始末屋ヒュプノの活動記録2

 

2話

 

 

「でさー、そん時吉田の奴が……」

「ギャハハ、マジかよ! ありえねー!」

 

 青蘭高校の休み時間。階段にだらしなく座り込んだ金髪の男子数人が、缶コーヒーを片手にたむろして大声で談笑していた。

 もともと幅の狭い階段であったこともあり、横に広がるように並んでいる彼らの存在は完全に通り道を占拠してしまっており、階をまたいで移動する必要のある生徒たちは困った様子で遠巻きに様子を見たり、諦めて反対側の階段へと回り道を余儀なくされていた。

 

 中にはなんとか階段を通ろうと試みる者もいたが、階段の端の方を通ろうとしてもスペースを開けるどころか逆に睨み返される始末。結局、誰もが彼らと関わり合いになることを避けることしかできない状況だった。

 

「そんで俺が言ってやったんだけどよぉ……」

「ちょっとアンタたち! 階段の真ん中で広がっていたら通行の妨げになるでしょう! 小学生じゃあるまいしそんなことも分からないの?」

 

 よく響く真っ直ぐな声が辺りに響き渡る。不良たちが声の出所に目を向けると、長身長髪の女子生徒が鋭い目つきで彼らを睨み付けていた。

 

「……あァん? なんだてめぇ……?」

 

 恐らくはヤンキーたちのリーダーであろう、体格のいい男が立ち上がるとドスの利いた声で脅しつける。だが、目の前の女子は全くひるむ様子もなく睨みかえす。

 

「ふん、反論できないから暴力で脅そうっていうの? いかにも下劣な輩が考えそうなコトね」

「あァ……!? 喧嘩売ってんのかコラぁ!」

 

 逆上した男子が咄嗟に掴みかかろうと腕を伸ばすが、その手が少女に触れることはなかった。瞬時のうちに少女は掻き消えるように男子の拳をよけると、その腕を掴んで背後に回り込んでいたのだ。

 

「ぐあッ!」

 

 片腕を極められた男子は短い叫び声を上げてあっさりと床に組み伏せられてしまう。見事な身のこなしに、周囲の一般生徒たちからわっと歓声が上がる。

 

「まったく、口ほどにもない……しょせんは群れて粋がるだけの小悪党ね」

「て、てめぇ……何者だ……!」

 

 痛みに身をよじる男子を見下ろしながら、女子生徒は高らかに名乗りを上げる。

 

「覚えておきなさい。青蘭高校風紀委員長、藤堂凛の名前をね!」

 

……

 

 ──とある新月の晩。

 世界に名だたるセレブの御用達とも言われる高級住宅街の真ん中に、一際目立って豪奢な屋敷が構えられていた。

 時刻は夜中の2時を過ぎているにもかかわらず、屋敷には煌々と明かりがついており、その周囲には何十人もの武装した警備員がぎらついた眼で敷地の周辺に集まったマスコミのカメラマンを威嚇したり、付近を通行人が通りかかる度に険しい表情で睨みつけていた。

 

 やがて、屋敷の玄関の扉が開き、毛皮のガウンをまとった小太りな男が姿を現すと、警備員のうちの一人が駆け寄っていく。

 

「どうだ、怪しい奴は見つかったか?」

「はっ、金倉様! 周辺1キロメートルまで厳戒態勢を敷いておりますが、未だ怪盗デリンジャーと思しき侵入者は現れておりません!」

「フン……」

 

 敬礼とともに報告する警備員を一瞥の後、小太りの男は髭を一ひねりすると懐のシガーケースから葉巻を取り出して火をつけた。

 

「チミらには大金を積んでやっているのを忘れるなよ。その代わり、もし今夜奴を取り逃がそうものなら……命はないものと思え」

「は、はっ! 我々の沽券にかけて、この屋敷にはネズミ一匹近寄らせません!」

 

 背筋を伸ばして敬礼する警備員の背後で、暗闇に溶け込むように黒い影が屋敷の方へ目にもとまらぬ速さで駆けていくことに気付く者はいなかった。

 

……

 

 ──屋敷の中、迷路のように入り組んだ構造の廊下に囲まれた最奥の小さな展示室の真ん中に、世界最大のブラックオニキス『夜鷹の星』のガラスケースは設置されていた。部屋の周囲は、とりわけ厳戒な警備によって封鎖されている。

 緊張の走った面持ちで周辺を一分の隙もなく監視する彼らの腰には拳銃が携えられており、立ち居振る舞いから一目でその道のプロだということが伺える。

 

