち去る。
背中越しに、楽しそうな小田の笑い声が聞こえてきた。
6
成瀬と倫子は、晴菜たちに背を向けて、とぼとぼと歩く。
成瀬はショックのあまり沈黙したままだ。
倫子は、唾を吐くように、晴菜への憤りを言葉にして吐き出す。
「ヒドすぎる。ずっと騙されてたのよ。信じられる?
私たちがハルハルのために、やってあげたことはなんだったのよ! 成瀬クンなんか、あんな大変な思いして、ハルハルのために小田を捕まえてあげたりして。そこまでやらせといて、表面上は私たちの友達ヅラして、で、こっそり自分は、小田といちゃいちゃ! バカにしてる!
今夜だって、小田とヤリまくってて、私たちの約束すっぽかしたんだよ。で、約束の時間過ぎてから『しぶしぶ』断りの電話入れてきたって、何様よあの女!
一番かわいそうなのは、今井クン。周りには今井クン一筋でラブラブだと見せかけといて、小田とあんな恥ずかしいことしてるなんて!
もうやだ。あんな女。今度顔見たら、殺したくなるかも」
ふと、倫子が立ち止まった。成瀬はぼんやりとしてそのまま歩きかけたので、倫子が引き止める。
倫子がそっと振り返る。成瀬がつられて倫子の視線を追う。
人ごみにさえぎられて遠く離れても、晴菜の美しい後姿はすぐに見つかる。相変わらず、小田の太った身体に身を寄せてフラフラと歩いている。
とても見ていられない。
あの小野寺さんのあんな姿……
倫子が、低い声で言う。
「あいつらの後をつけよう」
成瀬が何も言わないので、倫子がもう一度言う。
「成瀬クン、こっそりあいつら追いかけて、何やってるのか見てやろうよ」
「……やめようよ。そんなことしても、どうしようもないし」
成瀬は落ち込んでいて、何もやる気がおきない。酒でも飲んで、忘れてしまいたい。
倫子が説得する。
「なんか、このままだと気がおさまらない。ハルハルの本性確かめたい」
「オレはもうなにも考えたくない……」
倫子が、成瀬を気遣うように、背中に手を添える。
「成瀬クンの気持ちはわからないでもないけど……。でも、考えてみたら、ハルハルの様子ちょっとヘンだったし。もしかしたら……もしかしたら、小田にむりやり言わされてたってこと、ありえるんじゃない?」
その指摘は、ほんのわずか成瀬を力づける。
「そんな……、だとしても、どうして?」
「弱みを握られて脅されているとか? ストーカーの小田なら、ハルハルの秘密を調べてたりしてもおかしくないよ」
たしかに……。たしかにその可能性はあるかも。
成瀬は、その可能性にすがりつく。晴菜があんなヤツと男女の関係だなんて、信じたくない。晴菜があんな恥ずかしい露出狂オンナだったなんて、認めたくない。
晴菜が、あんなことを人前でできるなんて、ありえない。
晴菜が小田のことをずっと見つめていたのは、晴菜と小田の親密さの証拠ではなくて、小田のことを怖がっていたからではないか。
そう考えたほうが、納得できる。晴菜の性格とも、これまでの出来事とも、矛盾しない。
「だとしたら……」
だとしたら、このまま放っておくのは、晴菜を見捨てるということになる。
そんなことはできない。とても見過ごせない。
小野寺さんを助けないと。
ショックに打ちひしがれていた成瀬に、初めて積極的な行動の意欲が湧き上がる。
成瀬は倫子の方を見てうなずく。
「追いかけてみよう」
成瀬が迷っている間に、晴菜と小田の人影は見えなくなっていた。
二人の姿を求めて成瀬は、倫子の手を引きながら人ごみをかきわけた。
7
晴菜と小田の姿を見失った。
気が急いている成瀬が、間違った方向を探そうとする。それを正しい方向に誘導して追いつかせるのに、倫子は手を焼いた。
小田には前もって指示してあったので、いちゃついている二人の歩く速度は遅い。そのおかげで、店に入る前にどうにか追いつくことができた。
倫子と成瀬は、晴菜たちの後ろから距離を置いて歩いた。
晴菜と小田は、ときおり歩を止めて、周りの目を気にせず口づけをする。小田の手は晴菜の胸元にあり、晴菜の手は小田の股間に伸びている。
倫子が成瀬のほうを窺うと、唇を噛みしめているのがわかる。
晴菜の美貌があまりにも際立っており、一方の小田があまりにも不釣合いに醜いので、周りは不審げに二人を見る。美人が人前で平然とキスをするのを見て、その方面の仕事の女だろうと納得する。女は蔑みの目で、男は欲望の目で、晴菜を見る。
成瀬には、大好きな晴菜がそんな好奇の目を集めていることが耐えられないようだ。
倫子にとっては、すばらしい光景なのだが。
歩いている間も、小田の手は、ノーパンのスカートの中に忍び込み、時折スカートをひらりとめくり上げたりする。そのつど晴菜は、腰をくねらせて、小田に身体をこすりつける。
倫子が疑わしそうに成瀬に聞いてみる。
「あれ全部脅されてやってるのかな?」
成瀬は、歯を食いしばるようにこたえる。
「それを、確かめないと」
「そうよね」
倫子は、うれしい気持ちが声に出ないように注意する。
「でも、あれが、全部強制でないんだとしたら……ハルハルって、ヘンタイだよ。あんなキレイな子なのに……。私、ハルハルがあんな子だなんて全然知らなかった……。すっかり騙されてた」
仮定の話を装って、成瀬の純真な思いを痛めつける。
「ねえ見て、またアソコ触られて、喘いでる」
「なんか、キモチよさそう……。ヘンタイだわ」
「さっき、自分でもアソコを触ったよ!」
拷問に耐え切れなくなった成瀬が音を上げる。
「きっと、あれは、全部、イヤイヤやってるんだよ。小田が怒るから。小田が脅すから。だから、本当のことがわかるまで、そんなふうに言うのはやめようよ」
晴菜の嬉しそうな態度と表情を、これだけ見せつけられたのだ。成瀬も内心では、小田に強制されているなんて、信じていないはずだ。それでも成瀬は、自分自身を説得するために、わずかな希望にすがりついている。
倫子は、話をすり替えて、成瀬を気遣うふりをする。
「あっ、ゴメン。私、自分のことしか考えてなかった……。自分だけが裏切られたみたいなこと言って……。
成瀬クンのほうこそ、傷ついてるよね。ハルハルのために、あんなにやってあげたのに。ハルハルのこと、本当に好きだったのに。
それなのに、あんな女だとわかって、ショックだよね? 幻滅だよね?」
そういいながら、成瀬に身をすり寄せ、身体に触る。
倫子の言葉にあおられて、成瀬が身体を震わせている。
「ミッちゃん、オレが小野寺さんのこと好きだなんて……」
「わかるわよ。そのくらい。私ずっと成瀬クンのこと見てたんだから。ずっとそばから見てたんだよ、成瀬クンの気持ちくらい、すぐわかるわよ」
その言葉に、成瀬が倫子の顔を見る。感情の溢れそうな表情。
倫子は手ごたえを感じる。
バーかなにかで二人きりだったら、このまま落としてしまうんだけど……。
でも、今はそんなことよりもっと美味しいショーの最中だ。
倫子は、成瀬の腕に手を絡ませながら、晴菜のほうを見た。
「私も成瀬クンも、ハルハルに傷つけられた同士なんだね」
晴菜と小田は、通り沿いにあるビルの奥に回りこんで、エレベータを待つ。その間も、二人は平然といちゃついていた。倫子たちは、遠くからそれを見守る。
エレベータのドアが閉まると、成瀬はドアに駆け寄って、階数表示が8階で止まったことを確かめた。
成瀬が気ぜわしくエレベータの開ボタンを何度も押す。
上で鉢合わせしないよう、倫子が引き止めて、少し時間をおかせた。
これから見届けることになる光景を、成瀬はどのくらい覚悟できているのだろう?
