【実習1日目 被験者:牧野早苗さん(実習生)】
「おはようございます」
よく見慣れた国語科準備室の戸を開ける。
覚悟は決めていたはずなのに、自分の口から出た声は緊張のせいで半音高くなっていた。
「ん、おはよう、伊藤先生」
「おはようございます、寺島先生。……まだ『先生』って呼ばれるのは慣れないですね」
教は週のはじめの月曜日であり、教育実習の初日。
既に教員との顔合わせは済ませてある。寺島知美先生は実習中、俺の指導教諭になる先生だ。
「伊藤先生はまだ『実習生』かもしれないけど、生徒にとってはちゃんと授業を受ける『先生』なんだから。しっかりしないとダメよ?」
「分かってるつもりではいるんですが……どうしても緊張してしまって」
「気持ちはわかるけどね。まぁ気張りすぎず行きましょ。8時半からの朝礼で軽く自己紹介してもらう予定だから、何か考えておいてね。それじゃ私は先に行ってるから」
「はい、分かりました」
寺島先生が書類を抱えて準備室から出ていく。そして入れ違いになるように、
「おはようございます」
「おはよう、牧野さん」
別の先生が入ってくる。
先生といっても、俺と同じ実習生の牧野早苗さん。俺と同じ国語科担当。
「おはよう、伊藤くん。……あれ、他の先生は?」
「ほんの今出ていったよ」
「そっかぁ。朝のうちに授業プリントの最終確認お願いしたかったのに」
牧野さんは俺の隣のデスクに着く。
俺たち実習生はそれぞれの科目の準備室にデスクが用意されており、3週間の実習期間中はここで授業準備をすることになる。
他の実習生もそれぞれの科目の準備室にデスクを用意されているはずだ。
「朝礼で簡単に自己紹介してもらうから何か考えといてって寺島先生が言ってた」
「ほんと? でも自己紹介って何を話せばいいんだろう?」
「名前と担当科目、意気込みを一言で……くらいでいいんじゃない?」
「そうよね。……まぁみんなの聞きながら考えるか」
「一番最初に指名されたら笑えないぞ」
冗談を飛ばし合いながら、二人して最初の授業の最後の確認をする。
教育実習本番だ、気を引き締めてかかろう――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「疲れたぁ……」
「まだ授業はしてないのに……ホームルームくらいしか教卓に立ってないのに……」
放課後、俺と牧野さんは準備室でぐったりしていた。
「二人ともお疲れ様。初日の感想は?」
「実習日誌に書いておくので後で目を通してください……」
「だいぶお疲れみたいだね。明日も授業あるんだからシャキッとしなさい、若人よ」
寺島先生は軽く笑いながら、ノートを持って席を立つ。
若人って、寺島先生も俺たちとそう変わらない歳に見えるけど……
「じゃぁ私は職員会議に行ってくるから。1時間くらいで戻るけど、もし帰るなら誰でもいいから他の先生に一声かけてからにしてね。日誌はデスクの上に置いといてくれればいいから」
「はい」
「わかりました」
俺と牧野さんで寺島先生の背中を見送り、準備室は2人きりになる。
「4年ぶりだよね」
「そうなるね」
俺も牧野さんもここの卒業生である。そしてそれぞれ別の大学に通っている。別の大学ではあるけれど、実習先は同じ母校だ。
どの学校に教育実習に行くかは大学ごと、自治体ごとに違う。俺たちの場合は二人とも母校が実習先だった。
他の科目の実習生も、みんな同級生で顔見知り。そして同級生であっても今まったく別の学校で俺たちと同じように実習に励んでいるヤツもいるのだろう。
それに卒業したのは4年前。見知った先生方もいるし、異動してきた先生もいる。寺島先生は俺たちが卒業した後に赴任した先生だ。
「伊藤くんって教育学部?」
「いや、違う。牧野さんは?」
「私も。教職課程取ってるだけ。でもそれでもだいぶ模擬授業とかやったつもりなんだけどなぁ……」
「俺も大学で練習はそれなりにやってたはずなんだけどな……」
いくら訓練を積んでも実戦となるとプリントを配るのに時間かかったり、噛みまくったりと散々だった。実習期間中の間に慣れると信じたい。
