わたしのごしゅじんさま 第3話

第3話 ~嬉し恥ずかし初でぇと~

・Slave-01

 そっと指先にキス。
 高感度の感覚器が集中している指先は、ちゅっという音とともに、私にささやかな快感を伝えてくれる。
 左手が、右手を捧げ持つように、動いた。
 この手がご主人様の手なら、この指はご主人様の指。
 愛情を込めて、私は舌を伸ばした。右手はそのままに、頭の方を動かして指を舐め、しゃぶり、吸う。
 思い浮かべるのは、ご主人様の全て。
 柔らかい声。
 優しい笑顔。
 暖かい匂い。
 キスした時の味。
 唇の感触。
 いとおしい、全て。
 私は、とっておきの魔法の呪文のように、同じ言葉を頭の中でリフレインする。
 この手がご主人様の手なら、この指はご主人様の指。
 ぴくん。
 すると、ご主人様の指が、意思を持って動きだす。
 最初は私の胸。
 どこかおずおずと、けれど好奇心を抑え切れない様子でだんだんと大胆に、ご主人様の指に力がこもる。少し痛いし、指の跡が残ってしまいそうだけど、止めて欲しくない。

「・・・ん」

 喘ぎには至らない、ただの声が漏れる。
 でも、その温度は確実に高くなっていく。
 呼応するように、身体の芯も、少しずつ……少しずつ熱くなっていく。

「はぁ・・・ぁ・・・」

 ご主人様の指が、だんだんと下へ降りていく。焦らすかのような動きは、私の反応を伺っているからだろうか。嫌が応にも期待と焦燥感が高まっていく。ほら、脚が自然と開いて、触りやすくしてる。腰だって、早く触って欲しいと浅ましくも浮いてる。でも、こんな私でも、ご主人様にだったら見せても構わない。それどころか、いやらしい私を見て欲しいとさえ思う。

「あン・・・そこぉ・・・は、ああ・・・」

 ご主人様の指が、ショーツの下に潜り込んで、直接私の大事な場所に触れている。複雑な形をしているからだろうか、ご主人様の指の動きは愛撫というよりも確認といった感じだ。

「ンっ!」

 まるで偶然のように、ご主人様の指がクリトリスに触れた。瞬間に走り抜けた快感に、抑えようの無い喘ぎが漏れる。あとにはじん、とする疼きが残って、もっと触って欲しいような、それが怖いような矛盾した気持ちになる。

「あは・・・あ、ああ・・・」

 下半身の熱が頭の方にまで上って来て、だんだん考えるのが面倒になってくる。この感じは、アレに似ていると思う。違うのは、ぬるま湯に浸かるような気持ち良さと、先鋭化された快感っていう違いだけ。
 ご主人様の指は、私の割れ目をなぞる様にして、上下に動いている。陰唇を押し開いて感じやすい粘膜を擦る度に、身体が勝手にビクビクと動いてしまう。ご主人様に愛される喜びに、全身が敏感になっているから、愛液だってシーツを汚してしまうほど分泌されている。

「ひぅ、あ、はっ、んぅ、ご、ごしゅじんさ、あぁんっ」

 頭の中を、『幸せ』と『気持ちいい』が埋め尽くしていく。ご主人様の指の動きに翻弄されて、私はひらすら喘ぎ、悶える。これが永遠に続けばいい・・・そう願ってしまうほどの、圧倒的な快感だった。

「ひっ!」

 ちゅぷ。
 そんな音を響かせて、ご主人様の指が身体の中に入ってくる。さっきの圧倒的な快感と思っていたものが実はただの入り口と知って、私は恐れにも似た悦びに包まれた。ご主人様の指を迎え入れただけで、こんなにも深い快感を感じてしまう。それが嬉しかった。

「ご、ごしゅじんさまぁ、すごい・・・すごいのっ」

 最愛のご主人様に、悦びの声を送る。もう、何も判らなくなって、ただ快感に翻弄されるだけ。幸せに打ち震えるだけ。悦びに悶えるだけ。

「あっ、ひああっ、だめぇ・・・きちゃっ、きちゃうっ!」

 まるで、目の前で何度も爆発が起こってるみたい。その衝撃に打ちのめされるように、勝手に身体が跳ねる。

「ああああっ!」

 私は絶頂に達すると、暖かい闇へと意識が吸い込まれていった。

 ――だいすき・・・ごしゅじんさま・・・

 最後に思い浮かんだのは、その言葉だった。
 どこか苦い思いもあったのだけど、それが言葉になる前に、全てが柔らかい暗闇へと飲み込まれていった。

・Master-01

 することをしてから言うのもなんだけど。
 ぼくは、自分が普通の同じ年頃の仲間達から、酷く外れた道を歩いている事に気が付いた。ううん、気が付いて、しまった。
 もしかしたら、こんな数奇な運命だって、ぼくに見えていないだけで、普通にあったりするのかも知れない。けど、少なくともぼくは知らなかったし、それが普通とは思えない。そのくせ、いつの間にか少しずつ慣れて行ってる自分にふと気が付いて、愕然としたりするのだけど。
 つまり、綾峰さんだったりする。
 これが普通の恋愛を経由して、普通のお付き合い(その深さは人それぞれだとしても)を経験して、最後は幸せなゴールイン。もしそうなら、どんなに楽だっただろう。
 でも、ぼくと綾峰さんの間には一つの言葉が横たわってて、おかげで順風満帆なはずの進路は蛇行しまくってる、ような気がする。
 もしも・・・もしも、ぼくが綾峰さんの性癖を受け止めて、同じ趣味趣向を持てたのなら、こんなに悩まなくてもいいんだろうけど、いまだにその言葉を言われる度に、動揺しまくるぼくがいる。

