顔の檻 前編

前編

 5310247869、円。
 強盗集団『アバンチュール』による、結成当時からこれまでの被害総額だといわれている金額だ。
 メンバー全員が女性、しかも美女という異色なこの集団は、しかし他の同業者と比べて特別何かに優れているというわけではない。
 神出鬼没でもなければ、神業的な鍵開けのスキルがあるわけでもない。セキュリティに関する知識もやや詳しい程度でしかないし、超能力のたぐいが使える訳でももちろんない。
 ただ、この集団が他とは決定的に違うところ。
 それは、「限度を知らない」ということだ。
 2009、人。
 先ほど挙げた数字に比べれば、ひどく見劣りする数字だろう。
 そしてこれは、『アバンチュール』に殺害された人間の数でもある。
 まさに、強盗。
 義賊などとは口が裂けてもいえない、極悪犯罪者集団。
 仮に彼女達の全員が心に何かしらのトラウマを抱えているという事実があろうとも、それは少しも弁護の材料にはならないだろう。それほどまでに、彼女達は人を殺す。
 彼女たちの犯行は、至って単純だ。
 たとえば、これまでに最も多く行われ、かつ多くの被害者――イコールで死者――を出している、銀行強盗を例に挙げてみよう。
 ターゲットとなるのは、地方にある銀行だ。都会に比べて警備は薄く、しかし多額の金を保有しているからだ。
 まず、数人が銀行内に入り、持っていたサブマシンガンを乱射する。支店長と思しき人間以外の全員を、客も店員も男も女も大人も子供も老人も、無差別に撃ち殺すのだ。
 次に、ショック状態になっている支店長を脅し、金庫・ATM等をすべて開けさせる。
 最後に役目を終えた支店長を撃ち殺した後、警察が来るまであるだけの金を回収してから去るという寸法だ。
 警察がやってくる頃には、そこには幾多もの屍と、『Au Revoir!』と書かれたカードのみが残っているという状況だ。
 犯罪というのは、大抵が人質によって失敗する。なぜなら、彼らは生きているからだ。生きているからこそ、犯罪者の顔を、声を覚えることができる。抵抗することがあるかもしれないし、もしかしたら犯人を捕まえることだってあるかもしれない。
 よって、全ての人間を殺してしまう彼女たちには、失敗ということがない。
 そんな彼女達に対して、警察はひたすらに無力だった。
 理由は簡単だ。現在の法律では、仮にどれほどの極悪犯罪者にも人権というものが認められているからだ。
 現在の法規的な手段では、全く歯が立たない相手。
 だから国家が、秘密裏に警察とは全く別の組織――『IORO』、通称『イオロ』――を作ったのも、自然な流れだったのだろう。

※※※

 妙齢の女性が、一人喫茶店内でため息をついた。
 彼女の名は、本木春奈(もとぎ、はるな)といった。
 今年で二十四歳になる。
 何より目を引くのが、その容姿であろう。
 とびきりの美人である。
 肩ほどまである、ウェーブのかかった金髪。
 つり目がちな双眸からは、意志の強い光が絶え間なく周囲を射抜いている。その眼差しにやられ、「踏まれたい……」などと呟く男(バカ)共が数多く存在するというのも、彼女の美貌を現す一つの指数であろう。
 その肉厚な唇から漏れる息は、まるで媚薬でも入っているのではないかと思うくらいに艶かしい。
 スタイルも、また良い。
 スラリとした脚、艶美な曲線を描く腰、豊かな胸。そのどれを一つとっても、それだけで古今の芸術家たちがこぞって題材にしたがるようなものばかりだ。
 ただ一つ挙げるとすれば、残念なことにその美しい目の下には現在、深い隈が現れているというところだろうか。
 事実、彼女は大変焦っていた。
 彼女の親友かつ相棒である益子詠歌(ますこ、よみか)と、ここ一ヶ月ほど全く連絡がついていないからだ。
 彼女たちは、現在世間を騒がせている強盗集団『アバンチュール』の首領とその右腕であった。
 春奈たちは、今から一ヶ月ほど前、ある銀行を襲った。
 それ自体はうまくいったのだが、それから皆に連絡を取ろうとしたところ、詠歌にだけ連絡がつかなかったのだ。
 もしかして警察にでも捕まってしまったのだろうかと思うと、食事も睡眠も満足にとれなかった。
 それはもちろん自分が捕まることに対しての恐怖でもあったが、それ以上に春奈は益子詠歌という人間を大切に思っていたからだ。
 幼少時。ある事件から心を閉ざしかけていた自分を支えてくれた、唯一無二の親友。
 彼女が居たからこそ、今の春奈があると言っても過言ではないだろう。
 最も、それが周囲にとって幸福かどうかは、全くの別問題なのだが。

