第三話
雨音は誘う
冬も終わりかというある日の午後。
私は休み時間に厨房でお茶を飲んでいた。
手元にはこのあいだ読み損ねた小説――エミリー・ブロンテの『嵐が丘』――がある。
私はこのお話が大好きだった。
もし私が『嵐が丘』でお仕事をしていたらどうだろうか……とか、もしヒロインのキャサリンにお仕えしていたら……とか、そんな他愛もないことを考えるのが楽しくて子供の頃からなんべんも読み直しているのだ。
特に寒い冬の夜なんかは雪に包まれた『嵐が丘』の情景を想像しながら一晩中読みふけることもある。
我ながら子供っぽいと思うけど。色々と他人事とは思えないところもあるし。複雑な家庭関係とか、手のかかるお嬢様に振り回される家政婦とか……。
そういえば、強烈な個性のあるキャサリンはありさ様に、その娘で明朗な性格の小キャサリンはみつき様に、ちょっと似ているかもしれない。
そしてもちろん、天涯孤独のヒースクリフに私の心は惹かれる。
そう――私には家族が居ないから。
『ネリー、あたし「こそ」ヒースクリフなのよ!
あの子はいつも――いついかなるときも、あたしの心の中にいる。それは喜びとしてではないわ。ちょうどあたし自身が必ずしもあたしにとっての喜びではないのと同じようにね。けれども、あたし自身の「存在」としてこの心に住まわっているのよ。
だからあたしたちが離ればなれになるなんてこと、金輪際口にしないでちょうだい――』
――うーん、私もこんな風に愛されてみたいものであるよ。
ため息をついた私は、くてん、と頭をテーブルに預けてみた。ふと窓の外の風景が目に入る。
昼間にも関わらず薄暗く、どんよりと厚くたれこめた雲……というか、おやおや、これは一雨来たようですね。
私はテーブルを片付けにかかった。
お洗濯物は私の当番ではないから良いとして。
朝は雨が降っていなかった……それはすなわち、傘を持ってお嬢様の学校までお迎えにあがらなければならない、ということを意味するのだ。
私はメイド長の澄さんに一言かけてから自室に戻ると、外出の支度をした。
私だって一応、普段着は持っている。お休みの日以外にはあんまり着ることはないのだけれど。
今日はあくまでお迎えなのだから派手な格好は慎んで、深緑色のシックなワンピースにグレーの薄手のコートを選んでみる。
軽くお化粧もして、腕時計をつけて……準備オーケー。
最後に鏡の中の自分の顔をチェック。
いつも端を切りそろえたショートカットにしている黒い髪は、全くクセっ気のないストレートで、ちょっと首をかしげると肩口にかかってさらりと揺れる。それなりにお手入れをしているので艶もあるし、お嬢様ほどとはいかないが髪質にも自信はあるのだ。(相棒の胡桃ちゃんにうらやましがられることもあるくらいだ)
ほんの少し眉毛が太めで色白なのを除けば、それなりに整った顔立ちだと思うのだけど、どうだろうか。
自分の顔の評価ってよく分からないんだけどね。見れば見るほどおかしな顔に見えてきて自信がなくなってくる。他の人に聞くのもなんだかおこがましいし。
ふむ……普段の顔からしたら悪くないでしょ。お化粧の分プラス評価、ということにしておこう。
バスの時間を確かめると、もうあまり余裕がなかった。私はお嬢様の傘を手に取ると、いそいそとお屋敷を出た。
――こういう時、車の運転ができると便利なんだけど。
季節はずれの雨の中、白い息を吐いてバスを待ちながら、私は思った。
もちろん、運転ができるメイドは他に居るのだが、私がお嬢様お付きのメイドをしているうちは送り迎えは私に一任されていて、他の人間に任せるつもりはないらしい。
こういうあたり、鷹揚に構えているというか、ややのんびりしているというか……蒼風院家の変わったところだ。
ま、澄さんからは「早く免許を取れ」とうるさく言われているんだけどね。
……でも実は私、免許証は持っている。
年齢的には問題もないし、きちんと「彩草 菜々」と名前も入っていて、緊張してちょっとおかしな顔をした私の顔写真も張り付いている。
ただし、これは――偽造された代物なのだ。
身分証明書として必要になるからと蒼風院家から渡されたもので、ありがたく使わせてもらってはいるけれど、こんなものを簡単に手に入れてしまう蒼風院の力って……とか考えると、なんだかそら恐ろしい気もする。
そもそも私は物心ついてからずっとお屋敷で暮らしているので、自動車教習所どころか学校にすら通ったことがないのだ。最低限の教育はお屋敷で受けたとはいえ、そこから外れた事柄については疎いこと甚だしい。
自分で言うのもナンなのだが……相当な世間知らずと言えよう。
そういえば前に私の名前がどうの、っていう話もしたような気がする。
これは先代のメイド長につけてもらった名前で、『その場のノリで適当に決めた』とか『取って付けた名前だ』とかいうのが彼女の口癖だった。本気でそんなことを言っていたのかは分からないけど、確かに……なんというか、手を抜いたような空気は感じられるかもしれない。
本当の名前は――知らない。
私がここにこうして生きているということは両親が居たのは間違いないんだけれど。私が聞かされた話では、いわゆる捨て子だった私をさつき様――みつき様のお母様――が拾われた、ということになっている。
拾われた日が誕生日代わり。ちなみに1月15日。誕生日プレゼントはいつでも受け付けておりますよ。
あたりを見回すと、なだらかな丘に沿って休耕中の畑がずっと広がっていて、細い雨のとばりの向こうには海が望める。このあたりはどこへ行ってもこんな雰囲気。のどかな風景だ。
海岸線に沿って視線をすべらせていくと、岬の上にぽつんと建っているお屋敷が目に入った。
家族、というものに未練がないと言えば嘘になる。小さい頃はしょっちゅうそのことで泣いたものだ。
けれど、だからといって、お屋敷での暮らしが嫌いなワケではないし、お嬢様やお屋敷のみんなのことは本当の家族みたいに思っているし、それに――この名前だって気に入っているのだ。
それで良いではないですか。
誰かにそんなことを話すと、ノーテンキだねえとかいって笑われることもある。
でも名前のことを言えば、他のメイドたちと大して変わらないのだ。なぜならお屋敷に雇われた時点で新しい名前が『与えられる』しきたりになっているから。そう、胡桃ちゃんや澄さんの名前も後から付けられたものであって、そういう意味では私のと違いはない。
