放送委員は目立たない ~幼馴染陥落編~

放送委員は目立たない ~幼馴染陥落編~

「つまり、この式に先ほど求めたエックスの値を代入することで……」

 リズミカルなチョークの音が教室に響く中、小泉モモカは黒板に次々と板書される数式の列をノートに書き写していた。数学の高橋先生は板書のスピードが速く、もたもたしているとすぐに黒板を消されてしまう。
 焦りながら鉛筆の先を走らせていると、ノートに押し付けた際に鉛筆が右手からすっぽ抜けて、右後ろ──クラスメイトの響ワタルの席の近くまで転がってしまう。

「ああ、もう、急いでるのに……」

 席を立ち、鉛筆を拾うために膝を曲げて屈む様子を、ワタルは楽しそうに眺める。それもそのはず、ちょうど正面にいるワタルからは、モモカのスカートの中、ピンク色の可愛らしい下着がばっちりと見えてしまっていたのだ。

 そんなワタルの様子を、斜め後ろの席からじっと観察している女子生徒の姿があった。

(これでモモカが授業中に鉛筆を落とすの、今日の午後だけで4回目……)

 立花ミドリは板書を取る振りをしながら密かにメモを取っていた、本日のワタルの観察記録に視線を落とす。

 ワタルの近くの席の女子が落とし物を拾ってスカートの中を見せつけた回数、12回。
 女子がワタルの目の前で転んでスカートがめくれた回数、8回。
 ブラウスのボタンが開いた状態で胸元を覗きこませるように話しかけた回数、9回。
 ワタルともつれ込むように倒れこんでスカートの中に顔を埋めてしまった回数、8回。
 たまたまワタルが両手を前に突き出していたところに女子がバランスを崩して胸を押し付けてしまった回数、9回。

 ちなみにこれらの数字には、ミドリ本人の実績も1回ずつ含まれていた。

「……やっぱり、アヤシイ」

 これら全てが偶然による事故だとしたら、類稀なるラッキースケベ体質の持ち主だと言わざるを得ない。

 思い返せば2週間前の『モンロー通り連続パンチラ事件』を皮切りに、この学校──特にワタルの周囲では、『女子更衣室カーテン全開事件』や『クラス全員ブラジャー着け忘れ事件』といった、エッチな騒動が頻発している気がする。

 突拍子もない推測ではあるが、もし、響ワタルがこれら一連の騒動を何らかの方法で起こしていたとしたら?

 ミドリは小さな頃から家が近所であったこともあり、響ワタルとはそれなりの面識はあった。とはいえ、それも小さな頃の話。中学に上がってからは男女で別々に遊ぶ機会が多かったため、極めて親密と言えるほどの間柄でもない。彼女の中でのワタルの認識も、せいぜい『学校の成績は高いものの、一人でぼんやりしていることも多く掴みどころのない男子』程度のものだ。

 何とか真相を確認したいところだが、仮にワタルがこれらの騒動に関わっていたとしても、自分が直接尋ねたところで素直に答えてはくれないだろう。

「……こっそりと、尾けてみるしかないか……」

 ワタルの行動を観察して、怪しい動きをしていないか見張るというのがミドリの達した結論だった。
 もし、たとえばワタルが何らかの──例えば、周囲のラッキースケベを引き起こす能力などを持っていれば、その現場を捕らえることも可能かもしれない。
 幸い、ミドリの家はワタルの家から100mと離れていない。学校帰りに尾行するには絶好の条件である。

 そうと決まれば、善は急げだ。ミドリの所属しているバレー部は本日は休み。帰宅部のワタルを尾行するまたとないチャンスだった。

 下校のチャイムが鳴ると、ミドリはクラスメイトに挨拶をして別れ、さりげなく身を潜めながらワタルの後をつける。周囲の通行人は、サッ、サッと電信柱の陰に隠れながら移動するミドリの姿を怪訝な面持ちで眺めていた。

 ある程度難航することも予想していた尾行は、拍子抜けするほどあっさりと成功した。特に周囲を警戒する様子もなく、ワタルがまっすぐ向かった先は彼の自宅だったからだ。
 その間、特に目立ったラッキースケベもなし。残念ながら、ミドリの思惑は完全な見当はずれに終わった。