 ──コツン。

 

 不意に、近くの小窓から聞こえた小さな音に、一瞬だけ警備員のうち一人の視線が向く。

 

「──っ!」

 

 その、刹那。小窓の反対側、視界の隅の方で小さな影が揺らぎ、一瞬で警備員に駆け寄る。

 

「! しまっ──」

 

 不意を突かれた警備員が侵入者に向けて銃を構えたときには既に手遅れだった。人影は銃の射線を掻い潜るように不規則に動き回りながら、警備員の背後に回って的確に首筋を叩く。

 

「ぐぅっ……!」

「誰だっ!」

 

 仲間がどさりと倒れる物音に反応して別の警備員が銃口を向けた時には、既に人影は自分の背後。次の瞬間には、彼の意識もまた仲間と同様に遠くへと旅立っていた。

 

「なっ……!」「消えっ──!?」「ぐあっ……!」

 

 どさり、どさり。数秒後、十名以上もいた警備隊は一瞬のうちに意識を刈り取られ、一人残らず廊下に倒れこんでいた。

 通路に動くものの気配がなくなったことを確認した後、唯一その場に立っていた黒い人影はようやく人心地ついたように額の汗をぬぐう。

 

「……ふぅ。さすがにこの人数を相手取るのは梃子摺るわね」

 

 目深にかぶった黒い帽子を脱ぎ捨てると、その下からふぁさりと黒い長髪が広がり、漆黒のライダースーツに身を包んだ端正な顔つきの切れ目の少女が現れた。

 

 怪盗デリンジャー。それが、品行方正な風紀委員長である藤堂凛の、もう一つの顔だった。

 

 怪盗、といっても、世間一般のイメージのように宝飾品や美術品といった金目の物を盗んでコレクションしたり、ましてや世間を騒がせて悦に浸るような愉快犯ではない。

 デリンジャーが狙うのは、あくまで弱者から金を搾取することで不当に私腹を肥やす悪党ばかり。そして盗み出した金品も裏ルートで換金した後、本来の持ち主に寄付と言う形で返す、言わば弱きを助け強きをくじく義賊なのだ。盗みに入る前にターゲットやマスコミに予告状を送付するのも、盗み出した後にマスコミの前に姿を現すのも、自らに正当性がある自信の裏付けである。

 そのため、怪盗デリンジャーの存在は多くの社会的弱者からはまるでヒーローのように讃えられる一方、そういった層を食い物にしている一部の人間からすれば目の上のたん瘤のように目障りな存在だった。何せ、怪盗デリンジャーに狙われて盗みに入られるということは、自分が悪人であると世間に対して公表されるも同然なのだ。

 

「さてと、邪魔者もあらかた片付いたし……あとはこの『夜鷹の星』を盗み出すだけね……」

 

 表の様子を見る限りでは、恐らく自分が屋敷に侵入したことすら気付かれていない。時間の余裕は十分にあるだろう。

 そう考えながら宝石の方を向いたその時、背後から女性の声が響いた。

 

「武装した警備員10数人をわずか数秒で戦闘不能に追い込むなんて……噂に違わぬ見事な手際ね、怪盗デリンジャーさん」

「……っ! 誰っ!?」

 

 凛が振り返ったその先には、スーツ姿の女性が立っていた。

 まずい。一体いつから見られていたのか分からないが、既に表の警備員たちに通報されていたとすればここに踏み込まれるのは時間の問題だろう。凛はさりげなく周囲を観察する。

 そんな凛の心配を見抜いたかのように相手は落ち着いた様子で声をかける。

 

「ふふ、初にお目にかかるわね……私は『始末屋ヒュプノ』。先に言っておくけど、余計な邪魔は入れないから心配しないで……私の目的はあくまで自分の手であなたを『始末』することだから」

「始末屋ヒュプノ……!?」

 

 そういえば、風の噂に聞いたことがある。同業者に迷惑をかけるなどあまりに目に余るような活動を行っている怪盗の前に現れ二度と表舞台に立てないほどの辱めを与える、『始末屋』と呼ばれる人間の存在。

 

「ちょっと待ちなさいよ、なんで私が始末されなきゃいけないのよ! 私は弱者のために悪人からお宝を奪い返してあげている正義の味方なのよ! 恨まれる心当たりなんてないわ!」

 

