第四話
「あら」
その、狐は。
ソラと共に店内に足を踏み入れた俺の姿を見て。意外、とも、予測済み、とも取れるような、なんともいえない笑みを浮かべ、会釈する。
俺は、その、人を小馬鹿にしたような態度に、内心のどこかで苛立ちを覚えながらも、奴のもとに歩み寄った。
「ソラ、俺は店員に薬のこと聞いてみるから、お前は何かいい薬がないか店ん中回って探してこいよ」
「ああ、うん……、はーい」
夢遊病者のような覚束ない足取りでふらふらと店の奥へと向かうソラをレジで見送る。
敏感になった耳が音楽プレイヤーの音波によって受ける性感は、思ったより激しいものではないらしい。決して絶頂にまで登り詰めることのないゆるやかな愛撫といったところか。とはいえ、本人はその原因を決して突き止めることができない以上、常時に身体は火照り、やりきれない気分に浸されることはこの上ないだろう。
いや、ともすれば……、その音波の種類によっては、もっとあいつの情欲を突き動かす激しい快感を与えることができるのかもしれない。まぁ、その辺は、この後ゆっくりと突き止めてやることにしよう。それよりも、今は……、ここでしか、この狐としかできない話を、しておきたい。
「どうも、お久しぶりですー」
「……ああ」
「しっかり、きつねの妖術ライフをエンジョイしていらっしゃるみたいですねー。よかったよかった」
「なあ。単刀直入に、言うぞ。……あのシールを、もっと多量に分けてくれ」
「あら」
その狐は。
どうにも、癪に障る、余裕に満ちた笑みを浮かべ、俺の目を見つめる。
……初めて見た時から、苦手だった。この、眼差し。全てを見透かされているような気分になるような……、この、真円の瞳。
「それは、できません。もう、在庫がそんなにないもので」
「金なら、あるぞ」
「お金、ですか。あんまり、そういうの興味ないんですよねー。とにかく、ダメなものはダメなんです。お引取りくださいませ」
「くっ……、……ならば」
「あ、あたしにシールを使おうとか、無理ですよー。あたし、きつねですから。きつねは、きつねの術には化かされません」
化かす。
狐が人を化かすなど、今までの俺なら到底信じることのなかった言葉の使いまわしであるが、しかし、今ならばそれも……、抵抗なく、受け入れることができる。あのシールを貼られた人間は、狐に化かされているのだ。化かされて、全くのでたらめを鵜呑みにし、全く得体の知れない快感にさいなまれる。全ては……、狐の、妖術の力。
「ですが……、そうですね。もう一つ、変わった他のアイテムなら用意させていただくこともできます」
「ほう……?」
「あいにく、今お渡しすることはできません、がー……。そうですね。また、お暇なときにでもお越しください。明日明後日にもなれば、それの準備もできているでしょう」
「……期待、させてもらうぜ」
「どうぞー。期待するのも活用するのも、全て眷属さんの自由です。……それでは、また後日。あなたの願いが、叶いますよう」
狐は、そう言い、ぺこりと頭を下げる。
真円の瞳。俺の心の奥底、最も黒い欲望が渦巻くその領域すらをも見透かしているかのような、いやらしい眼差しだった。
***
そもそもソラは風邪をひいていないのだから、風邪薬など必要ない。
奴を、部室から連れ出す口実にさえなれば、あとは何でも良かった。
そして、同時に、俺の家に全く手をつけていない頭痛薬があるというのもまた、事実だった。……そしてそれが、ソラと二人きりになれる空間を作り出すための格好の口実となりえることも。
「そういや、うちに頭痛薬があったな。ソラ、別に薬局で買わなくても、うちで薬を飲んでいけばいいんじゃないか?」
「え? あー……、そう言われてみればそうかも……」
「俺の家、こっから近いしな。ちょっと寄ってけよ。体調悪かったらちょっと休んでいけばいいし」
結果的に、早桐のときとほとんど同じ手法になってしまったことには、我ながら何となくすっきりとしない、物足りない思いもあったが、ともあれ、俺は、上手く口車に乗せてソラを自宅に誘い込むことに成功し。
そして、今。まさしく昨日早桐に髪奉仕をさせたばかりのその部屋には、俺とソラの二人だけが佇んでいた。
「うー、頭がくらくらする……、なんか熱いし……、くーくぅん、はやく、おくすりちょうだいよぉ……」
気持ちの高ぶりからか、娼婦のような鼻にかかった声で呼びかけるソラに、不覚にも何かどきどきとするものを感じてしまう。
ソラは、偽りの風邪に効く薬をご所望らしい。とはいえ、市販の頭痛薬では、幻想の風邪を治すことなどできるはずもない。……と、するならば。
幻想の病には、幻想の薬を。
風邪を治すだけでなく、ソラという人間そのものを組み直すお薬を処方してあげよう。
「なぁ、ソラ。催眠療法、って知ってるか?」
「え……? ま、まあ、なんとなーく……」
「無闇やたらに薬を呑むよりも、軽い風邪なら催眠療法で薬を使わず治した方がいいこともあるんだぜ。試してみるか?」
「くー君、できるの……? な、なら、おねがいしてみようかな……」
ソラ君、ソラ君。
お前は、俺が「家に頭痛薬がある」と言ったからここに来たんだぜ?
