星辰の巫女たち 第15話

第15話

 彼女の性感が開発されてからというもの、牢獄内の地獄はさらに辛いものになった。彼女は身を苛む苦痛に加え、もっと恐ろしい敵・快楽とも戦わなければなくなったからだ。

 だが彼女はどんなに体を弄ばれても、苦しめられても、心までは屈しまいとしていた。
 体がたとえ快楽と恐怖に屈しても、心は不羈の精神を持ち続けた。肉体の強さでは敗北しても、心の強さでは一歩も譲る気はなかった。

「さ、始めるか」
「……わかった」
 今日も今日とて、タローマティはリーゼロッテを床に運んだ。

 もうずっと前から、タローマティは彼女の体を押さえつけることをしなくなった。
 性交時の無防備なタローマティなら、たとえ魔力が封じられていても性器を潰すなどの攻撃が可能なはずだった。だが彼女はそれを思いつきもしなかった。タローマティが彼女をシーツの上に寝かせると、恨みがましい目をしながらも、無抵抗のまま身体を開いていくだけだった。

 ワンピースを脱がされ、ショーツを取り去われる。
 そしてタローマティの手が陰唇に這おうとする。
「くっ……」
 彼女はその刺激を予想し、体を強張らせる。
 彼女は邪神が与えるこの感覚を心から憎んでいた。自分の心と体を壊していく悪魔の快楽を。
 くそ……っ……!
 悔しい……こんな恥辱をいつまでも受け入れるものか……!
 負けるものか……! いつか殺してやる……! 殺してやる……!
 怒るほどに身体が火照るのにも構わず、彼女は怒りの炎を燃やし続けた。

 タローマティの手が、彼女のもっとも敏感な場所に触れるーー。

 ドクン。

「え?」
 そのとき彼女の目が大きく見開かれた。

『ねえロッテ。タローマティとするとき、感じちゃうの?』
『……ほんの少しだけ」
『でも、痛いよりはましじゃないの? 気持ちいいんでしょ?』
 リーゼロッテはその呑気な口様に反発した。
『麻薬は誰にとっても気持ちいい。あれは最低の麻薬だ! 刹那的な快楽を強制して、その代価として心身を蝕んでいく……!』
『その感覚が嫌いなのね』
『ああ……』
 リーゼロッテは高貴な自分を蝕む肉欲に、どんな陵辱や拷問よりも堪え難い嫌悪を感じていた。思い出すだけで吐き気と身震いがする。
『ロッテ……嫌いなら、もうそんな感覚なんか感じる必要はないわ』
 プリムローズは優しく彼女の体を優しく慰撫した。
『ああ、ありがとう……』
『わたしが、そんなものじゃない、もっと幸せな感覚を与えてあげる」
『? 何する気だ?』
『キスするだけよ』
 プリムローズは無邪気な笑顔で笑った。
『…………ふぅん……』

『ね、恥ずかしいから目を瞑ってて?』
『ああ、構わないわ』
 ふふ。可愛いものだ。
 ありとあらゆる陵辱を経験した彼女は、女同士の接吻でさえも恥らう初心なプリムローズが、とても微笑ましく初々しく見えた。
 目を瞑った彼女の肩を、プリムローズの両手がひしと掴むのがわかった。
 『リラックスして、体を楽にして……』
 『……』
 ゆっくりと、厳かな儀式の始まりのように、2人の巫女の唇が、触れあった。

 ん……。

 気持ちいい……。

 想像を超える甘やかなくちづけだった。
 たちまち、リーゼロッテの心臓はせわしく拍動を始めた。
 プリムローズの桃色の髪が頬をくすぐる、整った顔が目の前にある。そう思うと、リーゼロッテの気丈な眼差しが蕩け、全身の筋肉が弛緩する。
 ああみっともない……。このわたしが、こんなひよっこ後輩との接吻にドキドキしちゃうなんて……。
 だが、そんな意固地さえ溶かしてしまうほど、その口付けは甘美だった。

 幸せ……。
 彼女ははっきりとそう思った。
 すっと……こうしていたい……。

 この愛らしい後輩の口付けは、大聖堂で過ごした幸福な日々を思い出させた。いや、彼女自身がプリムローズと同じころの少女(実年齢で)だったころを思い出させた。そのどれも、彼女の胸を締め付け、とろけさせる懐かしい思い出だった。
 2人の少女の記憶の、もっとも幸福な一瞬だけを、口付けの間ずっと体感していた。
 まるで……魂同士が触れ合ってるみたい……。

 リーゼロッテは自分から手を回し、後輩を抱き寄せた。プリムローズもそれに応じ、リーゼロッテの小さな身体をしっかり抱く。
 服越しにプリムローズの形の整った乳房が押し付けられる。そのふくらみが心地よかった。
 プリムローズが何度も彼女の銀の髪をなでる。監禁生活で荒れ放題の髪だが、星の巫女の手で撫でられると、たちまち潤いが戻ってくるような気がした。

 プリムローズはややああって唇を離した。
『ロッテ。忘れないで』
『あ……?』
『これは、世界でもっとも尊い感覚……』
『うん……知ってる』
『だから、この感覚に嫌悪感や不潔さは感じないわよね?』
『とんでもない!』
 この感覚は、ほかのどんなものよりも尊い感情だ。この感覚を嫌ったり、いやらしく思ったりするはずがない。そんな風に思うのは、邪悪な者たちだけだろう。
『そう。よかった』
 プリムローズは安心したように笑う。
『だからロッテ、この感覚を与えてくれる人のことを、この感覚と同じくらい好きになってね?』
「ああ……。ふっ」
 リーゼロッテははにかみげに笑った。

