Bloody heart 七.一話

七.一話

「っ!!」
 四点式の本格的なシートベルトのついた車に、生まれて初めて乗せられた俺は、発進直後にその装置の意味を知った。
 真っ赤なスポーツカー……特徴的なフォルムとエンジン音からマツダのRX-7だとはすぐに分ったが、どうやらエンジン回りや足回りその他が相当に弄られているらしく、恐ろしいほどに急激な加速Gが、発進直後に俺の体をシートに押しつけてきた。
「車体は古い7だけど、エンジンは新型の8のを乗せてるのよ」
 とは鈴鹿姉の弁である。
 それはさておき……
「なあ、鈴鹿さん、その……なんだ、安全運転って言葉は知ってるよな?」
「大丈夫。人、轢かなきゃいいんでしょ♪」
 ものすごい勢いで狭い裏道をかっ飛ばし、渋滞を回避しながら車を飛ばす鈴鹿。……っていうか、カーナビついてるけど、渋滞とかは参考情報程度にしか聞いてない。完全に地理と時間帯の状況を把握した運転である。
「な、ならいいけど……そういえば、ちゃんと免許持ってるよな?」
「うん、免許皆伝だよ♪ 空手の」
「……………」
 もはや、突っ込みたくても突っ込めない俺を察したのか、鈴鹿姉はけたけたと笑いながら、ダッシュボードから免許証と一緒に、何かパスポートのようなモノを取り出した。
「冗談よ。はい、国際免許」
「マジか?」
 表紙をめくってみる。マジだった。
「いちおー、DとE取ってるから、海外でバスの運転手や重機の運転もできるわよー♪」
「……いつ教習所に通ってたんだよ?」
 なんというか、自動車教習所に通って教官にシゴかれる鈴鹿の姿を、想像できない俺がいる。
 というか、まさか……
「そんな面倒で手間暇かかる事しないって。全部イッパツ試験よ♪ あ、大型特殊も持ってるから、一応、公道で戦車の運転もできるわよー♪ どう、信用してくれた?」
 どうやら、俺の想像は正しかったようだ。まったくもってトンデモナイ女である。
「そーうーねー……気分がいいから、ちょっと正丸あたりの峠攻めてからホテル行こっか?」
「と、峠!? あ、あの、鈴鹿さん? ちょっと何か不吉なお言葉が聞こえたのですが!?」
「日本の峠は久方ぶりなのよねー、うふふふふふふふ♪」
 イニD真っ青のシフトワークとハンドルさばきでRX-7改を乗り回す様は、まさに公道の鈴鹿御前。
 バケットシートと四点式シートベルトで拘束された同乗者の、哀れな叫びなんざ意に介するわけもなく、赤い車体は法定速度どころか物理法則も怪しい勢いで、秩父の山奥へとぶっ飛ばしていった。

「げぇぇぇぇぇ……」
 リアルイニDの世界に、突発的に放り込まれた俺は、夕暮れ時の峠道にある、閉店した茶屋の駐車場で、盛大に胃の中身を吐き出していた。
「おーい、大丈夫ー?」
「……なんつーか、以前一緒に行った、遊園地でのコーヒーカップの騒ぎを思い出したよ」 
 基本的に、遊園地の乗り物はジェットコースターもお化け屋敷も平気な俺だが、唯一苦手な乗り物が実はコーヒーカップだったりする……のは、完全にこの女のせいだ。
 結論。
 鈴鹿がハンドル握った乗り物に乗ってはいけない。
「あははは、あの時は傑作だったわよねー♪」
「……………」
 思い出したくもない悪夢に触れられ、憮然とする俺に、鈴鹿はペットボトルの水を差しだしてきた。
「はい。とりあえず、口、すすいで」
「……まったく」
 ガラガラとうがいをして、口の中をさっぱりさせる。と……
「清吾」
「?」
 ぐいっ、と首を押えられ……
「!!??」
 強引にキスをされた俺は、さすがに混乱していた。
「な、なんだよ、鈴鹿、いきなり……おかしいぞ、お前」
 今日に限って、いきなりラブホテルだとか言い出すし……まあ、毎度毎度、色々突拍子もない行動をとりまくってるから、何が変とは言えないが。
「んー? いい男になったよなー、ってさ」
「何だよ? 今日になって急に……ほとんど毎日合ってるだろーに、変通り越してブキミだぞ?」
「あー? まあ……ほら、普段振り回してばかりだったしさ。たまには御褒美あげないと、って思って……」
「俺は犬か!?」
「んふふふふ、それも悪くないわねー♪」
 それに、何か違和感を感じるのだ。そう……なんというか……
「なあ、鈴鹿。ひとつ聞きたいんだけどさ。その……身長、縮んだ?」
 生来の圧倒的な存在感に霞んでいたのだが、冷静に考えると、どうも鈴鹿の身長が縮んだように思えてならないのである。
「んー? まあ……あんたが伸び盛りだからじゃないの?」
「……そう、か? 痛っ……つ!」
 頭が痛む。側頭部の外側から芯に響く痛み……さっきから何なのだろうか、これは。
「無理しなくていいよ、清吾」
「どの面下げて、無茶な運転につき合わせといて言うかな」
「チッチッチ、無茶と無理は違うわよ。
 茶が無くてもお菓子は食えるけど、枝から離れたリンゴが空に落ちる事はあり得ない」
「つまり、自分で文字通りの『滅茶苦茶』だって認めてるわけだな。苦くて不味くて飲めたもんじゃない、と」
 ジト目で睨む俺に、彼女は戸惑うように微笑みながら、言葉を続ける。
「うん、でもさ……そんな滅茶苦茶な私を、あなたはいつも、飲んでくれるよね?」
「……ん、まあ……な」
 最初は……ただの『憧れ』だった。強くて、かっこよくて、破天荒ではあっても筋は通す、凄い奴。
 その思いはいつしか、俺の初恋となり、そして『目標』になった。
 彼女を守れるほどに、強く在りたいと。振り向いてはもらえずとも、せめて背中を預けあえる仲になりたいと。
「なあ、清吾……」
「?」
 と、鈴鹿にしては改まった物言いで切り出され、俺は戸惑った。
「あのさ、今、私、仕事が決まってさ。海外のいろんな所をまわる仕事なんだ。だからさ……その、私に、ついてきてほしい。私の無茶を飲める相棒が、必要なんだ」
