第二話 アマデウス 嫉妬
不破ツトムという男の特徴として、ほとんどのものが「努力家」を挙げよう。
他に「身の程知らず」「自意識過剰」「才能の出涸らし」「賢兄愚弟」「目付きが悪い」「獣じみてる」「兄の引き立て役」というマイナス評価が多くてもだ。
彼に好意的とは言えない人間でも、彼が人一倍、いや他人の何倍も努力していることは認めざるを得ない。
そういう人間だった。
実際彼は努力した。勉強もスポーツも。見ている人間が息苦しくなるぐらい。
しかしその努力の結果が彼に満足をもたらしたことはない。彼の努力の成果は如実に現れ、高い能力を得たというのにだ。
何故か?
それは彼の前には常に大きな壁が立ちふさがっていたからだ。
その壁の名前は、不破タケル。ツトムの双子の兄だ。
タケルは天才というしかない存在だった。天は二物を与えずという言葉があるが、タケルはその例外らしい。
すべてにおいて彼は他人に勝っていた。
頭脳は全国模試で10位から下に落ちたことがなく。
運動神経は各運動部の顧問教師が土下座してでも迎え入れようとする。
そして人を引き付けずにはいられないカリスマ的魅力。
神に愛された者というのは彼のことだとしか思えない。
周りの誰もが彼を称賛する中、一人だけ嫉妬と憎悪に燃えた眼で彼を見る者がいた。
それがツトムである。
誰もが思う。双子であれば、タケルにできることは、ツトムにもできる。
ツトム本人もだ。
しかし、ツトムは凡人だった。
少なくとも兄ほどの才能はなかった。
兄の何倍も努力しているのに、その能力は兄に及ばなかった。
周囲の期待は、すぐに失望に、ひどいものは軽蔑に変わった。
兄に似ていない鈍才。才能を兄に吸われた出し殻。
中学校卒業前にはそんな評価が固定化されていた。
ツトムが兄を憎むようになったのもその頃のことだ。
それ以前にも周囲の彼ら双子に対する扱いには差があった。
両親はタケルとツトム双方を平等に愛したつもりでいた。というより、愛情だけでなく、環境、才能、そういったものすべてを等しく与えていたつもりだった。
そのため、タケルに比べてどうしても見劣りするツトムに厳しく当たっていた。
「お兄ちゃんはできるのに、どうしてツトムはできないの。もっとがんばりなさい」
「双子なのにどうしてこう出来がちがうんだ」
ツトムの幼い時何度も聞かされていた言葉である。
無神経な言葉が幼い心を幾度も傷つける。
それでも親に逆らうなんて考えられない幼い時は、素直に努力を続けていた。何の疑問もなく、自分の努力が足りないからだと。
このときはまだ自分を励ます兄を幼いながらも尊敬すらしていた。
しかし小学校に上がり、世間とのつながりが増えてくると、状況はさらに悪化した。
タケルの天才ぶりはますます注目を浴び、引き換えにツトムは、失望、軽蔑、憐れみの視線にさらされるようになった。
それでもツトムは努力を続けた。それもいっそうの。そのおかげで少なくとも努力家という評価はもらえた。
しかしそれは、かえってタケルの天才ぶりを際立たせるだけだった。
両親はかつてほどツトムにうるさく言わなくなった。それは関心が薄れたということでもあった。
教師たちも同様である。
二つ下の妹メグミは残酷に兄たちを差別した。タケルはお兄ちゃんと呼ばれ、ツトムは呼び捨てにされた。
同級生、特に女子生徒は徹底的にタケルの味方であり、ツトムは無視するか、タケルの引き立て役と扱った。男子生徒はタケルに勝てない鬱憤をツトムにぶつけるようになった。
そのような扱いをうけ、少しずつツトムはゆがんでいった。
顔つきは暗くなり、眼だけがギラギラしていた。
子供らしさは薄れ、どこかすさんだ雰囲気になった。
それでもやけにならずにいたのは、意地であった。意地でしかなかった。
一度でいい、一度でいいからタケルを屈服させたい。
その思いだけで絶望的な努力を続けていた。
その一念で生きていたといってもよい。
決定的になったのは高校受験であった。