 ワタルが家の中に入ると、ばたりと玄関のドアが閉じる音、ほどなくしてシャワーを浴びる音が中から響いてきた。見事な肩透かしをくらったミドリは小さくため息を吐いた。

「はぁ……収穫なし、か……絶対何か隠してると思ったのになぁ……ん?」

 ふと、家に入ったワタルの様子を思い起こし、ミドリは二つに事実に気付いた。

 ワタルは、家に入るときに誰にも声をかけていない。
 おまけに、ワタルが玄関の扉を閉めた後、ドアの鍵をかける音がしていない。

 それらの事実が示す意味は──現在、ワタルの家の玄関は鍵が開いており、中にいるのはシャワーを浴びているワタル本人だけということ。
 
 そう、家の中を探すならば今がチャンスだった。

「……急いで忍び込んでちょっと確認するくらいなら、問題ないよね……?」

 小さいころに何度か家にお邪魔させてもらったことがあるため、内部の間取りは分かっている。鍵の開いた家に忍び込み、怪しいものがないかどうか確認するだけならば、2分もかからない。急げばワタルがシャワーから出るまでには十分終わるはずだ。

 普段のミドリであれば決してしないであろう、不法侵入という行為。だが、ワタルへの疑念がミドリの判断を焦らせた。
 ミドリは誰かに見られていないか周囲の様子を伺って、そっと音をたてないように玄関の扉を開けて中に忍び込む。シャワー室から響く水音に気を配りながら、廊下を忍び足で進むと、ワタルの部屋のドアの隙間から淡い光が漏れていることに気付いた。
 電灯の光ではない。おそらく、PCのモニターの光だ。それに気づいたミドリは吸い寄せられるようにその扉を開く。

 ミドリの目に飛び込んだのは、PCの置かれた机と、それを取り囲むように散らばった、おびただしい量の英語やドイツ語の論文。義務教育レベルを遥かに逸脱した内容であることは一目でわかった。

「な……何よ、これ……!」

 論文の束に目を落とすが、当然何が書かれているかなどミドリには理解できない。ただ、タイトルに時折交じった、「subliminal」や「mind control」というフレーズは、ミドリに嫌な予感を抱かせるには十分なものであった。

 マインドコントロールについて書かれた論文の束、そして、学校で頻発している事件。

 二つの点が、ぼんやりとだがミドリの頭の中で繋がりかけていた。

 そして、これらの途切れた点を結ぶ最後のピースは、このPCの中にある。なぜか、ミドリの中でそんな確信が浮かび上がった。

 PCの画面の中にいくつか並んだアイコンに目をやる。そのうちの一つのファイル名に、「催眠音波」と名前がついていることをミドリは見逃さなかった。

「もしかして、これが……みんなを操ってエッチな事件を起こしていたものの正体……?」

 内容を、確かめないと。

 ミドリはPCの前の椅子に座ると、イヤホンジャックからヘッドホンが伸びているのを発見し、流れるような動作でそれを頭にかぶる。
 そして、「催眠音波」というアイコンをダブルクリックした。

「この中に、もしかしたら……全ての真相が……」

 ミドリは両目を軽く閉ざし、ヘッドホンから聞こえてくる音に耳を澄ませる。

『ピンポンパンポーン』

 どこかで聞き覚えのある音がヘッドホンから響く。

 その音の正体が何であったか、その結論に到達するよりも先に、ミドリの意識は深く沈んでいった。

…………

「ん……あれ、私……?」

 ミドリは椅子の上で意識を取り戻した。一体いつの間に眠っていたのだろうか。

「あ、ミドリ、おはよう。目を覚ました?」

 聞き覚えのある声に、ミドリははっとして身を起こす。目の前に佇む見覚えのある人影、それは紛れもないワタルの姿だった。

 ──まずい。

 咄嗟にミドリは超スピードで思考を巡らせる。
 家の中に忍び込んでいた現場を、見つかってしまった。
 どこまで勘付かれているのだろうか。もしも、学校で起きている一連の騒動の犯人だと疑っているということまでばれていたとしたら、どんな目に遭わされるか分からない。
 何とかごまかして、この場を切り抜けなければ。