 それはお前以外にないでしょ? プリム。
 この感覚をもたらしてくれるのは、愛情の籠った口付けだけだ。自分が、陵辱されるための奴隷ではなく、誰かに愛される存在だと確認することができる。自分の尊厳を思い出すことができる。それはただの性感を刺激することとは全く違う。冷えた心にそっと毛布を掛けてくれるような、まごころのあらわれ。
 タローマティの性交は、暴力的に性感帯を刺激するだけの、動物的な行為に過ぎない。いまプリムが与えてくれるこの幸せは、奴の陵辱とはまったく対極の性質のものだ。

『ロッテ、どう? この感覚なら、ずうぅっと味わっていたいでしょ?』
『うん……!』
『そう。ならよく聞いてね
『う、うん』
『これからもう一度キスをしてあげるから、その感覚をよく覚えておいてね』
『ああ……』
『さっきと同じところ、ロッテのお口にキスをするんだからね? 当然、さっきとまったく同じ感覚を感じてね』
『うん……』
『さあ、目を瞑って……』

 そう言うと、プリムローズは、ワンピースの中に顔を潜らせ、秘部に舌を這わせる。

 !

『はぁっ……!』
 リーゼロッテの身体がビクンと跳ね上がる。
 構わず、プリムローズは右手でショーツをずり下ろし、むき出しの秘部に濡れた舌をぴったりとそわせる。
『ぁ……あ……』
 プリムローズの舌は縦筋を何度も丹念になぞる。そこが充血し始めたのを確認すると、花門をこじ開け、膣口の中に分け入っていく。ざらざらした舌の表面が膣壁をなぞるたび、リーゼロッテは不可思議な感覚に身震いする。
『んぅ……』
 リーゼロッテは切ないあえぎ声を漏らした。

 不意に、舌が膣口の上の肉芽を突く。
『んっ……ぁあ!』
 彼女は切なさに顔を歪め、大きく体を痙攣させる。彼女の身体が仰向けに反り返るのを、プリムローズが腰を抱きかかえて押さえた。

 なに……これ……?
 以前と場所が違う気がする……? いや、そんなことあるわけないか。プリムは、「さっきと同じ場所」にキスをするって言ったもの。プリムが嘘をつくはずがない。ここは、わたしの口なんだ。
『どうロッテ? さっきみたいに気持ちい?』
 そうだ……さっきと同じキスをされてるんだから……あの幸福感を感じないと……。はやく感じなきゃ……。

 そう思うと、たちどころに最初のキスとまったく同じ安心感、幸福感が彼女の中に蘇った。安らぎが、彼女の中の違和感や不安を取り攫っていく。
 この不可解な胸の熱さも、奇妙な下腹部の疼きも、幸福感という概念の中に回収されて、愛おしいと思えるものに変わっていく。
『あ……いい……』
 リーゼロッテは心地よさに身をよじる。
 気持ちいい……。
 リーゼロッテはその感覚をためらうことなく全身に染み込ませた。
 いつしか秘部から愛液が溢れ出し、舌の動きをより円滑にしていく。

「どう? お口、気持ちいい?」
 プリムローズがキスを中断して尋ねてきた。彼女の幼さを残した顔に浮かぶ、大人びた艶やかな笑み。そんな彼女の意外な表情も、とても魅力的に見えた。
『うん……とっても』
『さっきのキスとまったく同じでしょ?』
『うん……同じ……。むしろ、今回の方がいいくらい……』
 そう、これは慈しみに満ちた尊い行為なんだ。だから、気持ちいい……。幸福……。救われる……。神聖……。
 彼女のその反応に満足したらしく、プリムローズは艶然たる笑みを浮かべ、舌戯を再開する。

『ふふ……ロッテのお口……かわいい……」
『ああ……。ありがとう……』
『この幸福感を、決して忘れないでね……』
『うん……』
『そして……この感覚を与えてくれる人のことを、大切にね……誰よりも……何よりも大切に……』
『うん…わかった……」

 ん? わたし、キスをされているのにどうしてペラペラ喋れるのだろう? まあ夢だから仕方ないか……。

『いくよ……。一番の気持ちよさをあげる……』
 プリムが与えてくれる、一番の幸福。それを心を込めて受け止めようとした。その悦びをいつまでも忘れないように、深く心身に刻み込もうと思った。

 プリムローズは両手の指を使って花門を押し広げると、舌を膣奥深くにもぐりこませ、襞をかき分け抽送を繰り返す。 クチュクチュと淫靡な音が絶え間なく響いた。
「んふっ……ひゃ……あっ、ふ……く……」
 彼女はワンピースの生地をつかんで、恥骨から頭蓋を駆け上がる快美感に耐える。切なさはめしべ一帯を支配し、彼女の脊髄をゆらゆらと登って脳をかき回す。
 プリムローズは舌を急に引っ込めたと思うと、口をすぼめ、愛液を吸い上げ始める。

「あ、あ……あぁ……くぅん……」
 彼女は絶え間なく喘ぎをあげた。 その表情には恍惚の笑みが浮かんでいる。子宮壁が痙攣を起こす。絶頂まで、もういくばくもなかった。
 すごい……。幸せって……こういうことだったんだ……。
『……く……あぁ……!!!』

「……く……あぁ……???」
 彼女はタローマティの愛撫に、早々に戸惑いの声を漏らしてしまう。
 その瞬間、彼女の心に、まったく未知な感情が起こっていた。

 秘部を弄ばれることに、以前のような嫌悪は皆無だった。以前は、麻薬じみた快楽とともに、無数の蛆虫が這い回っているような怖気を感じたが、今は違う。それどころか、穏やかな安らぎと清々しい喜悦を感じる。警戒心、嫌悪、緊張。そんな物の入る余地がないほどに。
 どうなってるの……? これ……?