 その言葉に……俺は不覚にも涙がこぼれた。
 憧れに認めてもらえて、喜ばない奴など、居ないわけがない。
 だが……
「……ありがとう。鈴鹿。俺も……俺も、お前について行きたい」
「清吾」
 穏やかな、しかし喜色に満ちた鈴鹿の笑顔に……だが、これから告げなきゃいけない言葉を思い、胸が痛んだ。
「でも、駄目だ。それは、出来ない」
「……え?」
 予想もしていなかったのだろう。
 俺の言葉に、完全に硬直する鈴鹿。
「鈴鹿も裕の奴も忘れてるかもしれないけど……俺さ、一応、伊藤の本家の一人っ子で、跡取り息子なんだよ。
 確かに今の段階では社会勉強って事で、好き勝手奔放にやらせてもらってるけどさ……それでも、俺個人の身は俺一人が勝手に出来る事じゃない。伊藤の家を継ぐって事は、うちの会社だけじゃなくて下請けや取引先その他含めれば、その当主の背中に万単位の人間の生活が、かかってくる事になるわけで、さ。
 そりゃ、確かに『家を継ぐのやーめた』とか『そんなの関係ねー!』って放り出すのは簡単だよ。
 ただ、分家のバカ連中は、伊藤の家が背負ってる人たちの未来なんてまったく見ちゃいない。俺みたいなチューボーから見たって、目先の金と猿並みのメンツで行動していやがる。
 そんな連中に伊藤の家を任せるわけにも行かないし……まして俺個人の自由と幸せのために、万単位の人間が生活狂わされてノホホンと暮らすなんて、さ……やっぱり耐えられないよ、俺」
「清吾……」
「本音を言うとさ……俺は鈴鹿に嫁に来てほしかった。鈴鹿を守れる男になりたかった。
 でも、鈴鹿が決めた道なら、それは仕方ない。
 お前は、俺が忠告して言った通りに行動してくれるなんて一度もないし、所詮はそんなの俺の希望であって……進むべき道と、理想が違っちまったのなら……分かれるしか……ないだろう」
 ……ちょっと……鼻の奥が痛くなる。
「ごめん……鈴鹿、愛してるのはマジだ。でも……一緒に居てやれない。
 俺は……伊藤清吾は、遠藤鈴鹿みたいな悪者退治で終わる一話完結のヒーローになる事は、許されないんだ……」
 結局のところ……俺は、間に合わなかったのだ。
 伊藤の家を継ぎ、遠藤鈴鹿を迎えるにふさわしい男になる、という目標を達する事に、俺は失敗したのだ。
 ……まあ、元々無茶な目標だったのは事実であり、それでも俺なりに生き急いでみたつもりでは居たのだが……やはり、寄り道が過ぎたのもまた、事実なようで。
「……な、なーんて……ほ、ほら……冗談、冗談だよ。本当は就職決まって無くてさ……」
 冗談めかして明るい声でつく、痛いほどの嘘に、俺は首を横に振った。
「行かなきゃだめだよ、鈴鹿。
 っつーか、俺、心配してたんだぞ? 今までみたいにバカ続けるだけの人生送るんじゃないかって……」
 と……
「っ!!?」
 強烈なハイビームが、夕闇に落ちた人気のない峠道を照らし出す。
 黒い、ゴツい、スモークガラス、と三拍子揃った、どう見ても『頭にヤの字がつく自由業』御用達の車だったが、何かにぶつかったかのように、側面がベッコリとひん曲がっていた。
 さらに、そんな感じの車が一台、また一台と、人気のない峠にやってくる。その半数近くが、同じように何らかの形でひん曲がっていた。
「……知り合い、鈴鹿さん?」
「知り合いも何も……さっき高速で追い越し車線も占領して『大名行列』作ってたから、ガンガン煽って何台かトンでもらったじゃない」
「……………」
 恐怖と加速Gで頭下げて目をつぶってた俺には分らなかったが、たぶん一瞬の事だったに違いない。
「あ、あ、あの、鈴鹿さん? 取り合えず落ち着いて……」
「んっふっふっふっふー♪ 安心して、ちゃーんと『用意』はしてあるのよ~♪」
 そう言って、車の中に入っていく鈴鹿さん。
 ……ああ、ダメだ……鈴鹿がこーなったら、もー止まらない。
「おいガキ。この車、お前のか?」
 代表で出てきた、強面フェイスのジャパニーズ・マフィアの一人に襟首つかまれながら、俺は冷静に説明する。
「どっちかっつーと、この車の持ち主に拉致された哀れな被害者です。運転手は中にいるからノックしてみたらどーですか」
「……おい、出てこんかい!」
 と……ドアに向かって蹴りをくれるヤクザ屋さんに答えるよーに、RX-7の運転席のドアが開き……
「な、『何だ』? てめぇは?」
 ヤクザ屋さんの質問が、『誰だ』ではなく『何だ』なのには、理由があった。
 車から出てきたのは、180近いスレンダーな長身に、何故か魔法少女っぽいヒラヒラフリルのついた衣装……までは許すとしても、顔の部分は夜店で売っているよーなプラスチックのお面で隠されていたのだ。
「あたし? あたし、お空の上の魔法の国からやってきた、ステロタイプな魔法少女♪ 今日はスポーツカーに乗って日本の『お掃除』に来たの♪」
 額のカチューシャに第三の目を開かせた、狂気の肉体言語魔法少女『腐贄(仮名)』……の、お面をつけた『人物』(あえて『誰』とは言わない!)が、高らかに宣言した。
「……」
 一瞬、顔を見合わせるヤクザ屋さんたち。だが、そこは暴力のプロである。
 脅すとか、金をふんだくるだとか、そういった計算外の相手だと理解した瞬間、容赦なく『処分』するという判断に出た。
 そう、その判断『は』正しかった。……問題は、誰を敵に回したか、理解してなかっただけで。
 それなりの早業で拳銃を抜いたヤクザ屋さんの右手から『ゴキャリ』という不吉な異音が響き……次の瞬間には、魔法のように奪い取られた拳銃(もちろんトカレフ)が、腐贄女の右手にあった。
「リリカル~トカレフ~……シュート♪」
 バンッ!
 発砲音が夜の峠道に響く。と、同時に……
 ドォォォォン!!!