まったく、おそろしい洗脳力だ。催眠療法? さすがに、でたらめにも程があるだろう。まぁ、今から行なうことは確かに催眠術の類には違いないが……、それでも、こうも不条理な提案を、まるで疑うことなく受け入れてしまうとは。最早何度も経験してきたことではあるが、それでも、驚きと、それに伴う興奮感と邪笑を、俺は、抑えることができない。
「よし、それじゃ、そこの椅子に座って、身体を楽にして」
「うん……」
「それじゃ、今から催眠療法を始めます。ソラ、お前は、自分の風邪を治すための薬が欲しいんだよな?」
「うん、でも、くー君が、薬はダメって……」
「ああ。確かに、あんまり化学的な薬は身体に良くない。けどな、ソラ、今からお前に与える薬は、そんな心配はまるでない、何の不安もなしに呑むことができる、絶対に安全な薬だ」
「絶対……安全な……おくすり……」
「実は、その薬は、今も既に投薬され続けている。何故なら、その薬は……、“俺の声”、だからだ」
ソラの身体が、ぴくんと反応する。
それは、おそらく、俺の言葉によって、ソラの意識が改めて俺の声に集中したから。……やはり、思ったとおりだ。この、ソラの耳に施されたシールの副作用はソラの意識と連動している。
それは……、玉藻の時と、同じように。あいつは、その靴下のにおいが、“大好きなおにいさまの”においであったから、あそこまで乱れることができた。それと同様に……、ソラもまた、この俺の声が“自分が必要としている風邪薬”であるから、そこに意識を向け……、それが、性感帯と化した耳の感覚にしっかりとリンクし始めている!
こうなってしまえば、あとはもうこっちのものだ。光栄に思え、ソラ。お前は……、名実ともに、俺が傍にいなければ生きていくことのできない身体に書き換えてやる。
「お前は、俺の声を聞いているだけで、身体の全ての機能が活発になり、健康になると共に、心も果てしない幸福感に包まれる。俺の声さえ聞いていられれば、他には何もいらないと思うようになる」
「くー君の……声さえ……あれば……」
「だが、そんな最高の薬にも、副作用が二つある。一つは、性的な興奮作用。お前は、この薬を呑むたびに、その幸福感から精神の性的な高ぶりを感じ、見えない腕に執拗に股間を責め立てられているような快感を覚える。けれど、お前は自分が何故そんな感覚を覚えるのかその理由はわからないし、その快感を感じている状態のあまりの心地良さから、そんなことを考えようと思う気すらなくなる」
「……快、感……ぁ、ひっ……!?」
「そして、もう一つの副作用は、……強い依存症。お前は、この薬を一度呑んでしまうと、この薬無しでは落ち着かなくなり、この薬を呑み続けていないと、強い欲求不満状態に陥ってしまう。この状態のとき、お前はどうにかして薬を呑んでいるときのような幸福感を得ようと努めるが、結果的にそれを自分の力で得ることはできず、また、この状態が長引けば長引くほど、その反動から、薬を与えてくれる俺のことを崇高で絶対的な存在として見るようになる」
「あぁ……んぅ……う、うん……っ……」
「そして、最後にはお前は、俺に従属する奴隷になる。お前は、俺の薬無しでは生きられないんだから、それは当然のことだ。お前はそれに疑問を感じることもないし、お前の命やお前の精神、お前の全ては俺が握っている」
「ぁ、ひぃ……、ふぁ、ふぁあい……、んぁあ……」
否応なしに耳から流れ込んでくる快感に、最早耐えようとも抗おうともせず、白痴のように大口を開け、ソラは虚ろ目に喘ぎ続ける。
如月 ソラという一人の人間は、その瞬間、もう完全に壊れてしまっていた。それは、奇しくも、まさしく麻薬中毒者のように。“俺の声”という麻薬を存分に吸い込んだソラは、全く自我を持たず、ただひたすらに喜悦のまま快楽を享受する人形と成り果ててしまっていた。
もっとも、それもまた一時的なもので、少し落ち着きさえすれば、少なくとも表面的にはいつものこいつに戻るはずだ。……その内側には、今までのこいつでは想像することすらなかったであろう、狂気の快楽を、孕みつつ。