 デリンジャーは激昂した。困っている人たちを助けるために活動をしている自分が感謝されこそすれ、始末などされる謂れなどないはずだ。しかし、ヒュプノは小さくため息を吐いただけだった。

 

「知らないわよ、私は依頼を受けたからあなたの前に現れただけ。そもそも……これだけ派手に暴れまわりながら十件以上もお宝を盗み出しておいて、恨みを買ってない訳がないじゃない」

「単なる逆恨みよ、もとはと言えば汚い手段で手に入れたものじゃない! そんな奴らの依頼を受けるなんて……どうやらアンタも悪の一員のようね!」

「……呆れた。正義と悪でしか物事を図れないなんて、とんだ単純バカなのね」

 

「何ですって!?」

 

 挑発された凛は逆上し、ヒュプノに向かって跳躍する。怪盗デリンジャーは武器を使わない。日々の鍛錬に裏打ちされた目にも留まらぬフットワークと鍛え抜かれた肉体から繰り出される拳によって、自らの手で悪を断罪することこそが彼女の信条であった。

 

「! うわっと……!」

 

 すんでのところでヒュプノが反応し、咄嗟に数歩下がる。一瞬前までヒュプノがいた場所をデリンジャーの拳が危うくかすめる。きらりと、ヒュプノの首元にぶら下げていたペンダントが輝いた。

 

「ふぅ、危ない危ない……攻撃も単調で助かったわ」

「黙れ! 大人しく正義の裁きを受けなさいっ!」

「……そう言われて本当に大人しく殴られるわけないでしょう……全く。大人っていうのはもっとスマートに戦うものよ──こんな風にね」

 

 ぱちん、とヒュプノが指を鳴らすとバチンという音とともに通路の照明が落ち、辺りが闇に包まれた。光と呼べるものは、窓からわずかに差し込んでくる微かな星明りのみ。恐らく、事前に細工を施してあったのだろう。

 

「ひ……卑怯よ! 正々堂々と姿を現しなさい、この悪党め!」

 

 完全に相手を見失ってしまった凛が叫ぶが、当然返答はない。何とか相手の姿を捕えられないかと暗闇の中で必死に目を凝らしていると──

 

「……ん?」

 

 きらり、とわずかに複雑な色を放つ光が、地面から1メートルほどの高さから発せられていた。瞬時に記憶を手繰り、思い出す。先ほどヒュプノが身に付けていたペンダント。その水晶部分が、恐らく星明りを反射してヒュプノの位置を教えてくれているのだ。凛は相手の迂闊さに感謝する。

 

「……そこだっ!」

 

 瞬時に距離を詰めて、体重を乗せた拳をヒュプノの顔面があると思われる位置に全力で打ち据える。

 

「きゃあっ!?」

 

 残念ながら外れてしまったのだろう、凛の拳が空を切る音とともに短い叫び声が辺りに響く。ペンダントの光は、凛から距離を取ろうとするかのように少し離れる。

 

「逃がすかっ!」

「きゃっ!」

 

 この機に乗じて畳みかけようと、二度三度と追撃を繰り返す凛。しかしその度に先ほどと同じように攻撃はむなしく虚空を捕え、後に残るのはゆらゆらと揺れるペンダントの光のみ。

 

「くっ、逃げるな、このっ!」

 

 反射的にペンダントの方を向き直っては何度も追撃を浴びせる凛。あの光だ。あれに注目しながら攻撃していれば、必ず攻撃が当たるはずなのだ。いつの間にか凛はそのことしか考えられなくなっていた。

 

「待て……っ!」「逃げ、る、な……」「っ……」

 

 暗闇の中、しばらく凛一人の声と、時折攻撃を繰り出すような音が響いていたが、やがて声が止み、程なくして踏み込みの音や拳が風を切る音も聞こえなくなり、完全な静寂が訪れる。

 

 

……

………

 

「さて、そろそろかしらね……」

 

 物音が完全に聞こえなくなったことを確認してヒュプノは呟くと、通路の照明のスイッチを入れた。元通り、周辺が明るく照らされる。

 そこには、完全に催眠状態に落ちて、立ったまま虚ろな表情になっているデリンジャーと……

 

 ──天井の蛍光灯からチェーンでぶら下がるように結わえ付けられ、1mほどの高さで揺れているペンダント。

 

「単純な奴だとは思っていたけど……まさかこの程度の仕掛けで落とせるとは予想外だったわ」 

 

 ぶら下げたペンダントを回収しながら、完全に無防備になったデリンジャーの表情を観察する。

 

「それにしても──私、こういう自分だけが正しいと信じて疑わない手合いって、嫌いなのよね……」

 

 呟きながら、ちらりと外を見る。どうやら屋敷の外ではまだ侵入されたことに気付いていないらしい警備員たちが塀の外を必死で見張っている。この分なら、どうやらしばらくは時間に余裕がありそうだ。

 

「ふふ……ちょうどいいわ。たっぷりと、始末屋ヒュプノの恐ろしさを身をもって教えてあげる……」

 

 ヒュプノは、虚ろな目をしたまま佇んでいる凛の耳元に囁きかけた。

 

 

………

……

 

 パン!