 正確に燃料タンクの給油口を打ち抜かれたヤクザ車が一台、派手な炎を上げて爆発、炎上。
 夕暮れを超えて夜の闇に落ちた峠道を、明々と照らし出した。
「ご、お、おおおお……」
 一方、腐贄女に手首を折られた哀れなヤクザ屋さんは、もっと哀れな目に遭う事になった。
「さあ、大掃除と行くわよぉ……プリンセス~ローリング・クレイドル~♪」
 ローリング・クレイドル……「回転揺り椅子固め」や「回転股裂き固め」ともいわれるプロレス技。某格闘ゲームの傭兵チームのグラサンが使う事で有名だが、現実のプロレスでは、あまり目にする機会の無い少々マニアックな技である(女子プロでは結構あるそーだが、そのへん俺は知らない)。
 そんな魔法少女の関節技に、瞬間的にヤクザが『巻き込まれた』。
 ……いや、正確には関節技を極められたのだが、その技をかけるまでに至る工程の速度や正確さや力強さは、どっちかというと『人間相手に関節技を極めた』というより『工作機械に巻き込まれた』と表現したくなる現象だったのだ。
 ガッチリと相手をホールド。そして、次の瞬間……
「AAAAAAAAALaLaLaLaLaLaLaie!!!!!」
 技を極めた相手と、一体の輪になって倒れ込むと同時に、バイクの如く急加速する『腐贄女』。
 その、王気溢れ過ぎてパンツみえてる『肉車輪』が、まさに対軍関節技(サブミッション)と呼ぶに相応しい回転速度でもって、峠の茶屋の駐車場に止めたヤクザ屋さんたちを、人モノ問わず肉体言語で轢殺して行く。
「ぎゃあああああ!」
「ひいいいいい!!!」
 一対一という関節技の前提を覆す、その破壊力と速度は、正に王者の関節技……としか言いようがない(こんなデタラメなモン、他にどー表現しろと!?)。
「撃て、撃てぇぇぇぇ!!」
 パニック状態で発砲するヤクザ屋さんたちだが、そもそも狙って当てられる速度ではないうえに、偶然当たってとしても、荒ぶる肉車輪の回転の勢いが凄過ぎて、拳銃弾をアッサリと弾いてしまう。
「だ、ダメだ、兄貴、れ、連絡、じ、事務所に……」
「バカ、なんて連絡すんだ!」
 ……そりゃそーだ。
 『王気溢れる魔法少女のパンチラ肉車輪に轢殺されかかってます。応援部隊をよこしてください』なんて、報告者の意味と正気と頭の構造を疑われるのがオチである。
 鈴……もとい『腐贄女』の狙いの半分は、そこにあった(残り半分はもちろん趣味だ)。
「うわああああああああああああああ!!!!」
 ついに士気が崩壊したヤクザ屋さんたちは、生き残った車に分乗して全速力で逃げ始めた。
 で、そんな車の何台かを追いかける、パンツみえてる肉車輪……と、それをボーゼンと見送る俺。確かこの峠道、元、走り屋のメッカで、それを規制するために段差やポールをあちこちに設置してたよーな気が……
 そんな予感が的中するよーに、次々とクラッシュ音やら赤い炎やらが、夜の峠道から聞こえてくる。
「かわいそーに……」
 車煽られてトンだ程度で済ませてればよかったものを……悪党限定歩く死亡フラグに喧嘩売っちまった事に一抹の同情『だけ』はしてやりながらも、止める気はサラッサラ無かったりする俺が、絶叫と爆音のする方向を眺めていると、そっちの方の道から、何やら人影がコッチに……。
「……がんじーざいぼーさつどーいっさい…………」
「うわぁ……」
 やってきたのは……追跡してきた集団のボスと思しき風貌の男が、ガードレールの上を拝み手で般若心経唱えながら歩く『腐贄女』に、もう一方の空いた手で手首の関節極め上げられて引き回されてる姿だった。
 っていうか……拝み渡りか……あれ? なんっつーマニアックな技を。
 極めた手はそのままに、ガードレールからジャンプして飛び降りつつ手刀をぶち込む『腐贄女』。
 そして……
「打撃系なんて屁の突っ張りは要らんデスヨ! プリンセス~バスタァァァァァァ!!!」
 意味不明な台詞と共に、悶絶したまま身動きとれないヤクザの体を逆さまに担ぎ上げると、某星の王子様の必殺技(フェイバリット・ホールド)で高らかにガードレールを飛び越えて宙を舞い……
 ドッズゥゥゥゥゥン!!!
 何かこう……隕石か何かが墜落したよーな轟音が崖下から響くと同時に、夜の峠道に静寂が戻った。……なるほど、確かにアレも関節技には違いない。
 そして、ひょっこりと崖の下からよじ登って戻ってくると、車に乗り込んでゴソゴソと衣装を着替え……
「お待たせー♪」
 ドアを開けて、ひょっこりと顔をのぞかせる鈴鹿さん。
「……………お帰りなさい」
 荒ぶり猛る王者の関節技を連発したデタラメぶりなんぞ微塵も感じさせないあたりが、かっこよすぎです。
 ……いや、もういつもの事だし、慣れたけどさ……
「さ、ひと暴れしてスッキリしたところで、ホテル行こうか」
「え? だ、だって……」
 別離の決定した未来を宣言しあった仲。
 それでも……
「今、このデートが終わるまでは、遠藤鈴鹿は、伊藤清吾の恋人だろ?」
「……い、いや、だけど……」
「清吾♪」
 害虫退治を終えてスッキリした笑顔のまま、わしっ、と俺の顔を両手で掴むと……
「今、別れて警察の留置所で事情説明のため一晩明かすのと、私とラブホテルに付き合って一晩明かすの……どっちがいい?」
「……ツツシンデ、オトモサセテ、モライマス」
「ん、よろしい♪」
 不条理と理不尽を愛と共に噛みしめながら、助手席に座り、シートベルトを締める。
 日の落ちた峠道を赤々と照らし出すほどにヤクザ車が炎上してる反対側のルートを、鈴鹿のRX-7改が加速していった。

「……あ」
 ふと。
 重要な物を失念している事に俺が気がついたのは、山奥に一件だけある、ラブホテルの前だった。
「ご、ごめん、鈴鹿! ……その……忘れてた」
「何を?」
「……あー、いや……その……」
 『この一言』を口にすることで、あらゆるモノがぶち壊しになるであろう。そういった予感をヒシヒシと感じながら、それでも言わないワケにはいかない、きわめて重要な事項。
 すなわち……
「その……なんだ……ご……ゴムを……こ、コンドーム……家に忘れてきちゃった……」
「……あ」
 気まずい沈黙。
 コンドームという卒論落とした学生に待ってる非情な現実。……ああ、さよなら、俺の童貞大学卒業証書。
「んー、ホテルに備え付けで大抵あるから、大丈夫じゃない?」
「い、いや、それ……多分サイズ合わないから役に立たない」
 その……俺のナニは、同年代どころか、日本男子の平均値よりもかなり大きいらしく、以前、道場の先輩から『デート用に』と貰ったコンドームを試してみたところ、形が合わない上にメチャクチャ締めつけられて痛くて、とても着けていられなかったのだ。(ついでに、『コレ小さくて役に立たない』と正直に答えて余りを返したら、何故か殴られた)。その後、サイズの会うコンドームを探して8箱くらい買い漁る羽目になって小遣い一か月分トンでしまい、その月のオカズに困ってしまうという本末転倒な結果になってしまった……のは余談である。