8
店の前で初めて、成瀬は、ここがカップル喫茶だということに気づいた。
ためらうように倫子の顔を見る。
倫子が頷いてやる。
「ここまで来たんだから、見届けてやろうよ」
料金を払って店に入る。
ムードをかもし出す薄明かりの中で、晴菜たちを探す。
小田は、中央の一番目立つ席を選んでいた。間仕切りが低く、誰からも見える席だ。
晴菜のような最高の女を連れていることを、みんなに見せびらかしたいのだろう。
小田と晴菜は顔を寄せ合って会話をしている。特にいやらしいことをしている様子はない。外を歩いているときのほうがもっといちゃいちゃしていたくらいだ。
倫子たちが追いつくのを待っていたのだ。
だがそんなことは、成瀬は知らない。晴菜も知らない。
成瀬は、店の雰囲気に戸惑っている。
店内では、それぞれの席でカップルが、キスし合ったり、互いの身体を触りあったりしている。
真面目で女に不自由しなさそうな成瀬は、こういう店に縁はなかっただろう。倫子だって、父親の仕事がなければ、こんな世界を知るはずはなかった。
倫子が、成瀬を導くように席を選んだ。
晴菜の席から、斜めに2席を挟んだ壁際の席だ。段差があって少し高い位置にあり、斜め上から晴菜がよく見える。間仕切りがわりに観葉植物が置いてあるので、相手からは気づかれにくい。
小田が選んだ席は見られて楽しむカップルが選ぶ席で、倫子が選んだ席は見られたくないカップルが選ぶ席だ。
倫子は成瀬と並んで座る。できるだけ成瀬に身体を密着させて、囁く。
「どう思うあの二人? こんな、見せびらかして楽しむような店に来るなんて、ヘンタイじゃない? 見てくださいって感じで店の真ん中に座っちゃって」
「きっと、小田が……」
成瀬が倫子に反論しようとしたときに、晴菜が小田の手を掴んで、自分の胸に当てるのが見えた。
「ハルハル、自分からやってるよあれゼッタイに」
成瀬は何も言えない。最愛の人が小田を誘う光景に、呆然と見入る。
胸を触られて、晴菜はうれしさをかみ締めるように顔をほころばせる。顔を上向きにそらして、綺麗な顎の線を見せる。
待ちかねていた(成瀬たちが来るのを待ちかねていた)小田の手が、晴菜の胸に吸いつく。
晴菜はブラウスの袖から腕を抜く。
あの恥ずかしがりやの小野寺晴菜が、こんなオープンな場で服を脱ぐことを、ためらいすらしていない。
ブラウスの下から、形のいい両胸が現れる。
どうやら通りを歩いている間に、ブラも外していたらしい。つまり晴菜は、ノーブラで、ブラウスのボタンを全部外した姿で、六本木の人ごみを歩いていたということになる。
成瀬は、初めて見る晴菜の上半身ヌードに、唾を飲み込む。
ばかね。大切な女神様が他の男に好きにされてるのに、コーフンしてるの?
小田にしつこく乳房を触られて、晴菜がうれしそうに笑う。
晴菜が小田に唇を寄せる。小田が軽くキスを返す。晴菜はそれでは足りないのか、もう一度自分からキスをせがむように唇を寄せる。
それなのに小田は、めんどくさそうに払いのける。それよりも乳首のほうがいいらしく、自分は晴菜の胸に口を寄せる。
成瀬が息を止めるのがわかる。
成瀬には耐えられない光景だろう。愛しの晴菜が、自らキスを求めているのに、それをあの小田ごときが、むげに拒むなんて。
倫子が囁いてやる。
「ハルハル、小田に嫌われているみたいね? ホントは、ハルハルのほうがゾッコンなんじゃないの?」
「そんなわけない……」
成瀬が力弱く言い返す。
キスを拒まれた晴菜は、乳首をしゃぶる小田を迎え入れるように、小田の背中に手を回す。ときどき切なそうに顔を喘がせる。
晴菜の美貌とプロポーションは、何もしない前から客たちの注目を集めていたようだ。何人もの客が、自分の席から晴菜に見入っている。
晴菜はキスを諦めきれないらしく、小田が息をついて顔を上げるたびに、ピンク色の可愛い唇を横から差し出す。だが、小田は口づけに答えようとしない。
小田の唇がもらえない晴菜は、小田の耳や、坊主刈の頭にキスをする。小田のポロシャツを背中からめくり上げ、たるんだわき腹の脂肪に口づけをする。
小田にキスをできるなら、身体のどこでもいいらしい。
小田は、オッパイを吸うのに飽きたのか、顔を上げる。嬉しそうに晴菜がまたキスをしようとする。小田はそれを押し返すように乳房を両手で掴んで、乱暴に揉みくちゃにする。
晴菜のキスが何度も拒まれるのを見るのは、成瀬には耐えられない。
まるで小田は、晴菜の気持ちなんかどうでもよくて、晴菜の身体にしか興味がないみたいだ。
身体を揺さぶられるように胸を揉まれて、晴菜は輝く髪を振り乱す。かすかに「アアッ」という晴菜の切ない声が聞こえて、成瀬の胸をかきむしる。
「あんなにキスを断られているのに、胸を揉まれて、ハルハルうれしそうよね」
倫子が、晴菜のリアクションを、逐一、成瀬に報告してやる。
小田が乳房から手を放す。晴菜はソファの低い背もたれに背をもたせかけている。晴菜が自分の膝元に手を伸ばす。
観葉植物の陰になって成瀬には良く見えないらしく、成瀬が倫子のほうに身を乗り出す。倫子は、成瀬の後頭部の髪の毛を撫でさすってやる。
晴菜は、足を広げて、ベージュのスカートをめくり上げていた。スカートの中身を、小田だけでなく、周囲の客にも見せつけている。
露出狂の私を見て。
そう言うかのように、恥ずかしげな上目遣いで小田の反応を窺っている。
成瀬が、目をそらした。うつむいて、「ああっ」と嘆くように息をつく。
弱っている成瀬に倫子が囁く。
「やっぱりハルハル、露出狂だったんだぁ」
倫子の言葉に、成瀬が首を横に振る。
だが、いくら忌むべき光景でも、成瀬は、見ずにはいられないらしい。顔を上げて再び晴菜に目を向ける。
スカートは、元に戻り、きわどく股間を隠している。だが、その中へ小田の右手がもぐりこんでいて、アヤしい動きをしていることが、スカート越しに見て取れる。