 春菜がコーヒーをもう一口飲もうとカップを持ち上げたとき、彼女の携帯が着信を告げた。
 相手は、公衆電話となっている。
 春奈は訝しく思いながらも、震えている携帯のボタンを押し、耳に当てた。

「もしもし、『椿』?」

 電話口からの声に、春奈は息をのんだ。『椿』とは『アバンチュール』内での春奈の呼称だからであり、そしてそれを呼んだのが間違いなく現在彼女が最も案じている相手――詠歌の声であったからだ。

「『暦』なの!?」

 声を殺しながらも、春奈は電話の向こう側に向かって叫んだ。『暦』とは、集団内における詠歌の呼称である。

「うん、わたし」
「一体どうしたのよ! ここ最近、全然連絡つかなかったじゃない! すごく心配したんだから!」
「あは、ごめんね。実はちょっと、気になる話があってさ。調べてたんだ」
「……気になる、話?」

 心配していたことを軽く笑われたことを不快に感じはしたものの、詠歌の言葉に『アバンチュール』首領としての血が反応する。詠歌が「気になる」と言った場合、それはすなわち巨額の儲け話を指すのだ。
 ごくりと、春奈の喉が鳴った。

「あは、気になる?」
「……詳しい話を、聞かせて」
「うん、いいよ。今どこ?」
「駅前の『喫茶カブラ』。そっちは?」
「ん、二駅くらい隣の公衆電話。じゃあ、わたしがそっちに行くね」
「わかった。じゃあね」

 それから三十分程後。
 ベルの音を響かせながら、木造のドアを開けて詠歌が入ってきた。
 さらさらの黒髪を無造作に後ろで縛ってポニーテイルにしている、春奈と同じ二十四歳である。もっとも、その外見からではそう判別するには難しいだろう。
 百六十にも達しているか微妙である身長に加えて、ぱっちりした目、陽気でやや舌足らずな喋り方であるため、高校生と間違われることもよくあるらしい。
 とはいえ、十分に彼女は美しい。陳腐な比喩だが、春奈を太陽としたならば詠歌は星といったところだろうか。
 席に着くなり、詠歌は口を開いた。

「さて、と。まず、麗しの春奈お嬢様はわたしのことが心配で眠れなかったご様子で」
「何よ。本当に心配したのよ?」
「あはは、だからごめんって。それより、これ見てよ」

 そう言って詠歌は一枚の紙を取り出した。春奈は未だ釈然としないながらも、その紙を取り上げ、眺める。

「……っ!」

 そして、それが何かを把握するなり息をのんだ。

「これ……!」
「ね、びっくりしたでしょ? 目銀の見取り図」

 まさしく、それは国内で最大の規模を誇る、目木銀行の見取り図であった。

「あと、これね」
「……!」

 もはや、春奈は驚きで声すら出なかった。
 それには、「銀行移転計画書」と書かれていた。
 当日の警備員の配置や金の輸送ルートなどが、鮮明に図とともに記されていたのだ。

「ね? すごいでしょ?」
「……これ、本当?」
「何よ、わたしを疑うの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……それにしても、これはデカすぎるんじゃない?」
「どうもわたしたちが活躍してるから、警戒しやすいところに移動したいらしいのよね。でも、世間に公表なんかすると立場が危ういし、逆に狙われる可能性もあるからってことで、秘密裏にするらしいよ? ま、こうしてしっかりばれちゃってるんだけどね。ちなみに、秘密裏にしなくちゃいけないから警備も最小限。どう?」
「……確かに、狙い目かも、ね。でも、どうするの? いくら警備が少ないって言っても、目銀よ? リスクが大きすぎない?」
「まあ、ね。でも、今しかチャンスはないし。それに、いつもみたいに田舎ばっかり襲うってのも、なんだか飽きない?」
「まあ、そうね……」

 春奈は、未だ興奮冷めやらぬ様でうなずいた。あまりにスケールの大きい話に、未だ感情が不安定なのだ。実際、この強襲が成功すれば、これまでの総額と匹敵するかもしれない程の大金が手に入るかもしれない。落ち着けという方が無理だ。

「この話、ほかに誰かに話した?」
「そんなわけないじゃん。春奈が最初に決まってるでしょ」
「そ、よかった。さすがにここまでデカイと、いきなりみんなに話すのはかえって危険だからね」
「そんなことわかってますー。とりあえず、ここじゃなんだから、詳しい話は移動してからにしない?」
「ええ、いいわよ」
「おっけ。近くに、秘密の話をするのに最適な場所を見つけたから、そこに行こ」

 そう言って、詠歌は伝票を持って立ち上がった。
 会計を済ませ、二人で店の外に出る。
 ちょうどタイミング良くやってきたタクシーを、詠歌が呼び止めた。
 春奈、詠歌の順で後部座席へと乗り込む。

