痛みを覚えるほどに燦燦と照りつける太陽の下。
とある海沿いのイベント会場は、日差しなどものともしない程の熱気に包まれていた。
半円形の屋外ステージを取り囲むように並んだ数千の観客席は、殆どが目を爛々と輝かせた男性客たちで埋まっていた。
ステージの上部に架かった巨大な横断幕には、ヤシの木のイラストをバックに、カラフルでポップなフォントで
『真夏の☆トロピカルライブフェス』
という文字が躍る。
そう。
この年に一度のフェスは、地下アイドルマニアの男性ならば誰もが知る、憧れのイベントであった。
真夏の暑い盛りに行われるこのイベントの一番の特色、それは、『全てのパフォーマンスが水着姿で行われる』ということである。
年頃の少女たちが代わる代わるビキニ姿でステージに登場し、得意の曲に合わせて踊りや歌を披露する。
普段はなかなか見ることが叶わないアイドルたちの水着姿でのパフォーマンスは、夏バテなど一発で吹っ飛ぶほどの元気を観客たちに与えてくれるというものだ。
若くて健康的な少女たちが一堂に会し、普段のイベントに比べて露出度の高い水着姿で、弾ける笑顔と元気な肢体を披露する。
それを一目でも見ようと、古参・新規を問わずマニアたちがこぞってチケットを奪い合い、今日も日本中からこのイベント会場に押し寄せていた。
イベントが開幕し、総勢30人の少女たちがオープニングの挨拶のために壇上に現れると、会場の参加者たちから大きな歓声が沸き上がる。
なお、この時点では彼女たちは私服姿のままだ。水着姿は、それぞれのユニットのパフォーマンスの出番が回ってくる瞬間までのお楽しみである。
私服姿の少女たちが代わる代わる口上を述べる度に拍手や歓声が上がる。
終盤に差し掛かった辺りで、三人組のユニットに出番が回ってくると、会場の熱狂が一際大きくなる。
「みんなー、今日はとっても暑い中、来てくれてありがとねー♪
あたしもー、今年は暑くなるって聞いてたから、今日はちょっと勇気を出して大人っぽい水着を用意しちゃいましたー。楽しみに待っててねー♪」
壇上のアイドルが少しおっとりとした声で挨拶をすると、周囲の観客から盛大な歓声が沸き上がる。
茅ヶ崎ミカ。
三人組のアイドルユニット『ソルシエール』の最年長にして、リーダーでもあった。
『小悪魔系アイドル』を売りにしているソルシエールは、最近メディアでも取り上げられることが多く、今回のフェスにおいても最も注目を集めている地下アイドルのうち一つだ。
ミカは、その中でも一際男性ファンからの人気が高かった。
その魅力の理由として、「のんびりとした性格」だの「右目の下の鳴きぼくろ」だの「黒くてふわふわとした長髪」を挙げる男性ファンもいるが、実際のところ、彼女が男を魅了してやまないチャームポイントはたった一つ。いや、「二つ」と言うべきかもしれない。
そう、言うまでもなく、その大きなおっぱいであった。
88センチ、Fカップ。大きいだけではなく形も張りも一級品のバストを持つミカは、雑誌のグラビアなどでも引っ張りだこ。
彼女のその柔らかな双丘に顔を埋めてみたいというのは、彼女のファンの共通の夢であった。
そのたわわに実った果実が水着の中で跳ね回る光景を目に焼き付けたい一心で、はるばる遠くの地から飛行機で足を運んできた者も少なくない。
「ボクも、今日はいっぱい動き回るつもりで水着を選んできたよっ! みんな、うっかり瞬きなんてして見逃さないようにね!」
良く通った、元気いっぱいの声が会場に響き渡ると、それに呼応するように「おー!」というエールが観客席から返ってくる。
湘南エイミは、スポーティーが持ち味のボーイッシュな面持ちの少女だった。
幼い頃からダンスレッスンに打ち込んできた彼女は、ソルシエールの中でも派手でキレのあるパフォーマンスに定評がある。
全体的に引き締まった健康的なボディラインは、トランジスタグラマーが自慢のミカとはまた異なった方向性の層に人気があった。
エイミの芸術的とすら言えるダイナミックな動きは、ライブパフォーマンスのマニアから根強い支持を受けている。
最近は、プロの劇団やアスリートからもスカウトの声がかかっているとのもっぱらの噂だ。
「えへへ、お兄ちゃんたちがいっぱい来てくれて、ルミすっごくうれしいな! ルミ、お兄ちゃんに喜んでほしくて、可愛い水着を一生懸命選んできたんだ~!」
身長145センチ程度の、ツインテールの幼い女の子の挨拶に、会場の一部から野太い声援が沸き起こる。
江ノ島ルミ。
ソルシエールの中でも最年少の彼女は、そのあどけないルックスと小柄な体型が持ち味だ。
