仮装行列綺談 祭りの宵

祭りの宵

「社長、本当にこの道で合ってるんですかぁ?」
「心配しないで、大丈夫なはずよ」
「いや、はずって……しゃちょお~」

 ハンドルを握りながら、私は思わず情けない声を上げていた。

 ただでさえ初めて走る道なうえ、さっきから急なカーブ続きで全然余裕がないっていうのに。
 助手席に座る社長に道を確認したらこれだもの。

「はははっ!まあ、聖美はこんな時は運がいいから大丈夫だろ」
「そんなぁ、運任せなんですか、ミチルさん?」
「もう、ミチルさんもあんまりからかったら唯さんに悪いですよ」

 後ろに座っているミチルさんは楽しそうに笑ってるし。
 心配そうにしてるのは彩奈ちゃんだけね。

 私が勤めているのは、サトミ・プランニングっていう、雑誌記事が専門の制作会社。
 特にどこの下請けというわけでもなく、依頼を受けてから取材して記事にしたり、こちらで調べた記事を売り込んで掲載してもらったりしている、いわばフリーランスのジャーナリスト集団だ。
 ……て言うと聞こえがいいけど、社長自ら取材に行くような小さな会社なんだけどね。

 私たちは今、取材旅行の途中だった。

 私、更衣唯(きさらぎ ゆい)はこの会社に入って4年目の記者兼編集者、で、今は運転手も兼任といったところだ。
 そして、地図を手に助手席に座っているのが社長で、そのうえ編集長と記者も兼ねている衣笠聖美(きぬがさ さとみ)さん。
 後ろの席に座っている、黄色いバンダナを巻いたちょっと男前の人(女だけどね)が、カメラマンの織原(おりはら)ミチルさん。
 その隣にちょこんと座っている、かわいらしい子がミチルさんのアシスタント兼雑用係の服部彩奈(はっとり あやな)ちゃん。
 これが、うちの会社の全員。

「大丈夫よ、唯。だって、今まで分かれ道はなかったでしょ。迷いようがないじゃない」

 そう言って、聖美さんはクスクス笑っている。

 まったく、この人はもう……。
 聖美さんは、出版社との交渉は一手に引き受けてるし、編集も取材も精力的にこなす、バイタリティー溢れる、有能な人なのは間違いない。
 でも、いつもは大人びた人なのに時々すごく子供っぽいときがあるんだから。

「だって社長~、もう山道に入ってから2時間近く走ってるんですよ~、それに、さっきから道はすっごく細くなってるし、くねくねしたカーブ続きで……本当にこの先に人が住んでるんですか~?」
「ええ、道は間違ってないわよ」
「あとどれくらい走ったら着きそうなんですか~?」
「そうね、そろそろ行程の半分以上はいってるかしらね」
「半分!?」

 思わず私がげんなりした声を上げると、後ろから楽しそうに笑うミチルさんの声が飛んできた。

「ハハハッ。情けない声出すなって。なんならあたしが交代してやろうか?」
「大丈夫ですよ~。それに、駐車できそうな場所もないですし、交代なんか無理ですって」
「ん、そうか」
「でも、大丈夫なんですか、唯さん?」
「あ、大丈夫よ、彩奈ちゃん。こうやって気を紛らわせてるだけだから」

 彩奈ちゃんはいい子だから、本気になって心配してくれてる。
 まあ、たしかにこんなにカーブ続きなのには辟易するけど、その分スピードも出せないし、他に車もいないから煽られる心配もないし、そこまでは疲れない。
 もう、10月も終わろうとしてる頃で紅葉はきれいだし、ドライブにはちょうどいい季節だし、車を走らせるのはむしろ快適な方だ。
 これで天気が悪かったら泣いてたけど。

「ところで聖美、今回って何かの祭りを取材するんだっけ?」
「ええ。一晩中、里の全員が仮装をして練り歩くお祭りがあるのよ。言ってみれば、東洋のハロウィンね」
「へえ、東洋のハロウィンね……」
「そ、時期もハロウィンと同じ10月末だしね」

 ミチルさんと聖美さんが、暢気におしゃべりを始める。
 このふたりは、小学生の頃からの同級生で、お互い呼び捨てで呼び合ってるし、社長と社員とはいっても会話も普通にタメ口だ。
 時々、まるで女子高生の会話みたいで、きっと昔から変わってないんだろうなぁ、と思う。

「まさか、本当にどっかからハロウィンが入ってきてるとかじゃないのか?」
「それはないわよ。相当昔からやってるお祭りみたいだし、ものすごい山奥だもの。きっと偶然似たようなお祭りってだけよ。ま、東洋のハロウィンていっても、仮装の衣装は純和風だし、向こうのハロウィンみたいに子供は参加したりしないし、似てるのは仮装して練り歩くぐらいなのよ」
「ふーん、でも、なんでそんな祭りを取材しようって思ったんだ?」
「それこそ、ハロウィンに便乗したのよ。最近、日本でもハロウィンってけっこう盛り上がってるでしょ。そこに、東洋のハロウィンっていう触れ込みで今回のお祭りを記事にしたら、絶対いい値段で売れると思うのよね」
「……おまえ、けっこうあざといよな」
「企画力があると言ってよね」
「それにしても、よくそんな祭りを探してきたよな」
「ああ、それはね、別なことを調べてるときに、たまたま本で見つけたの。……ほら、これがその本のコピーよ」

 そう言って、聖美さんがミチルさんに紙切れを渡す。

 そのコピーは、今回の取材の話をされた時に私も見せてもらった。
 仮面を被り、それぞれ違う着物のような衣装を身につけた行列の写真も載っていた。
 たしかに、ハロウィンの仮装行列とは違って和風の雰囲気がするけど、仮面が能面とかとも違っていて、妙に生々しいデザインだった。

