ドールメイカー・カンパニー2 (27)

(27)健志の罠

 穏やかな新春の日差しに照らされたその神社は、多くの参拝客で賑わっていた。
 坂田勇作はそんな人ごみからようやく抜け出すと、近くのコーヒーショップでどうにか席を確保し、一息ついていた。

「ふぃ~・・・疲れたぁ・・・」

 勇作が席でへばっていると、その正面に腰掛けた若い女がバカにし切った表情で言った。

「なによ、だっらしないわねぇ。それでも柔道部?鍛え方が足んないんじゃないの?あっ・・・だから補欠なのか」

 勇作はその無慈悲な言葉に反発した。

「あっ、あのなあ!俺に何から何まで持たせておいて、その上この坂道をずっと俺のチャリに便乗しといて、何言ってるかなぁ!」

「当り前でしょ?体力有り余ってる高校生のエネルギーを正しい方向で発散させてあげてるんじゃない。可愛い弟が性犯罪に走らないようにこのお姉さまが協力してるんじゃないっ!バイト料欲しいくらいだわ。それなのに、私ったらアンタのお賽銭まで払ったんだからねっ」

 中々可愛らしい顔つきをした二十歳くらいの女性だが、ショートボブのヘア・スタイルが意外とマニッシュで、そのアンバランスが妙に魅力的だった。
 名を坂田美由紀という。勇作の3つ上の姉である。

 2人はこの閑静な住宅街の外れにある比較的有名な神社に初詣に来たところだった。
 自宅はここから電車で3駅ほど離れたところにある。
 そもそも勇作がトレーニングを兼ねて自転車で初詣に来ようとしていたのだが、そこに姉の美由紀が強引に便乗したという図式だった。

「それに、大体ね、ここのコーヒー代だって、いったい誰が払って・・・って、オイ、聞いてんのっ?」

 美由紀は得々と話していたのだが、気が付けば勇作はいつの間にか窓の外を食い入るように見詰めていたのだった。
 美由紀もつられるようにその視線の先を追った。
 しかしその目に飛び込んできたのは、初詣の人ごみに巻き込まれた平凡な1台の乗用車でしかなかった。
 国産の大型のワンボックスタイプの車で、後部は完全に荷物用らくし窓も無い。
 薄汚れて無骨な感じのその車は、晴着の女性たちで溢れかえっている通りにあって妙に浮いていた。
 運転席には女性が座り、その手前側の助手席にはサングラスをした男が乗っている。

 美由紀はそれだけを一瞬で観察すると、訝しげに勇作を振り返った。
 特に注目するに値する車ではない。
 しかし・・・それを言いかけて美由紀は呆気に取られた。

「なっ・・・なによ、勇作?何処行ったのっ!」

 気が付けば目の前に居た筈の弟が姿を消していたのだ。
 美由紀は訳が判らないまま慌てて周りを見渡した。
 すると次の瞬間、店の外を猛スピードで駆け抜け車の去った方へ走り去っていく勇作の姿を見つけたのだった。
 しかし気付いたのは良いが、追いかけるにはちょっとタイミングを逸してしまっていた。

「なによ・・・あれ?」

 美由紀は気が抜けたようにそう呟くと、コーヒーを手に弟の駈けて行った方を目で追うことしかできなかった。

 一方の勇作は、もうすでに姉のことなど頭の片隅にも無かった。

 姉の勝手な言い分に飽き飽きして通りを何気なく眺めていたその視界に、不意に飛び込んできた車・・・

 その何でもない普通の車の運転席に視線を当てた途端、大げさでなく勇作の背筋に電気が走ったのだ。
 目が真ん丸に開き、一瞬見えた男の横顔を網膜に焼き付けた。

 (あっ・・・あれは・・・・あの男はっ!!!)