実年齢に輪をかけて幼く見えるため、最近は子役としても活躍しているほどである。
舌っ足らずな喋り方に加え、ファンのことを『お兄ちゃん』、さらに一人称に自分の名前を使うあざとさは、「狙いすぎ」という評価を受けることも少なくはない。
だが、それが一部の層に劇的に「刺さる」らしい。大っぴらに公言する勇気を持つ者が少ないだけで、潜在的なファンの数で言えばリーダーのミカをも上回るのではないか、と評されることもあるほどだ。
事実、昨年のこのイベントにおけるルミの生写真は、ソルシエールの3人の中で一番の売り上げを誇ったという。
『アイドルの専門家』と名乗る人物が匿名掲示板に投稿した分析によれば、小さな子供にしか見えないアイドルの水着姿という組み合わせが禁忌感を呼び起こし、思わず手が伸びてしまうのだそうだ。
理屈はよく分からないが、ルミの生写真を300枚購入したらしい専門家が言うからには間違いないのだろう。
茅ヶ崎ミカ、湘南エイミ、そして江ノ島ルミ。
方向性は違えど、互いを補い合うような魅力こそが地下アイドルユニット『ソルシエール』の根強い人気の秘訣である。
その筋の情報によれば、既にメジャーデビューに向けた準備を着々と進めており、今年のうちにでもデビューすることは確実視されているとのことだ。
やがて、出場者全員の挨拶が終わるとアイドル達は一度壇上から舞台裏に降り、それぞれに割り当てられた控室で水着パフォーマンスの準備に備えるのだった。
舞台裏。
出場予定のアイドルたちは、来るべき自分たちの出番に向け、衣装合わせや最後のリハーサルに忙しなく動き回っている。
そんな中、ソルシエールの3人は、出場者たちの控室がずらりと並ぶ廊下を悠然と歩いていた。
そして、先頭を歩いていたミカが、一つの扉の前で立ち止まる。
「『由比ヶ浜マヤ』……この部屋ね」
ミカは扉に掲示されたプレートに書かれた名前を確認すると、こんこんと扉をノックする。
「はーい、どなたですか?」
扉が開き、ひょっこりと一人の少女が顔を覗かせる。
ふわふわの髪の毛に、ぱっちりとした目、そして赤みがかった唇。
年齢はエイミと同じくらいに見えるが、ボーイッシュさを前面に推し出したエイミとは対照的な、女の子らしい魅力を強調したタイプと言えた。
「こんにちは。ちょっとお話いいかしら?」
扉が開くやいなや、ミカは笑顔を崩さないまま有無を言わさずに自分の足をその隙間に突っ込み、強引に部屋へと押し入った。そして、そうするのが当然とでも言うかのように、後ろからエイミとルミも続き、マヤの控室へと押し入る。
最後に部屋に入ったルミが、「よいしょ」という芝居じみた掛け声とともにドアを閉じる。
10秒もしないうちに、マヤの控室は、3人の来訪者によって完全に占領されてしまった。
「あなたが、由比ヶ浜マヤさんかしら?」
「え? はい、そうですけど」
マヤと名乗った少女は、よくわからない様子できょとんとした表情を浮かべていた。
天然なのだろうか、突然部屋に押し入ってきた3人もの相手に囲まれているにも関わらず、特に恐怖やプレッシャーは感じていないようだ。
「そう、良かった。一つ確かめたいことがあるのだけど、あなた、今日のイベントのトリを引き当てたんですって?」
「あ、そうなんですよ! えへへ、あたし、こういうのって初めてだから、ドキドキします!」
このイベントでは出場者同士の公平を期すため、前もって全員を集めてくじ引きを行うことでプログラムの順序を決めていた。
中でも、一日のラストを飾る『トリ』は、もっとも観客から印象に残る、最重要とも言えるポジションである。
それに当たったのがこの少女、由比ヶ浜マヤだったのだ。
喜ぶマヤを見下ろしながら、ミカは冷たく微笑んだ。
「あら、とっても無邪気なのね。でもあなた、まさかとは思うけど本気でこのイベントのトリを務めるつもりなの?」
「ふぇ? どういう意味ですか?」
不思議そうに首を傾げるマヤに対して、ミカは大げさな仕草でため息を吐いた。
「はぁ……危なかったわ、本当に誰も説明していなかったのね。あなたがステージ上で大恥をかく前にお話しできて、本当に良かった。
あのね、こういうイベントのトリって言うのは、一番観客たちの期待が集中するポジションなの。つまり、トリの出場者は、観客の皆さんの期待に応え、盛り上げることが求められるの。それは分かるでしょ?」
「はいっ!」
「そんな雰囲気の中で満を持して登場するのが、あなたみたいな新人アイドルとか、知名度の低いアイドルだったりしたら、観客の皆さんの期待はどうなるか、言わなくても分かるわよね?
