プラーナの瞳 第1話

第1話

 教室でうたた寝をしていたら、誰もいなくなっていた。

 あれ、よっちゃんは? むっちーも?
 えええ、ひどい。3人で一緒に帰ろうって約束してたのに……。
 ひとりぼっちの教室なんて初めてだ。窓の向こうはきれいな夕焼け。
 とてもきれいな赤い色で、私は中学生の頃を思い出す。
 その頃の私はテニスに青春をかけていた。こんなきれいな夕焼けの下を、仲間と一緒に走ってたっけ。
 少しだけ懐かしくて、そして、寂しい気持ちになった。
 もう帰ろう。そう思って机の横を探っても、私のバッグはそこになかった。
 あれ、どこ置いたっけ。私のバッグ。いつもこのへんに置いておくのに。
 なんだか、頭がぼんやりする。帰らなきゃって思ってるのに、動く気になれない。

 教室の扉が開いた。
 入ったきたのは、2人の男女だ。私はどちらも知っている。

 男の方は、うちの担任の吉岡恭一先生。
 女の方は、同じクラスの桐沢白兎さん。
 
 白兎さんは、旧華族の血も引く桐沢財閥の令嬢で、うちの学園の理事長の孫でもある。
 昔ご両親をテロで亡くしたと聞くから、事実上、次代の桐沢財閥の実権を担う方だ。
 そこにいるだけで場の輝きが増すような完璧な美しさと、お淑やかな女性らしさと、そして学年トップの成績と抜群の運動神経。まるで物語の世界の住人のように、見事に「お嬢様」を体現する凄い人だ。
 本当なら彼女のことは「桐沢様」とでも呼ばなければいけないところ。
 でも、気さくでらっしゃる白兎さんは、私たちとはただのクラスメートとして、普通に接してくださる。それに話してみればわかるが、すごく可愛らしい性格をされている。
 少し品のない言い方かもしれないが、彼女は私たち生徒にとっての“アイドル”であり“カリスマ”だ。個人的にも、彼女にはすごく憧れている。
 こんな人になりたいって、女の子なら誰でも思うはずだ。

「それじゃ、恭一。あとはあなた1人でやってみて」

 その彼女が、普段の彼女とはがらりと違ったぞんざいな口調で、教卓の上に足を組んで座った。
 恭一と呼ばれた吉岡先生は、苦虫を噛んでしまったような顔で「……わかった」と小さく返事した。
 吉岡先生は、教師をはじめとするほとんどが女性職員の我が校で、唯一の若い男性教師だ。
 由緒も正しく厳格であることで有名な私たちの女子校では、不文律として、男性教諭は置かないことになっているらしい。何でも、創立当初からの習わしだとか。
 だが、吉岡先生に限っては白兎さんの幼い頃からの家庭教師ということで、彼女の入学と同時に教師としてこの学校に赴任された。
 ボディガードも兼ねているという噂で、校外でも一緒にいることが多いらしいが、あまりそのへんの事情を詮索するのもはしたないことなので、詳しくは知らない。
 彼女が特別なのは全員知っている。この学園も実質、彼女のものと言ってもいいくらい。
 でも、私たちは普段の大人しくてか弱そうに微笑む白兎さんを知っているから、その程度のお計らいがあったところで、取り立てて騒ぐ者もいなかった。むしろ、私たちみんなで彼女をお守りしようって思ってる。
 それにこの2人だって、少なくとも教室では他の生徒と同じように、教師と教え子という立場で公平に接していたと思うし。

「どうしたの? 早くしなさい。ほんとグズなんだから」
「あ、あぁ……すまない」

 だから、私はこの2人のやりとりに、かなり戸惑っていた。
 吉岡先生は、普段の授業中の先生と違って、萎縮しているように見える。
 白兎さんだって、これ本当に彼女なのってくらいに、とても偉そうにしている。
 ひょっとして双子のお姉様でもいたの?
 でも、すらりとした足を教卓の上で組み替え、女王様然とした彼女も、なんだかゾクリとするくらい綺麗で、思わず見とれてしまいそうになる。
 2人で何をしているんだろう。
 というより、私はどうして机に座ったまま、動く気になれないんだろう。

「篠原くん、顔を上げて」

 私は吉岡先生に言われて、首を上げた。
 少し緊張した顔で、先生は唇を舐めた。

「篠原美月くん。ここは君の夢の中だ。君は今、夢の中で俺たちと会っている。夢の中では俺の言うことは絶対で、君は逆らうことはできない。だから、そのとおりにして欲しい」

 私には先生の言ってることが理解できなかった。
 夢? 私は夢を見ているの?
 それで、先生の言うことは絶対なの?
 今まで先生に逆らった覚えなんてありませんが。
 私、そんなに悪い子でしたか?

「……教師として、ではなく、男として、今から君に命令するんだ」

 吉岡先生は小さな声でつぶやく。顔が真っ赤だ。何を言ってるんだろう?
 後ろで白兎さんがクスクスと笑う。

「由緒正しき桐館女子校の可憐な雛鳥に、そんな持って回った言い方しても通じないわよ。はっきり言っておやりなさい。お前を俺のペットにするって」

 はい?
 ますますこの人たちの言うことがわからなくて混乱する。
 ペットって、私が? 首輪してワンワンとかニャーとか言うの?

「そ、そのことは後でいいから。君は、俺のことをどう思ってる? 思ったことを正直に言ってくれ。夢の中だから隠す必要もない」
「あ、はい」

 吉岡先生は良い先生だと思います。
 頼りがいもあるし、明るいし、授業も分かりやすい。
 先生みたいな人が担任で良かったと思います。
 と、いうようなことを説明した。

「……ありがとう」

 先生は、顔を赤くして頬を掻いていた。
 なんでだろう。思ったことを言っただけなのに。
 白兎さんはまたクスクスと笑った。
 今日の彼女は少し怖いような気がする。雰囲気が大人っぽいし、なんだかいつもの彼女と違う。

「そうじゃなくて、男としてどう思うか聞いてるのよ。あなたの思ったまま答えてあげて。少しも変なことじゃないから」
「あ、はい」

 吉岡先生はかっこいいと思う。
 白兎さんの手前、クラスで先生の噂をすることはなんとなく遠慮する空気が出来ているが、教室の外ではよく先生の話をしている。
 私たちの周りで唯一の若い男性ということもあるが、そのことを差し引いても吉岡先生は素敵な顔立ちをされていた。
 よそのクラスの人には羨ましがられることもある。秘かに憧れている人はいても、嫌ってる人はいないと思う。
 大人の男の人って感じ。私もじつは、少し憧れている。
 恋人……っていうのはまだよく分からないけど、こんな人がお兄ちゃんだったら自慢出来ちゃうと思う。
 先生の妹の、彩ちゃんがうらやましいです。
 と、言うようなことを思ったまま説明すると、吉岡先生は、なぜかさらに困ったような顔をした。

「よかったわね。これなら簡単にペットに出来そうよ。さあ、命令しなさい。俺の女になれと言うのよ」

 白兎さんは、兵士に出征を命じるクレオパトラのように、芝居かかった指先で悠然と指示を出す。
 こんな白兎さんも、なぜか素敵だ。女王様が似合っている。
 でも吉岡先生は、暗い顔をしたままだ。

「……白兎お嬢様。こんなこと、やっぱりやめよう。篠原くんはまだ子供だ」

 吉岡先生は、小さな声だけど、きっぱりと断りの返事を口にした。
 余計な心配だけど、口答えなんかして大丈夫なんだろうか。今の白兎さんはいつもの清楚な彼女じゃなくて、女王様だ。
 先生は緊張してる気がする。私もなぜか緊張した。
 というか、先生に子供呼ばわりされたのも地味にショックだったんだけど。
 でも、その先生の緊張をよそに、白兎さんは、「フッ」と軽く笑うだけだった。

「なぁに? 彩の名前を出されて、急に怖くなったの?」
「そんなわけじゃ……ただ、彼女は俺の生徒で、まだ高校生じゃないですか……」
「心配しなくても、美月さんも立派な女よ。私と同い年の一人前の女。ちゃんと女の胸もお尻も付いてる。それは男に抱かれるためにあるのよ。あなたも知ってるでしょ?」