 勇作の記憶には無い・・・見たことも無い男の筈なのに、それなのに男の横顔を一瞬見ただけで勇作は腰を浮かしていた。
 そしてそれとオーバーラップするように、頭の中にハッキリと誰かの声が響き渡ったのだった。

 (『勇作っ!追いかけろっ!見失うなっ!居場所を突き止めろっ!』)

 一瞬にして蘇ったその言葉は、しかし次の瞬間にはもう霧散し、そしていつの間にかそれは勇作自身の意思として心の中心に居座っていた。

「駄目だ・・・行っちまう・・・・見失っちまう」

 小さく口の中でそう呟いた勇作は、しかし次の瞬間にはもう店を飛び出していた。

 人ごみを掻き分け、車の行方を目で追う。
 するとあの車は、道にまで溢れかえった参拝客の区画をようやく通り抜け、この住宅街から更に奥へ登っていく一本道へ進路を取っているのが見えた。

「ラッキィ!この先は確か分かれ道は無かった筈。黒岩先輩のウチの方だっ」

 勇作はそれだけ確かめると、すぐにさっきのコーヒーショップに取って返し留めてあった自転車に跨った。
 そしてわき目も振らずに一目散に車の後を追いかけ始めたのだった。

「逃がさねぇぞぉ・・・今度こそっ!」

 車に比べてはるかに小回りが効く自転車は、忽ち参拝客の間を通り抜けると閑散としたその道路に乗り入れた。
 そしてまるでスプリントのような勢いでその緩やかな坂を駆け上りだしたのだった。
 そのあまりの勢いにフレームが軋み、チェーンが悲鳴をあげる。
 しかし、なにかに取り付かれたような勇作は、そんな自転車の限界音には耳も貸さず、只管ペダルを漕ぎ続けたのだった。

 (捕まえる、捕まえるっ、捕まえるぞっ、お前をっ!!)

 しかし・・・

 それは僅か10分後のことだった。

「ちっっくしょぉぉぉおおおおおおおっ!!!!」

 坂の途中にうずくまった勇作の口から、憤怒の怒声が轟いたのだった。
 そして、その足元には見事にブッちぎれたチェーンを晒した自転車の姿があった。

 胸の奥には勇作を急きたてる声がどんどん大きくなってくるのに、肝心の追走手段を潰してしまったのだ。
 勇作は途方にくれ、坂の彼方を呆然と見上げるしかなかった。

 少しだけ時間を遡る・・・

 時計の針が12時を回る頃、それを待っていたかのようなタイミングで来訪を告げるチャイムが部屋に柔らかな音を響かせたのだった。

 広い和室に鎮座した巨大な座卓とその上のデコレーションされた御節料理・・・

 健志は満足げにその出来栄えを見下ろしていたが、その音が聞こえると踵を返して玄関へ向った。

「やあ、いらっしゃいませ、先生。今年もよろしくお願いします」

 玄関の扉を開けるなり、健志は目の前の男ににこやかに微笑んで年始の挨拶をした。

「あぁっ・・・ど、どうも、いやぁ、明けましておめでとうございます。こちらこそ今年も宜しくお願いいたします」

 清水圭吾はここに来るまで散々挨拶の言葉を練習してきたのだが、扉を開けて出て来た健志を一目見るなりその意外な迫力に気圧され、すっかりその言葉が吹っ飛んでしまっていた。
 健志には怪我をした痕は殆ど残っておらず、以前同様爽やかな印象を纏っている。
 しかも先月まで感じられたイライラしたような雰囲気が一掃され、今は確かな自信に裏打ちされた風格のようなものが感じられたのだ。

「あっ・・あのぉ、何ていうか・・・お怪我はもうすっかり良くなられたのですね」

 圭吾は間が空くのを恐れるように、話し掛けた。
 教師と生徒の力関係は完全に逆転していた。

「えぇ。ま、大騒ぎする程の怪我じゃなかったんですよ、もともと」

 健志は圭吾のくどい話しには飽き飽きしていたので、軽くいなすとその肩越しに後を覗き込んで言った。

「いらっしゃいませ、京子先生。お久しぶりです」

 その言葉に、下を向いていた京子はゆっくりと顔を上げた。
 しかしその顔はまるで貧血を起しかねないような青白さだった。
 胸に抱いた赤ん坊がまるでお守りであるかのようにぎゅっと抱きしめている。