タケルは名門私立高校に特待生として招かれた。ツトムも同じ学校を目指すかと思われたが、彼は別の私立高校、それも全寮制の学校、星宮学園を志望した。
このとき両親はタケルとツトムを引き離したほうがいいと考えていた。自分たちがツトムに無理をさせていることにようやく気付いたのだ。
近くにいないならツトムもタケルへの劣等感に苦しむことはあるまい。
そう思って受験を認めた。学力的に問題はなかったし、経済的にも余裕があったからだ。
この当時は。
不況により父親の勤め先の会社が倒産した。これによりツトムは星宮学園行きをあきらめざるをえなかった。
このときツトムは珍しくも妙に殊勝なことを考えていた。
不純な動機で志望校選んだ罰があたったのか、と。
そうでも考えねばやってられなかったのだろう。
不純な動機とは初恋であった。
以前街で出会った少女、星宮学園中等部の少女青海ミズキに恋をしたのだ。
一目ぼれといってもよい。
川でおぼれかけた子猫を助けたツトムにハンカチを差し出したのがきっかけだ。
タケルの引き立て役扱いにされ、女運最悪最低といっていいツトムである。美少女に尊敬の目で見られて決して悪い気はしなかった。それどころか彼女の笑顔が脳裏を離れなかった。恋ともいえない幼い憧れだった。
その彼女が来ていた制服から星宮学園の存在を知り志望校としたのだ。
おそらくツトムも疲れていたのだろう。
タケルの知らない少女を天使のように思い、希望を求めたとしても無理はない。
彼女と一緒ならタケルを意識せずに生きていけるかもしれない。もうこんなきつい思いはしなくていいかもしれない。
そう思っても無理はない。
しかし望みは断たれた。
さすがに気落ちしたが、すぐにツトムは立ち直った。ツトムがタケルに唯一勝るもの、それは精神的打たれ強さだろう。
公立高校に通いながらどうやってミズキに逢うかを考え始めた。
しかし事態は急転する。
星宮学園の母体である、日本有数の財閥、星宮グループが交渉を持ちかけたのだ。タケルめあてに。
タケルが星宮学園に入学すれば、特待生として授業料免除、さらに父親の就職を世話するという破格の条件。断れるはずがなかった。
タケルが目的というのは忸怩たるものがあったが、これで自分も星宮学園を受験できるか、そう考えたツトムだったが、両親が難色を示した。
両親からしてみれば、タケルとツトムを引き離すことが目的だったのである。難色を示すのは当然である。
「最初に星宮を志望校にしたのは俺だぞ。なんで俺が行っちゃいけないんだよ」
抗議するツトム。
このときの家族の説得の言葉をツトムは終生忘れないだろう。
「お前が今までがんばっていたのは父さんもよくわかっている。だけど、もういいんだ」
「そうだよ、ツトム。いくらやってもお兄ちゃんに勝てないんだし、もうあきらめなよ」
「そうよ、母さんたち、あなたが苦しんでいるの、見ていたくないの。無理させたのは謝るから」
今までの自分のすべてを否定するような言葉だった。
それどころか自分の望む未来をも否定されようとしている。
矛先を星宮グループの使者に変える。
「僕の実力をテストしてください。奨学金をもらえるぐらいの力はあるはずです」
我ながらずうずうしいと思ったが、必死だった。しかし使者は苦笑して無情にも拒絶した。
「えーと、君はツトム君だね、君が優秀なことは知っているけど、悪いけど、君はいらないんだ」
崩れ落ちるように座り込むツトム。
人間あまり悔しいと涙も出ないんだな。
ぼんやりとそんなことを考えていた。
しかし思わぬところから援軍が来る。
「ツトムが行けないなら僕も行きません」
「な!」
「タケル!」
「ごめん、父さん、でもツトムの志望校とる様な真似できないよ」
タケルの一言が状況を変えた。
両親は難しい顔で考え出し、星宮の使者は席を外し携帯で連絡を取り始めた。
そして。
「理事長に連絡したところ、ツトムくん。君もぜひ来てくれとのことです」
「え?」
「やったな!ツトム!」