 

「……っ! こ、ここは……!?」

 

 耳元で鳴らされた音に目を覚まし、凛は慌てて辺りを見回す。先ほどまで闇に包まれていた筈の通路は煌々と照明が照らし、目の前には無傷のままの始末屋ヒュプノの姿があった。

 ヒュプノはその場から逃げるそぶりも見せずに挑発的な笑みを浮かべる。

 

「あらおはよう、正義バカさん。よく眠れたかしら?」

「き、貴様っ! 私の目の前に姿を現すとは良い度胸だ!」

 

 手を伸ばせば簡単に届く距離。凛は躊躇なく踏み込むと、ヒュプノの顔面目掛けて閃光のようなパンチを放つ。

 

「食ら……っ!」

 

 だが、その拳はヒュプノに届く寸前にぴたりと止まる。

 

「……え……?」

 

 目を丸くして愕然とした表情を浮かべる凛とは対照的に、まるでそのことを分かっていたかのように余裕の面持ちでにやついているヒュプノ。

 

「あら、寸止めかしら? 優しいのね」

「っ……! 貴様、舐めるなぁっ!」

 

 凛は拳を引っ込めると、今度は右足を勢いよく振り上げてハイキックを放つ。しかし、今度も同じ。キックはヒュプノに当たる寸前で止まる。

 

「な……!? 貴様、一体何をした……!」

 

 そう、決して凛は寸止めなどするつもりはなく、完全に振りぬくつもりで全力で蹴ろうとしていた。それなのに、ヒュプノに攻撃が当たりそうな瞬間に、何故かそれ以上振りぬけなくなってしまったのだ。それは、先ほどのパンチにしても同様だった。

 

「ふふ、催眠術……って知ってるかしら。簡単に言うと、私に一切の危害を加えられないように『安全装置』をかけさせてもらったわ」

「っ……! ふざけた戯言を……!」

 

 鬼のような形相で再び掴みかかろうとする凛に対して、ヒュプノは短く呟いた。

 

「おすわり♪」

「はっ……?」

 

 すとん、と凛の腰が落ち、ヒュプノの目の前で力が抜けたように座り込む。

 

「そ、そんな、足が……!?」

 

 いくら立ち上がろうともがいても、全く両足に力が入らず立ち上がることができない。

 

「あ、言い忘れてたけどもちろん危害を加えられないだけじゃないわよ。残念だけどあなたはもう、私の命じるがままにしかならないの」

「くっ……動け、動けぇっ……!」

「あら、そんなに動きたければ動かしてあげるわよ。そうね、例えば……『スーツを脱いでおっぱいを出しなさい』」

「ふざけるなっ、誰がそんな……え……?」

 

 ジジー……

 

 自らの首の下から聞こえる妙な金属音。それが、自分自身の右手によってライダースーツの正面のファスナーが開かれている音だと気付いたのは、既にスーツの正面が完全に開け放たれて胸が丸出しになった後のことだった。

 慌てて凛は両腕を体の前で交差させる。

 

「い……いやあああ!?」

「あら、隠すのはダメよ。しっかり見せてね」

「ひっ……嘘っ、ダメっ!」

 

 ヒュプノが軽くそう言うだけで、凛の両手は主人の意志を無視し、まるで目の前の敵におっぱいを差し出すかのように大きく両腕を開いてスーツの下の素肌をさらけ出す。

 凛の大きく育った立派な両胸は、そのピンク色の先端部分まで完全にヒュプノに対して丸見えになっていた。

 

 凛は羞恥心に息を荒げながら、顔を真っ赤に染めてヒュプノを睨み付ける。既にその両目にはうっすらと涙がにじんでいた。

 