 タローマティのもう一方の手が彼女の小さな胸を撫でる。
「あはっ……」
 彼女の身体に悦びが走る。やはり不快感はなかった。彼女はこの感覚が妙に愛おしかった。この感覚に嫌悪や不快感を覚えることが、むしろとんでもない罪悪のように思えた。
 乳首を摘まれ、指先で転がされ、乳輪をなぞられ、小振りなふくらみを捏ねるように揉まれる。
 今まで肉体の官能を乱暴に押し付けるだけの行為だったが、今の彼女にそれを忌む気持ちは起らなかった。さながら、喉を撫でられる猫になった気分。彼女は胸を愛撫されるにまかせた。
 今までと全然違う……!
 気持ちいい……。
 リーゼロッテの顔に、いつしか恍惚の笑みを浮かんでいた。

 い……いやだ! 月の巫女リーゼロッテよ、何をしてる? 何を喜んでるんだ……? 怒りなさい! 憎みなさい! わたしは今陵辱されてるんだぞ? わたしという存在が、侮辱され、汚されているのよ? その……はず……なのに……なぜ……こんなに気持ちが安らぐの? まるで……わたしの存在が肯定され……祝福されているような……。あ……。
 どんなに怒りや屈辱を思い出そうとしても、彼女の顔はすぐに蕩けてしまう。タローマティに顔を観察されているのがわかっていながら、とろけた表情を引き締めることができなかった。

「んぁ……ふう……ひゅう……ふっ……」
 足の付け根からは女の匂いを放つ露が滲み始めている。彼女は無意識のうちに腿を摺り合わせていた。

 タローマティはそっとその動きを制し、足を少し広げさせ、花穴の中に指を挿入する。

「ーーあ、ああっ!」
 リーゼロッテは大きく、しかし甘い喘ぎ声を発した。
 いままでで一番の快感と、幸福感があった。
 後ろめたさや罪悪感のない、純粋な喜び。
 幼いころ、野原に花を見つけて喜んだような、そんな喜びだった。

 気持ちいい……。

 いや……違う……。そんな言葉じゃない……。
 ああ、そうだ。こういうときはこう言うんだ。
 し あ わ せ……。

 そう自覚した彼女の目から抵抗の色が消える。
 リーゼロッテは指にさらなる深みへの愛撫を期待した。しかしタローマティは指を決して深くへは入れなかった。
 しばらくすると両手で彼女の身体を自分の胸元に引き寄せ、その顔に口付けをした。

「んっ…………」
 目の前のタローマティの顔が飛び込んでくる。緩む頬を引き締めることができない。タローマティの赤い目を見ていると、まるで吸い込まれるようだった。
 違う……! 今までと違う……!
 なに……この安心感は……?

 考える暇もなく、彼女の中に舌が挿入される。
 タローマティの舌と、彼女の舌が触れ合った時、彼女が感じていた感覚が瞬間的に跳ね上がる。
「(あ! んぁ……む……みゃ……んはぁ……!)」
 視界がフラッシュし、身体が大きく痙攣した。視界が何度もチラチラと甘やかな光に彩られた。
 まるで天まで聳える光の柱に全身を貫かれたようだった。凄絶な幸福感が彼女の身体を下から上へ駆け上がったのだった。
 それは、絶頂だった。

 初めて、彼女は口付けだけで達してしまった。
 だが、津波のような勢いで無理矢理攫われるような絶頂とは違う。まるで自分がそこを求めて登っていったような、達成感と満足感のある絶頂だった。
 嫌悪も嘔吐感もない。それどころか、今までにない幸福感があった。

 彼女の膣からじわんりと愛液が滲んでいたが、それさえ彼女は不潔に思わなかった。

 口付けが終わり、リーゼロッテは目の前の男を改めて見た。

 トクン。
 え……?
 そのとき、彼女の中で、未知のものが脈動し始めた。

 タローマティ……?
 この時、ほんの短い間だったが、彼女はタローマティが憎むべき仇だということを忘れた。自分にあの幸福感を与えた男だということしか思わなかった。
 たちまち、あたりのものが消え去り、真空になる。
 世界に、たった2人しか存在していないような錯覚を覚えた。

 気がつくと、彼女はずっとタローマティの顔を頬を赤らめながら見ていた。その目。邪神の、火のように赤い目。その火に自分の魂が灼かれてしまいそうな気がする。ずっと見ていると、それに引き込まれそうな気がする。
 でも……ちっともいやじゃない……ずっと……この目を見ていたい……。

 と、タローマティの目が彼女の無防備な顔を観察しているのに気づき、リーゼロッテの心臓が跳ねる。
「何だ? 月の巫女」
 見返されると、すぐにリーゼロッテは目を伏せてしまった。
 なにこれ?
 奴の顔が、まともに見られない……!

 ふと、目を伏せた先に邪神の肉茎があった。彼女はそれを見て、胸を昂らせる。それは彼女にとって禍々しく凶悪な蛇の鎌首のはずだった。だが今は、彼女はそれを汚らわしいとも恐ろしいとも思わなかった。

 もし、指じゃなく、タローマティのあれがわたしの中に入ってきたら? いったいわたしはどうなるのだろう?
 恐怖とも期待とも付かない疼きが彼女を震わせる。喉の奥で熱い物が疼いている……。

 しかし、あろうことかタローマティは立ち上がって、裸の彼女に着替えを手渡した。
「今日はこれまでだ」
「え……?」
 彼女は戸惑いに見舞われる。
「じゃあな。ゆっくり身体を休めておけ」