「伊藤くんは何学部?」
「文学部。牧野さんは?」
「私は心理学部」
お互いに同期であり、同じクラスだったこともあって、顔と名前は知っている。けどそれまでだ。
性別も部活も違うしMineの連絡先さえ交換していない。お互い必要以上の交流はなかった。
俺は彼女がどこの大学のなんの学部に行ったかなんて知らないし、彼女もおそらくそうだろう。
「緊張で肩が凝ってもう大変……」
肩をグルグルと回しながら大きく息を吐く。
そんな俺を見て、少し思案顔の牧野さん。そして少ししてから話し出した。
「ちょっと唐突なんだけどさ、伊藤くんって『催眠術』って信じる?」
「催眠術? あの『あなたはだんだん眠くなる』とかいうアレ?」
ほんとに唐突な内容だった。
「それ。催眠術って心理学の分野なんだけど、リラックス効果があるんだよ」
「めっちゃ偏見で悪いんだけど、『ワサビが辛くない』とか『犬になる』とかで、リラックスとは縁遠いイメージなんだけど」
「まぁテレビ映えするのはそういうものだからね……」
あはは、と乾いた笑いを漏らしながら、「それで、どうかな?」と提案してくる。
『催眠術』という単語にリラックスというイメージはないけど、牧野さんは自分は心理学部だと言っていた。催眠術と関係ありそうな分野だから、きっと実際にそういう効果はあるんだろう。
先生は誰もいないし、準備室の扉には『職員会議で職員不在』と札が下げられている。生徒が訪ねてくることもないだろう。
折角の機会だし、体験してみるのも悪くないか。
「ならせっかくだし、お願いできるかな?」
「任せて。じゃぁ上着を脱いで、楽な体勢で椅子に座って。そうそう。軽く目を閉じて、私の言葉を聞いててね。意識して聞こうとせず、なんとなく聞いてるだけでいいから。それじゃぁまず――」
―――――――――
――――――
――――
「えっと……どうかな?」
「んー……。……すまん、わからん」
牧野さんの『催眠』が始まってから15分ほど経っただろうか。
一方的に話してくるだけだった牧野さんから、初めて意見を求められる、
「そっかぁ……付け焼刃の技術じゃそんなものよね」
そういう牧野さんの声は少し残念そうだった。
俺はずっと牧野さんの声を聞いているだけだったが、彼女の言うリラックス効果は残念ながら感じられなかった。
「付け焼刃?」
「うん。ちょっと恥ずかしいんだけど……原稿読みながらやってたのよね」
振り返って見てみると、彼女はA4用紙を持って苦笑いしていた。
「もともとは緊張しないように、っていう自己暗示から足を踏み入れたんだけどね。その過程でこういうのがある、って知ってさ。ほら、試せるものは全部試しておきたいじゃない」
「その気持ちはわかる」
大学4年間、卒業必修じゃない講義を山ほど取りつつ進めてきた教職課程。それがこの教育実習ひとつでパーになる可能性だってある。ワラにもすがる、なんて言葉は言い過ぎかも知れないが、それでも使えるものならすべて使いたいのは俺だって同じだ。
「あのさ、伊藤くん。もしよかったら私にやってみてくれないかな」
「俺が? 何の知識もないんだよ?」
俺は牧野さんのように心理学部じゃない。催眠術なんてかけられたのは今が初めてだし、ましてやかけたことなんてあるはずもない。
「私と同じように原稿を読むだけでいいからさ。私がどういう風に話してたか、なんとなく覚えてたりしない?」
「それは……まぁ、たぶん」
意識して聞いてたわけじゃないからハッキリと覚えてるわけじゃないけど、その雰囲気はなんとなく覚えている。
「わかった、やるだけやってみる」
なんにでも頼りたい気持ちはお互いに理解している。結果として失敗したといえ、彼女が俺のためにやってくれたのなら、俺もその気持ちに対してお返しをするのは礼儀だろう。
彼女から原稿を受け取って、位置を代わる。牧野さんが椅子に座り、俺が彼女の後ろに立つ。
原稿に目を通すと、かなり細かい字でA4用紙いっぱいにスクリプトが書かれている。所々に『間を開けて』や『ゆっくりと言い聞かせるように』といった演技指導まである。自信はないけど、ちょっと楽しくなってきた。