「わ、私をこれほど屈辱的な目に遭わせて……絶対に、許さないからな……!」

「あらあら、とっても怖いわねえ、ええと……あ、そうだ。呼ぶときに不便だから『あなたの名前と、学校なんかのプライベートな情報を教えて』」

「なっ……だ、誰が貴様などに……『青蘭高校2年3組、風紀委員長の藤堂凛です』……あああっ!?」

 

 慌てて口を閉じるがもう遅い。凛の個人情報は、目の前のヒュプノに完全に知られてしまった。

 

「くすくす、教えてくれてありがとう……そうそう、サービスとして凛ちゃんには、恥ずかしければ恥ずかしいほど気持ちよくなっちゃう暗示もかけておいてあげたわよ」

 

 そう言いながら、そっとデリンジャーの胸の先端部分を指でつまむ。たったそれだけの刺激で、凛の口から情けない声が上がる。

 

「ふぁぁぁんっ♪」

「あはははっ、見た目によらず可愛い声を出してくれるのね……そんな声出されちゃったら、もっと可愛がりたくなるじゃない」

「や、やめっ……んああああっ♪」

 

 結局、凛は目の前のヒュプノに両胸を差し出したままの姿勢で、思う存分にその敏感な部分を弄ばれる羽目になるのだった。

 

 

 

 

 ……。

 

 数分後。好きなように弄ばれた凛は全身を真っ赤に染め上げながら肩で息をしていた。

 

「くっ……解きやがれっ、この卑怯者が……!」

 

 凛が目の前のヒュプノに対してできる精一杯の強がりは、ただ潤んだ瞳で睨みつけることだけ。それがただ相手の興奮を増幅させるだけの効果しかないことを、凛は知る由もなかった。

 

「あらあら……盗みなんて犯罪に手を染めている分際で『正義』だの『卑怯者』だの、本当に反吐が出るほどの偽善者ね」

「ふんっ、この屋敷の持ち主の金倉は、我が身可愛さのために弱者を好きなだけ踏みにじって搾取するような悪人だぞ! 正義の報いを受けて当然だ!」

「それが偽善だと言ってるのよ。見知らぬ誰かよりも自分の立場を優先することの何が悪いっていうの」

「ふざけるなっ! 困っている人たちを見捨てて自分が助かればそれでいいなど、見下げ果てた屑だ! 私は正義の味方として、自分の手を汚してでも彼らを助けようとしているだけだ!」

 

 あまりに子供じみた理屈の押し付けに、ヒュプノはため息を吐く。

 

「だったら……あなたの大好きな『正義』がどれほど大切な物なのか、試してあげる。

 これから私は、始末屋としてあなたを催眠術で『始末』しないといけない訳だけれど……どんな風に始末されるのがいいか二つ選択肢をあげるから、好きな方を選びなさい。

 

 一つ目は、困っている人たちを見捨てることになるけれどあなたは助かる『保身の道』。

 こちらを選べば、あなたは怪盗デリンジャーとしての記憶やアイデンティティ全てを消された状態で解放され、単なる『藤堂凛』としての生活に戻してあげる。

 学校なんかの日常生活は今まで通り送ることができるけど、今日限りで怪盗は引退することになるからあなたの言う悪人に騙された被害者たちは二度と救えないわ。

 

 二つ目は、あなたの名誉と引き換えにこれからも弱者を助けることができる『正義の道』。

 こちらを選べば、あなたを裸にひん剥いて、怪盗デリンジャーの正体が藤堂凛だってことをマスコミの前で晒してあげる。

 怪盗としての活動は続けられるけど、多分学校生活どころか、もう当分は表を出歩くこともできないくらいの有名人になっちゃうわね。 

 

 ──さて、どっちがいいかしら?」

 

 ヒュプノの質問に凛は逡巡するそぶりもなく口を開く。

 

「『正義』を選ぶに決まっている! 怪盗という道を選んだ時から、どんな凌辱を受けても決して悪には屈しない覚悟はできている!」

 

「ふーん……大した覚悟ね。なら、望み通りの目に遭わせてあげるわ。ほら、このペンダントを見なさい……」

 

 目の前に差し出されたペンダントの光に、一瞬で凛の意識は深いところへと落ちていった……。

 

 

 

 

 ……。

 

「ん……ここは……?」

 

 凛は目を開いて辺りを見回す。そこは、豪華な屋敷の通路。足元には、屈強な武装した警備員たちが何人も倒れていた。

 

「そうだ……私は、確か『夜鷹の星』を手に入れるために金倉の屋敷に忍び込んで……」

 

