星辰の巫女たち 第20話

第20話

 アールマティ大聖堂。その上層にあたしの部屋はある。
 あたしはテーブルの上に顔を伏せ、うなだれていた。

 はぁ。
 どうしてあたしばっかりこんな役回りなのよ。
 あたしの気だるくて色っぽい溜息が漏れた。
 このごろの忙しさときたら時間が倍に流れているみたい。おかげでお肌が荒れて玉顔に瑕がついちゃったし、昨日なんか枝毛を見つけちゃったのよ。このあたしがあたら青春を無駄にして醜く老いていくなんて、こんな世の中間違ってるわ。そりゃあ世界が闇に覆われるのも無理ないわ、当然だわ。
 それにしても癪だこと、ママまで敵に取り込まれちゃうなんて! おかげであたしの仕事量は一気に3人分よ。ちきしょうママなんかいまごろ「ああ、幸せです、邪神様……」とか言いながらイチャイチャ三昧の日々を送ってるに違いないわ。なんてうらやましい。邪神のエッチってきっとすごいんだろうな……。ごくっ。
 こんなことなら、やっぱりあのときあたしもママと一緒にレンに行っていればよかった。そうしていれば、今頃あたしも邪神様のすんごいエッチを堪能――じゃなくって、邪神を倒せていたかもしれないのに。あたしは口から出かかっていたよだれをあわてて飲み込む。

 改めて、あたしは考える。
 もう、光の勢力が巻き返すことはないだろう。
 察するに、もう光の時代は終わりだ。これからは、邪神が支配する闇の世界が始まる。
 と、なれば、これ以上心身を酷使するのは無意味でしかない。
 だからあたしも、はやいとこ洗脳してもらって向こうのお世話になっちゃおっと。
 ファザコンのプリムちゃんとペチャパイのママが許容なんだから、このあたしが受け入れられないはずないわよね。この美貌この美声このおっぱい、あたしが邪神様の御眼鏡に適わないはずないわ。
 とはいえ、あっさり洗脳されてはどっちの陣営からもナメらちゃうわ。邪神の口から「よくぞここまで戦った。それでこそ我のしもべにふさわしい」くらいの定番文句は引き出さないと。邪神と読者のみなさんが十分納得する程度に戦うポーズをとって、ちょっとした死闘の末に洗脳されるの。まぁそのへんのさじ加減は戦況を見て適当に。そして死闘でさわやかな汗を流した後は、邪神様とのエッチに突入――おっと、よだれが。

「ん」
 あたしはテーブルから上体を起こし、姿勢を正す。
 誰かが廊下を慌ただしく駆けてきた。心の声からして、侍女だ。
 あたしはテーブルの下にあった聖典を引っ張り出し、適当なページを開く。
 直後、ドアをノックして侍女が入ってきた。あたしは彼女の方を向いた。
「あら。なんでしょう?」
 聖母の笑顔であたしは微笑む。
「夜分失礼します。あの、法王猊下がお呼びしております……」
 うげ、またぁ? 
「わかりました。すぐにお伺いするわ」
 あたしはいやな顔ひとつせず席を立った。そんなあたしに、侍女は敬愛を込めて礼をする。
「夜分にお疲れ様です。ステラ=マリ様」

 あたしは月光差し込む回廊を渡り、法王の間へ向かっていた。
 ふぁーあ、ソフィちゃんにも困ったものだわ……。今日は何かしら。また夜伽を命じられたら、やっぱり応じなきゃいけないんだろうな……。あの子が可愛い男の子だったらまだマシなんだけど。