本来、こういう時は、言われなくても新人の方からベテランに対して『出番を代わって下さい』って申し出るものなのよ?
――本当に、私が気を利かせて声を掛けなかったら、今日のイベントがぶち壊しになるところだったわね?」
この上なく恩着せがましい物言いでミカがまくし立てる。
これだけ言えば、ミカが何が言いたいのかこの新人アイドルにも伝わるだろう。
実のところ、マヤがくじ引きでトリを引き当てた直後に声を掛けようと思っていたのだ。しかし、少し目を離した隙にいなくなってしまい、連絡先も分からなかったため本番当日まで接触を図れなかったのだ。
ミカたち3人は知り合いのアイドルや関係者に由比ヶ浜マヤについて尋ねたのだが、誰もが声を揃えて「聞いたこともない」と答えた。
流石にマヤの方も状況を飲み込んだのだろう、力強く一回頷いた。
「そうだったんですか! すみません、私ってこういうことに疎くて……あのっ、今更なんですけど、一つだけ質問してもいいですか?」
「ええ、気になることがあったら何でも聞いてね?」
優しく微笑みかけるミカに対して、マヤは不思議そうな顔で疑問を投げかける。
「ええと……あなたたちは、スタッフの人たちなんでしょうか?」
「……は?」「え?」「へ?」
ミカ、エイミ、レミの3人が揃って驚愕の声を上げる。何せ、『ソルシエール』と言えばアイドルファンなら誰もが知っていて当然の、いや、それどころか多くの一般人ですら地下アイドルのユニット名だということ程度は認識している存在である。
「……まさかあなた、本気で私たち『ソルシエール』を知らないって言うの?」
「……『ソルシエール』?」
マヤの眉がぴくりと反応する。流石に名前くらいは知っていたということだろうか。そんなミカの予想は残念ながら裏切られた。突然、マヤが可笑しくて堪らないとでも言うようにくすくすと笑い始めたのだ。
「くすくす……もしかしてそれ、フランス語で『魔女』って意味の? おっもしろーい……」
「一体何がおかしいのよ! いい、知らないなら教えてあげるけど私たちはね……!」
「あ、いいわ、自分で調べるからちょっと黙ってて?」
「……っ!?」
『黙ってて』という言葉がマヤの口から紡がれた瞬間、ミカの言葉が途切れる。もちろん、マヤの言葉に従おうと思ったわけでは微塵もない。
急に、マヤから発せられる例えようもない威圧感に気圧され、言葉が続かなくなったのだ。
マヤは、動きが止まったミカの方に手を伸ばすと、軽く額に触れる。
「ふーん、なるほどね……じゃあ、そっちの子たちは?」
「……っ!」
強張った顔つきでミカの横に立っていたエイミとルミの額にも同じように触れていく。
不思議なことに、二人も、マヤがちょんちょんと額に触れる間、まるで蛇に睨まれた蛙のように黙って突っ立っていることしかできなかった。
「ふふ、大体わかったわ、ありがとね」
「い、いきなり何のつもりよ!」
マヤが静かに微笑むと、ようやく自由を取り戻したミカがマヤを睨み付けた。
「口で説明してもらうよりも、直接あなたたちの心に聞いた方が早いでしょ?
ええと……茅ヶ崎ミカさんと、湘南エイミさん、それと江ノ島ルミさん? 確かに、今日のお客さん達からの人気はあるみたいね」
マヤは、とても新人アイドルとは思えない落ち着き払った様子で3人を見回す。
「くすくす……それにしても、それだけの人気を勝ち取るために随分『色んな事』をしてきたのね?
ライバルユニットのスキャンダルをマスコミにリークしたり、イベント出場者の衣装を隠しちゃったり……今回のイベントでも、せっかく自分たちがトリになるための『仕込み』まで用意してたのに、残念だったわね?」
「な!? なんでそれを――っ」
顔色を変えたルミが思わず口走るのを、ミカが即座に手で制した。
「あらあら……ずいぶんとひどい言いぐさね。たまにそういう子っているのよね――私たちの人気を嫉んで、あることないこと吹聴するような子が。
……それで、そんな言いがかりをつけるってことは、トリを譲る気はない、という意味なのかしら?」
「そういう風に聞こえたのならごめんなさいね。本当は順番のことなんてどうでもいいのだけど――譲らない方が『面白いことになりそう』ね?」
「ふん、あなたにとって『面白いこと』で済めばいいけどね。それじゃあ、マヤさん……せいぜいギャラリーを盛り上げるように頑張ってね?
