Bloody heart 二話

二話

「……熱い」
 日光の下を歩く事が、これほど鬱陶しい事とは、思わなかった。
「ちくしょう、残りの学生生活、延々とコレ繰り返せってのか」
 ジリジリと肉体を蝕む、日光の中、俺――伊藤清吾は歩き続けた。
 まあ、仕方がない。俺はつい先日、人間を辞めたのだから。
 とはいえ、人間辞めても『イトウセイゴ』を放棄する気は、さらさらない。
 と、いうわけで……俺は普段の通学路を、普段を上回るかったるさを感じながら歩いていた。
「セイ君……だいじょうぶ?」
「大丈夫なモンか。ちくしょう」
 飯塚佐奈――サナの言葉に、俺は毒づいた。
「ヴァンパイア種はダークストーカーの中でも、特に日光に弱いんだから、気をつけないと」
「空にあるモンをどー気をつけろってんだ」
「日陰を歩くとか」
「太陽が真上にあれば日陰歩きも有効だろうな」
 とはいえ、通学時間ということは、日が昇ったばかりなわけで、とうぜん日が差し込む角度も浅い。どっちにしろ、体が日に照らされるのは避けようもない。
 まあ、校舎の中はとうぜん日陰だ。要はそこまでの我慢……あっ!
「佐奈、次の席替えはいつごろだったっけか?」
「えっと……来月の三日のホームルーム」
 窓際の、とても見晴らしと『日当たりのいい』自分の席を思い出して、俺は頭を抱えた。

「たりぃ……コレあと一ヶ月近くも続けるのか」
 教室に入り、机に突っ伏しながら俺は文字通り『日に焼かれて』いた。
 ……人外になんて、なるもんじゃねぇな。
 というか、これで本格的な夏場にでもなったら……いや、今は考えんでおこ。
 やがて、扉が開かれ、教壇を靴音が鳴らす。
「起立」
 日直の号令に反応して、俺は始めて立ち上がりながら顔を上げ……
 ズッターン!
 入ってきた人物を見て、思いっきりコケた。
「あ、あ」
 ピッチリと赤のボディコンシャスなスーツに身を包んだ、背の高い女性の姿。
 昨日の今日だ。見間違いようもない。赤井美佐だ。
「どうした、伊藤。今朝から調子が悪いみてーだけど」
 後ろの席に座った遠藤が、声をかけてきた。ボーイソプラノな声そのままの童顔が、俺を覗き込む。
「あ、ああ……大丈夫だ。問題ない」
 全てを体調のせいにして、俺は教卓に上った赤井美佐を睨み……ふと、違和感を覚えた。
 教室に居る全員が、誰も驚いた様子もなく、淡々と朝のHRをこなしているのだ。
 いや、一人だけ。俺の隣の女子の列に居る佐奈も、目を丸くしていた。
 これはつまり……
「それじゃあ、これで終わり……ああ、そうそう。伊藤君と飯塚さん、ちょっとこの後、職員室に来て『先生を』手伝って。では、日直。号令をお願い」
「起立、例」
 次の瞬間、生徒たちの間から喧騒があふれ出した。
「なんて……ベタな」
「同感」
 引きつった顔のまま、俺と佐奈は短いやり取りを交わし、職員室へと向かった。

 職員資料室。
 その名の通り、職員室の中にある資料室ではあるが、ウチの学校の生徒たちにとって、そこはもう一つの意味を持つ。
 即ち……先生が生徒を説教、もしくは尋問を行うための特別室だ。
「さて……」
 椅子に腰掛けた赤井と名乗る女性を、俺と佐奈は無言で見下ろしていた。
「とりあえず、何から聞きたい?」
 赤井の言葉に、まず、三つの疑問が即座に浮かぶ。
 お前は何者だ。
