星辰の巫女たち 第16話

第16話

 一方、こちらはリーゼロッテと共にレンに潜入したポピレア。

 リーゼロッテと分かれてから10日以上が過ぎていた。縦ロールを振り乱しながら、彼女は馬を走らせていた。
 ポピレアはレンで重度の洗脳を受けてしまった。しかしリーゼロッテから受け取った三日月型のアミュレットが目映い光を発し、彼女を正気に戻したのだった。
 彼女は情けない自分を叱咤し、アールマティ大聖堂に救援を乞うために不眠不休で馬を走らせていた。

 大失態だわ。レンの首都を脱出するためにかなり手間取ってしまった……。急がないと……。急がないと……。わたしが捕まったら、月の巫女様はーー。
 彼女の青い瞳に熱い涙が浮かぶ。
 ポピレアは巫女たちとは違う。たまたま王家に生まれたというだけの、年相応のか弱い少女だ。彼女にとってこの状況は過酷すぎた。
「いや、頑張るのよポピレア、わたしはレンの王女なんだから……」

 しかし、とうとう彼女の瞳に目的の建物が映った。
 たどり着けた!
「やったわ……」
 彼女の顔が安堵と開放感でくしゃくしゃに歪む。
 
「おかえりなさいませポピレア様」
 門前で衛兵が彼女を温かく迎えてくれた。彼らは馬を預かり、ポピレアに早く建物内に入るよう促す。
 ポピレアははやる気持ちのままに門を駆け抜ける。
 これで義務は果たせた! 日輪の巫女様にお知らせすれば、きっと月の巫女様を助けてくれる!
 ポピレアは疲れも忘れて駆け足になる。彼女は大聖堂本殿への石段を登っていったーーはずだった。
「え?」
 そこは、絢爛な彫刻が左右に施された階段だった。
「なに……?」
 大聖堂に、こんな赤い絨毯が敷き詰められた階段があった?
 大聖堂に、こんなシャンデリアが吊られた吹き抜けがあったか?
 ここは……アールマティ大聖堂じゃない……!
 ポピレアは、階段の先にあったホールに立って、愕然とした。

 ここは、レンのお城だ!

「おかえりなさい、姫」
 そこに、美しい女性が微笑んでいた。
「!」
 それは、彼女が忘れようにも忘れられない人物だった。
「――お母様!?」

 リーゼロッテは牢獄の中にいた。
 彼女がここに入ってもうどれくらいだろう? 並の人間ならすぐに値を上げてしまうだろう責め苦。精神力が弱い物は孤独で発狂し、肉体が弱い者は苛烈な陵辱で壊される。しかし、彼女を支えてきたのは、精神力でも体力でもない。宝石のような誇り高さだ。どんなに強い精神力も体力もやがてすり減って衰えていく。しかし彼女のプライドは、磨きこそかかっても衰えることはなかった。
 大丈夫……まだ、戦える……。

 ふと、隣に誰かの気配がした。 いつの間に扉が開いたのだろう?
 誰?
 タローマティじゃない。誰だ? 奴よりも……わたしよりもっと小さい人影。子供だ。
「え?」
 彼女はその幼子を知っていた。
「おまえ! どうしてここに……!」
 それは、彼女が忘れようにも忘れられない人物だった。
「――ステラ=マリ!?」
「ーーママ?」

「お母様……?」
 ポピレアは金縛りにあったようにその場を動けなかった。
 いったい? レンの町を出て大聖堂へ向かっていたはずなのに、どうして?
 彼女の顔が蒼白になる。
 なぜ? 知らない間に、また洗脳されていたの? 
 そうこう考えている間に、母が遠慮のない足取りで近寄ってきた。
「……っ!」
 フローラは、優しく、しかし抵抗を許さない威圧感を伴って、娘の肩をつかんだ。
 ポピレアはびくんと震え、ほとんど反射的にその手を振り払う。
「お母様……! ほんとうに、ほんとうにお母様なのですか?」
「あら、わたしはわたしよ」
 フローラは美貌を微笑ませる。笑うと、恐ろしいまでに美しい。ポピレアと同じ蜂蜜色の髪、年齢を感じさせない艶やかな唇。完璧な目鼻立ち。紛れもなく、花の君主フローラだ。
 しかし……。
 ポピレアは母のドレスを見て戸惑いを隠せない。
 以前の母は花を連想させるレースや刺繍を基調にした、白地のドレスを着ることが多かった。しかし今着ているドレスはどうだ? まるで喪服のように漆黒ではないか。しかし喪服ではなく、あでやかで身体のラインを際立たせるような艶っぽい黒衣だ。胸元なんか、今にも乳房が零れそうだ。
「ただわたしはね、陛下の忠実なしもべとして生まれ変わらせていただいたの」
「へ、ヘイカ……?」
「ポピレア。教祖様はね、もう教祖様じゃなくて、この国の王になられたのよ」
「!」
 信じられない! お母様が……代々レンの女に受け継がれてきた王の座を男性に譲るなんて!
「あなたもすぐにわかるわ。さあ、いらっしゃい」
「っ!」
 と、ポピレアは彼女の肩をつかむ母親の手が以前と違うことに気づく。その左手から指輪が、いつも肌身離さず填めていた結婚指輪がなくなっているではないか。
「お母様……指輪は?」
「ああ。捨てたわ」
「捨てたって! あれは亡きお父様とのーー」
「ポピレア、もうあんな男のことを思い出すのはおやめなさい。あの男の血が自分の中に流れていることを恥じなさい」
 ポピレアはまたも愕然とする。母は、亡き父に操を立てていた。記憶にあるかぎりとても睦ましい夫婦だったし、葬式のときも体中の水を涸らす勢いで泣いていたことを覚えている。母の部屋には、いつまでも父の肖像画が掛けてあった。それが、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。