俺は軽く息を整えてから、原稿を読み始める。
「『楽な姿勢で椅子に座って、軽く目を閉じて、私の言葉を聞いていてください。無理に意識して聞こうとせず、なんとなく聞いているだけで大丈夫。それじゃぁまず深呼吸をしてみましょう。私の声に合わせて、ゆっくり深呼吸をしてください。大きく息を吸って……。吐いて……。――
――そのまま、ぼーっとしたまま、なーんにも気にせず、心地よい気だるさに身を預けていましょう』」
スクリプトの四分の三ほどを読み終える。
ここで『間を開ける』という演技指導と、次の行から『解除誘導』と書いてある。
牧野さんは両腕をだらんと垂らしながら、少し俯いて静かに、規則的に呼吸をしている。
俺の記憶が正しければ、牧野さんにしてもらった時はここまでだったはず。彼女はどこかを見て『俺が催眠にかかっていない』と判断したのだろうけど……
「牧野さん……?」
小さい声で呼びかけるけど、なにも応答はない。
どうやら脱力しているみたいだし、彼女の言う『リラックス効果』とはこの状態を指してるんだろうか。
そのまま十秒ほど待っても、なんの動きも反応もない。
彼女の対面に回り、しゃがんで下から彼女の顔を覗き込む。
それでもなんの反応もなく、ただ無防備で穏やかな顔をしている。
牧野さんが普段寝てるときもこんな顔なんだろうか、なんてふと思ってしまう。
普段は明るく振る舞い、笑顔を絶やさない牧野さん。でも今目の前にある彼女の顔は、気を抜いて、ただ静かに呼吸するだけの静かな顔。いつもとのギャップにドキリとしてしまう。
近くでじーっと見るだけならなんの反応もない。
準備室には二人きり。聞こえてくるのはほんのわずかな部活の喧噪だけ。だから普段使わない感覚がより敏感になっているのだろうか。近づいただけで、彼女の髪からシャンプーの香りが漂ってくる。長いまつ毛に、艶やかな唇。初めてこんなに近くで見る彼女の顔に、どんどん鼓動が早くなっていく。
二人きりの放課後、周りには誰もいない状態。もし、もしもだ。触っても無反応だったりしたら……
「いいや、ダメだダメだ。実習中だぞ」
頭をブンブンと振って邪念を振り払う。
相手に許可なく身体を触るなんて、教育実習云々以前に人として問題だ。それにここは学校。廊下には生徒が歩いているし、寺島先生もいつ職員会議から戻ってくるか分からない。
「続きに戻ろう」
彼女の背後に戻り、催眠の解除誘導、スクリプトの続きを読み始める。
「『貴女はとても深く、気持ちいい世界にいます。貴女のすべてを受け入れる、ただ気持ちいいだけの世界。ここに身体(からだ)の疲れや心のストレスはぜーんぶ捨ててしまって、目を覚ましましょう。心も身体もすっきりリフレッシュして、気持ちよく目が醒めますよ。これから私が数字を0から10まで数えます――
――はい、おはよう!』」
スクリプト最後の一行を読み上げ、彼女の肩を軽く揺らす。
それと同時にだらんと垂れていた頭が上がり、ゆっくり振り向いた。
「あれ……? 伊藤くん……? 私寝ちゃってた……?」
眠たそうな、開ききってない目で訊いてくる。
「たぶんそうなのかな……? 催眠だから……」
『催眠』は『眠り』を『催す』と書く。催眠状態というのは詳しく知らないけど、文字のとおりと解釈するなら寝てた……んじゃないかな。
「催眠……? あぁ、そっか。そういえばそうだったね……」
彼女は「んー!」と大きく伸びをしてから、椅子の向きを変えて向かい合う。
「完全に堕ちちゃったよ」
「堕ちてた?」
「催眠に堕ちてたの。凄いね伊藤くん。センスあるんじゃないのかな?」
成功なのか失敗なのかさえ俺には分からなかったが、こう褒められると悪い気はしない。
「肩も軽くなったし、なんかスッキリした感じ。あのスクリプトの内容そのままだから大成功だよ」
さっきの静かな寝顔とは全く違う、いい笑顔で大きく伸びをする。
「牧野さんは授業でこれを習ったの?」
「ううん。本とネットかな。授業で催眠に触れることはあっても、やり方や内容までガッツリ……なんて専攻でもないとやらないんじゃないかな。というかそもそも専攻もあるのかな……」