 ……いや……そりゃあ……小さいよりは大きいほうがいいのかもしれないけど、余計なコストを相当かけた挙句、処分に困るアイテムを蓄積させる羽目になってしまったわけで。
「コンビニどころか、ちょっと大きい薬局だって、扱ってるかどうか微妙なヤツだから……って言うか、そんなアイテム、俺みたいな中坊が気軽に持ち歩いてるワケ無いし、いきなり連れまわしたのは、そもそも鈴鹿なんだし……し、しょうがないよな、うん。ゴム無しはダメだよ、うん」
「んー、そっかそっかー……それってコレ?」
 ポイッ、と無造作に投げて寄こしたソレは……
「!!……な、な、な、何で……!!??」
 ピッタリサイズの銘柄のコンドームを手渡されて、半分パニックになる俺に、鈴鹿はにっこりと笑う。
「決まってるじゃない。私は『魔法使い』なんだから、アブラカタブラ~って魔法でちょちょい、っとね♪」
「…………………」
 相変わらずの胡散臭い決まり文句に、最早コトの真偽がどーでもよくなってくるダメな俺。
「で、どうする? スル? それとも諦める?」
「……当然」
 笑顔のまま小首をかしげる鈴鹿を抱き寄せて、俺はキスで答えを返した。

「……今、生まれて初めて知ったんだけどさ」
 生まれて初めて入ったラブホテルの内装を観察しながら、俺は受け付けの出来事を思い出していた。
「ラブホテルの宿泊料って、『一人頭』いくらじゃなくて、『一部屋』いくらなんだな……」
 小遣いかなり消し飛ぶ覚悟でいたのだが、どうやら思った以上に傷は浅かったっぽく。
「それじゃ普通の旅館やホテルと変わんないじゃない」
「普通の旅館やホテルしか泊まったこと無いんだから、しょーがないだろ」
 何故か寝室からガラス張りになって見える浴室と、巨大なダブルベッド。そしてテレビetc……
 基本的な内装は……なんというか、普段、旅行の時に泊ってるホテルやら旅館やらをコンパクトに圧縮したような感じだが、ところどころに、その……使い方も分からないナゾのアイテムやら設備やらが、妙な妄想を掻き立ててしまうのは、俺がお子様だからだろうか?
 それはともかく……
「『一部屋幾ら』の勘定って事は、複数で貧乏旅行をするのには向いてそうだな。宿泊料金が安く済むし」
「清吾……今、私、男友達と集団でラブホに入る、清吾たちの図を想像しちゃったんだけど」
「……ごめん、俺が悪かった」
 胸やけしそうな妄想図にガチで吐き気を催したため、とりあえずソレは『貧乏旅行計画の最後の手段』という事にしておく。……裕の奴あたりが悶絶して暴れそうだし。
 それはともかく……
「おおぉ~」
 枕元のパネルを弄ると、照明が無段階で薄暗くなっていったりとか、ピンクや青の照明になったり、音楽のチャンネルもやたらと無駄に充実していたり……あ、クラシックのチャンネルまである。テレビもCSやらBSやらケーブルテレビやら妙に充実している上に、何故か古いゲームまであったり。
「うっわ、初代マリカまである……クソガキの頃、やり込んだなー」
 そんな風にベッドに腰掛けて、片っ端からリモコンやらアメニティやらのチャンネルを、色々回して弄っていると……
『あんっ! あんっ! はぁぁぁん♪』
「!!!!!」
 突発的にどアップに映し出されるAV女優の挿入シーンに、あわててチャンネルを切り替える。
 ア、アダルトチャンネルまであるのか……ラブホテルって……っていうか、男女二人きりというラブホテルのシチュエーションで、誰が見るんだ、アダルトチャンネルって?
 と……
「!?」
 不意に、肩越しに抱きしめられる。っていうか……感触というか……その……
「んふふふ、どうした? こっち向かないのか?」
 上着越しでも分かる、柔らかな素肌と下着の感触……って……あの……鈴鹿さん……もしかして、その……
「清吾。昔っからお前は、ちょっと面白そうなモノがあると、すぐ喰いついて遊び始める。……悪い癖だぞ」
「あ、あ、あの、鈴鹿さん?」
「まあ、そういう所が可愛いんだけど、な……どうした? 私の下着姿には興味が無いか? 見たくないか? 面白くなさそうか?」
 み、見たい。見たいけど、何というか、それ以前に怖い。
 だって、その……そりゃ幼馴染やクラスメイトや使用人のメイド相手に、背後から忍び寄ってスカートめくりとかは、幼稚園や小学生のガキンチョの頃にやりましたが? 今、俺が置かれているシチュエーションというのは、そーいうノリとは全く無縁の……というか、俺自身が背後を取られている相手は、色々な意味でメルトダウン寸前の原子炉のよーな相手である。
「……あ、あ、あの……か、体、ほら、き、き、汚いから、お風呂に……」
「ん? なんだ。じゃあ一緒に入るか♪」
 う、うわぁぁぁぁぁ、そ、そ、それは……
「い、いや、ちゃんと一人で……」
 ふと、気がつく。この部屋の浴室が、全面ガラス張りな事実に。
 それはつまり……
「んふふ♪ ね、どうする?」
 背後からの声に含まれる、明らかに俺を弄ぶような響きに、掘った墓穴の深さと部屋全体に仕掛けられた壮大なトラップの意味を悟る。
「……さ、さ、さ、先に入ってる!」
 そう言って、素早く服を脱ぐと、空の湯船に飛び込んで、シャワーのホースも引っ張り込んで全開でお湯を注ぐ。
 ……OK、落ち着け、俺。冷静になれ、俺。
 のぼせそうな温度のお湯すらも、今の時点では一種の清涼剤だ。
 この状況、逃げ場は無い。ならば迎え撃つのみ。だがどうやって? そもそも、何をどうしたらいい? そもそも、俺は鈴鹿をどうしたいのだ? っていうか、どうするべきなのだ、この状況?
 落ち着け。冷静になれ。冷静に……冷静に……
「……ばからしい」
 そもそも、こっちが初めてなのは向こうも承知なハズだ。なら、初めてなりに堂々と答えればいい。
 むしろ、パニックになるだけ鈴鹿の思うつぼだ。主導権を握る、などというのは不可能でも、せめて観察と考察くらいはさせてもらおう。
 だから……だから……その、何だ。ガラス張りの浴室の向こう側に『誰も居ない』っていうか、脱衣スペースの所でごそごそと音がするのは……やっぱり……
「清吾♪」
 扉を開けて入ってきた鈴鹿の裸に、思わず目が釘付けになってしまう。太ももから腰にかけても引き締まった体型だが、意外だったのが……
「……胸、ちゃんとあったのな」
 何というか……着やせするタイプだったのか、ちゃんと柔らかい胸が……というか、結構おおきい?