 あからさまな言葉に私の頬が熱くなる。
 自分が男の人に抱かれるなんて、そんなこと想像もできないけど、私も今年で16だし、世間ではこの年でそういうことをしている人たちもいるということくらいは知っている。
 でも、少なくともうちの学校で体験している人はいないだろう。そういうのは本来結婚してからすることで、高校生のしていいことじゃない。私たちは、そう教わってきたんだから。
 それとも、この2人はそういうことをしているんだろうか。
 我が校の、ほぼ唯一といっていい「男性」の吉岡先生と、清楚で可憐(だったはず)な白兎さんの間に、そんな行為があるとしたら、私たちはどうしたらいいんだろう。
 いや、どうもすることないんだけど。でも、いてもたってもいられない。どうしよう。私、変な想像しちゃってる。

「そんなわけないじゃないっ」

 白兎さんは、急に声を荒げた。
 私は思わず「ごめんなさい」と謝る。普段はとても優しくて人当たりのいい白兎さんだけに、叱られてすごくショックだった。

「いいから、早くしなさい。いつまでお見合いしてるつもりなの?」

 イライラし始める白兎さんに、ますます困ったような顔をして、吉岡先生は唇を噛みしめる。
 その顔を眺めていると、なんだか大変な悩みを抱えているらしい先生がかわいそうになってきた。
 よくわからないけど、男の人のこういう顔ってあまり見たことないから、すごく胸に響いてしまう。
 困ったことがあるなら、お手伝して差し上げたい。白兎さんに言われたとおりにしなきゃならないんだったら、私にしてくれて構わないと思う。
 何をするつもりか知らないけど。

「……すまない、篠原くん。いや、これから俺がすることは謝ってすむことじゃない。許してくれとは言わない。このことは誰にも口外しないし、君の将来に傷をつけるようなこともしない。君の幸福のためにできることをすると約束する。必ず償うから」

 急に幸せするとか言われて、ちょっとビックリした。先生はすごく真剣な顔で、なんだか怖いくらいで、私の胸はすごくドキドキした。
 白兎さんは「ふん」と鼻を鳴らした。先生は私の顔をじっと見て、そして私に近づいてきた。
 机越しに抱きしめられる。思わず悲鳴を上げてしまったけど、強い力で抱きしめられて、逃げようにも私の体からは力が抜けていく。
 先生の体は大きい。こうして抱きしめられると、やはり男の人の体は大きくて逞しかった。
 先生が、私の耳元で囁く。

「俺のことを愛してくれ。男として、俺を受け入れてくれ」

 じわりと、おかしな気持ちが胸に広がった。鼻の奥がツンとなって、なぜか涙が出てきた。
 やるせないような、それでいて満たされてるような、不思議な気持ち。
 私は世界一愛している人に抱きしめられている。
 急に恥ずかしくて嬉しくて、どうしていいか分からない。ただ、この腕をそのままにして欲しかった。だから私も彼の背中に手を回した。
 はしたない女の子と思われてもいい。もっと抱きしめて欲しかった。

「好き。好きです、先生」

 先生の大きな背中が、びくりと震えた。そして、私から離れていくのが悲しかった。
 私の顔におかしなものでも付いているのか、先生はポカンとして私を見ていた。

「どうしたの? あなたが『愛してくれ』と命令したんじゃない。何を驚く必要があるのかしら?」

 先生は、白兎さんの言っていることも聞こえていないのか、ただ私の顔を見て目を丸くするだけだ。
 そんな顔されたら、突き放されたみたいで悲しい。私が何か悪いことをしたのなら、そう言って欲しい。
 何でも直すから。

「彼女の気持ちが重たいのなら、取り消しなさい。あなたは彼女を支配するだけでいいの。愛なんていらないわ。あなたのモノだと、心と体に覚え込ませれば、それでいいのよ」

 なんだかひどく冷たいことを言われているようで、私は焦った。この気持ちを取り消さないで欲しい。私に先生を愛させて欲しい。ダメなら、いっそ死ねと言って欲しい。
 私は精一杯、先生に取りすがった。

「……わかってる。俺も篠原くんを……美月くんを愛する。大切にするつもりだ」

 沈痛な面持ちで言う先生の言葉には、強い意志は感じられたけど、甘い愛のささやきには聞こえなかった。
 先生はおそらく、私のことなど愛してないのだろう。
 でも私は、それで十分だと思うことにした。先生は大事な約束をしてくれた。私は彼のことを愛し続けてもいいんだ。今はそれだけでいい。

「……先生……」

 私は目を閉じて唇を差し出した。自分でも驚くくらい大胆なことをしている。でも、どうにもできない。嬉しくて恥ずかしくて、幸せすぎる。私は完全に舞い上がっていた。
 この場に白兎さんがいるということも気にならないくらい。まるで夢の中だ。
 先生が私の肩を抱いて、顔を近づけてくる。そして、私の唇に柔らかい感触が広がった。
 キスしてしまった。ファーストキスを、世界で一番愛している男性に捧げてしまった。
 心臓が破裂しそうで、頭が沸騰しそうで、体中がとろけてしまいそう。
 そして、私のお股が痺れるくらい気持ちよくなった。

「んんんっ!?」

 思わず声を上げてしまいそうになる。
 なにこれ? なんでこんなときに、この恥ずかしいところが変になるんだろ?
 生理はまだだよね? なのに、中から何か出てきてる。じわっと滲んで、生温かい感じ。先生のキスを意識しちゃうと、なぜかお股が変な反応をしてしまう。

「あ、あの、んっ! んんん…っ」

 少し待って欲しいとお願いしようと思ったら、もっと深く唇を合わせられて、話せなくなった。
 先生の息が私の口の中に入ってきて、頭がぼうっとしてしまう。ぬるっとしたモノまで入ってきて、お股がじゅんじゅんと音を立てそうなる。
 私の口の中で何か動いている。たぶん、先生の舌だ。
 どうしてそんなものを私の口の中に入れるんですか、先生?
 でも先生の舌で私の歯茎や舌を撫でられると、何も考えられなくなった。
 きっと私はもう先生には逆らえない。舌でも何でも好きなものを私の中に入れて欲しい。私は何をされても喜んでしまうのだろうから。

「んっ、ふぅん、んっ、ちゅぷ、ぷは、はぁ、んん、ちゅ、ちゅ、せんせえ……」

 夢中になってキスしているうちに、私は自分から舌を先生のに絡めていた。泣きたいくらい幸せで、このキスを一生続けていたい。お股が濡れるのも気にならなくなった。むしろ濡れるのが嬉しく思えるのは、はしたなくなりすぎだろうか。
 こんなキスを覚えてしまって、私は悪い子になるかもしれない。先生に嫌われないといいんだけど。

「―――さっさと次に進みなさい」

 先生が、白兎さんの声の冷たさに驚いたように肩を震わせる。
 愛しい唇が離れていく。私は舌を伸ばして名残を惜しむ。
 先生のお顔を見ているだけで、私は切なくなる。そうしていると、胸にモゾと慣れない感触が走った。
 先生の手が私の胸に触れている。

「やっ、やっ、ダメです、そんな…」

 先生の手は大きくて、私の胸をすっぽり包み込んでしまう。男の人にこんなところを触らせては、お嫁に行けなくなってしまう。
 先生が責任をとってくれるのならともかく、まだ15歳の私にこんなことをしてはいけないはず。

「い、いけません、そんな、ことっ、せん、せえっ。ゆ、許して、ん、ください…!」

 私は先生の大きな手に自分の手を重ね、なんとか離してくれないかお願いする。でも先生の力強い手は、決して乱暴ではないけれど、リズミカルに私の胸を揺らす手を緩めてはくれなかった。
 恥ずかしくて、でも、なんだか凄く胸が暖かくて、そしてお股がどんどん濡れていく感触に、私はパニックを起こしていた。
 涙がぽろぽろ零れて止まらなかった。

「ゆるして、せんせえ……せんせえっ……」

 先生は、とてもつらそうに顔をしかめて、私に囁いた。

「……すまない。もう少しこうさせてくれ。本当にすまない」

 その言葉を聞いて、自分のバカさ加減に気がついた。
 先生に謝らせるなんて、私はなんて悪い子だ。
 愛する男性にこんな顔をさせてはいけない。私がイヤな顔をすれば、先生に恥をかかせてしまうことになる。
 先生は、したいことをしているだけなのだから、私は黙って胸を差し出せばいいんだ。それで少しでも先生が満足してくれるのなら、私も女に生まれた甲斐があったじゃない。
 むしろ、私の胸はもう先生のモノだと思えばいい。その方が恥ずかしさも減るような気がする。

「お、お気になさらずっ、先生のお好きになさってくださいっ。私の胸は、先生のモノです!」

 言ってしまってから、それは余計に恥ずかしいセリフだということに気づいた。先生は、別に私の胸が欲しいなんておっしゃってないのに。
 自分の顔が真っ赤になるのが分かった。でも先生は、とても優しく微笑んでくれた。