「それで、なんていう店なの?」

 春奈の問いに対し、詠歌は微笑みながら言った。

「うん。『イオロ』って言うんだよ」
「ふうん……? なんだか、変な……」

 名前ね、と春奈が言おうとしたところで。

 前席の運転手が、振り向いた。
 ガスマスクをしていた。

「なっ……!」

 間髪入れず、ボフッ! という音と共に、車内が煙に包まれた。
 即効性の麻酔薬なのだろう、早くも意識が朦朧としてくる。

「くそ……っ!」

 春奈はとっさに脚の付け根に隠していた銃を抜こうとするが、その前に腕を捕まれたために取り出すことはできなかった。

「!?」
「だめだよ。罪は償わないと、ね?」
「よ……よみ、か……?」

 春奈は一瞬、何が起きたのかわからなかった。
 そして、最後まで何が起きたのかを理解することなく、春奈の意識は瞬く間に深い闇へと沈んでいった。

※※※

 春奈が目を覚ますと、彼女は椅子に体を縛り付けられていた。
 拘束椅子である。
 手足は固定されていたため、頭だけを動かして周囲の状況を確認する。

「……っ!?」

 そして、息を呑んだ。
 春奈が居たのは、一辺が三メートル程の立方体の形をした密室だった。
 そしてその全面には、写真が隙間なく貼られていたのだ。
 顔写真。
 男も女も大人も子供も老人も、全て。
 死体の写真。
 蜂の巣になったのもぐちゃぐちゃに潰れたのもバラバラに吹き飛んだのも、全て。
 顔。死体。顔。死体。死体。死体。顔。顔。顔死、死体、死体顔、顔顔体顔死死顔体体顔死顔顔体体死顔顔体顔死死顔体体体顔死体顔死体顔顔体顔死死顔体体顔死顔顔体体死体顔死体顔死顔顔体顔死死顔体顔死顔顔体死体顔死体顔死、顔。
 何百枚、何千枚もの写真が、部屋中から隙間なく春奈を見つめていた。

「何よ……これ……」
「ああ、気がつきましたか」
「……っ!」

 春奈が呟くのと同時に正面の壁の一部が後ろに開き、そこから一人の男が入ってきた。
 白衣に眼鏡の、品の良さそうな青年である。

「あ、初めまして。僕は滝川成人(たきがわ、なるひと)といいます。『イオロ』の『説得官』ってことになってますんで、よろしくお願いします」

 そう言って滝川と名乗った青年は軽く頭を下げると、周囲を見渡しながら言った。

「どうです、壮観でしょう?」
「……一体、何のつもりですか? こんなところに監禁して」
「……? ああ、なるほど。最初に自分の状況確認ですか。やっぱり、首領ともなると行動が合理的ですね」
「何を言ってるんですか? これ、犯罪なんですよ?」
「……ぷっ」

 春奈の追及に、滝川は軽く吹き出した後、次第に大声で笑い出した。

「あはははははっ! そうですか、犯罪ですか」
「何を笑ってるんですか。どれだけ重いことか、わかってるんですか?」
「いいえ、全然」
「な……っ!」
「それに、これは全くもって犯罪なんかじゃありませんから。安心してください」
「はぁ? 意味が分からないんですけど」
「それはですね。僕が所属している『イオロ』は、この国で唯一法律を無視して行動できることが許可された組織なんですよ。だから、ここで僕が何をしたって犯罪にはならないんです」
「何、馬鹿なことを言ってるんですか? そんなもの、あるわけがないでしょう!」
「うーん……。でも、実際にあるから、こうしてる訳ですし……。なんなら、許可証とか見ます?」

 滝川の飄々とした態度に春奈は苛立ちを覚えたが、すぐに気を取り直した。何はともあれ、この状況から脱出することを最優先としたのだ。

「見せてもらわなくて結構です。それより、私を早く解放してください」
「うーん、そりゃ無理ですねぇ」
「どうしてですか! 意味が分かりません!」
「うーん……。じゃあ、『アバンチュール』首領である元木春奈、通称『椿』の拘束とでも言えば、わかりますか?」
「……っ!?」

 春奈は思わず反応してしまう。

「お、わかったっぽいですね」
「ば……馬鹿なこと言わないで! 私はそんなんじゃない!」
「そんなことを言われてもですね……。証人も居る訳ですし」
「証、人……?」