「待ちなさい! ど、どうして……?」
「ん?」
 彼女は去ろうとするタローマティに問い質す。いつになく不安そうな表情だった。
「なぜ……途中でやめるの?」
 その顔には、怪訝さ。
 そして、物足りなさ。
 そして、自分が何かタローマティの気分を損ねたのでは、という罪悪感があった。
「続けてほしかったのか?」
「ば、馬鹿を言うなっ!」
 彼女は慌てて否定する。タローマティはその様子を見て笑う。

「答えなさい! なぜなのか……教えなさいよ 狡猾なお前のことだから、何か企んでいるの!?」
「今日のお前は熱があるみたいだぞ。身体に負担をかけるのは賢くない」
「え……」
「俺の物になる前に死なれては困るからな。今日はゆっくり休め」
「……」
 タローマティ……意外に優しいんだ……。

 タローマティの後ろ姿が消えていくのを、彼女はぼうっと眺めていた。

 牢獄の扉が閉ざされた後、彼女ははっと気づいた。

「あ……お別れのキス……忘れた……」

 挨拶のキスは、誰に頼まれたわけでもない、ほんの気まぐれのお遊びに過ぎなかった。だがそれを怠ったことで、彼女は後悔に一晩悶々としたのだった。

 翌日。

 いつものように挨拶のキスをする。
 今日はいつもよりも入念にしようと彼女は決めていた。
 昨日の気遣いの礼。そしてお別れのキスを忘れたことの侘びだった。いくら憎い敵はいえ、筋は通すべきだろう、そう一晩中考えていたのだった。
「んっ……」
 いつものように爪先立ちをして唇を押し付ける。
 胸や股間を愛撫するわけでもない。ただ口を重ねるだけの行為。今まで幾度となくもしてきた行為。
 それだけなのに、リーゼロッテの脳を蕩けさせるほどの陶酔感を与えた。

 ああ……闇の気が心地よい……。
 彼女は唾液として注ぎ込まれる闇の気をこくんこくんと受け入れていく。

 この頃になると、彼女の身体の中に本来の光の気はほとんど残ってはいなかった。毎日のように送り込まれるタローマティからの闇の気に完全に乗っ取られていた。彼女自身知らないうちに、闇の気に親和する身体になっており、もう闇の気に対する嫌悪は露ほどもなかった。
 光に属する身だったころはわからなかった闇の気の流れを、今はもっと細やかに感じられるようになっていた。すると、タローマティの口付けがいかに丁寧で愛情に満ちたものかわかってくる。リーゼロッテの中に自分の闇の気を送り込み、闇の気を共鳴させようとすし、彼女の敏感なところを探り当てて緻密に愛撫する口付けだった。

 ああ……いい……。口付けって……こんなに甘美で……こんなに幸福なものだったんだ。

 不意にリーゼロッテに、いままでの鈍感な自分を恥じる気持ちが起こった。
 ああ、タローマティのそんな気遣いを、わたしは知ろうともしないで、ずっと奴のことを軽蔑していた……。
 タローマティはわたしを下品に暴力的に犯しているとばかり思ってたーー物の味もわからない野良犬が最上級のケーキを食い散らかすように。でも違った……野良犬同然に、繊細な機微を感じ取れない無骨者だったのは……わたしだったんだ。

 彼女は自分の鈍感さ、無見識を恥じた。
 自分を恥じたままでいられないのが彼女の性分だ。彼女は自分から舌を出し、タローマティの唇の中に分け入っていく。2人は舌同士で激しく交流を深めた。

 長い口付けは、不意にタローマティが身を引いたことによって途切れた。
「んぁ……」
 リーゼロッテは名残惜しそうに唾液の橋を見ている。
 いつの間にか、彼女の股はすっかり女の臭いのする汗の玉に覆われていた。

 タローマティが彼女の服を脱がしていく間、リーゼロッテは顔を赤くしながら、ずっとタローマティの赤い目を見ていた。
 見てる……あいつの目が……わたしの体を……。
 リーゼロッテの顔はうっとりと緩むばかりだった。
 敵意より、怒りより、はるかに魅力的な感情に、彼女の脳は支配された。それを味わうことが最も優先された。

 タローマティはいつものように彼女の全身を愛撫し緊張をほぐすと、怒張した一物を彼女の中に埋めていった。
「んっ……」
 すでに濡れた花門が、その肉棒をたやすく受け入れていく。彼女は快楽に耐えて顔を反らせる。
 あ……入ってる……大きくて太いものが……。
 不快感はなかった。彼女の理性が精一杯危機感と嫌悪感を煽ろうとしても、裏腹に、期待とときめきに胸が高鳴るばかり。心臓は熱く沸騰した血液を体中に送り、体中を変えていく。

「月の巫女、顔を上げろ」
「あ……」
 言われるままに、熱に浮かされた表情をタローマティの方に持ち上げた。やや口を開き、キスを請うように塗れた舌を覗かせて。タローマティは遠慮なくその唇を塞いだ。

 下半身が繋がったままの口付け。下半身の熱がそのまま唇に分身したかのように、唇がもうひとつの女性器であるように彼女にめくるめく悦びを与えた。
 タローマティは唾液を注ぎ込むと、リーゼロッテは、なされるがままにその液体を飲み干していく。
「こくん、こくん」
 しばらくすると、タローマティの舌を招きいれ、さらに唾液をねだる。

 やがて、口付けをしたまま、タローマティは腰を動かし始めた。
「(ん……ぁ……ふぅ……)」
 彼女の喘ぎは、タローマティの口の中に吸い込まれていく。
 膣内に愛の蜜が溢れるに従い、腰の動きがより滑らかに、激しくなる。くちゅ、くちゅと、二人の肉が絡み合う音が響く。
 彼女の膣壁がきゅっと締まり、男性器をより深く誘おうとしていく。媚肉はそれ自体意思を持つように、微細な襞とともにタローマティの竿に巻きついてきた。
「んふ! ……あ……。(ぁ……んむ……)」
 リーゼロッテはたまらず口を離し、大きな喘ぎを漏らすと、再びタローマティの唇を求め、それにむしゃぶりつく。
 口と膣を同時に犯されながらのまぐわい。胸の甘い疼きと快感が相乗効果となり、彼女にかつてない多幸感を与えた。

