【実習6日目 被験者:尾崎渚さん(実習生)】
「失礼します、尾崎先生はいらっしゃいますか?」
「はい、どうか――って伊藤くん。あ、今日の授業のこと?」
「そう。今時間あるかな?」
「大丈夫。ほんのさっき日誌書き終わったところだから」
授業実習が始まった二週目。俺は音楽科準備室を訪ねていた。
目的の相手は奥にあるデスクで日誌を開いていた。音楽科実習生の尾崎渚さん。
授業実習が始まったのは俺だけじゃない。そして実習生はお互いの授業を参考に見学する。そして見学された側はした側に意見を求めたり、感想を貰ったりして次の授業に生かすのだ。
今日は尾崎さんの授業を見学させてもらって、そのフィードバックのために音楽準備室まで足を延ばした。
「そこらにある椅子に座っていいよ」
「そう? じゃぁこれ使うね」
準備室の隅にある椅子を持ってきて、尾崎さんと向かい合う。
「よし、感じたこと全部教えて。遠慮も何もいらないから」
彼女はメモの用意をして準備完了。俺はメモ帳に書いてあることを読み始めた。
――っと、だいたいこんな感じかな」
「なるほどね……っと。以上?」
尾崎さんは小さいけど綺麗な字で俺からの感想を書きながら聞いてくる。
「うん、以上。……というか言い訳じみてて申し訳ないんだけど、俺の芸術選択は音楽じゃなかったから実技については大雑把だったかも」
「ううん、十分参考になるよ。伊藤くんは書道選択?」
「いや美術だった。だから音楽室に入ったのさえ今日が初めてだったよ」
だから物珍しさでつい準備室の中をきょろきょろと見まわしてしまう。
この学校の吹奏楽部は毎年のように『祝・吹奏楽部全国大会出場』と垂れ幕が垂れる、全国大会常連の強豪。
準備室にはよく手入れされた楽器が秩序をもって保管されていて、日光に当たるとよくないのかまだ明るいのに遮光カーテンが閉められ、部屋の中も薄暗い。
「そんなに珍しい?」
「一般人は日常生活でトランペットやチューバに触れないからなぁ。尾崎さんは音楽関連の大学なの?」
「そう、音大。トロンボーンやってるんだ。昔っから好きなんだよねぇ」
「えっと……こういうやつだっけ」
片手を伸ばしたり引いたり、というジェスチャーしながらうろ覚えながらトロンボーンの真似をする。
尾崎さんはクスリと笑いながら、「そうそう、そういうやつ」と頷いてくれた。
準備室には金管楽器だけじゃなくバイオリン、シンバル、木琴、鉄琴といった高そうな楽器が山ほどあってそっちにも興味が尽きないけれど……
「あの……部屋? はなに?」
準備室から廊下へ続く扉と、音楽室へ続く扉。そしてもうひとつ、どこに繋がってるか分からない扉がある。
脳内で校舎図を広げても、どこに繋がっているか分からない部屋が……
「ん? 防音室あるの知らない?」
「防音室?」
「そ。入ってみる?」
「いいの?」
「いいよ。生徒ならちょっと許可がいるけど、私たちなら問題ないでしょう」
「そう? なら遠慮なく……」
俺は尾崎さんと一緒に防音室に入らせてもらう。
「……思ったより広いね」
「まぁね。大きめの楽器の音を録ったりするからねー。ティンパニとか」
尾崎さんが防音室の扉を閉めると、外の音は何も聞こえなくなる。俺と尾崎さんの足音だけだ。無音になると静かすぎて変な耳鳴りまでしてる気がする。
「収録している間に誰か入って来たりしないの?」
「部屋の電気をつけてると、外で『使用中』ってランプがつくから大丈夫」
そうなのか……そのランプにすら気付かなかった。
防音室はスタジオというか、ラジオの収録室みたいな感じ。
マイクが数台と、どう使うのか想像もできないようなパネルがいくつも。
使い方も使うタイミングも全く分からないけど、ボタンやスライドバーがいくつも並んでいる。こういうのが格好よく見えてしまうのは男子の本能だろうか。
そして、外界と遮断されたような個室で女性と二人きり。別の男子の本能も湧き上がってきてしまう。
「静かでいいね……落ち着きそう」
「でも静かすぎるとかえって落ち着かなくない?」