エイミ、ルミ、行くわよ」
二人に目配せすると、ミカはマヤのことなど一瞥もせずに控室を後にした。
――その後、『ソルシエール』控室にて。
「――やっぱり、アイツ、事前にルミたちがトリのくじだけを抜いておいてたのをどこかで見てて、私たちから盗んだんだ! 絶対に証拠を見つけて失格にしてやるんだから!」
ルミが小さなほっぺたを膨らませて憤慨していた。
実のところ、本来の予定通りならばトリは『ソルシエール』が務めるはずだったのだ。
くじ引きの前に、エイミが倉庫の中に忍び込み、狙いのくじだけを箱の中からあらかじめ抜いていた。そのくじをルミが袖の中に隠しておき、自分たちが引く番にさも箱の中から引いたかのように装うというのが段取りだった。
しかし、いざルミがくじを引くために箱の中に手を突っ込むと、袖の中に仕込んでおいたはずのくじが消えており、代わりに引き当てたのはマヤだったというわけだ。
激昂するルミをたしなめたのはミカだった。
「ルミ、やめておきなさい。どっちにしても証拠がない以上、追及したって無駄よ。仕方ないけど、トリはマヤさんに譲りましょう」
「やられっぱなしで黙ってろって言うの!?」
信じられない、と言わんばかりに睨み付けるルミに対して、ミカはくすりと微笑んだ。
「ふふ、バカね、そんなわけないでしょう? もっといい方法があるって言ってるの。
――そうよね、エイミ?」
「当然! ミカが気を引いておいてくれたおかげで楽勝だったよ」
ミカがエイミに目配せすると、エイミは脇に抱えたショルダーバッグから、黒を基調としたゴシックな装飾の施されたビキニを取り出した。
「ふふ、相変わらず見事な手際ね。その水着さえ手に入れてしまえばこっちのものだわ」
身のこなしと敏捷性に長けたエイミにとって、マヤの意識がミカに集中している隙にマヤの鞄を漁って衣装をくすねるなど造作もないことだった。
「あ、そっか! マヤの水着を盗んで隠しちゃえばステージに出られないってことね?」
「違うわよルミ、そんなことをしたらこのイベント自体が失敗に終わっちゃうじゃない。そうじゃなくて……くすくす、マヤさんが、トリにふさわしくギャラリーの皆さんの目を喜ばせられるように――『お手伝い』してあげましょう?
藤沢さんって言ったっけ? 去年のイベントで私たちに突っかかってきた、あの子みたいに。ね?」
「……そういうこと、ね。だったらルミに任せて! こういうのって、得意なんだ!」
ミカが小さくウインクすると、ルミは合点がいったように生き生きとした笑顔でエイミから水着を受け取る。
藤沢みのりは、昨年のイベントに出場したアイドルである。
正義感の強いみのりは、ソルシエールにまつわる黒いうわさを聞きつけ、悪事の証拠を掴もうとトロピカル・ライブフェスに参加した。
しかし、用意していた水着が『運悪く』不良品だったらしく、みのりが踊り始めたタイミングで突然ビキニトップの紐が切れてしまったのだ。
パフォーマンスの最中にステージから降りるわけにもいかず、胸を腕で抑えながら最後まで踊る羽目になったみのりは、それ以降二度と表舞台に姿を現すことはなかった。
言うまでもなく、みのりがトイレに立った隙にエイミが水着を盗み出し、踊っている最中に破れてしまうようにルミが切れ目を入れておいたのだ。
その時のみのりの羞恥に歪んだ表情を思い起こし、ミカはくすくすと笑う。
「ふふ……大勢の人が見ている前で水着が脱げちゃったら、マヤさんはどんな反応をしてくれるのか楽しみね。
いっそのこと、パフォーマンスに夢中になりすぎて、脱げたことに気付かずに踊り続けてくれたら最高に盛り上がるんだけど」
「任せといて! 藤沢の時は切れ目が広がるのに時間がかかったせいで脱げる前に気付かれちゃったけど、今回は激しい動きをしたら一瞬で脱げちゃうように切れ込みの入れ方を工夫するから」
ルミは、自分の荷物から小型カッターを取り出して、マヤの水着の紐に当てる。
「それにしても、この水着……変わったデザインね。黒地に赤の装飾だなんて、まるで魔女のコスプレみたい」
「あら、誉め言葉と受け取っておくわ。――もっとも、コスプレじゃなくて、本物だけどね?」
「なっ――!?」
ソルシエールの3人とは明らかに異なる声が、控室の中に響く。
一斉に振り向いた3人の目に映ったのは、先ほど別れたはずの由比ヶ浜マヤだった。
それに最初に反応したのはエイミ。