 やがて彼女の子宮に大量の精が放たれる。そのときと同時に、彼女は絶頂に達した。
「あ、ああああああああああっ!」

 彼女は幸福感の中で絶頂を迎えた。それは今まで経験したことのない優しい絶頂だった。彼女は自分が達したことさえ気づかなかった。

 気がつけば、無意識のうちに自分に寄りかかるタローマティの背中を撫でていた。
 女だけに許される、絶頂のあとの心地よい満足感と安心感。彼女は我に返ってからもずっとそれを味わっていた。
 股から溢れる精液にも気にならなかった。むしろそれを愛おしいとさえ感じた。
 なんと、彼女は指でそれをすくい、舐めてみる。
「うふ……」
 彼女の背筋をぞくぞくと快感が駆け上がる。
 リーゼロッテは、自分の行為の異常さをはっきり自覚していながら、倒錯した喜びに耽った。

 彼女がそれを後悔し、自己嫌悪に煩悶したのは、タローマティが去ってからのことだった。

 それからというもの、リーゼロッテの時間は、今までとは徐々に変わっていった。

 リーゼロッテは牢獄の中で考える。
 わたしの胸……もっと大きかったらいいのに……。
 リーゼロッテは自分の乳房を触ってみる。子供のような、あるのかないのかわからないふくらみ。
 肉体年齢上仕方ないとしても、せめてもう一回りくらいの大きさは欲しかった。

 彼女の性格と正反対な、遠慮がちなボリュームの乳房を恨めしく思った。
 もっと大きかったら……もっとわたしは……わたしは? わたしはなんだというのだろう? くだらない……。

 またあるとき、彼女はこう訴えた。
「タローマティ……要求がある……」
「なんだ?」
「もっといい服はないの?」

 彼女に与えられてるのはワンピース1枚だ。
 こんな粗末な服では、恥ずかしい。
 恥ずかしい……誰に? それはもちろんわたしにとってだ。高貴なわたしがこんな囚人服を着ているなどあってはならないから。それだけのことだ。

「残念だがそれはできない。まともな服が着たければ、ここを出るんだな。そうすればどんな服でも着せてやるさ」
「……でもそれは、わたしがお前のものになるっていう条件付きでしょ?」
「その通り」
「…………お話にならないわ」
 彼女は一瞬の逡巡のあと、できるだけ不機嫌そうに答えた。(たとえ一瞬でも、確かに彼女は逡巡した)
 タローマティは彼女のその様子を見て笑った。
「まあ、お前の態度次第では考えてやらないこともないかな」
「! 本当?」
「着飾ったお前はさぞ美しいだろうからな」

 その言葉が、リーゼロッテの心臓を跳ねあげる。
 言葉が何度も反響する。
 胸に、怒りとは全く違う種の炎が灯る。

 いま、嬉しかった?
 そんな、ばかな……?
「こ、この無礼者!」
 彼女はあわてて声を荒げてタローマティを追い出した。

 その1日、リーゼロッテは自分の中に生まれた感情を必死で否定して過ごした。
 うれしくなんかない……うれしくなんかない……。うれしくなんかないんだから……。
 彼女はそうやって、その言葉を言われた時のことを思い出すことに延々と時間を費やしたのだった。

 次の1日は、もし願いが受け入れられたときに、どんな服を頼もうか考えるのに費やした。

 どんな服がわたしに似合うのだろう? 人間の姫が着るようなドレス? それとも、エルフ式のドレス? どんな色がいいんだろう? 赤? 白? 紫? どんな色が、あいつは好きなんだろう?
 今まで彼女が美しく着飾るときは自分自身の美を自分で確かめるためだった。自分のための美だった。だが今は違う。タローマティに見られることから思考が出発している。
 やっぱり巫女装束も捨てがたい。この世でたった3人しか着ることのできない衣装。この価値はどんなドレスも持っていまい。ただ色気がないのが残念だけどな……。色気? 何考えてるんだろうわたしは!
 彼女は両手で自分の頬を打つ。
 犯されるときの衣装を考えてどうする! わたしが何を着ていようが、すぐにひん剥かれて犯されるんだ! 考えてみろ! ただの囚人服を着ているとき、犯されるのはわたしだけだが、巫女装束を着ている時に犯されるということは、星辰の巫女の概念ごと犯されるということだ! そんなの……そんなの……させるわけにはいかないっ!
 彼女は自分の考えを恥じ、罪の意識に苛まれた。
 彼女はそのまま毛布に飛び込んだ。いわゆる不貞寝だった。

 しかし、ものの数分もする頃には、彼女は切なそうな顔で再び想像に耽った。
 タローマティは……どんな服が好きなんだろうか……?
 そう考えながら、彼女は毛布をぎゅっと抱きしめた。
 巫女装束を纏ったままタローマティに犯されるときのことを想像し、彼女はずっと悶々とした……。
 彼女は無意識に腿と腿を摺り合わせ、乳首を毛布に擦り付ける。
「んぁ……んっ……はぁ……あ」
 喘ぎが漏れ始めるのにそう時間は掛からなかった。
「はぁ……んぁ……いや……」

 やだ……気がつくと、あいつのことばかり考えてる……!