「そうなんだ。……あのさ、もしよかったらその本、貸してもらえたりする?」
「催眠術の本? 別にいいけど……興味出てきた?」
「まぁ……そんなとこ。あと参考にしたサイトも教えてくれると助かるかも」
「帰ってからでいいならいいよ。あ、Mine交換しとこうか」
スマホを取り出しサクッと連絡先を交換する。
なんにせよ、同じ科目の実習生同士だ。連絡先は交換しておくのが得策だろう。
「さて、休憩もこれくらいにして実習日誌とかちゃんと書かないとね。伊藤くんはもう終わってる?」
「半分くらいは授業の合間に書いたかな」
「そっか。私は5、6限が授業観察だったからまったく進んでないや」
牧野さんはそそくさとデスクに戻って実習日誌を開き始めた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
俺も日誌を書かなきゃいけないけど、このまま集中できる気もしない。
顔でも洗ってこようと準備室の戸を開けると、
「おぉ、びっくりした」
「寺島先生。会議終わったんですか?」
ちょうど寺島先生が戻ってきたタイミングだった。
「そそ。伊藤先生は帰るのかな? 日誌は出しといてくれた?」
「いえ、ちょっとトイレに」
「そか。ずっと準備室にいると息も詰まるだろうしね。まだ初日だし、私もまだいるから、外の空気でも吸ってきたら? グラウンドじゃ部活とかもやってるし。どっかのOBとかなら見に行ってきてもいいよ?」
「そうですか? じゃぁお言葉に甘えて……10分ほどで戻りますので」
渡りに船だ。コーヒーでも買ってきて気分転換でもしよう。
寺島先生の脇を抜けて、馴染みのある廊下を歩いてトイレに向かう。
「催眠術……」
思わずボソッと呟く。
牧野さんが俺の声と言葉によって、無防備に寝顔を晒す。異性である俺がすぐ近くにいるのにも関わらずだ。
それを見て、俺は暗い興奮を覚えていた。
今日は牧野さんから借りたスクリプトだったけど、もし自分で催眠を掛けられるようになったなら……他人を思い通りにできるのなら……
「最高に充実した教育実習になるのかも……しれない……」
夕日が差し込み始めた廊下で、ひとり呟いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それからだ。
その夜に牧野さんから催眠術のサイトを教えてもらって、翌日に本を借りた。
それから授業準備やら実習関連の時間以外はすべて催眠術の勉強に充てた。
本業についでも、週末にもなれば教育実習そのものに少しずつ慣れてくる。
「お疲れ様ー、そろそろ実習にも慣れてきたかな?」
「たぶん少し慣れてきたと思います」
「最初よりかはだいぶ慣れてきたかと」
実習期間の三分の一が終わる、最初の金曜日。
「今日までは授業観察だけだったけど、来週からは実際に授業があるんだから。週末はゆっくり休んでリフレッシュしないとダメだよ」
「分かってます……」
「でも教材研究が……」
実習だけであっぷあっぷ寸前の状態なのに、そこに催眠術の勉強まで捻じ込んでるんだ、疲労困憊も極まっていた。実習以外のことに手を付けてるから完全に自己責任なんだけど……
「そこまで心配しないでいいって。二人とも指導案も授業計画も問題なさそうだから、しっかり休息を取って備えてね。日誌は月曜に出すのでもいいし、今日はもう帰ってもいいから、週末くらいゆっくりしなさいね」
寺島先生が気を遣ってくれる。
この一週間、日誌を書いたり教材研究をしたりと、放課後も残っている時間は長かった。
一度牧野さんと顔を合わせる。表情ですべてを理解できるほどの仲ではないけど、それでも『お言葉に甘えよう』という感情は伝わってきた。
「では、お言葉に甘えて。日誌は月曜の朝に提出します」
「私もそうさせてもらいますね」
「そうしなさい。実習生同士で飲みに行くのもいいんじゃない? 話したいこともいっぱいあるでしょう。駅前にできた個室居酒屋、安いしそこそこ美味しいしオススメだよ。君らが卒業した後にできたから行ったことないだろうし」