 「学校での配布物か何かを届けに来た」ということにすべきだろうか。あるいは、「次回の定期試験に向けて勉強を教えてもらおうと思った」の方がいいだろうか。
 適当な言い訳をあれこれ考えていたミドリに対して、先に尋ねたのはワタルの方だった。

「ミドリ、どうして僕の部屋の中にいたのか正直に答えてね」

「最近学校で起きてるエッチな事件、あれは全部ワタルが起こしてるんじゃないかって疑って、証拠を探しに来たのよ。そうしたらちょうど玄関の鍵が開いてたから中に入ってみて、パソコンがついてたから何か証拠でも見つかるんじゃないかって思って調べてみたの」

 すらすらと一部始終を説明してからミドリははっとする。
 しまった。いとも簡単に自分がここに来た理由がバレてしまった。正直に答えろと言われた以上は仕方のないこととはいえ、ミドリは自分の運のなさを嘆いた。

 だが意外なことに、ワタルは驚いたそぶりも見せず、楽しそうに微笑んだ。

「くすくす、そうなんだ。あと一歩で真相にたどり着けたのに、残念だったね……なんて言うとでも思った?」

「ど……どういう意味よ!」

「ねえ、ミドリ。今日のお昼の放送で流れてた内容、覚えてる?」

「そんなの……いちいち覚えてるわけ、ないじゃない」

 答えつつ、しばしの思案に耽るミドリ。今日に限らず、お昼の放送の内容なんてここ数日を振り返っても、一つたりとも覚えてなどいなかった。

「今日はね、さっきミドリが聞いたチャイムの後に、こんな命令を流してみたんだ……あ、スピーカー出力に切り替えるね」

 ワタルがマウスに手を伸ばし、別の音声ファイルをクリックする。スピーカーから、抑揚のない合成音声が流れてきた。

『立花ミドリさん。君は、最近頻発しているエッチな事件の犯人は響ワタルではないかと疑って、今日の学校の帰りにワタル君の後をつけて家に忍び込みましょう。家の中でPCを見つけたら、君はPCの前の椅子に座って、ヘッドホンを装着し、画面に表示されている「催眠音波」という名前が付いた音声ファイルを開きましょう』

「なっ……!?」

 全く聞き覚えのない音声。だが、それは確かに今日のミドリの行動を正確に言い当てていた。

 愕然とした表情を浮かべるミドリに対して、ワタルはしたり顔で言葉を続ける。

「これで分かった? ……ミドリは自分で考えて行動していたつもりで、実際はあらかじめ僕が命じていた通りに動いていただけってことさ」

 ワタルの言葉と、先ほど床に散らばっていた論文の中で見つけた単語がミドリの頭の中で結びつく。

 ──『サブリミナル』。

「う……嘘よ! だって、前に本で読んだことがあるもの! サブリミナルは単なる都市伝説で、実際には効果なんてないって……!」

「ふーん……疑うなら、試してみる? ミドリ、自分のスカートの裾を掴んでめくり上げて」

「うん……あんまり見ないでよね」

 ワタルから下着が見えないように気を付けながら、ミドリはスカートの後ろの部分を右手でめくり上げた。
 だが、特に何か変わったことが起きる気配もない。少しがっかりした表情のワタルを、ミドリはにらみつけた。

「……で?」

「あ、うん……。えっと、今なんでミドリは自分のスカートの後ろを持ち上げたの?」

「は? 前を持ち上げたら下着が見えちゃうからに決まってるでしょ」

「いや、それはそうなんだけど……じゃあ、質問を変えてみようか。もし僕がミドリに『今日は裸で家に帰りなさい』って命令したら、どうする?」

「え? そ、それは……」

 ミドリは思考を巡らせる。ミドリの家はここから数百メートル程度しか離れていないため、走れば2~3分で帰ることは可能だろう。しかし、ロケーションが住宅街の真ん中であることを考えると、この時間帯は部活帰りの学生や買い物に向かうおばさんたちに鉢合わせてしまう可能性が非常に高い。流石に裸で住宅街を走る姿を見られてしまえばご近所中で噂になることは避けられないだろう。