 次の日、ようやく彼女はそのことを自覚し始めた。
 以前の彼女はこの牢獄を出たら何をするか四六時中考えたものだ。それだけが楽しみだった。外の世界が恋しく何度も夢に見た。
 でも今は違う。外に出たときの夢を見ることはなくなった。タローマティのことばかり考えるようになった。タローマティがどうすれば喜ぶか、タローマティがどう思うか、そればかり想像するようになった。

 いくら本能的に強気な彼女でも、この感情を認知しないわけにはいかなかった。

 好きになってる……? わたしが、あの男を……。

 好き? 好きだと?
 考えられない……考えられない……!
 このわたしが、あんな悪魔のことを、好きだなんて……!
 しかし顔を思い出すと、声を思い出すと、切なくなる。小さな胸がきゅんと痛む。あの男がわたしのことをどう思っているか、気になって仕方ない。
 あってはならないことだ! あいつは、不具戴天、わたしの仇敵じゃないの!

 そうだ! あいつはわたしの敵だ! 許してはいけない奴なんだ!
 リーゼロッテはタローマティをなぜ憎まなければいけないか必死で思い出そうとした。
 あいつは、わたしの家の家人たちを殺した! ?ーーだから何だっけ? あんな連中、死んで当然だものな……。
 リーゼロッテは殺されたエルフの仲間たちのことを想起しようとした。しかし、思い出せば思うほど、そんなもの取るに足らないものに思えてくる。いまのこの胸のときめきにくらべれば、何の価値もない物だと再認識しただけに終わった。

 あとは……ええと……。
 そうだ。わたしを辱め、こんな牢獄に監禁した! これぞ許しがたい罪だ! ああ、でもこれは戦争だもの。敵軍の女捕虜を陵辱するのは、古来からありふれたこと……。あいつが特別に非道だというわけではない……。それに、たしかに奴は最初、「俺の物になるなら助けてやる」という旨のことをちゃんとわたしに言った。それも2度。むしろ紳士的と言えるわけであってーー。
 いつの間にか、タローマティを擁護するようなことを思い始めている。
「ああっ! 駄目!」
 彼女は壁に頭を打ち付ける。
 彼女は変わりつつある自分の思考に恐怖した。

 自分を辱めた奴に恐怖し……奴に好意を抱いてしまう……。彼女の信じた精神の強さが、薄皮をはぐように少しづつ失われていく。
 彼女の胸に燃え盛る怒りの炎だけが頼りだった。タローマティを憎いと思える理由はもうこの炎だけだ。彼女のプライドを傷つけたという、理屈抜きの、本能での怒り。
 しかし、その一方でタローマティを慕う感情も日に日に膨れ上がっていく。これは、世界で最も尊い感情だと彼女は知っている。では、わたしの怒りよりも尊いのだろうか? そう考えると、彼女は自分の心がわからなくなる。

 対立する2つの感情は、絶え間なく彼女を責めた。胸が苦しく、わずかな食事も喉が通らなくなった。
 怒りと、好意。彼女はその激しい相克に苦しむのだった。
 わたし……どうしてしまったの……?

 彼女は煩悶した。正しい答えがあるなら教えてほしいと願った。

 そして、その願いが聞き入れられたかのように、彼女の夢枕に助けが現れたのだった。

『そう……そんな悩みに苦しんでるのね……』
『……軽蔑してもいわよ』
 このプリムローズが夢の中のキャラクターでなければとてもこんな相談はできない。ましてプリムローズにとってタローマティは父の仇だ。
 だが、夢の中のプリムローズは全知の女神のように、優しく頼もしく、彼女の悩みに応えてくれた。
『わかったわ。あなたの苦しみを、わたしが取りさらってあげる』
『ほんとう……?』
『ロッテはタローマティが憎いんだよね?』
『ああ』
『その憎しみを最大限思い浮かべて……』
『ああ……』
 リーゼロッテの中にマグマのような強い怒りがふつふつと湧き上がってくる。
『それでめいいっぱい?』
『まさか! これくらい準備運動みたいなものよ』
 マグマが噴火した! 彼女の顔面は怒りのため熱い血が巡り、双眸が激情に燃え上がる。プリムローズはそれを見て満足そうに笑った。
『あなたを苦しめているのは、その怒りの炎。怒るから、さながら火宅の中にいるように、身を焼く苦悩に捕らわれてしまう。そしてそれが、好き、という気持ちまで邪魔してしまう』
『……?』
『だから、怒りなんかなくなればいいのよ』

 リーゼロッテは名状しがたい恐怖を感じた。
 違うわプリム。
 違うの。
 この怒りと憎悪が、地獄の中でわたしの自我をかろうじて保たせている。これがなくなったら、わたしはわたしではなくなってしまうんだ。
 リーゼロッテはそう訴えようとした。
『いいロッテ? そのタローマティへの怒りと憎しみは……』
 やめてっ……。
『すべてタローマティへの愛しさに……』
 言わないでーー。
『プリーー』
『変わるの』

 ビクン!

 リーゼロッテの目が見開かれた。

 あ……れ……?