「ただいま参りました、猊下」
(入れ)
 扉の向こうでソフィちゃんが囁くと、法王の間の封印が解かれる。その重たい扉を開け、あたしはヴェール越しのソフィちゃんの前に立った。
(近う)
「失礼いたします」
 あたしはヴェールを越える。
 仰々しい玉座の上に、大きすぎる緋色のガウンを羽織った白髪の女の子がちょこんと座っていた。彼女はどんぐり眼をきつく睨ませてあたしを見つめる。
(午後の報告書に目を通した)
 あたしは彼女の心の声に耳を傾ける。
(かろうじてタローマティに支配されていなかった国が、とうとう落ちたそうだな)
「はい……」
 あたしは眠いので適当に相槌を打つ。
(これで残りは大聖堂直轄領のみ。そして)
 ソフィちゃんの表情がひときわ険しくなった。
(タローマティのそばに、2人の巫女がいたと……確かに目撃者がいたそうだな)
「はい……。遠目ですが、わたくしが彼らの記憶を検証したところ、まず誤りはないかと存じます」

 しばらくして、彼女が珍しく肉声で語りかけてきた。
「ステラ=マリ。巫女たちをひとりでレンに行かせたわらわの判断は間違いだったか……?」
 うん。
「わらわは、取り返しつかないことをしてしまったのか……?」
 うん。
「わらわは……なんということを! 1500年続いてきた光の神の世界を、わらわの代で邪神に奪われてしまうとは……! わらわは……わらわは……っ」
 ソフィちゃんは頭を掻き毟る。あたしはあくびを噛み殺す。
「そうだ……。そなたらも悪い。敵がタローマティだとわかっていたなら、なぜわらわをもっと強く諌めてくれなかったのだ? なぜもっと言葉を尽くして説得してくれなかった? そうだ。そうしてくれればわらわも最初から戦う覚悟ができたのに!」
「……」
 この愚痴いつまで続くのかしら。眠いのに。いまごろママやプリムちゃんはふかふかベッドで邪神とお楽しみだっていうのに。
 いかにあたしが聖女といえど、だんだん虫の居所が悪くなってきた。
「そなたら巫女たちはみんな、わらわが足を引っ張っていると思っているだろう! 能無しのわらわが愚かな判断をするのを見て、呆れて笑っていたのだな! そなたらは――」
 ソフィちゃんの言葉は、乾いた破裂音に遮られた。
 誰かが彼女の頬をひっぱたいのだ。むろん、あたしが。

「……あ……」
「ロッテがいたなら彼女がこうしていたと思うので、不肖わたくしが代わりを務めさせていただきました」
「……」
 あたしは彼女の小さな手を両手でそっと包む。
「ほら、これで帳消しですね。法王猊下に狼藉を働くことはこの世で最も重い罪です。ですからたとえ猊下が大きなミスをしたとしても、わたくしには猊下を笑うことなどできません。貸しもなしです。ですからその件はこれでおしまいにしましょう」
「ステラ=マリ……」
「しっかりしてくださいまし、猊下。自分の気高さを下げることはおやめになってください。あなたは世界の頂点なのです、誇りを持ってください。あなたは戦う力はなくとも、この世の誰よりもアールマティに近いお方なのです。その誇りゆえに、あなたはこの玉座に君臨してきたのではありませんか?」
「……」
「誇り高いものはまっすぐ前を見つめるべきです。自棄にならず、常に最善の道を歩むべきです、そうでしょう?」
 あたしは熱を帯びた眼差しで彼女の瞳を覗き込み、彼女の両手をさりげなく握る。
「それを支えるのが巫女の仕事です。たとえ猊下が判断を誤ってもそれを補うために働きます」
 とどめに彼女の背中を優しくさする。
「ぶったりして申し訳ありませんでした」
「うう……うう………」
 ソフィちゃんの背中から嗚咽が漏れはじめる。はい、いっちょあがり。
「う……うう………。ステラ=マリ……」
 あたしはたおやかな手つきで彼女の背を撫でる。
「お願いだ……。そなただけは、そなただけはわらわを見捨てないでくれ……ずっとわらわのそばにいてくれ」
 ソフィちゃんはあたしの腰を絞めつけてきた。
「はい。わたくしは猊下のおそばにいますよ」
「お願い……そなただけは邪神の虜にならないで……」
 はいはいフラグフラグ。

 その翌日、事件は起きたのだった。
 怪鳥が大聖堂に文を運んできた。それは、ママからの手紙だった
 ついに来た、邪神様からあたしへのアプローチ!
 あたしは期待に胸を膨らませその手紙を解いた。