状況の好転に戸惑うツトムの肩をタケルが叩く。
「あ、ああ、ありがとう兄さん」
呆然と礼を言いながら兄の顔を見る。
そしてすぐに正気に返った。
純粋に弟の望みをかなえることができて喜んでいる顔。
自分の嫉妬も、苦しみも、憎しみも、屈辱もまったく知らない顔。
他人に称賛されることが当たり前のタケルは、人の悪意に疎い人間となっていた。
このとき欠片ほどでも優越感があればどんなに救われただろう。
ツトムはこの時ほど兄を憎悪したことはない。
それでも彼女に会えるならうれしくないはずがない。
また兄と比較される日々が続くとわかっていても、ツトムは闘志を燃やしていた。
彼女をタケルに取られたくない。
新しい動機ができた瞬間だった。
しかし期待に胸を膨らませていたツトムを待っていたのはさらなる絶望だった。
星宮学園ではタケルをふくむ5人の生徒を特別クラスとして、特別カリキュラムによる教育を行うと発表した。しかしツトムの名前はそこにはない。
兄よりできの悪い弟として、兄の引き立て役扱いされる日々が再び始まった。
さらに特別クラスの中に彼女が、ミズキがいたのだ。
ミズキはツトムのことを覚えていた。しかしその視線はすでにタケルを追っていた。
何とかミズキを振り向かせようとするツトム。
そこに水を差したのが、同じ特別クラスの星宮ヒカリである。星宮グループ経営者一族である彼女は、ツトムの入学の状況を聞き及んでいたのだ。
彼女の口からタケルのおまけという言葉がもれたとき、周囲の視線は冷たさを増した。
期待を裏切る地獄の様な学園生活。
タケルに負けたままでいたくない、ミズキに振り向いてほしい。
その思いで半年耐えた。
だが、ミズキの一言が彼の心を完全に折った。
「ツトム君てさ、昔はかっこいいと思ったんだけど、今は粘着質でキモい…」
その一言聞いた後、何をどうしていたかわからない。
気がつくと、黒づくめの怪しい連中に縛りあげられ、拉致されていた。
目の前に喪服を着た和風美人と、チャイナドレスの上に白衣をはおったクールビューティーが現れる。
ツトムの顔を見ていきなりクールビューティーが和風美人の頬を叩く。
「馬鹿!こいつは出涸らしのほうだ!」
出涸らし、その言葉にようやく反応するツトム。
「出涸らしなんかじゃねえ!」
その勢いに鼻白む女二人。そこに三番目の声がかかる。
「そうだ、失礼だぞ、魔女博士」
「大首領!」
壁の発行するレリーフにひざまずく二人の女。その蝙蝠の様なエンブレムにツトムは見覚えがあった。
もっとも有名な悪の組織パンデモニウム。
「ほ~、パンデモニウムの大首領様ですか、はじめまして、どうやら兄にご用がおありのようですが、できの悪い弟ですみませんね」
「貴様!大首領様に向かって!」
「やめい!」
激昂する和風美人を止める大首領。
「たしかに我々にとって、不破タケルとは重要な意味を持つ人間だ。ここに招待しようとしたのもそのためだが、私は君にも興味があるのだよ」
「へえ、こーえーですね。なんでまた」
「ふふふ、私にそんな口を利くとは命知らずな男だな。単刀直入に言おう、兄に勝ち、想い人をその手にしたくないかね」
捨て鉢になっていたツトムが凍りつく。
「悪魔の誘惑ってやつですか。魅力的な提案ですね。話を聞かせてもらいましょうか」
すぐに冷静さを取り戻し、交渉の体勢に入るツトム。
エンブレムからため息の様な声が漏れる。態度の変化の速さに呆れているのだろう。
「まあ、いい。これをみたまえ」
壁が映像を映し出す。
「タケル?ミズキ!」
そこには特別クラスの五人が勢ぞろいしていた。
「いくぞ!みんな!」
「おう!」
「チェンジ!」
その叫び声とともに五人の姿が五色の戦士に変わる。
不破タケルがファイアーレッドに。
青海ミズキがオーシャンブルーに。
大峰イワオがランドイエローに。
天野ヨウスケがウィンドグリーンに。
星宮ヒカリがシャイニングホワイトに。
「ジャスティスター…」