学校までの道を思い出しながら、あの店かと思い出す。確かに現役時代にはなかった店だ。
飲みに行くのは時間的にはちょっと早いかもしれないけど、それはそれで満席だったり狭い個室に通されたり、ってこともないだろう。
「他の実習生にも声掛けて行ってみる?」
「ん、いいね。せっかくなら皆で行きたいしね」
実習生同士グチりあったり情報共有したりというのはストレスや不安の解消になるだろう。個室居酒屋なら周りの目の心配もないし最適だ。
「うんうん、仲良きことは美しきかな。忘れ物はないようにね。土日まで学校に忘れ物取り来たくないでしょう?」
ノートパソコンも教科書も指導書もすべて持った、忘れ物はないなとデスクの上を改めて確認。
「ではお先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。来週もよろしくお願いします」
「はいはーい。飲み過ぎないようにねー」
準備室に残る寺島先生に深々と頭を下げてから、扉を閉める。
「それじゃ俺は教室棟と体育館の準備室を回って声かけてくるから、牧野さんは教員棟の方を頼める?」
実習生用のMineグループは作ってあるが、学校にいる間はスマホを見ないよう指導されている。実際は使ってるかもしれないが、みんなが気付いてくれるとは思えない。
「わかった。じゃぁ職員用玄関集合でいい?」
「おっけ。じゃぁ後で」
牧野さんと一度分かれて他の実習生がいるであろう準備室に向かう。
「まずは美術科からかな」
校舎の地図を脳内で広げながら、教室棟への渡り廊下に向かった。
そして10分後。
「あれ、牧野さんだけ?」
「うん……私たちと同じように今日は早く帰ったか、まだ準備が終わってなくて帰れる目途が立ってないから……って遠慮されちゃった」
「実は俺も同じ感じで……高田さんと尾崎さんはもう帰っちゃってたし、町村さんはまだ残るって」
同じ強化で実習生が2人以上いるのは俺ら国語科だけだ。他の科目の実習生は別の実習生と話すことは多くない。自分の仕事が終わったらさっさと帰るのが普通だ。
「どうする? 解散にしようか?」
「んー……俺はもう『夕飯要らない』って連絡しちゃったからなぁ。独りでもちょっと行ってみようかなって思ってる」
「……実は私も」
二人とも大学では独り暮らしだけど、地元の母校に実習に来ているうちは実家から通っている。
「行くか。寺島先生に勧めて貰ったんだし」
「そうだね。安くて美味しいなら気になるしね」
牧野さんと二人で駅に続く道を歩く。
『昔はこういうことあったね』やら『あの先生は変わんないね』なんて他愛のない雑談をしながら十数分歩いたら、件の居酒屋に到着する。
予想してたよりも賑わってたけどまだ席は空いていて、4人用の個室に通される。2人だけだからだいぶゆったりとした空間だ。
ドリンクだけ先に注文して、上着を脱いで軽く一息つく。そして間もなくドリンクが運ばれてくる。
「「乾杯」」
カラン、とグラスをぶつけて軽く喉を潤す。
「来週から授業実習だね」
「だねぇ……伊藤くん、自信は?」
「まったく。だけどもう開き直ったというか……なるようになるさ、って感じで行くよ」
「あはは……でも私もおんなじ感じ」
笑い合いながらタブレットでフードを注文する。
確かに寺島先生の言う通りお手頃価格だ。いろいろ注文したくなってしまう。
思い出話に花を咲かせたり、お互いの大学の話をしながら飯をちまちま摘んでいく。
「そういえばさ、貸してた催眠術の本、どうなった?」
そんな中、牧野さんが話を振ってくる。
「今持ってきてるよ。返した方がいいかな」
「ううん。実習終了までに返してくれればそれでいいんだけど、催眠術の勉強してるのかなってふと気になって」
「それなりに、ってところかな」
「実習中なのに余裕だね?」
「ま、まぁ……来週のコマ分の教材用意はできてるし……」
「別に責めてるわけじゃないんだけどね。ただそこまで興味持ってくれてるのが意外で」
「それもまぁいろいろあってね……」