「あなたの父親はほんとにひどい男だったわ。痛くするだけでちっとも気持ちよくないの。陛下にお捧げするべきこの体をあんな男に身を汚されたことが人生の恥だわ」
 やめて! お父様の悪口を言わないで!
 ポピレアは耳を覆いたかった。
「でもあなたには罪はないわ。あなたは幸運だわ。あなたは女の子に生まれたんだもの。陛下に抱いていただける資格があるの。そうすればすべてから救われるわ」
「……お母様……」
 陛下という言葉を口にするたびに、母が恍惚の表情をするのがわかった。
「ね。ふたりで陛下にお仕えしましょう……」
「……」
「あなたは姫という身分に生まれて幸運よ。レンの王女なら、忠誠の証として陛下に乙女をお捧げできるわ」
 狂っている。
 ポピレアはそう思った。
 もう母は完全に変えられてしまったと思った。あの邪教の教祖に、魂を食われて別の物にされてしまったのだ。母そっくりだが、決定的に違う何かに。

 フローラは笑顔を貼付けたまま近寄ってくる。
 ポピレアはその笑顔に抜きがたい恐怖を覚えた。
 いっそ母が恐ろしげな魔物に豹変していたらどんなに良かっただろうか。母が今までの母のままで異質な存在になっていることが何より恐ろしかった。
 お母様、あなたは何を考えているの? 今までと何も変わっていないようで、あの邪教の教祖に夜な夜な身体を弄ばれているの? その優しい顔の裏で、闇のしもべとしての使命を果たすことを考えているの? お母様、あなたがわからない。あなたは、何者なの?
 
「そうそう姫、お城を離れている間、間違いなんかなかったでしょうね?」
「……そ、そう、間違いだらけでしたわ! 大聖堂にいる間、毎日が乱痴気騒ぎで、ええと、ごめんなさいお母様、わたし、もう別の殿方と男女の中になったの! だから、とてもこんな体でヘイカにお目通りできませんわ!」
「あなたは、嘘をつくとき2回瞬きする。小さい頃からの癖よ」
 フローラの美しい顔が顔面に近づく。ポピレアの顔に冷や汗が伝う。
「そんな悪い子は……おしおきよ」
「っ!」
 ポピレアは痛みを予想して目を瞑り表情を引きつらせる。
 しかし、彼女を襲ったのは母からの口付けだった。
 ポピレアは目を見開く。
「むぐ……!」
 お母様! やめて……! こんなこと……!
 濡れた舌がポピレアの口をこじ開け、喉の奥に侵入していく。とても親子同士の挨拶のキスという様相ではない。
 実の母親に口腔内を犯されるショックに、ポピレアの目から熱い涙が滲む。彼女は抵抗しようとした。しかし彼女の体は、何かの薬を嗅がされたのか、麻痺したように動かない。
「んっぁ……ん……」
 舌越しに、唾液を送り込まれた。彼女は、それを飲み干してしまう。
「んぐ……っ」
 そのとき、異様な感覚が胃から下腹部に広がる。
 唾液だけじゃない。何か粘性のある物が彼女の喉を通過していった。
 彼女は必死で母の顔を引き剥がそうとした。と、意外にもフローラは自ら顔を離してくれた。まるで、もう用事は済ませたというように。
「お、お母様? 何を飲ませたんです?」
「ふふ。陛下のせ・い・え・き」
「!」
「大事に味わいなさい。それをいただける女の子なんてこの世に何人もいないのよ」
「あ、ああっ!」
「怖がらなくていいのよ。さあ、あなたも陛下の物にーー」
「い、いやああああぁ!」
 彼女は恐慌状態になり体をばたばたと波打たせる。その勢いで身体の麻痺がとけ、彼女はその場を駆け出した。
 外への扉は塞がれているが、とにもかくにもホールの反対側へ移動し、母から距離を取った。
「やっ……こないで!」
 ポピレアは壁を背にして、懐中の短剣を取り出した。
「それ以上近寄るなら、お母様を殺してわたしも死にます!」
 ポピレアは本気だった。大聖堂を発ったときから、最悪の場合はこうすることも考えていた。
「お願いします! 近寄らないでください!」