 滝川の言葉を反復する春奈に対し、滝川は嘲るように唇を歪めると、部屋の外に向かって呼びかけた。

「入ってきていいですよ」

 少しの間の後、ジャラ……という金属音と共に、新たな人影が現れた。
 春奈は入ってきた人物を見て、自分の目を疑った。
 それは、他ならぬ詠歌だったのだ。

「な……!?」

 そして、更に春奈は驚愕した。
 詠歌は、首輪に鎖という装飾品以外には、一切何も身に付けていなかったからだ。
 やや小振りだが綺麗な形の胸も、カモシカのようにスラリとした脚も、全てが露になっている。
 また、そのきめ細やかな肌の至る所には、「わたしは犯罪者です」「わたしに人権はありません」などの言葉が、綺麗な字で所狭しと書かれている。全て、詠歌の字だった。

「ど……どうして…………」

 あまりのことに言葉が見つからない春奈を一度軽く見た後、詠歌は滝川の後ろまで歩いていき、そこで四つん這いになった。滝川はなんの躊躇いもなく、その柔らかな背中に腰を下ろす。そして、詠歌の首に繋がった鎖を指で弄びながら言った。

「ご覧の通り、彼女は自分の罪を認めたんですね。そして、少しでも償いをしたいということで、こうして我々の役に立ってもらっている訳です。ねえ、詠歌?」
「はい……おっしゃる通りです」

 答える詠歌は、屈辱的なことをしているにも関わらず、その目は潤み、白い肌はほんのりと朱く染まっていた。

「よ……詠歌! 一体どうしたのよ! その格好はなんなのよ! どうしてそんなことしてるのよ!」

 春奈は、先ほどしらを切ったばかりだということも忘れ、怒鳴る。それほどに、信頼していた詠歌の姿は衝撃的だった。

「春奈、わたしね、気づいたんだよ。わたし達がしてきたことって、とっても酷いことだったんだって」

 言葉だけなら、普通に自らの過ちに気づいたように聞こえる。
 だが、首輪を着けたまま四つん這いになった上、他人の椅子として振る舞っている状態で発する言葉ではなかった。
 それに、春奈は決して詠歌がそんなことを言うはずがないと知っていた。
 詠歌の抱えていた過去は、彼女のそんな発言を絶対に許しはしないはずだ。

「詠歌………。あんた、一体詠歌に何をしたのよっ!」

 その言葉の後半部分には莫大な量の殺意が込められていたが、向けられた先であるところの滝川は、冷笑を浮かべるだけだった。

「なに、簡単なことですよ。毎日この人達に見つめられながら、僕の『説得』を聴く。それだけです」
「この人達……?」

 そう言われ、春奈は周囲を今一度見渡す。隙間なく埋め尽くされた写真が、否応でも目に飛び込んでくる。といって、これといった関連性も見当たらない。強いて言えば、顔写真のすぐ近くには同一人物と見られる人間の死体写真があるということくらいだ。
 死体……?
 そこまで考えたところで、春奈は愕然とする。

「ま、まさか……」
「お、気づいたみたいですね。そうです。この人達は、皆あなた達に殺された人達です。二千九人、いらっしゃいます」
「……!」

 その言葉を聞いた途端、春奈は周囲から感じる視線が一気に殺意を帯びたように感じた。
 無差別に無造作に無慈悲に無感情に殺されたことへの、恨み。
 二千九人の顔と二千九体の死体が、積もり重なり春奈を押しつぶそうとしていた。

「……でも、それが何?」

 だが、そのような莫大な負の感情を浴びせられながら、春奈の口から出たのはその一言だった。

「こんなの、たまたま運が悪かっただけじゃない」
「ほー。運が悪かっただけ、ですか」
「そうよ。八つ当たりしないで欲しいわね」

 春奈には、死者達に対する罪悪感などはなかった。どころか、むしろ死んで当然とすら思っていた。口から出たその言葉にも、嘘は少しも含まれていない。

「……ふむむ。これは、思ったよりも深いようですね」

 そんな春奈の様子を見て滝川は呟くと、いきなり指を詠歌の秘所に突っ込んだ。

「な……!」

 気色ばむ春奈をスラリと無視しながら、滝川は更に指を奥深く進める。詠歌は一瞬ビクリとしたが、すぐに恍惚の表情を浮かべ、軽い喘ぎ声をあげ始めた。そんな詠歌には少しも関心を見せず、滝川はしばらく詠歌の膣内をまさぐっていたが、やがて何かを掴みながらその指を抜いた。
 それは、プラスチックのケースに入った注射器だった。

「……は、何よ。結局、薬漬けにでもするの? 詠歌もそうやって壊したんでしょう!」

 春奈は怒鳴るが、内心では震えていた。『アバンチュール』はあくまで強盗集団であり、薬物などに対する耐性などの訓練は行っていない。一般人と同レベルの耐性しかないのだ。