「『ご主人様』、かぁ・・・」

 いまはまだ、ぼくたちの間でその事が話題にあがることは無いけど、最初の告白が告白だし、避けては通れないと思う。

 ――ぼくは、綾峰さんの全てを受け止められるんだろうか?

 ぼくは、ぼくに問い掛ける。

 ――ぼくは、どうしたいんだろうか?

 ぼくは、ぼくに問い掛ける。

 ――ぼくは、綾峰さんを幸せに出来るんだろうか?

 ぼくは、ぼくに問い掛ける。

 ・・・答えは、まだ無い。

・Master-02

 ざわざわと雑談するクラスメートの声が、半分寝ぼけた頭に心地良い。
 昨日、綾峰さんとしちゃったんだ・・・そんな興奮で夜寝られなかったぼくは、授業が始まるまでの短い時間を、ただぼんやりと過ごしてた。
 興奮は、嬉しいのが7割、動揺が3割って感じ。
 でも、これでもう逃げられないんだな、なんて思ったりもした。諦観でも、度胸が付いたと言う訳でもなく、どっか気合が入る感じ。しちゃったから『俺の女!』なんていう訳じゃないんだけど、責任を取りたいと思った。たぶん、それが逃げられないっていう事なんだと思う。

「なぁにぼけっとしてるんだよ!」

 横目で綾峰さんの姿を追いながら、ぼけらっとしていたぼくの頭を叩いたヤツがいる。当然そんなコトするのは一人だけ――春雄だ。
 ぼくは痛いってほどじゃないけど、なんとなく感触が残ってるようにジンジンとする後頭部をこしこしと擦りながら、視線を左斜め上に向けた。声の調子からも伺えるように、にやにやとにたにたの中間・・・よりはにたにたに傾いた笑みを浮かべている春雄を見上げた。

「べつに、ぼけっとなんかしてないって」

 少しむっとして答えると、春雄の笑みはさらに深くなった。つまりは完全ににたにたと、まるでお気に入りのおもちゃを見るような目で、ぼくを見てるって事なんだけど。

「・・・綾峰さん」

 突然のぼそりと呟いた春雄の言葉に、ぼくの身体の不随意筋が勝手に反応した。思わずビクンっと硬くなるぼくを見て、春雄はふふふふふ・・・なんて悪役風に笑う。

「・・・昨日の放課後」

 ビクビクビクン!と身体が震える。まさかとは思うけど、春雄はぼくが綾峰さんと・・・その、シちゃった事に、気が付いてるんだろうか。
 もしそうだとしたら・・・ぼくの頭の中でしみゅれーしょんしてみる。

 ――綾峰さんの身体、どうだったよ?
 ――い、言えないよっ!
 ――そうかぁ、言えないほど良かったのかぁ。ふふ、成長したなぁ、オマエも
 ――な、なんだよ
 ――だまってて欲しいんだろ?
 ――春雄、まさか脅迫する気なの?
 ――ふふ・・・察しがいいねぇ
 ――・・・
 ――綾峰さん手作りのお弁当、一週間で手を打とうか?
 ――はへ?

 そうだった、春雄は基本的にいいやつなんだし、知られたからってひどいコト、する訳がなかった。せいぜいが、からかわれるぐらいだろう。そう思えば特にビクビクする必要は無かったんだ。
 ぼくが海よりも深い思索から復帰すると、春雄が胡乱な目でぼくを見てた。脳内しみゅれーしょんがそれほど長引いたはずじゃあ無かったんだけど、それでも突然落ち着きを持ったら不審と言えば不審かも。

「まさか、話してる途中で意識が飛ぶとは・・・」

 恐るべし・・・なんて呟く春雄に、今度はぼくが胡乱な目を向ける。ナニが恐るべし、だか。

「それほど、昨日のデートは楽しかったのか?」
「へ?デート?」

 突然春雄の口から飛び出た単語に、ぼくの頭が付いて行けなくなってた。デートデートでぇと、なんだったっけソレ、みたいな。
 でも待った、それはとても重要な単語ではなかったか。

「そうだよ・・・」

 だんだんとその単語が頭に浸透してくるにつれて、それがまるで神さまの啓示のように感じられた。なんていうかもぉ、目からウロコが剥がれまくり。
 『ご主人様』なんて単語に惑わされて、まずしなければいけない事を、見失ってはいなかったろうか。正しい男女交際は、まずはデートから!