「えっと……できたら、11時半くらいまでこの家に置いてほしいんだけど、いい?」

 流石にそのくらいの時間帯になれば人通りはまばらになるだろう。仮に見つかったとしても酔っ払いのサラリーマン相手ならば見間違いで済まされる可能性もある。

「ふふ……なるほどね。冗談だよ、そんな命令したりしないから安心して。
 それにしてもさ……普段のミドリだったら僕に『スカートをめくって』とか『裸で帰って』なんて命令されても、絶対に逆らっていたんじゃないの?」

「? サカラウ……って、『逆らう』? 何バカなことを言って……あっ……!」

 完全に困惑した表情でうろたえるミドリ。

 『ワタルの命令に逆らう』。あまりにもバカげた妄言のはずだった。しかし……信じがたいことに、昨日まで自分であれば、確かにワタルにそんな命令をされても逆らっていたはずなのだ。

「う、嘘……!? 私、どうやって、そんなことができたの……?」

 ミドリは、信じられない自分の記憶に頭を抱える。

 『どうやって』、というのが真っ先に浮かんだ疑問だった。何せワタルの命令は、ミドリの意思とは関係なく実行されるものであり、本来ならば『逆らう』とか『逆らわない』とかいう類のものではないのだ。
 言ってみれば、『重力に逆らって空を飛ぶ』と同レベルの、荒唐無稽なファンタジー。そんな行為を、昨日までの自分は当然のように実行していたのだ。

 ショックを受けて呆然としているミドリを尻目に、ワタルは一人で呟いていた。

「なるほど……『僕の命令を当然のように必ず実行して、逆らうことなんて考えもしない』っていう暗示の与え方だと、命令に従うことを大前提とした上で、本人にとってベストの判断をするようになるのか。
 小説みたいにスカートの正面を持ち上げながら平然と『ワタルの命令には従うのが当たり前でしょ?』って反応になるかと期待してたんだけど……羞恥心や判断力はそのまま残ってるもんな。
 いや、そもそも個人レベルで暗示の受け取り方も異なるわけだから、もっとサンプルがないと十分なデータが揃わないか……」

 ミドリの背筋に、かつて味わったことがないほどの悪寒が走る。本能のすべてが、目の前にいる少年の危険性を訴えかけていた。

 早く、この状況から逃れなければ。ミドリは必死で思考を巡らせる。
 特に危険なのは、このPCだ。状況から考えて、先ほどの音声ファイルで他人を操るのは間違いない。何とか、それを聞かずに済む方法を考えないと。

 だが、その方法は恐ろしく限られていた。
 何せ、この部屋を勝手に出ることも、大声を出すことも、ワタルやPCに危害を加えることも、他人に連絡することもせずにこの窮地を乗り越える策など、簡単に思い浮かぶはずもない。

 結局、有効な策を思いつくよりも、ワタルがミドリに声をかける方が先だった。

「ご苦労様、ミドリ。とりあえずある程度のことは分かったよ。もう一度椅子に座ってヘッドホンをつけて、僕が流す音声ファイルをよく聞いていてね」

「うん」

 ミドリは大人しく椅子に腰かけてヘッドホンを装着し、流れてくる音声に耳を澄ました。

…………

「ふぅ……予想はしていたけど、同じ催眠音波でも学校のスピーカーを通すのと、ヘッドホンから直接では効果も段違いだな」

 ワタルは、椅子の上でうつろな表情を浮かべるミドリを眺めながら呟いた。

 催眠音波の効能はスピーカーの音質や種類に大きく依存する。
 学校に備え付けのスピーカーはそれなりに年季が入っていることもあり、モノラル音源で音質も相応に低い。当たり障りのない内容の暗示から始めて慎重にステップアップせざるを得なかったのは、そういった事情も鑑みてのことだった。
 さらに言えば、与えられる暗示も限定され、日常生活に大きな支障が出ない範囲内で普段とは少し異なる行動をさせたりする程度。

 しかし、今回は違う。貯金をはたいて購入した、世界有数の音響メーカー『タチバナ』製の高品質ヘッドホンだ。これだけの音質で、しかも両耳から直接催眠音波を流し込むことができれば、瞬時に催眠状態に落とし込んだり、明らかに異常なルールに疑問を持たせないといった強力な暗示を与えたりすることも容易い。今回はワタルの命令に従うようになる暗示のほかに、逃走や暴力、他人への連絡といった行為を禁じる暗示を仕込んでいたが、これらも正常に作用したと思われる。この方法ならば、今までよりもさらに強力に自分の周りの環境を操ることが可能だろう。