もちろん私と違ってお屋敷の外の世界には家族が居るし、私と違ってわざわざスカウトされてくるわけだから飛び抜けた能力を持っているし……うう、ちょっと劣等感を禁じ得ないですかな、これは。
もう少しシリアスな話をすると、戸籍どころか国籍もないから、お役所のからむような事態になるといささかマズいことになる。滅多なことではそんなことは起こらないけど。私は海外に出かけたこともないし。
蒼風院家からも正式にお抱えの家系に加わるとか、そういった話はある。私の方でもいっちょまえの日本国民になりたいような気はしているのだが……義務教育をすっぽかした上に納税負担もしていない国民なんて、どこの国も欲しがらないような気もするけど。
とはいえ、そういう判断は成年するまで保留、ってことにしているのだ。
……そんなことを考えていると、遅れていたバスが田舎道をのろのろとやってきた。
★★★★★★★★★★
私立桜花学院はここいらでは有名な女子校で、しがない地方都市の中心地からほどない静かな住宅地の中にある。
中高一貫教育を掲げる学校で、小学部も擁しているのだが、お嬢様はなんと幼稚園の頃からずっと通っておられる。そんな訳で、用事があるたびにちょくちょく出てくる私の方もすっかり慣れっこになってしまっていた。
校門をくぐると、校名の由来でもある見事な桜並木が迎えてくれる。
つぼみをつけるにはまだ少し早く、こわばった枝を空へ伸ばして黒い樹皮を冷たい雨にさらしている様は、もの悲しいなかにもどこか凛とした風情を感じさせた。
桜並木をくぐり、昇降口の方を眺めると――はたしてお嬢様がお迎えを待っていらっしゃるのが目に入る。
お嬢様の方も私の姿を認められて……っと。
はて。私は何とはなしに違和感を感じた。
そう……いつものみつき様なら、私に向かってぶんぶんと手を振ったかと思うと、降りしきる雨も水たまりもなんのその、『菜々ちゃーん!』とかおっしゃって駆け寄ってきたかと思うと、有無を言わさずぼふっ、と抱きついてくるような場面なのだが。
しかしお嬢様の元へたどり着いてその謎は氷塊した。
「お迎えにあがりました。
……ありさ様」
そう、髪型がみつき様のままだったので遠目には分からなかったのだが、そこに立っていらっしゃったのはみつき様ではなく、ありさ様だったのだ。
しかし……そのお顔には元気がなく、肩を落とされてどことなく疲れたご様子。
美しいハシバミ色をしたその瞳も、わずかに濁っているように見受けられる。
そうか。ありさ様は普段、学校などにいらっしゃることはないから当たり前と言えば当たり前だ。
学校では誰もありさ様のことなど知らないし、色々と勝手の分からないことがあったりしてお疲れになったのだろう。
しかし、お二人が『入れ替わる』のは十中八九、お眠りになっている最中と決まっているのだが。
ん? ということは、みつき様が……。
「……みつきが授業中に居眠りをして、あたしが出てきちゃったのよ」
ありさ様のお声は随分とお疲れを感じさせた。
「あらら。そりゃ災難でしたね」
「ま、可愛い子たちに囲まれてわいのわいの言われるのは楽しかったけどね。
みんなあたしのペットにしてあげたいわ」
「……イヤ、それはちょっと。どうかと」
そんなやりとりをしている間にも、女学生が私たちの横をすりぬけざま、お嬢様に声をかけていくのだが……。
『みつきちゃん、またねー』とか『みつき様、ごきげんよう』とか……この学院にみつき様を知らない人はないのではないかというくらい、皆がみな、みつき様のお名前を呼んで挨拶をしていくのだ。
そのたびにありさ様は軽く手を上げてニッコリと明るい笑顔を返すのだが、お嬢様のお顔を見慣れている私の目にはそれがどことなくギクシャクとしているように見え……というか、かなり無理をされているのは明らかであった。
なるほど、みつき様の評判を下げたりするまいというありさ様一流の努力なのだろうけど……こ、これを一日中続けるのは骨が折れそうだ。
中には私に声をかけて下さる方もいらっしゃるので、私も笑顔で会釈を返す。
なに、私だって必要とあらば営業スマイルの一つや二つ……。
くい、とありさ様が私のコートの裾を引っ張った。
「……とりあえず、引き上げましょうか?」
「さっさとね」
私の手から傘を受け取ったお嬢様は、逃げるような早足で雨の中へと踏み出したのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いつだったかの手紙に『みつき、学校では人気者なんだよ!』って書いてあったけど、本当だったのね」
「そうですねー。
私が授業参観に行った時なんか凄かったですよ。
皆さん、みつき様のことを根掘り葉掘り聞いてくるんですもん。参っちゃいました」
せっかくの機会なので私はありさ様とデートと洒落込むことにして、いきつけの喫茶店へとお嬢様を引っ張り込んでいた。
こういう時、『おいしい紅茶を出すお店があるんですよ』と言えばありさ様のご興味を引くには十分。
『そう……菜々が行きたいのなら付き合ってあげてもいいわよ』とかおっしゃって素っ気ないそぶりを見せるのだが、その実は気になって仕方ないというワケである。
これがみつき様だと、
『おいしいドーナッ
『行くっ!』
となって、大変話が早い……。いや、早すぎる気もするけど。
私は世間話をしながら、制服姿のありさ様をじっくりと眺めた。
桜花学院の冬服は、襟と袖に白のストライプが入った濃紺のセーラー服で、えんじ色のスカーフをあしらった落ち着いたデザインは、端正でひきしまったお顔つきのありさ様によく似合っている。
こういうかっちりした服は着慣れないせいか、長袖の裾から伸びた白い手で時折うなじのあたりにちょっと触れる仕草が、この年頃の少女らしい可憐さを感じさせた。
サラサラした栗色の髪の毛は、私がいつものように左右の高い位置で結んで差し上げた。たまたまポケットに入っていたゴムバンドで留めただけなので、できればリボンなにかで結んで差し上げたいところなのだが。
うむ。文句なしに可愛らしい学生さんではありませんか。私はちょっとした満足感に浸った。
「ふぅ……早く帰って眠りたいわ」
そのうちにありさ様がおっしゃった。
その頃には大分お疲れも抜けてきてリラックスされた様子と見えていたので、私は少し意外に思った。
