第1部 第5話 視点選択
小さい頃からひとりぼっちだった。
村の人たちは誰も私の相手をしてくれなかった。すべては私が悪いのはわかっていた。
父さんも母さんも、濃い茶色の髪に黒い瞳なのに、灰色の髪に青い瞳のわたしがいけないのだ。
村には、他にそんな子供は誰もいなかった。だから、みんなはわたしのことを”取り替え子”と呼んだ。
あれは7歳の時だった。わたしをいじめていた子が川で溺れて死んだ。何があったのかは覚えていない。けれども、気が付いたら目の前をその子が流されていった。
村の人たちは、それをわたしのせいだと決めつけた。わたしが悪魔の子だから、その子が死んだんだって。
あの時、わたしは悲しくてつらくて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、何がどうなったのかはわからない。でも、きっとわたしが悪いんだ。村で何か悪いことがあれば、それは全部わたしのせいなのだ。
それ以来、父さんはあからさまに迷惑そうにわたしを見るようになった。母さんは、わたしのことを怖がっているようにすら見えた。
本当は温もりが欲しかった。だけど、わたしはいつもひとりぼっち。
そしてある日、都から魔導院の人が来て、わたしを連れていった。
魔導院の人は、村の人たちのようにわたしをいじめたりしなかった。
魔導長のピュラ様は、優しく包み込むように、そして時には厳しく魔法の手ほどきをしてくれた。
共に学んだクラウディア様は、この国の王女なのに、わたしなんかと普通に接して、わたしのことを友達だと言ってくれた。
何よりふたりとも、わたしをひとりの人間として、当たり前に扱ってくれた。そのことが嬉しかった。
小さい頃と比べて、まるで今の生活は夢のよう。でも、わたしにはわかっていた。何かあったら、きっとわたしのせいにされる。
だって、わたしは普通じゃないから。ここでまた何か悪いことがあったらきっと。いつもそうだった。
そして、わたしはまたひとりぼっちになるんだ。
それはもう、慣れているはずだったのに。昔はいつもそうだったというのに。今は、ひとりになるのが怖い。今の生活を失うのが怖い。
本当は、温もりが欲しかっただけなのに。
* * *
フローレンスの街、教会。
「外出を?」
その日、アンナはシンシアに、シトレアを連れて外出する許可を求めた。
「はい。この子もだいぶ元気になってきていますし、ずっと部屋の中に籠もっているのも何ですから」
「まあ、それもそうよね」
「それに、田舎育ちのこの子に、都の様子を見せてあげたいんです」
「そう。そうね、わかったわ。行ってきなさい」
「はいっ。ありがとうございます」
シンシアの許可が下りると、アンナは嬉しそうに頭を下げる。
「でも、いいこと。こんな時期だから、くれぐれも気を付けるのよ。そして、あまり遅くならないうちに帰ってきなさい」
こんな時期、というのは、キエーザの邪教徒を討伐する部隊の出発まで、あと2日に迫っていたからだ。
そのせいか、街はいつもより騒がしいように思えた。
「はい、そこのところはちゃんと心得ています。それじゃシトレアちゃん、服を着替えましょうか」
そう言って、アンナは外出の準備を始める。
「それでは、いってきますね、シンシア様」
「うん、いってらっしゃい。気を付けるのよ」
「はい。じゃあ、行きましょう、シトレアちゃん」
少女の手を引いて、アンナが教会を出ていく。その後ろ姿を笑顔で見送るシンシア。
ふたりの姿が見えなくなると、少し寂しそうな表情になる。
「いけないいけない。ちょっと心配しすぎね。さあ、私も仕事に戻らないと」
寂しさを紛らわすようにパンパンと頬を叩くと、シンシアは建物の中に戻っていった。
* * *
20分後。魔導院。
少女の手を引いたアンナが向かったのは魔導院であった。
この、フローレンスの街では、王宮に次いで立派な構えの建物である。
高い壁に囲まれた中にいくつもの尖塔が建ち並ぶ、その中央に位置するひと際大きな建物が魔導院の本庁。
そこに、現在の魔導長であるピュラの執務室があった。
昨夜、予め念話で知らせてあったので、ふたりの少女は、すぐにピュラの部屋に通される。
「さあ、どうぞ」
部屋の中、3人だけになると、ピュラが少女の手を取って椅子に腰掛けさせる。
すると、机の影から一匹の黒猫が姿を現した。
「なんだエミリア、おまえもいたのか」
「なによー、あたしがいちゃだめなの?」
「いや、邪魔さえしなければ別にかまわないが」
「あーっ、なんかトゲのある言い方だな~!」
「ところでピュラ。早速だが、おまえの計画を聞こう」
「はい。考えたのですが、あの子に秘術を使わせることが突破口になるのではないかと」
完全に無視されて、ムキーッ、と叫んでいる黒猫を後目に、話を進めるふたり。
「秘術だと?強力な幻術か何かか?」