「さてと……スピーカーの効果も十分に確認できたことを踏まえて……ミドリには申し訳ないけど、僕のためにもう少し働いてもらおうかな」

 今回ミドリを自分の家に呼び寄せたのは、暗示の効果の確認のためだけではない。
 ミドリを手駒として利用することで、自分の支配範囲の拡大の足掛かりとする。
 例えば、催眠音波を仕込んだレコーダーとヘッドホンをミドリに持たせ、ミドリの友達を呼び寄せて一人ずつ今回と同様の方法で落としていく。気の遠くなる作業ではあったが、ヘッドホンが1台しかない以上、今のワタルには他の方法は浮かばなかった。

「とはいえ……今みたいに命令に従わせたり、特定の行動を直接封じたりするのは、長期的にみると危険だな。何か他の方法を考えないと」

 命令に従わせる、というのは「ワタルがして欲しいこと」ではなく、「しろと命じたこと」を実行するということだ。例えばワタルが意図せず自分やミドリに被害を及ぼすような命令を課してしまうケース、あるいは何かして欲しいことがあってもそれを直接命令できない状況に陥るケースというのは十分に発生しうる。それに、して欲しいこと、あるいはしてはいけないことを逐一命令するのは手間がかかるし、ミスの原因にもなる。

 ワタルの手駒に求められるのは、単純に命令を実行する能力ではなく、状況に応じて自ら判断を下し、実行に移すことができる能力。
 だが、その判断を下す上で必要不可欠なものが一つある──『判断基準』だ。判断の根拠となる前提が異なれば、当然取るべき行動も異なってくる。
 つまり、ここでミドリに『どのような立場で、どういった目的をもって動いてもらうか』という基準を与えるか、それが非常に重要だった。

「あまり周囲から怪しまれないためにも、できる限り普段と変わらない生活をしてもらった方がいいけど……かといってちゃんと支配範囲の拡大のために動いてもらわないと元も子もないし……」

 少し思案した末、ワタルはここまででミドリに与えた暗示を解除し、新たな暗示を与え始めた。

…………

 ──数分後。

「さてと、ミドリ。じゃあ、僕が与えた暗示をちゃんと覚えてるかどうか確認してみるよ。ミドリのこれからの役割は何だったか、答えて。」

 目を覚ましたミドリに向かって尋ねるワタル。ちなみに、ここに至るまでの一連の記憶は消していない。ヘッドホンを使えば記憶の消去も可能だが、実際に操られた体験は覚えておいてもらった方が、操る側に立ってもらう際に役立つだろうと判断したためだ。

「──知らないっ!」

 ぷい、と膨れっ面で目の前の少年を睨み付けるミドリ。ご機嫌斜めなのはどう見ても明らかだった。

 その反応を見て、ワタルは少し安心する。少なくとも、「命令には必ず従う」という暗示の解除には成功したようだ。とはいえ、これだけではまだ半分。必要な場面では、ちゃんと自分の意図通りに動いてもらわなければ意味がないのだ。

 ワタルは小さく咳払いをした。

「それは困るよミドリ。これは、ヘッドホンを通じて与えた指示がどの程度被験者に対して有効に働いているかの確認も兼ねているんだから。ここでちゃんとデータが取れないと、今後、催眠音波による支配の拡大が滞るでしょ」

「~~~っ!」

 ミドリが困ったような表情で顔を赤らめる。そして少しの間頭を働かせるように視線を彷徨わせていたが、やがて諦めたように口を開いた。

「……分かったわよっ、答えればいいんでしょ! わ、私の役割は……基本的に今までの生活を続けながらも、催眠音波を使ったマインドコントロールの研究をスムーズに進めるための『協力者』として振る舞うこと。……これでいい?」

「そうだね。そのための大まかな行動の指針としては?」

「……研究活動を妨害したり、あるいは進捗に悪影響を及ぼしそうな行動は慎むこと……ワタルからの指示を受けた場合、それが研究の発展に役立つと思われる場合は従うこと……。それから、研究を進めるうえで有効と思われるアドバイスや研究の妨げになり得るリスク等の気付きがあればワタルに伝えること。判断に迷う場合は基本的にはワタルに相談すること……だっけ?」