「そうだよ!デートだ!」

 興奮してたぼくは、だからいつの間にかクラスメートの視線を釘付けにしてたコトに、暫く気が付かなかった。
 綾峰さんが真っ赤な顔で、恥ずかしそうに俯いてたのも、当然意識からスルーしてたし。それほどまでに、ぼくはその考えに捉われてたんだ。
 ぅィエスっ!なんて握り拳を腰に引き付ける動作をしたりして、もう有頂天。・・・久谷先生に肩を叩かれるまでは。
 ぼくは周囲の同情の眼差しを一身に受けて、ひくひくと笑顔を浮かべようとして、しかも失敗しまくったような久谷先生の顔を見上げた。久谷先生は厳かに口を開いた。

「佐原ぁ、バケツを持って、校庭10周なぁ」

 ・・・あう。

・Master-03

「なんで佐原君なのよ」

 お昼休み、屋上に続く階段の踊り場の手前で、ぼくは自分の名前を聞いて足を止めた。どこかで聞いたことのある声・・・あぁ、田嶋さんだ。
 今日も綾峰さんのお弁当をご馳走になる予定だったんだけど、先生に資料の片付けを言われたぼくは、先に綾峰さんに屋上に行ってもらってて、今やっとぼくも屋上付近まで来た所、なにやら口論めいた声が聞こえてきたという状況だ。
 田嶋さんの声に棘っぽいものを感じて、ついぼくは足音を殺して近付いた。見付からないように、気付かれないように。なんでそんな事をしたのかぼく自身も不思議だったけど、その場に顔を出し辛い雰囲気がバリバリだったし。何て言うか、別れる寸前の恋人同士の修羅場――言葉は悪いけど――そんな感じだったし。

「・・・ごめんね・・・」

 もう一人の声は、やっぱりというか、綾峰さんだ。悲しさを押さえ込んでるように、声が震えている。

「あなたの事は、絶対私の方が判ってる!佐原君じゃあ、こんな事してくれないでしょ?」
「あ、だ、だめっ・・・んぅっ」

 何やら妖しい雰囲気が漂い始めた。ぼくはぐびりと溜まった唾を飲み込んで、足音を立てないように階段を上った。手すりの陰で上を覗き見ると、想像以上に淫靡な光景が目に入った。
 最初、ただ二人が抱き締めあってるように見えた。二人は階段を上りきった屋上への扉の前で、二人の横顔が見えるように向き合っていて、田嶋さんが綾峰さんの腰を両手で自分の方に引き付けている、そういう体勢だった。

「あ、んふぅ・・・や、ああっ・・・」
「ほら、ちょっとここを弄っただけで、もうこんなに熱くなってる・・・」

 けど、違った。
 綾峰さんは田嶋さんとの間に両手を入れて、身体を離そうとしているみたいだ。それに対して、田嶋さんは腰を密着させるように腰を抱き締めて、しかも右手は綾峰さんのスカートをめくり、後ろからパンティの中に潜り込んでいるみたいだった。気のせいか・・・その、お尻の穴を弄くっているように見える。
 それだけじゃなく、右足を爪先立てて、綾峰さんの大事な場所をぐりぐりとしていた。同時に2箇所を責められて、綾峰さんの顔が紅潮しているのが、離れたここからでも判った。

「だめぇ、そこ・・・そこ、いやぁ・・・」

 綾峰さんが、いやいやをするように首を振った。けど、身体に力が入らないのか、田嶋さんから逃げる事が出来ないでいるみたいだ。田嶋さんはいじめっ子っぽい、冷酷と興奮を併せ持つような表情で、綾峰さんの耳元に口を寄せた。

「どうして?嫌だったら、逃げればいいのに。それにほら、ここはこんなに柔らかく、私の指を飲み込んでいってるのに・・・ね?」
「はぁんっ!」

 田嶋さんの指が、見えない所で綾峰さんに何をしたのか・・・綾峰さんは熱い喘ぎを漏らしながら頭を仰け反らせた。

「もう、イキそうなんでしょ?アソコをこんなに熱くして、もうたまらないんでしょ?いいのよ。イって、誰があなたのご主人さまか、よぉく思い知ればいいのよ」

 教室での田嶋さんからは想像も出来ないぐらいにねっとりとした口調で、綾峰さんの快感を引き出していく。綾峰さんの脚がガクガクと震えて、絶頂が近いのがぼくにも判った。
 本当だったら、ぼくは飛び出してでも止めなきゃいけないはずだった。それが、恋人ってものだと思うから。でも、恥ずかしい事に、ぼくは目の前のいやらしい光景に圧倒されて、動くどころか声だって出すことが出来ずにいた。

「ほら、イっちゃいなさいっ!」
「ひぅっ!あ、ぅああああああああっ!」

 綾峰さんは全身をビクビクと痙攣させると、田嶋さんの胸に顔を埋めるようにして悲鳴を押し殺した。それでもぼくのいる踊り場までは、かなりはっきりと届いていた。

「忘れないで。あなたを今まで可愛がってきたのは、私よ。佐原君じゃない」

 ぐったりとした綾峰さんを床に座らせると、田嶋さんは綾峰さんに刻み付けるようにはっきりとそう言った。綾峰さんを見詰める田嶋さんの目には、ぼくには読み取れ無かったけど、複雑な想いを宿しているようだった。

「じゃあね」

 田嶋さんはクルリと踵を返すと、階段を下りてきた。最初から知っていたとばかりにぼくを一瞥して、まったく興味を感じていないみたいに視線を外す。ぼくはこの年にして、路傍の石の気分を堪能出来た。・・・まったく嬉しくないけど。