「近寄るなっ!」
 リーゼロッテは、彼女に駆け寄ろうとする幼いステラ=マリを厳しく制した。
「? ママ……?」
 幼いステラ=マリはおびえ怪訝そうな顔をした。
「ス……いや、マリィ。お前、どうしてこんなところにいるの?」
「ママがずーっとおうちにかえらないから、きたの」
 そう言うと、今度はおぞおずと近寄ろうとする。
「来るな!」
 ステラ=マリは養母のただならぬ剣幕に、びくりと硬直する。
「来てはいけないわマリィ! ここは良くないものに満ちている。お前の来るところじゃないの!」
 母親に拒絶され、幼いステラ=マリは涙目になる。
「ママ……? マリィのこと……きらいになったの?」
(違う! いい子だから帰りなさい!)
 リーゼロッテは強く念じる。
(帰りなさい!)
 ステラ=マリはこの頃からすでに心を読むすべを身につけている。母の言わんとすることは理解できるはずだった。

 しかし、彼女は下がらなかった。
「マリィは……どんなに悪いところでも……ママといっしょがいい……」
「……!」
 そう言うと、ステラ=マリは髪を振り乱して駆けてきた。そのままリーゼロッテの小さな胸に飛び込んできた。
「……おまえ……」
 リーゼロッテは自分の胸の中の小さな命を息吹を久しぶりに感じた。何よりも愛おしいもの。この子を逃がさなければと感じながらも、その温もりを拒むことができない。
 気がつくとリーゼロッテは強くステラ=マリを抱きしめていた。
「わかった……。ここにいていい。だから、わたしのそばを離れるんじゃないぞ?」
「うん、ママ」
 ステラ=マリは胸に小さな顔をすり寄せた。
 マリィ……わたしは、お前をずっと守ってやる……。そう、母と子の絆は何よりも強いのだから……。

「そんな脅しに臆すると思って? 母と子の絆は何よりも強いのよ」
 フローラは微塵も動揺した様子はなかった。
「来ないで! 脅しなんかじゃありませんよ!」
 しかしフローラは、慣れない剣を持って震える娘を見て静かに笑うばかりだった。
「姫、たとえわたしと心中しても、わたしのことはわからないわよ?」
 ポピレアは、母が何を言い始めたのか飲み込めず当惑する。
「な、何を言って……」
「姫、いいえポピレア、思い出せばあなたには寂しい思いばかりさせてきたわね。わたしは王の務めで暇がなかったし、たまに話せる時もあなたには娘としてではなく一国の姫として接してきた。思えばここ数年親子らしい会話などしたことがなかった気がします。かわいそうに、さぞ寂しかったでしょう。あなたが、いつまでたっても母とわかり合えないならいっそ2人もろとも――という思いにかられたとしても、あなたが悪いわけじゃない、わたしの責任です」
「な……」
「でもポピレア。よく考えなさい。いまわたしを殺したら、あなたは永遠に母のことをわかならなくなるわ」
 フローラは静かに近寄ってきた。自分に向けられた刃の切っ先などまるで見えないようで、ただ愛しい娘だけを見ていた。
「いらっしゃい。わかりあいましょう。……わたしたち、親子だもの」
 フローラはポピレアに向かって手を差し伸べる。
「さあ、ポピレア。わたしの可愛い娘」
「あ……あぁ……」
 母の目を見ていると、従わなければいけないという気になってしまう。
 黒く濁った母の瞳を覗き込むと、その闇の中に吸い込まれていきそうだった。
 
 気がつくと、フローラはポピレアの手をつかみ、短剣を取り上げていた。
 朦朧とするポピレアは、その緩慢な動きにも反応できない。
 フローラは短剣を床に捨てる。そして、優しくポピレアを抱擁した。その動作は静かだったが、何にも勝る強制性がある。母の抱擁を拒める子供がいるだろうか?
 フローラはポピレアを抱きしめながら何度も額と頬にキスをする。同じ蜂蜜色の髪を撫でる。
「あぁ……」
 ポピレアの気持ちが安らいでいく。レンを出て以来一番の安心――いや、最後にこんなに安心したのはいつのことだろう? フローラ女王陛下にこんなに優しくしてもらったのはいつ以来だろう?
「ん! あ……ぁ……?」
 腹部、ちょうど胃のあたりから、不可思議な感覚が広がっていく。腹部から下腹部へ、胸へ。甘い疼きが伝播していく。
 まずい……なにか……へん。おかしい……。
「ポピレア? 余計なことを考えないで。
「ぅ……は……はい……」
 体の芯が痺れてくる。指示に従うこと以外の行動も思考も拒否している。
 ポピレアの目が濁っていく。その目から、徐々に理性の光が消えていく。
 フローラはポピレアの首に掛かっている三日月型のアミュレットをするりと外すと、床に捨てる。アミュレットは剣の傍らに落ちてかたりと音を立てた。
 