「んあ? ああ、安心してください。これはそんなに毒性の強いものじゃないですから。ただ、少しだけ頭がぼーっとなる程度のものですよ」

 そう言いながら、滝川は詠歌の背から立ち上がると、手早く注射器をケースから取り出し、春奈の二の腕に突き刺した。

「いたっ……!」
「あ、ごめんなさい」

 謝罪の言葉とは反対に、滝川は全く戸惑うことなく注射器内の液体を全て春奈の体内へと送り込んだ。
 薬が、血流に乗って春奈の内部を駆け巡る。思考にモヤがかかり、意識が濁り、考えるのが面倒になってくる。
 春奈は、軽いトランス状態へと陥りつつあった。
 反応を見せなくなった春奈の様子を滝川はしばらく観察していたが、薬が効いているのを確認すると、耳元に口を寄せてささやいた。

「春奈さん、聞こえますか?」
「……はい……」
「周りには、何が見えますか?」
「………ひとの、顔が……たくさん……」
「そうですね。では、何人居るか数えてみましょう」
「……かぞえる……」
「そうです。さあ、ではあの人から数えていきましょう。ほら、ひとり、ふたり……」
「……さん、……よん……」

 トランス状態になっている春奈は、滝川から言われた通りに数を数え始める。

「いいですよ。そうやって、どんどん数えていきましょう。数えていく度に、あなたは心の深いところにどんどん沈んでいきますよ……」
「…………ご、…………ろく………………」

 春奈は数を数えるたびに、段々と視線が下を向いていく。力の抜けた口元から、よだれが一筋垂れた。

「沈んでいくと、段々幸せな気持ちになってきます……。沈めば沈む程、その気持ちは強くなっていきます……」
「………………なな………、……………はち………………………」

 滝川の言葉を受け、数を数える春奈の顔が幸せそうに緩んできた。

「十まで数えると、あなたは心の一番深いところにたどり着きます……」
「……………………………きゅう………………」

 もう、春奈の顔はほとんど下を向いている。

「心の底では、僕の言ったことは全てあなたにとって真実となります……」
「…………………………………………」

 じゅう、と。
 呟くのと同時に、春奈の頭がガクンと脱力した。軽く開いた口元から、よだれが一筋垂れた。
 実のところ、滝川が春奈に打ったのは、毒薬の一歩手前といっていいものだった。『イオロ』が独自に開発したもので、投与された人間は意識の活動が緩慢になり、外界からの情報を直接無意識で受け止めるようになる。催眠術と併用させれば、その効果は何倍にも跳ね上がる。

「………春奈さん、今あなたはどこに居ますか?」
「…………………こころの、そこ………………」
「そうですね。では、僕は誰ですか?」
「………………?」
「わからないなら教えてあげましょう。僕は、あなたの心の声です」
「……わたし………」
「そうです。ここはあなたの心の底です。ですから、そこで聞こえるのは心の声です。わかりますね?」
「…………はい………」
「また、ここはあなたの中ですから、あなたの他には誰もいません。ですから、何も気にせずありのままを話すことができます。いいですね?」
「………はい………」
「はい、では深呼吸をしましょう。吸って……吐いて……吸って…………吐いて……………」
「……すぅ………はぁ……………すぅ………………はぁ…………………」

 春奈が深呼吸を繰り返し、催眠の深度を深めていく様子を見て、滝川は満足げに笑うと本格的に暗示を与えていく。

「あなたは、死ぬことが怖いですか?」
「………はい………」
「そうですね。何故だかわかりますか?」
「…………いたいから…………」
「そうです。死ぬことは、とても痛いことです。銃で撃たれたら、痛い。首を絞められでも、痛い。つまり、死ぬということは、とてつもなく痛いことなのです」
「……いや………こわい………」
「そうです。だから、あなたは死んだり、殺されたりすることに、物凄い恐怖を覚えます」
「…………」

 実際に自分が死ぬことを想像したのだろう、春奈は見るからに不安そうな表情になっていく。自我の働きが鈍いため、恐怖を押さえることができないのだ。
 最も、これは春奈の幼少時の経験にも起因する。彼女の親友である詠歌から全てをきいていた滝川は、春奈の死に対する恐怖が普通以上に存在することを知っていた。だからこそ、この方法で彼女を『説得』することにしたのだ。
 滝川は先ほどからガクガクと震えている春奈を優しく抱きしめる。春奈から漂う色香が滝川を包むが、気にせず続けて耳元でささやいた。

「大丈夫です。あなたが抵抗をしなければ、誰もあなたを殺そうとはしません。だから、命令されたことをしっかりと守り、自ら死のうとしなければ、あなたは安全です」

 春奈は、滝川の言葉を信じ、また滝川の体温を感じることで、見る間に安堵の表情へと変わっていく。これで、春奈は今後滝川達のすることに対し、一切の抵抗ができなくなった。
 滝川は春奈から体を離すと、しばしの間思案していたが、やがて再び春奈の耳元に口を近づけ、暗示を与えだした。