   ステラ=マリへ。
   わたしたちが出会った場所で待つ。
                  リーゼロッテより。

 あたしたちが出会った場所。それは大聖堂の西にある湖。そこであたしは月の巫女リーゼロッテと出会い、彼女の娘になった。
「ど、どうなさるんですか巫女様?」
 不安げな顔で集まってきた神官たちに、あたしは迷わず言い放った。
「行く必要はありません」
 西の湖までは、お馬で飛ばしてもかなりの時間がかかる。その間大聖堂を留守にはできない。あたしがいなくちゃ、ここを守る人間がいなくなっちゃうじゃないの。いくらなんでも、こんな陳腐な罠に飛び込んでいくわけにはいかないわ。
 それに、気に食わない。むこうから菓子折り持って参上すれば会ってあげないでもなかったけど、職場放棄してエッチ三昧の日々を送ってる立場で今更あたしを呼びつけるなんて横柄だわ。
「しかし、彼女と魔物たちがこの付近にいることには違いありません。大聖堂と門前町の見張りを固めてください。そして、西のほうへは近づかないで」
「はい!」

 でも真の事件は、その日の夜に起きたのだった。
「ん……?」
 見張り台に登ったあたしはふと異常に気づいた。今夜はほんとうは休まず西方を見張る予定だったのだが、先刻ソフィちゃんが「ひとりでは眠れない」などとさえずったのでしばらく法王の間で彼女を寝かしつけてあげていたのだ。そして今警備に戻ると、外の空気が変わっていた、という次第。
 風に乗って、なにか聞こえてくる。はるか西のほうから。脳に語りかける音ならぬ音。
「催眠音波……っ!」

 夜勤の神殿騎士たちは笛の音など何も聞こえなかったと言うし、彼らの心をスキャンしても、誰も催眠を刷り込まれている痕跡はない。しかしあたしは自分の感覚を信じた。大聖堂の四方に目を凝らす。果たして、異常は見つかった。
「! あれは……」
 門前町の市壁の外を、ちいさい頭がいくつもいくつも走っていく。子供たちだ。(調べてわかったことだが、小さな身体で水路の柵をくぐり抜け市壁を越えたらしい。) 彼らは示し合わせたように西のほうへ行く。相当の数だ。おそらく門前町の子供たちのほとんど。この闇夜なのに、彼らは松明も持たずに夜の荒原を突き進んでいく。洗脳された人間の振る舞いだ。
「なんてこと……」
 子供のみが受信する波長の催眠音波か。あたしは唇を咬む。
 あたしは神殿騎士たちに伝令し、まだ町の中にいる子供たちを至急確保しろと命じる。鐘楼を鳴らし、人々を起こせと命じる。
 彼らに一通りの支持を出しながら、あたしは考える。
 おそらく、ママが彼らを呼びよせた。
 だが、彼らがママのところに誘拐された――それだけだろうか?
 ママのいる場所は湖だ。盲目的に湖に向かう人の群れからは、水辺に向かって集団入水するレミングスいう鼠の姿が容易に連想できた。
 ママの意地悪……。
 子供たちは町の宝だ。子供たちがいなくなれば、人々の心は戦わずして死ぬ。
 子供たちの命を確保するためには、あたしが彼らに追いついて洗脳を解くしかない。

 あたしは30秒で戦いの準備を整えると、法王の間に向かった。幸いソフィちゃんは鐘楼の音ですでに目を覚ましていた。
「いいですか猊下、わたくしがここを離れる間、決して法王の間の扉を開錠しなさいでください」
 法王の間は外部からはいかなる力を加えても開けられない。中にいるソフィちゃんが許可をしないかぎり。
「わ、わかった……」
「もし、扉の外からわたくしの声が聞こえても、すぐに開けないで。その声がもし本当にわたくしなら、ベルを3回、間をおいて2回鳴らします。そうしないうちは、扉を開けないでくださいましね」
「わ、わかった」
 あたしは彼女の返事を聞くと、すぐに法王の前を駆け出した。
(ステラ=マリ! どうか無事に帰ってきて……)
 あたしはソフィちゃんの声に錫状を振って応えた。