 何故、俺たちを選んだ。
 何故ここで先生の真似事をしている。
「何もかも全部……と言いたい所だけど、流石にこんがらがりそうで」
 頭を抑え、俺は暫く間を置いてから切り出した。
「とりあえず、何故俺たちをダークストーカーなんて、ケッタイな代物に転生させた?」
「ふふ、まず自分の状況を把握したい、って所?」
「まあな」
 どんな状況であれ、まず自分自身の立場や状況を把握しない事には行動のしようもない。
 正直、目の前の人物がどうと言う以前に、自分の身に起こった事すら、完全に把握できちゃいないのだ。
「面白い坊やね。ふふ、いいわ」
 そう言うと、彼女は説明を始めた。
「魔界……闇の世界って聞いて、まず君たちはどんな世界を思い浮かべる?」
 突拍子も無い言葉に、俺と佐奈は、暫し顔を見合わせた。
「魑魅魍魎跋扈する、無法地帯」
「血風吹きすさぶ、修羅の世界」
 佐奈と俺が、直感的に答える。
「ある意味では、当たっているわ。でも、半分間違い。弱肉強食の魔界にだって秩序はあるわ。勿論、人間のソレとは大きくかけ離れているけど」
「……で? それが何の関係がある?」
「今、闇の世界の秩序が、大きく崩れている。
 この500年、魔の世界を統べている『覇王』と言っても過言じゃなかった男が、つい先日誰かに殺されたの。その結果、統制を失った闇の世界に、群雄割拠の時代が訪れようとしている。
 しかも間の悪い事に、人間側のハンターも動いているの。どいつもこいつも、コレを機に自分たちの勢力を伸ばそうとね」
「まさか、俺らに闇の世界の二代目覇王になれとか、言うんじゃないだろうな?」
 問い詰める俺の言葉に、赤井は艶然と肯定の微笑を浮かべた。
「くだらねぇ」
「最後まで聞きなさい。私は、人間は人間、闇の住人は闇の住人で住み分けるべきだと思っているの。互いの存在そのものが違い過ぎる以上、相互不干渉が互いの関係にとって理想だと思うわ。
 でも、この混乱で、望むと望まざるとに関わらず人間と関わる闇の住人が多くなってきている。人間、ダークストーカー問わず、戦いに巻き込まれる者も少なくないわ。中には、積極的に人間と手を組んだり、ダークストーカー狩り専門の人間の傭兵を雇う奴まで現れる始末。
 そんな状況に、ピリオドを打って欲しいの。それだけの力は、君たちに与えられたわ」
「いやムリだろ、それ?」
 即座に否定する。
 その、魔を統率していた人物が、どんな奴だったか俺は知らない。
 だが、少なくとも……その覇王とやらは500年間、一つの世界を統治し続けたらしい。それを俺みたいな若造に、継げという。
 どー考えても、無理だ。まして……
「あいにくと俺はガキだからな。他人支配するより、自分を支配するほうが忙しくてね。
 というか、人間から転生して闇の世界で王になれるなんて話を、頭から信じられるほど傲慢なつもりはないし。借り物の力でヒーローになれるとは、とても思えない」
「あ、あたしも……同感」
 俺の言葉の勢いに、半ば乗せられて佐奈も同意する。
「ふふ、懐疑的なのね。それに、そのプライドの高さ。『王』に相応しい器量よ」
 艶然と、目の前の妖女は脚を組む。
「でも、嘘はいただけないわね。
 あなたたちも気がついているはずよ。人に在らざる『力』を行使する、その時の充足感、万能感、そして……開放感。人として生きていたら、一生味わう事の無い感覚だったんじゃない?」