「マヤ! お前、いつの間に!?」
「あら、あなたたちと一緒に控室に入ってきたんだけどね? 単に、『意識が向かないように』してただけよ」
「何をバカなことを……!」
狭い控室の中に一緒にいて、気付かないなんてことがあるわけがない。そう思って記憶を手繰ったエイミは愕然とした。
思い返せば、確かに自分たちはこの部屋に4人で上がっていた。だが、不思議なことに、ずっと視界の中にマヤが入っていたにもかかわらず、まるで道端に転がっている石ころのように誰一人として気に留めていなかったのだ。
「まあ、黙って見ていても良かったんだけど……そろそろ飽きてきちゃった。あなたたち、『魔女』を名乗るくらいだから少しは期待したんだけど、小細工ばっかりでつまらないわ。
せっかくだから、『本物』の力を見せてあげようと思ってね」
「……自分のことを魔女だと思い込んでいる痛い子なのかしら? まあ、どっちにしても私たちの会話を聞かれてしまった以上、このまま黙って帰してあげるわけにはいかないわね。
悪いけど痛い目に遭いたくなかったら大人しく……っ!?」
ミカが力ずくで抑えようとマヤに向けて一歩踏み出した、その瞬間。
3人の目の前で、まるで煙のようにマヤの姿が掻き消えた。
「そ、そんな……嘘でしょ? もしかして、本当に魔法で……!?」
「くすくす、3人ともそんなに慌てふためいて一体どうしたの? もしかして、誰かを探してる?」
「う、ううん……さっきまで、確かにそこにいたはずの由比ヶ浜マヤが、一瞬で消えちゃったの!」
ミカが慌てて控室の中を見渡すが、目の前に立っていたはずのマヤの姿は完全に消え失せていた。
控室の中にいるのは、ミカ、エイミ、ルミと、心から信頼できる仲間であるマヤ様の4人だけ。
パニックに陥っているミカを見て、マヤ様はくすくすと微笑む。
「あら、きっと気のせいよ。この控室の中にいたのは、最初からずっと私たち4人だけだったじゃない」
「そ、そうね……マヤ様が言うくらいだし、間違いないわね……」
怪訝な表情をしながらも、大人しくミカは頷いた。マヤ様の発言は絶対に正しい以上、反論する意味がないのは明らかだからだ。
「……そうだ、そんなことよりルミ! 水着がなくなったことにマヤが気が付く前に、早いうちに仕掛けを終わらせなさい!」
「わ、わかった!」
単なる気のせいであることが分かった以上、あまり時間を無駄にするわけにはいかない。手早く水着に細工をして、何事もなかったかのように再び控室の中に戻さなければ。
作業を再開するために水着にカッターを突き立てようとするルミだったが、刃が当たる寸前に再びマヤ様が囁きかける。
「ふぅん……でもルミちゃん、あなたの手の中にマヤの水着なんてないじゃない」
「え……あ、あれ!?」
愕然とした表情で目を丸くするルミ。
さっきまで確かに左手に持っていたはずのマヤの水着がまたもや消えてしまったのだ。
ルミの左手に残されたのは、誰の物かもわからない、黒地に赤色の装飾が施された布切れだけ。
「ど、どうして!? さっきまで、確かにルミの手の中に握ってたはずなのに!」
訳も分からず困惑するルミに対して、マヤ様は優しく語りかける。
「ふふ……何を言っているのルミ。マヤの水着ならあそこ……あなたの鞄の中にしまってあるでしょう?」
「あ、そうだった!」
指摘されたルミは思い出したかのように自分の鞄を開ける。こんなことを忘れていたなんて、うっかりにも程がある。
自分の鞄の中を探り、水色の子供っぽいデザインのセパレート水着を取り出す。間違いなくマヤの水着だ。
水着を机の上に置くと、ルミは躊躇う素振りも見せずにカッターで細かく切れ込みを入れていく。
これで、一見しただけでは分からないが、パフォーマンスが始まれば激しい動きによって生地が引っ張られ、限界に達すると一気に脱げ落ちてしまうだろう。
いかにセパレートとはいえ1か所が破れただけでは簡単には脱げ落ちないため、1か所が限界を迎えるとともに連動して複数の場所が切れるように調整する必要があるが、手先の器用なルミにとってはこの程度の細工は造作もないことだった。
「よし、できたっ! あとは何も知らないマヤがこれを着てステージに上がれば、踊ってる最中にポロリ間違いなしだよ!」
「くすくす……頑張ったわねルミちゃん。でもちょっと待ってね。ミカちゃんとエイミちゃんも、自分の鞄の中にマヤの水着を入れていたでしょう?