「そう、星宮学園特別クラス、それはジャスティスターの世をはばかる姿なのだ」
「なんと…」
ツトムはあいた口がふさがらなかった。この春からパンデモニウムの怪人を撃破し続けている、今最も期待されるヒーロー、その正体が自分の兄や思い人たちであったとは。
「なぜ、あいつらが…」
「彼らの額に輝く石が見えるだろう。あれこそが、ジュエル・オブ・ジャスティス。あれによって彼らが選ばれたのだ」
「選ばれしもの…か」
それはヒカリが、あの高慢な女の言ったことだった。
「ふふふ、なぜ選ばれたのが自分ではない、そういう顔だな」
「…否定はしません」
「彼らが選ばれたのは偶然だよ」
「は?」
「君はタケル達におよばないとはいえ、同年代では有数の能力の持ち主だ。さぞかし努力したのだろうな」
「…慰めは要りませんよ」
「そう、彼らの能力はそんな君の努力の成果を上回る。それこそが石に選ばれた結果だよ」
「…なんだって」
「君は先ほどこう思ったのだろう、優れているから石に選ばれた、そうではない、石に選ばれたから優れているのだ」
「じゃあ、まさか」
「16年前、宇宙からあの5つの宝石が地上に落ちた。君の兄をはじめとする五人は偶然石を体内に取り込み、超人として成長していったのだ」
「なにいいい!」
絶叫するツトム。
「つ、つまり、あ、あれですか、あいつらの能力の高さは石のせいで、その石がたまたま体の中に入っただけで…」
「うむ、石が入ったのが君のほうなら兄との立場は逆転していただろうな」
「ふ、ふ、ふ、ふざけるなあああああ!!!!」
叫ぶツトム。
たった一つの石、それが自分たち兄弟の明暗を分けたのだ。それも偶然によって、こんなことが許せるはずがない。
ひとしきり絶叫した後、かすれた声で望みを言う。
「俺に力を!力をくれ!あいつらに勝てる力を!命でも魂でもくれてやる!」
「よくいった、魔女博士!」
「はっ!」
指を鳴らすと天井から注射針の剣山みたいなものが下りてくる。
「これからあなたに獣鬼細胞の改良型を注入するわ。計算上ジャスティスターにも勝てるわよ」
「わかった、早くしてくれ!」
注射針の束も恐れずに吠えるツトム。
「いい覚悟ね」
「ぎゃああああああああ!」
全身に針が刺さる。そこから何かおぞましいものが入ってくる。
肉体が変化する、拘束がはじけ飛ぶ。
「おほほ、すさまじい変化だわ」
高笑いをあげる魔女博士。しかしその笑いは次の瞬間凍りついた。
「!」
ツトムの肉体が爆発的に膨張したのだ。
「行けません脱出を!」
「く!しかたないわね!」
部屋を出た二人は司令室を目指す。その間に大きな振動が何度も起こる。
「状況を報告!」
「実験体が膨張を続けています。このままでは危険です!」
「なんですって」
司令室に首領の声が響く。
「どういうことだ魔女博士」
唇をかみしめ返答する魔女博士。
「おそらくは実験体の負の感情が強すぎたため、獣鬼細胞との相性が予想以上に高かったものと思われます。そのため暴走に近い形で成長しているものと思われます」
「とめられるか?」
「残念ながら…」
大首領は決断した。
「実験体もろとも基地を放棄する。自爆装置を作動させ速やかに避難せよ」
「は!」
基地の自爆と脱出炉の確保に取り掛かる一同。
一人の悲鳴によりその手が止まる。
「ば、ばけものめ」
隔壁すら貫いた触手が、仲間たちの体を貫き、切り裂き、絞め殺していた。
「いけない!下のフロアはもうやつの触手でいっぱいだ!」
「自爆装置の作動を早めて!私たちだけでも脱出するわ!」
「は!」
悪の組織の十八番、トカゲのしっぽ切りである。
数分後基地は大爆発、生存者は魔女博士を含む数名だけであった。
かなりの規模の大爆発であったが、すぐに忘れ去られた。
この世界では珍しくないことだからだ。
それから一月たった。
人知らず土に埋められた異形の怪物たち。その屍に根のように何かの触手がからみついていた。まるで何かを吸いつくそうとしているようだ。
< 続く >