 わたし……何を言おうとしたんだっけ……?
『どうしたの? ロッテ?』
 プリムローズが邪気のない笑顔で首をかしげる。
『あ……?』
 なにか、とても大事なものがあったはずなのに。
 それが何か思い出せない。
 ほんの1秒前まで、自分の心を何かが満たしていたのに、それがなんだかわからない。それがとても大事なものだったと思うのに。
 何かを永遠に失ってしまったような気がしてしまった。大事なものをなくしてしまったのに、それが何だったか思い出せないときのような寂寥。ロッテの体は寒さに震えた。
 その体に、プリムローズが覆いかぶさり彼女の体を温める。
『ああ……』
 温かい。彼女はプリムローズに抱きすがった。
『プリム……教えてくれ……。いま、わたしたち何の話をしていた? なにか、とても大事な物を忘れてしまった気がするんだ……」
 プリムローズはあどけない顔を綻ばせた。
『タローマティが好きだけど、素直になれないって話だったでしょ?』
『あ……』
 そうだ……。わたしは……あいつが好き……。でも、なにか、忌々しい障害があった気が……。
『でも、出会った頃の怒りなんかを引きずっていたから、ずっと苦しんでいたのよね?』
『いかり……?』
 リーゼロッテは、まるで初めて聞く言葉のようにそれを復唱した。

 ーーそうだ! わたしはあいつが憎かった。許せなかった……。ああ、でも。どうしてだっけ? たしかに、わたしの中に骨も焦がさんばかりの炎が逆巻いていたのに……それは何のために燃えていたんだっけ……? 
 彼女の中で、怒りが急激に風化していった。いや、そうではない。まるで感情が反転するように、怒りが愛へと変わっていく。心の回路が組み変わったように、怒りのために燃やしていた炎が、怒りに点火せず、すべて正反対の感情のエネルギーとなる。

 怒ろうとしても怒ろうとしても、すべてそれは正反対の感情となり、怒りの炎は恋の炎となる。以前のような、快感が怒りを邪魔するようなものとは違う。怒りが、まるで別のものに変化してしまうような……。怒ろうとすればするほど……まったく異質の気持ちが強くなっていく。
 彼女は最初それに戸惑いを覚えたが、すぐに何とも思わなくなった。彼女にとって、タローマティへの怒りはもう取るに足らない物だった。その感情が消えたとしても何も困らない。
『今……すごく楽になった……。わたしは……タローマティが好き……。はっきりそう思う』
『よかったわねロッテ!』
『ああ……』
 とてもいい気分だった。自分を束縛していた鎖が解けていく。怒りという、苦痛を伴う負の感情が消え、胸をときめかせる甘い感情が湧いてくる。まるで、呪いから解けたよう、悪い夢から覚めたようだった。
『明日、タローマティに告白するよね?』
『うん……』
 リーゼロッテは顔を赤らめて応えた。
『ありがとうプリム、お前は何度もわたしを救ってくれる……』

 次の日、タローマティが暗黒牢獄に現れると、いつもなら挨拶のキスに歩み寄ってくる彼女は、壁を背にして座り込んでいた。
「どうした?」
「タローマティ……」
 彼女は膝を抱えて座ったまま、その手で赤らんだ顔を隠すようにしてタローマティを見ていた。
「ん?」
「好き……」
 彼女は唐突につぶやいた。
「好き……お前のことが……」
 リーゼロッテはふらふらと立ち上がり、タローマティに歩み寄り、口付けをした。挨拶の口付けではない。彼女の心からのキス。
 自分から舌を絡ませ、唾液を流し込む。その唾液には、タローマティと同じ闇の気に満ちていた。

「好き……」
 長い口付けを終えると、彼女は濡れたような声で言った。
 彼女の目から熱い涙が伝う。
「悔しいけど……それよりずっと……好きなの……」
 彼女の小さな身体はタローマティにしがみついて離れなかった。

「俺が憎いんじゃないのか?」
「ううん……それよりもっと、好き……」
「お前はいいかもしれない。だが、仇は討たなくていいのか?」
「アダ?」
 リーゼロッテは目をしばたき、しばらく考えた後ようやく理解する。
「爺やたちのこと? とんでもない! あんなやつらは死んで当然よ」
「俺のことを許さないとか、言っていなかったか?」
「あ、あれは……つい、カッとなって……あ……」
 リーゼロッテはばつが悪そうに顔を赤らめる。
「ご……めん……なさい……」
 リーゼロッテが謝った。
 幾度も辱められ、同胞を殺されて、不当な虐待の数々を受けてきたのにもかかわらず、まるで自分が悪いかのように頭を下げた。
「おいおい。お前が謝るなんてな」
「謝ってお前が喜ぶなら……いくらでも謝る……」
 彼女は伏せ目がちに言った。
「そう簡単に心変わりして本当にいいのか、気丈な月の巫女殿が。もしかしたら、俺に洗脳されているのかもしれないぞ」
「馬鹿にしないで! それはないわ!」
 リーゼロッテが強く否定する。
「わたしはお前に洗脳なんてされていない! わたしのこの気持ちが洗脳なんていう下法で植え付けられたはずがないもの!」
 洗脳されている思うことは彼女の意思の堅固さを疑うこと。それだけではなく、彼女の中に芽生えたこの尊い感情の価値を疑うことであった。 彼女にはとてもそんなことは考えられなかった。この愛おしい感情が偽物と言うことは、冒涜に等しかった。もしそんなことを言う輩がいれば彼女は剣で切り捨てていただろう。

「わかったよ。じゃあ、始めるか?」
「うん……」
 彼女はワンピースの前のボタンをを自分から外し始める。ワンピースがすとんと床に落ち、彼女の裸体が現れる。最初から下着は付けていなかった。

 タローマティは一糸纏わぬ彼女をシーツの上に押さえつけ、彼女の肉体を自分に取り込むように押さえつけながら、胸、脇、肩、臍、とあらゆる場所を愛撫する。
「ぁ……」
 何度も経験してきたことのはずなのに、彼女の反応はぎこちない。その動きは、どんな振る舞いをすれば愛しい恋人に恭順の意をを示せるか、懸命に模索しているようだった。

 彼女が女の悦びに屈服したことを知ると、タローマティは今度は焦らし始める。
 タローマティの動きは極めてゆっくりだった。ゆっくりと静かに、身体のラインをなぞり、愛撫する。
 そのもどかしさが、かえってリーゼロッテの心を刺激する。
「はぁっ……んっ……や……」