「へえぇ……本当にこんな祭りがあるんだな」
「わあ、なんだか不思議な感じのお祭りですね」

 写真を見ながら、感心した様子のミチルさんと彩奈ちゃん。
 と、いきなりミチルさんが素っ頓狂な声を上げた。

「て、おい!聖美!この、コピーの隅に書いてあるのって!?」
「え?そのコピーの元の本の情報をメモしておいたんだけど?」
「いや、昭和8年って!……ええっと、1933年てことは……80年以上前じゃんか!」
「ええーっ!?」
「うそっ!?」

 ミチルさんの指摘に、彩奈ちゃんも、そして私も驚きの声を上げた。
 そんな話、打ち合わせの時に聖美さんはしなかったし、私もコピーのメモには気がつかなかったわ……。
 だけど、聖美さんは平然としている。

「そうだけど、どうかしたの?」
「いや……その祭り、今も続いてんのか?ていうか、こんな山奥で、まだ人が住んでんのかよ?」
「ああ、それは大丈夫よ。事前に向こうに電話をして問い合わせたけど、今でも毎年やってるって」
「そうか。……て、電話が通じるんだな」
「ミチルったらなに言ってるの?今は21世紀なんだから。少々の山奥でも電気は通ってるに決まってるじゃないの」
「いや、そらそうだろうけど……でも、大変だろうな。こんな山奥じゃ、祭りをやっても年寄りばかりだろ。この辺って過疎化が進んで限界集落も多いっていうし」
「それがね、その里はそこそこ人は多いみたいなのよね。規模は小さいけど、小学校から高校まであるし、人口もほとんど減ってないみたいなのよ」
「ホントかよ?こんな山奥でか?」
「みたいよ。そういうところも取材してみる価値はあるかもね。もしかしたら、とても暮らしやすいところかもしれないし。もし、いいところだったら、ここ数年田舎がブームだし、そっちの線でも記事になるかもしれないわよ」
「おまえ、ホントにそういうところは頭の回転が速いよな」

 と、呆れてるのか褒めてるのかわからないことを言うミチルさん。

 て、そんなおしゃべりをしてたから少し気が紛れたけど、あれからもう1時間以上は走ってるよね……。
 本当に、いつになったら目的地に着くんだろう?

 と、その時、この先に分かれ道があることを示す標示板が見えてきた。

「あの、社長、分かれ道があるみたいですけど」
「ああ、そこで左に行ってちょうだい。左が目指す里の方だから。右に行くとね、秘湯で少し知られた温泉地に行っちゃうのよね」
「おい、そっちの方に行かないか、聖美?」
「ダメよ、ミチル。私たちは仕事で来てるんだからね」
「だから、今から温泉取材に変えようぜ」
「ダメったらダメ」

 聖美さんとミチルさんがそんなくだらないことを言い合っているうちに、目の前に分かれ道が見えてきた。

「ええっと、ここを左ですよね?」
「右だ、右に行っちまえ、唯~!」
「ミチルもしつこいわね。もちろん左よ、唯。そうしたら、後は道なりに行けばもう少しでその里に着くはずよ」
「もう少しですか……」
「あと一踏ん張りよ、頑張って」
「はい、わかりました」

 聖美さんに励まされて気合いを入れ直す。

 そんなこんなで、分かれ道を左に曲がって車を走らせたら、さっきまで山の中だったのに、すぐに視界が開けた。

「へええ……思ったよりも開けてるんですね……」

 急な坂道を越えると、いきなり目の前に集落が見えた。
 もっと寂れた場所を想像していたのに、山に囲まれた、わりと大きな盆地に開けたその山里は思った以上に生活感があった。
 刈り取りの終わった田圃の広がる中に、いくつも家が建っているのが見える。
 たしかに、田舎らしい木造の家が多いけど、わりと新しい家もあるし、ビルも何軒かある。
 小さいけど商店街らしいものもあるし、その向こうに見える大きな建物は学校だろうか。

「さてと、この地区の区長さんのところに行かなきゃいけないんだけど……」

 里の中に入ると、メモを見ながら聖美さんが呟く。

「あ、あそこにいる人に聞いてみましょうか」

 少し前を、着物を着た男の人が歩いているのを見つけて、私はそっちに車を寄せる。

「あのー、すみません!」
「ん?どうかしました?」

 私の声に振り向いたその人は、思ってたよりも若かった。
 和服なんか着てるから、てっきり年配の人だと思ったのに、私よりもずっと若く見える。
 もしかしたら、まだ二十歳そこそこかもしれない。

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、区長さんのお宅にはどう行ったらいいんでしょうか?」
「区長さんて……ああ、帯刀さんね」

 その人は、少し考えてからポンと手を叩いた。
 細くて切れ長の目をしてるけど、きつい感じはしない。
 飄々とした雰囲気を漂わせていて、ニコニコと愛嬌のある笑みを浮かべている。

「帯刀さんのところなら、この道をまっすぐ行って、突き当たりを右折した先にありますよ。この里でも一番大きなお屋敷だから、すぐにわかると思います」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、いいんですよ。……あ、ひょっとしてあなた方は祭りの取材に来られた方ですか?」
「……そうですけど?」
「やっぱり。だったら、また後で会うかもしれませんね」
「え……?」

 ポカンとしている私に向かって軽く手を振って、その人は私たちの車を見送ってくれた。

 ……やだ、ひょっとして私たちが取材に来ることが噂になってるのかしら?
 田舎のことだからその可能性はあるわよね。
 でも、あまり噂されたり期待されたりしても恥ずかしいな。
 だって、うちなんか本当に小っちゃな会社だもの。
 それがわかったらがっかりされちゃうかな?