「ありがとう。美月くんの胸は、とても柔らかくて気持ちいいよ。大事にさせてもらう」
「はぅ…ッ!?」

 ぞわぞわって、全身に電気みたいのが流れた。
 体中がビクビクってなる。頭のてっぺんから爪先まで、痺れにも似た感覚が走って、私の体がバラバラになるかと思った。
 今、何が起こったの?
 息が苦しいくらい心臓がドキドキして、切ない。

「み、美月くん?」

 先生が心配そうな顔で私をのぞき込む。
 なんだか、さっきよりもずっと先生の顔が愛おしくて、胸の先がむずむずする。
 優しい私の旦那様。何もかも差し出したって、惜しくない。
 私は、セーラー服の裾を自分から持ち上げていた。

「だ、大事になんか、しなくてもいいです。先生のモノですから、どうぞ、先生のなさりたいように……」

 下着を先生の前にさらけ出した。せめて、もう少し色っぽいブラの日だったら良かったのに。
 でも、もうどうしようもない。これは私のものじゃない。今日から先生のものなんだ。
 だから今すぐ、先生にお返ししないと。

「……美月くん!」
「ひゃあん!?」

 先生は、いきなり強い力で私の胸を鷲掴みにした。思わず変な声を出してしまって、慌てて手を噛んで堪える。

「んっ、うっ、ぐっ、は、はぁん!」

 先生の指に力が入るたび、体はびくりと反応し、勝手に声が出る。私はまるで先生に演奏される楽器のようだった。
 先生の手が、私のブラの間に入ってくる。死ぬほど恥ずかしいけど、先生の胸なのだから、私に拒否権なんてあるはずない。
 なるべくはしたない声を出さないように、唇を噛む。でも、先生の指が私の胸の先っぽを挟んだとき、やっぱり私ははしたない声を出してしまった。

「あぁん! はん! ひゃぅ、あっ、あんっ、あぁーんッ!」

 頭がぐらぐらと揺れて、体が自分のものじゃないみたいに勝手に跳ねる。
 胸の先っぽが固くしこって、先生の指に逆らうみたいにピンピンと尖ってるのが自分でもわかる。
 逆らうつもりなんてないのに。今まで、胸の先っぽがこんな風になったことないのに。
 申し訳なくて、私は先生は謝る。

「ごめんなさい、せんせえ……ごめ、ん、なさい、あん、んっ」

 先生は尖った私の胸をなだめるように、優しく撫でてくださっていた。

「謝ることはないよ、美月くん。君の胸は……素敵だ」

 頭にぼうっと火が昇ったみたいに、顔が全部熱くなった。
 私の胸じゃなくて、先生のお胸です。
 なのに私は褒められたことが嬉しくて舞い上がっていた。先生が私のブラを押し上げて胸をあらわにしてくれたのが、とても恥ずかしいけど嬉しかった。
 かつてないほど、胸が張っている。ツンと先っぽに引っ張られる感じ。いつもよりも鮮やかなピンク色だ。
 先生にアピールしたくて必死になってるのが、自分でもわかる。
 私も心の中で祈る。どうか先生が、この胸を気に入ってくれますように。

「ひゃ、ああぁぁんッ!?」

 先生が、先っぽにキスをしてくださった。
 そしてそのまま唇にくわえて舌で舐めてくれている。
 体に走る電気が強すぎて、何も考えられない。先生の荒い息が肌にかかるだけで火傷してしまいそうだ。
 大声が止められない。出さないと頭がおかしくなりそう。
 私は勝手に揺れる腰を支えるために椅子を思い切り掴んだ。お股がすごく暴れて自分でもどうにもできない。
 私のお股は、何か言おうとしているみたい。すごく大事なことを先生に告白したいみたい。
 たぶん、胸だけじゃなくて、ここも先生のモノにして欲しいって、そう思ってるのかも。
 
「……次にいきなさい」

 白兎さんの冷めた声で、先生の唇が離れた。
 私は肩で呼吸しながら少し残念なそうな安心したような気持ちで、口元にみっともなく流れたよだれをハンカチで拭う。

「美月くん。すまないが、覚悟してくれ」

 そう言って先生は私のスカートに手をかけた。私は何を覚悟すればいいんだろう? 先生はホックを外して、ファスナーも下げてしまった。

「……脱がせるんですか?」
「そうだ……君の服を脱がせる。いいか?」
「あ、はい。どうぞ」

 私は腰を浮かせて、先生がスカートを脱がせやすいようにする。
 濡れて汚れた下着を見られるのは恥ずかしかったが、先生もすぐに目をそらしてくれたので、少しだけ安心した。
 やっぱり吉岡先生は優しい人だ。
 でも、先生の手は私のスカートだけにとどまらず、下着にまで触ってきた。さすがに私も動揺してしまった。

「せ、先生、それも、どうするんですか?」
「下着も脱がせる。俺たちはこれから、『セックス』するんだから」
「え……?」

 ボンヤリしてた頭に、急に慣れない単語が飛び込んできて、ハッとなった。
 せっくす? 私と、吉岡先生が?

「こ、困ります!」

 そんなことできるはずがない。お嫁に行けなくなってしまう。
 先生がもらってくれるならともかく、いやいや、もらってくれるにしても、そういった約束も両親への挨拶もないうちに、そんなことできるはずない。赤ちゃんなんて出来てしまったら、世間様に合わせる顔もない。
 というより、どうして私はこんな格好しているんだろう。 
 セーラー服の上着ははだけ、ブラもたくし上げて胸が丸出しだ。
 スカートも脱がされて、下着だけになっている。
 それを、担任の先生に見られている。血の気が下がっていくのが自分でもわかった。

「きゃああああああッ!」

 私は両手で隠せるだけ体を隠して、大声を張り上げた。

「み、美月くん?」
「いや! いやいや! 見ないでください、先生!」

 どうして私は教室でこんな格好しているんだ。どうして先生と白兎さんがここにいるんだ。
 ぶわっと頭の中が「ありえない」ことだらけになって、今の自分を否定する。
 おかしい。こんなはずがない。
 これは絶対に、夢―――。

 教室に、ピシリとヒビが入った。

「……ほら、あんたがグズグズしてるから。彼女は醒めるわよ。失敗ね」

 白兎さんの声が、どこか遠くなっていく。
 ピシ、ピシ。教室が、というより空間にヒビが入って、少しずつ剥がれていく。
 先生は、私の顔をじっと見て、「すまなかった」と目を伏せた。
 私はなぜか寂しいような申し訳ないような気持ちになって、隠していた体を縮こませる。
 そして全てが、崩れ落ちていく―――。

「みっき、ごめーん」

 教室でうたた寝していたら、むっちーに起こされた。

「あ……あれ? 私、寝てた?」

 教室には多くの生徒が残っている。まだ放課後からさほど時間は経っていないみたいだ。
 昨夜は遅くまで本を読んでいたから、授業が終わって気がゆるんでしまったんだろう。

「熟睡だったよ。あんまり気持ちよさそうだったから、ついつい起こすの気の毒になっちゃった」

 よっちゃんが、いつもの穏やかな笑顔を隣の席で浮かべている。ううー、寝顔見られるの恥ずかしいのに。

「遅くなってごめんねー。待たせてしまったおわびに、寮に帰ったらジュース奢るね」

 むっちーが手を合わせてペコペコと謝る。
 いつも調子の良いこと言って、でも憎めないのが彼女だ。

「いいわよ、そんなの。これくらいのこと気にしないで」
「おぉー、さすが我が親友。やさしいなぁー」
「も、もう。やめてってば」

 むっちーに髪をぐしゃぐしゃにされながら、私は机の横のバッグを持ち上げる。そして引き出しの中から教科書やノートと、大事な本を取り出す。

「あら? それ何の本?」

 豪華な装丁をされたハードカバーに、よっちゃんとむっちーが目を光らせる。
 私はずっと2人に自慢したかった気持ちが顔に出ないように気をつけながら、本を机の上に立てる。