 こうして、あたしは神殿騎士たちを連れて西の湖に向かった。
 途中で、いくらかの子供たちに追いつき、洗脳を解くことには成功した。しかし彼らは5・6歳未満の体力のない子供たちばかり。まともに走ることができる子供たちはずっと先を行っている。あたしたちは湖に急いだ。

 白樺の林を抜けると、不意に視界が開け、青々とした水面が現れた。
 湖の周りに、子供たちはいない。
 そのかわり、銀の髪の少女(実年齢はおばあちゃんだけど)がいる。
 彼女はあたしのほうを見て、あっけらかんと笑みを浮かべた。
「やっと来たか。久しぶりだな、マリィ」
 ママ!
 この生意気そうな佇まい、ぺったんこのおっぱい。
 そして、世界であたしの次に美しい顔と、気高い眼光。
 なつかしい、ママの姿。
 しかし今は感慨に耽っているときじゃない。
 あたしは毅然とした態度で彼女に向かい合った。
「久しぶりね、ロッテ」
「ふふ、お前は変わりないようで何よりだわ。安心した」
 彼女の身体は黒の巫女装束と闇の気に覆われていた。ま、それはどうでもいいとして。
「あなたは変わりましたね、ロッテ。子供たちを人質にしなければわたくしと対等に話ができなくなりましたか?」
 あたしは錫杖を振り上げる。
「子供たちはどこなの!?」
「見損なうな。こんな姑息な手はわたしだって不本意に決まってるだろ。ただ、プリムの奴にどうしてもと進言されてな」 
 プリムちゃんに? なんでママともあろう人があんなヒヨッコちゃんの言うこと大人しく聞いてんのよ。
「だからガキたちは返してやるわよ。ほら」
 彼女がパンと手を叩くと、遠くの林の影からが夢遊病状態の子供たちが姿を現し、こちらに歩いてくる。あたしは彼らの洗脳を解いていった。
「あ……ニチリンの巫女さま……?」
「ここはどこ……ハックション!」
 あたしは彼らの額を撫でた。
「もう大丈夫。お母さんの元へ返りなさい」

 子供たちは神殿騎士たちの馬に乗せられ、大聖堂のほうへ帰っていった。それを見守りながら、あたしはママの心をスキャンしていた。
 ――うん、まぎれもなくあたしのママだ。
 洗脳されて「自分はリーゼロッテだ」と思い込まされているニセモノだっていう可能性も考えられたけど、彼女の心を奥まで覗き、まぎれもないママ本人だと確信が持てた。
 だって彼女の心の奥をスキャンしてはじめてわかる、この骨の髄まで染み込んだ自己肯定・自己陶酔。こんな呆れるほど自惚れが強い人間はママか馬鹿しかいないわ。邪神がこのあたしへの刺客に馬鹿を寄越すことはありえない。よって目の前にいるのはまぎれもなくあたしのママだ。

「懐かしいな、ここは」
 ママはあたしに背を向け、悠長に湖畔を散歩していた。
「(日輪の巫女様、お気をつけて。リーゼロッテ様は何かを企んでいるかもしれません)」
 神殿騎士たちがあたしに小声で囁く。
 この場所はママが指定した場所だ。なるほどあたしがママの挙動に集中している隙に第三者があたしを狙っているということも十分ありえる。(ママの記憶を拝見したところ、彼女はそうやってプリムちゃんの不意打ちに倒れたみたいだしね。) でも、心の声が聞こえるあたしにはそんな手は通じないとママもわかってるはず。さてどういう腹積もりなのやら。