「あれ・・・ごしゅじん・・・さま?」

 どこか茫とした感じで、綾峰さんは階段を上ったぼくを見て、呟くようにそう口にした。最初から屋上で待ち合わせしていたのに、今ぼくがここにいるのが不思議というふうに、ぺたんと床に座り込んだままでぼくを見上げている。

「だいじょうぶ?立てる?」

 本当は心が痛かったけど、何とか笑みに見えるような表情を浮かべて、ぼくは綾峰さんに手を差し伸べた。綾峰さんの手がぼくの手と重なると、ぼくは綾峰さんの手を引っ張って立ち上がらせた。手を離すと、フラフラしてるけど、綾峰さんはなんとか自分の足で立てた。

「あ、私・・・」

 ようやく今がどういう状況なのか、理解出来るぐらいに回復したらしかった。何度か目をパチパチとしてから、綾峰さんは羞恥に顔を赤らめた。
 でも・・・。

「ごめんなさい。私、恥ずかしい所を見られちゃったね」

 ちょっと失敗しちゃった・・・そんな照れ笑いを浮かべて、綾峰さんは傍に置いてあった重箱を取り上げた。
 その笑顔に後ろ暗いものが無くて、いっそうぼくの胸は苦しくなった。
 けど、負けない。
 さっきの田島さんの、ぼくを路傍の石みたいに見た目付きを思い出しながら、ぼくはそう自分を鼓舞した。
 綾峰さんの恋人として、こんな事ぐらいで落ち込んでいられないんだから。
 ぼくは先に立って、屋上へのドアを開けた。

 ・
 ・
 ・

「やっぱりちょっと、今日の外はお昼には向いてなかったね」

 綾峰さんが残念そうに言いながら、風のあまり吹き込まない屋上の端っこに、次々と重箱を広げていった。
 生憎の曇り空で、屋上はぼくら以外には人影も無く、閑散とした雰囲気が漂っていた。けど綾峰さんはそれを気にした風でもなく、にこにこと微笑んでいる。

「うわぁ・・・」

 重箱の中身を見て、ぼくは感嘆の声を上げた。
 今日のお弁当も、この間のお弁当に負けないぐらい、感動的なまでに美味しそうな出来上がりだった。現金なもので、これを食べさせてもらえると思っただけで、さっきまでの心の中のモヤモヤが晴れていくようだった。
 綾峰さんはまわりをキョロキョロと見渡すと、「うふふっ」と小さく笑ってぼくのとなりに腰を下ろした。ぼくらの他には誰もいないと知っているのに、ぼくは思わず恥ずかしくて周りを確認しちゃったよ。

「び、びっくりしたぁ」

 びっくりというか、綾峰さんがすぐ隣にいるというだけで、ぼくの鼓動は16ビート。このままだと、せっかくのお弁当の味も判らないかも知れない。非常に心臓と健康に悪い状況だと思う。

「ふふ、ごめんなさい。さぁ、召し上がれ」

 悪いとは欠片も思ってない顔で言うと、綾峰さんはぼくの持っている箸に視線を移した。綾峰さんのにこにことした顔は、どうやらぼくが何を一番最初に食べるか、見るためのものらしい。悪意がある訳じゃないからいいんだけど、かと言ってこのままだと、食べた後で目からビームを発射するぐらい喜ばないといけないんじゃないかって気分になってしまう。

「じゃ、じゃあ・・・いただきます・・・」

 ぼくは意を決すると、箸を持ち上げて鶏のから揚げを一つ取った。ゆっくり口元に持っていくと、綾峰さんが期待に目をキラキラさせているのが、目の端に映った。どうしよう。やっぱり一言目は『う・ま・い・ぞぉーっ!!』だろうか。
 ぱくり。
 ちょうどいい大きさおのからあげを、一口で食べた。お肉が良いのか、柔らかくてジューシーだ。

「ね、美味しい?しょっぱくない?」

 ぼくの顔を覗き込むようにして、綾峰さんが聞いてきた。飲み込むのが勿体無くてじっくり咀嚼するぼくは、声を出せない代わりに頭をガクガクと頷かせた。噛むごとに口の中に溢れる旨味が、ぼくを別世界に導くようですらある。素のままで目からビームを放てそうだ。

「凄く美味しいよ!綾峰さんって、ほんと料理が上手だよね!」

 ぼくはくむくむこくんと飲み込むと、やっとそれだけを口にした。本当ならもっと褒め方があるんだろうけど、ぼくにはこの程度の事しか言えなかった。けど、それで十分だったみたいで、綾峰さんの顔が笑み綻んだ。
 さっきの出来事を忘れて、そこはかとなく良い雰囲気になった。だからその流れのままに、ぼくは今朝思い付いた事を口にする勇気が持てた。

「あのさ、綾峰さん」

 ぼくの右側で幸せそうにおにぎりを食べている綾峰さんを見詰めて、ぼくは少しだけ緊張しながら声を掛けた。あまりにも距離が近くて、身体ごと向き合う事はできなさそうだけど、出来るだけ正面から目線を合わせた。驚いたように見開かれた綾峰さんの瞳を見詰めて、ぼくは声を上げた。