晴菜がたまらないとでも言うように、小さく首を左右に振る。そのかわいらしい仕草は、今の成瀬にとっては、拷問にも等しい。
晴菜が、再び小田へのキスを試みる。頬や耳にキスを浴びせかける。
小田が、晴菜のスカートから右手を抜き出して、晴菜の目の前に指を見せつける。
何か言われたらしく、晴菜が嫌がるように顔を背ける。だが、その一瞬後、晴菜は首を伸ばして、小田の人差し指と中指を口に含んだ。いったん口を離して、今度は舌を伸ばして指の付け根を舐める。
まるで、指にフェラチオするかのように。
長く伸びた舌が、別の生き物のようにヌメヌメと動く。
その屈辱的な動作を、晴菜は人目を気にすることなく、やっている。
成瀬は、身を乗り出したまま、呆然と倫子に問いかける。
「ミッちゃん……小野寺さんが……、小野寺さんが……、どうして……?」
倫子は成瀬の頭を撫でる。
「成瀬クン。かわいそうに……」
いたわるように成瀬の頬に小さくキスをしてやる。
成瀬が、悲しそうな目を倫子に向けて、感謝の言葉を呟く。
「……ミッちゃん……ありがとう……」
成瀬の心が、少しずつ倫子に寄りかかり始めている。
小田は、今は、晴菜の股間に身をかがめて、スカートの中に頭を突っ込んでいる。晴菜が、小田を招くように、細い両手で小田の後頭部を抱いている。
小田が屈み込んでいるので、晴菜の上半身の裸身が、どの席からも見える。ほかの席から晴菜の形のいいバストを見に来る男性客がいる。
この店は、パートナーを放ったらかしにして、ほかのカップルのプレイを覗きに行くことはタブーになっている。晴菜の席のそばに立ち止まっていた客は、ぐずぐずと時間稼ぎをしながら、自分の席に戻っていく。
晴菜は目を閉じて自分の世界に入り込んでいるらしく、周りの注目には気づいていない。いや、それとも、刺激だと思って視線を楽しんでいるのか。
時折上半身を揺すり、首をくねらせて髪の毛をそよがせ、その仕草で、自分が感じている快感を、周りの客たちにも伝える。
美しい晴菜の官能の姿に刺激されて、他のカップルたちにも熱が広がっていく。
倫子も、成瀬の欲望を引っ張り出そうと、ときおり成瀬の頬や額、耳や首にキスをする。成瀬は、晴菜の姿に見とれたまま、倫子の口づけは拒まない。
倫子は、成瀬の唇に自分の唇を重ねる。
成瀬は一瞬逃げるように身を引くが、すぐに答えてくる。晴菜の痴態に刺激されながら、ディープキスを味わう。
キスをし終えた後、成瀬が悔いるように言う。
「ミッちゃん、だめだよ」
「成瀬クン。気にしないで。私、成瀬クンを慰めたいの。私も、ハルハルに裏切られて、いまは誰かの暖かさを感じていたいの。だから、許して」
そう言ってもう一度キスをする。
成瀬と倫子の耳に、晴菜の声が急に高まって聞こえてくる。
「アアーン」
二人は口づけをやめて、晴菜の方を見る。
小田は、クンニを終えて、再び右手をスカートの中に入れている。右手の指で晴菜を攻め続ける。左手は晴菜の胸を覆い、指で乳首をはさんで刺激する。ニヤニヤ笑いながら、晴菜の顔に浮かぶ反応を眺めている。
晴菜のほうは、首をのけぞらせ、快感に耐えている。
小田が晴菜になにかを囁く。晴菜が首を横に振る。長い髪がサラリと揺れ、晴菜の美しい顔を覆う。
「アアン、ア~ン、ダメ、ツトムさん、ダメ」
晴菜が切ない声を上げる。細い眉をひそめ、目を閉じて快感を味わう。
声がだんだん高くなる。周りの客が晴菜に注目する。
「ツトムさん、そんな、ああ……、こんな、こんな場所で……」
倫子は、晴菜のイキかたなら、何度も見知っている。
「あの女、こんな場所で、みんなに見られながら、指だけでイッちゃうみたい」
成瀬が震える声で言う。
「ええ? そんな……、まさか、小野寺さんが?」
「そうよ、見て。もうすぐだから」
晴菜は、背中をのけぞらせ、細い顎を上向きにさせる。
「アアーーーーンッ」
みんなに聞かれるのもかまわず、晴菜が甲高い声を振りまく。その声が高まり、イキ時をみんなに知らせてから、声が途絶えた。
晴菜は心地よげに目を閉じ、ぐったりとソファに頭をもたせかける。端正な美貌がピンク色に染まり、絶頂の余韻を滲ませる。
成瀬が声を詰まらせる。
「ああっ、そんな、小野寺さん……」
「やっぱりヘンタイね」
倫子は、そっと成瀬の股間に手を伸ばした。ジーンズの上から、股間の盛り上がりを確かめる。
憧れの女神が、他の男にイカされてしまったのに、それを見て勃起している成瀬クンも、ヘンタイだけどね。
倫子は、ジーンズのファスナーを下ろして指を入れて、やさしく撫でてやった。
9
店の真ん中で、小田は、いったん晴菜を指でイカせ、なおも愛撫を続けている。
一方、倫子も成瀬の股間をあやし、口づけを交わす。
成瀬がためらうそぶりを見せたのは最初だけだ。
ショックで自制心をなくしているだけでなく、愛する晴菜のイキ姿を見て、自身も性欲を昂ぶらせている。倫子から性欲を刺激する甘い言葉を囁かれて、いつしか成瀬も行為に引きずりこまれていた。倫子の胸の膨らみに手を伸ばし、倫子のふとももの手触りを確かめる。
晴菜がすぐに、イッた後の余韻から目を覚ます。小田は、チノパンとブリーフを膝まで脱ぐ。
小田のペニスを見て、晴菜が瞳を輝かせる。
ちょうど成瀬は、倫子のショーツの中身に夢中で、晴菜が小田のペニスにぞっこんになっている様子を目にせずに済んでいる。
せっかく成瀬がその気になりかけているので、気をそらせるのは不本意だが、倫子はあえて成瀬に教えてやる。
「あのヘンタイ女、ここでセックスするつもりみたいよ」
ことさらなじる口調で言う。
せっかく晴菜のことを頭から追い出して、目の前の倫子のことだけを考えようとしてたのに、成瀬は、目を背けたい現実に引き戻される。
晴菜が、あの清楚な晴菜が、綺麗な足を広げて、小田を誘っていた。その嬉しそうな表情……!