***
ソラのまやかしの風邪は、俺の“薬”で完治してしまったので、日が暮れないうちに奴を家に送り届けてやる。
さあ、今晩から、明日の放課後俺が部室に訪れるまで、ソラは、地獄のような禁断症状を味わうことになるだろう。丸一日近い苦痛から突然の解放を遂げた時、ソラはどういった反応を見せてくれるのだろうか? 最早、それだけで絶頂に達してしまうかもしれない。もしそうでなかったとしても、この過程を繰り返せば繰り返すほど、確実にソラは人間という存在から遠く離れていく。文字通り、俺無しでは生きていくことのできない操り人形へ。……十全だ。そして、俺は、この先、拠点とする文芸部の人間を全てそういった存在に書き換えていく必要がある。……いや、あるいは、この学園全ての女すらをも。
そう考えると、俺は多忙だ。ソラを奴の家に送り届け、再び自宅に戻ってきた今、これから眠りにつくまでに、俺は明日のために少し試しておきたいことがあった。
「ただいま」
俺のその言葉は、誰もいない玄関に空しく響く。
……おかしいな。玉藻は、まだ帰っていないのか? ……いや、靴はある。と、いうことは、自室にでもこもっているのだろうか。ああ、そういえば模試が近いとか言っていたしな。まったく、まだガキのくせに勉強熱心なことだ。
それなら。
その真面目さを、少し別のところに活かしてもらおうか。
俺は。
居間で、玉藻にプレゼントしてやるための、素敵な“手紙”をこしらえ、奴の部屋に向かった。
…………。
階段を昇って二階、すぐのところに俺の部屋と並んで位置するのが、玉藻の部屋だ。
ドアに耳を当てる。カリカリと、シャープペンシルが紙を引っかく音が聞こえる。やはり、真面目に勉強をしているらしい。これでまた、こいつが俺の靴下を使ってオナニーでもしていればこれから為すことも変わってきていたのだが……、今は、そういう気分ではなかったようだ。残念……、というわけでもないが、なんともまあ、複雑な気分である。
俺は、部屋の扉を軽くノックし。
「入るぞ」、と、中に足を踏み入れる。
中には、予想通り、熱心に机に向かい勉学に努める玉藻がいた。
「勉強中か。ご苦労さん」
「……あ、おにいさま、かえっておいでだったのですね。おかえりなさいまし」
「ああ、ただいま」
「ええと……、どうなさったんですか? 玉藻に、なにかご用ですの?」
「いや、用と言うか……、今日も、葛葉さん、帰ってきてないのか?」
「ああ……、おかあさまは、お仕事で遠出していらっしゃるようでして。近いうちに帰れるようつとめる、とは言っていらっしゃいましたけれど……」
「そうか。まぁ、それは仕方ないが……、玉藻、お前、晩飯まだだよな?」
「あっ……! ご、ごめんなさいまし! すぐ、お作りさせていただきますの!」
「ああ、いや、いいよ。お前、勉強で忙しいだろ。たまには、俺が作る」
「え、おにいさまが……? ですけれど……」
「いいんだよ。お前は、勉強に集中してろ。ああ、ただ、その代わり……、飯ができるまでに、この手紙を読んでおいてくれ」
「お手紙、ですか……? はい、わかりました。お安いご用ですわ」
俺は、さっきメモ用紙に書き込んだだけの本当に簡素な手紙を、玉藻に手渡す。
別に、これをしっかりと作りこむ必要はない。……用件さえ伝われば、それでいいのだ。
俺が「読め」と言えば、玉藻はそれを読まずにはいられない。その中に書かれている内容を、何にも勝る集中力で読み込み、そして……。
俺は、それじゃ、そういうことで、と、言い残し、玉藻の部屋を後にする。
玉藻の、“晩ご飯”を、用意してやらなければならない。
***
「玉藻ー! 飯、できたぞー!」
「はぁい」
俺は、一階、居間の食卓から、階上の玉藻に向かって、大声で告げる。
しばらくして、とてとてと階段を駆け下りてきた玉藻が、食卓に姿を現す。……美味しい夕飯を、期待して。
テーブルの上には、俺と玉藻、それぞれに、別の料理が用意されていた。
俺には、冷凍物のチャーハン。
玉藻には、平皿の上に乗せられた、白い靴下。