 一部あやふやなところもあったが、頑張って記憶を手繰りながらなるべく正確に答えるミドリ。本当は思い出したくもないのだが、与えられた指示を自分が正しく把握できていなかったせいでワタルの計画が失敗するかもしれないと思うと、絶対に失敗してはいけないという激しい自責の念に駆られてしまうのだ。

「……うん、そんなところかな。ある程度計画が軌道に乗ってきたらミドリの判断で支配の拡大のために動いてもらうことになるかもしれないけど、暫くは僕が指示した場合だけ動いてもらえばいいよ。
 じゃあ、次は実践に向けた問題。例えば、誰かが僕のことをこっそり観察したり、尾行したりしてるのを発見したらどうする?」

「それは……もしかしたら計画のことがバレて妨害される可能性があるから、尾行がついていることをワタルに連絡すれば?」

「うん……間違いじゃないけど、ミドリが僕と連絡を取っている現場を見られてしまったら、今度は僕とミドリの繋がりを疑われる可能性があるね。だから、気付いてすぐに連絡するんじゃなくて、その場では普段通りに振る舞って、例えば帰宅してから誰にも見られないように連絡した方がいいかもしれないね。もちろん、すぐにでも僕に危害が及びそうな場合は別だけど。
 次は……そうだね、この計画に関して知ったこととか、考えていることとかは、メモに残す?」

「え、えっと……内容を忘れたりするリスクや、後から自分で読み返して役立てることを考えると残しておいた方がいいけど、誰かに見つかったらそこから計画が発覚する可能性があるから……誰にも見つからない場所に管理するとか、見つかっても致命的になりそうな記述は暗号を使ってバレないようにしておくとか……」

 こんな調子の問答や、ワタルによる催眠音波に関する説明は1時間以上続いた。その間、ミドリは何度も悔しさに自分の唇を噛み締めた。本来であればこんなくだらない計画などすぐにでもおじゃんにしてしまいたいはずなのに、いざという状況に遭遇した場合、ワタルを助けるために動く自分の姿がありありと想像できてしまうのだ。

「……というわけで、学校で起こる騒動については単なる日常的なハプニングだと受け取って特定の原因を疑わないように、週末を除いて毎日お昼の放送で流しているわけだけど、この暗示を与えなかった場合どれくらいの期間効果が維持されるのかは今後の実験で確認する必要があるところだね。他の課題としては……」

「──ねえ、ワタル。一応さっきも伝えたけど、家族に疑われないためにも6時くらいには帰っておいた方がいいからね」

 時計が5時45分を指しているのを見て、ミドリは声をかける。今後の計画に関する指示事項などがあるだろうことを考えると、ある程度時間に余裕をもって声をかけた方がいいだろうと判断してのことだった。

「……ああ、ごめんごめん。つい話に夢中になってたよ。技術的な細かい話はまた今度として、最後に当面の指示事項だけ伝えておくね」

 ワタルは、PCに接続されていたヘッドホンを取り外し、小型のプレイヤーに付け替えた。

「さて……催眠音波の効果は音源によって大きく左右されるっていうのはさっき教えた通り。学校では備え付けのスピーカーを使って暗示を与えているわけだけど、これだと音質が低すぎて日常的なハプニングを引き起こす程度が限界でね。もっといい設備を設置できればいいんだけど、流石に学校の機材を入れ替えられるほどの費用もコネもない。
 だから、代わりにこっちのヘッドホンを使って支配領域を拡大しようと思うんだ。例えばミドリのクラスや部活で仲のいい友達にこのヘッドホンを通じて催眠音波の入った音声を聞いてもらい、ミドリと同じような手順で協力者になってもらう。こうやって一人ずつ協力者を増やしていけば、少しずつだけど着々と支配領域を拡大することが──」

「……ぁ」

 ヘッドホンに印字されているメーカー名を見て、立花ミドリが小さく声を上げるが、説明に夢中になっているワタルの耳には届かなかったらしい。

「協力者が増えればそれだけターゲットにできる生徒も増えていくから、順調に進めば1か月程度で1クラス分くらいは支配下に置けるんじゃないかな。ただその場合、クラスの外から見られると困るから、学校全体まで支配領域を広げ終えるまではあまり派手な動きはせず、長期戦を覚悟で──」