 もっと激しくしてほしい。もっと強くしてほしい。彼女にその欲求を想像させ、その欲求を自覚させ、気丈な月の巫女をたちまち忠実な恋人に変えていく。
 彼女は、ついに自分から体を押し付けた。控えめな胸を押し付け、タローマティにまたがるように足を開く。
 顔を真っ赤に染めながら、気丈な月の巫女は愛撫を乞う。

 タローマティはその動きに報いるように、彼女の唇に口付けをした。
「!」
 お互い愛し合いながらの口付けは、今までよりもさらに強い快感を与えた。脳髄がぱちぱちと弾け、視界が極彩色に染まる。瞬間、リーゼロッテの瞳孔が見開かれた。
「(んっ……)」
 無意識に、彼女は両手をタローマティの背中に回し、彼の身体を引き寄せる。
「(ん……あん……く……)」
 唇の濡れた粘膜同士が求め合うように絡み付く。肉が擦り合うのではなく、一体に溶けてい行くような感覚。
 2人の闇の気を交換する。その甘美さ。その激しさ。その優しさ。今まで経験したことのないものだった。
「! んむ……ひゃ……!」
 舌を入れられると、焼き切られるような感覚が心を襲い、リーゼロッテは激しく身体を波打たせる。
 その体は、幼い体つきに反してとても艶かしく見える。
「(あぁ……)」
 たかが口付けだけで、彼女は絶頂に達してしまいそうになった。

 しかし同時に、彼女の顔に初めて恐怖の色が浮かぶ。
 口付けだけでこの快感。もし、いつものように性交したらどうなるのか? そうなったら、今までの自分が完全に変化してしまうのではないか? そんな恐れが彼女に起ったのだった。

 彼女は一転して身体を引き離なそうとした。
「お願い……! 今日は……今日だけは何もしないで帰って!」
「聞こえない」
「!」
 タローマティは彼女の首筋に口付けした。
 それだけで、彼女はもう抵抗できなくなる。全身の力が抜け、なされるがままに陶酔から逃れられなくなる。
「ば、ばかぁーーーーーーーっ!」

 その日も、変わりなく、性交は行われた。
 タローマティは彼女の中に3回射精した。その間、リーゼロッテは何度絶頂に押し上げられたかわからない。
 行為がようやく終わった後、彼女は進んでタローマティの肉棒に口をつけ、それを清めていっいた。彼女の表情には恍惚があった。

 行為が終わると、長い沈黙があった。
 ようやく熱が冷めたのか、リーゼロッテは虚ろな目のまま何か考え込むような顔をしている。

「気分はどうだ? 月の巫女」
 沈黙を破ったのはタローマティのほうだった。
「堪能した……」
 リーゼロッテは表情の抜け落ちた顔で答えた。
「だから、もういい。もう十分だ」
「十分?」
「恋人ごっこはもう十分。どんなにすごいのかと思って途中期待も恐怖もしたけど、しょせん、この程度。想像の範囲内だった」
 リーゼロッテは彼女の背中に回されたタローマティの手を鬱陶しそうに振り払った。

 リーゼロッテはタローマティの方を冷ややかな目で見つめる。
「あんなにお前が憎かったのに、殺したいと思ったのに。その気持ちはお前への好意に変わってしまった。でも……おかげでもっと憎いものができた」
 彼女の目が、再び激情を宿す。久しく彼女の顔から消えていた、怒りという感情だった。
「それは、情けないわたし自身だ……!」

「お前に屈してしまう自分が、何よりも許せない……」
 大きな怒りのうねり。むしろ、以前タローマティに対して抱いていたそれよりも強い怒りがあった。
「自分の弱さを乗り越えなければならない……! お前への執心なんかねじ伏せて、誰にも媚びない最強の巫女として返り咲かないといけない……!」
 タローマティを凝視するリーゼロッテの目に再び敵意が籠っていた。だが以前とは違う。その敵意の中には、単純な憎しみ以上のものが籠っている。自分を堕落させるものへの軽蔑、そして無関心。
 以前の彼女の怒りは熱い炎に喩えられた。今は違う。氷のように冷ややかで無機質な、冷徹な怒りであった。
「だから、お前の物にはならない」
 リーゼロッテは彼女以外の誰のものでもない。彼女を真の至福へ導くのは、彼女そのひと以外にいないのだ。
「さっさと出て行きなさい、タローマティ」

 ひとときの恋人同士のような交わりを経験して、彼女は吹っ切れた。
 恋愛感情さえ、下等な物だとして斬って捨てられるほどの、強い克己心。彼女にとっては、たとえ愛しいと思った恋人であろうが、彼女を堕落させるならば唾棄すべき敵にほかならないのだ。

 タローマティは知るまい。彼女の中に、彼女自身のあるべき姿・強さのシンボルがいかに燦然と輝いているか。
 タローマティは知るまい。その強さを追い求め続けることが、いかに彼女の心を悦びにうち奮わせるか。
 目には見えないが、彼女の中に君臨する至上の光輝。彼女だけが知っているその悦びに比べれば、性の悦びも、恋も、取るに足らない物なのだ。彼女本人以外に、誰も、彼女に真の悦びを与えることなどできやしない。

 リーゼロッテは堕ちなかった。一度堕落の縁まで落ちかけた彼女は、より孤高を極め、より冷厳で、より美しいく蘇ったのだった。

「見事な意志力だ月の巫女」
 しかし、タローマティの顔に落胆の色は見えなかい。
「本当に楽しみだ……。その高潔な魂が俺の前に跪くときが」
「やれるものなら、やってみなさい!」
 彼女はワンピースを纏いながら、毅然とタローマティを睨む。その目には底知れぬ意思の光が輝いていた。

< つづく >

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