「ポピレア? わたしの目をじっと見て?」
 見てはいけない。見れば、きっと取り込まれてしまう。
 そう思いながらも、ポピレアは母の命令に逆らうことができなかった。
「ポピレア、これからわたしたちはひとつになりましょう……」
 ひとつに……?
「ごめんなさいポピレア。いままでわたしはあなたに母親として接することができなかったわ。あなたを次期女王として鍛えたいと思うばかりに、いつも厳しく冷たく接してしまった。よそよそしく、『姫』と呼んだ。あげくの果てに、陛下がこの城にいらしたとき、あなたひとりを無理矢理追い出してしまった。かわいそうに。さぞ辛い想いをしたでしょう。母の愛情を疑ったでしょう。ほんとうにごめんなさい」
「……あ……」
 ポピレアは、母の言うことが思い当たった。

 たしかに、彼女と母フローラとの間には、大きな隔たりがあった。フローラはポピレアに王女と姫としての関係を築こうとした。しかしポピレアはそれを受け入れながらも、心のどこかで母と子としての関係を望んでいた。その欲求不満は、長年の間にしこり、固まり、2人の間に存在する大きな壁となっていた。花の君主と呼ばれ国中の人々に慕われ親しまれたフローラ。しかし、ポピレアにとっては一番遠い人物だった。

 わたしはさっき、お母様がわからないと思った……。でもそれは今に始まったことじゃない。わたしは……お母様のことがわかったことが今まで一度でもあった?

「今こそわかり合いましょう、ポピレア。わたしたち、ほんとうの親子になるのよ」
 フローラの闇に侵された目がじっとポピレアを見る。
 母の目は闇に侵されている。でも、なんて幸せそうなんだろう。なんて温かそうなんだろう。 母はわたしの知らない何を知っているのだろう? 教えてほしい、お母様のことを。
 わかりあえるの?
 わたし、お母様のことを理解していいの?
 フローラの目は、「そうよ」と行っているように見えた
 ああ、温かい。
 黒は、なんて素敵なんだろう。
 すべてを飲み込んで、すべてを統合してくれる色。
 母の目も、ドレスも、その色がとても魅力的に見えた。
 ああ、どうしてこの目を不気味だなんて思ったのだろう……。
 わたしの深層の望みを探り当て、それを受け入れてくれる。
 黒は、闇は、なんて優しく、なんて甘美なのだろう。 

「お母様……お母様……!」
 そのとき、ポピレアの緊張の糸が切れた。
 危険や警戒を忘れ、母の胸に飛び込んだ。
「お母様……お母様……」
 生まれたての赤子のように、すべての思考を捨て、母にすがった。
 フローラはしっかりとそれを抱きとめる。ポピレアの後頭部と背中をさすっていた。

 いつしかフローラはたわわな胸元をはだけ、ポピレアの手を添える。
「ポピレア……わたしのおっぱい、吸って」
「はい……」
 ポピレアは母に促されるまま乳房を揉みほすぐすと、静かにそこに口をつける。
 母の乳房は、記憶にある物よりもさらに美しかった。長年ポピレアの憧れだったそのボリュームと瑞々しさはまったく衰えることなく、むしろさらに磨きがかかってポピレアの顔面を出迎えた。
 ポピレアは最初遠慮がちに、やがて大胆に吸い始める。フローラが微かに歓喜の声を漏らすのが聞こえた。
 ポピレアはそのまま母の乳房に顔面を埋没させる。心地よい圧迫感と、香しい匂いが彼女を恍惚に誘っていく。

「さあ、ポピレア、ひとつになりましょ」
 フローラは子守唄を歌いはじめた。 
 懐かしさにポピレアは涙を滲ませる。フローラの乳房の上に熱い水がいくつも零れた。
 フローラはポピレアの身体を抱きとめ、自分の身体もろとも優しく前後に揺する。それはゆりかごのようだった。母なる者だけが身につけることのできる、完全に調律されたそのリズムに、ポピレアの意識は微睡みに誘われる。
 彼女の心も、母の胸にすがりついて眠った子供の頃に戻っていく……。

 揺籃のリズムに乗って、彼女は深い眠りに堕ちていく。深い闇の中に。
「わたしと、同調しましょ……」 
「はい……」
 どちらかが、どちらかを強く抱きしめた。
 自分が抱きしめているのか、抱きしめられているのか、まったく区別がなくなる。自分がポピレアなのか、自分がフローラなのか、それすら曖昧になる。
「あ……」
 そう呟いたのは、母だったか、娘だったか、わからない。
 2人の共通の記憶が彼女たちの中に蘇る……。