「ちょうど、お前を拾った日もこんな秋の夜だった」
「そうだったわね」
「お前は小さかったな。こんな浅瀬でも溺れそうだった」
「はい……」
「あのころ、わたしたちは幸せだったよな。ま、わたしは今も最高に幸せだけど」
「何が言いたいのロッテ!」
 ママは不敵に笑った。
「わたしは大聖堂にいる間、幸せじゃなかった。アールマティなんて汚らわしい神を崇めさせられ、タローマティ様を敵だと教育されていたから。同様に、お前も今幸せじゃない。」
 ママはあたしに手を差し伸べる。
「だから、お前を迎えにきたのよマリィ」
「迎えに、ですって?」
「わたしのご主人様が、お前に会いたいとおっしゃってるの」
「(プッ)」
 あたしは噴き出しそうになるのをやっとのことで堪えた。
 ちょ。
 ご主人様って、あーた!
 この高慢ちきが、こともあろうに、ごごご主人様ですって?
 おほほほほほ!
 だ、だめ……腹筋が木端微塵になりそう。
 あたしは必死に笑いを押し殺した。ママから目を離すのを構わず顔を伏せてプルプル全身を痙攣させる。(後ろの神殿騎士からは、憤怒に身を震わせているように見えてるみたい。)
 すでに笑死の危機に瀕しながらも、つい興味が抑えきれなくなりママの記憶を探ってしまう。彼女が『ご主人様』の前でどんなに女の子女の子してるか知って、ますます笑いが堪えがたくなる。
 まぁママったら、子猫ちゃんみたいにゴロゴロ甘えちゃって、こーんな可愛い声を出しちゃって。あらあらあら、はしたなくもお股をこんなに広げて、そして……あん、キスもしたことのない生娘には刺激が強すぎるわ。きゃー。
 うは、うふふ。よかったじゃないのママ、心から祝福するわ! こんなに長く生きてるのにずっと処女のまま人生を終えるのと思って心配してたのよ! いまや理想の殿方に出会えて、ほんとに幸せそうで何よりだわ!

「わたしの記憶は見終わった?」
 しばらくして、ママが太々しいまでに平静にあたしに話しかけた。
「そうね、よくわかったわ」
 厳粛な声であたしは言う。
 神殿騎士たちが固唾を呑んで見守る中、あたしとママは対峙した。
「あなたは、もう以前のリーゼロッテではありません。あのプライドの高かったあなたが、誰かに隷属していることが何よりの証左です」
「わたしはわたしよ。ほんのすこし奢りを改めただけ」
「奢り? 今まであなたが貫いてきた信念や矜持を、奢りと断ずるのですか!?」
「そんなもの、ご主人様のくださるものに比べれば石コロ当然のものだもの」
「ロッテ……あなた……」
「ご主人様はわたしよりずっと偉大なお方だもの。マリィ、会ってみればお前もすぐにわかる」
「わかりたくもありません。端から見れば滑稽なだけよ、狂人や泥酔者の妄想などは」
 ママはあたしの辛口にも動じずに笑っていた。
「まあそう考えるのは当然だな。もしわたしとお前の立場が逆なら、わたしも同じ風に考えるだろう。だから――」
「ロッテ! そこまで考える力が残っているなら、なぜタローマティの奴隷になっているの!? あなたは、自分が洗脳されているとわかっているでしょう?」
「そうよ。わたしはご主人様に洗脳していただいたの。おかげで、以前よりずっと清らかな意識を持つことができた。だからわたしもプリムも喜んでご主人様のためにお仕えしたいと思うのよ」
「ロッテ……」
「――だからマリィ、もっとわたしの心を覗いてみるがいい。わたしはなにも隠しもしないし恥じもしない。お前を騙したり脅したりもしない。お前が判断しなさい。わたしたちのご主人様がどんなに偉大か、闇の力がどんなに素晴らしいか、知りなさい」
 ママはあたしに歩み寄る、無防備に身体を広げて。