「あー……それはあるかも。ちょっと話は変わるんだけどさ、少し前に牧野さんから自分でリラックスできる方法を教えてもらったんだよ。静かな場所じゃないとできないから最適な感じがして」
「マキが? それならちょっと興味あるかも」
「マキ? 牧野さんのこと? そんなに仲いいんだっけ?」
「そりゃね。三年間同じクラスだったし。というかマキも私も吹奏楽部だったしね」
「そうだったんだ」
ちょっと前に部活を見に行く……って言ってた時はここに来てたんだろうか。
「ちょっとやってみたいかも。伊藤くんも見てたと思うけど、教卓に立ったとき緊張でガチガチだったから、試せるものは全部試したいや。なにか必要なものとかあるの?」
やっぱり考えることはみな同じ。でもそれはとても好都合。
「特に何も。椅子くらいかな。……あ、せっかくだしメトロノームを借りていい?」
「メトロノーム?」
「そう。使っても大丈夫?」
「メトロノームくらいなら別にいいけど……ちょっと待っててね」
尾崎さんは防音室から出て、パイプ椅子を2脚とメトロノームをもって戻ってきて、それを向かい合わせに広げる。
俺はメトロノームを受け取って、
「あれ、伊藤くんは座らないの?」
「俺の分まで椅子を持ってきてくれたのに申し訳ないけど、俺は立ったままで。尾崎さんはそのまま座っててね。苦しくない程度に首元は緩めといて」
目の前の椅子にメトロノームを置いて、尾崎さんの後ろに回る。そして彼女の肩を掴む、とまで行かないくらいに手をのせる。
メトロノームは左右に振れながら、カチ、カチ、と規則的に音を刻む。防音室の中にそれ以外の音はない。
「牧野さんに教えてもらったやつだし、俺も実際にやってみたから効果はあるよ」
かかれなかったけどね。
「そ? ならちょっとだけ期待しておこうかな」
催眠というのは基本的には『思い込み』だ。ならまず『思い込む』くらいに催眠のことを信じさせなければならない。
今回は催眠という概念は後出しにするけれど、これからやる行為は牧野さんのお墨付き、ということになる。すでに信頼関係にある相手からの紹介であれば、これからやることを受け入れやすくなるだろう。
「それじゃ始めようか。軽く目を閉じて、一度大きく深呼吸してみよう。大きく吸ってー……吐いてー……」
規則正しいカチ、カチ、という音の中にすぅ……はぁ……という吐息。両方ぴったり四拍分。
「じゃぁかるーく目を開けて。そのままメトロノームをぼーっと見ててね」
尾崎さんの背に立っているから、実際に見ているかどうかは分からないけど、見ていると信じて話を進めることにする。
メトロノームの音に乗せながら誘導を始める。
「カチ……カチ……と右に、左に、振れるメトロノームをぼーっと見ていると……すこーしずつ、すこーしずつ身体が左右に揺れてくる。ほら、右に、左に、身体が揺れる。メトロノームと一緒に、身体が揺れる」
最初だけ少し手伝いをする。両肩に乗せている手を、ほんの少しだけ右に、左にと動かす。
俺が動かしているんだと気づかれないくらい優しく。だけど尾崎さんが『身体が動いている』と認識してくらいの強さで。
二度三度と左右を往復すると、小さくだけれど、こっちの誘導がなくても身体が左右に揺れ始める。
「小さく揺れたら、その揺れが少しずつ大きくなっていく」
最初に俺が動かしていた以上に、尾崎さんの身体がもっと大きく揺れていく。いい調子だ。
「右に、左に、揺れていくメトロノームと同じように、貴方の身体は左右に揺れる。いいえ、貴方はメトロノームなんです。左右に、同じリズムで、カチ、カチと揺れるメトロノーム。左右に揺れるたび、貴方の頭から、思考も意識も抜けていく。カチ、カチ、と揺れるメトロノーム。そんな揺れるものなんてメトロノーム以外にありませんもんね。右に揺れて、意識がどこかに飛んでいく。左に揺れて、思考がどこかに消えていく」
後ろに立ってるから彼女の表情は見えない。ただ左右に、ゆっくり揺れるだけ。メトロノームの音に合わせて、尾崎さんの身体も揺れる。
そのまましばらく音を聞いてから、正面に回って、彼女の顔を確認する。
目は完全に閉じて、口は力なく、小さく開いている。