スカートの裾がめくれ、露になった晴菜のそこへ、小田が腰を重ねる。
成瀬がかすれた声で嘆く。
「ああっ、う、うそだ……小野寺さん」
「ハルハルってば、待ちきれなくて、自分から腰振っているよ」
晴菜と小田の、下半身の結合部は成瀬からは見えない。
成瀬は、小田の肩越しに、晴菜の表情に見入る。晴菜の、その表情を見るだけで、下半身の状況がわかってしまう。気品に満ちた表情が、なにかをかみ締める表情に変わり、こらえきれずにとろけ始め、やがて全身を揺らしながら首を振って愉悦を味わう。
「ふふふ。ハルハル、すんごく感じてるみたいね」
倫子の解説を証明するような晴菜の喘ぎ声が、成瀬の耳に届く。
「アフン、ツトムさん、そんな……アンンン」
成瀬が声を震わせる。
「ううっ、いやだ。どうして、こんなことを、小野寺さんが……」
「ヘンタイだからじゃない?」
それまで、店内でいちゃついているカップルは多かったが、実際に本番にまで至っているカップルは目につかなかった。
だが、晴菜たちに煽られて、あちこちで、その最中としか思えない声が溢れ始める。
倫子は残念だ。
やだ。こんなに騒がしいと、晴菜の声を成瀬クンにたっぷり聞かせてあげられないじゃないの。
あ、でも、さすが成瀬クンは、この中から、晴菜の声を聞き分けてるみたいね。
成瀬は、倫子の身体を触っていた手を止めて、呆然と晴菜の狂態に見入っている。
仕方ないので倫子は、成瀬のTシャツをめくって、身体のあちこちにキスをし、トランクスを膝まで脱がせてペニスを可愛がってやる。
その合間に、チラチラと晴菜たちを観察する。
晴菜は店中の注目を浴びながら、不様に小田に交わっている。晴菜の華奢な身体の上で、小田の醜い身体が揺れる。晴菜は、細い腕を小田の背中に回し、小田にしがみつく。
周囲のすべての客が、晴菜の美貌に見とれている。全ての男が、小田を羨んでいる。
小田はそのことを意識して、有頂天だ。
小田は、客たちの中に、自分に恥をかかせた成瀬がいることを知っている。成瀬には、自分が晴菜を貪るところをたっぷりと見せつけてやるつもりだった。成瀬の手の届かない憧れの女を、小田が好き放題にしているところを。
ここ1ヶ月近くの間、小田は晴菜をくり返し犯してきた。
小田は、晴菜の身体を知り尽くしている。
小田は、激しく晴菜に腰を送って晴菜を昂ぶらせたのち、ペースを緩める。いつもの攻め方だ。こうやって焦らしてやると晴菜はいつも、もどかしさに耐え切れなくなって、自分から求め始める。清楚な晴菜が淫らに卑しくおねだりする様子を、成瀬に見せてやろう。
客の視線を集める中で、小田は、ソファの上で晴菜の膝を持ち上げて、晴菜に羞恥を強いる。じっくりと晴菜の中で動かす。
内襞をなぶるようにゆるく掻かれて、晴菜は腰を揺すってもどかしがる。
「あ~ん、ンフンン」
焦らされて、声を上げる。濡れた瞳で小田を見つめる。
小田は、すぐにでも欲しがっている晴菜の気持ちは無視する。
晴菜もわかっている。寸前でもったいぶられる拷問のような責め苦を予想して、晴菜の目が潤んでいる。
小田は、ゆっくりとこねくり回す。
晴菜の官能の温度がどう動くかは、手に取るようにわかる。
火照りが消えないよう、時折激しくピストン運動して官能を盛り上げてから、エラで引っかくようにして内部をくすぐる。上下の側面をつつき、左右をグリグリと擦る。
繋がったまま身体を少しずつまわして行く。突き入れる角度を調整し、晴菜が求めているところを満たしてやる。
「ア~ン、そこ、そこ、ツトムさん」
だが、晴菜が喜び始めると、あえて攻め口を変える。
「アア、イヤン、どうして?」
小田の手口だとわかっていても、我慢できない。
たまらなくなって晴菜のほうから、もどかしく腰をぶつけてくる。それをかわすように、小田はまた体位を変えて、後ろに回りこむ。
「アン、ヤン、突いてぇ」
こんなたくさんの人が聞いている店内だと言うのに、はしたなくおねだりする。
自ら腰を振り、露骨な言葉で激しいセックスをせがむ姿が、あの清楚な晴菜だとは、見ている成瀬には信じられない。
小田は後ろから晴菜に何度も抜き差しする。そしてまた焦らす。バックでしか刺激できない壁を選んで、つついてやる。
「アアン、イヤン、止めないで、ンフッ、そんなところばっかり」
晴菜の甘える声が、他の客の嬌声の間を縫って、成瀬の耳を刺す。
「ハルハルって、おねだり上手だね」
倫子の言葉が、成瀬の痛みにさらに追い討ちをかける。
晴菜は、快感の訪れを先へ先へと引き伸ばされる。切なくて苦しくてたまらない。
小田は、晴菜の官能を先回りするように、絶妙な刺激を与えるくせに、最後の宝物だけは出し惜しみする。
「ツトムさん、お願い。これ以上、晴菜を焦らさないで」
涙を流さんばかりに懇願する。
「ねえ、ちょうだい。欲しいの。お願い。もっと激しく。いつもみたいに。こんなの、耐えられない。ツトムさん、早く」
あられもなく懇願する。
あの小野寺晴菜が。
成瀬の恋焦がれた女性が。
よりによってあんな男に屈している……
倫子がクククと笑う。
成瀬は、顔をくしゃくしゃにして、堕とされた女神の姿を目に焼き付ける。心の痛みともに、ゾクゾクとした感覚が背中を駆け上る。
小田は、晴菜が卑しく自分に懇願する姿を、周囲に見せびらかして満足する。
成瀬の心に消えない傷を焼き付けただろう。
自分がこの最高のオンナを支配していると言うことを、思い知ったか。
小田は、晴菜の欲しがる絶頂を与えてやることにする。勢いよく、抜き差しをする。
成瀬の目に、晴菜の表情の変化が伝わる。一度指でイカされた姿を見ているので、成瀬にも表情の意味がわかる。
あってはならない光景のはずだった。
愛する小野寺晴菜が、仇である小田に犯され、感じてイッてしまうなんて。
それを成瀬が目の前で眺めるなんて。
見てはいけない。小野寺さんのこんな姿……。
だが、目を閉じても、晴菜の高まる声は聞こえる。成瀬の気持ちをそらさないように、倫子が囁く。
「見てよ。あのハルハルのイキ顔。すごいよ」
どうしても目を閉じていられなかった。
成瀬は涙ぐみながら、憧れの人を見る。
小田が本気になると、晴菜は、すぐに絶頂を迎えた。長々と声を上げ、イキ続けている。
成瀬は、そのすさまじい色艶に飲み込まれる。成瀬自身の心が引きずり込まれ、欲望を揺り起こされる。
成瀬は悟る。
成瀬の愛した女性は、成瀬の手の届かないところに行ってしまった。
10
晴菜は、小田に入れられたままだ。すでに2度の絶頂を迎えたあとも、小田に操られるように、細い腰を振り、快感を貪っている。
成瀬は、晴菜の鳴き声を遠くに聞きながら、半ば機械のように、倫子の身体にむしゃぶりついた。
「ミッちゃん、オレもう、ダメなんだ。たまんないよ。何も考えたくない。ミッちゃんが欲しいんだ」
晴菜の乱れた姿を見せつけられて、成瀬自身の欲望もおさまりがつかなくなっている。晴菜と小田の後を追った目的も忘れて、倫子に求めてくる。
「ウフフ。だめ。あとでホテルに行ってからね」
「今欲しいんだ。小野寺さんだってああやって……」
倫子は、晴菜のことを鼻で笑う。
「私とあの女を一緒にしないでよ。こんなたくさん人がいるところで本番なんてゴメンよ」
それを聞いて、あんなに晴菜を崇めていた成瀬も、同調するように笑う。
「そうだね。確かに、やりすぎだよね」
だが、その表情は、泣き笑いのようで痛々しい。
倫子が、慰めるように提案した。
「だったら、私の口で気持ちよくしてあげる。出してもいいんだよ。でも、ちゃんとキレイにしてからね」
倫子は、おしぼりで、成瀬のペニスを丁寧に拭いた。
私は晴菜とは違って、汚いチンポを口に入れるなんてゴメンよ。
それから、倫子は、口で成瀬を可愛がってやる。
晴菜の淫らな姿を何度も見せられたせいか、成瀬のモノは、簡単にギリギリまで膨張する。成瀬の気分を高めるように、BGMの晴菜の喘ぎ声はますます高まる。
「ミッちゃん、そろそろ出そう……いい?」
倫子は、いったん口を離す。
「ウフフ。もうちょっと、我慢しようよ」
倫子がそう言ったそのとき、成瀬は肩を叩かれて振り返る。
観葉植物の間から、小田がニヤニヤ笑いながら身を乗り出していた。
成瀬が絶句する。小田の顔を見た途端、射精寸前まで来ていたはずの成瀬のペニスが萎え始めて、倫子が顔を上げる。
倫子も驚いた。
倫子たちが追いかけていることは、知らないふりをするよう言っておいたのに……。
「こんばんは。お二人さんも、楽しそうだね。晴菜が濡れすぎちゃって寒そうから、さっき渡したパンツ返してもらおうと思ってね」
そう言って、小田が、よっこらしょ、と身体を回す。
すると、なんと四つんばいになった晴菜が、倫子たちの席に入ってきた。
「ハ、ハル……?」
倫子の驚きの声も途中で途切れた。
這いつくばった晴菜の視線と、成瀬の股間に跪いた倫子の視線が正面から向かい合う。晴菜が、悲しそうに目を伏せる。
ティアードで飾りつけられたおしゃれなスカートが、結合部を隠してはいるが、晴菜と小田は繋がったままだということは、一目で判る。
信じられないことに、バックでつながったまま、小田の席からここまで歩かされたのだ。
まるで、動物でも追うように。
あの晴菜が、他の客たちの間を、そんな惨めな格好で……。
スカートの下の結合部越しに、小田が晴菜を揺らす。
「ほら晴菜、どうした? 急に静かになって。気持ちいいだろう? こいつらに晴菜の声を聞かせてやれよ」
何度もイカされて敏感になっている晴菜には、小田の動きは、相当な刺激だ。
「アッ。アアッ……お願い。ミッちゃんと成瀬くんの前では……ヤン、やめて」
「今さら恥ずかしがることないって。この二人、さっきまでさんざんお前のイクところ見てきたんだから。もう1回くらい変わらないって。今度は間近くから見せてやろう」
「アアンン。そんな、ヤンッ」
「もったいぶるなって。ほら、ギャラリーの皆さんも、みんな見てるぞ」
確かに、晴菜の後を追ってきたらしいギャラリーの男たちが、倫子の席の周りにたかっている。パートナーを放置しないというこの店の不文律は、晴菜の魅力の前には意味を成さなかったらしい。
「どうせ見られるんだったら、お友達の二人を特等席に招待してやろうじゃないか。ほら行け」
小田にかき回されて、また晴菜が昇り始める。へなへなと肘が崩れ、綺麗な顔を床につける。切ない表情で快感に耐える。形のいいお尻だけを突き上げて、求めるように腰を前後に振っている。
成瀬が、泣きそうになりながら言う。
「頼む。やめてくれ。小野寺さんに、こんなこと」
小田は嬉しそうに顔をゆがめる。自分のことを見下してきた成瀬が、弱々しく懇願することに、小田は満足げだ。
「なに偉そうに言ってるんだ成瀬。
悔しいのか? 大好きなプリンセス小野寺晴菜が、ボクのチンポにゾッコンだってのが? 嫉妬してんのか?