 そんなことは、私が心配することでもないんだけど。
 でも、ゆっくりと車を進めながら、私たちのことが知られていることが少し気恥ずかしかった。

* * *

「こんな片田舎にようこそおいでなさいました」

 この山里の区長をしている帯刀(たてわき)さんの家はすぐにわかった。
 道を尋ねたときに聞いたとおり、本当に大きくて、そして古めかしいお屋敷だったからだ。

 私たち一行を、帯刀さんは快く迎え入れてくれた。
 それは、もちろん事前に取材のアポをとってくれていた聖美さんのおかげなんだけど。

「さあ、どうぞ上がってください」
「いえ、私たちは、まずは到着のご挨拶に伺わせてもらっただけで。……あの、祭りは明後日の晩と伺っていますので、できれば先に旅館を紹介いただけたらありがたいのですが」
「そうですか……。しかし、残念ながらこの里には旅館やホテルの類いはございませんで……」
「えっ?そうなんですか?」
「あの……よろしかったらこの屋敷に泊まって行かれませんか?」
「……え?」
「いえ、ここなら空いている部屋がいくつかありますし、そこに泊まっていただけばよいかと」
「ご厚意はありがたいのですが、よろしいんですか?」
「はい、私どもはいっこうにかまいませんので」

 結局、私たちは帯刀さんの好意に甘えることになった。
 でも、帯刀さんがとても親切そうな人でよかった。
 こんな田舎で、車で野宿なんてのは避けたかったしね。

 で、帯刀さんの屋敷は本当に広かった。
 私たちひとりに一部屋あるくらいの広さなんだけど、それはさすがに遠慮して、ふたりでひとつの座敷に泊まることにした。
 聖美さんとミチルさんで一部屋、私と彩奈ちゃんで一部屋だ。
 そして、とりあえず荷物を置くと、聖美さんの部屋でこれからの予定を話し合う。

「明日なんだけど、帯刀さんがこの地区のお年寄りを集めてくださって、お祭りの伝統やしきたりの話をしていただけるらしいのよ。そっちの方は私とミチルで引き受けるから、唯と彩奈ちゃんは祭りの準備をする里の様子を取材して欲しいの。このお祭りを取り仕切っているのは里の神社らしいから、まずはそっちの方に行ってちょうだい」
「はい」
「わかりました」

 聖美さんの指示に、私と彩奈ちゃんが頷く。

「じゃあ、今日はゆっくりして疲れをとってちょうだい。特に、唯は長時間の運転お疲れさま」
「あ、いえ、それは大丈夫です」
「ダメ、明日からの取材に備えて、今日はしっかり休んで疲れをとるのよ」
「……はい」

 聖美さんにそう言われては従うしかなかった。
 それに、なんだかんだ言っても移動に時間がかかったのでもう夕方近くだし、この時間からやることはあんまりないし。

 結局、聖美さんの言葉に甘えてゆっくりと体を休めることにして。

「なにぶん田舎のことですので、たいしたおもてなしもできませんがゆっくり寛いでください」

 晩ご飯を外に食べに行こうとした私たちは、帯刀さんに是非にと引き留められて、お屋敷でご馳走してもらうことになったのだった。

「すみません、泊めていただくだけでもありがたいのに……」
「いえいえ、いいんですよ」

 聖美さんが頭を下げて、私たちも慌てて頭を下げる。
 そんな私たちを、帯刀さんはにこやかな表情を崩さすにもてなしてくれていた。

 ぱっと見は貫禄があって、ちょっといかつい感じがするけど、帯刀さんって、すごくいいおじさんみたい。
 まあ、人は見た目によらないっていうけど……て、そんなこと言ったら悪いわよね。

「実は、昨年私は家内をなくしまして、随分と寂しい思いをしまして……」
「まあ、そうだったんですか……」
「しかし、伜の嫁ができた嫁でして、こんな古い家ですが、家の中のことは全部やってくれますし、私にもよくしてくれます」
「それは、本当にいいお嫁さんですね」

 帯刀さんの話に相づちを打ちながら、、聞き役に徹している聖美さん。
 こういう、聞き上手なところはさすがよね。
 もちろん、私も記者だから話を聞き出すのは上手くなくちゃいけないんだけど。
 だけど、なんていうか、こういう田舎の普通のおじさんの話をただ聞くだけって言うのは得意じゃないのよね。

「いや、本当にうちにはもったいない嫁ですて、はははは……」

 息子さんのお嫁さんって、さっき、料理を運んできてくれた人かしら?
 若くて、きれいな人だった。
 話はせずに、黙って会釈だけしたけど、物静かな雰囲気で、それでいて、すごく色気のある女の人。
 この、古いお屋敷のイメージにはまりすぎっていうくらいおしとやかな日本美人だったな…………。

「唯さん?唯さん!?」
「……へ?あれっ?」

 彩奈ちゃんに呼ばれて、ハッと我に返る。

「大丈夫ですか、唯さん?ご飯食べながら寝ちゃってましたよ」
「えっ!?あっ、いや、ははは……」
「まあ、唯も今日はずっと運転しっぱなしだったから疲れてるんだろ」

 どうやら、ご飯を食べながらうつらうつらしていたらしく、顔を上げると心配そうな彩奈ちゃんと、ニヤニヤしているミチルさんの顔が視界に飛び込んでくる。

「おやおや、そんなにお疲れでしたか。では、すぐに布団の用意をさせましょう。お風呂も用意はできてますので、ゆっくりと疲れをとってください」
「あっ、いえ、そこまで疲れてるわけじゃ……あふっ、ふああぁ」
「唯さん!」
「まったく、おまえはよ……」