「いえ。むしろ、特殊能力とでも言った方がいいかもしれませんが」
「どういうことだ?いまいち意味がわからんが」
「あの子は、自分の精神世界の中に、任意の相手を引きずり込むことができるのです。それは、私が教えた魔法ではなくて、あの子の中の古代の血に由来するものだと思われます。だからリディアはその力を呪文の詠唱なしに発動させることができますし、自分の精神世界の中に他人を連れ込むなんて、そんなことができるのはここでもあの子ひとりです」
「なるほど。だから特殊能力だと」
「はい。そこは、あの子の思い通りになる世界で、あの子の言葉を借りれば、自分だけの王国なのだそうです。だから、その世界のものは全て思うがままに操れる、と」
「なに?操れるってことは、連れ込んだ相手の心にも干渉できるってことか?」
「それが。実は私もあの子に頼んでその精神世界に連れていってもらったことがあるのですが。その時は、意識ははっきりとしたままで、体だけがあの子の言うままに動いて、まるで人形にでもなったみたいでした。ただ、それが心には干渉できないからなのか、それとも、相手が私だからそうしなかったのかはわかりません」
「ふむ。それにしても、そんなところに敢えて乗り込むのは危険じゃないのか?」
「それは大丈夫です。私が外部から干渉してふたりの立場を転換させます」
「そんなことができるのか?」
「ええ。それはふたりの置かれた立場、つまり定位を入れ替えるだけですから。私は前に一度その世界に入っていますし、だいたいどのようなものかは把握していますから、外部からの干渉は可能だと思います」
「なるほど」
「あの子の精神世界に取り込まれるということは、言いかえると、心の中に入り込むということですから、あの子の心の殻をこじ開ける可能性が最も高い方法ではないかと……」
「なんだ、歯切れが悪いな」
「はい。先程も申し上げたように、あの子の力が、心に干渉できるものかどうかはわかりません。もし、心に干渉できなければ、魔法でふたりの定位を転換しても、何らかの方法で心の殻をこじ開けなくてはならなくなります」
「おいおい、頼りないな」
「それでも、定位を転換させることで、少なくともあの子の身体は操れるようになります。そこを足がかりにして屈服させることができれば」
「賭けの部分が大きいが、他に考えられる手はないというわけか?」
「はい」
「ふーむ」
少女は、腕を組んで、しばし考え込む。そうやってなにやら考えた後、ようやく口を開いた。
「ところで、おまえはどうやってそいつに力を発動させるつもりなんだ?」
「ああ、それは簡単です。まず、あの子をこの部屋に呼び出します。そして、あの子が部屋に来る前に、シトレア様に元の姿、シトリー様に戻っていただき、そのうえで私が床に倒れ込みます。部屋に入ってその様子を見れば、あの子は逆上して力を発動させるに違いありません」
「簡単に言ってくれるけど、おまえの作戦はどうしてそうリスクが高いんだ?」
「それでも、真正面からあの子にぶつかることを考えると、その方がはるかにましです。何しろ、リディアとクラウディア様は、私の教えた魔導師の中でも最高のふたりですから」
「はあ。で、その策が上手くいく自信があるってことは、それだけそいつがおまえのことを信頼し、慕っているってことなんだろうな」
「それは、もちろんですとも」
「悪いが、もう一度聞かせてくれないか。そいつが故郷の村で酷い目に遭っていたことは聞いたが、具体的には何があったんだ?」
「前にも申し上げましたが、あの子は、村の大人たちはもちろん、子供たちの誰からも相手にされず、それどころか、酷いいじめに遭っていたようです。しかし、決定的だったのは、あの子が7歳の時に起きた事件でしょう」
「事件?それは?」
「あの子をいじめていた子供のひとりが、川で溺れ死んだのです。そして、あの子がその場に居合わせていた」
「なんだと?」
「ただ、リディア自身にはその時の記憶がほとんど残っていないのです。だから、偶発的な事故の可能性もありますが、あるいは」
「あるいは?」
「精神状態が極限に達したあの子の力が発動してしまい、その結果、正気を失った子供が川に落ちてしまった可能性もあるのではないかと」
「ふん。なるほど」
「ただ、当然のように、子供が死んだのはあの子のせいにされました。それ以降、あの子への差別がさらに酷くなり、両親も、村人からひどく責められたようです。しかし、村人たちは自分に災いが降りかかるのを怖れて彼女自身には手を出しませんでした。その代わりに、都の魔導院に相談するという結論になったのです」
「それでここに引き取られることになったと」
「はい。もちろん、彼女の心を開くのは容易ではありませんでした。ここに来た時のあの子は、怯え以外の感情を表さず、話しかけても口ひとつ開くことはありませんでした」
「なんか、どこかで聞いたような話ですね」