 それは、いつのことだっただろう。
 そこは、父の葬式だった。
 あたりは黒だった。人々はみな黒い装いに身を包んでいた。母も、その豊満な体をきつく慎ませるように全身を覆う黒い喪服を着ていた。雨が降っていたのか、空も鈍色に曇っていた。
 ポピレアは母に手を引かれていた。
 黒い喪服の母は、懸命に涙を堪えるような顔をしていた。彼女は目の前の墓石を見ては今にも泣き出しそうな顔をしている。幼いポピレアは何が彼女を苦しめているのかわからなかった。
 母の気持ちは知りようがない。父が死んだから悲しいということは当然理解できるが、母の悲しみの深さは、幼いポピレアに取っては理解しようもない。
 おかーさまは何を悲しんでいるんだろう? わからない。おかーさまのことがわかったら、その悲しみを取ってあげられるのに。こんなに近くにいるのに、おかあさまのことはわからない。
「おかーさま……」
 彼女は母の服の裾をつかむーー。
 と、母に纏っている黒い喪服が、急に黒い闇に変わった。
 「ひっ?」
 ポピレアは慌てて母から手をはがす。
 闇はぶよぶよと膨張し、母の体を覆い尽くす。
 闇。闇。光など存在しない真っ黒の闇。

 空も、周りの参列者たちの喪服も闇になり、一斉に母の元に集合して、より大きくより暗い闇へと膨れ上がる。
 やがて、母の顔が涙を堪えるような沈痛な表情から、一転し快楽に溶けた表情へ変わっていく。
 幼いポピレアにはその意味などわからないが、とても邪な忌むべきものだと本能で察した。
 やめてよ。
 おとーさまのお墓の前だよ。
 父への弔意を示すはずの黒色が、闇の障気となって母を誘惑するのが耐えられなかった。
 おかーさま? なんでそんな顔してるの? 何を考えてるの? 

 と、母の周りの闇が一筋伸び、ポピレアの腹部を突く。闇は彼女のブラウスを突き破り、臍の穴に侵入する。
「ひ、ひやっ!」
 臍と、母の身体が闇の糸によって繋がれる、まるで黒い臍の緒のように。
 そこから、どくどくと脈打つように闇が流れ込んできた。
 幼いポピレアの身体はたちまち粘つく闇に満たされていく。
 あ……。
 次第に、彼女の周りが真っ暗になる。いや、彼女の目が消え、感覚器が消え、彼女の身体が闇に取り込まれていったのだ。
 五感のない闇の中で、臍の緒で母と繋がる感覚だけが確かだった。自分が胎児のころに戻ったような気がした。母の胎内という、この世でもっとも安らげる揺籃の中にいたころ。
 緒から、おぼろげに母の思考が流れ込んでくる。
『ああ。気持ちいい……』
 ?
『とっても気持ちいい……幸せ……』

 気持ちいい?
 気持ちいいの? お母様。
 同調したのは思考だけではない。肉体が感じている感覚もだ。
 あうっ……。
 幼いポピレアは、母が感じている感覚を味わった。
 甘酸っぱく、切なく、身体の芯が痺れるような感覚。
 きもちいい……。
 お母様は、これを感じていたの……?
 気持ちいい……。
 こんなの、はじめて……。
 なんだ……お母様は、お父様が死んだから悲しいんじゃないんだ。
 お母様は喜んでいたんだ……。
 それをずっと勘違いしていたから、お母様のことが理解できないのは当然の結果だった……。
 この感覚……素晴らしいわ……。
 何者にも変えがたい至福。
 母は、これを知っていたのか。
 これが、母の根幹にあるものだったのか。
 今初めて母のことを少しながら理解できた気がする。

『そうよ』
 フローラが彼女の中に直接語りかけてきた。
 いま2人は同調しているんだもの。ポピレアは当然のこととしてそれを受け入れた。
『ごめんなさいポピレア。あの穢らわしい男の精で生まれたあなたは、とても可哀想だわ。身体の半分が穢れて生まれてしまったものね。あんなつまらない男に執着するのはもうおやめなさい。もっと大事な物があるの』
 ああ……。そうだったの……。
 ポピレアは、大事なことを理解した気がした。
 お母様は、いつもわたしによそよそしかったのは……わたしがお母様のことをどこか理解しかねたのは……全部、わたしが穢れていたから? そのせいだったのね……。
『さあ、ポピレア、生まれ変わりなさい。闇の祝福を受けた陛下の子供として……』
 はい……。
『今日はあなたの誕生日。闇の使徒として生まれ変わる日よ』

 あたりの闇が途絶え、新たな風景が現れた。

 ここは……?
 ここはどこだろう?
 やがて視界がはっきりする。屋内だ。見たことがある調度。見たことのあるベッド。
 ここは……お母様の寝室!

