アウトサイダー 第1話(1)

第1話(1)

 煙草の煙が、不思議と似合う女だった。ちょっと蓮っ葉な仕草が妙に艶を持って茅原の眼に止まった。

 仕事で来たのではなかった。気紛れに街へと上り、繁華街の外れで一番寂れていそうなバーに入った。
 錆び付いた鉄扉を潜ると、薄暗くがらりとした店内から二つの視線が寄せられた。壮年の、グレーのアスコットタイを締めたバーテンと、物憂そうに煙を燻(くゆ)らせていた歳若い女性である。二十を越えて三年と経っていまい。ショートの髪を掻き揚げ、シークな色のタンクトップに太股までしかない短いジーンズを穿いている。気怠そうな仕草と反して、妙に鋭い眼が茅原を睨め付けてくる。

「おい、マスター。まさかこのヒョッポイ奴が、じゃねぇだろうな」

 歳に似合わぬ迫力を持った、低く凛然(りんぜん)とした声だった。仕事中なら、これはと思ったことだろう。しかし今は、ご令嬢からやっとこさ半日の休みを勝ち取ってきた所だ。女など飽きがくるほど抱いてきたばかりである。
 女の声に、マスターと呼ばれた男はただ首を横に振って答えた。黙々とグラスを磨いている。赤錆の浮いたような店内で、この男だけが青々と凡庸な気配を纏っていた。ただ、後ろに撫でつけた髪からベスト、タイ、ワイシャツに至るまで潔癖なまでに整っている。
 茅原はバーテンに眼を向けながら黙って女から一つ空けたスツールに腰を下ろした。じろりと、女の目が向いてくるのが分かる。
 ウィスキーを、と言おうとした茅原を女が止めた。

「おい、おい。おっさん、今日は貸し切りだよ。ちゃっちゃと出てっちゃくんないかな」

 やはり良い声だ。それも、どこか懐かしい。何故かは分からない。
 茅原はようやく男から視線を外し、女と眼を合わせた。

「店の看板は付いていたし、扉にクローズとも書いちゃいなかった。無論、貸し切りともだが」

 逆に、女は上玉だということと、良い声だという以外に興味を引くモノを持たなかった。手に持っていた煙草も、いつの間にか消えている。

「そりゃそうさ。こんな寂れた店に入ってこようなんて奇特な奴はいない。たった今までそう思ってた所だよ」

「君以外に誰も客がいないのに貸し切りだって? それとも後から大勢やってくるのかね、こんな寂れたバーに?」

 言い合いを始めても、店の悪口を言ってもバーテンの気配は身じろぎもしなかった。ただ淡々と、俯いてグラスを磨いている。ただぼうっとしているのかと一瞬思ったが、磨き終わったグラスを棚に並べる手も、次のグラスを取る手も落ち着いたままだった。磨き上げられたグラスは、ちょっと寒々しいほどの輝きを放っている。
 対照的に、女の額にはビキビキと血管が浮かび上がり、湯気が立ち上っているようにさえ見えた。

「ずいぶんとご機嫌だなぁおい。それともあたしが女だと思って舐めてんのかい」

「そんなつもりは全くないよ。僕はただ、思ったことを言ったまででね」

 睨み合ったのは束の間だった。

「オーダーは?」

 店と同じく、錆び付いたような声だった。露骨な舌打ちが聞こえ、それから女は手早く煙草を点けた。
 男の年齢は、ちょっと読めなかった。殆ど皺のない肌はまだ三十代にも見えたし、額から僅かに後退した髪や草臥れた眼は五十に届くようにも思える。
 水割りを頼むと、バーテンは酒の種類を聞くこともなく一本のボトルを手に取った。無造作に、グラスに氷と酒と水を放り込む。やはり、ちょっと寒々しいほど冴えた手並みだった。
 こんな男が、こんな場所にいる。それも、カウンターにこんな女を座らせてだ。

「お客さん」

 不意にバーテンが言った。水割りは、元々そこに立っていたかのようにカウンターに音もなく置かれている。
 グラスは細長いやつではなく、両手で覆い隠せるようなロックグラスだった。氷も、ロック用の物だ。

「人が来るのは本当です。それも大切なお客さんでして、なるべく失礼のないようにしたいと思っています。ここは、それを空けたら静かに退席しては貰えませんか」

 視線を交差させたのは一瞬だった。バーテンの眼には、何か物々しいものが宿っている。無理に逆らわない方が良い、と茅原は思った。こういう感覚は大切にしている。

「いいよ。その代わり、明日も来て良いかね」

「はい。では、お詫びとしてお代はその時に頂戴させて頂くということに」

 茅原は頷き、一息にグラスを飲み干した。僅かに、喉を焼く。ロックほど強烈ではなく、水割りのように滑らかでもない。
 一息で飲み干すと思って作ったのか、早く帰って欲しくてこれを出したのか。ちょっと考え、やめた。どうでも良いことだし、酒は、酒だ。
 ちらりと横を見ると、また女が気怠そうに煙を燻らせていた。ただの煙草ではなかったのかもしれない、と茅原は思った。漂ってくる煙には、仄かな甘みがある。立ち上がり、煙を引きずるようにして茅原は歩いた。
 錆び付いた鉄扉のノブを捻る。殆ど暗がりだったが、手に触れた感触でノブがまだ真新しい真鍮製のものだと分かった。表のノブは、扉と同じく赤サビが浮いていたはずだ。なぜノブが、それも内側だけ新しいのか。

(色々と面白い店を見つけたものだ)

 唇を歪ませ、茅原はまた日没を知らぬ街へと体を揺らした。

< 続く >

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