「あら。せっかく出ていらしたのに、それはもったいないのでは?」
「そんなことないわよ。
眠りこそ個人に許された最高の贅沢だわ」
「そういうものですかねぇ。
私どもからすると、あまりお会いできない分、ゆっくりお相手をして差し上げたいと思うものですけど」
私がそんなことを言うと、ありさ様はついと首をめぐらせ、窓の外を眺めておっしゃった。
「――渡り鳥みたいなものよね。
あるとき姿を見せたかと思ったら、いつの間にか居なくなっていて……。
またそのうちに姿を見せる、気まぐれな渡り鳥」
それは、なんだかありさ様らしくない弱々しいお声で、どこか遠くを見つめるような横顔も儚げな雰囲気を漂わせていて……。
私はちょっとあわてて、別の話題はないかと頭を回転させた。
「そ、そういえば、前からお聞きしようと思っていたんですけど……」
私は自分につけられた『名前』のことを聞いてみた。
これまでの経験上、ありさ様はこういった蒼風院がらみの話題には乗ってきてくださるはず、という読みである。
そもそも蒼風院家の決まり事やなにかといったことは、ありさ様にお聞きするのが一番確実なのだ。必要のあることならば丁寧に教えてくださるので、何か疑問がある時は本家の方よりも先にありさ様におうかがいすることも多かった。
「そうね……。
この際、きちんと話しておこうかしら」
ありさ様は座り直して真っ直ぐに私の方を向くと、真面目な表情でそうおっしゃった。
ビンゴだ。
「……元来、名前というのは強い魔術的な意味合いを持っているのよ。
名は真をあらわす、つまりその物事の本質を最も根源的に体現しているのが名前なの。
物事や人間の名前を知ることができれば、そのものを支配するのはたやすい」
「ふむ……」
「だから蒼風院の魔女は自分の本当の名前を明かさない。
あなたもあたしやみつきの名前、どんな漢字を書くのか知らないでしょう」
「そういえば……そうですね」
「逆にあなたたちに与えられた名前は『縛りやすい』ものになっているわね。
あまり複雑な読みにはなっていないし、ファーストネームとラストネームに分かりやすい関連性があったりするでしょう」
「うーん、確かにみんなそうなってますねえ」
「特に菜々の名前は、なんていうか……手を抜いたような感じよね」
「はは、そりゃそーですけども。
名付け親が『取って付けた名前だ』って言ってましたから」
「菜々の名前じゃ、素人魔法使いにも支配されちゃうかもしれないわよ」
「むぅ、それはちょっと……。
そういうのはお嬢様だけで十分、間に合っておりますので」
唐突にありさ様が、私の前にすっと手を差し出された。
「菜々、『お手』」
「……へ?」
何を言われたのか分からず、きょとんとしてしまった。が、そんな私の驚きをよそに、私の手はひょいとお嬢様の手に重ねられている。
あわてて手をどけようとするが、自分の意志ではどうにも動かすことができない。
「ほらね。たいした魔法なんてかけていないのに、名前を呼ばれると従っちゃうでしょう」
微笑を浮かべてありさ様がおっしゃった。
「や、やめてください……こんなところで」
わたわたと慌てて言うと、お嬢様は私の手を解放してくださる。
「他の芸もやってみたい?」
手を握ったり放したりしている私に、ありさ様がおっしゃった。
「『おまわり』とか『ちんちん』とかですか?
……つつしんでお断りいたします」
「そう。残念だわ」
そんな風にして、ありさ様のお話は続いた。
ふう。ある意味では作戦成功、ってところなのだが。
私はお嬢様のいたずら心がエスカレートしないよう祈りながらそのお話を聞いていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
喫茶店を出て駅前のバス停へと向かう途中、ふとアーケードの脇にあるゲームセンターが目に留まった。
そこで私はあることを思いついたのだった。
「おお、そうだ。
お嬢様、プリクラを撮っていきましょう」
「ぷりくら? ……なによ、それ」
「んー……記念写真みたいなものですよ」
「それなら、ここで記念写真を撮ればいいじゃないの」
「いえ、そうではなくてですね……」
ありさ様を説得しながら、私は横目でゲームセンターの様子を観察した。
最近できたちょっと大きめの店で、内装は綺麗だし、店内も明るいし……よし、お嬢様をお連れしても問題ないだろう。
「うー、やかましい場所ね」
初めてのゲームセンターに対するありさ様の心証はあまりよろしくないようだった。
入り口そばのプリクラコーナーから様々なゲーム機械が置かれている奥の方まで、かなり広めのフロアはもろもろの機械から発せられる大音量の響きで満たされており……ま、心落ち着くような場所でないのは確かである。
しかし、どちらかというと問題は……。私は今日入荷したばかりという大型のプリクラの機械にできている行列を眺めた。
これは一体、どのくらい待たされるのであろうか。
「まあ、最新のじゃなくてもいいですよね。
ありさ様、あっちの古いやつにしましょう」
「ダメよ。せっかくなのだから最高のものになさい」
「……そうですか」
私は諦めてありさ様の上着と傘を受け取ると、行列の最後尾に並んだ。
この辺りの感覚はお嬢様と付き合いの浅い人にはなかなか分からないかもしれないが……ありさ様がその気になってしまったら、そこに茶々を入れられる人間など存在しないのだ。
つまり、(世の多くのお嬢様と同じように)言い出したら聞かない、ということ。
そのありさ様は、今度はきょろきょろと周りを見回しておられる。いつもお屋敷で静かに暮らしているお嬢様にとってはもの珍しい光景なのだろう。
そうしながらも片方の手はしっかりと私の腕を掴んで離さないあたり、なかなか微笑ましいところである。
行列に並んでいるのはほとんどが女の子なのだが、時折私たちの方を指さしている子が居るのに私は気がついていた。
……お、もしかして私たち、注目されてる?
そりゃあそうだろう。私はなんだかそわそわして落ち着きのないお嬢様を眺めた。こんな可愛いらしい女の子にはなかなかお目にかかれないというものだ。
お嬢様の可憐なご容姿を存分に堪能するが良い。ふっふっふ。
できることならそうっと頭を撫でて差し上げて、ちょっとむずがゆそうな表情を浮かべるお嬢様のお顔を拝見したりしてみたいであろう。
まっ、その特権は誰にも譲るつもりはないですけどね!