「……じつは、白兎さんにお借りした本なのよ」
「ええー!?」

 2人とも大きな声で驚いてから、周りの目を気にしてキョロキョロと頬を赤らめた。
 ふふっ、やっぱり驚かせてしまったか。

「あのね、私の読んでた本に白兎さんが興味を持たれたみたいで。それでお貸ししたら、お返しにって白兎さんのお薦めを貸してくれたの」

 もう白兎さんは家に帰られたらしく、教室にはいない。私は自分の声が弾んでいることに気づいていたが、抑えることが出来なかった。

「それでね。見て見て、しおりが挟んであったの」

 厚い和紙に墨絵のウサギさんが描かれた可愛らしいしおりに、彼女の整った字で、メッセージが書かれてあった。

 『素敵な御本を貸してくれてありがとうございます。
 他にもお薦めがあったら教えてくださいね。
 これからも仲良くしていただけると嬉しいです。
 桐沢白兎より』

「きゃ~~ッ!」

 むっちーが黄色い声を上げて、よっちゃんが慌てて彼女の肩を叩く。教室のみんなが一瞬、こちらに注目して私たちは小さくなる。

「か、可愛いねぇ…!」

 よっちゃんが声を潜める。むっちーも感極まったように目を赤くして、コクコク頷く。
 白兎さんはこの学園の理事長の孫で、大財閥の跡取り娘で、勉学でもスポーツでもトップで、それでいて誰もが羨む完璧な美貌の持ち主。
 それなのに、いっさい気取ることのない謙虚でお淑やかなお嬢様で、むしろとても可愛らしい人だったりする。
 彼女はこの学園の生徒みんなのアイドルだ。
 あまり周りが騒ぐと彼女が恥ずかしがってしまうから、教室の中では自重するのが暗黙のルールになっているけど、このいかにも恥ずかしがり屋の彼女らしい、しおりの可愛らしく細やかな気遣いに、私は昨夜から萌えに萌えて寝付けなかった。
 親友のこの2人にくらい、教えてあげてもいいよね。

「これは私の宝物にするんだぁ」
「いいなぁ、みっき」
「私も欲しいよー」

 燦然と輝くウサギさんのしおりを本に戻して、バッグの中にしまう。白兎さんの本を預かってると思うだけで、なんだか誇らしくなる。

「さ、早く帰ろ」
「ねえねえ、その本って、読み終わったら私にも貸してくれない?」
「私も、私も! いい?」
「えー、それは白兎さんに聞いてみないと」
「聞いてみてよー」
「どうしようかなぁ……えっ?」

 ふと立ち上がった拍子に、私はとんでもないことに気づいて、思わず息を飲む。

「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない! 行こ行こ!」

 私は不思議そうな顔する2人の背中を押して、後ろからお尻をバッグで隠して付いていく。
 やだ、なんで、どうしてこんなことになってるの?

 まさか、これ……お、おねしょじゃないよね?

「このグズ」

 控えめでお淑やかなことで有名な白兎お嬢様が、じつに迫力のある眼力で俺を睨みつけていた。
 ここは学園の理事長室。
 理事長の机に、見事に白く長い脚を乗せて座る白兎お嬢様は、8つも年上の俺を立たせてお説教の最中だった。

「本当に使えない男ね。わかってる? あなた、自分が役立たずだってこと、ちゃんと自覚してる?」

 もちろん、お嬢様付きの使用人にすぎない俺に、反論の余地などない。
 申し訳ございませんと、本日何回目になるかも分からない謝罪の言葉を口にした。
 はしたなく足を組むお嬢様の下着が見えそうになっているのだが、当然、彼女が俺にそんな気を使うはずもないので、俺の方から率先して目を逸らさせていただく。

「あんな小娘一人に手こずって。先が思いやられるわ」

 その小娘と同い年のお嬢様に説教を食らいながら、どうしてこんな困ったことになってしまったのかと、俺は昨夜のお嬢様とのやりとりを思い出していた。

「―――あなたにあげる」

 白兎お嬢様が無造作に投げて寄越したそれは、ペンダントだった。
 太陽の形をしたトップに、古めかしい銀のチェーン。
 見覚えのあるものだった。
 俺は知っている。これはただのペンダントではない。少なくとも、使用人なんかに譲っていいもののはずがなかった。
 俺の想像が正しければ、これこそが桐沢家の秘宝と言っていい。今の桐沢家の財と名誉を築いたのが、この小さなペンダントなんだ。

 手が震えた。ガキの頃のことを思い出していた。
 テロに巻き込まれて死んだ両親。妹の小さな手。桐沢家の当主「桐沢段蔵」の強引な誘い。そしてベッドに横たわる幼い白兎お嬢様。
 俺の運命は、あの日、彼らによって決められてしまったのだ。
 その因縁のペンダントをいきなり俺に譲ると言われても、意味が分からない。

「……どうしてこれを俺に?」
「私のためよ。決まってるでしょ?」

 それ以外に何があるの?
 とでも言うように、白兎お嬢様は傲岸な腕組みを見せる。
 いつものお嬢様で安心した。決して乱心したわけではないようだ。

「これの使い方を教えてあげる。心して聞きなさい」
「使い方、ですか?」

 あの日、俺はこのペンダントのせいで死にかけたんだ。
 忌々しいと思うし、正直に言うと触りたくもない。
 だが、当時はまだ3つか4つだったお嬢様がそんなことを覚えているはずもなく、得意げな笑みを浮かべる。

「これはね、《プラーナの瞳》というのよ」
「プラーナ……とは、何ですか?」
「簡単に言うと、《気》みたいなものよ」

 お嬢様の説明は、こういうことだった。
 人はそれぞれ《プラーナ》と呼ばれるものを持っている。気とか、オーラとか、そこからいろいろ派生した言葉が存在するが、桐沢ではそれら全てを引っくるめて《プラーナ》と呼んでいる。
 一言で言えば、それは『才能』、あるいは『人間力』というやつだ。
 知力、体力、容姿、魅力、生命力。全ての能力をトータルして《プラーナ》という器が形成され、その人の潜在的なランクとなる。
 つまりは生命と才能の限界を表す指標。その人の価値は、将来の可能性も含めて《プラーナ》によって評価できるそうだ。
 その《プラーナ》を、自在に操るのがこのペンダントだという。

「操ると言っても、これ一つで何でも出来るというわけじゃないけど」

 その《プラーナ》が「人に運命められた器」ある以上、当然、そこに優劣はある。《プラーナ》で劣る人間はより優れた《プラーナ》には勝てない。
 また、その手段も簡単なものではない。
 相手の《プラーナ》を繋げて、直接的に交渉する。その段階で対象との絆が必要だ。少なくとも相手の心に触れていなければならない。
 ようするに、「自分の心」という非常にプライベートなスペースに招き入れてもいいと思われる程度には、信頼、感謝、好意、そういったものを相手に抱かせる必要がある。
 そして、招かれたからといって、それで勝ったことにはならない。交渉も時には争いになる。
 そして相手の心の中では、当然に相手に有利だ。油断をすれば失敗することもある。
 だが、一度屈服させた相手は、自分に心からの服従を誓うだろう。
 桐沢家は、そうやって有能な味方を増やし、今の地位を築いたそうだ。

「もう一つ、《プラーナ》には特徴がある。それは男と女で、陰陽が異なること」

 どんなことでも出来るわけではない、と最初に言ってた意味がそれだった。
 男女の違いで、ペンダントの使い方も異なる。女の《陰のプラーナ》は相手の《プラーナ》を吸い取る。
 それに対して男の《陽のプラーナ》は、相手のそれをそのままに支配するそうだ。

 女は《プラーナ》を吸う。

 あの日のことを思い出して、少し気分が悪くなる。できるだけ表情には出さないようにしたが。
 白兎お嬢様は、もちろん俺の些細な変化に気がつくわけもなく、得意げに解説を続ける。

「お祖父様はかなりの使い手だったそうよ。これを使って有能な人材を大勢集め、家を大きくした。ついでに愛人もね」

 どうりで桐沢財閥は、他の企業や財閥と違って、女性幹部が多いはずだ。
 総帥は今でも若い女を囲って、かくしゃくとしてらっしゃる。

「あいにく子胤の少ない人だから、本物の身内はもう私だけだけど」

 ……年頃の娘が「子胤」なんて言うな。
 と、心の中だけで思うことにした。

「私はお祖父様にこれを譲られてから、自分の《プラーナ》に磨きをかけてきた。でも、これからは私以外の若い人材も集めなければ、巨大になった桐沢家を支えきれない。だから、男の使い手も必要なの」

 なるほど。
 ようするに、俺に白兎お嬢様の代わりに人集めをしろということか。

「わかりました」

 因縁深いペンダントが俺の手にきたというのは複雑な気持ちだが、どちらにしろ白兎お嬢様のためなら何でもしなければならない身としては、断るわけにもいかない。
 彼女の手下にされてしまうだろう人たちには気の毒だが、直接手を下すのが俺だというのが、少しの救いだった。
 お嬢様の手を汚さなくて済む。