へッ。さんざんボクのことバカにしやがったくせに。
そういう自分だって、晴菜がヨガってるところ見れてうれしいんじゃないか? なんといっても、成瀬の大好きな小野寺さんだからな? 晴菜のハダカを想像してオナってたんだろう? 一度こんなふうにヤリたかったんじゃないか?
ほら、チンポ立ってるぞ。成瀬のオナネタが、本当に目の前にあるんだぞ。さっさとセンズリこけよ。
それとも、下川さんに面倒見てもらわないと、出すこともできないのか?」
小田は、成瀬への復讐を楽しむ。
小田に指摘されたとおり、犯される晴菜の姿を眼前に見せられて、一度萎えかけた成瀬のモノは、再び跳ね上がっている。
倫子は、登場人物の顔を順番に見る。
目を閉じて、高まり行く官能とのむなしい戦いをしている美しい晴菜。
悲嘆にくれながら、その晴菜の姿に欲望を高めている成瀬。
そして、勝利者の喜びを満面に浮かべている小田。倫子と目が合って、嬉しそうに汚らしいウィンクをする。
さらに、ここにもうひとりの勝利者の倫子がいる。
倫子は、哀れな成瀬のペニスを口に含んでやる。憧れの晴菜が犯される姿を目の前にして、成瀬のモノは、再び射精寸前にまで復活している。
必死に逆らっていた晴菜が、抗いきれずに友人たちの前で絶頂を迎えてしまう。あまりに淫らに変わり果てた女神の姿を目にして、成瀬も射精して果てた。
その後倫子は、予定通り成瀬をホテルに連れ込んだ。
自棄になった成瀬のセックスは、倫子が期待した以上だった。
11
その週末、晴菜は、何度も倫子に電話をかけた。メールも送った。
倫子はまったく応答しようとしなかった。
なんとしてでも倫子に説明して、わかってもらいたかった。あんなふうに倫子に嫌われたままだなんて嫌だった。
きっと倫子なら、話せばわかってもらえる。そう思った。
月曜日の午後、ファイナンス論の授業は倫子も履修している。晴菜は、15分前に教室に行って、倫子を待った。
授業開始時間ギリギリになって倫子が現れた。
「ミッちゃん、あの……」
倫子は晴菜を無視した。目を合わそうともしない。
いつもだったら、晴菜の隣の席に座るのに、倫子は別の友達の隣に座った。
授業が終わった後、晴菜は、倫子の席に近づいて、話しかけようとした。
倫子は、晴菜の方を見ようともせず、友人とのおしゃべりを続ける。友人が気を使って、倫子の肩をつついて、晴菜の方を示す。
不本意そうに、倫子が振り向いた。
金曜の夜以来、初めて倫子と目を合わせることができた。
おずおずと話しかける。
「あの、ミッちゃん、あとで話したいんだけど」
「私、このあと……そうそう」
倫子は、そこでいたん言葉を区切って、声に抑揚をつけて言う。
「『急に都合が悪くなって』」
晴菜が目を伏せる。
晴菜がドタキャンしたときの口実と、同じ言い回しだった。
晴菜と倫子の間の不穏な空気を察したのか、倫子と話していた友人たちが、静かに立ち去ろうとする。
倫子がそれを引き止めて後を追う。
晴菜には、こう言い捨てる。
「さよなら、『小野寺さん』」
倫子は「ハルハル」と呼ばすに、「小野寺さん」と他人のようによそよそしく呼ぶ。
ショックだった。
倫子の友人が心配そうに言う声が聞こえる。
「いいの? 小野寺さんは?」
倫子が軽く答える。
「いいのいいの。ねえねえ今からレ・セリシエに行かない?」
その店は、いつも月曜日のこの授業のあとに、晴菜と倫子とでケーキを食べに行っていた店だった。
もう決して、晴菜とは行かないという宣言のように聞こえた。
倫子は、「急に都合が悪くなって」晴菜と話す時間はないけれど、ケーキを食べる時間はあるのだ……
次の日は、晴菜が今井弘充と話しているときに、倫子とすれ違った。
弘充が倫子に手を上げて挨拶する。
「おっ、ミッちゃん!」
晴菜もおずおずと声をかける。
「おはよう、ミッちゃん」
倫子は、弘充のほうだけを見て挨拶する。晴菜には一瞥もせずに、さっさと歩き去ろうとする。
弘充が倫子を引き止めて話しかけた。
倫子は、仕方なさそうに足を止めて、おしゃべりに加わる。
倫子は、晴菜に背を向けるように立って、弘充とだけ言葉を交わす。
晴菜が黙り込んでいるので、弘充が気にかけてくれる。
「あれ、どうしたの、晴菜? 元気ない?」
「ううんん。大丈夫」
無理に笑う。
その笑顔をおずおずと倫子にも向けると、睨み返されて晴菜は凍り付いてしまう。
「どうしたの晴菜? やっぱりなんだか顔色悪いよ」
なおも心配する弘充に、倫子が言う。
「今井クンが心配してやることないよ。きっと悪いことして罰が当たったんじゃない?」
今井は、いつもの倫子のキツい冗談だと思って笑い飛ばす。
「じゃ、オレ次授業だから」
倫子と晴菜の仲の良さを疑っていない今井は、そのまま二人を残して去って行った。
残された二人の間に、冷たい空気が流れる。
でも、晴菜は、やっと倫子に話をするチャンスが来たと思う。
倫子が弘充に、小田のことをなにも話していないのは、晴菜に対する気遣いかもしれない。だとしたら、仲直りできると期待していいのでは?