そっちにも忘れずに細工しておかないとね」
「あ……ええ、そうね、忘れるところだったわ。ルミ、これもお願いね」
二人がそれぞれ自分の鞄を開き、ミカがオレンジ色の露出度が高めのビキニ水着、エイミが緑色のスポーティなビキニ水着を取り出すと、迷うことなくルミに渡す。
水着を受け取り、二つのカップの間や肩紐に念入りに細かい切れ込みを入れていくルミの姿を、ミカとエイミは嬉しそうに見守る。
この水着がステージ上で脱げ落ちてトップレス姿を晒してしまうところを想像するだけで楽しみで仕方ないのだ。
程なくして、3着全てのマヤの水着への細工が無事に完了した。
「お疲れ様ルミ。あとは、これをマヤに気付かれないように控室に戻す方法だけど――」
「ああ、ここから先は全部私に任せておいてくれれば何も問題ないわ。
それにね……やっぱり気が変わったから、今日のトリも『ソルシエール』に盛り上げてもらうことにしたの。もともと私、単に興味本位で人間のイベントって奴を楽しみたかっただけだし、ね。
迷惑を掛けちゃったお詫びとして、あなたたち3人が最後まで『自分のパフォーマンスに集中』できるように、私の魔法でお手伝いしてあげる。
さあ、私の目を見なさい――」
その後、イベントは続き、滞りなくプログラムも進行していった。
強いておかしな点を挙げるとすれば、控室と同数のユニットが参加していたはずなのに、一つだけ誰も使っていない控室があったことくらいだろうか。
スタッフも少し不思議そうな顔をしていたが、参加者29名全員が揃っていることは確認できたため、単なる数え間違いということで納得された。
プログラムも終盤に差し掛かり、最後のアイドルユニットがステージ上に姿を現すと、観客たちから大きな歓声が沸き起こった。
現在人気の絶頂を誇る地下アイドルグループであり、本日のトリを務める『ソルシエール』の3人組である。
「みんな、お待たせ♪ 暑い中、最後まで付き合ってくれてありがとうね! 私も、今日は暑いって聞いてたから普段よりちょっと大胆な格好でパフォーマンスに挑戦させてもらうね~」
盛大な歓声に包まれながら、3人のリーダーである茅ヶ崎ミカがステージ上から呼びかける。
布面積が少なめのオレンジ色のビキニに包まれた、彼女のトレードマークである二つのたわわに実った果実は、午前中の私服姿の時と比べて、より一層その存在感を主張していた。
「それじゃ、最後まで張り切っていくよ! みんな疲れてるかもしれないけど、その分ボクらも盛り上げていくから最後までしっかり応援してね!」
エイミが声を張り上げると、観客たちもあらん限りの声援でもってそれに応える。
湘南エイミが身に着けているのは、エイミに比べて面積は大きいものの、体のラインがはっきりと分かるスポーティーな緑色のビキニ。
カモシカのようにしなやかな脚やよく絞られた腹筋は、彼女の運動能力の高さを裏付けるようだ。
「お兄ちゃーん! 子供っぽいって笑われちゃうかも知れないけど、ルミも頑張って可愛い水着選んできたから、ちゃんと見て欲しいな!」
少し頬を膨らませて、くるりとステージ上で1回転するルミ。
間違っても「セクシー」という言葉からは縁の遠い、未成熟な体型に加え、子供っぽいデザインの水色のセパレート水着はあまりアイドルらしさを感じさせないが、ある意味では最もルミに似合っているとも言えた。
事実、特定の層の観客たちは、そんなルミの姿に釘付けとなっているようだ。
「それじゃあ、いくよ! 私たちの新曲、『トロピカルに恋して』!」
ポップな曲調の音楽がスピーカーから流れ出すと、3人はステージ上でマイクを持って踊り始める。
ミカの動きは、そのグラマラスな体型のためもあり、他の二人ほどアクロバティックな振り付けや激しいアクションはない。
しかしある意味では、彼女は3人の中で最もダイナミックに、ギャラリーたちの視線を惹き付ける動きを披露していた。
そう、布面積の少ない大胆なビキニの中で、はち切れんほどに暴れまわる彼女の二つの分身だ。
ステップを踏み、くるりと回転する度に、その双丘は大きく揺れ、観客たちの視線を否応なく引き付ける。
中には応援すらも忘れ、完全にその動きに魅入られてしまっていたファンたちもいるほどだ。
ミカとは対照的に、エイミの動きは3人の中でも最も躍動感に溢れたものだ。
まるで本物の体操選手のように、空中でのスピンや宙返りを織り交ぜた彼女の動きに、ギャラリーからは時折感嘆の溜息が聞こえるほど。