 不思議と、そこからの記憶があやふやになっている。手元を見ると、そこには時価数百億円とも呼ばれるブラックオニキス、『夜鷹の星』がしっかりと握られていた。

 

「ああ……そうだ、あとはこの宝石を持ってマスコミの前に姿を現して、金倉の奴の罪を糾弾するんだった……」

 

 何かを忘れているような感覚に駆られるが、今気にすべきことではないだろうと考えなおす。窓の外では、相変わらず間抜けな警備員たちが外を見張っており、屋敷の外にはマスコミや野次馬たちが押し寄せていた。

 お宝が盗まれたことに気付かれる前に、急いで姿を現さなければ。

 

 凛は事前に用意していた逃走経路を颯爽と駆けていった。

 

……

 

 ──屋外。

 

 金倉の屋敷の周囲は、いつ怪盗デリンジャーが現れるのかと手ぐすねを引くマスコミたちで溢れかえり、門の前では大手ニュース番組の記者に対して金倉が余裕の表情でインタビューに対応していた。

 

「怪盗デリンジャーは日頃から、不正な手段で私腹を肥やす悪党ばかりをターゲットにしていると宣言していますが、そのことについていかがお考えでしょうか!?」

「失礼な言いがかりはよしたまえよチミぃ……それに、我が屋敷の警備はこの通り万全。怪盗デリンジャーどころか、鼠一匹すら入らせは──」

「それはどうかしらね!」

 

 闇を切り裂くように、良く通る澄み渡った声が周囲に響く。マスコミや警備員たちはきょろきょろとその声の出所を探る。

 

「──屋根の上だっ!」

 

 屋敷の高い屋根の上に現れた凛に、マスコミのカメラが集中する。

 凛は満足しながら眼下に広がるマスコミや野次馬たちを見下ろす。今こそが、正義執行の時だ。

 そして、握りしめた右手を、カメラによく映るようにしっかりと真正面に突き出して高らかに宣言する。

 

「『怪盗デリンジャーの正体は、青蘭高校の風紀委員長、藤堂凛です!』……え……?」

 

 自分自身の口から飛び出したとんでもない言葉に愕然とする凛。そんなバカな。

 実際には、『予告通り、「夜鷹の星」は頂いたわ!』と宣言するつもりだったのだ。それが何故……? 凛は改めて自分がカメラに向けて突き付けた右手を見て更に目を丸くする。

 右手に握られていたのは、ブラックオニキスなどではなかった。

 

 それは、凛の通う青蘭高校の、顔写真付きの学生証だった。

 

 ありえない、そもそも屋敷に忍び込むのにこんなものを持ち込んできている筈がないのに。

 

「『青蘭高校』って……確か近所の高校だよな……?」「なんでそこの風紀委員長なんかが怪盗を……?」

 

 唐突な宣言に、当然周囲のギャラリーたちはざわめいている。

 まずい。まずい。完全に凛はパニックに陥っていた。だが、まだ完全に正体がバレたわけではない。目深に帽子をかぶっている以上、この場さえ逃げ切ることができれば後で別人だと主張することは可能だ。

 そうだ、この帽子があればまだ……ん……? そこまで考えて凛は、何故か顔に当たる夜風が妙に冷たいことに気付く。まさか……

 

「い……いやああああ!?」

 

 凛は、帽子をかぶっていなかった。いや、それどころではない。先ほどまで確かに着用していた筈の衣服全てが、いつの間にか煙のように消え失せていた。

 

 完全に覆うもののなくなった長い髪の毛はさらさらと夜風に吹かれて揺れ。その鋭い切れ目は学生証の写真と同一人物であることが一目で明らかであった。

 そして、年頃の少女であれば絶対に見られたくない、大きく育った胸の膨らみやその頂点でぴんと立ったピンク色の乳首も。足の付け根にしっかりと生えそろった陰毛も。

 凛は自らマスコミのカメラに見せつけるかのように産まれたままの姿を堂々と晒していたのだ。

 

(う、嘘、ダメっ!)

 

 慌てて自分の体を隠そうとする凛だったが、何故か体が言うことを聞いてくれない。隠すどころか、両手を腰に当てて仁王立ちになると、再び思ってもいない言葉が口から飛び出す。

 

「『正義のためなんていうのも全部嘘でーす! 本当は、そう言っておけばニュースとかで義賊として取り上げられていっぱい目立てるからです! 今日は、いつもより目立ちたかったから邪魔な衣装も捨てちゃいました!』」

 

(いやああああああ!? そんなこと思ってないのに!)