「ミッちゃん、お願い、一度でいいから話を聞いて」
「私も言いたいことがある」
よかった、やっときちんと話を聞いてもらえる。
だが倫子は、冷たい言葉を吐き出す。
「まず、『ミッちゃん』だなんて、馴れ馴れしく呼ばないで」
いきなり心を斬りつけられる。
「それから、今井クンは私の友達なの。だから、今井クンを裏切る小野寺さんのような人間に、近寄ってもらいたくないの」
ヒロくんはミッちゃんの友達だけど、私はもう友達でないということなの?
晴菜の目が潤む。
「私がどれだけ友達思いかは、小野寺さん、よく知ってるよね? 友達を守るために……じゃなかった、友達だと思っていた人を守るために、ストーカー退治したこともあったもんね。まあ、ホントはストーカーじゃなかったみたいなんだけど。ね、小野寺さん?」
グサリグサリと晴菜の気持ちをえぐる。
でも、ミッちゃんが毒舌だなんて、百年前から知ってたこと。
いまさらそんなこと気にしてたら、ミッちゃんの友達なんかやっていけない。
晴菜が口を開く。
「ねえ、お願い。ミッちゃん。そのことなんだけど聞いて。私、本当に、ツトムさんのこと嫌いなの。イヤでイヤでしょうがないの。それなのに、私……」
倫子が鋭い目で晴菜を睨み、殴ろうとするかのように手を振り上げる。
思わず晴菜は頭をすくめる。
倫子は、振り上げた手を下ろして、怒りのこもった低い声で言う。
「黙れ尻軽インラン女。それ以上その声聞きたくない。
『ミッちゃん』て呼ぶなっていったでしょ。どれだけ物覚えが悪いのよ。
なにが『ツトムさん』よ。まるで恋人みたいな呼び方。虫唾が走る。なにが『イヤでしょうがない』よ。今井クン裏切ってるくせに。
純情そうな言い方したって、もう騙されないからね。あんな、ヤラしいことやっているのを見せびらかしといて、私が信用するとでも思ってるの? もう二度と小野寺さんのことは信用しないって決めたの。
なに? また泣くの? 泣けばいいとでも思ってるの?
ちょっとカワイイからって、そうやって泣けばどんな男でも引っ掛るよね。今井クンもそうやって騙したの?」
「ヒドいよ……ミッちゃん」
「『ミッちゃん』って言うな! そんな、小田の汚いモノを舐めた口に呼ばれたくない!」
それ以上聞いていられなかった。晴菜は涙を拭いながら、その場から走り去った。
晴菜は、倫子の拒絶の意志の固さを思い知って、落ち込んだ。
本当にもう、倫子とは終わりなのかもしれない。
失ってしまって、いまさらながらに、倫子の存在の大きさを思い知らされた。急に世の中が真っ暗になったような気がした。
一生の友達だと思っていた。倫子ほど、晴菜のことを理解してくれた友達はいなかった。晴菜のために本当に一生懸命になってくれた。晴菜も、倫子のためなら何でもきると思っていた。倫子は晴菜の生活の一部だった。それくらい大切だった。
このまま終わるわけには行かないと思った。
倫子と仲直りできなかったら、一生後悔する。このまま倫子とけんかしたままで人生を送っても、晴菜の残りの人生は、燃え滓のようなものにすぎない。
倫子に電話しても出てくれない。話しかけても聞いてくれない。
晴菜は長文のメールを打って倫子に送った。
だが、受信拒否で返って来た。
いったいどうすればいいの?
倫子のマンションの前で待った。
今度こそ絶対に話を聞いてもらう。倫子にヒドいことを言われても、泣いて逃げ出したりはしない。だって、倫子が怒るのも当然だから。全部受けとめて耐えよう。
そのかわり、倫子にもなんとしてでも晴菜の気持ちを伝える。
それでもわかってくれないなら、しかたがない。その場合は、きっと、そういう運命だったんだ。
そう決意して、帰宅する倫子を待ち構える。
3時間近く待って、夜の9時になって倫子が帰ってきた。
誰かと飲んでいたらしく、酔いに顔を赤らめた倫子は、晴菜の姿を認めて表情が冷たくなる。
つい先週まで、晴菜に向ける倫子の顔は笑顔ばかりだった。敵意に満ちた表情に、ひるみそうになる。そんなにまで倫子が晴菜のことを嫌っているのかと思うと悲しくなる。
倫子は、視線を合わさずに晴菜の横を通り過ぎる。
「ミッちゃん!」
「そんな呼び名で呼ぶなって言ったでしょ!」
目をあわさず低い声で言う。
晴菜にとっては、ミッちゃんはミッちゃんだ。「下川さん」でも、「倫子さん」でもない。だから、他の呼び名では呼ばない。倫子がなんと言おうとも。
「ミッちゃん。お願いだから話を聞いて。私、ミッちゃんのこと裏切ろうと思ってたんじゃないの。私自身、ほんとに、どうしてツトムさんとああなったのか、わからないの! ねえ、聞いて」
倫子がそのまま通り過ぎようとするので、倫子の手首を掴んで引き止める。
「お願い、聞いて。私のこと嫌いになるんだったら、それでいいから。ただ、一度でいいから話を聞いて。その後だったら、私のこと嫌いになってもいいから。もし話を聞いた後で、ミッちゃんがそう言うんだったら、もうミッちゃんには近づかない。ヒロくんに近づくなってことだったら、そうする。だから、お願い」
晴菜に引き止められて、倫子が面倒くさそうに振り向く。
小さくばかにするように笑う。
「フン。さすがね。誰かさんに、ストーカーのやりかた教えてもらったの? ストーカー同士ウマが合うんだね」
思わず晴菜がひるんだところを、倫子が無造作に突き飛ばした。
晴菜が尻餅をつく。
倫子にそんな乱暴なことをされたことがショックだ。
倫子はそのままオートロックを通り抜けてしまう。
慌てて起き上がった晴菜が、追いすがったときには、ガラスの自動ドアが二人の間を隔てていた。
晴菜はガラスドアを叩いて、叫んだ。
「ミッちゃん! ミッちゃん! ねえ待ってよ。お願いだから」
泣きながらガラスドアにすがりつくが、倫子は振り向きもしなかった。
晴菜は、そのままマンションの1階入り口で待ち続けた。
倫子の気が変わって降りてきてくれるかもしれない。コンビニに買い物に行く倫子を捕まえることができるかもしれない。いざとなれば、明日の朝まででも……
夜の10時に近くなって、メールが入った。送信者が倫子になっていたので、急いで開いた。
《110番した。帰れストーカー》
涙でケータイ画面が曇った。
晴菜は重い足を引きずって家に帰った。
眠れない夜をすごして、翌朝晴菜は熱を出した。風邪を引いたらしい。
授業のノートを借りるために、友人たちに病欠のメールを送った。
少し迷って、倫子にもメールを送ったが、また受信拒否になっていた。
山越崇行からの見舞いメールに、倫子のことが書いてあった。
《大丈夫? 熱下がった? ミッちゃん相変わらず口の悪い子だね。晴菜ちゃんのこと、絶対仮病だ!とか言い張ってるよ。早く風邪治して、今度ミッちゃんが病気したとき仕返ししてやるんだよ》
笑顔や握りこぶしの絵文字が入っている。崇行は、また倫子の毒舌だと思っているのだろう。
だが、晴菜には、そうでないことがわかる。
風邪で滅入っている気分がますます落ち込む。
晴菜が熱を出して寝込んだと聞いたら、もしかして倫子が心配して見舞いに来てくれるんじゃないか、電話かメールくらいくれるんじゃないか……。そんなほのかな期待は、あっさり潰えてしまった。
ベッドの中で、寝ているのか起きているのかわからない時間を過ごした。
うつらうつらと眠って、嫌な夢を見た。
金曜の夜のこと。
小田とのこと。抑えようのない肉体の渇望……。
それから、何度も見た夢。晴菜が恥ずかしい格好をしている。それをゼミの友人たちが笑っている。倫子が一番うれしそうに笑っている……
うなされて目を覚ます。倫子に絶交されたことがショックで、夢にまでそんなものを見てしまう。
まだ午前中のつもりで、枕もとのケータイを見ると、すでに夜の10時だった。
そういえば母親からお粥を食べさせられた記憶が2回ある。薬も飲んだような気がする。半ば夢の中の出来事のように思っていたが、本当に1日が過ぎたんだ。
灰色の1日……。
このまま、倫子と仲直りできないで、灰色の一生を過ごすことになるんだろうか?