牧野さんに催眠をかけたあの時に『人を操るという快感と可能性に目覚めた』なんて理由、まさか本人にその理由を言えるハズもない。
「もしよかったら……上達してるか知りたいから、催眠をかけさせてもらえないかな?」
「えっ? それは嬉しいけど……原稿持ってきてないよ?」
「それは大丈夫。もう自分で組み立てられるから」
「伊藤くんって結構要領いいんだね」
男というのは自分の欲望に素直なものだ。それであればいくらでも勉強するし、覚えられる。それが三大欲求である性欲にに直結するものならなおさらだ。
……なーんてこれも本人に言えるハズはないのだけれど。
「じゃぁお願いできるかな?」
ここは個室居酒屋だから、周りの目は気にならない。他人の声や音こそ聞こえてくるが、気になるほどの大声で騒いでいる人はいない。
以前やったように彼女の後ろに回ることはできないから、彼女の隣に座らせてもらう。もともと4人用の個室だから狭さは気にならない。
「それじゃぁまず、軽く目を閉じて、背もたれに体重を預けて、楽な体勢で聞いてて。でもちゃんと聞くことを意識しないでも大丈夫。ぼーっと聞き流すだけでオーケーだから。ます俺の声に合わせてゆっくり深呼吸してみよう。大きく息を吸って……吐いて……もう一度、吸って……吐いて……――
――そのまま、ぼーっとしたまま、その心地よさに身を預けていましょう」
ここまでで一段階。前やってた時とほとんど同じ導入、誘導、そして深化。そして前と同じく、小さく呼吸するだけの牧野さん。
前は場所も状況も、そしてなにより俺が催眠を知らなかったこともあって、これ以上のことはしなかった。
だけど今は違う。これより先に進むこともできる。いや、進むんだ。
「全身の力が抜けてリラックスしている、心地よい催眠の世界。貴女はこの気持ちよさに浸って、もうなにも気にならない。この気持ちよさに邪魔が入るのは嫌だから、他の感覚を全部カットしてしまおう。もう俺の声以外はなにも聞こえない。そしてなにをされても気にならない。いや、なにをされても感じない。この気持ちよさ以外のことを感じる必要なんてない。ただその気持ちよさに浸っていましょう。俺が3つ(みっつ)数えて指を鳴らすと、なにも聞こえず、なにも感じず、ただ心地よいだけになる。さん、にー、いち、ゼロ」
パチン、と指を鳴らす。
今回の彼女は背もたれと壁に身体を預け、前回のように俯くのではなく天井を仰ぐようにして脱力しているから表情はよく見える。
指を鳴らしたところで、表だって見える反応はない。
「……これでもう、大丈夫だよな」
彼女に聞こえないくらいの小さな声で呟く。
ごくり、と生唾を飲み込む。恐る恐る、彼女のスカートスーツの上からふとももに触れる。
反応はない。
そのままふとももを撫でてみる。
これも反応はない。
そしてスカートスーツの裾から手を入れて、ストッキングの上から内ももをなぞる。
やっぱり反応はない。
そして最後に、彼女の胸を、スーツの上から優しく触る。
普通であれば、足よりも拒絶の反応を示す場所のはずだ。
……それでも反応はない。
「やったっ」
思わず小さくガッツポーズする。胸を触っても反応がないんだ。自分の催眠はこれで正しかったのだと確信する。
そのまま、牧野さんの胸を揉んでみる。
牧野さんの胸は決して巨乳という大きさではない。それでもつい目が行くような大きさはある。ブラに包まれてている部分は硬いが、それに包まれていない部分はスーツの上からでも柔らかさがハッキリわかる。胸を押し込む指を素直に受け入れて沈んでいく。
もっと行ける。この催眠で、もっと先のこともできる。
「ふかーいところで気持ちよくなっているけれど、一度戻って来ましょう。でも俺の言葉を聞いていれば、またこの心地いい催眠の世界に堕ちることができますよ。そして貴女は目が醒めた後、ここまで気持ちいい世界に連れて行ってくれた相手の言うことを必ず聞いてしまう。どんな内容であっても、この催眠状態の気持ちよさとは比べ物にならない。だからどんな内容でも笑顔で受け入れてしまいましょう。みっつ数えて手を叩いたら、気持ちよく、スッキリと目が醒めますよ。ひとつ、ふたつ、みっつ!」