「そいつは……」
 言葉に詰まる。
 確かに、否定はできない。
 だが、言葉にして肯定するには、あまりにも浅ましい。
「ま、いいわ。私は『遺産』の仲介役。闇の遺志が導く『縁』に従って、遺産を手渡すだけだもの。手にした持ち主の生き方に関して、私は直接口出しできる立場じゃないしね」
「覇王になって欲しいんじゃないのか?」
「それは、君たちに渡された『牙』や『尾』の元の持ち主の希望。まあ、私の希望でもあるのだけど……あくまで『立場的には』中立よ」
「へぇ……」
 と、その時、再びチャイムが鳴った。一時限の始業の合図だ。
「じゃ『先生』。これから授業があるんで、続きは放課後にでも」
「失礼します」
 そう言って俺は早々にその場を立ち去った。

「で、あるからしてxとyはこの場合、こちらの式の答えを代入する。つまり……」
 教室に、意味不明な教師の言葉が延々と続く。
 あの後、俺は『真面目に』授業を受ける事にした。普段、決して真面目な生徒とは呼べない俺が、こんな事をしているのは、勿論、俺なりの赤井美佐への……いや、『縁』って奴への反抗だ。
 ……いや、正確には真面目に受けてるフリをしたって所だろうな。何せ授業が半分くらいワカンネェんだし。
 ふと、気がつくと何人かが不思議そうに俺を見ていた。まあ、普段寝てばっかりだしなぁ……
「それじゃまぁ、この86ページの問い1は伊藤に解いてもらうか。珍しく真面目に授業受けてるようだし」
「え? あ、はい」
 教室に失笑が漏れる。
 まあ、真面目な生徒じゃあないけどさ……俺が授業受けてるのがそんな珍しいかよ、先生? って、珍しいよな、たしかに。
 まあいい。席から立って少しでも、日差しを避けられるのなら、悪くはない。
 どれどれ。
 黒板にチョークを押し当て、考え込む事一分。
 どうにか答えらしき数字を見つけ、黒板に書き込んだ。
 ……まあ、イチバン最初の問題だから変な捻りも引っ掛けも無い、素直なもんだろうし。
「正解だ」
 案の定、赤いチョークで○が描かれる。まあ、当然といえば当然だろう。幾ら俺が人並みに馬鹿でも、出席さえしてれば答えられるような簡単な問題だった。
 そしてまた、席に戻った俺を、再び、気だるい日差しと授業が襲い掛かり、容赦なく俺の神経を逆撫でる。
 ああ、チクショウ……日照りがキツい。
 かったるい、投げだしたくなる。いっそ、この場で暴れて教室を血の海にしてやれば、授業もクソもなくなるだろう。
 だが……
「……やめた」
 力がある事と、それを行使するのは、また別の問題だ。
 俺は、今の学生生活が気に入ってるし、それを壊す気はない。
 すべては、俺が決めた事だ。
 そう思えば、授業も苦にはならない……わきゃねぇのが人生の厳しいトコである。チクショウ。
 ため息をついて、窓の外の景色を眺める。
 勿論、面白い景色なんぞ写っているワケが……
「お?」
 あった。
 校門に、金髪の女が立っているのが見えた。
 背は高くない。
 手にしたメモらしき紙切れを手に、校舎の中へと向かっていく。
(新しい英語の先生?)
 容姿を確認しようと、ジーッと眺めていたその時……
「!?」
 目が、合った。
 金髪に碧眼。怜悧さと幼さを同居させた、少女だった。
 外見年齢から推察するに、先生とは思えない。転校生だろうか?