そんな愉悦にひたりながら、私は財布を取り出して中身を確認する。
……どうやら今月のお小遣いはもうあまり残っていないらしいことが発覚した。むむ。
というか……私は大事なことに気づいた。小銭がない。千円札もない。
プリクラは確か1回500円くらい。つまり両替をしなくてはならない。
「お嬢様、ちょっと両替をしてくるので、ここで並んでいて頂けますか?」
「あら。それならあたしが行ってきてあげるわ」
この時、私はイヤな予感がしていたのだが……大体、お嬢様は両替なんてなさったことがあるのだろうか。
「えっと……でも……」
「ほら。また『お手』ってしてもらいたい?」
ありさ様が手を差し伸べられた。ちょっとむくれたような表情である。
その勢いに押し切られるようにして、私は手に持っていた五千円札をありさ様にお渡ししてしまった。
お札を受け取ったお嬢様は、さっと身を翻すと、身体の重みなど感じさせない、まるで妖精のような軽い足取りで駆け出して……あっという間に姿が見えなくなってしまった。
……いつもと違って、なんだか興奮気味のご様子。
ま、たまにはそれも良いでしょう。私は軽くため息をついた。
しかし……五分ほど経った後、私は後悔にうちひしがれて天井を仰ぐことになった。
お戻りになったお嬢様は開口一番、やや困惑気味の口調でこうおっしゃったものだ。
「ちょっと……多すぎるんじゃないかしら」
その華奢な腕いっぱいに抱えられていたのは……プラスチック製のカップに山盛りになった、五千円分のメダルであった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
なりゆき上、一旦プリクラを諦めてメダルを使ったゲームで遊ぶことになってしまった。
スロットマシーンにお嬢様と並んで腰掛けた私は内心、滂沱の涙を流していた。
確かにお嬢様に責任はない。なにしろ両替機と『メダル貸し出し機』は外見がそっくりなのだ。初めてなら間違えることもあるだろう。それはお店がいけないと思う。
しかも、貸し出し機のそばにはしっかりと「間違えてメダルを貸し出されても現金との交換には一切応じられません」云々との注意書きがあるではないか。
それなら最初から間違いのないようにすべきではないだろうか。
しかし……いくらゲームセンターの過失を責めたところで、失われたお小遣いが戻ってくるわけではないのだ。
ああ、私の新渡戸稲造さま……今は樋口一葉さまだったっけ。
(五千円分の御利益があるならどちらでもよろしいですけど)
スロットマシーンなどやっても、あふれる涙で回転する絵柄が目に入りません。
そんな私とは正反対に、お嬢様は大変ご機嫌であった。
なんでも雑誌か何かでカジノの写真を見たことがあって、前から一度やってみたかったらしい。
しかも……なにやらお嬢様のスロットマシーンからはメダルが大量に吐き出されているような気がするのですが。
「お嬢様……随分と調子がよろしいようですね」
「ふっ。私の目にかかれば、こんなもの。
止まって見えるわね」
うーん、それはすごいかもしれない。
でもこういうのって、どんなにタイミングを合わせても確率的に当選していないと絵柄は合わないんじゃないでしょうか。
そんな私の常識をあざ笑うかのように、お嬢様の当たること当たること。
「うわ、また7が揃った……すごいですね」
「ふふっ。まかせなさい」
私は手を止めて、ガッツポーズなどなさっているお嬢様の横顔を眺めた。
こんなに楽しそうなありさ様のお顔を見るのは久しぶりである。
ちょっと高い出費だったけど、これならまあいいかなあ……。
……しかし、問題はそこでは終わらなかったのである。
スロットマシーンで味をしめたありさ様が、他のゲームにもご興味を示されたのは当然だろう。必然的に、あちこち走り回るありさ様とメダルを持ってそれを追いかける私、という構図になった。
(ちなみに私が負けに負けたのでメダルの量はあんまり増えていなかった)
「あれがやってみたいわ」
今度ありさ様が目を付けたのは、馬が走る映像のついている大きなゲーム機で……えーっと、あれだ、競馬を模したゲームであろう。なんだか豪華な椅子が目を引く。
……が、これは随分と人気があるようで、またも順番待ちの行列ができていた。
「お嬢様、これはしばらく並ばないとできませんよ」
「でも、すぐやりたいわ」
「うーん、それはいささか無理な相談というものでして……」
私はありさ様をなだめにかかった。ここでお嬢様にご機嫌を損ねられてはかなわない。
……と、その時、ありさ様が急にむすっ、として行列の方を睨まれた。
お嬢様の視線を追いかけた私は……行列に並んでいた女子高生の二人組が、こちらの方を見てクスクスと笑っているのを目に留めた。
私たちに見られてちょっとばつの悪そうな顔をしているが……おそらく先ほどのやりとりが微笑ましい光景とでも見えたのだろう。悪気はないはず……って。
振り返った私は、ありさ様が発している怒りの気配にたじたじとなった。
そう、ありさ様は何より他人にバカにされるのがお嫌いなのだ。
あはは……これはマズいかも。
不機嫌な表情を浮かべたありさ様は、その二人に向かって、なにかちょいちょい、と指で差し招くような動作をした。
それからくるりときびすを返して、「菜々、ついてきなさい」と私に向かっておっしゃっると、すたすたと歩いていってしまう。
「え……? あ、ちょっと……」
メダルやらコートやらの荷物を抱えたまま立ち往生する私。
すると件の女子高生二人が、列から外れて私のそばを通り過ぎ、ありさ様が向かわれた方へと歩いていくではないか。
その顔に浮かんだ困惑の表情を見て、私は二人がありさ様に何をされたのか悟った。
私は大あわてでメダルをお店に返しにカウンターへと走るハメになったのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
メダルを返した(預けるという形になった)後、お嬢様が歩いて行った方へ移動すると、なんのことはない、先ほどのプリクラコーナーであった。
ただ異常なのは……さっきまであれだけ混み合っていたのに、今はがらんとして人っ子一人いないではないか。
たぶん、ありさ様がなにかされたのだろう。それはそうだがしかし……何故そんなことをされるのか。
そりゃ、人に見られたらマズいからに決まっている。
私は頭をかかえた。
ほどなく、三人が居るプリクラ機を発見した。さっきの最新のやつだ。
二人の女子高生は、ぼーっとした表情で宙を見つめたまま壁際に立ちすくんでいる。
ありさ様はその前に立ち、軽く腕組みをした姿勢で二人をにらみつけておられた。
二人組はおそらく私と同い年くらいで、一人はワイシャツに長袖のブレザーという格好、もう一人は同じくワイシャツの上にセーターを羽織っていた。この辺りではよく見かける制服だ。むむ、まだ寒いというのに丈の短いスカートだこと。
「来たわね」
「あのー、ありさ様。なんだかまわりに人が居ないんですけど」
「だって、野暮が入ったらゆっくりできないじゃない」
「いや、つまり、何をされるおつもりなのかなー、とか思ったりしちゃったりして」
「愚問ね」
ありさ様は女子高生たちをきっと見すえた。
「失礼な子にはそれなりのしつけが必要、ってことよ」
お嬢様の剣幕に、私は早々に事態の収拾を諦めた。
魔女ならぬ人の身、知恵と力のおよぶ範囲も限られているというものである。
二人にはかわいそうだが、あとはなるべく早くありさ様の気が収まるのを祈るだけだ。
「この子たち、どうなっているんですか? 参考までに」
「名前をもらったから……身も心もあたしに囚われちゃったってとこ。
セイレーンに誘われたあわれな船乗りのようにね」
「……お願いですから、あんまりひどいこと、しないでくださいね」
私は形式ばかりのクギを刺しておく。ありさ様の場合、そういう心配ない……はずだけど。