 そう理解した瞬間、彼女の視界が大きく動き、怒張する男性器が映った。
 きゃっ?
 なに? どうなってるの?
「教祖様、ご奉仕させてください」
 彼女は、何のためらいもなくその男の肉棒をくわえる。
 ? なに?
「はむっ……」
 根元まで一気に飲み込み、しなやかな指で睾丸を揉む。
 彼女の舌はなめくじのように肉棒の上を這い周り、根元から先端までをぬめる唾液で覆っていく。すぼめた唇に先端を出し入れするたび、淫猥な音が響く。
「ぬちゃ……にちゃ……ふぁう……はぁ……にちょ……」
 ひゃっ……わ……わたし、何をしてるの? なんでこんなことしてるの? いや! 汚い! 怖い!
 ポピレアの戸惑いと狼狽にも関わらず、彼女の身体は嬉々としてその肉棒に奉仕を続けた。

 どうなってるの? これ? いや、いやぁぁ……。
「フローラ、うまいぞ」
 肉棒の主が彼女の髪を撫でる。彼女が顔を上げると、目の前に隻眼の男がいた。
「ありがとうございます教祖様」
 ポピレアは理解した。
 これは……お母様の記憶なの? 

 フローラは男の肉棒を愛し続けた。やがて肉棒はより大きくより固くなり、彼女の舌を押し返し始める。
 うぁ……? なんだろうこの気持ち。
 最初、これがひどく怖く汚いと思ったのに、今はちっともそんな気がしない。どうしてだろう、すごくすてきに見える……。大きさが、形が、わたしの心を捕えて離さない。これに触れていられるということが、とても誇らしく思える。胸がドキドキする。身体がきゅんと締め付けられる。もっと舐めていたい……。
 これは、お母様の感情なの? 
「ぬちゃ……ぬちょ……あむっ」
 ああ、それにしても、この男のおちんぽ、おいしい……。あの男のフニャフニャのモノとは大違いだわ。ーーって、あの男って誰? お父様? わたし、お父様のオチンポなんか知らないーー。
「ああ、教祖様ぁ。教祖様……幸せです……。あの男の物とは大違いですわ……」
 あ、やっぱりだ。
 お母様の感情がわたしの中に流れ込んでいるみたいだ。
 ポピレアは確信した。

 そうだったんだ……。
 これがお母様が感じていた喜び……。
 それを知れたことを、ポピレアはとても嬉く思った。母と同じ世界を体験できたことが嬉しい。
 ポピレアは母ともっと同調したいと思った。母が何を考え、何に喜んでいたのか、知りたいと思った。

 男は、熱心に舌を動かすフローラの首を不意に持ち上げた。
「フローラ、今日は中に出してやる」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
 フローラは花のような美貌を綻ばせる。
 ポピレアにもその有り余る喜びが伝わってきた。お母様、本当に嬉しいんだ。この男に抱いてもらえることが、何よりも。わたしも嬉しい。お母様の悦びが自分の物のように感じられるもの。
 男はフローラの身体を軽々と抱え上げベッドの上に誘う。
 フローラのドレスを脱がし、下着を脱がし、生まれたままの姿の上に覆い被さった。
「ああああっ! 教祖様……!」
 無上の喜悦がフローラを襲った。それはポピレアも同じだった。身体が自由に動かせるなら、この男の身体を抱きしめたいと思った。
 そう思うとほぼ同時に、フローラは男の背中に手を回し、自分の身体に押し付けていた。ポピレアは自分の意志がフローラの身体を動かしたような錯覚を覚えた。
 
 男はフローラの唇を奪い、胸を揉み、太腿を撫で、膣を舐める。
 触られた場所がそのたび性感帯になるように、フローラの身体は火のような官能にのたうち回る。
「はぁっ……ふうぅぅう! いいっ、いいですぅ、きょうそさまぁ!」

 ああっ! すごい……これ……まるでほんとうにわたしの身体が愛されてるみたい……! 気持ち、いい……。ああわたし、どんどん好きになっていく、この男のことを……。この男? わたしったらなんて口の聞き方を! 教祖様! わたしが教祖様をお慕い申し上げるのは当たり前じゃないの!

「い、いふっ! はぁ! きゅふんっ!」 
 官能が高まるにつれ、母娘の心の境界がどんどん曖昧になっていく。
 官能の熱に溶かされて、心が溶解して融け合っていくようだった。
「い、いく、イっちゃいますぁぁぁぁぁ!」
 ポピレアは母の意識と、その中にいる自分の意識を、同時に体験した。
 ポピレアの意志で動いているのか、フローラが叫んでいるのか。
 叫んでいるのを聞いているのか、自分が叫んでいるのか、わからなくなっていく。
 2人の意識は完全に混濁し、一つに解け合っていく。

 男はフローラの膣上の薄い肉の皮を剥ぎ、充血したクリトリスを指で弄んだ。
「く! は、ふぁぁ! ひはぁ、あん、ひぅっ!」
 ひときわ強いその官能で、2人の心の壁はますます薄く融ける。
 ああ、最高です教祖様! 愛しています!
 今の自分の意識が、もともとポピレアだったのか、フローラだったのか、わからなくなっていく。彼女は全神経をこの悦びに集中させた。

 ついに、男はそそり立つ肉棒を彼女の肉壷に埋めていく。彼女の泉はそれを容易く受け入れていった。男の剛直が彼女の襞を掻き分け内部に侵略していくのを、彼女は歓喜とともに見守った。
 ああ来てください教祖様。このわたしのいやらしいおまんこの中に、たくさん精液を出してください……!