 あんまり帯刀さんに気を遣わせても申し訳ないな、とか思ってる端から大あくびが出てしまって、みんなが声を上げて笑う。

「明日の取材に響くから、帯刀さんのご厚意に甘えて今日はゆっくり休みなさい」
「……はい」

 聖美さんにそう言われては、恥ずかしさで真っ赤になりながら頷くしかなった。

* * *

 そして、翌日。

「じゃあ、唯と明菜ちゃんは神社の方をお願いね。向こうには取材の許可は取ってあるけどくれぐれも失礼のないようにね」
「はい」
「わかりました」

 早速、朝から取材の開始だ。
 私と彩奈ちゃんの担当は明日のお祭りを催す神社の取材で、もう準備は始まってるらしい。

 デジカメを手にした彩奈ちゃんと一緒に、里の外れの高台にある神社を目指す。
 昨夜は聖美さんの言いつけを守ってしっかり休んだので、疲れはすっかり取れていた。

 そして……。

「……まさか、神社ってこの上なの?」
「そうみたいですね」

 帯刀さんのお屋敷から20分近く歩いて、私と彩奈ちゃんは引きつった笑顔を浮かべて前を見上げていた。 

 石造りの鳥居の向こうに、長い石段が続いていた。
 下から見上げても、どう見ても100段は超えている段数だ。

「これを登らなきゃいけないの?」
「でも、日本で一番高い石段は3333段あるらしいですから、きっとそれほどじゃないですよ」
「いや、彩奈ちゃん……それ、全然気休めにならないから」

 彩奈ちゃんが何かスマホで調べて勇気づけようとしてくれるけど、それは全く励ましになってなかった。
 でも、覚悟を決めて登らなければいけなかった。
 記者は、頭脳労働に見えて実は体力勝負とはよく言ったものである。
 まさか、聖美さんはこれがわかっててこっちを私たちに任せたんじゃないのかな?

「ふうぅ……」
「やっと、頂上ですね……」

 息を切らせながら、なんとか石段を登り切ると、もうひとつ大きな鳥居があった。

「あ……うわぁ……」
「……え?あ、すごい……」

 私たちの登ってきた方を振り向いた彩奈ちゃんが、デジカメを構える。
 つられて振り向いた私も思わず感動の声を上げていた。

 そこは、里全体を見渡す絶好のスポットだった。
 里を囲む山々を覆う深緑のあちこちに、紅葉した赤や黄色の模様が混じっていて、すっかり秋の気配に包まれている里の所々に車が走っているのが見える。
 里のかなりの部分を占める田圃は、刈り取り後の黒茶けた姿を晒しているけど、緑の季節や稲穂の実った季節はきっときれいだろうなと思わせる。
 それは、静かで平和な農村の生活を切り取った、一幅の絵のような光景だった。

 そんな里の風景を彩奈ちゃんが写真に収めるのを待って、私たちがくるりと向きを変えると目の前の鳥居をくぐると、そこには私が想像していたのよりもずっと大きな空間が広がっていた。
 私たちの正面に、大きくて古めかしいお社があって、その隣に、神主さんの家だろうか、これまた古びてはいるけど立派なお屋敷がある。

 そのお屋敷の縁側の戸は全部開け放たれていて、中でふたりの男の人が何か作業をしているのが見えた。

 きっと、この神社の人に違いないと思って、そっちに近づいて声をかける。

「あのー、私、サトミ・プランニングの記者の更衣といいます。明日のお祭りの取材に来たんですけど、神主さんですか?」
「あ、来た来た、よく来たね。いらっしゃい」
「……え?あっ!」

 作業をしていた人のひとりが縁側まで出てくる。
 なんか、すごくフレンドリーだなと思ってその顔を見た私は、ビックリして大きな声を上げてしまった。

 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべた、細い目の若い男の人。
 昨日、私が道を尋ねた人に間違いなかった。

「やっぱり、また会いましたね」
「……この神社の方だったんですか?」
「ええ。僕はこの神社の息子で、袴田亮太(はかまだ りょうた)です。で、こっちにいるのが、ここの神主をいている父です」
「ど、どうも……」

 彼に紹介された、年配の男性が軽く会釈してきて、私も慌てて頭を下げる。
 亮太さんよりも少しえらの張った、がっしりした顔立ちだけど、細い目はよく似ていた。

「あ、自己紹介がまだでしたね。私は、記者をしている更衣唯です」

 そう言って、私は亮太さんに名刺を手渡す。

「それで、こっちにいるのが、今日のカメラマンをしてくれる……」
「服部彩奈です。よろしくお願いします」
「これはご丁寧にどうも……。さあ、どうぞ履き物を脱いで上がってください。縁側からでいいですから」
「あ、はい……」
「失礼します……」

 亮太さんに勧められて、私と彩奈ちゃんは靴を脱いで中に入る。

 そこでは、亮太さんとお父さんがいくつもの箱を取り出していた。

「あの、これは何をしているんですか?」
「ああ……明日の祭りで使う面の準備をしているんですよ」

 そう言って、亮太さんは箱をひとつ手にとって蓋を開けると、中から紙に包まれた物を取りだした。
 そして、包んでいた紙を開くと、出てきたのはお面だった。

 きっと、若い女の人のお面だ。
 能面によく似てるけど、あれほど垢抜けていない。
 でも、それだけに生き生きと人間らしい表情を感じる。

「これを明日のお祭りで使うんですね?」
「そうです」
「あの……このお面の写真を撮ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。よろしかったら、他のお面も開けますので」
「でも、作業の邪魔になりませんか?」
「いえ、どのみち今日中に必要な面は出しておかなければいけませんし」
「そうですか。では、撮影させてもらいますね」