お嬢様は私の言葉にはこたえず、左側の女の子――薄く日焼けした背の高いベリーショートの子――に近づくと、胸の辺りを指さして、そのまますっと指を縦に動かした。
すると……ひとりでブレザーのボタンが外れて、ぱさりと床に落ちる。するりとネクタイがほどけたかと思うと、ワイシャツのボタンも次々に外れていく。ブラジャーもまるで自らの意志を持っているかのように持ち主の身体から逃げ出して……あっという間に、シャツの前を開いて胸を露出した格好になってしまう。
むっ、けっこう大きい。
……じゃなくて、スポーツでもやっているのだろうか、腰から胸へのラインがくっきりとしていて、引き締まった綺麗な身体だった。
私はちらりとその子の顔を伺ったが、ほうけた表情のままである。微動だにしない。
ありさ様はもう一人の、髪をおさげにした小柄な女の子の方を向くと、腰のあたりに軽く触れた。
途端、スカートのホックが外れ、ふわりと音も立てずに落下する。あまり派手さのないショーツは、するすると丸まって太股をすべり落ちていったかと思うと、足首のあたりに落ち着いた。
まるで手品のようだ。魔法だけど。
私の視線は、ついその閉じられた足の根元へと吸い寄せられてしまう。薄い毛に覆われた恥丘のやや下に、秘裂がわずかに顔をのぞかせていた。
ゴクリ。って、私は中年のエロオヤジか……。
私が心の中で反省していると、お嬢様は何か不可解なことを始められた。
なにか外国語のような、私には理解できない言葉を低い声でつぶやくと、ぺろりと人差し指を舐めて……。
その指でまず背の高い方の女の子の乳首に触れると、しばらく何かを練り込むように指を動かす。
それから同じことを、小柄な方の女の子の股の間に指を差し込んで行う。びくん、と小柄な少女は身震いした。
「……よし」
ありさ様は小さく呟いた。
「……なにをされたんですか?」
「ん……『スイッチ』をつけたの。
いちいち魔法をかけるのは面倒だから」
「はあ……スイッチって、あのスイッチですか」
「ちょっとした余興よ。見ていれば分かるわ」
お嬢様はそれだけおっしゃると、二人の目の前に仁王立ちして、指をパチン、と鳴らした。
すうっと、二人の顔に生気がもどる。
まずその視線がお嬢様の顔に注がれ、つぎに何がなんだか理解できないまま自分の身体へと向けられて、驚きに声も出ないまま口をぱくぱくさせ、それから身動きが封じられていることを知って羞恥というよりは恐怖に顔色を変える……とまあ、こういった運びとなった。
いやあ。その気持ちは良く分かりますとも。私は同情を新たにした。
「いやっ!」
先に声をあげたのは小柄な少女の方だった。その表情から大事な部分を隠したいという意図ははっきりと見て取れたが、身体の方はその思いにこたえてやる気はなさそうで、手も足もぴくりともしない。
「な、なにこれ……」
ベリーショートの女の子の方は、信じられないといった表情を浮かべたまま声をなくした。
「これから」
そんな二人の様子には頓着せず、ありさ様は厳しお声でおっしゃった。
「あなたたちに罰を与えるわ。ただし」
二人の顔に余裕を持ってじっと視線を注いでから、お嬢様は続ける。
「猶予をあげる。その間に自分たちのあやまちを認めて、きちんと謝罪するのよ。
できたら許してあげる」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……」
背の高い方の女の子が口を挟んだが、お嬢様は完全に無視なさった。
「十回よ。十回の間に反省なさい。チャンスはそれだけ。
できなければ、それなりの罰を受けてもらうわ」
言い切ったお嬢様を見て、二人ともあきれかえったような表情を浮かべた。「何のことだか分からない」という言葉がばっちり顔に出ている。無理もないことであろう。
先に反応したのはベリーショートの子だった。どうやらムカっと来たようである。性分かな、これは。
「……あのねえ、調子に乗らないでよ。あんたがどこの誰だか知らないけど。こんなことするケンリあると思ってんの? なんか動けないし……。ちょっと聞きなさいよ!」
なおもぎゃーぎゃーと騒ぎたてる女の子をさらりと無視して、お嬢様は小柄な方の女の子の方を向いた。
「……あなたは何か言いたいことがあるかしら?」
少女は今にも泣き出しそうな表情をしていた。おずおずと疑問を口にする。
「あのぅ……罰ってなんですか……。
罰でも…なんでも受けますから……帰してください……」
その言葉を聞いてありさ様の口元がきゅっと笑みを形作る。見る者を魅了する魔女の微笑みである。こんな状況じゃなければ、この子だって見とれてしまったに違いない。
「罰? そうね……。
その格好のまま四つんばいで外を連れ回してあげる、というのはどうかしら?」
「……っ!」
心底楽しそうにおっしゃったありさ様の台詞に、おびえた女の子は言葉を失った。ひくっと喉が鳴るのが分かる。あらら……こりゃ近いうちに泣いてしまいますですよ?
「なにそれ……? あんたヘンタイじゃないの? このイカレ○○○! □#△%! 意味分かんない信じらんないサイッテー!」
怒り狂って罵詈雑言を大放出しはじめたのはもう一人の少女だ。
はは、最近の女の子は威勢がいいものであるよ。私はちょっとしたカルチャーギャップを感じた。
「レディがそんな言葉づかい、するものじゃないわ。
……さっそく減点ね」
ありさ様は涼しい顔でおっしゃると、なにげない仕草で指を伸ばしてその子の乳首にちょん、と触れた。そう、さっき『スイッチ』とかなんとか、そんなことを言っておられた場所だ。
「なにすんのよっ、やめなさいよっ! ……んんっ!?」
手足はびくともしないので口先だけで精一杯抵抗していたが、お嬢様の指が触れた途端、驚いたような声を上げてしまう。その声音に甘い響きが含まれているのは明らかだった。
少女の表情に困惑の色が加わる。
「あなたがあんまり騒がしいから、説明しそびれちゃったわね。
減点のたびにあたしがここに触るわ。そしたら、あなたたちはそのたびに感じちゃう。十回でゲームはおしまい。あなた達の負け。それが嫌だったら、心から反省することね。
……感じる、って分かるかしら? 興奮することよ」
まさかそんな説明を年下の美少女から受けることになるとは、夢にも思わなかっただろう。
「……な、なに言ってんの? あんたやっぱアタマおかしいんじゃないの!? 感じるって……そんなわけないでしょ!」
少女の顔が真っ赤に染まる。
「強気な子は嫌いじゃないわ。
でも、そういう態度は時と場所をわきまえるべきね」
お嬢様の反応は冷ややかであった。無造作にもう一度、女の子の乳首をつん、とつつく。
「はああっ……くぅっ! ……誰が……あんたなんかに……」
お嬢様のあまりに理不尽な行いへの怒りからか、はたまた好き勝手に身体を触られているのに何もできない悔しさからか、眉根を寄せてそう言った少女の目端には涙のかけらが浮かび上がっていた。
いや、これはもしかして本当に感じちゃってるのかな……。
「誰かっ! 誰か居ませんかっ! 助けてください!」
小柄な方の少女がたまらず大きな声を上げた。
わわっ。私はちょっと焦ったが、お嬢様は平然としている。
「誰も来ないわよ。呼んだって泣き叫んだって、ね。
逃げられる、とか、誰かに助けてもらえる、とか……そんな考えは捨てた方が身のためね」
ずいぶんと理不尽なことを言っているはずなのに、ありさ様のお声はあくまで穏やかで、それがその言葉の真実性を裏付けていた。
ある意味で安心した私とは反対に、望みを絶たれた少女は顔色を失って口をつぐんだ。
ありさ様が下半身へと指を伸ばしても、力なく首を横に振るだけで、震える唇からは拒絶の言葉さえ漏れてこない。
つい、と上向けられたお嬢様の細い人差し指が、少女の太股と花弁を押し分けて侵入していき……突起に触れたのだろう。
「ひゃぁ……っ!」