そろそろ次のステップに移ってもよさそうだ。
「でもよく考えてください? 貴方はメトロノームなんかじゃありませんよね?」
俺の声に反応はなく、身体を左右に揺らしながら次の言葉を待っている。
「そもそも、メトロノームの目の前にメトロノームなんて置きませんものね。メトロノームの目の前にあるのは、楽器。貴方はメトロノームなんかじゃなく――」
俺は一瞬だけ迷ってから、
「――貴方はハープです。指先で爪弾かれると、綺麗な音を奏でる弦楽器」
ハープを選んだ。
指先で弦を弾いて音楽を奏でる、やや大きな弦楽器。
そもそも、催眠術で相手の知らないモノに相手を変えることはできない。その暗示が入らないだけならまだしも、それが引っかかって催眠が解けてしまう可能性さえある。
音楽に全く興味のない人なら、ハープという楽器にピンと来ない可能性もあり得る。でも吹奏楽部に所属している尾崎さんなら何も問題ないだろう。
「メトロノームと違って、ハープは左右に揺れたりしませんよね? ハープの貴女は、左右に揺れたりしません。揺れが少しずつ収まって、完全に揺れが収まった時、貴女は完全にハープになる。メトロノームのような道具と違って、ハープは貴女の大好きな楽器。貴女も大好きな楽器になれて幸せですもんね」
そして少しずつ尾崎さんの揺れが収まって、動かなくなる。
衣擦れの音も消えて、ただ、カチ、カチというメトロノームの音が、反響することなく防音室に響く。
「でも楽器は布に包まれたままじゃいい音は出せませんよね。保管してる時はいいけど、演奏するときに布がかけられていたら邪魔なだけ。貴女が身に纏っている邪魔な布はすべて脱いでしまいましょう」
そう指示すると、尾崎さんはゆっくり立ち上がって、ジャケットから一枚ずつゆっくり脱いで、ぱさり、と静かな音と一緒に床に落ちる。そのまま緩慢な動きでシャツに手をかける。
意識がないから、その動きに抵抗も躊躇もない。けどいかんせんゆっくり過ぎる。
ちょっと辛抱できなくなって、思わず急かしてしまう。
「自分は素晴らしい楽器なのに、余計な布があっていい音が出せないのが嫌で仕方ない。気持ち悪くて嫌で邪魔で仕方ない。ほら早く脱ぎ捨ててしまおう」
そう急かすと、無表情だった尾崎さんは眉をしかめて、実習中ずっと着ていたジャケットもシャツも、さらにその中のブラもパンツも、なにかで汚された汚い服のように、もう一秒たりとも着用していたくないとすべて乱暴に脱ぎ捨ててくれる。
「ほら、邪魔な布を全部取ったから、きれいな音を出せるようになってとっても幸せ。最高に晴れた清々しい気持ち」
自分の裸体を探してから、恍惚とした表情で棒立ちする尾崎さん。楽器である自分にとって、邪魔な布を取り払ったことが気持ちよくて仕方ない、という感じだ。
尾崎さんのおっぱいはやや小ぶりで、いわゆる手のひらサイズ。吹奏楽部は実質運動部なんてどこかで聞いたことがあるけれど、そのせいか身体全体が引き締まっていてとてもスタイルがいい。白い陶器のような肌も合わさって、本当にひとつの芸術品、美しい楽器のようだった。
「さて、ハープの貴女がこの防音室にいる理由は、調律をするため。目の前にいる男性は、世界一の腕を持つ調律師です。これから貴女の身体を調律していきます。貴女はハープですから、身体を触られると、勝手に声が出てしまうのは当然です」
俺はだらんと垂れている尾崎さんの腕を指先でつつーっとなぞる。彼女はそれに答えて、「ポロロン」と『鳴っ』た。
「私に触られると、どんどんいい『音』が出るようになっていく。楽器の貴女は、いい音が出せるととっても幸せ。とってもいい気分になりますよ」
腕に続いて、肩、ふくらはぎ、内もも、そしておなかと触っていっても、『楽器』からは一切の抵抗がない。むしろ最初の無機質な『音』から、少しずつ声が弾んで、楽しそうな『音』になっている。
この楽しそうになっていくのが、彼女なりの『調律が進んでいる』ことの表現なんだろう。
「でも、貴女はハープですけれど、普通のハープじゃありません。特別な材料を使ったハープです。そのハープは女性の身体でできています」