「今度の土曜日、デートに行こうっ!」
「ひゃ、ひゃいっ!」

 ぼくの勢いに飲まれたのか、綾峰さんが裏返った声で答えた。反射的に答えたとみえて、一瞬の後に綾峰さんの顔に朱が差した。

「え、あ、あのっ、それって!」

 耳まで真っ赤に染めて、綾峰さんが焦りまくってる。面白いもので、綾峰さんが動揺すればするほど、代わりにぼくは冷静さを取り戻していった。もちろん照れるし恥ずかしいけど、綾峰さんの様子を窺う程度には落ち着いてるというか。
 意味も無く手をぱたくた振りまくる綾峰さんは、いつもよりも可愛らしいな、とか。
 ぼくらはもっと凄いコトだってしたのにね、とか。
 そんな事を微笑ましく思う事が出来るぐらいだった。

「うん、もっと二人の時間が欲しいんだけど、いい?」
「う、うん、うんっ!」

 綾峰さんは凄く嬉しそうな顔で何度も頷くと、やっとその言葉の意味が理解できたみたいに、微笑んだ。
 余りにも嬉しそうで、これだけで見ているぼくのおなかが一杯になりそうなほどだった。勇気を出して、言って良かった。本当にそう思った。

 でも、嬉しいだけで全てを終わらせてはくれなかったのだけど。

・Master-04

 空が高い。
 こういうのを突き抜けるような、なんて表現するんだろうか。
 都会に比べて車の交通量が少ないからか、空の青が鮮やかに目に映る。
 そんな今日は、綾峰さんとの初デートの日。
 少しだけオシャレしたつもりの格好で、時々駅前の時計を見上げながら、約束の時間まであと30分、29分、28分・・・なんてカウントダウンしてみたり。
 時々自分の格好が気になって、向かいのビルのショーウインドウに反射する自分の姿をチェックしてみたり。
 なんだか、ふと我に返ると、かなり挙動不審な人間になってた。

「あ・・・」

 まだ待ち合わせまで間があるっていうのに、綾峰さんがこっちに歩いてくるのに気が付いた。なんだか最近、どんなに離れていても、どんな人ごみの中でも、綾峰さんを見付けられる、そんな気がしてならない。もしかしたら、ぼくの目は綾峰さん専用の何かが付いてるのかも知れない。綾峰さんレーダーとか、綾峰さん発見機とか、綾峰さん方位磁石とか。

「ごめんなさい、ご・・・佐原くん。遅くなっちゃったね」

 少し息を切らせて、顔を赤らめて綾峰さん。こういう場所では『ご主人様』って言わないよう、努力してくれてるのが伝わってきて、なんだか嬉しくなった。

「ぜんぜん遅くないよ。ぼくが早く来すぎてただけなんだから」

 1時間前には着いてたんだけど、それはヒミツの方向で。
 それにしても、綾峰さんの私服姿も、なんだか新鮮で見てるだけでドキドキする。
 お嬢様っぽい淡い色合いのワンピースが、綾峰さんらしくて良く似合ってた。

「ううん、佐原くんよりも早く来られなかったんだから、それは遅いって事なの」

 ふるふると首を振って、残念そうに言う。
 これはあれだろうか、自分が先に来て、『待った?』『ううん、いま来たところ』なんて会話をしたかったんだろうか?想像して、ちょっとイイかもなんて思ってたぼくに、綾峰さんはバッグから棒状のものを取り出して、ぼくに差し出した。

「?なに、これ?」

 簡単なスイッチと、ボリュームのツマミ見たいなのが付いてるだけで、なにをするものなのかも判らなかった。ラジコンカーのリモコン・・・って訳でもないだろうし。
 訝るぼくに、ワクワクするようなヒミツを分け合うような悪戯っぽい笑顔を浮かべて、綾峰さんはぼくの耳に顔を寄せた。

「今日ね、アソコにローターを入れてきたの。それは・・・ローターのスイッチです。好きな時に、スイッチを入れてわたしをいじめてね」

 なんだかぼくが喜ぶのを期待してるみたいな表情で、綾峰さんはにこやかに囁いた。当然ぼくのなかでは、すぐにその言葉が自分に理解出来るセンテンスに変換出来なくて、ただ茫としていたのだけれど。
 えぇと。
 うん、アレだ。
 きっと、からかわれてるにちがいない。
 あはは、あやみねさんってば、やだなぁ。
 まさか、そんなモノを仕込んでデートに来る訳が無いじゃないか。
 だって、ぼくらの初めてのデートなんだよ?
 ぼくがこれをいじって、何も起こらない事にきょとんとするのを見て、からかうつもり・・・なんだよね?
 だから、ぼくは何の気無しに、手渡されたリモコンを操作した。
 途端にどこかから感じる、ヴヴヴヴヴ・・・というかすかな振動。艶めく綾峰さんの表情。普通に立っているのも辛いのか、フラフラとする身体。