小さな声をあげて、鋭い痛みを受けたかのように表情を歪ませる。
ううむ、容赦ありませんな。私は今更ながらにありさ様の本気ぶりを再認識した。
しかし、なんというかその……なにもしていないうちにあんな風にされたら痛そうなものだけど。この子もすっかり魔法にかかっているのだろうか。
ありさ様は依然、厳しい面持ちを崩さない。
さながら人間の罪過を裁定する天使のようである。いや、魔女ですけども……。
「菜々、写真を撮りなさい」
突然声をかけられて、私は思わずびくん、と過剰に反応してしまった。
「えっ? 写真て……プリクラのことですか?」
「それよ。早くなさい」
念のため両替した小銭は手元にある……いやいや、そういう問題ではない。
「ありさ様ぁ、さすがにかわいそうですよ」
私は立ちすくんでいる二人組にちらりと目線を流した。気の強い方の子もさすがにおびえの表情を隠せないようだ。
「いいから。撮るのよ」
とりつく島もないというやつであった。
「は、はい。承知しました……」
これは致し方ない。不可抗力。私は心の中で二人組の女の子に謝りつつ、コインスロットへとお金を投入する。派手な効果音が鳴って、液晶のパネルに明かりがともった。
ごめんね。悪気はないのよ。私だって辛いのよ、身銭を切るのは。じゃなくて、罪のない女の子を手にかけるなんて、ホントはしたくないことなの。
ああ、二人には私が悪い魔女の手先の小悪魔か何かに見えているであろう。強く否定はできないけれど……ともかく胸が痛んだ。
「あの……ごめんなさい。
私たちが悪かったです……!」
と、その時小柄な少女が言った。
おお、偉いぞ。あんなみっともない格好でそんなことを言うのは、ずいぶんと勇気が要ったことだろう。私は感心した。
これでコトが済めばそれに越したことはない。すかさずお嬢様の顔色をうかがう。
……しかし、お嬢様はじろり、と、たいそう懐疑的な視線をその少女へと据え付けられた。
「あなた……本気でそう思ってるのかしら?」
ダメだ。疑っておられる。少女の必死な努力も水泡へと帰す定めであろうか。
「ホントです! 最初はなんでこんなって思ったけど……。
気に障ったことがあったなら、あやまります!
だから、ひどいことしないで……」
みるみる涙があふれてくる。ええと、これは嘘ではないと思うんですけど。
「あなたの言葉が」
しかし、お嬢様は腰に手をあてると相変わらず冷徹な口調でおっしゃった。
「本心から出たものだと分かったら、約束通り許してあげるわ」
「……はんっ! そんなこと誰に分かるんだよ」
もう一人の少女がいきり立って横あいから口を出す。
「あら。あたしには分かるのよ」
くすり、と魅惑的な微笑を浮かべてお嬢様はおっしゃる。
「こうすればね」
たおやかな手がするりと伸びたかと思うと、おさげの少女の額に軽く触れていた。
ぴくん、と少女の身体が震える。
「……ほら、本当はこう思ってる。
『ちょっと泣いたふりすればイチコロだ』って。
ふーん。あなた、演劇やってるのね」
「やめてっ!」
得体の知れない恐怖に、思わず拒絶の言葉が口にのぼっていた。顔面は蒼白だ。
目の前にいるのはセーラー服を着た可愛らしい少女だが、その正体は一体何者なのか……魔女だなんて想像もできないことだろう。ましてや、自在に人の心を覗くことができるなんて。
お嬢様は手を引っ込めると、おっしゃった。
「いい演技だったわよ、とっても。でも目が嘘をついていたわね。
心のこもっていない謝罪など不愉快なだけ……ペナルティーをあげる。
あなたはこれから誠意のない言葉を口にするたび、減点一つよ」
そして、ふたたび少女の『スイッチ』に触れる。
「んっ……!」
甘い衝撃が少女の身体を襲ったのだろう、声にならない声が上がった。
先ほどよりも敏感に感じている様子だった。魔法の力は通常の快感を高めていく過程など飛び越して、あっという間に少女を淫らな高みへとさらってしまう。その感度すらお嬢様の思いのままなのだ。
目をきゅっとつむり、眉を寄せて恥じらいに耐える表情の少女は、無意識の動きなのだろうが、もじもじと太股をこすり合わせている。
透明なしずくがじんわりと滲み出て太股を濡らしているのに私は気づいた。
「おい、やめろよっ!」
もう一人の少女が声を荒げた。
「あら……あなたも同じことをして欲しい?」
お嬢様のお声はちょっと聞くと楽しそうな風にもとれるが、私には氷河の底を流れる流水のように冷たい響きが感じられた。
「やめろ! やめろって!」
「どれどれ?」
お嬢様はわざとらしい口調でそう言うと、背の高い少女の額にぴとりと手をあてた。
「……あら。あなた、バージンなの。
周りには派手に遊んでるようなことを言ってるけど、本当は寂しいのね。
男友達は居るけど、あまり女性らしいあつかいをされないのが悩み、っと。
そうだったの、可哀想」
自分しか知らないはずの秘密をつらつらと暴露されて、少女は怒り心頭に発した。ううむ、無理もなかろうて。
「ゆ、許さない! なによ! あ、あんただってそんなちんちくりんじゃないの!」
「こわいこわい。まるで動物ね。
檻の中で飼われてみたらどうかしら」
しかしお嬢様はそんなことは歯牙にも掛けず、今度は少女の乳房を手にかけた。すぐには乳首に触れず、熟れた果物を値踏みするかのような手つきで軽くこねまわし、じらすように弄ぶ。
「あら、大分感じてきたんじゃないの」
つい先ほどまでおとなしかった乳首は今や熱を帯びてピンと立ちあがり、遠目にもその主張は明らかだった。
「このスケベ! チビ! ふああっ!」
怒号の中に一つ、嬌声が混じる。
お嬢様が親指と人差し指で乳首をきゅっとつまんだのだ。たったそれだけの刺激で、少女はびくびくと身体を痙攣させて反応した。軽くイってしまったのかもしれない。
最初の衝撃が去ったあとも、小刻みに肩が震えているのが分かる。
「じゃ、撮りなさい」
放心したような表情の少女からすっと身を引くと、お嬢様は唐突にそうおっしゃった。
……っと、そうだった。おっと、残り時間があんまりありませんよ。
「はい、チーズ」
一応、声をかけてみた。我ながらしらじらしい。
が、背の高い子はとろけたような顔のままだし、おさげの子もきゅっと目をつむっただけでこたえてくれなかった。
……なんだろう、この一抹のさみしさは。
フラッシュが焚かれて、画像が液晶画面に映って……本当はもう何枚か撮ることができるようだけど、私はまったく気乗りしなかったので、その他の項目も適当に設定して『OK』と書かれているボタンを押してしまった。
少し間があって、かこん、と取り出し口にプリクラが吐き出される。手を伸ばした私の脇をかすめて、お嬢様がそれをひょいとさらっていった。
「ふーん。小さいのに綺麗に撮れるものね」
「お、脅すつもり? それで」
背の高い方の女の子が言う。
「そんなことしないわ。
でも写真というのは優秀な似姿だから……色々と使い道があるのよ」
そんなことをおっしゃると、ありさ様は指先でプリクラの表面をピン、と弾いた。
すると、お嬢様をにらみつけていた少女の乳房が触れられてもいないのにぷるん、と揺れる。
驚きを隠せない少女は思わず声を飲んだ。
……うむ、君には心底同情するよ。
「さて――。
そろそろ良い子になれそうかしら?」
一方のお嬢様は憐憫のかけらも見せずにおっしゃった。
――10分後、事態はさらに進行していた。
小柄な方の女の子はもう限界だった。なにしろ何を口に出しても、お嬢様が「誠意がない」とおっしゃるたびに身体が勝手に感じてしまい、顔を歪めてあられもない声をあげることになるのだ。
そのたびごとにあふれ出した愛液は両足をつたって足下にまで達し、脱ぎ捨てられたスカートをぐっしょりと濡らしていた。プリクラ機の狭い空間に充満した特有の香りが鼻孔をくすぐる。
「あなた本当に素直じゃないのね。
心から謝るって、そんなに難しいことだったかしら?