体型もミカに比べれば控えめではあるが、激しいステップのたびにキュッというシューズの音が小さく響き、水着に包まれた胸は大きくたわむ。
その光景をギャラリーたちは固唾を飲んで鑑賞していた。
ルミは、その小ささを活かす為か、ステージの上をちょこまかと小動物のように跳ね回る。
エイミのような動きのキレはないものの、その未熟さがかえって庇護欲をそそるのか、彼女のファンたちはまるで小さな妹を見守るような気持ちでステージ上の彼女を応援する。
彼女のソロパートでは可愛らしい歌声が辺りに響き渡り、横ピースと共に放たれるウインクは多くのお兄ちゃんたちを魅了した。
やがて、曲が中盤の山場に差し掛かるにつれ、徐々に3人の動きが激しさを増していく。
タイミングを揃えてステージ上で跳ね回り、ダイナミックに体を振り、(一人を除いて)胸を揺らす。観客たちも、3人の一挙手一投足に夢中となっていた。
そして、ついにクライマックスと呼べるタイミングが訪れる。
「みんな、いくよっ!」
ミカの掛け声に合わせて溜めを作り、3人同時に大きく腕を広げたポーズで、胸を反らすようにジャンプする。
同時に、ステージ脇から色とりどりのスモークが焚かれ、3人の姿を一瞬覆い隠す。
ぷつ。ぷつ。ぷつ。
最前列にいた一部の観客たちの中でも耳の良さに自信がある一部の者だけが、何か柔らかい布が限界を迎えて千切れるような音が聞こえた気がした。
やがて、といっても時間にしてわずか1秒ほどだが、スモークが晴れて再び3人の姿が現れると、観客たちは誰もが信じられないものでも見たのかのように目を丸くした。
「なっ……嘘だろ!」
「マジかよ……!」
本来は声援以外の私語はマナー違反であるにも関わらず、口々に観客たちが声を漏らす。
こういったライブではパフォーマンスの一環として、俗に『早着替え』と呼ばれる演出が使われることがある。予め衣装を2枚重ねの状態で着ておき、煙幕などが焚かれた一瞬のタイミングに合わせて素早く衣装を脱ぎ捨てることによって、まるで一瞬にして衣装を着替えたかのように演出するテクニックである。
これも、恐らくそういった早着替えの一種なのだろう。だが厳密な意味で言えば、『早』ではあっても『着替え』と呼べるかどうかは甚だ疑わしかった。
その理由の一つとしては、下半身に着ていたビキニのボトムについては、スモークが焚かれる前と全く変わっていない点。
そして二つ目にして最も重要な点は、一般的に『着替え』という単語は『別の衣装を身に着けている』ことを前提としている点である。
そう。
ステージ上では、ソルシエールの3人の水着のトップスが一瞬にして消え去り、その下に隠されていた領域が完全に晒されていた。
ありていな言い方をするならば、
「おっぱい丸見え」
であった。
何かのハプニングか、ドッキリか、あるいは大胆な演出の一種なのか。
決して答えの出ない疑問がいくつも頭の中で渦巻き、混乱する観客たち。だが、確かなことが一つだけあった。
自分たちの目の前で、憧れのアイドルが、本来ならば絶対に隠しておかなければならない場所を露わにしながら踊っているということだ。
とんでもない姿を晒しているにもかかわらず、ステージ上の彼女たちは、先ほどまでと全く変わらない満面の笑みで踊り続けている。まるで、パフォーマンスに夢中になるあまり自分たちの水着が脱げていることにすら気付いていないかのようだ。
音楽が1分程度の間奏に入った。ミカ、エイミ、ルミの3人は、踊りながら観客たちに向かって交代で挨拶を送る。
「ふふ、少し大胆すぎてびっくりしちゃったかな? ちょっと恥ずかしいけど、今日は私たちのことをいっぱい見て楽しんでくれると嬉しいな♪」
茅ヶ崎ミカがステージ上から語り掛ける。
先ほどまで小さめの水着の中で窮屈そうに締め付けられていた胸は今や完全に戒めから解放され、さらに縦横無尽に暴れまわる。
ミカがくるりと回転する度、二つのおっぱいは慣性の法則によってまるで自らの意思を持っているかのように大きく変形する。今までは水着の下に隠れていた、やや大きめの乳首も含め、彼女のチャームポイントの全てがギャラリーに対して曝け出していた。
その光景は、見る者の男としての本能を否応なく呼び覚ましてしまう。普段は「パフォーマーとしての能力ではなく胸の大きさだけで支持されている茅ヶ崎などアイドルとしては三流」などと嘯く知識人ぶった男たちも、その圧倒的な性的魅力の前では一匹の雄に成り下がり、三流アイドルのおっぱいを少しでも近くで見るために大きく身を乗り出していた。