「フローラ、お前は何だ?」
「ふぁ……ぁえ?」
 男は動きを止め、隻眼でフローラの目を覗き込む。
「お前は何だ?」
 あ……そうだ。なに考えてたのかしら。わたしはフローラなんだから、質問にお答えしないと。

「「はい、わたしは教祖様のいやしい牝奴隷です」」
 当たり前のことだ。でも不思議な物だ。口にするたび新鮮な悦びが彼女をうち震えさせる。
 その言葉が彼女の隅々にまで浸透していく。わたしは教祖様のいやしい牝奴隷。わたしは教祖様のいやしい牝奴隷。わたしは教祖様のいやしい牝奴隷。

「お前にとっての一番の悦びは何だ?」
「「はいっ! それは教祖様にいやしいおまんこを貫いていただくことです!」」
 彼女は恍惚とともに答える。そう口にすると、その欲求がますます強くなる。そう! わたしの身体を貫いてほしい! わたしはそのために生まれてきた! そのために生きてきた! 彼女ははっきり自分にそう言い聞かせる。

「良くできた。さあ、行くぞ」
「「! ふ、ふぁああ!」」
 男の肉棒は触手のようにうねりながら奥へ奥へ分け入っていった。
「いいですっ! 最高です、教祖様ぁぁ!」
 彼女はその律動に合わせ、踊るように身体をくねらせる。
 肉棒が彼女を突き上げるごとに、じゃぶじゃぶと卑猥な音を立てて、愛液が溢れでていくる。太く固い肉棒に隙間なく膣壁を擦られ、彼女はたちまち高みに昇っていった。
「「ぁ……ああ! あぃっ……いっ……いく……」」
 ああ、すてきです教祖様!
 まるでこの一瞬一瞬で自分が新しい自分に生まれ変わっていくような気がした。膣だけではなく全身の感度が加速度的に高まっていき、彼女を性感を感じるためだけの生き物にしていく。

「「くひゃ! ああああっ……いっく……はぁあ!……ひょうほさま……っ、ひょうほさまぁ……!」」
 彼女の意識は完全に混濁していった。
 自分がフローラなのかポピレアなのか、もう完全に区別がつかない。
「出してほしいか?」
 男が動きを止めそう尋ねると、 フローラ=ポピレアは最高の笑顔でこう答えた。
「「はい……この牝犬の中にたっぷりお恵みをくださいませ……」」
「ああ。いくぞ」
「「はいっ」」
 男は抽送を激しくし何度も何度も子宮壁に亀頭を打ち付ける。彼女はそのたび永遠に繰り返す絶頂感を味わって、身体を波打たせた。
「「ぁっ! あ、くひゃああああああああああああっ!」」
 彼女の身体が大きく反り返るとともに、膣内に大量の精液が放たれる。 
 彼女は絶頂を味わい尽くしながら、精液を一滴残らずしぼり取ろうとするように動き続けた。
「「ふ! ぁああああああんっ」」
 そのとき壮絶な絶頂を迎え、2人の精神は本来の形をなくし、ひとつに混じり合った。

「あ、ああぁぁっ!」
 気がつくと、ポピレアは母に抱かれていた。

 フローラはまだ呆然としているポピレアの髪を優しく梳いた。
「どう? 生まれ変わった気分は?」
 ポピレアははしたなく涎を流していた。
 全身が汗だくで、股間はしとどに濡れている。
 絶頂の余韻が収まるにつれ、目の前の物を認識しはじめた。 
 目の前に母がいる。母と自分の肉体は別々になったようだ。
 だが、心の一体感は失われていない。
「わたしのこと、わかってくれた? ポピレア」
「はい……」
 ポピレアは幸福そうに微笑んだ。その目は、母と同じように虚ろな闇に濁っていた。
 おかあさまは、わたし。
 わたしは、おかあさまなんだ。
 母の感じていた喜び、幸せ。母の心が言葉ではなく心で理解できた。
「はい……お母様……わたしたちは一つです」
「ポピレア、わたしは陛下に忠誠を誓ったの。あなたはどうする?」
「もちろん、わたしも……」
 ポピレアは迷わなかった。
「陛下に忠誠を誓います!」

「よくお似合いよポピレア」
「ありがとうございますお母様」
 湯浴みで旅の垢を落としたポピレアは、しつらえられた黒のドレスに身を包んでいた。
 フローラとお揃いの漆黒のドレスだ。
 偉大な闇の力に全身を包まれているという気がする。そう思うだけで胸が熱くなる。