「あいかわらず返事だけはいい男ね。うらやましいわ。な~んにも考えないで、私の言葉にハイハイ従うだけの簡単な仕事で」

 その意見には、ハイハイ、と心の中で返事をしておくだけにしておこう。

「それじゃ、今夜からさっそく仕事を始めてもらうわ。もうターゲットも決めてあるから」

 白兎お嬢様は、古典恋愛小説の文庫本を軽く掲げ、小馬鹿にするように机の上に投げ出した。

「同じクラスの篠原美月。平凡な《プラーナ》だけど、将来性の輝きはまあまあ。今のあなたと同じくらいのレベルだし、最初の相手としてはちょうどいいわね。ふふっ」

 クラスメートを手下に洗脳してやろうという話を、じつに楽しそうに語る黒兎……もとい、白兎お嬢様。
 覚悟はしていたが、やはりターゲットは学園の人間で、しかもよりによって俺の担任する子か。
 ずしんと胃が重くなるのを感じた。

「恭一、そのペンダントを握って、自分の《プラーナ》を見てごらんなさい」
「はい」

 言われたとおりに、ペンダントを握って、もう片方の手の上に「自分自身」をイメージする。
 ぼんやりと、黒い固まりが手の上に浮かんだ。ハンドボール大の球体だ。

「見えている? そのいかにもザコって感じの小さな固まりがあなたの《プラーナ》よ。慣れるとペンダントなしでも見えるようになるわ。私みたいに」

 不思議な感じだ。しかも、どうしてこんな禍々しい色なんだ。

「自分が黒で、他人は白に見えるってだけよ。相手の《プラーナ》を支配すれば、その色も黒に変わっていくわ。ようするに、これは相手を自分の色に染めていくゲームってわけ。いい? 私の《プラーナ》も見せてあげる。こっちを見なさい」

 俺は顔を上げる。そして、ギョッと体が固まって動けなくなった。
 その、あまりに巨大な《プラーナ》に。

「これが私、桐沢白兎よ。どう? あなたと私の差をビジュアルで確認した気分は?」

 固まりというより、恐竜か大蛇だ。巨大な白蛇が俺の前で舌なめずりをしているようだ。そいつが俺を押しつぶそうとしている。

「これが今のあなたと私の差よ。よく覚えておくといいわ」

 見てて気持ちのいいものじゃない。
 化け物じみたお嬢様だと内心では思っていたが、これからは遠慮なく口に出して言わせてもらいたい。
 あなたは化け物だ。

「たくさんの人間が私に惹かれ、自ら《プラーナ》を献上したわ。これだけの力を身につければ、もう十分よ。今後必要なのは、有能な従者ね」

 白兎お嬢様の圧倒的なカリスマ性は、この《プラーナ》の量から発せられるものだったのか。
 どれだけの人間から吸い取ればこれだけの量が手に入るんだろう。かなりの数に違いない。
 そんな俺の疑問を察したのか、お嬢様はついと視線を斜めに上げて、肩をすくめた。

「……まあ、半分ぐらいはある人のものだけど」
「ある人? 誰です?」

 お嬢様はさらりと髪をかき上げると、「それより、仕事の話に戻るわよ」と言って、先ほどの文庫本をパラパラとめくった。

「彼女との絆は私が結んでおいたから、あなたは私経由で彼女と繋がればいいわ。彼女が眠りにつくのを待って、《夢渡り》を始めるわよ」
「夢渡り……とは、なんですか?」
「《プラーナ》の交渉は、相手の心の中でするのよ。夢を見ている時はとても無防備で他人の侵入を受け入れやすい。それに、多少の不条理も夢の中なら常識として刷り込める。心も体も支配するには、相手を強力に説得しなければならないの。だから夢の中で対象と接触する。それが《夢渡り》よ」

 ピシリと芝居がかった指先で、白兎お嬢様は決め顔をご披露する。
 だが、それよりも彼女は気になることを言ったぞ。

「心と……体?」
「そうよ」

 とーぜん、と言って白兎お嬢様は腕を組んで15歳にしては見事な胸を強調し、速読で読み終えた恋愛小説をひらひらと揺らす。

「女は産む機械よ。愛だの恋だのくだらないことをさえずりながら、子宮で物を考える生き物なの。やりもしないで、どうやってそんな生き物を支配する気? 私のターゲットを片っ端からセックスで虜にして、ペットにして飼っておやりなさい。それが当面のあなたの仕事よ。OK?」

 ……これもきっと、俺の責任に違いない。
 お嬢様に、きちんとした性教育を受ける機会を差しあげられなかったから。

「なにボサっとしてるのよ。聞いてるの?」
「はっ」

 いつの間にか白兎お嬢様が俺の目の前に立ち、ずいっと体を寄せ付けていた。
 見事に整った顔が、ぎりりと俺を睨みつける。花のような髪の香りが、俺の胸元から怒気と一緒に立ち上る。
 そういや、説教の最中だったな。
 昨夜はあれから、なぜか美月くんは深夜遅くまで眠れなかったらしく、俺たちの《夢渡り》は不発に終わった。
 そして、放課後にうたた寝を始めた彼女を見た白兎お嬢様が、「チャ~ンス」と言って俺を理事長室に連れ込み、《夢渡り》を始めたのだ。
 今はそれも失敗に終わって、説教されているところだった。
 
「まったく、イヤになる。誰のせいで私がこんなにイライラしてると思ってるのよ」

 それは間違いなく俺のせいなんだろうな。
 お抱えスタイリストの発注ミスでディオールの新作が着れなかったときも、総帥のパーティーとぶつかってUAEダービーを観に行けなかったときも、ネットのフリーゲームに一晩中ハマッて頭痛がしたときも、全て俺の責任だったし。

「いい? あなたの敗因は、不用意に『セックス』を彼女に意識させたこと。まだお尻に殻をつけてる我が校の雛鳥に、いきなり『お前の尻をぶち抜いてやる』なんて言ったら、警戒して当然よ」
「……尻をぶち抜いてやる、なんて俺は言ってませんし、女の子の言うことでもありませんよ」
「夢の中とは言え、セキュリティゼロではないの。むしろ、危機を感じたときの抵抗はリアルよりも凶暴よ。無意識の抵抗だから遠慮がないの。今回はたまたまステージの条件が浅かったから、あっさり目を覚ましたというだけ」
「ステージが浅い?」
「放課後の教室。時間も場所も現実とリンクした夢だったでしょ。いくらあなたが無能でも、あんな小娘くらいは余裕と思ったから、彼女の浅いところで交渉しようと思ったの」
「つまり、彼女の心に深く潜ったわけではないと」
「ええ。でもさすが我が校の清く正しい女生徒は、操も固いわね。次はもう少し彼女の記憶に潜って、もっと深い位置で交渉するわ。あなたの危険度も増すけど、自業自得よね」
「危険とはどういうことです? 何かリスクがあるんですか?」
「驚いた。最初にそれを聞かないから怖いモノなしなのかと思ってたけど、そこまで頭が回ってなかっただけなのね」

 ふふん、と小馬鹿にしたようにお嬢様は笑う。
 決して自分が説明を忘れていたわけではないそうだ。

「夢の中で敗北すれば、あなたは帰ってくれなくなる。他人の無意識下にすりつぶされて、肉体を残したまま精神だけが死ぬ。二度と自分の体には戻ってこれないわ」

 白兎お嬢様は、少し考えるようなそぶりをして、顔を上げた。

「臓器提供カードは持ってる? まだならちゃんと記入しときなさいよ。それで助かる人もいるんだから」

 我ながらブラックな職場だとは思うが、せめてもの救いは、俺の雇用主が俺以外の他人には少し優しいところだ。
 
「とにかく、必ず勝利して篠原美月をあなたのペットにするの。いいわね?」
「……それはともかく、疑問があります」
「なに?」
「俺のレベルに合わせた相手とこんなことを続けていても、それほど有能な人材が集まるとは思えませんが」

 白兎お嬢様は、フフンとせせら笑い、「自分を無能と知っているだけでも見所はあるわよ」と満足げに頷いて、俺にペンダントで自分の《プラーナ》を見るように言った。
 手の上に浮かぶ俺の《プラーナ》……別に昨夜と変わったところは見られないが。
 いや少し違うか? わずかだが、大きくなってる気が。