パン、と手を叩く。
「おはよう、牧野さん」
「んんっ……また寝ちゃってた……?」
「寝てたというより、たぶん催眠にかかってたと思うよ」
「そっかぁ……。ん~っ!」
ひとつ伸びをして一息つく牧野さん。
とりあえず元の席に戻って向かい合う。
「ホントに原稿無くてもできるようになってたんだね」
「まぁそれなりには読み込んだからね」
「でも実習中の空き時間の勉強でここまで覚えるなんて、やっぱりセンスあると思う。伊藤くんには」
「そうかな?」
他愛のない雑談に入ってしまう前に、暗示がしっかり入っているか確認していこう。
まずは簡単なものから……
「牧野さん、電話番号を教えてもらうことってできる?」
「電話番号? スマホの? 別にいいよ?」
彼女はスマホをポチポチと弄る。
「Mineで送っておいたよ」
「ありがとう。あと住所も教えてくれる? 実家じゃなくて独り暮らししてる方の」
「住所? いいけど悪用だけはしないでよ?」
一言注意はされたけど、嫌だという顔はしていない。
ただの同級生、ただの実習生仲間に対して二つ返事で住所を教えるなんて普通ないだろう。女性の独り暮らしともすれば猶更だ。
だけども、
「……っと。はい、Mineで送っといたよ」
抵抗なく教えてもらえる。
ここまで来たら催眠の効果はまず大丈夫なんだろうけど、最後の確認をする。
「ふと気になったんだけどさ」
「ん? なにかな」
「牧野さんの今日の下着の色って何色?」
議論の余地さえないセクハラ。平時だったら突っぱねられてお終いの話題。
お互い高校生の頃ならまだしも、成人して実習生とはいえ教師という立場。これが知られれば即座に実習中止、大学に送り返され教職課程からも降ろされるだろう。それでも『お酒のせい』なんて言い訳もできなくもないが、問題になるのは避けられない。
しかし、
「んーとねぇ……」
彼女はシャツのボタンを少し外し、自分の胸に視線を落とす。
「今日は青だね」
そして嫌がりもせず、怒りも呆れもせず、いつも通りの表情で教えてくれる。
その反応に、俺はふたつの確信を得る。催眠をしっかりかけることができたという確信と、今の牧野さんは俺の言うことにちゃんと従ってくれるという確信。
「直接見せてもらうことってできる?」
「えっ? 下着を?」
「そう」
さらに要求をエスカレートさせる。
「んー……ちょっと恥ずかしいけど……」
少し顔を赤くしながらも、ジャケットとシャツのボタンを一気に外し、胸をはだけさせて対面に座っている俺に見せてくれる。
さっき触ったばかりの柔らかい胸を包んでいたのは、青いレースがあしらわれたブラ。派手さはない、シンプルで清楚なもの。
見せてくれたそのブラに釘付けになってしまっている俺をよそに、今度は両手をテーブルの下に入れてもぞもぞと動かし始める。
「何してるの?」
「え? だって下着を見たいっていうから……」
まさかと思いテーブルの下を覗き込む。
『下着を見たい』とお願いした牧野さんは、スカートスーツを脱いでくれていた。
膝まで降ろされると、反対の席の俺からでもブラとセットだったのだろう青のショーツがよく見える。
「これでいいかな……?」
恥ずかしさでか、ちょっとはにかみながら確認を取ってくる。
最初の『下着を見たい』という欲求は満たされた。
でも同時に、新しい欲求が生まれていた。この居酒屋の中での異常な状況に興奮してしまっていた。
俺の下半身は、狭く窮屈なスーツの中で痛いくらいに自己主張している。
この居酒屋は掘り炬燵式の個室だ。テーブルは固定式で動かせないから、二人で抱き合ったり……というのはスペース的に厳しい。
しかしテーブルの下には空間があり、かつ意識しない限り視界に入らない。もし唐突に店員が来ても気付かれにくいだろう。
「あのさ、牧野さん。牧野さんのその下着を見てたら興奮しちゃってさ……フェラで落ち着かせてくれないかな?」
「え? フェ……ラ……?」
彼女の表情に驚きと戸惑いが見える。
これはさすがにマズったか……?