「私を何だと思ってたのさ?」
「あー、いや、ほら。格闘技やってると、脂肪が減る分、胸もしぼむモノと……」
「その分、背中や肩の筋肉動かすから、バストアップされやすいんだぞ。肩こりとも無縁だし」
「あ、なるほど。だからおっきいんだ……」
 格ゲーの女キャラの体型がイイのは、あながちゲームの見栄えの問題だけじゃなかったのか。
 そのまま、ぢーっと観察していると……
「んふふ、やっぱり清吾は、下着姿よりも裸のほうに興味があるんだな」
「……無いわけがないだろ」
 浴槽に入ったまま、鈴鹿の胸に手を伸ばす。
 やや黒ずんだ濃いピンク色の乳首を弄りながら、全体を揉むように弄る。
「あん♪ こら……」
「……ちゃんと柔らかいんだ……あ、なんか……乳首が固い」
「そりゃあ、弄れば固くなるって……んっ……こら、どこでこんな触り方覚えた……ふぁうん♪」
「初めてだよ。うーん、やわらかーい」
 などとふにふに弄ってると……
「えい♪」
「うわっぷ」
 強引に俺の頭を抱きしめて胸に埋めると、のしかかるように浴槽に入ってくる鈴鹿。
「んー? そんなにおっぱい好きなのかー? んー?」
「そりゃあ、貧乳は弄っててつまんなそーだもん……」
 そう言いながら、今度は尻のほうを弄る。
「あん……こら」
「こっちは何か、弾力があるね……引き締まってるし……ぷりんぷりん~♪」
 そのまま、全身を弄るように触る。
「ん……もう……本当に、どこでこんな触り方覚えたの?」
「痛い?」
「ううん、もっとさわって」
 そう言うと、鈴鹿は俺を押し倒したまま、股間まで頭を下げ……え?
「んっ……ちゅぼっ……」
「うっ……す、鈴……ちょ、やばい……」
 股間に顔を埋めて、完全に勃起したモノを咥えこむ。こ、これって……フェラって言うんだよな?
「はも……んふ、何がやばいんだ?」
「っていうか……腰、腰、砕ける。力が抜ける」
「んふふふ、やーめない♪」
 ちゅぼっ、ちゅぼっ、と音を立てながら、リズミカルに力強いバキュームを繰り返す鈴鹿。そして……
「くっあぅ……!!」
 目の奥で火花が散ると同時に、どくどくと、自分でも信じられない量の射精を、飲みほしていく鈴鹿。
 ……やばい……何か……やばい。
「んっ……濃いなぁ……ドロドロしてる……」
 口の端に零れた精液を指で拭ってなめとりながら、妖艶な笑顔で鈴鹿が囁く。
「んふふ、こんなに出したのに、まだ勃起してる。元気だなぁ」
「す、鈴鹿……俺……」
「慌てないで、清吾」
 そう言うと、浴槽の背もたれに鈴鹿があおむけに体を預け……
「ほら、ここ。入れたいんでしょ?」
 ぱっくりと開いた、怪しく蠢く肉襞の入り口。
 普段の陽気さとざっくばらんなノリからは想像もつかない、妖しい色香を漂わせるソコを広げて、鈴鹿が微笑む。
「来て……清吾」
「す、鈴鹿……」
 入れたい、ぶち込みたい、思うさまぶち込んで、中でぶちまけたい。
 そんな先走る欲望と汁を、なけなしの理性でこらえながら、俺は浴槽から立ち上がる。
「べ、ベッド! ベッドで待ってる!」
 大慌てでバタバタとタオルで体を拭いて、全裸のまま脱衣所から大きなダブルベッドに飛び込むと、頭から布団をひっかぶる。
 ……うわーっ、だめだーっ、我慢できねーっ!
 っていうか、あれが鈴鹿か!? いや、今までいろいろ無茶やってきたのは知ってるが、そんなのと全然違う! っていうか違いすぎてパニックだ!
 というか、マジで危うく一線を超えそうになってしまった。
 駄目だよ俺、何考えてんだゴムだゴム。ゴムをつけないと……えーと……パッキングを剥いて……この先っちょのをつまんで……あれ、おっかしいな……あ、裏返しか……
 などと悪戦苦闘していると……
「っっっっ!!!???」
 布団の中に、滑り込むように潜り込んできた彼女の体温に、再び心臓がサイクルをあげはじめる。
 っていうか……匂いが……その、風呂上がりのいいにおいが……やばい、マジでもう我慢できねぇ!
「あ、あ、あのさ、鈴鹿……その……」
「ん? どうした、ゴムはつけおわったのか?」
 うん、とうなずくしかない。
「ごめん、冷静になれなくて。本当は俺が落ち着いて、優しくリードしないといけないんだよな……」
「ふふ、いいよ。今日は清吾のペースにあわせてあげる」
「……なんだよ、本当にらしくないぞ、鈴鹿」
 傍若無人と無軌道と奔放を絵に描いたような人物に、ここまで優しくされると、むしろ不気味ですらあるのだが……
「ん、私だって、時にはそんな気分にもなるんだ」
「……そうか」
 そんな一言で、違和感なんて気にならなくなってしまう。そのくらい鈴鹿の裸は魅力的で……逆を言うと、俺はテンパっていた。
「だから……清吾……お願い。『愛してる』って言ってほしいんだ。
 最後だから……」
 むしろ、何故か……目の端に涙まで浮かべるその態度に、俺は普段、絶対に明かされることのない鈴鹿の一面を垣間見ているようで。だからこそ……
「愛してるよ、鈴鹿」
 彼女の眼を見て、真剣に答える。
 迷いは、無い。
 今日を限りで終わりを告げる関係であろうとも、今、この瞬間、この気持ちに嘘偽りは無いからだ。
「ありがとう……ね、清吾。来て」
「ああ」
 今度こそ。
 ゴムの中でガチガチにいきり立ったモノを、仰向けになった鈴鹿の肉襞にあてがいながら、俺はゆっくりと腰を進めた。
「っ……くぁ……ぁ……」
「んっ……すげぇ……」
 ドロドロとぬめる肉襞の中に、自分のモノが飲みこまれていく様は……なんというか……それだけで興奮が加速していく。なんだこれ……ゴム越しなのに……女の中って、こんな気持ちいいんだ。
 それに……
「んっ、清吾……もっと……もっと奥まで……」
 俺の中では、ただ純粋に『憧れ』であり、今まで、あまり意識してこなかった……というか、意識しないようにしてきた鈴鹿の『女』の部分を見せつけられて……もう抑えようの無い欲望が、むくむくと首をもたげてきた。
「鈴鹿……っ!!」
 肉竿をねじ込んだ腰を蠢かせながら、俺は鈴鹿とキスを交わした。
 ……だめだ。興奮が収まらない。接合部がもたらす刺激に、だんだんと意識が下半身に集中してくるのが止められない。
 いつしか俺は、ただ肉壺をかき回すだけの、勃起した性欲の塊となって鈴鹿を犯していた。
「鈴鹿……鈴鹿……」
 犯したい。汚したい……その欲望が頂点に達し……
「っ!!」