「ね……ねえ、ワタル。その……学校のスピーカーの方を高性能なものに取り換えられれば、そっちの方が早く支配が完了するってこと?」

 話を遮るように、ミドリがおずおずと切り出した。ノーと答えてくれ、と内心で切実に願いながら。

「……そりゃ、もちろんそうさ。理想を言えば、学校中のスピーカーをそのヘッドホンと同等のレベルに取り換えることができれば、すぐにでも学校の全員をほぼ僕の思い通りに操ることができるだろうね。ただ、それにかかる費用を試算してみたら工事費を除いても数千万単位の──」

「あっ、あのっ!」

 立花ミドリが悲痛な叫び声を上げる。

 ダメだ、こんなこと、死んでもワタルには隠し通さなければいけない。

 だが、悲しいことにミドリは思いついてしまったのだ。特定の人物をワタルの催眠音波の犠牲にすることで、すぐにでも学校中をワタルの支配下に置く、その方法を。

「……そのヘッドホンのメーカー──『タチバナ』の社長って、私のお母さん……なんだけど」

 今にも泣きだしそうな表情で、ミドリが蚊の鳴くような声で提案した。

<終わり>

6件のコメント

  1. 読ませていただきましたでよ~。

    前回、あれだけ長々と説明してやってるのがモンローかーいってなったのでぅが、まさか出力が足りずいたずらくらいしかできなかったとは。
    今回になって一気に支配計画立てててびっくりでぅ。
    そして今回の対象は幼馴染のミドリちゃん。二話タイトルの幼馴染を見た時に同級生かと条件反射で思ってたら、まさかの教師。
    幼馴染と言っても年の差があれば、そこまで親しくはならないでぅよね。それぞれの交友関係もあるし。

    命令には従うけど、命令それ自体を直接解釈して命令者の意図を斟酌して行動しないというのは珍しいけど当然といえば当然でぅよね。他が意図を汲み取りすぎというか、そうした方が色々楽だから仕方ないでぅね。

    それにしても高音質なら効果が増大するって単純なようでなかなか難しいところでぅね。今回高音質ヘッドホンをつかったわけでぅが、だったらハードだけではなくソフト、催眠音波もMP3でなくWAV、しかもハイレゾあたりで作ればもっと効果が激しいことになりそうでぅ。
    ・・・データを何に入れてるのかわからないけど、ハイレゾの音波が入る量だといいなぁ・・・(音波の再生時間も容量に関係してくるだろうし)

    協力者化はいいでぅね。ワタルくんの思いも寄らないミスを事前に防げそうでぅし、今回のラストみたいにより良い方法を提案できる。
    なにより、協力者になってるのにほぼ強制で自分がいけないことをやってるのを理解してるの素晴らしいでぅ。ミドリちゃんこのまま行ったら罪の意識に押しつぶされそうでぅけど、協力者なので自殺とかもできなさそうでもう酷いことになりそうでぅw

    それはそうと、音源によるMC、ついでにヘッドホンという所にPanyanさんの「なみのおと、うみのあお」を思い出しましたでよ。

    では次回、ミドリちゃんのお母さんを楽しみに待っていますでよ~。(初めては一体誰になるんだろう・・・?)

    1. >前回、あれだけ長々と説明してやってるのがモンローかーいってなったのでぅが、まさか出力が足りずいたずらくらいしかできなかったとは。
      もう少し言えば、まだ段階的に実験していたっていう理由もありますね。まあ一番の理由は作者の趣味ですが。

      >そして今回の対象は幼馴染のミドリちゃん。二話タイトルの幼馴染を見た時に同級生かと条件反射で思ってたら、まさかの教師。
      ええそうなんです、まさかの教師……じゃないよ!?
      序盤に書いてあるように、ワタルの斜め後ろに座ってるクラスメイトです。
      どっか教師だと思わせるような文面ってありましたっけ……?