 許可をもらって、彩奈ちゃんがカメラを構える。
 それを見ながら、亮太さんは次々と箱を開けていく。

 一方の私は、作業を続ける亮太さんから話を聞かせてもらうことにした。

「ここのお祭りって、里の人たちがこのお面を被って、それぞれに衣装を着て夜通し行われるって聞きましたけど?」
「ええ、そうですよ」
「夜、仮装行列するなんて、まるでハロウィンみたいですね」
「ハロウィン?……ああ、そうかもしれませんね」
「このお祭りも、ハロウィンも同じ10月末ですし、もしかして関係があるとか?」
「ははは、まさか。ほら、10月は神無月と言って、全国の神様が出雲に集まって話し合いをすると伝えられているでしょう。この神社に祀られている里の神様と山の神様も、もちろん出雲の方においでになります。このお祭りは出雲に行かれる神様をお見送りする神事なんですよ」
「神様をお見送りに?え、でも、お祭りはこうやって10月の終わりにするのにですか?」
「ああ、それは、お祭りは旧暦に合わせているからですよ。旧暦の神無月は今の暦だと10月末から11月末頃に当たります。だからこの時期になるんですよ」
「なるほど……」
「このお祭りの由来は、出雲に向かって出発される里の神様と山の神様をお見送りして、道中の無事をお祈りするというものなんです。それに、この里は農家が多いですから、稲の刈り取りが終わって、忙しさも一段落ついたこの時期の方が何かと都合がいいんですよ」
「そうだったんですね」

 亮太さんの話を聞きながら、メモを取る私。

 ……それもそうよね。
 時期が一緒だからって、こんな山里のお祭りとハロウィンが関係あるはずなんかないわよね。
 つまらないこと聞いちゃったな。

「それでは、このお祭りはどれくらいの歴史があるんですか?」
「それが、はっきりした記録としては残ってないんですけど、この神社の創建が700年くらい前とされていて、その頃から祭りは行われていたと伝えられてはいます」
「700年前からですか!?」
「まあ、言い伝えの範囲を出ないですけどね。でも、そのくらいの歴史のある祭りはけっこうあるんじゃないですか?京都あたりなら1000年続いている伝統行事や祭りも珍しくはないでしょうし」
「そ、それもそうですよね……」

 だめだ……亮太さんに比べて、私ったら全然そういう方面の知識がないわ……。

 それにしても、亮太さんって私のくだらない質問にもきちんと答えてくれるし、若く見えてしっかりしてるわね。
 もしかしたら、若く見えるけど私より年上なのかな?

「あの、つかぬ事を伺いますけど、袴田さんはおいくつなんですか?」
「え?今年で21歳になりますけど」
「21歳!?」

 亮太さんの年を聞いて、思わず大きな声が出てしまった。
 やっぱり、この人、私より5歳も若いじゃない。

「ん?どうかしました?」
「いえ、袴田さん、すごく落ち着いてらっしゃるし、まさか21歳だなんて思わなかったもので……」
「あ、僕のことは亮太でいいですよ。名字で呼ぶと父も母も袴田ですし」
「そういえば、そうですよね」
「でも、やだなぁ、僕、そんなにおっさん臭いですか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて、見た目よりもすごく受け答えがしっかりしてるし、お祭りについてもとても詳しいから」

 ……そうなのよ。
 見た目は年相応なのに、受け答えはしっかりしてるし、漂わせてる飄々とした雰囲気が子供っぽさとか感じさせないのよ。

「ああ、それはここの跡継ぎですから子供の頃からこの神社に伝わっている話を言い聞かされて育ちましたし、中学の頃から神主の仕事も手伝ってましたし」

 ニコニコと笑ったまま、そう答える亮太さん。
 私が失礼なことを言っても、そうやって人懐っこい笑みを絶やさないのも、年齢よりも大人びた雰囲気を感じさせるのよね。

「でも、更衣さんも服部さんもお若いし、かわいらしいじゃないですか。……て、初対面の女の人にこんなこと言ったら失礼ですよね」
「あっ、いえ、そんなことないです」

 亮太さんにそう言われて、顔が赤くなるのを感じる。

 なんか調子狂っちゃうな……。
 いや、別に腹が立つとかそんなのじゃなくて、うまくあしらわれてるというか、そういうところも向こうの方が年下なのに、全然それを感じさせないところなのよね。

「で、どこまで話をしましたっけ?」
「あ、えーと……どうしてこのお祭りを10月の終わりにするのかっていうところまでですね」
「あ、そうでしたそうでした。で、この祭りでは、17歳以下の子供とお年寄りを除いた里の男女が全員参加するんです」
「全員、ですか?」
「そうですよ。祭りの際に練り歩くルートは3つに別れてまして、里の中を歩いて里の神をお送りするルートと、里の周囲、山の麓の方まで行って山の神をお送りするルートと、里を歩いた後でこの神社まで登ってくるルートです」
「それを、夜通しということは朝までですか?」
「はい。夜明けまで」
「へえぇ……」

 亮太さんの話を聞いて、私はただただ驚くだけだった。
 この集落は、山の中にしてはけっこう開けてるし、ちょっとした町といっていいくらいの人が住んでるっぽいし、18歳以上の男女が全員だったらかなりの人数が参加するんじゃないかな?
 ざっと建物の数から判断して、少なくとも500人以上はいると思うけど……。

 あ、でも、それにしたら……?