 

 まるで露出狂のような自らの言動を止めることができない凛。眼下に目をやると、ギャラリーの中に見知った顔があることに気付く。自分が昼間懲らしめた不良たちや、喝采を浴びせてくれた一般生徒たちだ。

 

「へへへ……なんだよ、昼間はあんな偉そうなこと言っておいて自分が一番の変態じゃねえか……」

「藤堂先輩……かっこいいと思ってたのに、風紀委員長もただ目立ちたくてやってただけなのね……本当に幻滅」

 

 興奮や蔑視の視線が、剥き出しになった体の至る場所に突き刺さる。

 

 ──お願い、見ないで! 

 

 凛はそう必死で訴えようとするが、その思いとは裏腹に胸の先端はまるで見られることを喜ぶように固くしっかりと立っていき、股間からはとろりとした液体が垂れる。

 

「『みんな、凛のエッチな姿をもっと見てください! これからはいつも裸で活動して、世界中の人たちにいっぱい見てもらえるように頑張りまーす!』」

 

(いやあああああああああ!)

 

 全身に浴びせられる視線とマスコミのカメラから焚かれるフラッシュの熱を体中に感じながら、凛の頭は真っ白になった。

 

 

 

 ──パチン。

 

「いやああああああ……! ……え……?」

 

 悲鳴を上げながら、急に辺りが静かになったことに気付いて凛は辺りを見回す。

 そこは、マスコミのカメラに囲まれた屋敷の屋根の上などではなかった。警備員たちをノックアウトした、展示室の前の通路。そして目の前には──

 

「あらおはよう。何か悪い夢でも見た?

 ……例えば、マスコミや知り合いの前で裸になって自分の正体を明かす夢とか」

 

「あ……っ!?」

 

 ヒュプノの顔を見て、ようやく状況を思い出す。そうだ、確か私は『保身』と『正義』、二つの道のうちどちらを選ぶか質問されて──

 

「ふふっ、サービスとして『正義の道』を選んだらどうなるのかの幻を体験させてあげたの。

 あ、心配しないでね。ちゃんと『義賊』としての活動は続けられるようにしてあげるから。もちろん、その度に大勢の人に裸を見せつけてもらうことになるけどね」

 

「ひっ……!?」

 

 デリンジャーは小さな悲鳴を上げて体を抱える。

 

 ──今のが、幻? 本当に?

 

 目を閉じれば自分の体に当たる夜風やカメラのフラッシュの光、そしてギャラリーの嘲笑の声がありありと思い出せる。まるで先ほどの光景こそが現実で、今の状況こそが幻なのではないかとすら感じられるほどに。

 ガタガタと震える凛を見下ろしながらヒュプノは楽しそうに続ける。

 

「ふふ……ごめんなさい、どんな凌辱を受けても屈しない覚悟か決まってるあなたにとっては余計なお世話だったわよね。

 それじゃあ……早速だけど望み通りに『正義の道』を──」

「ま、待って!」

 

 矢も楯もたまらず叫び声を上げる凛。もしヒュプノがその気になれば先ほどの幻をほとんど現実にすることは造作もないことだろうと、理屈を超えて直感していた。

 

「……あらぁ? 一体どうしたの?

 ま・さ・か、正義の味方の怪盗デリンジャーともあろうものが、自分が恥ずかしい目に遭いたくないからやっぱり『保身』を選びます……なーんていう訳はないわよねぇ?

 我が身よりも、困ってる人たちを助ける方が大事だものねぇ?」

「あ……あ……」

 

 意地悪く微笑むヒュプノに対して、何も言い返すことができないデリンジャー。

 数分前であれば迷わず却下した提案。だがさきほど勢いよく啖呵を切った覚悟など口先だけの戯言であってことを、凛はこの上なく理解していた。

 ぼろぼろと、その両目から涙が溢れて床に落ちる。

 

「お……お願いします……『保身の道』を選ばせてください……」

 

 ようやく蚊の鳴くような声で呟いた凛をヒュプノは涼しげな表情で見下ろす。

 

「ん-……? なんか声が小さくてよく聞こえなかったし、多分空耳ね。

 『困っている人たちを見捨てて自分が助かればそれでいいなど、見下げ果てた屑だ!』って自信満々に言ってたデリンジャーが、『保身』なんて選ぶわけ……」

 

「ゆ、許してください! 私はあんな恥ずかしい目に遭いたくないんです!

 もう二度と偉そうな正義面なんてしません! 困ってる人たちのことなんて、どうでもいいです!