(え、えーっと……)
 とりあえず、目礼を送って笑って軽く手を振る。
 だが、その少女は何故か挑むように、俺を睨み続けた。
 しまった。失礼なヤツかと思われたか? 南蛮人の風習なんぞ、俺、詳しく知らないし。
 と……
 リーンゴーンガーンゴーン……
 終わりのチャイムと同時に、彼女は目線を外し、校舎の中へと消えていった。

「……困った」
 人外の生活一日目にして、俺は最大の難問にぶつかっていた。
「ガーリックパンが……美味くない」
 ここの購買部で売ってる『安い、量がある、人類が食用可能な味』と三拍子が揃った、貧乏学生必須の昼食アイテム、ガーリックパンが、人外に成り果てた俺の味覚ではエラく不味いのだ。というか……
「ってか、メシが……メシがぜんぜん味気ネェ」
 なけなしの小遣いをはたいて色々試してみたのだが、味覚そのものがオカしくなっているらしく……肉系は香辛料、特にニンニク系のソレが凶悪すぎるほど不味く感じてしまう。
 というか、むしろ固形物は食べれば食べるほど、消耗してくる。
 これでは何のための食事だか……
「まさか昼飯のたびに、女襲うってのも嫌だしなあ……」
 人気の無い資料室。眼光に射すくめられ、空ろな眼差しの女子生徒が、啜られる血の代わりに送り込まれる快楽の毒に犯され、空ろなあえぎ声をあげる。快楽に目覚め、『私を奴隷にしてください』とせがむ彼女の言葉に答え、俺はより、深く、深く牙を突き立てる。
 やがて、自分の教室で我に帰った時には、すべての記憶がなくなって……
「……」
 頭を振って、妄想を追い出す。
 いや、多分そういうの、やってやれない事ぁ無いんだろぉけど……それでも、学校という閉鎖された狭い環境で、そんな所を見つかったりした日には、エラい騒ぎになるのが目に見えている。もし、目撃者を口封じのために催眠術なり何なりをかけたとしても、今度はその目撃者の目撃者が……となる可能性も否定できず。
 そんなねずみ算なリスクを犯してまで、わざわざ学校で血を啜るべきかというと……微妙である。
 さあ、困った……
「そーいえば」
 バラの花から、吸血鬼が精気を啜って枯らしているシーンを、何かの映画で見た記憶が、脳裏をよぎった。
「確か専門科目棟の裏手の花壇に……」
 思い立ったが吉日で足を運び、花壇のバラの花を手に取る。と、
「あ……」
 摘んだ指先から伝わる、微かな甘い感触。ガキの頃、つつじの花を摘んで蜜を吸った事があるが、感覚的にはそれに近い感じだろうか。
 それと共に、くたり、と引き抜いた薔薇が萎れ、やがてボロボロと風化した。
 悪くない……どころか、結構美味しい。
 だが、量が少なすぎた。とはいえ、全滅させるわけにも……とはいえ、お腹が空いているのも、また事実。
 結局、背に腹はかえられぬとばかりに、もうちょっと、もうちょっと……などとツマミ食いをしているうちに、薔薇に埋め尽くされた花壇は見事に全滅。黒々とした土が残るのみとなってしまった。
 それでも、実は満腹とは程遠かったりするのだが、それはともかく……
「……」
 自分のやらかした人外の所業に愕然となり、それから、どうしたものかと途方に暮れた挙句……結局、俺は周囲の目が無いのをいいことに、戦略的撤退を決定した。
 ごめんなさい、用務員さん。今度からちゃんと花屋で買って食べます。

 そんな昼休みが終わり、教室に戻る途中、俺はふと疑問を感じた。
 佐奈の奴は、いったい『食事』をどうしているのだろう?
 だが、脳裏をよぎったその疑念の答えは、すぐに出た。
「ん……うぁ……はぁ……飯塚……さん」
 保健室から、微妙に押し殺した、聞き覚えのある変声期前のあえぎ声が、薄い壁を隔てて俺の耳に飛び込んできた。
「……まさか……」
 嫌な予感がして、俺は保健室の扉に手をかける。取っ手から静電気がパチッと火花を散らし、一瞬、手を引っ込めたが……すぐに気を取り直して、扉を開けた。
「んんっ、イイ…気持ちいいです……飯塚さん」
 案の定、佐奈の奴が、連れ込んだ男子生徒の精気を、肉竿ごと文字通り『くわえ込んで吸い取ってる』最中だった。声に相応しい童顔は、俺の席の後ろに居た遠藤だ。
「ふふ……まだよ、まだ出しちゃだめ。もっと良くして……あれ? え!? セイ君?」
 何故、と言った表情で佐奈が俺に顔を向けた瞬間。
「ああ、出る、出ちゃうっ!!」
 びくっ、びゅる……びゅくっ!