人体を使った楽器というとちょっと猟奇的に聞こえるかもしれないけど、そこはスルーだ。気にしちゃいけない。
「だから、普通のハープとは違う、女性の身体のような音が出るんです。そして調律されて調子がよくなると、音を鳴らすのが楽しくて、気持ちよくなって、興奮しちゃいますよね」
少しだけ膨らんでいる彼女の乳首を、指先でピン、と弾く。
「あんっ」
その弾き方に、これまでとは明確に違う反応が返ってきた。音じゃなくて人間の声での反応になる。
後ろに回って彼女の胸に手を伸ばす。そして胸を揉みながら、耳元で囁いて暗示を重ねていく。
「今貴女を引いているのは、世界一の調律師。だからこれまでで一番いい音が出るようになる。これまで経験したことのない、気持ちいい音が出る。貴女は楽器だから、与えられる刺激に反応して、かならず声が出てしまう」
尾崎さんの手の平全体で揉みしだいたり、乳首を指の腹でこねたり、爪先でひっかいたり、立ってきたら指で挟んで摘んだり……と、刺激の種類を変えながら責めていく。
「あぁ……っ……ぁ! あぁんっ!」
次第に尾崎さんの声が大きくなって、艶を増していく。白い肌も少しずつ赤らんでいって、全身が熱を帯びていってるのがわかる。
しかもこっちの指の動きに律義に反応してくれるから面白い。
指先でひっかくと、「あんっ!」と短い嬌声。勃った乳首を摘んできゅーっ、とつねってやると「あぁぁっ!」と、弾き方によって違う音で鳴り続ける。
「調律が完了したら、一番いい音が出て、最高の気持ちよさがやってきますよ」
実際のハープの調律なんてどうやるかわからないし、どれくらい時間がかかるのかも分からない。
つまり、今与えている暗示内容は、言い換えれば『尾崎さんが満足するまで』というようなもので、こっちからは制御できない。
もう少し融通の利く暗示にしておけばよかったかな、なんて思いながら、尾崎さんを『弾き』続ける。
最初こそ面白かったけど、こっちの反応にただ喘ぎ声で返すだけ、身体を震わせたり声が裏返ったりするような反応がなくてちょっと飽きてきた。
ちゃんと徹底して、『楽器として必要のない動きをせず』『気持ちいい音だけを出す』、尾崎さんの催眠の入り込み具合が凄いのか。
「あぁぁっ、あぁぁぁあああん!」
もう少し弄ってやってると、一際大きな声を出して尾崎さんの身体が震えた。これが彼女にとっての、調律の終わりの合図かな。
ということは、
「調律が終わったハープだから、弾かれるとずっとその一番気持ちいい音が出るよね」
そう付け加えてから、もう一度尾崎さんの乳首をカリッ、とひっかいてやる。
「あぁぁっ!」
甲高い声を出してまた身体が震えた。
もう調律は終わっているはずなのに、さっきよりもまた声が高くなっている気がした。
これはこれで楽しいかも。
さっきみたいに、刺激に声で反応するだけじゃなく、身体も震えて反応する。
腰も足もガクガクと震えているので、いったん椅子に座らせる。快感で失神して崩れたりしたらケガの危険がある。
座らせて余計な心配をしなくなってよくなったところで、もっといろいろ試し始める。
乳首を弄るだけじゃなく、手のひらサイズのおっぱい全体を揉んでみる。
「ひゃぁぁっ!」
身体を震わせながら嬌声を上げる。でもその声はさっきまでと違う。
これはやっぱり『弾き方で音色が変わる』ということの現れだろう。
そのまま、おっぱいだけじゃなく、内ももを撫でたり、耳に息を吹きかけたり、そして秘部に指を入れてナカを弄ってみたりと、いろいろと試してみたがそのすべてが声が違う。
そしてその度に、ガクガクと身体を震わせて、大きな嬌声を響かせる。
『調律が完了』するまでは動くこともなかったのに、今はずっと痙攣しっぱなし。快感が『自分が楽器である』ことを徹底できなくなるほど強烈みたいだ。
「喘ぎ声ってこんなレパートリーがあったのか……」
声の高さとわずかな発音の違いの組み合わせで、ここまでいろんな『音色』をひとりで出せるのか。楽器に思い入れがある尾崎さんだから、ってのもあるのだろうけど。