      >命令には従うけど、命令それ自体を直接解釈して命令者の意図を斟酌して行動しないというのは珍しいけど当然といえば当然でぅよね。
      今回は「単に命令に従うように洗脳するリスク」を分かりやすくするためにこんなかかり方にしましたが、この辺りは実際個人差とか、暗示の与え方にもよってくると思います。
      コンピュータと違って人間はニューロな思考回路を持っているので、「スカートをめくって」って命令した場合「パンツが見たいんだな」ってちゃんと意図を汲んで実行してくれるのもある意味人間としては自然なんですよね。

      >催眠音波もMP3でなくWAV、しかもハイレゾあたりで作ればもっと効果が激しいことになりそうでぅ。
      WAV……はいれぞ……?(ティーカは混乱した!)
      サブリミナルもの書いておいてアレですが、実はオーディオ方面の知識が皆無なんですよね。
      多分スピーカーだって単純に「品質」の一言で表せるものではないと思うのですが、現実と乖離する記述に関しては「この世界の設定ではこういうものなんだな」と好意的に受け止めてください。

      >なにより、協力者になってるのにほぼ強制で自分がいけないことをやってるのを理解してるの素晴らしいでぅ。
      ここが今回一番書きたかったところですw
      倫理観も判断力もしっかりと残っているにもかかわらず、「協力しないといけない」という暗示を受け付けられているせいで、自ら肉親を生贄に捧げるような提案をしてしまう……という精神的凌辱なのです。はぁはぁ。
      もちろん自殺したらワタルの研究に支障が出てしまうので罪の意識に苛まれながら平然と振る舞うしかありませんw

      >では次回、ミドリちゃんのお母さんを楽しみに待っていますでよ~。(初めては一体誰になるんだろう・・・?)
      えろは、うん……今回自然な流れで入れることができなかったのですが、頑張ります(期待に添えるかは別として)

  2. >ええそうなんです、まさかの教師……じゃないよ!?
    >序盤に書いてあるように、ワタルの斜め後ろに座ってるクラスメイトです。
    >どっか教師だと思わせるような文面ってありましたっけ……?
    大ぼけかましたみたいでぅね。
    数学の高橋先生とミドリちゃんを見間違えて板書しながらワタルくんを監視してるんだと思ってましたでよw
    ああ恥ずかしい

    >WAV……はいれぞ……?(ティーカは混乱した!)
    えぇ・・・
    昨今色々な曲でハイレゾ仕様が出てると言うのに・・・
    みゃふもそこまでオーディオに関心があるわけではないんでぅが、簡単に説明すると
    マイクを使って普通に録音したようなものがWAVでただこれだと容量が大きいので人間の可聴域外の音を省いて音の精度もちょっと悪くして容量を軽くしたものがMP3、逆にもっといい音で録音したようなものがハイレゾだと思ってくださいでよ(オーディオ詳しい人にボロクソに言われそうな説明でぅが)
    ただ、ハイレゾはそれに対応してる再生機器がないときれいな音は聞けないらしいでぅ。詳しくは知らないけど。
    というわけでハイレゾ録音で高品質スピーカーで流すのでぅ。

    そうか、ミドリちゃんは教師じゃなくて同い年だったのか・・・穴があったら入りたいでぅ。

    1. そういうことだったのか!

      ハイレゾの説明ありがとうございます!
      なるほど、ソフト面でもそんな違いがあるとは……(先に調べとけ)
      なんとなく、教えていただいた知識をストーリーに活かせそうなのでネタを思いついたらこの先組み込んでみようと思います!

  3. ティーカさん

    こんにちはー。永慶です。
    毎度ながらティーカさん一流の、本番にいたらないまでの丁寧でエッチな攻防戦を、今回も楽しませて頂きました。
    ワタル君の手のひらで弄ばれているミドリちゃん。
    無意識のうちにラッキーエッチを提供してしまっているクラスメイトたち。
    意外とストイックに研究を重ねてきたワタル君。
    ここからどうなっていくのか、次回の展開がとても楽しみです。
    いつも素敵な作品をありがとうございます。

    1. >永慶さん

      感想ありがとうございますー。

      本番描写が得意ではないので、ちまちまエロいことをしつつ、好きなように書いていこうかと思います。
      とりあえず学校を支配するところまでは書く予定です。予定は未定ですが。

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