それを見て、玉藻は、何の躊躇もなく、靴下の乗った皿の前に、座る。その姿を確認し、俺は、チャーハンの用意された席に、腰を下ろした。
「それじゃ、いただきます」
「いただきますですの!」
手を合わせ、食前の挨拶を終えると同時に。
玉藻は、ゆるりとその白い靴下に手を伸ばし、……口に、頬張った。
「んむ……ふぁ……ぁあ……」
「美味いか?」
「……ぁん……ふぁ、ふぁあい……、おいしい、ですのぉ……」
「そりゃよかった」
俺が、玉藻に手渡した手紙。
そこには、こう書かれてあった。
『玉藻の、今日の晩飯は俺の靴下だ。
お前は、夕食の時間中、ずっとそれを頬張り続ける。
大好きなおにいさまのにおいが口の中に広がり、お前はその内オナニーを始めてしまう』
そして、今。
玉藻は、まさしくその文面どおりに、左手は胸を、右手は股間をまさぐるように伸ばし、最早ほぼ無意識的に自慰に耽ってしまっている。
……まったく、我が義妹ながら、本当にどうしようもない奴だ。晩飯ぐらい、行儀よく食べることができないものだろうか。これは……、義兄として、少し躾を施してやる必要があるかもしれない。
「玉藻」
「……ぅ……ふぅ……んあぁ……おにいさまぁ……」
「おい、玉藻!」
「ひっ!ひゃ、ひゃいっ!」
「お前なあ、飯食ってる時ぐらいもっとちゃんとできないのかよ。お兄様は悲しいぜ」
「……んぅ……れもぉ……、おくちのなかが、おにいさまでいっぱいで……、玉藻、がまんできなかったんですのぉ……」
「……お仕置きだな」
「え……?」
「晩飯も静かに食べれない行儀の悪い玉藻は、お兄様にお仕置きされなきゃいけない。そうだろ?」
「おし……お……き……」
「嬉しいだろ。玉藻は、お兄様にお仕置きされることが大好きなんだ。お兄様にお仕置きされるとき、玉藻はお兄様のどんな命令にでも喜んで従う。そうだよな?」
「……はぁい…………」
玉藻は、とろんとした目つきで顔をほころばせ、こくりと頷く。
玉藻のこの顔つきを見るのは二回目だが、しかし、まったく、何度見てもぞくりとくる表情だ。このだらしない顔を見ているだけで、最早玉藻の精神の全てを俺が握っているということが実感される。玉藻は、ただ俺の言われるがままに動き、それをひたすらに喜悦と感じる、人形。俺は、この人形を使って、いくらでも好きな遊びをすることができる。この、人形たちを使って……。
「よし、玉藻。床に手をついて、四つん這いになれ」
「よつん、ばい……ふぁいぃ……」
「ショーツを下ろして、ケツをこっちに向けるんだ。尻の穴まではっきり見えるぐらいにな」
「はぁい……玉藻の、おしりぃ……」
玉藻が発情した猫のように尻を突き上げると、ワンピースの下から、小振りながらも形のいいそいつが姿を現す。
そして……、まったく滑稽なことに、その秘所もまた、可笑しなほどに濡れそぼっていた。二度目の靴下オナニー、そして、そのまま尻を晒し、お仕置きを待ち侘びている今この現状に、玉藻自身この上なく興奮してしまっているのだろう。情けないほど変態的で、……しかし、それでいて淫靡で妖艶な姿だった。
「玉藻、もう一度、言うぞ。お前は、お兄様にお仕置きされることが嬉しくてたまらない。お兄様のお仕置きなら、お前はどんなことをされても苦痛じゃないし、それは全て脳を燃やし尽くすほどの快楽に変わる」
「おにいさまの……おしおき……」
「たとえば、……こんなことをされてもっ!!」
俺は、右手を大きく振り上げ。
そのまま、力の加減無しに、――玉藻の尻に叩きつける!!
ピシンッ!
「ひぃぁあああぁぁぁぁっ!!?」
ピシンッ!!
「んふぁぁぁああぅぅううんっ!!!」
四つん這いの姿勢のまま、がくんがくんと激しく身体を痙攣させ、早くも玉藻は絶頂に達してしまう。
だが……、まだだ。まだ、お仕置きが足りない。玉藻の痛覚という痛覚が全て快楽に灼ききれるまで、俺は玉藻をイき狂わせなければならない。
もう一度、更にもう一度、と、玉藻の尻を打つ平手はどんどんと力を増していく。
ピシンッ! ピシンッ!!