 ややあって、あたしは彼女から目を背けた。
「……。そうですか。わかりました。わたくしの知っているロッテはもう死んだのでしょう」
「むっ」
「いまわたくしの目の前にいるあなたは、魂を壊された肉体の中に、記憶と上っ面の感情だけを複製した、彼女の精巧なイミテーションです。魂は違う」
「わからないのかマリィ、わたしの記憶を覗いたんだろ?」
「見ましたとも。あなたの堕落と淫蕩の日々を、ありありとね」
「ならどうして。素晴らしいとは思わないのマリィ? 美しい魂の輝きを持つ女が邪神様のもとに集えば、ご主人様に最高のご奉仕ができる。それは女たちにとっても最高の名誉なの。人間が生涯費やして得られる悦びを越えるものを、たった一夜で得ることが出来るのんだぞ? それは神の宴と呼ぶにふさわしい物なの」
「けっこうなことですこと。わたくしもその末席に加えてくださるとでもいうのですか?」
「そうよ」
 よっしゃ!
「生憎ですね! わたくしは人々を救う巫女の仕事に誇りを持っています!」
 あたしは頬がにやーと緩むのを必死で抑えてた。にやー。
 うふふ、やっぱりね! よーやく言質が取れたわ! 万が一あたしだけハーレムから漏れて殺されるってことも懸念したけど、やっぱり邪神様がこのあたしを放っておくはずないもんね! これであたしの未来は薔薇色決定だわ! えへへへ。あらよだれが。
 あたしは気分が高揚していた。ママの桃色のメモリーを覗いて、1日でも早く邪神様のものになりたいという気持ちがはやったんだもの。
「――ずっと、あなたもそうだと信じていました。邪神の虜となり、身体を許し魂を売り渡したあなたたちを、わたくしは心から軽蔑します! リーゼロッテ! あなたをもう母とも仲間とも思いません!」

 が、ちょっとハイになりすぎて余計なことまで言い過ぎた。ママは少々顔をしかめてしまった。
「マリィ。わたしの言うことを聞けないのか?」
「あなたは、大聖堂を発つ前にわたくしに命令をしました。『万一あなたがタローマティの手に落ちたら、あなたを殺せ』と。あなたはそれが自分の最後の命令だと言いました」
「おい間違ってるぞ。『わたしを殺してでも法王を守れ』って言ったのよ」
 げ。そうだったかしら? 
「わたくしにとっては同じことだわ。あなたたちを好きにさせていたらどのみち猊下のお命はないもの」
「――ふん。なぁんだ」
 ママは不気味に笑った。
「安心したぞ。お前も、わたしと戦う覚悟はできてるんだな?」
「……場合によってはね」
「よく言った」
 ママの周りの空気が変わる。周りから虫と鳥の声が消えた。
「行くぞマリィ。どうせ、実力行使しかないと思ってた」
「……今ここで、やらなければいけないの? わたくしとあなたが出会ったこの場所で」
「こんなにふさわしい場所はないだろ。この場所で、わたしはもう一度お前を神の元へ連れて帰るのよ、今度は闇の神のもとへな」
「そうですか……できればあなたとは戦いたくはなかった……」
 ちょちょ調子に乗りすぎたわ! まずいまずい、あたしがママに敵うはずないじゃない!
 焦るあたしの希望を裏切り、ママの手元に光の剣ならぬ闇の剣が現れた。ママは考え直す気ゼロだ。
「みなさん! 下がってください!」
 ママ相手じゃ、神殿騎士たちなんか肉の盾にもなりゃしないわ。神殿騎士たちを退けてから、あたしは錫杖を構える。
「行くぞ。その世界で2番目に美しい顔が傷つかないようにしっかり防御しなさい」
 銀髪の豹があたしに向かって斬り掛かってきた。

 夜のしじまを切り裂いて、剣と錫状のぶつかる音が響いた。
 あたしは護身用の錫状と基礎の術だけで戦うしかなかった。だってあたしの武器は一度発動させると融通がきかないから、近くに神殿騎士たちがいる以上使えないもの。ただでさえ実力に開きがあるのに、こんな不利があったら勝てるわけがない。
 しかし、以外にもあたしは善戦した。
「なかなかやるな、マリィ」
「当然よ! わたくしはこんなところで負けるわけにはいきません!」
 あたしはまがいなりにも死に物狂いだった。ママは7話もの間邪神に抵抗したっていうのに、あたしがこんなに早く負けちゃったらこの物語のラストボス失格だもの。
 逆に、ママはあたしを邪神に献上したいと思ってるのであたしに大きな傷は付けられない。これだけ互いの戦意に差があれば、なんとか勝負になった。
 あたしはママの心を読みながらなんとか剣戟を躱し続け、隙を見て反撃する。戦いは長引いた。