「きゃっ!」
 体格や声音とは裏腹に、大きく反り返った遠藤の肉竿から吹き出た大量の精液が、佐奈の顔を白く犯した。
「うう……」
 文字通り『精も根も』尽き果てたのだろう。そのままパッタリと遠藤は、腰掛けていたベッドに倒れ込んだ。
「どうしてセイ君が? 結界張ってあったのに……え、うそっ?」
「おい、どうでもいいが、後始末」
「あっ!」
 慌てて、ベッドに対し真横に倒れていた遠藤の奴を縦に寝かせ、さらに佐奈の衣服や眼鏡についた遠藤の精液を拭い落とす。
「保険の先生は?」
「ん、眠らせてあるけど……っていうか、かなり強い人払いの結界を張ってあったのに、どうしてセイ君が」
 微妙に泣きそうな表情を浮かべる佐奈。
「そんな事してたのか?」
「そうよぉ!」
 そう言うと、佐奈は微妙に目線をそらした。
「……セイ君には……のに」
「はい?」
「なんでもないわよ! 誰か来ないか、見張ってて! っていうか、人払いの結界張って」
「どうやって? ……ってぇか、そんな事しなくても、普通に入り口の鍵下ろせばいいじゃねぇか」
 そう言うと、保健室を密室にする。
 なんとか後始末を済ませた時、既にチャイムが鳴ってから一〇分が経過していた。
「ふぅ……」
 一息ついた、といった表情で、佐奈は眼鏡を外すと再び、遠藤に顔を寄せる。
 その瞳に満ちた魔力の輝きに魅入られた遠藤から、表情が抜け落ち、空ろになる。
「遠藤君、今、私と君がこの部屋でシタ事は、すべて忘れる。貴方は立ちくらみを起こして、ここに運ばれたの」
「はい……飯塚さんと……この部屋でシタ事は……忘れます……僕は……立ちくらみを起こして……ここに……運ばれました」
「いい子ね。眠りなさい」
 そういうと、本当に糸の切れた人形のように、遠藤は規則正しい寝息を立て始めた。
「……おっかねぇ」
 その様子を見てボヤいたら、佐奈にキッ、と睨まれた。
「昼、歩くのって消耗が激しいの、分かるでしょう。っていうか、あんた『お昼ごはん』は?」
「専門科目棟の裏手の薔薇の花壇、全部食っちまった」
「また派手な事を……後で騒ぎになっても、知らないわよ」
「保健室でチ●ポくわえ込んでたお前が言うかぁ」
「っ……うっさい!!」
 そう言うと、真っ赤な顔を隠すように佐奈は走り去った。

 終業のチャイムが鳴る。
「起立、礼」
 雑然と、しかし開放感を伴って、みんなが教室を後にする。
 茜色の光が差し込む、昼と夜の境目を『逢魔が時』と呼ぶらしい。
 学業という儀礼的束縛から解放され、人と魔が交錯する時間。
 その時刻に相応しい手合いに、これから俺と佐奈は会いに行く事になる。
「行こうか」
「ああ」
 昼間の気まずさから、極めて短いやり取りを交わし、連れ立って歩く。
 と……佐奈を連れて廊下を歩いていると、目の前の少女に目が留まった。
 金髪に碧眼。明らかに日本人離れした容姿は、日本の学校じゃ嫌でも目立つ。先ほどの少女に間違いなかった。
「お……」
 目が合ったため、再び軽く目礼で挨拶をするが、目の前の少女は、キッ、と俺と佐奈を睨む事でそれに答えてきた。
「……?」
 だが、それも一瞬のことだ。
 目を伏せて、答礼を返して来ると、少女は俺たちとすれ違った。
「セイ君、知り合い?」
「いや、さっき、学校の門から入ってきた時に目があっただけ」
「ふーん……」
 微妙に冷たい声。
「なんだ、妬いたか?」
「ち、違うわよ……」
 そのまま、目をそらす佐奈。
 雑踏と足音をBGMにした沈黙が落ちる。だが、やがて……
「……ねえ、怒ってる?」