「ひぎぃいいぃっ! んはぁぁあぅっ! お、おにい、ひゃみゃ、あぁぁあっ!!」
「いいぞ、玉藻っ! もっと、悶えるんだ! お前の意識が擦り切れるまで、お前は俺の手によってイかされ続ける!」
「ふぁ、ふぁいぃぃいっ! お、おにいしゃまぁぁあっ! ひぃんっ! あひぃっ! しゅきぃ、らいしゅきぃぃいいっ!!」
ぷしゃぁぁぁああぁぁぁ。
晒された玉藻の股間から、勢いよく檸檬色の液体が放たれる。
どうにも、あまりの痛みとそれに勝る果てしない快楽から、失禁してしまったらしい。見れば、真っ白だった玉藻の尻は、最早熟れた果実のように真っ赤に腫れ上がっている。ぴんと尻を突き上げながら、あ、あ、と、うわごとのように何かを呟いてはいるが、まだ意識はあるらしい。更に打ち続けてやろうかとも思ったが……、しかし、俺の中のどこかで、何か、ようやくブレーキのようなものが働き、その腕を止める。
……俺は、何をしていたんだ? 無心……、ほとんど無心に、ひたすらに玉藻の尻を叩き続けていた。ありえない興奮感と激情が身体を支配し、最早、理性などというものは一つも残ってはいなかった。玉藻が憎くて、打っていたわけでは勿論ない。そんなことが、有り得るはずがあるだろうか。ただ……、何だ。何なんだ。まったく釈然としない何かが、今もなお俺の中でくつくつと煮えたぎっている。
「……何だ、玉藻。お前、漏らしたのか」
「……ふぇ……おもらし……、お尻きもちよすぎて、玉藻、おもらししちゃったんですのぉ……」
「床、汚すなよ。いい年してみっともない。……ああ、なら、お前の晩飯はそれだ。床に撒き散らした愛液と小便、全部、“残さず”舐め取れよ」
「はぁい……おにいさまぁ……」
床に這い蹲り、その自らが放った汚物をちろちろと犬のように舐め取る玉藻を見て、俺は、そこに何か言いしれぬ恐ろしさを感じてしまう。
落ち着くんだ。……俺は、何故、玉藻にこんなことをさせているんだ? 血は繋がっていないとはいえ、れっきとした義妹の、愛すべき玉藻に、どうしてこんな非道を強要しているんだ?
そう、そもそも俺は……、『このシールの効力が、紙に書いた命令にも適用されるか』ということを調べるために、単なるその実験のためだけに……、俺は、玉藻に俺の靴下を噛ませ、自慰を促した。……そうだ、そこまでは、俺の本意だった。
けれど、その後……、俺は、何をしていた。どうにも、強烈な閃光に包まれたようで、その情景を思い浮かべることができない。右手に、何かじんとする感覚が残っている。……そうだ。俺は、お仕置きと称して玉藻の尻をひたすらに打ち続けていた。けれど、何故だ。何故、そんなことをする必要があったんだ。
俺の欲望のため、か。
俺の欲望とは、……いったい何なんだ。
そうだ……、思い出してみろ。
あの狐と会ってから……、初めて、あのシールを玉藻に貼ったその時から、何かが、何かがおかしくはないか? 何かが、狂っている。……そうだ、狂っているのは、俺だ。玉藻も、早桐も、ソラも、皆、俺に、精神という精神を犯され、狂ってしまった。……だが、しかし、俺自身も。何か、得体の知れないものに、犯され、狂わされている……?
今もなお、そいつは、俺の中でくつくつくつと笑うように呼吸をしている。それは、血液のように俺の身体を巡り……、俺の全身を支配している。ケダモノの血。そいつによって、俺の理性は死に、ただ、屍肉を貪るがごとく、玉藻を、早桐を、ソラを……、蹂躙、してしまう。
何かが、おかしい。
だが……、しかし、確実に、それを異常と思う気持ちも、俺の中で薄れはじめている。今のこの気持ちを、俺は、明日にも思い出すことができるのか?
あの狐は、更に新しい別の道具を用意しておく、と言った。……何だ、この、無性の怖ろしさは。それを手にしてしまえば、俺は最早本当に戻ることのない領域に足を踏み入れてしまう、気が、する。
けれど……、何故。何故、そうにも怖ろしいものに……、俺は、こうも魅力を感じてしまうのだ。全てを捨ててでもそれを手に入れたいと思ってしまうのは……、いったい、何故なんだ。
玉藻は、なおも恍惚の表情で這い蹲り床を舐めまわしている。
床の上には、玉藻のよだれに濡れた靴下が、ぬらりと妖しく耀く。
< つづく >