「だ、だいじょうぶ?」

 とっさに綾峰さんの身体を支えると、綾峰さんがぼくの耳元に口を寄せて、酷く熱い吐息ごと囁いた。

「もう、ご主人様ってば、なんの予告も無く・・・こんな所でスイッチを入れるんですもの。うふ・・・凄く・・・感じちゃいました」

 まるで、吐息でぼくの耳を愛撫するみたいに、えっちな液がしたたるような言葉を紡ぐ綾峰さんに、ぼくは硬直して身動き出来なくなった。
 それは多分、ぼくの中の初デートの幻想が霧散した瞬間だと思う。
 短い、夢だったなぁ・・・。

「ごしゅじんさま?」

 無反応のぼくに、綾峰さんが訝った様子で声を掛けてくる。綾峰さんは気持ち良さそうだったし、その顔は火照って可愛かったけど、ぼくはどう反応すればいいか判らなかった。だから、驚くほど近い場所に寄り添うように立つ綾峰さんを抱き締める事も、突き放す事も出来ないまま、まるで木偶のように立つだけだった。

「・・・ご主人様?」

 ぼくから少しだけ離れて、綾峰さんがぼくの顔を覗き込もうとして・・・。

「んぅっ!」

 その身体の動きで動いたままのローターが敏感な所に当たったのか、快楽に耐え切れないようにぼくの胸に顔を埋めた。それでぼくは、今自分が綾峰さんに顔を合わせられない、そんな表情を浮かべているのを思い出した。
 多分、裏切られたような、嫌な顔をしてると思う。
 失望とか、絶望とか、そんな情け無い顔をしてたと、思う。
 でも、裏切られたって感じてるのは、ぼくの我侭なんだ。
 だって綾峰さんは、最初から自分の性癖を隠さずに、あけすけにぼくに接してくれていた。綾峰さんだったら、最初は普通に付き合って、あとでぼくに相談するって方法だって採れるハズだったんだ。だって、ぼくよりもずっとずっと頭が良いんだから。
 でも、綾峰さんはそうしなかった。それを、『普通は』とか、『初デートだから』なんて自分の考えで、綾峰さんを枠にはめようとして勝手に裏切られたなんて思うのは、あまりにも綾峰さんに失礼だと思う。
 ぼくは馬鹿だ。今日は本当にそれを実感した。

「ふあ?」

 ぼくがローターのスイッチを切ると、綾峰さんがぼくの胸に顔を押し付けたまま、安堵とも残念ともつかない響きの声をあげた。

「ごめん、でもここだと落ち着かないから、二人っきりになれるトコに行こうか?」

 ぼくは、他の人には聞こえないように、小さな声で囁いた。

・Master-05

 ぼくたちが辿り着いたのは、小さな山を丸々改造した自然公園だった。街中から比較的近い場所なのに、たむろしている人は意外と少ない。もっとも、一番上まではそれなりに階段が続いているので、小さい子供やお年寄りは、大体途中で諦めるみたいだけど。・・・誰だ、こんな公園を考えたの。
 でも、苦労した甲斐があって、山頂部には誰もいないようだった。
 ベンチがいくつかと、木々と、ちょっとしたライトと、転落防止用の柵・・・ここにあるのはそれだけだった。昼間は景色がいいから問題は無いけど、夜になったら結構怖い気がする。

「・・・」

 きゅっと服の裾をひっぱられる感じがした。
 今ここにいるのは、ぼくの他には一人しかいない。ぼくは右手斜め後ろにいる、綾峰さんを振り返った。
 まるで激しい運動の後のように、息を荒げて顔を赤くしている。身体は小刻みに震えていて、軽く汗ばんでいる首筋とかを見ていなければ、寒いのかと思ってしまいそうだ。
 けど、まるで泣いているように潤んでいる瞳や、どこか恍惚とした表情が、言葉よりも雄弁に全てを教えてくれる。

「あ・・・あは・・・ついたぁ・・・」

 ここに来たいと言ったのは、綾峰さんからだった。てっきり綾峰さんの家に行くものと思っていたぼくは、思わず綾峰さんの顔を凝視してしまった。でも、少し艶めいた微笑みを浮かべてた綾峰さんは、ガチ本気だった。

「大丈夫?凄く汗をかいてるし、ふらふらしてるし」

 それがいまだにあそこに仕込まれたままのローターのせいと知っていなかったら、病院に連れて行ってしまうかも。

「ありがとう・・・だいじょうぶ。だから、おくの方・・・行こう?もう、がまん・・・できないの・・・」

 やっぱり、ここでするんだ。
 確かに最初にお弁当をご馳走になった時も外だったけど、突発事態で流されるのと、思いっきり時間を掛けてそうなるのとは、心理的なプレッシャーの桁が違った。不意を付いてされる注射と、目の前でじっくり見せ付けられてされる注射の違いっていうか。
 けど、綾峰さんが欲しがるものを、与えてあげたい。
 その想いだけを支えに、ぼくは綾峰さんに手を引かれるまま、木々で視界が遮られる奥の方へと歩いた。
 奥とは言っても、小さな山のこと。入り口の階段から、直接見えないという程度の場所でしかない。ちょっと大きな声を上げればベンチまで届くだろうし、注意深く木々の合間を探されれば、比較的簡単に見つける事も出来るだろう。
 こんな場所で、綾峰さんとえっちな事なんて、出来るはずがない。