 意を決したように、佐奈が言葉を搾り出した。
「なにを?」
「その……昼の」
「ああ、それか」
 正直……昼間の薔薇の一件も含めて、自分が吸血鬼になったという認識が、想像以上に『イトウセイゴ』を打ちのめしていた。
 薔薇から精気を啜る方法には、限界がある。
 空腹を満たすには、それなりの量が必要な事もさる事ながら、薔薇から啜った精気だけでは、決して満腹になる事は無いというのも、直感していた。
 それに続いて、さっきの佐奈の『食事風景』だ。嫌でも自分の未来像を暗示させられる。
「まあ、お前にとっては『食事』だしな……俺が今更、どうこう言えた義理じゃねぇよ」
「そう……」
 再び、目をそらす佐奈。
 だが、その姿は……
「後悔、してんのか」
「……ちょっと」
「そうか……」
 俺を闇に引き入れた女とは思えない、とても弱弱しい呟き。
 ダークストーカー。
『人にして人を糧とする、人に在らざる存在(もの)』
 夜を渡り、闇に蠢き、血を啜り、快楽を貪る。
 人を糧として。
 さながら……
「寄生虫じゃねぇか……ドコが『覇王』だってんだ」
 苦い皮肉が、俺の口から漏れた。
 
 職員資料室の扉を開ける。
「待ってたわよ。それじゃあ、続きを始めましょうか」
 出迎えたのは、この世で最も信用ならない女。
「えっと、何処まで話したっけ?」
「まず、お前が何者か。答えろ」
 睨み付ける俺に、彼女は余裕の微笑を浮かべる。
「私は、見ての通り『今は』人間よ。『ただの』って言うには、ちょっと語弊があるかな。そうね……『覇王の遺産管理人』とでも名乗ろうかしら」
「『覇王の遺産』……か。俺や佐奈を転生させたようなアイテムが、他にもあるってことか?」
「察しが良いわね。頭の回転が速い子って、好きよ」
 余裕の微笑みを浮かべながら、赤井の舌は回り続ける。
「『覇王』と呼ばれる男が殺されて、闇の世界の秩序が崩壊したのは、今朝も話したわよね? 死ぬ寸前、彼はこの世界が混乱するのを恐れて、自分のすべての力を二本の牙に込めて、私に渡したの。その時、側近の何人かも同じような事をして、私に力を預けた」
「それが、あの『牙』……って事か?」
 無言でうなずく赤井。
「私の遺産の中でも、最高の力。さしずめ、次の覇王の卵、ってところかしら?」
「で、お前は何者なんだ?」
 はぐらかそうとする赤井を牽制する意味を込めて、ストレートに俺は切り出した。
「私は……覇王の元側室の一人。
 そして、覇王の遺言は『遺産を、然るべき相手に渡せ。『縁』を見極め、継ぐべき者に力を与えよ』。
 私は、その遺言を果たすのが役目。どう、これで満足?」
「……チッ」
 舌打ちする。
「なんで俺や佐奈なんだよ……って言っても、はじまらねぇよな。で、お前は俺や佐奈に、どうしろって?」
「そうね、とりあえず……何もしなくて良いわ」
 意外な言葉に、俺は耳を疑った。
「ほお、俺はテッキリ、この世界を支配する手始めに学校を奴隷ハウスにするか、血の海に変えろ、とか言い出すかと思った」
「間違えないで欲しいのは、遺産はあくまで『力』に過ぎないの。私は『縁』を見極めて貴方に渡しただけ。その力をどう用いるかは、貴方たち次第よ。ただ……」
 釘を刺すように、赤井は言葉を続ける。
「闇の世界は、不断の闘争で成り立っている。そしてこの世界に関わった以上、貴方たちは常に戦いの場に身をおく事になる。既に、人間のハンターや退魔機関が動いているわ。こういう情報ネットワークや行動の速さは人間たちの強みね」
「おい、ちょっとまて。どうして人間が」