 しかし、全くの不意に、その拮抗は破られた。
 遠くに臨めるアールマティ大聖堂で、爆発が起ったのだ。
「「!」」
 続けて何発も爆発が起こった。闇夜の中で、白亜の聖堂外壁が明々と照らされる。
 あたしは驚く。ママも驚く。ママでさえ知らされていなかった事態。
 それは、あたしたち2人に等しく衝撃を与えた。
 
 しかし、あたしとママでは立場が違う。
 あたしはつい、ソフィちゃんが無事か、爆発の規模はどれくらいか、それを案じてしまう。
 対して、邪神側の人間であるママはそんなことに関心はない。
 その一瞬の差が、決定的な差だった。
 ママが素早く懐から何かを取り出すと、それをあたしに向かって投擲する。あたしは反応できない。
 ママが飛び道具だなんて! まずいっ――!
 それがあたしの目の前にまで来た瞬間、真っ黒な光が弾けた。
「!」
 ほんの一瞬、あたしの思考がブラックアウトした。

「……はっ」
 あたしの意識が回復したとき、ママはすでにあたしから距離を取っていた。
「ロッテ! わたくしになにをしたの!?」
「何もしていないわ、ただプレゼントをくれてやっただけよ」
 ママは嘘をついていない。と、黒曜石のように黒い石の指輪があたしの美しい指に填まっているのに気づいた。それを見ると、胡散臭い気配が頭の中にえぐり込んできた。術力を持った物であることは明白だ。
 あたしはそれを左手で引っこ抜こうとしたが、案の定指に吸い付くように外れない。
「それを外せるのは、邪神様だけよ」
「!」
「さ、これでわたしの仕事は終わり。じゃあな」
 ママが指笛を吹くと、林の影から小型ドラゴンが現れた。
 ママはドラゴンの背にえいっと飛び乗って空にて舞い上がった。
「マリィ。お前をレンに招待するわ。レンまで来なさい。そうすれば邪神様がそれを外してくだされる」
 なんですって?
「じゃあな。あまり邪神様をお待たせするんじゃないぞ」
 ドラゴンが遠ざかっていく。
「ま、待ちなさい!」
 あたしは追いすがるが、舞い上がるドラゴンに追いつけるはずがない。
「ロッテ!」
 ちょっと! まさかこのまま帰るの?
 レンに招待してくれるっていうなら、あたしもドラゴンに乗っけてってちょうだいよ! あたしだけお馬でえっちらおっちら来いっていうの!?
 大聖堂の人々とかソフィちゃんを人質にして、「彼らの安全を保障してほしければ言うことを聞け」とか脅してくるんじゃないの? そういう、手っ取り早い展開を希望してたんだけど。
 ああ待ってママ! いま大聖堂に戻ってソフィちゃんにレン行きの許可もらってくるから、待ってってば!
「ロッテーーーっ!」
 ちょっと勘弁してちょうだいよ! 今からレンへ向かう旅なんか書いてたら、日輪の巫女陥落はいったい何話先になるのよ! なによこの迂遠な作戦! せっかくあたしは1日も早く邪神様に抱かれたいと思ってるのに!
 っていうか、邪神はこのへんに来てるんじゃないの? 邪神御自ら出向いてくれれば簡単に大聖堂ごと落とせるんじゃないの? なんで自分で戦わないのよ! 邪神様のアンポンタン!

 あたしの悲痛な想いを背に、ドラゴンはママを乗せて去っていった。
「……お母様……う……ぐすっ……」
 一人残され膝をつくあたしに、神殿騎士たちが慰めの言葉をかけた。

 一方そのころアールマティ大聖堂では、ソフィちゃんが拉致されていたとさ。次回に続く。

< つづく >

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