「みんな、いつも全力で応援してくれてありがとう! お礼に、今日はボクも全てを出し切っちゃうから、ちゃんとついてきてね!」
湘南エイミがびしっとポーズを決めると、形のいい胸がふるりと揺れる。
普段の運動の賜物なのか、その年相応に育った双丘は全く重力に負けることなくしっかりとした形を保っていた。その頂点に色づく、小さめながらピンク色の突起もしっかりと立っており、エイミのエネルギッシュさを象徴するようだ。
エイミが宙返りやバック転を決めるたびに、暑さの為かじわりと胸に浮き出た汗の粒が遠心力でステージ上に飛び散り、きらりと日光を反射する。
性的なコンテンツというよりも、まるで一つの芸術と言うべき光景は、ミカとはまた違った意味でギャラリーたちの視線を惹き付けていた。
「えへへ……お兄ちゃん、今日はお兄ちゃんとルミにとって特別な日にしたいと思って、頑張ったんだよ? 子供っぽいかもしれないけど、見ててほしいな……?」
江ノ島ルミは、ぶりっ子ポーズで上目遣いに観客席のファンを見つめる。
その剥き出しになった上半身には、ミカやエイミと違って、揺れるものがほとんど存在しない。申し訳程度にちょこんと佇む淡い桜色の飾りも、男とほとんど変わらなかった。
しかし、布面積が多い水着の上からでは分からなかったが、平らに近いその両胸の中央部分が、盛り上がっていることが見て取れる。膨らみかけ、と呼ばれる状態だ。
性的な意味で本能的な興奮を呼び覚ますものでこそないが、別の意味であまりに刺激的な代物であった。
成人向けの写真集として流通すれば、間違いなく発禁になるであろう光景。頭の中で「見てはいけない」と分かっている対象ほど、知らず知らずのうちに引き寄せられてしまうのが人間としての性である。
観客たちは、周囲の目線をしきりに気にしながら、視界の端にちらりちらりとルミの姿を捕えては、目を逸らすといった行為を繰り返していた。
やがて、曲目も終盤に向けて最後の盛り上がりへと向かうと、ソルシエールの3人は、上半身剥き出しのあられもない姿で満面の笑みを湛えながらステージの前方中央部へと集まり、フィナーレとともに、ミカを中心に横並びになりながら両手を前に向けて広げるようなポーズを3人で決める。
美乳、爆乳、貧乳。まるでどうぞ見てくださいと言わんばかりに綺麗に並んだ3人分のおっぱいの前に観客たちも総立ちで万雷の拍手を贈った。
間違いなく、本日の光景は彼らにとって一生の思い出となることだろう。
そして、スピーカーから流れる曲が止まる。大喝采を浴びながら、喜びを分かち合うかのように互いの顔を見合わせるソルシエールの3人だったが、ふと芽生えた違和感に、3人の笑顔が凍り付く。
自分の隣で歌っていた二人の少女の顔から、目線を少し落とした時、その違和感の正体に気付いた。
そして、他の二人の視線の先を追うように、最後に自分の胸を見下ろすと、その表情が見る間に真っ赤に染まっていく。
3人の悲鳴が、真夏の海岸にこだました。
――地下アイドル史を揺るがす大事件から、数か月後。
茅ヶ崎ミカ、湘南エイミ、江ノ島ルミの三人は、未だにアイドル活動を続けていた。
数千人ものファンの目の前でトップレス姿を晒したまま踊ってしまったという、女性ならば生涯引き摺るであろうトラウマを克服した訳ではなかった。しかし、アイドルを引退すべきなのではないかと思い悩むたびに、身悶えするような羞恥心をわずかに上回る、アイドル活動を続けなければならないという抗いがたい使命感のような感覚が沸き起こってくるのだ。
大丈夫。あの日のハプニングは所詮はその場限りの物であり、二度と同じようなミスを起こさないように気を付ければ、いずれは笑い話の種になることだろう。三人はそう自分を納得させ、今まで以上にアイドル活動に打ち込む決意を新たにしたのだった。
しかし、夏のイベントをきっかけに大きく方向転換を果たした『ソルシエール』は結局、夢であったメジャーデビューを果たすことはなかった。
イベントに参加する度に衣装が脱げ落ち、あられもない姿を観客に見せつけながらダンスを披露するという過激な『パフォーマンス』と、曲が終わった瞬間に声を揃えて悲鳴を上げるという一風変わった『演技』が仇となり、一部のマニアックな男性客による根強い支持を受ける色物地下アイドルとしての道を歩むことになるのだった。
< 完 >