「今、広げてるお面の数だと、里の全員にはとても足りないですよね?」

 そう。
 亮太さんとお父さんが広げてるお面は、多く見積もってもせいぜい50個ほどといったところだった。

「ああ、これは今年18歳になって、初めて祭りに参加する子の分ですよ。一度でも祭りに参加した者は、自分で自分の面を持ってますから」
「そうなんですか?」
「ええ。この里の人は、最初に祭りに参加したときから、もう祭りに参加しない年齢になるまで、毎年同じ面を付けるんです」
「へえ……」
「で、初めての人はまだ自分の面を持ってませんから、それをこうやって用意しておくんです」
「そうだったんですね」
「それで、今回新たに祭りに参加する人たちの面を決めるための神事を今日の夕方行うんですけど、それについては聞いてますか?」
「え?いいえ……」

 ていうか、このお祭りに関してはほとんど何も知らないのよね。
 聖美さんが見つけた、あの古い本にもこの里にお面を付けて仮装する変わった祭りがあるってことしか書いてなかったし。

「そうですか。”面引きの神事”といって、初めて祭りに参加する人間が、自分の面をくじのように引く神事なんですけどね。……そうだ!更衣さんたちも祭りに参加しませんか?」
「えっ!?」
「せっかく、この時期に里に来られたんですし、皆さんで祭りに参加してみませんか?」
「でも、私たちみたいなよそ者が参加してもいいものなんですか?」
「ええ。全然かまいませんよ。それに、ただ取材するだけよりも参加してみた方がいい記事を書けますよ、きっと」

 そう言って、祭りへの参加を勧めてくる亮太さんの口調は、少しはしゃいでるみたいだった。

 こういう祭りって、もっと閉鎖的なものかと思ってたけど、神主さんの息子がこんなに熱心に勧めてくるなんてちょっと意外。
 たしかに、そんな珍しいお祭りに参加できるなんて提案は、記者としても魅力的だけど。

「ちょっと、私だけの一存では決められないですね。今、うちの社長が区長さんのお屋敷で里の人からお祭りの話を聞いているので、社長と相談してからでいいですか?」
「ええ。こちらは大丈夫ですよ。でも、今日の神事は取材されるんですよね?」
「それは……きっとするとは思いますけど……」

 うん、そんな神事が行われるなんて聞いたら放っておけないし、聖美さんも同じ意見だと思うけど。

「だったら、その時でもかまいませんよ。もともと、面引きの神事には、初めて参加する人数よりも多めの面を用意することになってますから、皆さんの分もありますし」
「はい……」
「それでは、面はこのまま少し干しておくとして、奥の部屋へどうぞ。そっちでは母が衣装の整理をしてますから」
「わかりました」

 亮太さんに案内されて、私と彩奈ちゃんは隣の部屋に入っていく。

 で、今度は亮太さんのお母さんから衣装についての説明を受けて、ひとまず私たちは聖美さんのところに戻ることにした。
 お祭りの話も色々と聞けたし、お面や衣装の写真もたっぷりと撮れたから、聖美さんも満足してくれると思うけど。
 それよりも、お祭りに参加するかどうか、聖美さんに決めてもらわないと。

「へえ……お祭りにねぇ……」
「はい、せっかくの機会だし、参加してみたらどうかって言ってもらったんですけど。私だけでは決められないので、社長の判断を仰ごうと思って」
「いいんじゃない?こういう古いお祭りに参加できることなんて滅多にないから。厚意に甘えさせてもらいましょう」

 と、あっさりと聖美さんの決断が下る。

「あたしはどうしようかな……。お面や衣装が写真を撮る邪魔になるようならちょっと遠慮したいんだけどね」
「あら、ミチルがそう思うんだったらそれでいいんじゃない?ミチルと彩奈ちゃんは撮影に専念するっていうことにすればいいし」
「そうだね」
「で、唯はどうしたいの?」
「私は、参加してみたいです。なんといっても、どんなお祭りなのか興味がありますし、自分で体験してみた方が記事に書きやすいような気がしますし」
「うん、感心感心。記者としていい心がけよ。何事も体験してみないとね」
「社長はどうするんですか?」
「私?私ももちろん参加するわよ。こんな面白そうな経験ができる機会を逃すわけにはいかないわ」

 と、そんなわけで、私と聖美さんがお祭りに参加、ミチルさんと彩奈ちゃんは撮影役とその場では決まったのだった。

* * *

 そして夕方、私たちはもう一度神社へと向かった。

 また、長い石段を登っていくと、そこには煌々と松明が焚かれていて、お社の前の広場にはもうかなりの人数が集まってきていた。
 きっと、この神事に参加するに違いない、制服を着た高校生くらいの子が20人ほどと、あとは見物に来た人たちだろうか、集まっている人の中に、帯刀さんの姿も見える。

「ああ、いらっしゃい、更衣さん」
「……亮太さん?」

 私たちの方に近寄って声をかけてきたのが誰なのか、一瞬わからなかった。
 だって、亮太さんったら神主さんの格好をしてるんですもの。

「その格好は?」
「ああ、仮にも神事ですからね。僕も父の手伝いをするんで、これが仕事着です。で、祭りに参加するかどうか決まりましたか?」
「ええ。私と社長は参加します。あ、こちらにいるのが社長の衣笠聖美さんです。……社長、この方が神主さんの息子さんの袴田亮太さんです」
「どうも、衣笠です。今回は、いろいろと神社の方にも取材に協力していただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。……ところで、そちらのふたりは参加なさらないんですか?」
「ああ、このふたりはカメラマンなので、撮影に専念するということで……」
「そうですか……。しかし、写真の撮影なら祭りに参加しながらでもできると思いますよ」
「でも、あたしは身軽な格好がいいしね。それに、お面を付けてたら写真を撮りにくそうだし……」