リディアという少女の身の上を初めて聞いたのだろう。それまで黙って話を聞いていたアンナが口を挟んできた。
「馬鹿。僕のはフリだけど、こっちはホンモノだぞ」
そう返すと、少女は目でピュラの話を促す。
「私は、魔導長としての務めの傍ら、あの子の心をほぐそうと努めました。共に食事をしましたし、夜は一緒に寝てあげました。しかし、おそらくそのように優しく接してもらった経験はなかったのでしょう。はじめのうちは、あの子は怯え、戸惑うばかりでした。それでも私は、できる限りあの子の側にいてやり、たとえ返事が返ってこなくても、語りかけるのを止めませんでした。彼女がようやく私と話をしてくれるようになったのは、そうやって1年と少し経ってからでした。それから少しずつですが、笑顔も見せるようになり、ちょうど同い年のクラウディア様が私のもとで魔法の修行をしていたので、共に学ばせることにしました。もっとも、リディアの場合はもともと持っていた魔力が強力なので、それをコントロールできるようにしさえすればよかったのですが」
「なるほど。だけどそいつは、今もおまえたち以外には心を開いていないのだろう?」
「はい。それは、昔のように怯えたりすることはありませんし、必要なときは会話もしますが、本当に最小限程度で」
「で、一方ではおまえのことを崇拝しているかのように慕っていると?」
「きっと、あの子は怖いのだと思います」
「怖い?」
「はい。あの子は、本当はひとりが嫌で、誰かに優しくして欲しいのだと思います。しかし、人に対する恐怖心と不信感が心の奥深くに刻み込まれていて、人の優しさにすがりたい心と、人を拒む心の狭間で引き裂かれそうになっているのだと思います。それが、私を慕う態度と、他の人間に対して心を閉ざす態度とに極端に表れているのではないでしょうか。それと、もうひとつは、今のささやかな幸せを失うことへの恐怖。また、昔のように差別され、迫害されることを怖れているのです」
「なるほど」
「だからこそ、私が傷つき、倒れている姿を見れば、あの子は完全に冷静さを失って必ず力を発動させるはずです」
「で、そいつの精神世界の中で、逆上した奴の相手をして屈服させろと?」
「はい」
「……聞いた限りではかなり分の悪い賭けっぽいんだが」
「私もできる限りフォローはいたします。それにむしろ、あの子の感情が激しているときだからこそ、つけ入るチャンスではないかと」
とは言っても。
別に、ピュラのことを信用していないわけではないが、そもそも不安な要因が多すぎるぞ。上手くいく保証はどこにもないじゃないか。
はぁ……。しかし、どのみち他に手はなさそうだな。
「仕方ないな。その手に乗ってみるか」
「ありがとうございます!」
「ところで、その精神世界にいる間は外と交信できるのか?」
「それは、わかりかねます。はたして念話が通じるかどうか」
「ああもうっ。とにかく、おまえは、僕たちの立場を転換させることに専念しろ」
「かしこまりました」
「よし、じゃあエミリア。僕を元の姿に戻してくれ」
「えーっ!あたしがやらなくても、その気になったら自分で戻れるはずだよ。あたしとシトリーじゃ持ってる魔力はシトリーの方が大きいんだから、魔力をある程度解放したら元に戻るって」
「そうなのか?」
「あっ!その前に」
慌てて、アンナが少女に駆け寄る。
「ん?どうした、アンナ?」
「そのままで元に戻ると、服が破れてしまいます」
「ああ、それもそうだな」
アンナが、少女の服を脱がせていく。
「それでは……なるほど、本当だ」
シトリーが魔力を少し解放すると、少女の姿が見る見る大人の男の姿に変化していく。
「さあ、これをどうぞ、シトリー様」
ピュラが、魔導師のローブを羽織らせる。
「ああっ!私はどこかに隠れていた方がいいですね」
久しぶりに見る、シトリー本来の姿をうっとりと眺めていたアンナが、思い出したように大きな声を出した。
「それでは、向こうの扉から控えの間に入れるので、そちらに身を隠しているといいわ」
ピュラの指示で、机の向こう側の、入ってきたのとは別な扉からアンナが出ていく。
「それでは、リディアを呼び出しますね」
「ああ、頼む」
「……ちょっといい?リディアに、私の部屋に来るように言ってもらえるかしら。そう、少し頼みたいことがあるの。ええ、あの子は西の第二塔の、自分の部屋にいると思うから」
ピュラが、机の上の水晶玉に向かい、リディアを呼ぶように告げる。
「これで、10分ほどであの子はここに来るはずです」
「うん。それではしっかりフォローを頼むぞ」
シトリーの言葉に、ピュラは黙って頷いたのだった。
選択肢
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< リディアの視点で堕とされる → 第1部 第5話 リディアへ >