 どうかっ、『保身の道』を選ばせてくださいっ……!」

 

 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、ヒュプノに縋りつくように懇願する凛。もはやその表情にはかつての自信やプライドなど欠片も残っていなかった。

 

「くすくす……さっきまで粋がってたのがまるで別人ね。分かったわ、そこまでお願いするなら望み通り、記憶を消して二度と怪盗として活動できないようにしてあげる。

 ほら……このペンダントを見なさい……」

 

 優しいヒュプノの声に導かれるように、揺れるペンダントの光を目で追う凛の意識は、瞬時にして深いところへと落ちていった。

 

「──ああ、でも怪盗としての記憶を消しただけだと、結局学校での態度は変わらないわね。せっかくだから、風紀委員長としてのプライドもへし折ってあげようかしら……」

 

……

 

 

 ──翌日、青蘭高校では定例の全校朝礼が行われていた。

 

 正面の壇上に立って説教しているのは、風紀委員長である藤堂凛だ。

 

「よろしいですか! 最近この学校の生徒たちの服装は、たるんでいると言わざるを得ません!」

 

 彼女の頭の中に、もはや怪盗デリンジャーの存在は残っていない。衣装はもちろん、デリンジャーに繋がるような品物や記録なども含め、全て凛本人が無意識のうちに処分してしまっていた。

 だが、彼女の中の正義が消えたわけではなかった。何せ、一校の風紀を背負って立つ風紀委員長なのだ。自らが率先して手本となり生徒たちを導いていかなければ。凛は使命感に燃えていた。

 

「──特に最近目立つのが、服飾関係の着用忘れです! 校章やリボン、ネクタイなど、あまりにも目に余ります! いいですか、毎日身に付けて当然のものを忘れるなど、高校生として最低限の常識すらも身についていないバカだと肝に銘じなさい! 以上!」

 

 きっぱりと言い放ってマイクを置くと、凛は壇上から降りるために一歩踏み出し──何もない場所で足を滑らせて尻餅をついた。

 

「っ! いたたた……」

 

 全校生徒の前で派手に転んでしまうという失態を犯したことに顔を赤らめる凛だったが、やがて周囲の反応がおかしいことに気が付いた。ただ凛が転んだことに驚いているというよりは、もっと信じられないものを見るような表情で誰もが凛の下半身に目が釘付けになっていたのだ。

 

「え……?」

 

 その視線の先を追うように目線を下げて、凛はその理由に気付いた。

 壇上で尻餅をついた凛の両脚は全校生徒の方に向けて大きく広がってしまっていた。それだけではない。転んだ拍子に無意識のうちに自分自身の右手がスカートの裾を掴んで、腰のあたりまで完全にめくれ上がってしまっていた。

 

 そして、そのスカートの下は──何も、着用していなかった。

 凛の黒く生い茂った陰毛も、その下のぱっくりと開いた割れ目も。

 女の子が一番隠すべき全てが、全校生徒たちに対して大公開されていた。

 

「あ……あ……」

 

 今までに風紀委員長として堅実に積み上げてきた何かが、ガラガラと崩れる音が凛の頭の中で響く。

 

「いやああああああああ!」

 

 ──その日を境に、藤堂凛が正義を振りかざすことは二度となくなった。

 

 

<続く>

2件のコメント

  1. 読ませていただきましたでよ~(ピクシブでw)

    怪盗少女と催眠術・・・シティハンターで見た(古い)
    今回はデリンジャーこと凛ちゃん。
    ひゃっほー! 肉体操作だぜー!(ちょっとだけ)
    幻覚で心を折られた凛ちゃんでぅが、正体バラすのはいいとしても、義賊少女に「庶民はどうでもよくて目立つためにやった」っていわせるのは正義の道という選択肢に反するのではないだろうかとおもったのでぅ。

    次いってみよー

    1. 読んで頂いてありがとうございます! 感謝!

      >義賊少女に「庶民はどうでもよくて目立つためにやった」っていわせるのは正義の道という選択肢に反するのではないだろうかとおもったのでぅ。

      いえ? それこそが『正義の道』ですよ?
      相手からの見返りや感謝を求める『正義』なんてちゃんちゃらおかしいですよ。
      本当に正義が大事なら、露出狂の誹りを受けても義賊を続ける覚悟くらい当然なくてはなりません。ええ。
      残念ながら、デリンジャーには真の正義を貫く覚悟はなかったようですね。

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