「わかる? あなたは他人の《プラーナ》に触れて、経験値を得たの。ほんのわずかだけどね。それがあなたの《プラーナ》を成長させた。女ほどではないけど、男も経験で大きくなるのよ。数をこなせば、あなたでも大物を狙えるようになるでしょう」

 もちろん、私ほどになるには100年かかるでしょうけどね。と、得意げに付け足すこともお嬢様は忘れなかった。

「今日のデビュー戦は、引き分けってところね。完全には虜にできなかったけど、一部分はあなたのものにできた。あとであなたに面白いことさせてあげるわ」
「面白いこと、ですか……あまり下品なことは慎んでくださいよ」
「どうして? 恭一は下品なこと好きでしょ?」

 天使のように無垢な表情を作って、白兎お嬢様は可愛らしく小首をかしげる。
 心当たりがないわけでもないので、返答はあえてしない。

「だから、この勝負も決して無駄ではなかったわ。桐沢白兎のいくさに一日の無駄もない、というわけね。今年度中には学園を主な人物を制圧するわよ。これからは毎日が戦いだと肝に銘じなさい」

 ……どうしても、やるつもりか。
 もとより、俺に白兎お嬢様に対する拒否権はない。
 やれというなら、俺は自分の生徒にレイプだってしてやるだろう。
 ただ、そんなことを本気で言い出す彼女には、少し失望したが。
 彼女は今の境遇に嫌気がさしているのかもしれない。かつての家出事件のときのように。
 はたして俺の手にあるペンダントは本当に桐沢家のために使われるのか?
 お嬢様は俺を利用して自分に力をつけて、味方を増やして、もっともっと強大な力を得て、そしていずれ桐沢の家を……。
 いや、やめよう。俺は白兎お嬢様が何を考えていようが関係ない。
 彼女がやれと言ったことをやるだけだ。

「先に帰っていいわよ。私、ちょっと用事があるから」

 どかっと理事長の椅子に腰掛け、追い払うように手を振る。お嬢様の私邸も学園敷地の中にあるので、ボディガードの仕事もなかった。
 憂鬱になりそうな気持ちを抑えて、「失礼します」と礼をして踵を返す。
 そして扉に手をかけたとき、小さな声がした。

「……心配しなくていいわよ」

 振り返ると、機嫌の悪そうなお嬢様の顔が俺を睨んでいた。

「あなたみたいな役立たずが、余計な心配するなって言ってるの」

 いつもと同じ、不機嫌な顔が逆に俺を安心させてくれる。
 もう一度、「失礼します」と言って理事長室を出る。

 理事長室を出たとたん、ひょこっと俺の脇に小柄な女の子が現れた。

「兄さん」

 彩だ。俺の妹で、学園の中等部3年。
 どうして中等部の生徒がこんなところに、と言いかけて思い出す。
 そういや、彩は中等部の生徒会役員に選ばれて、いろいろ動き回って忙しいって言ってたっけ。
 同級生の信頼も厚いようで何よりだ。兄としてもそんな妹が誇らしい。
 賢いし、顔立ちも可愛らしいし、家のこともテキパキとよくやってくれて、本当によく出来た妹だよな。
 ということを口に出すと、すぐにお嬢様に「あなた本当にシスコンね」などというあり得ない侮蔑を浴びるので、気をつけるようにしているが。

「なんだ彩か。どこのアイドルタレントかと思ったぞ」
「も、もう、そういうこと学校で言わないでください! 誰かに聞かれたら、彩が笑われちゃいます」
「笑うやつなんていないだろ? お前がこの学園で一番可愛いのは事実だ」

 もちろん一番きれいなのは白兎お嬢様だ。
 だが、彩のこの愛らしさと素直な性格の良さには、白兎お嬢様といえでも到底かなうまい。

「~~ッ、に、兄さんは、学校では教師なんですから。生徒をからかってはいけませんっ」

 別におかしなことは言ってないのに、なぜか小さなほっぺたを赤くして彩が怒る。子供じみたボブカットから覗く耳まで真っ赤で、怒った顔も可愛いやつだ。
 頭を撫でてやりたい気もしたが、もちろん俺は「シスコン」などという変態ではないので、そんなことはしない。
 それより、こんな憂鬱な気分のときは、早くうちに帰って彩の作ったご飯が食べたい。

「……兄さん。ひょっとして、白兎お嬢様に叱られましたか?」

 ひょこ、といつの間にか反対側に回った彩が、俺の顔を覗き込んでいた。
 彩は、この学園では俺以外に唯一、白兎お嬢様の黒兎っぷりを知っている人物だ。
 そして、俺の顔色を見るだけで俺の身に起こったことを言い当てるという、特殊な能力の持ち主でもあった。

「あとで彩からも謝っておきます。お嬢様もきっとすぐに許してくださいますから、あまり気にしないようにしましょう。ね?」

 まさに天使としかいいようのない笑顔を浮かべ、俺に体をくっつてくる。
 白兎お嬢様も、彼女のことは可愛がってくれていた。
 よく買い物に付き合わせたついでに、俺には選べないようなセンスのいい服や小物などプレゼントしてくれるし、今も月に1、2度は部屋に招いてお泊まりさせているし、彩に悪い虫が近寄ろうとしてたときには、俺より先に気づいて影で手を回してくださるなど、彼女に関してだけは心強い味方でもあった。
 あの気難し屋のお嬢様をそこまでメロメロにしてしまうとは、さすがは俺の妹である。
 だからといって、妹の威を借りるほど兄は落ちぶれていないが。

「余計な心配するな。彩の可愛い笑顔を見たら、すっかり元気になったぞ」
「~~ッ、だ、だから、からかわないでくださいってば!」

 からかってなどいないのに。
 俺は心からの笑顔で、彩の可愛い顔を見つめる。
 彩は、「……もう」と困ったように笑った。むしろこの笑顔で元気にならない人間など、この世にいるのかな?
 でも、もし今日俺が生徒にしたことを彩が知ったら、ひどく悲しむだろうなと思うと、ちくりと胸が痛くなった。
 そして、ふと思いついてポケットの中のペンダントを握った。
 俺の横を歩く彩の頭上に、彼女の《プラーナ》が浮かぶ。

「……おお」

 バルーンのように大きな光が、汚れを知らない太陽のようにまぶしく輝いていた。
 純真無垢の塊だ。きれいな球面を描いて、つるつると光っている。
 この小物の兄など、楽勝で凌駕する美しく大きな魂。嬉しいようなくやしいような、複雑な気持ちだ。
 そして、おそらく彩の《プラーナ》には手を出していないのだろう白兎お嬢様にも、感謝したい気持ちになった。
 じつはそのことがちょっとだけ心配だったから。
 
「どうかしました?」

 彩はこくんと首を傾ける。
 不思議なもので、《プラーナ》を見るとその人を知った気持ちになるというか、心を覗いた気分になる。
 彩に申し訳ないような、それでいて、兄として妹の無垢なハートを自慢したいような、そんな気分だ。
 俺には彩がいる。
 だから、どんなにつらいことがあっても平気だ。

「なんでもない。今日も彩が日本一の妹で安心したんだ」
「~~ッ、ぜ、絶対からかってますよね! もう、兄さんなんて知りませんっ」

 顔を真っ赤にして彩は怒る。
 別にからかってなどいないのだが、彩も難しい年頃なので、へそを曲げられる前に謝っておくことにする。

「からかったつもりはないんだけどな。怒らせたのならすまん」
「別に、怒ってはいませんが……兄さんはいつも真顔で冗談を言うので、彩は困ってます」

 もちろん冗談なども言った覚えはないのだが、すねたように俺のスーツの裾を摘む彩が可愛いので、余計な弁解はやめた。
 そのままチョコチョコと俺の横をついてくる彩の手を繋いでやりたい欲求にかられるが、シスコンだと誤解されても困るので我慢する。

「あの……」
「ん?」
「兄さんは、晩御飯は何が食べたいですか?」
「彩の好きなのでいいよ。何がいい?」
「えっと、食べたいものは特にないんですけど、すごく作りたいものならあります」
「なんだ?」
「……兄さんの食べたいものです」

 やっぱり手ぐらい繋ぐことにした。
 彩も嬉しそうに体を寄せてきて、指をギュッギュとさせてきた。
 その指に俺の指を絡めてやったら、彩はくすぐったそうに笑った。そしてお返しとばかりに、俺の手をぎゅーっと握ってきた。