ベッドの上に身体を起こす。
崇行のメールを見て倫子の言葉を読んだときは、もう二度と立ち直れないと思っていたけれど、ほんの少しだけ身体は楽になっていた。
1日分のケータイのメールになにげなく目を通す。
今井弘充からのメール。倫子に見放された今、灰色の生活の中でかすかな光は、弘充だけだ。
友人たちからのおしゃべりや、見舞いのメールがいくつか。
受信メールの中に、倫子からのメールが入っていた!
慌ててメールを開く。かすかな期待が裏切られるのを予期して怯えながら、文面に目を通す。
《言いたいことがあるなら聞く。うちに来て》
ああ、良かった。ミッちゃんに話を聞いてもらえる。
病人に向かって、うちに来い、とは、薄情この上ない内容なのだが、晴菜はそんなふうには考えない。
メールの送信時刻は18時。
4時間も気づかずにいたなんて。
返事しなかったからミッちゃん怒ってないかな? ミッちゃんの気が変わったりしてないよね?
慌てて返信する。
《今すぐミッちゃん家に行っていい? 返事遅れてゴメン。さっき初めてメール見たの。メールありがとう》
起き上がって着替える。すこしは身体が楽になった気がしていたのに、起き上がると頭がフラフラする。
鏡に映る顔は病気にやつれていて、みっともない。
ミッちゃんにこんな顔見せられない。
いや、ミッちゃんにならこんな顔だって見せられる。
倫子から返信が来た。
《いいよ》
冬みたいに厚着して階段を下りる。
リビングにいる家族に声をかける。
「ちょっと出てくるね」
真っ青な晴菜の顔を見て、母親が驚く。晴菜を止める。
ここで出かけられなかったら、永遠に倫子と仲直りできない。
「どうしてもコピーしなくちゃいけないノートがあるの」
「私が自分でやらないと判らないから」
「今日じゃないとだめなの」
そう言ってなんとか家を出る。
母親と話していた間、無理に気を張って復調したふりをしていたので、外に出た途端、どっと疲れる。
とても歩けそうにない。
倫子のマンションまでの短い距離を、タクシーで移動する。
マンションの1階入口で部屋番号を押して倫子を呼ぶ。
「どちら様?」
「私。晴菜です」
しばらく無言。
何も言わず、ブチッとインターホンが切れた。
いつまで経っても玄関のロックが解除されない。
ぐったりとガラスドアにもたれながら、やっぱり門前払いされたのかなと考えていると、倫子が降りてきた。
倫子が晴菜の顔を見ずに言う。
「外で話聞く」
えっ外?
問いかける晴菜の表情を、倫子はいったん無視しかけて、気が変わったのか言い足す。
「家に上げたくない」
晴菜にはこたえる言葉だが、とにかく倫子に話を聞いてもらえるというだけで、今は満足だ。
熱がぶり返した身体を引きずるようにして、倫子の後を追って外に出る。
倫子は、晴菜を置いて先を歩く。
足元がふらつく晴菜は、とうてい追いつけない。倫子の機嫌を損ねるのが怖くて、なんとか足を速める。
急に気分が悪くなる。よろめいて転んでしまう。起き上がったところで、眩暈を感じる。耐え切れなくなって膝に手をついて、地面に吐いた。
物音に気づいて、倫子が戻ってくる。
晴菜は嘔吐の苦しさに涙ぐみながら、倫子に謝る。
「ごめんなさい。マンションの周り、汚しちゃって」
倫子は、しばらく黙って晴菜を見下ろしていた。
やがて言った。
「体調が悪いのは本当みたいね。私の気を引こうとして嘘言ってたのかと思ってた。呼び出して顔見て、仮病だってのを確かめてやろうと思ってた」
言葉は酷い。だが、晴菜には、倫子の声が、先ほどよりはいくぶん柔らかいような気がした。
フラフラになっている晴菜を、結局、倫子は自分の部屋に招き入れてくれた。
熱で半ば朦朧となりながら、晴菜は倫子に、話した。
小田のことは虫唾が走るくらい大嫌い。けれど、小田と直接会うと、なぜか逆らえない。小田にエッチなことをされると、なぜか感じてしまう。ついつい小田と何度もセックスしてしまう。
終わったあとには後悔する。二度と小田とは会わないと誓う。
でもしばらくすると、どうしても会いたくなってしまう。小田に呼び出されると、逆らえなくて出かけてしまう。こんなに嫌いなのに。
8月に小田と再会するまで、小田とは本当に何もなかった。
だから、倫子や成瀬のことを裏切っていたわけではない。
どうしてこんなことになってしまったのか、自分でもわからない。
今井弘充のことは大好きだ。心から愛している。
小田にヒドイことされて、弘充のことが好きだという気持ちは、改めて強く感じるようになった。弘充にわがまま言ったり困らせたりしたことを、悔やみたくなった。
倫子のことも大好きだ。倫子を裏切るだなんて、とんでもない。
成瀬だって同じだ。
小田との間であったことは、誰にも話せなかった。倫子にさえ。
話すと軽蔑されるから。
それに、晴菜自身、自分の気持ちが理解できないから。
誰にも話しちゃいけない、そんな気がするから。
実際、他の人といるときは、小田のことはすっかり忘れていつもどおりに振舞える。小田との間に、何もなかった、そんな気がしてしまう。
けれど、ひとりになると、小田のことを思い出してしまう。自己嫌悪に泣き出したくなる。それなのに、小田から連絡があると、自然と身体が疼いてしまう。
そんな自分が許せない。そんな自分が信じられない。
自分を恥じるあまり、倫子にも話せなかった。
そのことを、倫子にだけは、わかって欲しい。
倫子は晴菜の一番の親友だ。いや、単なる親友以上だ。
倫子はもう、晴菜という存在の一部だ。倫子のいない人生なんて考えられない。
倫子に嫌われたら、晴菜は、晴菜でなくなるような気がする。それくらい、晴菜にとって大切な存在だ。
ねえ、ミッちゃん、私どうしたらいいの?
私、本当に、ミッちゃんに見捨てられたら、生きていけない。
熱のせいで、途中から話の脈略がなくなった。話が飛躍し、同じ話を繰り返した。小田への嫌悪、自分への不信、倫子への思い……。
うわ言に近い言葉を繰り返しているうちに、晴菜は、倫子に無理やりベッドに押し込まれた。倫子はその上から毛布を何枚も被せた。額に冷たいタオルを当ててくれた。
その間も晴菜は倫子に話し続けていた。だがいつのまにか意識が遠くなって、そのまま寝入ってしまった。
倫子が、晴菜の自宅に電話を入れてくれた。
晴菜が目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。
晴菜は、ベッドの横に倫子がいるのを見つけると、また昨夜の話の続きを始めた。朦朧とした頭で、話し続けた。
倫子がカットフルーツをコンビニで買ってきてくれていた。晴菜はそれを、虫が齧るくらいだけ食べ、風邪薬を飲むと、また眠ってしまった。
夕刻になって、再び目を覚ました。
今度こそ、熱が下がったようだった。
頭を起こすと、ベッドの横に座る倫子と目が合った。
あっ、ミッちゃんに話をしなきゃ。どこまで話したんだっけ?