「争いに魔も人も関係ないわ。生まれて死んで、殺して生きて。昼の世界も夜の世界も変わらない理(ことわり)」
「要するにアレか……厄介ごとは俺や佐奈がダークストーカーとして生きてる限り、向こうから勝手に飛び込んでくる、って事か?」
 艶然と、肯定の微笑を浮かべる赤井。
「人に戻りたければ、戻る事もできるけど? もっとも……抵抗出来ないまま、なぶり殺しにされるだけで済めば、御の字でしょうけど」
 非情というのも、生ぬるい宣告。
 どうやら既に、俺も佐奈も抜き差しならない状況に、追い込まれてしまっているようだ。
「『覇王の力』と縁を持つ男。食らってその『縁』を自らに取り入れたいと望む者は……まあ、宇宙の星の数を数え終わるほうが早いんじゃないかしら?」
「……くだらねぇ」
 そう言って吐き棄てはしたが、力の無い人間が力を求めるのを嘲笑う資格は、俺には無い。何故なら……俺は、まだガキだからだ。無力で貧弱な……なんの力も無い、ただのガキ。それが、どうして『力』の存在を笑うことが出来よう。
 と、
「先生、赤井先生、いらっしゃいますか?」
「あ、はい。どうぞ、空いてるわよ」
 資料室の扉が開かれ……ると同時に、放り込まれた物体が大音響を発して燃え上がった。

「ぐお……おっ!!」
 燃えるような激痛が、背中に走る。
 放り込まれた物体……手榴弾を認識した瞬間、俺は反射的に佐奈と赤井美佐を庇う形で床に押し倒していた。
 だが、それに追い討ちをかけるように……
 タタタタタッ!!
「お、がぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」
 乾いた、それでいて鋭い、連続した雷音のような音と共に、背中に激痛が走る。エアガンには無い火薬の音と、比にならない空裂音。明らかに、実銃の銃声だった。
「ぐ、ああ……!」
 言葉にならない音が、口から漏れる。
「セ、セイ君!?」
 ようやっと、事態を掴んだのか、佐奈が動揺する。
「に……」
 逃げろ。
 そんな、たったのワンセンテンスすら、俺の口は紡ぎだす事が出来なかった。
「FREEZ!」
 黒ずくめの特殊部隊スタイル……目出し帽に似たヘッドマスクやら防弾ベストやらで、ガッチガチに武装した男たちが、自動小銃だの拳銃だのを持って、乱入してきたのだ。
「セイ君! セイ君! しっかりして! セイ君!!」
「っ……」
 息が出来ない。
 呼吸もままならない。
 身体も動かせない。
 ただ、俺は佐奈の鳴き声を聴くしか出来なかった。
「……Good Lock」
 男の一人が、佐奈に拳銃を向ける。
 引き金が絞られ、撃鉄が落ちるのが見え……そこらへんから、俺の周囲が限りなくスローモーションに変化した。
 銃口からゆっくりと炎が吹き出て、焼けた色の礫がゆっくりと、佐奈の頭部めがけて突き進む。そして、眼鏡越しに佐奈の涙に濡れた瞳が、キッ、とその礫を……否、その礫越しに、男を睨む。
 唐突に、黒い、蝙蝠の翼が一対、佐奈の背中から飛び出し、礫を防ぐと同時に、男の腕を切り落とした。
 後はもーメッチャクチャである。
 狂ったように振り回される一対の蝙蝠の羽が、無差別シュレッダーと化して室内を乱舞し、俺と佐奈の周囲以外を、人モノの区別なく徹底的に切り刻んでいく。
 特殊部隊たちの持っていた自動小銃が真っ二つになり、人間の首から上が不均等に切断され、吹き飛んだ腕が壁のガラスを割り、書類棚が切り削られて前後に倒れ、ガラス窓のサッシが吹き飛ぶ。
「うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 涙を流しながらも、佐奈の目は煌々と赤く光り、さらにねじくれた角が頭の脇から生えていた。
 まさに、狂乱の悪魔(ディアボロス)に相応しい、暴れまわり方だ。そして、敵が一掃された後も、それは収まる気配を見せない。
「佐奈……」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「佐奈、しっかりしろっ!!」
 激痛から開放された俺は、佐奈を抱きしめる。
「ああああああああぁぁぁぁぁ……あ……セイ……君?」
 ようやっと、正気に戻ったのだろうか……佐奈の翼が、ぴたっ、とその動きを止める。
「大丈夫、死んでないって。っ……痛たたたたた」
 背中をはたくと、ポロポロと燃えた学生服だの何だのと一緒に弾丸がバラバラと落ちた。
「痛ってぇ~っ! 効いったぁ……」
 首筋や後頭部から、ひざの裏やふくらはぎまで、身体の後ろ側全てが、ほぼまんべんなくヒリヒリする。が、手榴弾カマされて、銃弾連打されたワリには無事っぽい。
「うー……あ、そだ! 赤井美佐!」
「あ!!」
 咄嗟に押し倒して手榴弾からは庇ったものの、その後の銃弾の嵐や佐奈のギロチン乱舞に巻き込まれていない……などという保障は、何処にもない。
「え、えーと……赤井……さん?」
「おーい、生きているよなー? 返事しろー」
 メッチャクチャになった室内で、俺と佐奈は頼りなげに声をかける。が……
「……返事がない、ただの屍になっちまったよーだ」
「そこ、勝手に殺さないで」
 俺の軽いボケにツッコミながら、赤井美佐は……するり、と『何も無い』所から姿を現す。
「うっわ!」
「びっくりする事無いわよ。力を失って人になった私だって、この程度は出来るわ。に、しても……」
 血まみれ書類まみれになった資料室を見回して、赤井美佐は呟く。
「また、派手にやったわね……佐奈さん」
 言葉をかけられ、ビクッと佐奈は改めて周囲を見回し……
「……どうしましょう」
「どうにかするしかないんじゃない?」
「どうやって!?」
「なんとかして」
「……とりあえず、三人で片付けようぜ」
 二人のボケた会話を遮ると、俺は落ちた書類を手に取り……その書類までもがベッタリと血まみれな事に気がついた。
「……ごめん、これ、どうする?」
『どうにかするしかないんじゃない?』
 二人の返事は、とてもそっけないモノだった。

「……………なあ」
 赤井美佐を睨みながら、俺は一言呟いた。
「結局、コレしか無かったのか?」
 轟音と共に燃え上がる職員資料室を見ながら、俺はつぶやいた。
「しょうがないじゃない。空間修理をかけるにしても、佐奈さんがメチャクチャに切り刻んだせいで、一ヶ月はかかるし」
「あぅ……」
 佐奈がうめく。
「まあ、表向き、不法侵入者たちが起こしたガス爆発って事でカタがつくでしょうけど……タイヘンね、これからあなたたち」
「え?」
「こんな原因不明のヘンな火事、一般警察だって調べるでしょうから……当然、人間のハンターたちに派手な情報が行く事になるし」
「おい、ちょっとまて、つまり……」
 焦る俺を横目で見ながら、炎の照り返しを受けて赤井美佐が微笑む。
「宣戦布告の狼煙代わりにしては上出来なんじゃない? 少しシケてるけど」
『………………』
 俺と佐奈はその言葉の意味に絶句して、立ち尽くした。

< 続く >

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