 ミチルさんが、あっさりと亮太さんの提案を断った時、背後から別な声が聞こえてきた。

「いやいや、仮にもこの祭りは神聖な行事ですから、取材とはいえ私服の者が混じるのはよくないですな」
「……帯刀さん?」

 いつの間にか、帯刀さんが私たちの背後に立っていた。

「この里の祭りは、里の者が全体で神様をお迎えする神事なのです。それゆえ、その場にいる者は、必ず祭りの装束を身につけていなければ、神様のご不興を買うことになってしまうのです」
「でも……」
「なに、衣装を面を付けていても写真の撮影くらいはできますて。それに、祭りに参加して、中から見てこそいい写真も撮れると思いますぞ」

 昼間の柔らかな口調とは違って、そう言った帯刀さんの調子には、厳かな、有無を言わせぬものがあった。

「まあ、そういうことなら……。しかたないですね、あたしも参加します」
「じゃあ……私もそうします」

 結局、帯刀さんの貫禄に負ける形でミチルさんと彩奈ちゃんもお祭りへの参加に同意する。

 昼の亮太さんもそうだったけど、なんだか私たちにお祭りに参加して欲しいみたいね……。
 よそ者の私たちでもあっさり参加できるのが不思議な感じはするけど、お祭りの伝統とかしきたりってよくわからないから、案外そういうものなのかもしれない。

「決まったみたいですね。では、もうすぐ神事が始まりますのでこちらに並んでください」

 そう言うと、亮太さんは女の子たちが並んでいる列の後ろに私たちを並ばせる。

 列の一番前には、大きな箱がひとつ置いてあった。
 少し離れたところに、同じような箱がもうひとつあって、そこには男の子が並んでいた。

 と、ドン!と太鼓の音が響いた。

 どうやら、それが神事の始まる合図らしく、社の前に立っている、これまた神主さんの格好をした亮太さんのお父さんが祝詞のようなものを唱えはじめる。

 そして、列の一番前にいた子が箱の中に手を突っ込むと、お面をひとつ取り出した。

 ……なるほど、本当にくじ引きみたいな要領なのね。
 だから”面引きの神事”なんだ。

 私が感心しながら見ていると、男の子と女の子それぞれが引いた面を亮太さんが確認して何か言うと、屋敷の方に控えていた、巫女さんの格好をしたお母さんが包みをふたつ持ってきてそれぞれの子に渡している。
 よく見ると、女の子が面を引いている周りに、男の人がたくさん集まってきて、興味深そうに見つめていた。

 いったい、なんなのかしら?
 なんか、集まってきている人はそれが目当てで来ているみたいだけど……。
 それに、さっきから私たちの方にちらちらと視線を感じるし。

 なんか気になるけど、なんのことなのか私にわかるはずがなかった。

 そうしているうちに、もともとがそんなに人数がいないからすぐに私たちの順番がやってきて、まず聖美さんが、次に、ミチルさんが面を引いた。
 そして、いよいよ私の番が来た。

 ……ん?

 箱の中に手を突っ込むと、後は私と彩奈ちゃんだけのはずなのに、お面がそれ以上の数あるのがわかった。
 ああ……そういえば亮太さんが人数分より少し多めには用意してるって言ってたし。
 でないと、最後の人は選択肢がないものね。

 私は手探りでお面をひとつ選ぶと、箱から取りだした。

 私の手にしたお面は、無邪気に笑っている女の子を思わせるようなお面だった。

「うわぁ……」
「亮太さん?」

 私のお面を確認した亮太さんは、少し興奮しているように見えた。

「……はい、これが更衣さんの衣装だよ」

 そう言って、お母さんから手渡された包みを私に差し出した亮太さんの頬は少し紅潮して、声が震えてるみたいだけど……。

 どうしたのかしら……?

 と、そのとき、私の背後でどよめきの声が上がった。

「え?」

 振り向くと、見物していた人たちがざわついている真ん中で、お面を手にした彩奈ちゃんがおどおどと周りを見回していた。
 でも、すぐに亮太さんが彩奈ちゃんのお面を確認して、包みを持ってくる。
 そして、それを彩奈ちゃんに手渡すと、亮太さんのお父さんの声が響いた。

「それでは、これにて”面引きの神事”は終了となる。各自、自分の面と衣装を付けて本祭に出ること!本祭は明晩10時から、それまでに、里の学校に集合するように!」

 その言葉を合図に、集まっていた人たちが三々五々帰りはじめる。

 と、私たちのところに亮太さんがやってきて声をかけた。

「皆さんもお疲れさまでした。その面と衣装は明日の晩まで大事にしててくださいね。さっき、父も言いましたが、本祭が始まるのは夜の10時からですので、その衣装を着て学校のグラウンドまで来てください。面は持ってきてさえいれば、祭りが始まるまでは付けなくても大丈夫です」
「はあ……」
「明日は、面と衣装さえ身につけてくれていたら、別に写真撮影などは自由になさっていただいてけっこうですので。ただし、ひとつだけ守っていただきたいのは、自分が引いた面と、その衣装を必ず身につけてください。皆さんの間で取り替えたりは絶対にしないでくださいね。この、面を引く時点ですでに神事なので、面や衣装を取り替えることは神意に背くことになりますから」
「わかりました」