 どくっ、どくっ、どくっ、と……射精の衝動が、先端から放たれる。
 ……気持ちいい……
 頭の中が真っ白になるほどの射精の快感に戸惑いながらも、自意識が急速に戻ってくる。
「鈴鹿……」
「……清吾……」
 と……
 キュッ、と肉襞が閉められる。
「っ、す、鈴鹿……さん?」
「ダメだぞ、清吾……女の子は気持ちよくしてあげないと♪」
 そのまま、カニばさみのように腰をロックされ、ぐりぐりと動かしてくる鈴鹿。
「うっ、うわっ、す、鈴鹿っっ……!」
「一人でイきっぱなしなんて、ダメだぞ清吾。今度は私がイクまで付き合ってもらうからな」
「ちょっ、待っ……待って……くぁっ!!」
 急激に蠢く膣内の強烈な刺激に、思わず突き放して抜こうとしたのだが……
「ちょっ、おっ……な、何っ……これ?」
 体勢で言うなら、俺は鈴鹿の上に覆いかぶさって、マウントを取っている体勢なワケなのだが……カニばさみや背中越しに絡んだ腕に力の入れどころをコントロールされ、どうしても離れる事が出来ない。
 セックステクニック……という意味だけではなく、純粋に格闘技としても恐るべき鈴鹿の寝技スキルである。
「んっ、あん♪ もっと動いて♪ ねぇ、清吾ぉ~♪」
「ちょっ、待っ! やばい、やばいって……」
 既にゴムの中は、吐き出した精液で一杯になっている感触がある。
 これ以上動かしたら……まして吐精などしようものなら……確実に根元からあふれる。
「ま、待って。ゴム、ゴムやばい! やばいって、あふれ……ひぐっ!」
 下半身に力を入れ、何とか射精の衝動をやり過ごす。
「もっとぉ、もっとゴリゴリしてちょうだいよぉ、清吾ぉ~♪」 
「ちょ、ま、やばい、マジやばいって……ぐっ、づぁ……」
 抜かないと、抜かないと……でも、射精が、やばい、マジでゴムのほうが精液でぬめってズレてきた!
 そうして、力づくで振りほどこうともがく中、射精の衝動が限界を迎え……
「づぁぁあああっ!!!」
 鈴鹿の膣……に、残ったゴムの根元から抜けた俺の肉竿の先端から、盛大に吐き出した精液が、その艶めかしいラインを描く腰から胸元、そして顔に至るまで白く穢していった。
「す、鈴鹿……」
 射精直後の脱力感の中。
 その、穢されてなお凄絶なまでに妖艶な……むしろそれこそが妖しさと美しさを際立たせる化粧だとばかりに、自分の体に注がれた精液を舐め取る鈴鹿。
 その姿をみた俺の脳裏に、強烈なノイズが走った。
「あん♪ もぉ~♪ ……んふふふ、濃ぉい精液……」
「す、鈴鹿……痛っ!!」
 頭が……痛む。
 何か……何かを……俺は……忘れている……何だ……何なんだ……
 怖い事。それは……とっても怖い事だ。
 鈴鹿相手に『怖い』という感情は……間違いではないだろう。
 誰だって、いつ起爆するか分からない不発弾の隣に居て、平気な顔していられる奴は、そうは居ない。だが『怖い』という思い以上に、俺は鈴鹿を尊敬していたし、愛しているし、一緒に……一緒に俺は……鈴鹿と……
「っ……す、鈴鹿……鈴鹿……」
 体が震える。ガチガチと歯の根が合わない。
 恐怖。得体のしれない……というか、覚えているべき俺の恐怖。『愛している相手』に対する恐怖……俺は……俺は、遠藤鈴鹿という存在に対して、決定的な『何か』を忘れていないか!?
「清吾……大丈夫?」
 優しく微笑みながら寄ってくる鈴鹿に、俺は得体のしれないプレッシャーを感じ……
「……そう、どうしても思い出しちゃうのね……」
 一筋。
 何故か、鈴鹿は涙を流しながら、泣き笑いの表情で……
「清吾……愛してるよ」
 気がつくと、今度は俺が抑え込まれてマウントを取られていた。それも下半身にまたがってではない。
 右ひざで左肩を押さえつけるようにロックされ、右手は左手にからめとられて動かせない……って、確か、この体勢って……
 ごんっ!!
「ぶぁっ!!」
 振り下ろされる、鉄槌の如き鉄拳。鈍い鉄さびの味が、口に広がる。
 昔、この体勢のまま防御も抵抗もギブアップも許さずに相手の顔面を延々と殴り続けるという、まさに公開処刑と言う以外に表現のしようのない、総合格闘技の試合の映像をどこかで見たのだが、まさにソレそのまんまの状況だった。
「す、鈴っ……なぶっ!!」
「愛してる! 愛してるの! 嘘じゃない! 嘘じゃないんだよ!!」
 精液を浴び、泣き笑いの表情のまま、それでも一切の反撃や防御を許さぬ体勢を崩さず、血に染まった鉄槌の如き鉄拳を全力で振り下ろしてくる鈴鹿。
 その重たい一撃が振り下ろされるたびに、パキッ、という嫌な音が自分の顔面から鼓膜に直接響いてくる。
 ……死ぬな、これ。
 既に顔面は崩壊してる。目も潰れた。鼓膜もイカレてるらしく耳鳴りがし、前歯はほぼへし折れ……感じるのは口の奥の血のにおいと味、それと鉄槌の衝撃。
「ああああああああああああああああ!!!!!!」
 だと言うのに……だと言うのに、鈴鹿の慟哭だけは、体を通して聞こえてくる。
 無情に、正確に急所をえぐり、容赦なく破壊してくる鉄拳だけは、肉体を破砕する音を立てながら、それでも……その声は慙愧に堪えぬ響きを隠そうともしない。
「……ぼ、ぁ……」
 折れた歯が口の中でがりがり言ってる。それでも……
「な……ぐ……な……」
 ぐちゃり。
 返事の代わりに、容赦なく振り下ろされる鉄槌。
 やっぱり……恋人が泣いている姿は見たくは無い。
 だから……俺は抵抗をやめた。
 遠藤鈴鹿は、少なくとも……『無意味な暴力』をふるう女ではない。多分……俺は彼女にとっての『悪』に認定される『何か』をやってしまったのだろう。
 無論、それを思い出せないのは少々納得が行かないが……まあ、彼女の巻き起こすバイオレンスは殆ど突発的なモノだが、その行動が生み出した結果に対して、原因は後から馬車で来るように解明されるのがいつもの事だった。だから今回もそうなのだろう。
 ……ああ、しかし痛ぇなぁ……おい。
 鈴鹿にしてはなかなか『トドメを刺しに来ない』事に不思議に思いながらも、俺はゆっくりと意識を手放そうとし……不意に、どこかから『何かが回転する音』が聞こえてきた。
 あたかも、大型機械のモーターが回っているような……空間をふるわせる微細な振動。そして、次の瞬間……

 ヴォオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!!!!