もういいわ。直接触ってゲームオーバーにしてあげるから、足を開きなさい」
お嬢様はそうおっしゃると、優雅な仕草で指をパチンと鳴らす。
それまで自分では動かすこともままならなかった足がそろそろと開かれていくのを見て、少女はゆるゆると首を振りながら目に涙をためた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
もはやうわごとのように繰り返すばかり。
「ダメダメ。心がこもっていないわね」
お嬢様があきれたような口調でそうおっしゃった途端だった。
「……ごめんなさい……んんっ! ごめんなさいっ! ああぁぁぁっ――――!」
少女は甲高い叫び声をあげて絶頂に達した。
ぷしゅっと音を立てて、開きかけていた秘密の花弁から透明な液体が飛散する。
自分で発した一言ひとことが引き金となって快感が生み出されていることすら、意識できていたかどうか。
「あら。もう触る必要もなかったかしら……。
あなたは失格ね」
そのありさ様の一言で硬直していた身体が力を失うと、ずるずるとくずおれる。
自らつくりだした愛液の水たまりにむき出しのお尻が触れた瞬間、一度ぴくん、と身体を震わせたが、そのまま動かなくなってしまった。意識が飛んでしまったのだろう。
……そんな友人の姿を見て、背の高い方の少女もいよいよ追いつめられた表情になった。
こちらも大分お嬢様にいじめられて、嫌がりつつも昂ぶりは抑えきれず、『スイッチ』に触れられるたびに強くなっていく刺激に身をうちふるわせていた。
豊満と言ってよい胸は興奮に張りつめて、少女が感じるたびにいやらしく振動する。うっすらと日焼けの跡が残った肌も赤みを帯びてじっとりと汗ばんでいるのが見て取れる。腕にからみついたワイシャツが汗に濡れて肌色を透かしていた。
「いい加減、自分の非を認めたらどうかしら?」
「……イヤ」
それでもそっぽを向いてそう言う女の子。あんまり強く反発すると、すぐに『減点』されることは学習したようであるけども。
「強情ね……」
お嬢様はそこで私に声をかけられた。
「菜々も触ってごらんなさい」
「え? い、いえ、わたくしめは遠慮しておきますです。ハイ」
「あら。
今のはあたしが『お願い』してるように聞こえたのかしら?」
ニッコリ。ありさ様の笑顔はまるで美しい大輪の華が咲いたかのようではあったが、目尻に浮かんだ表情は真剣そのものであり、そのニュアンスは一言でいうと「やれ」という単純明快なものであって、私は敏感に身の危険を察知した。
「不肖菜々、触らせて頂きます」
私はあわてて少女の前へと進み出た。
間近にきてみると、立ったままの姿勢で彫像のように動きを封じられた少女の身体はただならぬ熱を帯びていた。責め立ててくる甘い刺激に耐えているのか、肌が小刻みに震えている。
つんと鼻を突く臭いで、私は紺色のスカートにも染みができつつあるのに気がづいた。
「ごめんねー、ホントに。悪いと思ってるのよー」
怖がらせまいとして引きつり気味の笑顔を浮かべる私に、軽蔑したような視線が返される。
私は心を痛めつつも、どこが胸がドキドキとして期待感のようなものが高まるのを抑えられなかった。
正直なところを言うと、私の手でこの女の子が感じてしまうと思うと……ちょっと変な気分になってくる。
おそるおそる指を突き出し、少女の乳房の真ん中に鎮座している尖ったピンク色の突起にちょん、と触れてみる。
「ひゃあああああっ!」
激しい反応にびっくりして、私は飛びすさった。
……悲鳴が収まったあとも、少女はその身を震わせて息を荒くしている。
私は我知らず自分の胸に手を当てていた。まだ心臓がドキドキしている。
「もう反省する気はなさそうね。
せっかくだから、おまけしてあげるわ」
ありさ様はそうおっしゃると、今度は人差し指を女の子のおへそへと近づけると、くるくると指を回すような仕草をして……それからおもむろに指をおへそに突っ込んだ。
「ふあああっ!」
おへそに溜まっていた汗がするりと流れ出すのと、少女の嬌声があがるのは同時だった。
「な、なんで……くうっ!」
なんでもないはずの場所から受ける快感にとまどいの声を上げる少女。
美しいお顔に極上の笑みを浮かべると、お嬢様はおっしゃった。
「こんなところで感じるなんて、ずいぶんと淫乱なのね。
ほら、どこが気持ちいいのか自分で言ってごらんなさい」
「だ、誰が……」
「言うのよ」
なおも少女のおへそをいじり回しながら、ありさ様は冷たいお言葉を投げかける。
「……お、おへそ…おへそが……えっ?……気持ちいいですっ!
じんじん痺れて…おかしく…なりそう……。
ど、どうしてぇ……おへそが…気持ちいいっ!」
勝手にしゃべり出した口をどうすることもできず、感じている場所を告白させられてしまう少女。
そんな滑稽な様子にくすりと笑ったありさ様は、愛撫を続けながら、さらに少女を追いつめていく。
「あら、そんなに感じるならおへそじゃなくて、おま○こなんじゃないの」
「そ、そんなわけっ……あぁっ……!