「春奈さん、あなたは……」

※※※

「……では、三つ数えると目が覚めます。一、二、さんっ!」

 パチン、という指を弾く音と共に、春奈は自分の意識が急激に覚醒していくのを感じた。
 春奈の目の前には滝川が詠歌の背に座っており、先ほどから何かを話しかけている。
 春奈は未だすっきりしない頭で、状況を把握しようとした。
 と。

「……お、どうしたんですか? 僕が話しているのに。もしかして眠っちゃったんですか?」

 滝川の言葉はそのまま春奈の心に浸透し、先ほどまでの春奈の記憶を形作る。

「……そうね、あんまり退屈だったから。悪い?」

 この時、すでに春奈の脳内では「説得を長々とされていたが、あまりに退屈な内容だったために眠り込んでしまった」という認識が完成していた。「あまりに退屈な内容だったため、少しも覚えていない」とも。もちろん、注射をされたことや様々な暗示を与えられたことは全て忘却させられている。

「おやまあ、全く反省の色はないみたいですね」
「当たり前よ。私は、詠歌みたいに洗脳されたりはしない。いくら続けても無駄よ、ムダ」
「うーん、それは困りましたね。あまり聞き分けのないようだと、僕としても困ってしまう。正規の官憲にあなたの身柄を渡さなくてはならなくなります」
「なら、さっさとすればいいじゃない」
「いいんですか? あなた、間違いなく死刑決定ですよ?」
「えっ……」

 「死刑」という単語を聴いた瞬間、春奈の顔は目に見えて青ざめた。その変化を楽しみつつ、滝川は気づかないふりをして続ける。

「二千人以上も殺しているのですから、当然でしょ? まあ、あなたも『アバンチュール』の首領ですから、既に死ぬ覚悟は決まっているのでしょうけど」
「そ……それは………」
「ま、あなたが僕の説得されないまでも、まだ聴く意思さえ見せてくれれば、そんなことはしないで済むんですけどねえ」
「…………いいわよ」
「え、なんですか?」
「き、聴いてあげてもいいって言ってるのよ! どうせ、あなたも仕事がないと困るんでしょう? なら、その『説得』とやらに付き合ってあげるわよ」

 滝川は吹き出しそうになるのをこらえる。言い訳が、あまりに白々しい。とても世を恐怖に陥れた強盗集団の首領とは思えない。

「え、いいんですか?」
「ええ、別に。裁判所なんかにいったら、どうせもっと退屈なんだろうし。裁判なんて面倒くさいものに出るくらいなら、まだこうしていた方がマシよ」

 こうしていた方がマシ。
 それは、全身を椅子に縛り付けられ、狭い部屋の中に放置されることの方が、国家の名の下に合法的な扱いを受ける状況よりマシということなのだが。
 滝川はその台詞を平然と言ってのける春奈を満足げに見ると、詠歌の鎖を持って立ち上がった。そして、四つん這いのまま歩く詠歌を半ば引きずりながら出口へと向かう。春奈は今口答えをすることは得策ではないと判断したのか、滝川の詠歌に対する扱いに対してももう何も言わなかった。

「じゃあ、今日の『説得』は終わりです。食事とかの世話は詠歌にさせますから、餓死などの心配はしなくていいですよ。あ、あと逃げ出そうとは思わないでください。仮に逃亡しているのが見つかった場合、問答無用で射殺されますから。嫌でしょ?」
「わ……わかったわよ」