 最初に、強烈な衝撃波にもみくちゃにされて、素っ転んだ。
 そして、それに引きずられるように、何かこう……猛獣、というより『怪獣』と呼ぶに相応しい生き物を連想させるような『咆哮』が、耳に飛び込んできた。
「っ……ぐ……お……」
 震えながら、何とか前後上下の感覚を取り戻す。
 目、目……は……ああ、見える。『何とか無事なようだ』。
 だが、ぐらんぐらんする。無理もない。あんだけ頭を叩かれているってのに……ん?
 最初、視界に飛び込んだのは……かつて俺が居たラブホテルの一室だったと思しき『空間』だった。
 わざわざ部屋と呼ばず『空間』と呼んだのは……何かこう、暴風雨が荒れ狂ったような有様と共に、隣室以外の部屋の外壁が『消滅していた』からである。つまり……俺と鈴鹿の居た部屋の部分だけが、建物ごと筒状にくり抜かれたようになって居たからだ。
「な、何じゃこりゃあ!?」
 と……
 破壊された外壁の向こう。破壊の軌跡がやってきた方向に、『彼女』が居た。

 彼女が携えている『ソレ』は……『銃』と呼ぶには、余りに大きすぎた。
 大きく、太く、重く、大仰に過ぎる砲身を七本も束ねたソレは、『砲』と呼ぶにしても余りに異形。
 背負われたコンテナのような弾倉から、帯を成し連なる弾もまた巨大で、その猛威を隠そうともしない。
 だが、さらに目を疑うのは……『ソレ』の弾倉を背負い、携えているのが、一人の女だと言う事だった。
 頑丈そうな負い紐でコンテナの如き弾倉を背負い、身の丈の3倍以上の砲身を両手で携えた少女の背中からは、蝙蝠の如き巨大な皮膜のついた翼が左右二対で四枚。側頭部からはねじくれた羊のような角が生えていた。
 さらに、目の毒な事に……全体的に蝙蝠を模した、赤と黒を色調にデザインされたボンテージレオタードが、巨乳と呼んでさしつかえない程の豊かな胸元を強調するように覆い、手足はエナメル質のブーツと手袋が、それぞれ二の腕とフトモモまでを覆っていた。
 その姿だけ見れば、さながら女悪魔かインキュバスのコスプレといった風情だが、彼女が背負い、手にした代物が主張する、問答無用な鋼の凶悪さが、それがタダのコスプレなどという次元の代物だということを、全力で否定していた。
「セイ君!!」
「……えっ、おっ……お、お前……し、椎野!?」
 その変貌っぷりとは裏腹に、とても聞き覚えのある、あまりにもあまりな幼馴染の声に、俺は言葉を無くしてしまった。
「ちょ、ちょっと待っ、ど、どうして」
 と、
「馬鹿っ! 油断すんな、委員長!」
 脇を通り抜けたソレを……真実、俺は『風』としか認識できなかった。そのまま、俺は掻っ攫われるように運び出され……
「お、お前……裕、か?」
 ふさふさした青灰色の犬耳と尻尾を生やした童顔な生き物が、俺を抱えて穴のあいた建物から飛び……ってここ5階っ!!
「っ……わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 落下する感覚と同時に、再び回転する音が響き……何かの雄叫びとしか思えない轟音と共に、巨大な牛乳瓶サイズの空薬莢が、椎名の抱えたガトリング砲から、がらがらとあたりに撒き散らされ始める。
「ちょっ、おい! お前まで何だその格好」
「事情は後で話す!! 委員長のアヴェンジャーが弾切れ起こす前に、この場を離れるぞ!」
「違う、服っ、服っ! 血まみれ全裸はやばいって!」
「そんな暇無ぇヨ! 『姉貴が変身中に! 早く!!』」
 そのまま、止めてあったバイクにまたがると、エンジンに火を入れる裕。……ていうか、このナナハン、確か鈴鹿が乗りまわしてた奴じゃないのか!? 後がヤバいような……
「ええい、どうなっても知らないからな!」
 色々な意味での後始末の心配を余所に、後部座席に跨ると……
 キュドォォォォォォン!!!
「っっ!?!?」
 ラブホテルそのものが爆発、炎上する中、それを圧するようなロータリーエンジンの咆哮が響き渡る。
「しっかり掴まれっ!!」
 次の瞬間、蹴飛ばされるように加速する裕のバイク――GSX-F750カタナの背後。燃え盛るホテルの屋内駐車場から飛び出してきた,真っ赤なRX-7が、急加速で喰いついてくる。
「う、うわ、追ってきたぞ!!」
「分かってる!! 峠道じゃ四輪よか二輪のが早い!! このまま引き離すぞ!」
 繊細なスロットルの調整、絶妙のギアチェンジ、鬼のようなハンドルさばきと加重移動。まさに人機一体で鈴鹿の『カタナ』を乗りまわす遠藤。……っていうか、鈴鹿の単車なハズなのにヤケに完璧に乗りこなしてないか、こいつ!?
 だが、一方で……
「っ……う、嘘ぉぉぉ!?」
 物凄い音に振り向くと、急カーブを超高速で曲がって猛追してくる鈴鹿のRX-7。っていうか……
「み、溝落としって……リアルで初めて見たぞ!?」
 い、いや、鈴鹿の運転の腕前は知ってはいたつもりなのだが……あれ実行する馬鹿がマジでいるとは。
 逃げる裕のカタナ、追う鈴鹿のRX-7。
 バイクのエンジン音と、強烈なドリフトの爆音が、深夜の峠道に響く。
 が…… 
「裕、確かこの先、直線!」
「分かってる、大丈夫だっ!!」
 最後のコーナーを物凄い勢いでパスした遠藤。そして、開けた、幅の広い1000メートルほどの直線で見たものは……
「!!??」
 コーナーよりおおよそ500メートル。山と山をつなぐ陸橋部分の中央車線のど真ん中で、例の巨大なガトリング砲を構えていた、椎野の姿だった。おそらく、飛んで先回りしたのだろう。
「委員長っ! 喰いついてきたぞ!」
 ドリフトブレーキでカウンターをあて、佐奈の後ろで止める裕。
 そして……裕の駆るカタナのエンジン音より、鈴鹿の駆るRX-7より、なお凶悪な七本の砲身を回転させる音が響き渡り……
 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!