触られる度にイっちゃって、座っているままなのに膝はずっと震えて、椅子に水たまりができてしまうくらい愛液が漏れ出ている。
牧野さんも吹奏楽部だったんだっけ。同じ催眠をかけてセッションとかさせてみたらそれもそれで楽しそう。
それに防音室なら、彼女の『音色』をかなりいい音質で録音できたんじゃないだろうか。
「ちょっともったいないコトしたなぁ……」
防音室があるということさえ知らなかったけど、ちょっともったいない。次は録音方法とか聞いてから遊ばせてもらおうかな。
「そろそろ切り上げた方がいいかな」
もっと尾崎さんで遊んでいたいけど、俺のアレもめっちゃ勃っちゃってるけど、あまり長居しすぎるのはリスクを伴う。学校でこんなことしてるのがバレるのは避けたいし、防音室は中でやってることが観測されない、いわゆる『安全地帯』であるのと同時に、外を観測できないという危険がある。
尾崎さんを催眠に堕として、適性があるってわかっただけで今は十分にしよう。
「無事に調律が終わった貴女は、とっても幸せな気持ち。とーっても幸せな気持ちのまま、私の声が貴方の頭の中に響いていく。そういえば、貴女ってハープでしたっけ? いいえ、違いますよね。貴女は人間。だから身体を触られても、音が鳴ることはありません。楽器になることもないんですから、もちろん楽器だったときの記憶もあるわけありませんよね。そして楽器は服を着ないけど、人間は服を着るのが普通です。貴女の服を着なおしましょうね」
そう指示すると、ゆっくりとした動きで足元に脱ぎっぱなしになっていた服を着始める。無表情のまま、まだ太ももに伝ったままの愛液をパンツが吸うことも気にせずに。
そして着終わったら、立ったままで静止した。
「それでは、みっつ数えたら、とっても気持ちいい、すっきりとした気持ちで目が醒めます。でも立ち上がってることも、服が少し乱れてることも、下着が汚れてることも気になりません。もちろん貴女は人間ですので、楽器になっていたこともありません。当然そんな記憶もありませんよね。さぁ、気持ちよく目が醒めますよ。ひとつ、ふたつ、みっつ!」
彼女の目の前でパチン、と手を叩く。
尾崎さんは一度目をギュッと閉じてから、開かれたその瞳にはちゃんと光が灯っていた。
「あれ、私……? なにしてたんだっけ……?」
「リラックス運動、って話してたの覚えてないかな。途中で寝ちゃってたんだけど」
「そう……だっけ? ……あ、そういえばそんな話してたね。牧野さんから教えてもらったって言ってたもんね」
催眠の話も、その理由と動機も覚えてるのに、間のことは全く覚えてない。この通常あり得ない状態を起こせるというのが何度やっても面白い。
「気分が悪くなったりしてない? 大丈夫?」
「うーん……そうね、前よりスッキリしてるかも。寝起きなのに妙に頭が冴えてるっていうか……」
「ならよかった。効果があったんだよ、きっと」
催眠の効果は間違いなく抜群だったし、その後の『スッキリ目が醒める』もそりゃ効果あるだろう。
「それじゃ防音室で遊ぶのはこれくらいにしようか。誰か他にも使いたい人が来るかも知れないし」
「そんな頻繁に来るものなの?」
「この時期はちょいちょい、って感じかな。コンクールが近いんだよね」
危なっ。ってことはいつだれが来てもおかしくなかったのか。先に確認しておけばよかった。
尾崎さんは自分の座ってた椅子を持って防音室から出ていく。俺もそれに続いて出て、音楽準備室に戻る。
幸い、外には誰もいなかった。戸も閉まりっぱなしだし、実習日誌とかが動かされた形跡もない。誰かが来たわけではなかったようだ。
「じゃぁ俺は戻るわ。時間貰って悪かったね」
「こちらこそ。眠気も飛んだしもうちょい頑張れそう」
じゃねー、と手を振ってくれる。そんな彼女に服の、特に濡れているであろうパンツの違和感を感じるような素振りはない。
俺は軽く手を振り返してから、準備室を出る。
防音室があるということを知れたのは意外な収穫だった。しかも教師であれば誰でも使えるのなら……
「……何かに使えそうだよなぁ」
ちょっと悪巧みをしながら、茜色の陽が照らす廊下をゆっくりと歩いた。
<続く>