 最後にそうやって釘を刺し、滝川は詠歌の鎖を引いて部屋から出た。途中、春奈が何か言いたそうな目で詠歌を見ていたが、かまわずに扉を閉めた。

「……覚えてなさいよ。すぐに、私の仲間が助けにきてくれる。そうしたら、あなたはせいぜい残酷に殺してあげるわ」

 扉が閉まる瞬間に春奈が言ったその言葉は、誰の耳に届くこともなく虚空に消えた。

※※※

「どう、自分が昔にされていたことを改めて見るのは」

 部屋を出た滝川は、己の部屋に戻る廊下の途中で詠歌に向かってそう話しかけた。

「はい……。昔の自分も、ああされなければ罪を自覚すらできなかったのかと思うと、過去の自分が大変情けなくなります」

 詠歌は、その言葉中に後悔を滲ませながらそう言った。自分も以前は、散々抵抗したのにも関わらず、だ。
 一ヶ月前。銀行強盗の際、逃げ遅れた詠歌は春奈と同様ここに連れて来られた。
 そして、一ヶ月に渡って『説得』された結果、今ではこのように自らを貶すことに何ら躊躇いを覚えない性格へと変わったのだ。
 詠歌を『説得』した張本人である滝川にとっても、詠歌の現状の有様は満足のいくものだった。
 全裸に首輪だけという格好のまま、かつての親友の前に姿をあらわすことに少しも抵抗しない。自らの手で自分の体に尊厳を否定する言葉を書くことすら進んでやってのける。
 そんなことを思いながら、滝川は詠歌と共にエレベーターに乗り込み、自分専用階である「B4」と書かれたボタンを押した。
 一瞬、重力が増加するのを感じ、続いて微かな機械音が響く。数秒もしない内にエレベーターは静止し、扉が開いた。
 滝川は玄関にある濡れタオルを詠歌へ放るのと同時に自分は靴を脱ぎ、室内用のスリッパへと履き替える。そして、手足を拭き終えた詠歌を伴って仕事用の部屋を通り過ぎ、「寝室」と書かれたプレートの掛かっている扉を開けた。
 部屋全体の三分の二はあろうかという、巨大なベッドがそこには存在していた。
 そこまで来ると詠歌は立ち上がり、自らの主人の服を脱がせ始めた。滝川の、少し華奢だが筋肉質の体が現れる。詠歌は滝川の服を丁寧に畳むと、床に正座をし三つ指をついた。心なしか、頬が上気している。

「……どうぞ、この惨めな雌をお好きな様にお使い下さい」

 そんな詠歌の様子に満足したように滝川は鼻を鳴らすと、鎖を引っ張ってベッドに上がった。そんなことをすれば当然詠歌の首が絞まることになるが、詠歌はむしろ嬉しそうに滝川の後に続いてベッドへと上った。
 滝川の方を向いて座った詠歌の目は既に潤み、その股間からは透明な液体が溢れ出ており、ベッドのシーツにシミを作り続けている。
 滝川はそんな詠歌の痴態を舐め回す様に眺めると、自らの股間をアゴで示した。
 詠歌は、直ちにその隆起した肉棒にしゃぶりついた。丹念に唾液をまぶし、濡れていないところがないように先端から根元まですべて舐め尽くしていく。時折軽く唇ではみ、手で陰嚢に刺激を与えることも忘れない。

「れろ……ちゅぷ、ぺろ……はむ、ちゅっ……」

 陰茎の全てが唾液でテラテラと光るようになると、詠歌は今度は大きく口を開け、歯を立てないようにしながらのどの奥深くまで咥えこんだ。そして口内で舌を絡ませながら、顔を前後に揺する。
 一往復するごとに滝川の亀頭が詠歌の喉を突くが、詠歌は苦しげな表情こそするものの、頭部の動きは少しも緩まない。むしろ、回を重ねるごとに加速すらしていく。
 肉棒と唇の隙間から空気が漏れる「ぐぷっ、じゅぷっ」という音が部屋の中に響き渡る。

「ぐ、う………っ」

 詠歌の喉は、滝川の先端が当たる度にタイミングを合わせて収縮し、滝川を責め立てる。緩急をつけた快感に、滝川の限界も急速に迫ってくる。
 ふとした拍子に、滝川のカリを詠歌の歯が軽く引っ掻いた。そして、その刺激が電流となって滝川の陰嚢へと伝わり、肉棒が詠歌の口内で暴れながらそこに精液を噴き出した。
 口内に吐き出された滝川の欲望を、詠歌はじっくり口の中で転がし、よく味わった後に嚥下した。
 幸せそうに微笑む詠歌の耳に、未だ快感さめやらぬ滝川は口を近づけると、そっと呟いた。

「……『暦の懺悔録』」

 その言葉を聞くと、詠歌は瞬く間に目の光を失った。一切の表情が消え、ぼんやりと口を開けたままの状態で静止する。滝川があらかじめ仕込んでおいた、催眠導入キーワードだった。

「聞こえますか、詠歌さん?」
「……はい……聞こえます……」
「これから僕があなたに挿入すると、あなたはまるで今まで自分が殺した人達が自分を集団で犯しているように感じます。僕が入れるのはオマン□ですが、あなたは口も、アナ○も犯されているように感じてしまいます。わかりましたか?」
「……はい……」
「加えて、あなたの体の至る所を、その人達は見つめ、嬲ります。そして、あなたはそうされればされる程感じてしまいます。ですが、どれほど気持ち良くても、私があなたの膣内に射精するまでは、決して絶頂を迎えることができません。わかりましたか?」
「………はい……わかりました……」
「では、僕が三つ数を数えると、あなたはこの状態から普段の状態へと戻ります。またそのとき、今僕が言ったことは全て忘れてしまい、自分がこの状態にあったということも忘れてしまいます。ですが、あなたは無意識下ではこれらのことを覚えていて、僕の言った通りに感じてしまいます。では数えますよ……一、二、さんっ!」