晴菜が話し始めると、倫子が唇の前に人差し指を立てて言った。
「もういいのよ、ハルハル」
「でも、待って、まだ、ねえ、聞いて、お願い……」
「大丈夫。もういいの。私、ごめんなさい。本当にゴメンね、ハルハル」
その言葉を聞いて、やっと晴菜は口を閉ざした。
倫子の顔は、昨日までの敵意に満ちたとげとげしい顔ではなった。
いつのもミッちゃん、優しいミッちゃん、私の守護天使のミッちゃん……。
それに、私のことを……
「私のことを、また、ハルハルって呼んでくれてる!」
それだけで涙が出そうになる。
人に名を呼んでもらえるだけで、こんなに幸せになれることがあるなんて。
珍しく倫子が、恥ずかしそうにする。
「ごめん、あの、その……また『ハルハル』って呼んでもいいかな、私?」
「もちろんよ! そんなこと聞かなくても、当たり前よ!」
「ありがとう。私、あんなにヒドいこと言っちゃったから、もう許してくれないかと思った……」
「そんなことないよ。ミッちゃんだったら、何でも許せちゃう。現にこうして、ちゃんとわかってくれたんだし」
「嬉しいよハルハル……」
倫子がベッドに上半身を伸ばして、晴菜の肩を優しく抱いてくれた。
「ハルハル。ごめんなさい。私の一方的な誤解だった。ヒドいこと言ってゴメン。私、サイテー。ハルハルがどんなつらい気持ちなのか、まったく気づかなくて」
「ミッちゃん……いいのよ、そんなこと。ミッちゃんなら、絶対わかってくれるって思ってた」
「ありがとう。こんなわからずやの私のこと、そこまで信じてくれて。こんな熱まで出して、私に会いに来てくれて」
そのまましばらく二人で抱き合った。
晴菜は本当に幸せだった。
一度失いかけた大切な宝物を取り戻すことができて、神様に感謝したかった。きっとこれは、本当に大切なものの価値を晴菜にわからせるために、神様が仕組んだことに違いないと、そう思った。
倫子は、普段の倫子に戻って、やさしい口調で晴菜のことをからかった。
「でも、ハルハル。ハルハルってホント頑固。私があんなに、『ミッちゃんて呼ぶな』って言ったのに、絶対に呼び方変えないんだもん」
「だって、私にとっては、ミッちゃんはミッちゃんだし……それに、呼び方変えたら、本当ミッちゃんとのつながりが切れてしまうような気がして……」
「私のほうは、あんなにヒドイこと言ってたのに、ハルハルのほうは、そんなにふうに思ってくれてたなんて……。自分のことが恥ずかしい」
倫子は、晴菜の髪の毛に指を入れて、子どもにするように、くしゃくしゃにした。
「こんなにカワイイのに、なんでそんなに頑固なの?」
「やだ、ミッちゃん、触んないで。髪の毛乱れちゃう……。だって、頑固じゃないと、ミッちゃんみたいな子と友達やっていけないよ」
「私、わからずやだもんね」
そんなんじゃないよ~。
「もしかして、私たちお似合い?」
二人で笑い合う。
倫子が言った。
「でも、1つだけ、ハルハルを許せないことがあるの」
晴菜がびくりとなる。倫子に見捨てられていた昨日までの、心の痛みが蘇る。
「ハルハル、どうして私に相談してくれなかったの? 小田のことを……。私たち親友じゃないの? 遠慮しないでなんでも相談してよ」
晴菜はほっとした。うれしくなった。倫子の手を握って言った。
「ごめんなさい。それから、ありがとう、そんなふうに言ってくれて。ミッちゃんにどう思われるか、私、怖かったんだと思う。でも今ならわかる。ミッちゃんになら、私、何でも話せる」
このままいつまでも倫子とおしゃべりしていたい。
でも晴菜が目を覚ましたら、倫子は晴菜の自宅に連絡することになっていた。すぐに母親が迎えに来た。
帰り際、倫子がもう一度言った。
「ハルハル。早く体、治してね。元気になったら、いろんなことを、もっと相談しよう」
「うん、わかった」
晴菜は、数日ぶりのさわやかな気持ちで、倫子に手を振って別れた。
今夜は気持ちよく眠れそう。
12
晴菜が母親に連れられて帰ってから、倫子は心の中で20秒数えた。
もう声を出してもいいだろう。そう思えたところで、抑えていた笑いを爆発させた。声を上げて笑いながら部屋の中を跳ね回って、クッションを天井にぶつけてはしゃいだ。
小野寺晴菜。本当におめでたい子。
すっかり倫子のことを信用しきっている。これまで以上に倫子に依存している。
全部倫子が企んだこととも知らずに。
晴菜をいじめたときの楽しかったことといったら。
それに、小田との乱れた生活を、晴菜から直接聞く時のコーフンといったら。
晴菜は、小田と再会した翌週に、大決心して小田と会わないことにした。だが、その決意は1週間ももたなかった。
晴菜は耐え切れなくなって小田のアパートに行った。小田には直接会わない、ただアパートを外から見るだけだ、と自分を騙して。
やはりストーカーの血が流れてるのかな? ふふふ。
ドアの鍵が開いていたので、小田の部屋に上がり込んだ。さすがストーカー。
小田はいない。ほっとする気持ちと同時に、物足りない気持ち。
小田の汚い部屋の中を、小田の痕跡を求めて歩き回る。
溜まった洗濯物の山を見つける。溢れ出る小田の臭い。
ついつい手を伸ばして、小田の臭痕を味わう。頬ずりしたくなる心地よさ。小田に対する禁断症状のせいで、それだけで身体が感じてしまう。
晴菜は小田の下着を顔に押し当てて、悦楽を味わう。
手が自然に動く。晴菜の指がスカートの下に潜りこむ。自らの指に慰められて、晴菜は自分の快感を貪る。
ついにお嬢様小野寺晴菜は、あの不潔な小田の下着をネタにオナニーしてしまったとさ。
ストーカー2号。
小田とお似合いよ。
晴菜は熱に浮かされていたとは言え、それを語る表情が、またたまらなかった。清純な顔を、うっとりと赤らめちゃって。
まさにヘンタイ。
その調子で、次から次へと快楽の記憶を話してくれる。
初めてのアオカン。
小田にGスポットを見つけ出されたこと。
小田とのエッチをDVDに記録して、ひそかに自宅のPCで鑑賞していること。
小田は、風俗通いをしていた間、イメクラ嬢には必ず「ハルナ」と名乗らせていたらしい。女教師プレイだろうが、巫女さんだろうが、女奴隷だろうが、必ず。
最近、小田は、晴菜にコスチュームを買ってこさせ、イメクラでやったプレイを順番に再現させているそうだ。
すばらしい。
やはり晴菜に直接話させて、どんなふうに感じているかを自分の口で説明させると、一味違う。倫子の知っている話でも、まるで別の物語のように新鮮に聞こえる。まさに二度美味しい。
倫子は、成瀬にはとりあえず口止めしてある。口止めしなくてもショックで口に出すことなんてできないだろう。
晴菜をいたぶって、それなのに晴菜からの信頼はさらに強くなって、成瀬もモノにできて、小田の復讐心も満足できて、いいことずくめだ。
倫子は笑いが止らなかった。
楽しすぎる。
今夜はよく眠れないかもしれない。
< つづく >