「あら、吉岡先生」
「きゃーっ!?」

 廊下の角から現れたスーツの女性が、俺たちを見つけてたおやかな笑顔を浮かべる。
 彩は、我が校の生徒に相応しくない悲鳴を上げて、俺から離れた。

「す、すすすみません、はしたなくて、私、あの、失礼します!」

 そしてぺこりと頭を下げ、真っ赤になってパタパタと逃げてしまった。
 あとに残された俺を見て、スーツの女性―――姫路絵里子先生は、困ったような顔を浮かべる。

「お邪魔しちゃったかしら? もうしわけありません」
「いえ、そんなことはありませんが。どうしたんだろうな、あいつ」
「それにしても、いつも兄妹仲がよろしくていいですわね、吉岡先生のところは」
「いえいえ、普通ですよ。あいつも最近はなかなか難しくて。何を考えてるのかさっぱりです」
「あのくらいの年ともなると、女の子はいろいろ複雑なんですよ。ふふっ」
 
 そう言って、姫路先生はお姉さんぶった人差し指を立て、チャーミングな笑顔を浮かべた。
 実際は、俺と年は一つしか変わらない。
 一応は俺の先輩なのだが、どうもこのほんわかした雰囲気や、親しみやすい口調のせいで、ついつい気安くなってしまいそうになる。
 ゆるやかなウェーブのかかった髪と、心を和ます優しい笑顔。しかも、スーツの上からでもわかる完成度の高いボディは、美女そろいの学園の中でも、群を抜いて男性教師から評価が高かった。
 ちなみに、男性教師は俺しかいないが。
 ここまで癒し系の容姿を兼ね備えておきながら、頭脳のほうも国内最高学府出身の才媛だというから、彼女は神様に愛されすぎだと言わざるをえない。
 なんにしろ、特殊事情が多すぎて職員室でも腫れ物になってる俺にも、普通に接してくれるありがたい女性だ。いろんな意味で仲良くしたい人ナンバーワンだった。
 人妻だけどな。
 彼女の左手にはシンプルなデザインの指輪が光っている。なんでも、お相手は60過ぎのかなり年上な神父様だそうだ。
 幼い頃から父代わりだった男やもめの神父と、去年、式を挙げたばかりらしい。
 
 そして、彼女の後ろには、髪の長い生徒が控えている。
 姫路先生の受け持ちの3年生で、生徒会長の東城由梨だ。

 彼女は、白兎お嬢様と並ぶ学園の有名人だ。
 いや、世間一般的な知名度では、お嬢様よりもずっと上だろう。
 親は、桐沢系列の関連会社に勤める普通のサラリーマンだと聞いている。しかもそれほど大きな役職付きでもなく、平凡な家庭の子だ。
 もちろん、この学園も庶民だからといって入学を拒むほど前時代的ではないし、成績、素行と学費の納入に問題がなければ、家柄まで問うこともない。
 ただ彼女の場合は特別で、知能の高さが幼い頃より際だっており、早くから特待生として、学園側から招かれた生徒だそうだ。
 しかもその才能は学業だけに留まらず、中等部時代には、ピアノやテニスで全国大会に出場したこともあるらしい。
 化学論文で国際コンクールに入賞したさいには、海外の大学からもお誘いを受けているが、本人は「まだまだ女性として未熟なので、今の学校で学びたい」と言ってお断りしたとかいう逸話もある。
 彼女の名は、全国にも知られていた。
 才能だけではなく、見てのとおりの美貌まで兼ね備えているせいだ。
 化学雑誌に載った一枚の写真がネットで拡がり、テニスで全国に出たときや幼い頃の写真までどこからか出回って、一部のネットユーザーの間ではすでにアイドルと持て囃されている。
 彼女の名で検索してトップに出るブログには、明らかに学園内の隠し撮りと思わしき写真まであった。
 おかげで学園はセキュリティを強化せざるをえなくなり、桐沢系列の警備会社が四方に支店を構え、学園はますます陸の孤島と化している。
 今、この学園でそこまでの影響力を持った生徒は、白兎お嬢様以外では東城由梨しかいない。天に選ばれたとしか思えないような2人だ。
 その彼女が、姫路先生の後ろから、視線をテニス観戦のようにラリーさせていた。
 俺たちに声をかけていいのか躊躇っているように見える。俺がそちらに顔を向けると、東城くんはポォっと頬を染めて俯いた。
 ややすると勘違いしてしまいがちな可憐な仕草だが、『男性に不慣れ』がデフォルトの我が校では、これが女子生徒の通常の反応だ。

「……吉岡先生、先日は本当にありがとうございました」

 指先をきれいに体の前に揃え、東城くんは丁寧な礼をする。
 まだ17、8才でしかないはずの体は、白兎お嬢様よりも豊満な成長を遂げているらしく、何気ないその所作でも、胸元は表情豊かに形を変えていて、思わず視線を向けそうになって焦った。
 
「先日……あぁ、あのことか」

 こないだ、書類を山にして抱えていた彼女を、少しばかり手伝ってやったことがあった。
 長年、桐沢家及び白兎お嬢様に仕えてきた身としては、息を吸って吐くかの如く当然の行いだったのだが、身近に若い男性のいなかった彼女たちにとっては珍しい事件だったらしく、やたらと恐縮されてしまった。

「たまたま通りかかっただけだよ。そんなに恐縮されてはこちらも困る」

 東城くんは、助けを求めるように姫路先生の方に視線を向ける。姫路先生は、優しく微笑み返して東城くんの肩を優しく撫でた。

「ほらね。先生の言ったとおりでしょ。吉岡先生がそうおっしゃられているんだから、そのことはもういいのよ。紳士とはこういう殿方のことなの。親切にしていただいたら、微笑みと礼をお返しすればいいのよ。きっとそれだけで十分と言ってくださるから。ね、吉岡先生?」

 だから、たかが荷物運びくらいで紳士がどうしたと言われても困ると言ってるのだが、この学園では、庶民とは感覚の違う教育方針がある。
 俺は脱力してしまいそうな表情を必死に「紳士的微笑」の形にして、彼女に頷く。
 東城くんは、もう一度「ありがとうございます」と頭を下げた。
 照れて伏せたままの顔が、真っ赤になっている。その可憐さに柄にもなくときめいてしまって、慌てて唇を引き締めた。
 ひょっとして、この子は俺のことを特別に意識してるんじゃないだろうか。なんて、みっともない勘違いはしない。
 ここの生徒は男性に免疫がない。単純にそれだけだ。

「ふふっ、東城さんたら、あのあと真っ直ぐ私のところにきて、『吉岡先生にどうお返しをしたらよいのでしょうか?』っていうんですよ。もう、あんなにオロオロする東城さん、久しぶりに見たからおかしくって」
「ひ、姫路先生、もう許してください」

 ……勘違いするなよ。
 真っ赤になって右往左往する東城くんが可愛く見えるからって、変な気を起こすなよ。
 ここの学園の生徒たちは、みんな本当に純情で奥ゆかしい。若く可憐で、無垢な雛鳥たちなんだ。
 どんなに真面目でお堅い童貞男でも、この学園の教師に着任すれば、3日でただの狼と化してしまうだろう。
 白兎お嬢様に仕える身で良かったと思えた。
 こういうときは、目を閉じて彼女の鋭い眼光を思い浮かべる。そうすれば、たいていの感情は自制できた。なんとかに睨まれた蛙のように。
 俺は、この学園に着任した初日のときの、お嬢様の言葉を思い出していた。

「――この学園の生徒が、どうしてあんなに浮世離れして純情なのかわかる?」

 そういう教育方針だからでしょうかと、俺は疲れを隠してお嬢様に答える。
 教師初日のやる気は、初日のうちに潰えていた。
 俺が自己紹介しているときも、恥ずかしそうに俯くだけで目も合わせてくれない受け持ちの教室。影でさわさわと噂されているのは分かっても、こちらから声をかければ真っ赤になって逃げていく生徒たち。
 それどころか、職員室の若い女性教諭や事務員にまで苦手にされていて、身の置き場所がどこにもなかった。
 あいかわらず俺をゴミムシ扱いしてくれるお嬢様が、逆にありがたかったくらいだ。

「半分だけ正解ね。残り半分の解答は、この私が純情で可憐だからよ」

 落としそうになった紅茶のカップが激しく音を立ててしまい、「申し訳ありません」と謝った。

「“カリスマ”の私がそうだから、みんなも影響されている。女性とは、清廉潔白で奥ゆかしく、お淑やかで家庭的でなければならない。私は理事長の孫だから、幼稚舎の頃からその学訓を貫いているの。だから私と年の近い子は、余計に優等生が多いのよ」