 コーナーから鈴鹿のRX-7が顔をのぞかせた瞬間。
 単発でも凄まじい轟音がひとつながりに連続し、まさに悪魔の咆哮としか表現のしようのない爆音が、山間の谷間に響き渡る。
 が……
「!!?」
 一発でも致命的であろう砲撃を、連続して叩きこまれてなお……鈴鹿のRX-7改は止まらない! むしろ……
「嘘……だろぉ!?」
 重戦車だって引き裂けそうなガトリング砲の直撃を受け続けて、なお加速し続ける鈴鹿のRX-7。
 フロントガラスは真っ白に染まってカチ割れ、ミラーは全て吹き飛び、車体は穴だらけのボコボコになり……それでもなお、ロータリーエンジン独特の甲高い、狼のような咆哮が負けじと響く。
 そして……
 狼と悪魔。根負けしたのは、悪魔の咆哮。
 数秒で撃ち尽くしたガトリング砲が虚しく空回る瞬間、ロータリーエンジンが高らかに勝利の咆哮をあげ、こっちに突っ込んでくる。
 が……
「泥棒猫の負け犬が……」
「!?」
 コンテナ型弾倉の背負い紐を『切り落として』、左右二対、四枚のコウモリのような翼を大きく広げる椎野。
 そのうち右側を、突っ込んでくるRX-7に対して真っすぐ縦に向けて……
「舐めてんじゃないわよっ!!!」
 ギャガガガガガガガァァァァァァァァン!!!
 深紅の鋼の車体が、ギロチンの如き翼によって、壮絶な音と共に、中心線から真っ二つに引き裂かれる。
『っっっ!!?』
 突っ込んでくる速度は維持したままに『ひらき』になったRX-7が、絶句する俺と裕の両脇を、それぞれスピンしながらすりぬけて、橋の下のはるか谷底へと落ちていき……
 ドォォォォォォォォン!!
 ほぼ同時に、二つの閃光と黒炎が、谷から立ち上った。
「やるなぁ……委員長」
 感嘆のため息を漏らす遠藤。
「は、は、ははははは……」
 その一方で俺は……もう笑うしかなかった。
 ……いやね、そりゃあ、鈴鹿の奴と付き合ってれば、こーいう事件はそれなりにありましたが? それでも、こんな大スペクタクルな騒動、ちょっと無いって。
 が……
「委員長っ!!」
 その場で、くたり、と崩れ落ちる椎野。と、同時にするすると四枚の翼が、元のサイズに戻……いや、背中の中へと吸い込まれていく。
「っ……!?」
 バイクから降りた裕の奴が、駆け寄ろうとして……不意に立ち止まると、俺の腕をつかむ。
「ほらっ、行けっ!」
「え?」
「いいからとっとと看病してこい! 馬鹿っ!!」
 どんっ、と背中を押され、俺は幼馴染に近寄った。……っていうか、その……俺も血まみれ全裸なんだけど。
「あ、あの……し、椎野?」
 とりあえず、軽く抱きしめて抱え上げる。
 ……軽い。
 あんな化け物銃をぶっぱなしてた彼女の体は、とても軽かった。
「セイ……くん。良かった……無事、だったんだね……」
「う、ん……まあ、そのー何だ。助かった……っつか、助けられたんだな、俺。
 ……うん、ありがとう」
「…せ、せい……君……うぅ……うぅぇぇぇぇぇえぇえええええええええええ!!」
 その場で泣きだす椎野。
「!!?? お、おいこら、馬鹿!」
「だって、だって……えええええ!!」
 そのまま、俺の腕の中で泣きだされて、どうしていいか分からず戸惑う。……いや、俺、全裸なんだけど!?
 と……
「?」
 カタ……カタカタ……
「地震?」
 最初、それは小さな振動だった。だが……それは、今、立っている橋の上でだんだんと振動を増し……
「まずいっ!!」
 エンジンを吹かして急発進させる遠藤。そして俺は椎野を抱えて駆け出そうとして……
「いっ!?」
 ふわり、と逆に掴まれて宙を舞う事に。……いや、よくよく今日は空に縁がある日だわ。
「佐奈!?」
「……大丈夫。流石にあの女も、空までは追ってこれないはずだから」
 四枚の翼で空を飛ぶ椎野。
 眼下では、遠藤のバイクの明かりが、うねる山道を順調に通り過ぎていってるのがわかった。
「……あの地震は……」
「あの女の無駄な悪あがきよ。私は飛べるし、遠藤君はバイクがある。
 本当は、あの女が予め『強化』を使う前に、車を壊しておこうかと思ったんだけど、状況が切迫してるのをセラから聞いて、やむなく、ね……」
「あの……セラ……って、誰?」
「あ、そうか……ごめんね。記憶がまだ……戻って無いんだね」
「……やっぱり、俺は記憶喪失なのか?」
 あなたは記憶喪失です。
 いきなりそう、面と向かって言われて、納得する奴はいない。
 だが……確かに、俺が『何か』を忘れているであろう事も、また事実だ。でなければ、鈴鹿が俺を殺しに来るわけがない。
 基本的に、遠藤鈴鹿という女は、問答無用の『正義のヒーロー』である。
 彼女が悪と認定した事に対しては、後腐れなくその場で即抹殺することが大原則であり、『情け』だとか『更生の機会』だとか『やりなおす』だとかいう甘えた概念は、一切無い。
 だからこそ、俺は……『俺が鈴鹿に殺されるような何をしてしまったのか』を知りたかった。
「うん。だから……今から、セイ君の記憶を戻しに、少し、連れまわすよ」
「分かった。よろしく頼む……へ、へ、ふえっくしっ!! あーその……服を……あと、血だらけだから病院とか……」
 6月を超えても、まだまだ夜は冷え込む。まして今は、雨の合間の曇り空だ。
「ん、じゃあ……どうしよう。あ、ちょっと待ってて」
 ふわり、と、どこぞのビルの屋上に降り立つと椎野は携帯電話を……その、どたぷーんな胸の谷間から取り出した。いや、目の毒だ。
「もしもし、セラ。うん。確認してると思うけど、セイ君の確保に成功したよ。……うん、そう。
 でね、記憶がまだ戻って無い状態だから、とりあえず彼の服を用意して。あと、血を拭くための道具。場所はどうしよう……ん、そっちでいいか」
 電話口で、俺の知らない誰かとやり取りを交わす椎野。そして……
「じゃ、行こうか♪」
 再び俺は、佐奈に手を掴まれて、空を舞った。

< 続く >

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