 パチン、と滝川が指を鳴らすと、詠歌はビクッと反応した後、未だぼーっとした顔で辺りを見回した。

「どうしたの? 入れて欲しいんじゃなかったのかな?」

 滝川がそう声をかけると、詠歌はハッとして滝川の方へと向き直り、ベッドの上に頭を擦り付けた。

「お、お願いします! どうか、この雌奴隷を思いっきり辱めてください!」

 そしてそう言うと仰向けに寝転がり、滝川の方へ見えるように股を開いた。そして、性器を自らの手で左右に押し広げ、少しでも自分のいやらしいところが滝川の目に触れるようにする。それは、犬が自らの忠誠を示す姿そのものだった。
『説得』により、詠歌は屈辱的な行為であればある程、快感を感じるように変えられているのだ。
 滝川の舐めるような視線を感じ、詠歌の開かれた穴からあふれる愛液が更に量を増した。

「うん、じゃあ入れてあげるよ」
「あ、ありがとうございま……んああっ!?」

 滝川は、詠歌が言い終わる前に貫いていた。しとどに濡れた、それでも未だ狭い膣内をこじ開けながら侵入していく。
 小柄な上、普段から鍛えていた詠歌のそこは、絶妙な圧力で滝川の肉棒を締め上げ、子宮まで吸い込もうとしてくる。
 滝川は、脊髄を上ってくる快感に歯を食いしばりながら腰を振り出した。

「ん、んあああああっ!? あ、むぐ、んぶうううっ!? うふうううううっ!!」

 一方、詠歌の方は滝川を感じている暇さえなかった。なにしろ、滝川に挿入されたと思った途端、いきなり大勢の人間が自分の体中を嬲り、口、オマン□、アナ○全てを激しく犯しだしたように感じたからだ。
 また、そうやって乱れている自分の姿を、これまで自分が殺した人達が凝視しているようにすら思えてきた。
 彼らの視線を浴びた箇所が熱を帯び、瞬く間に快感へと変わっていく。

「んぐ、んああああああっ! うむ、ふぐっ、ふむうううううううっ!!」
(もっと、もっとわたしを見てくださいっ! こんなに惨めなわたしを蔑んでくだいいいいっ!!)

 三つの穴を貫かれ、体中を無数の手に弄ばれるという、ありえないシチュエーション。
 更に暗示により高められた性感により、詠歌は絶頂の寸前まで一気に上り詰めていった。
 だが、いつまで経っても、一向に絶頂に達する気配がない。
 詠歌の股間からは、泡立った愛液とカウパーの混合液が、滝川に一突きされる毎に飛び散っているし、だらしなく開いた口からは唾液が垂れ流しになっている。顔は既に涙でくしゃくしゃになっている。
 そんな状況でありながら、詠歌は少しも絶頂に辿り着けない。
 我を忘れる程の快感に翻弄されながらも、詠歌はイクにイケない状況に気が狂いそうだった。

「んぐ――――っ!! ふあ、ああああああああっ!! んああああ――――っ!」
(許して、イカせてくださいいいっ!!!)

 詠歌は懸命に周りの虚構の人間達に向かって懇願する。
 いつまで経ってもイケないのは、これまで自分がしてきたことのせいだと思ったからだ。
 顔中涙と涎だらけにしながら、詠歌はなりふりかまわず心の中で謝罪を繰り返す。

「っ、イキたいかっ!? 自分の罪を認めるかっ!?」
「あ、うあああっ!! あう、あううっ! あああああっ!!」

 滝川の呼びかけに、詠歌は必死に首を縦に振る。口も犯されているという暗示のために喋ることはできないが、表情、仕草、声色全てで謝罪の意を示す。
 詠歌のそんな惨めったらしい姿を見て、滝川も興奮を煽られ、限界が近づいてきた。腰を振るスピードを上げ、思いっきり何度も腰を詠歌の桃尻へと打ちつける。結合部から、更に激しく液が飛び散った。

「――イクぞっ!!」

 滝川は短く一声叫ぶと、最後に詠歌の最奥まで己の肉棒をねじ込み、そこでありったけの精を放った。脈動とともに、何度も詠歌の子宮壁を滝川の精液が叩く。

「――ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」

 暗示により、絶頂を許された詠歌は、体中を大きく反らせ、股間から大量の潮を噴きながら盛大に絶頂を迎えた。
 快感が電撃となり体中を駆け巡り、脳髄の隅々まで焼き焦がす。
 絶頂は一度だけでは収まらず、二回、三回と体が跳ねる。
 そしてひとしきり跳ねた後、未だ痙攣しながら詠歌は体中から力が抜けていくのを、幸福感とともに感じた。

(春奈……。こうやって罪を償えば、とっても幸せになれるの……。だから、あなたも早く自分のした罪を自覚して……)

 絶頂に達した後の朦朧とした、意識を失う数秒前で、詠歌はそう親友に向けて心の中で呟いた。

< 後編へ続く >

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