「うん、ここだったら・・・いいよね?」

 綾峰さんは上目遣いに微笑みながら、背を木に預けた。少しだけ湾曲した幹が、包み込むように綾峰さんを受け止めている。柔らかく笑っているようでいて、どことなく挑発的な瞳でぼくを見ると、綾峰さんはスカートの裾を両手で摘み、ゆっくりと持ち上げた。
 足首、ふくらはぎ、膝、腿と、だんだん露になっていく脚に、思わずぼくは視線が釘付けになってしまった。だって、白くて柔らかそうな脚は、それだけで凄い綺麗だったから。
 何回か見せてもらったし、触れもした。けど、それで魅力が減衰するはずも無く、結果、ぼくは馬鹿みたいにずっと見詰めてた。それと、ぼくを魅了していたのは、ふとももを伝い、足首まで流れる愛液。微かに白濁したそれが、なんとも不思議な芳香を辺りに振り撒いていた。

「ごしゅじんさまぁ・・・そんなに見られると、はずかしい・・・」

 照れと嬉しさが混じり合ったような声で、綾峰さんが甘く囁く。
 それで自分が今、息が掛かりそうなほどに近付いている事を理解して、激しく動揺した。大事な場所を隠すように、脚の付け根のぎりぎりまで持ち上げられたスカートの裾が、そのぎりぎり見えないという事で余計にぼくを引き付ける。ましてや見えないだけで、10cmと離れていない所に、綾峰さんの一番大事な場所がある訳で・・・。

「わっ・・・ご、ごめっ」

 焦って身体を離すと、気のせいか綾峰さんが一瞬悲しそうな表情を浮かべた気がした。本当に一瞬だけで、びっくりして見詰め直した時には、もうそんな気配の欠片すら残っていなかったのだけど。

「・・・えいっ」
「あ、わわっ」

 綾峰さんが掛け声と共に、スカートの裾を胸の辺りまで捲り上げた。そうすると、今まで見えそうで見えなかった場所までが日の光に晒されるワケで、つい情けない悲鳴を上げてしまった。
 何しろ、綾峰さんはパンティも履いていなかったようで、スカートが捲くられただけで全てが見えてしまっていて。それに、綾峰さんのアソコに入り込んだ黒いローターが、コードだけを覗かせている。そのインパクトは、頭にガツン!とナニカを食らったみたいだった。

「今から出しますから、見てて下さいね・・・ん、んんぅっ・・・」
「・・・え」

 最初何を言っているのか判らなかったけど、その息むような呻きでなんとなく判った。目の前で、綾峰さんの中に入り込んだローターが、ゆっくりと押し出されるように出てきたからだ。息む度に震える入り口が、鮮やかな色の粘膜を歪ませてる。それは、綺麗というよりも、酷くイヤラシイ感じがした。

「んぅ、ふ、はぅあああ・・・」

 綾峰さんの安心したような喘ぎとともに、黒いローターが中から押し出されて、空中でふるふると震えていた。電源部が太ももの内側に付いているから、下までは落ちないでぶら下がっている。

「あ・・・」

 それを入れている間、スイッチを入れなくても感じていたんだろう。ローターは愛液でぬらぬらと濡れて、湯気さえ立ちそうに思えた。ぼくの口から、思わず吐息とも感嘆ともとれない声が漏れた。

「うふふ・・・ごしゅじんさまぁ・・・さわって・・・ね?」

 ぼくを誘うような声につられて、綾峰さんの大事な場所に指を伸ばした。近くで見るそこは小さくて、ぼくのアレが入り込んだなんて、いまだに信じられないぐらいだった。けど、少しだけ開いてヒクヒクしてるそこは、この間見た時と、少しだけ形が違う気がした。気のせいかも知れないけど。

「入れるよ・・・」
「はい、あ、ああっ!」

 右手の人差し指をゆっくりと挿し込むと、綾峰さんは後頭部が背後の木に当たりそうになるほど仰け反らせた。真っ赤に染まった顔が悩ましく歪む。
 綾峰さんの中は、何回も触れているにもかかわらず、いつも新鮮な感動があった。今も熱く指を締め付けてくる様子に、まるで口で吸われているようにも感じられる。にゅぐにゅぐと柔らかい部分や、こりこりと少し感触の違う部分があったりで、何度触れても慣れるという事が無さそうだった。それに、指を少し動かしただけで聞こえてくる、綾峰さんの喘ぎや悲鳴、濡れた粘膜の擦れる音が、まるで感電したみたいにビクっと跳ねる身体が、ぼくを興奮させて止まないし。

「そこっ、そこだめぇっ。びくびくしちゃうのっ」

 手前側の、少し硬い感じのする場所を指で押さえると、綾峰さんが顔をいやいやするようにして高い声を上げた。

「ここ?」
「ひゃうっ!」

 わざとそこをぐりぐりとした。すると、まるでそれがスイッチだったみたいに、綾峰さんの身体がガクガクと震えた。立っているのが辛そうなほど、膝が笑っているし。でも、ぼくの指で綾峰さんが感じてくれている、それがとても嬉しく、誇らしかった。