 フローラは、仕上げに黒いペンダントを娘の首に掛ける。
「それがあれば、いつも陛下を身近に感じられるわ」
「はい、ありがとうございますお母様」
 首にかけられたそれは、彼女の体を優しく縛りあげるようだった。邪神に抱かれているような錯覚を覚え、彼女は快感に身をよじる。
 ポピレアは自分の股間に触れる。この日のために守ってきた自分の純潔を陛下に捧げることができると思うと楽しみでならなかった。記憶の中の母の身体ではなく、生身の自分の身体を貫いてほしかった。
「ああ、月の巫女様、はやくわたしに順番を回してくれないかしら」
 熟れる前の仄かに赤い色を付け始めた果実が、獣に刈り取られ歯を突き立てられることを期待している。

「ふふ、ポピレア、着替えたばかりなのにもう濡れてるんじゃない?」
「うふ……ばれちゃいました?」
「ポピレアったら、ほんとうに淫乱なんだから」
「うふっ、だってお母様の子供だもの」
 母子は互いの乳首をつつき、からかい合うのだった。

 ポピレアは、母と心の底から通じ合っていると確信できた。
 わたしたちは、ふたり仲良く陛下の奴隷。ふたりとも陛下のことが大好きで、いつも陛下のことばかり考えているいやらしい牝奴隷。
 2人の間に何の隔たりもない。わたしたちは一心同体。大好きな主君と母を同時に手に入れた幸せに、ポピレアはいつまでも浸っていた。
 やがてどちらともなく、2人はお互いの手を取り合っていた。
「「わたしたちはずっといっしょ……」」
 母と娘は、再び熱い口付けを交わし、大いなる闇の力に祈りを捧げるのだった。

 リーゼロッテはステラ=マリを抱きしめていた。
 彼女は自分の命に賭けてもこの子を守ろうと思った。
 腕の中の愛娘は母親を信頼しきって眠っている。幸福なひと時だった。

 しかしその幸福は不意に破られる。いつのまにか人影が母子を取り囲んでいた。
「! 誰だ!」
 慌ててリーゼロッテは身構える。 ざっと10人。白い鎧に身を包んだ男たちだった。
「アールマティ大聖堂のものです」
「その子を渡してもらう」
「その子の力は、世界のたまに役立ってもらうためのものだ」

 冷ややかな面持ちの彼らを見て、目を覚ましたステラ=マリは怯え、母に抱きすがる。
「ふざけるな! わたしの娘は渡さない」
 リーゼロッテは娘を強く抱きしめその意思を示す。
「これは光の神の御意志だ」
 神殿騎士たちは彼女らを取り囲み、リーゼロッテの手からステラ=マリを引きはがそうとする。
 リーゼロッテは形振り構わず戦った。噛み付き、蹴り、細腕で殴り掛かった。
 しかし魔力なくしては、彼女に勝ち目はなかった。

 ついに、リーゼロッテだけを頼りに彼女の胸にすがりついていた小さな身体が、彼女から引きはがされた。
「!」
「ママっ!」
 リーゼロッテは追いかけようとする。だが、神殿騎士たちにこっぴどく打擲された身体はいうことを聞いてくれない。腰が立たず、視界は歪む。
「ママぁー!」
 ステラ=マリは男たちに抱えられながら母に向かって手を伸ばす。助けを求め声を振り絞る。だが、その姿と声は見る見るうちに小さくなっていく。
「ママーーっ!」
「マリィーー!」
 ステラ=マリは、男たちに抱えられ、闇の彼方へ消えていった。
「マリィーーーーーーっ!」

 やがて、娘の叫びは聞こえなくなった。暗闇の中に、リーゼロッテは一人残された。
「く……くうううっ!」
 自分の分身を奪われた母は、拳を床に打ち付ける。
 アールマティ……大聖堂……!
 許さない……わたしの娘を……っ!
 アールマティ……アールマティ!
 彼女は、何度となく憎いその名を口にした。
 光の神アールマティは、彼女にとって忌まわしい物の代表となっていた。かつて自分がそれに仕えていたことも忘れた。彼女は気づいていないが、怒りのままに拳を打ち付ける彼女の身体から強い闇の気が迸っていた。
「許さない……! 何が光の神だ……! なにが世界のためだ……!」
 そして、最愛の我が子を守れなかった不甲斐ない自分も許せなかった。

 子供1人守れないで、何のための強さか……!
 彼女に向かって悲痛な顔で手を差し延ばす娘の姿が脳裏から離れない。その姿は彼女を苦痛のどん底に叩き込んだ。最低限の義務も果たせなかった無力な母親だと責める声が響いてやまなかった。
「わたしは……わたしは……」
 彼女は卵のように丸くなり、その場で震え始めた。

「わたしはっ………………」
 やがて、彼女の意識は闇に沈んでいった。

< つづく >

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