 結局、お祭りについて具体的なことをほとんど知らない私たちは、亮太さんの言葉に頷くほかはなかった。

「本当に、不思議な祭りですね……」

 帯刀さんのお屋敷に戻ると、私たちは聖美さんの部屋に集まって互いのお面を見せ合っていた。

「彩奈ちゃんがお面を引いたとき、なんかみんなどよめいてたよね」
「はい……なんなんでしょうね、いったい?」

 そう言って、彩奈ちゃんは不思議そうに自分のお面を見つめている。

 彩奈ちゃんのお面は、唇のところに赤く口紅を引いたようになっていて、全体的にもお化粧しているような、きれいな女の人を感じさせるお面だった。

「でも、彩奈ちゃんのお面、きれいだよ」
「そうですか?……ありがとうございます」
「それに比べると、聖美のお面、なんか薄汚れてないか?」

 と、聖美さんのお面を見て、ミチルさんが言う。

「うん、私もそう思うんだけど、これ、ちょっと拭ったくらいじゃ取れないのよね……」

 自分のお面を見て、聖美さんが不満そうな顔をする。

「でも、顔立ちは整ってると思いますよ」
「うーん、でも、ちょっと卑屈な感じがするのよねぇ……」

 じっくりとお面を見ながら、やっぱり納得がいってない様子だ。

 たしかに、聖美さんのお面は顔立ちはきれいだと思うんだけど、どこか卑しい感じがするのは気のせいだろうか?

「私のに比べたら、なによ、ミチルったら。祭りに参加するのを渋ってたくせに、その、おしとやかな美人っていう感じのお面は?」
「そうか?まあ、お面はお面じゃんか」

 と、あまりお面に頓着してない様子のミチルさん。
 まあ、そういうところがミチルさんらしいんだけど。

「唯さんのお面も、すごくかわいらしい感じがしますよね」
「そう?ありがとうね、彩奈ちゃん」

 たしかに、他のみんなのお面は、きれいな大人の女の人って感じだけど、私のお面は、まだあどけなさの残る少女を思わせる表情をしていた。
 でも、たしかにかわいらしい感じがして悪くないと思う。

「私、このお面けっこう好きかもしれないな……」
「あ、でも、私も自分が引いたこのお面、好きかもしれないです」
「ふーん、ふたりとも純真でいいよねぇ」
「もうっ、ミチルさんったら!」
「やっぱりまだ納得いかないわ。なんで私がこのお面なのよ……」
「まだ言ってたんですか、社長……」

 でも……明日、このお面を付けて、どんなお祭りなるのかな?

 互いのお面を見せ合いながら、わいわいと言い合っているうちに、私はなんか明日のお祭りが楽しみになってきていたのだった。

* * *

 唯たちがそんな話をしていた同じ頃、里の居酒屋では……。

「いやいや、里の外から一度に4人も祭りに参加するなんて、何年ぶりのことかの?」
「たしか、学校の、ほれ、布引先生と糸井先生が赴任して来たのは、4年前だったか?」
「しかし、あの時でも二人だけだったじゃないか」
「そうそう」
「若い女が4人も来るのは最近ではなかったと思うぞ」
「それも4人ともかなりの別嬪だしの、今から楽しみなことよ」
「そうじゃそうじゃ」

 数人の里の男たちが集まって、祭りの話に花を咲かせていた。

「それにしてもあの女社長、婢女(はしため)の面を引いたということは?それに、あの色……」
「そう、儂の相手じゃよ」

 そう言ったのは、帯刀だった。

「そうか、長者の面を持っていたのは区長さんだったの」
「それにしても、区長さんも前の奥さんに死なれてから、次の祭りですぐに相手が見つかるとは運がいいわい」
「それも、美人だしの」
「で、あの元気のいいカメラマンの姉ちゃんは手弱女(たおやめ)の面を引いておったな。ということは……」
「うちの伜が今日、益荒男(ますらお)の面を引いたわ」
「ほう、麻田さんとこの息子が相手か」
「これはまた羨ましいの」
「まあ、少し年の差はあるが、あの姉ちゃんも、もう少し女らしくすればなかなかの美人じゃぞ」
「ははは、たしかにあの姉ちゃんはもう少し女らしくした方がいいじゃろ。それが手弱女の面を引くとは、なるほど、上手くできたものよの」
「まったくまったく」
「で、あの若い記者さんが引いたのは……?」
「そうよ。初めて見た面じゃが?」
「あんな面は今まであったか?」

「あれは、オサキの面さ」

 脂ぎった中年男の会話に、若々しい声が割って入った。

「む、亮太か……」

 男たちの視線の先にいる、若い男。
 声の主は、神主の息子の亮太だった。

「亮太、オサキの面とは?」
「オサキは尾裂、つまり、僕のこの天狐の面の相手だよ」
「なんじゃと!?おまえの面……ということは、亮太……」
「ああ。今年は僕も祭りに参加するよ。この面を付けてね」
「ほう、亮太が祭りに参加するとはの……」
「どういう風の吹き回しじゃ?」
「まあ、いずれ祭りに参加しなくちゃいけないんなら、今年がいいと思っただけさ」
「む、まあいいわい。……それよりも、あの、最後の娘の引いた娼妓(しょうき)の面じゃ!」
「そうじゃ!あの面を引いた者も久方ぶりだて」
「うむ、前に娼妓の面を持っていた初枝が死んでからもう10年以上経つしの!」
「あの面が出たとなると、明日の祭りが楽しみだわい!」
「いやいや、娼妓の面が出たとなると、祭りの後も楽しみが増えるて!」

 と、興奮したように口々に言い合う男たち。
 その表情はにやつき、一様に鼻の下を伸ばしていた。

 そうやって、面の話で盛り上がっている男たちに呆れた様子で一瞥をくれると、亮太はその場を立ち去っていったのだった。

< 続く >

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