……おま○こ……かきまわされて……気持ちいいのっ……!
くぅっ……なん…で……。
おま○こ気持ちいいっ! おま○こっ! ああっ!」
「おへそ」を触られているのに「おま○こ」としか言わせてもらえず、少女は屈辱に顔を歪めた。
お嬢様の指先に踊らされて、がくがくと派手に身体を震わせてしまう。
……たっぷりと少女をいじめた後で、ようやくありさ様は手を引かれた。
汗に濡れた人差し指をぺろりと舐めると、満足そうなお声でおっしゃる。
「最後は自分で触らせてあげる」
荒い息をついていた少女の肩がピクンと震えた。ワイシャツを引っかけたままのその腕がおずおずと上がる。どうやら手だけが自由になったようだ。
とまどい気味だった少女の表情が、きゅっと引き締まったかと思うと――。
私はハッと息をのんだ。
気丈にも、少女はお嬢様に向けてビンタを放ったのだ。
……けれど頬を張る甲高い音は鳴らなかった。
不自然な体勢から放たれた少女の手は、お嬢様のお顔のわずか数センチ手前で見えない手に掴まれたかのように硬直してその動きを止めていた。
震える肩を見ると相当に力がこもっているようだが、それ以上はまるで動く気配がない。
お嬢様は微動だにしていなかった。
フッ、と魔女とは思えない可憐な微笑みを浮かべてありさ様は一言。
「自分で触りなさい、と言ったのよ?」
絶望に顔を歪めた少女の両の手が、魔法の糸に操られるかのようにゆっくりと動き始めた。
「やめて……お願い……!」
首を振って哀願する少女の目尻には大粒の涙が浮かんでいた。肩がぴくぴくと痙攣している様子から、ありったけの力で抵抗しているのがうかがえる。
「いや……いやぁぁ……」
完全に心を打ちのめされた少女は、いやいやをしながら迫ってくる自分の手を見つめている。
だがその思いとは裏腹に、その手は乳房に達すると、ふくらみを包み込むように持ち上げた。
そして、指と指の間に『スイッチ』である乳首を捕らえると――自らにとどめを刺す淫らな刺激を加える。
「いやあぁぁ……あぁっ…あひいいぃぃぃぃぃっっ!!」
圧倒的な悦楽が全身を駆けめぐり――あっという間に少女は絶頂へと登りつめてしまった。
スカートの端から淫らな液体がぽたり、とこぼれたかと思うと……少女の身体は力を失って、胸に手を当てた格好のままその場にぺたんと尻餅をついてしまう。
そんな光景を眺めて、お嬢様は面白い見せ物でも目にしたかのようにクスクスとお笑いになったのだった。
完全に空気に呑まれて成り行きを傍観していた私だったが、そこでようやく我に返った。
冷静にプリクラ機の中を見回すと……うわっ、ちょっとお伝えできないようなすごい状態になっている。な、なんとか後片付けをしなくては……。私は大いに焦った。
これまで長いことお嬢様に付き添ってきた私であるが、もちろんこんなことは初めてである。
うーん、これが本来の魔女のやり方なのであろうか。この先はたしてありさ様についていくことができるのか、私はやや不安な気持ちになってしまった。
しかも……。はた、と私は気づいた。お嬢様は『反省できなかったら罰を与える』とおっしゃっていたのだ。つまり、もしかして、まだ終わっていないということ……?
おそるおそる、私はありさ様にたずねる。
「あの、お嬢様……? 本当に罰なんて……。
さすがにその、やりすぎでは……」
お嬢様はちょっと思案げにしていたが、やがておっしゃった。
「そうね……勘弁してあげましょうか。
もう気が済んだことだし」
ありさ様が軽く手を振ると、座り込んでいる二人の少女にふわりと光の帯のようなものが巻き付いて……一瞬の後には、二人の衣服はすっかり元通りの状態になっていた。シミひとつ残っていない。
床にできていた水たまりもすっかり消え失せて、あれだけ匂い立っていた香りも嘘のようになくなってしまった。
「ありさ様……この子たち可哀想でしたよ。色々と」
ちょっとした非難の気持ちを込めてお嬢様を見つめる。
「……わかったわよ。
せめて、いい夢を見せてあげる」
お嬢様はかがみ込むと、意識を失っている二人のおでこに手を当てて何ごとか呟く。力が抜けた二人の顔に、安らぎの表情が浮かんだ。
私はそれを見て少しだけホッとしたのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「あのぅ……ありさ様、今までもあんなことなさっていたんですか?」
「あら、あなたもして欲しかった?」
「いえ、そうじゃないですけども」
雨降りのバスターミナル。私たちは並んで傘を差し、帰りのバスを待っていた。
「魔女の所行としてはかわいい方よ」
「はは、そうですか……」
お嬢様はじっと空を見上げ、際限なく落ちてくる雨粒を見つめていらっしゃる。
私はふと気づいて言った。
「そういえば、雨が降っているとありさ様が出ていらっしゃることが多い気がしますね」
その言葉にはこたえず、お嬢様はしばらく黙っておられた。
……おや、何かまずいことだったかしら。
少し心配になってきた頃、ありさ様がぽつりと一言。
「好きじゃないのよ……冬の雨なんて」
今度は私の方が言葉をなくして、雨傘ごしにまじまじとお嬢様の横顔を見つめてしまった。
「気に入ることがあるとすれば、季節はずれの雨は誰にでも公平である、ってことくらいかしら」
「……まっ、予想外の雨ですから。みんな濡れちゃいますもんね」
「そう……冬の雨はいつも平等に降りかかるの」
お嬢様は天を仰いだままおっしゃった。
「高みにおわす王にも、
地べたをはいずり回る奴隷にも、
深い森の奥にひっそりと棲んでいる魔女にも、
そして――」
瞳を閉じてふうっ、とため息。
「一夜の屋根を探しそびれて濡れそぼっている渡り鳥にも、ね」
「…………」
ありさ様の真意をとらえかねて口をつぐんでしまった私だったけれど、少し寂しそうなその横顔を目にすると何かを言って差し上げないといけないような気がして、迷いながらも口を開こうと決心したところへ――。
待っていたバスがやってきた。
帰りの車内でもお嬢様は無言で窓の外を見ていらしたが、バスに揺られて気持ちよくなってきたのだろうか、そのうちに目をつむって寝息を立てられ始めた。
――魔女とはいえ、無防備な寝顔は可愛らしいものだ。西洋人形のように整ったお顔立ちを見て私はそう思った。目元にかかった前髪をそっとはらって差し上げる。
窓の外へと目を向けると、灰色に染まった海の彼方に、わずかな雲間から注ぐ光が、海原と天とをつなぐ輝く柱をつくりあげていた。
そんな情景をぼうっと眺めていた私の手に、何かが軽く触れた。見るとお嬢様の手が何かを求めるように差し出されている。
私はその小さな手を、優しく握り返して差し上げたのだった。
< 続く >