 そうでしょ、恭一?
 と言って、白兎お嬢様はよそいきの微笑みを浮かべた。
 長年鍛え上げられたお嬢様の「よそいき」は、見慣れてるはずの俺すら、油断すると見とれてしまいそうになる。
 彼女のこの“カリスマ”なら、確かに憧れて真似たいと思う少女が多くても不思議ではない。だが、それにしても全校生徒が自分をお手本にしているなどとは、大きく出たな、とそのときは思った。
 あの《プラーナ》を見て、今なら納得できるが。
 俺たちは、彼女に魅了されてるというより、飲み込まれているんだろう。
 では、もしも白兎お嬢様がとんでもないアバズレとして振る舞っていたら、学園はどうなっていたんですか?
 俺がとぼけた質問をすると、お嬢様はその発想が気に入ったのか、愉快そうに「生徒の子供を預かる託児所が必要になるわね」と言った。
 実行しないことを祈るばかりだ。

「大丈夫よ。そんなことは起きないわ。私が逆を行こうとしても、あの方がいるから、たぶんどこかで均衡はとれる」
「あの方?」
「そう、もう一人の“カリスマ”が、超天然物のお嬢様だからね」

 お嬢様の言う「もう一人」というのが誰か分からなかったが、どちらにしろ自分には関係のない話なので詮索はしなかった。
 余計な好奇心は、余計な厄介ごとを招くだけということを、お嬢様の付き人である俺はよぅく知っている。

 さて、こんな回想に浸る暇があったら、せっかくの機会なんだし、我が校の誇る職員室の華と、可憐なる桐館学園生徒代表の《プラーナ》でも拝見させていただこうか。
 俺はポケットの中にあるペンダントに手を当てた。スーツ越しでも《プラーナの瞳》は俺に彼女たちの才能を教えてくれる。

 そして―――不用意にそれを覗いてしまったことを後悔した。

 余計な好奇心はやめておけと、言ったばかりだ。
 たじろいだり、うめき声を上げたり、そんなみっともない真似をせずにすんだのは、逆に油断していたおかげだった。
 俺は、反応する暇もなく、その《プラーナ》の輝きに呑まれていた。
 
「それでは吉岡先生、私たちはこれで」
「失礼します、吉岡先生」

 にこやかに立ち去る姫路先生と、最後まで恥ずかしそうに頬を染める東城くん。
 俺はぎこちなく会釈を返すのでせいいっぱいだった。足が固まったように動かない。肺に詰まった空気をはき出すと、今頃になってドッと汗が噴き出た。
 姫路先生の《プラーナ》は、彩よりも二回りか三回りほど大きく、美しく多彩な色を放ちながら回転しながら輝いていた。
 見事なものだったと思う。
 だが、俺にはそれに感心する暇もなかった。

 もう一人の“カリスマ”を……いや、“化け物”を見つけてしまった。

 白兎お嬢様の光が『大蛇』なら、彼女のは『鳳凰』だ。
 確かにあれは、お嬢様に匹敵する“カリスマ”だ。しかもお嬢様と違って、《プラーナの瞳》なしの天然物であの強大さだ。
 俺ごとき小物など、何も出来ずに震えるだけ。「今年度中には学園を制圧する」といったお嬢様の言葉の意味が、ようやくわかった。

 お嬢様の狙いは―――東城由梨に違いない。

 彼女は今年卒業し、アメリカの大学に渡る。だから、その前にお嬢様の配下にしなければならないということだ。
 だが、あの東城に勝つ想像なんて、今の俺にはまるで出来ない。いや、そこまでの過程を想像するだけでも、恐ろしくて震えてきた。
 彼女を超えるためには……俺はいったい、何人を犠牲にしなきゃならないのか。
 

 当時、俺はまだ小学生だった。
 彩はまだ保育園にも上がる前だ。
 その小さな身体を抱きかかえて、俺は必死に助けを求めていた。

「だ、誰か妹を助けてください! お願いです! 誰か!」

 遠い異国の地だった。
 小さな食堂を経営していた親が奮発して、初めての海外旅行に家族で出かけ、そしてテロに遭遇した。
 いきなり大きな音がしたと思ったら、両親の姿はなくなり、彩の腹には鉄の棒が突き刺さっていた。
 泣きわめいて、助けを求めても、混乱した現場では、異国の子供など相手にしてもらえない。
 あとで知ったことだが、その近くで近隣各国を代表する企業家や経済人が集まり、裏サミットのようなことが行われていたらしい。
 そこを狙ったのかどうかは不明だが、現地の警察も救急も事態に混乱し、騒然となっていた。
 そこへ、一人の老人が近づいてくる。

『……ほう、子供か。しかも日本人だったか。遠くからでもはっきりと見えたぞ、お主の巨大な《プラーナ》が。親は? 死んだか?』

 それが桐沢段蔵。桐沢コンツェルンの現総帥だ。
 もちろん、当時の俺はそんなこと知らない。言葉の通じる大人がようやく現れたので、必死に助けを求めるだけだ。

『いいだろう。妹の命と、お前の命を交換だ。我が孫のために貴様の《プラーナ》を全ていただく。いいな?』

 俺もガキだし、必死だった。《プラーナ》なんて聞いたことのない言葉はすぐに忘れた。とにかく俺の命と交換すれば彩を助けると言われたことは、なんとか理解できた。
 俺には、躊躇している暇もなかった。

『こっちへ来い』

 俺はその老人の後ろに付いていった。彩には「もうすぐ助かるぞ」と言った。朦朧とした彩は、俺の呼びかけにコクコクと頷いていた。
 俺はその小さな身体をギュッと抱きしめる。
 着いた場所は病院だった。

『おい。大至急この娘を院長のところへ連れて行け。絶対に死なせるな。生きて日本に帰してやれ』

 スーツの男が、彩を連れて行った。俺はそのまま違う場所へ連れていかれた。
 そこには、彩と同い年くらいの女の子が眠っていた。ひどく苦しそうで、彼女も怪我をしていた。

『怪我はたいしたことはない。こいつの母を助けようと《プラーナ》を与えたのだが、それも間に合わなんだ。娘は死んだ。だから代わりに孫のこいつを生かさねばならん』

 人形のようにきれいな子だ。傍らにある茶色いウサギのぬいぐるみが彼女を見守っている。
 彩のことも一瞬忘れて、その子のことがとても心配に思えた。

『お前のその活きのいい《プラーナ》を、孫に喰わせてやってくれい。このペンダントに手を合わせよ』

 太陽のようなペンダントだ。女の子の身体の上に置かれたそれに、俺はそっと手を合わせた。
 総帥は、彼女の耳元に語りかける。

『白兎よ。《プラーナの瞳》の新しき所有者よ。お前の初めての獲物だ。存分に喰え』

 白兎というのが彼女の名前だろうか。苦しげに顔を歪めるだけで、その小さな女の子に声が届いているかどうかも怪しかった。

『お主の名は? そうか、恭一か。では恭一。お主の妹の命を救うのはわしだ。わしの名は桐沢段蔵という。心より感謝しろ。強く感謝を念じろ』

 俺の手の上に、自分の手を重ねて総帥は言った。俺は言われたとおりに総帥に感謝を込めた。そうすると、ペンダントを通じて何かと繋がった気がした。

『すまぬな。これも桐沢家のためだ』

 そして、後頭部に強烈な衝撃を感じたと思ったら、そのまま気を失ってしまった。
 最悪の夢を見た。
 蛇に飲み込まれる夢だ。
 死にかけの小さな蛇が、俺の爪先にかみつく。そして、少しずつ俺を飲み込みながら、体を大きくしていく。やがては、俺よりもはるかに大きな大蛇へと。
 死の恐怖と、搾り取られていく生命に、ひたすら悲鳴を上げた。
 じっくりと、蛇の中で体を溶かされていく。俺は必死で助けを求めた。父と母を呼び、彩の名も叫んだ。生きていてくれと願った。
 そして、気が狂いそうな苦痛の果てで、誰かに頭を触れられた気がした。

『……どうした、白兎。もういいのか? 別に殺しても構わんのだぞ。そいつも了解している』

 くしゃ、その小さな手が俺の髪を優しく掴んだ。
 俺は徐々に苦しみから解放されていく。

『そうか。ならば好きにせい。小僧、お主の命は白兎のものだ。妹を救ってやった恩を忘れるなよ。これからは命を賭して桐沢に仕えよ』

 再び意識が遠のいていく。
 くしゃ、くしゃ、誰かの指がずっと俺の髪を弄んでいる。
 小さな蛇のように。

< つづく >

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