「・・・あ・・・」

 秘裂の付け根の方で、クリトリスが大きくなって顔を出しているのに気が付いた。まるで誘うようにひくひくと震えるそこは、真珠のように濡れて輝いているみたいだ。左手の人差し指を一舐めしてから、求められるままに指を伸ばした。

「きゃふっ!あ、ひああっ!」

 中と外、両方をいっぺんに攻められて、綾峰さんの嬌声が高くなった。見えない性器を出し入れしてるみたいに、腰が前後に動いている。考えてしているというより、勝手に腰が動いているみたいだ。

「あ、あああっ!すごい、クリトリスも、中も、すごいのっ。だめっ、あああっ、きちゃうぅ!」

 右手の指を二本にして、綾峰さんの中を掻き混ぜた。前後の抽送と、回転する動き、それを一緒にすると、綾峰さんの声がいっそう切羽詰ったものに変わった。
 ぼくはごくりと口の中に溜まった唾液を飲み下しながら、指の動きに神経を集中した。ぼくのアレはもうがちがちで痛いくらいだけど、このまま綾峰さんがイクところが見たい・・・ただそれだけを思って指を動かし続けた。

「ほら、ここまで来ると、結構良い景色だろう?」
「うん、ほんと。苦労した甲斐があったよねー。」

 突然知らない男女の声が聞こえてきて、ぼくはビクンっと身体を震わせた。さすがに今の状況を見られたら、どんな事になるかも判らない。ぼくは急いで綾峰さんから身を離すと、声のした方を窺った。どうやら、大学生かそのくらいの年齢のカップルが、気合と根性でここまで上がってきたらしい。考えて見なくても、ここは個人の所有物って訳じゃないんだから、来ても問題は無いわけだけど。

「だけど、まったく人影が無いっていうのも寂しいねー」
「まぁ、それなりに大変な場所にあるからな」

 どうやら、こちらには気付かなかったみたいだ。これなら立ち去った後にでも、素知らぬ顔で出て行けるだろう。ぼくは小さく溜息を吐くと、綾峰さんに小声で囁き掛けた。

「バレなかったみたいで、良かったよ。いつ誰が来るか判らないし、あの二人がいなくなったらぼくたちもここを下りよう」
「・・・うん」

 気のせいか、綾峰さんの声は暗いものを孕んでいるように感じられた。正面から綾峰さんの顔を見詰めると、照れたように首を振ったから、きっとそれは気のせいなんだろうけど。

 そうして、ぼくたちの初デートは終わった。
 成功とは言いがたいけど、まだ時間はたっぷりとあるはずだし、諦めずにいよう。ぼくは、そう思った。

・Slave-02

 少しずつ小さくなっていくご主人様の後姿を見送りながら、私はやっと笑顔を浮かべなくてもいい事に安堵した。
 こんな顔、ご主人様には見せられない。きっと、酷く心配させてしまうから。
 たぶん、疲れた顔をしているんだと思う。
 ご主人様の姿が見えなくなってから、私は家に入った。
 結局、あの後は何もせずに終わってしまった。せっかくのデートだっていうのに、ご主人様はもう人の目を気にして、えっちな事はしてくれなかったから。私の身体だけがジンジンと疼いて、けど心は校庭を何十周もしたみたいに疲れきってた。

 ご主人様のそばにいるだけで、心が震えるほどに嬉しい。
 ご主人様が微笑むだけで、幸せさに涙がこぼれそう。
 指先が触れ合うだけで、胸の奥が熱くなる。
 ・・・けど、ご主人様はどう思っているのかな。

 玄関の鍵を閉めて、扉に背中を預けて溜息。
 私がご主人様の奴隷でありたいと思うのは、一般的でない事は判ってるつもり。
 私相手に、澪がよく怒りながら言っていたから、たぶんそうなんだろう。
 自覚は少ないけど、頭では判ってる。うん、たぶん。
 でも・・・。
 でも、私がそうありたいと思う気持ちは、止められない。
 例えご主人様が普通の人でも。
 私のご主人様は、佐原君しかいないのだから。

 rrrrrrn

 いつの間にか足元を見ていた視線を、のろのろと電話に向ける。億劫だけど、この家では電話を取る人が他にいないのだから、私が取らないといけない。

「お帰り、遥。初デートはどうだった?」

 その声で、兄さんだと判った。思わず安堵の吐息を吐いてしまう。

「うん、楽しかったわ。・・・でも・・・」

 兄さんに、ウソは言えない。それに、例え言ったとしても、きっともう気が付いてるだろうから。

「やっぱり、佐原くんはご主人様になってくれないのかな・・・」
「だから、ボクが言ったとおりだったろう?心配しなくてもいいんだ。全部を良くする方法は、とっくに考案済みだからね。遥はただ、決めるだけでいい。簡単だろう?」

 うん、兄さんには事前に言われてた。ただ、私が吹っ切れなかっただけのこと。

「・・・うん、兄さん、私やるわ。佐原君に、催眠術を・・・かけるわ」

 そう、佐原君がご主人様になってくれれば、きっと大丈夫。私が感じてる不安なんて、きっと解消されるに違い無いもの。
 そうするのが正しいって判ってる。だって、兄さんが教えてくれた事だから。

「催眠術で、佐原君を『ご主人様』に・・・」

< つづく >

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