「んー……まぁリラックスさせてくれたお礼もしないとね。でもこんな場所で?」
首を傾げながら聞いてくるが、フェラそのものはすんなり受け入れてくれた。
確信はより強固になり、それは自信に変わっていく。
「テーブルの下からなら、覗き込まれない限り見つからないし大丈夫だよ」
「それもそうね。じゃぁズボンを脱いでくれるかな?」
俺の提案に疑問を挟むこともなく、牧野さんはテーブルの下に潜り込んで、俺の股の間から顔を覗かせる。
俺は興奮でテーブルに手をぶつけながらもズボンとパンツを脱いで、すでにいきり立ったそれを彼女の眼前に晒す。
「こんなに興奮しちゃってたんだ……それじゃぁ失礼して、あむっ」
そして彼女は躊躇なく、いきり立った俺のモノを咥え込む。
暖かくて柔らかく、気持ちのいい滑りに包まれて思わず声が漏れてしまう。
キスさえしたことのない俺にとって、初めて感じる女性の咥内。しかもち〇こで、である。
牧野さんは少し咥えた後、一度口を離して、
「私、こういうの初めてだから、痛かったりしたら言ってね」
と一言だけ言ってから、また咥える。
初めて感じる女性の咥内の気持ちよさ、こんな場所でフェラをさせているという背徳感、他人を操っているという全能感。
それらがもたらす快感にもう耐えられない。俺はすぐに限界に達してしまった。
「牧野さん、ごめん、もう出る……っ!」
「ふぇ……んんっ!?」
彼女の口の中に白い精液を思い切り吐き出す。
何度か小さくモノ震えて、溜まっていたものをすべて吐き出した後、彼女の口から引き抜いた。
「ごめん、全部飲んでくれるかな?」
「ん……んっ」
ここで溢されると困るので全部飲むようにお願いする。
彼女はちょっと苦しそうにしながらも、口の中のモノを飲み干してくれた。
「あの……伊藤くん、何か飲み物貰えるかな? 口の中がイガイガする……」
「あ、うん。わかった」
テーブルの下で少し顔をしかめてる彼女にウーロン茶を渡す。
グラスの三分の一くらい残ってたウーロン茶を一息に飲み干した後、
「スッキリしてくれた?」
にっこり笑って聞いてくる。
その顔で、ゾクッ、と、どす黒い快感が背筋を走る。
もっといろんな催眠を試したい。
もっといろんな相手に催眠をかけたい。
そして、もっといろんな相手を支配したい。
今の俺は、もうそれしか考えられなった。
今日この場所でこれ以上のことは難しい。なにせただの個室居酒屋だ。
牧野さんを催眠を解かないまま、俺のお願いを断れない状態のままで、明日の彼女の予定を確保させてもらう。
『一緒にラブホに行く』なんていう荒唐無稽な申し出も、嫌な顔せず受け入れてくれた。
さらに「また俺に催眠を掛けてもらうのが楽しみになる」「俺に肩を掴まれて数字を数えられると催眠状態になる」という、トリガーなんて呼ばれる催眠を解いた後も残り続ける暗示を仕込んで、また楽しく飲んで食べて解散した。
そして翌日、昨日建てた予定のとおりにホテルに入ってまた彼女を催眠に堕とした後、もっといろいろ試させてもらった。なにができるのかという実験と、どういう方法であれば学校でもバレずにできるかという研究を兼ねて。
ただの水がジュースになるのから始まり、動けなくなる、その上意識もなくなってマネキンになる、今度は意識を戻すけど俺のことが好きで仕方なくなる、そしてセックス、催眠で感度を上げたセックスへと、一通りのものをやってみた。ついでに童貞も卒業した。
催眠で牧野さんもリラックスできて、おまけにセックスで気持ちよくなれて、俺も催眠の練習ができて、ついでにセックスで気持ちよくなれて。お互いWin-Winだろう。
それでもお互いに教育実習中。夜には和気藹々と飯を食って解散して、俺は来週以降の実習の準備にかかる。
牧野さんには今日のことを「これらはすべて催眠だから、最初に提案した自分から申し込んだこと」「とても楽しかった」「いたって普通の休日の楽しみ方で、何も気にしない」と思ってもらうことにした。
土日両日はさすがに遊んではいられない。いろいろ準備をしなければいけない。
授業準備ももちろんだが、これからどうやって催眠で楽しんでいくかという準備もだ。
俺は催眠について書いてある論文を探しながら、催眠の電子書籍をいろいろカートに突っ込んでいた。
<続く>