「こ・・・こんにちは。あけまして・・・おめでとうございます・・・」

 ようやく搾りだすように小さな声でそれだけ口にした京子は、一瞬も健志と視線を合わせることなく再び下を向いたのだった。

「きょ・・・京子っ!どうしたんだっ。そんな元気の無い声を出して」

 事情を判っていない圭吾だけは、そんな京子の態度にビックリして言った。

「あ・・・いいぇ、久しぶりに外出したのでちょっと疲れただけです」

 咄嗟に夫を振り向きそう言い訳した京子だったが、次の瞬間いきなり健志の手が伸び、胸に抱いていた赤ん坊を取り上げてしまっていた。

「!」

 一瞬の出来事で、京子は声を出すことも出来なかった。

「わぁ~・・・可愛い赤ちゃんですねぇ。名前は何ていうんですかぁ」

 健志はそう言って子供を自分の腕に抱き取った。

「由紀っていうんですよ。京子そっくりでしょ。あ、でもこの目元だけは僕に似てるんですよ」

 圭吾はそう言って目尻を下げた。
 健志はそんな圭吾の言葉を小さく笑うと、圭吾を振り返ってこう言った。

「先生、京子先生はお疲れみたいですから、早くお入りください」

 そして健志は由紀を抱いたまま家の中に入っていった。
 その後をいそいそと着いて行く圭吾・・・
 しかし、一瞬振り返った健志の視線とその口元に浮かぶ笑みを見た途端、京子はその場で凍り付いてしまった。

 (こ・・・この男は・・・この悪魔はっ・・・まだ何か企んでいる。・・・まだ私を弄ぼうというのっ?!)

 京子は恐怖で全身を強張らせたが、しかし由紀をおいては逃げられなかった。
 まるで死刑台へ上るような足取りで、京子はその家の中に足を踏み入れたのだった。

「さあ、どうぞ。お掛けください。あいにくヘルパーさん達も正月休みなので全部デリバリーですけど、お口に合いましたら召し上がってください」

 健志は赤ん坊を胸に抱いたまま二人を居間に使っている洋室に招き入れた。
 30畳くらい有りそうなだだっ広い部屋に重厚なテーブルやソファがゆったりと配置されている。
 そして勧められたテーブルにはちょっとしたパーティでも開けそうなボリュームのオードブルや酒肴が用意されていた。
 予想はしていたが、その遥かに上を行く豪華なもてなしに、圭吾は目を丸くしていた。

「さっ、京子先生もこちらにどうぞ。あと・・・赤ちゃんはここで良いかな」

 驚いたことに、いつの間に用意したのかベビーベッドまで用意されていた。
 健志はその柵の中に赤ん坊をそっと寝かした。
 ミルクを飲んだばかりなのか、すやすやと寝息を立てている。
 すっかり健志のペースだが、こうなっては京子も従わざるをえない。
 身体を硬くして、勧められる椅子に腰掛けたのだった。

「先生は、何飲まれます?日本酒が良いですか、洋酒も有りますけど」

 健志は手馴れた様子で2人に給仕を始め、雰囲気に飲まれている圭吾は為すがまま、勧められるがままにそのグラスを手にしたのだった。

「それじゃぁ、あらためて・・・今年も宜しくお願いしますっ。乾杯っ!」

 そして健志の音頭でそれぞれのグラスはぶつかり、硬質の冴えた音が部屋に響いたのだった。
 一見和やかな年始の宴はこうして始まった。
 上質な酒の酔いにすぐに顔を赤らめた圭吾は、それまでの緊張過多の訥弁からいきなり饒舌へと変っていった。
 しかもその内容はあからさまな阿諛追従で、健志本人も聞いていて苦笑するしかなかった。

 しかし・・・

 圭吾の様子がおかしくなってきたのは、飲み始めてからまだたった10分くらいしか経っていない頃だった。
 呂律がおかしく成り出したと思っていると、椅子に掛けていのに上体がぐらぐらとふらつき、遂には肘掛に頭を乗せるとそのまま寝入ってしまったのだった。

 その余りに急激な酔いは、どう見ても異常だった。

「あっ、あなたっ!ねぇ、起きてっ」

 京子は慌ててその肩を揺すったが、もうその体からは軟体動物のように力が抜けきっていた。

「なっ・・・何をしたんですかっ!」

 京子はキッと健志を睨みつけて言った。
 しかし健志は、不思議そうな顔で圭吾を覗き込んで言った。

「あれぇ?おかしいなぁ・・・こんなすぐに酔っちゃうなんて」

「しらばっくれないでっ!お・・・お酒に何か入れたんでしょっ」

 その京子のセリフに健志は小さく苦笑して言った。

「別にしらばっくれてなんて・・・。ただ、ちょっと不思議だったんですよぉ。だって、本当は・・・30分くらいしてから昏睡するはずだったんですからねっ」

 健志はまるで牙を剥くように京子に笑いかけた。
 そして京子は・・・そんな健志の笑顔だけで、それまで精一杯張ってきた虚勢が剥がれ、体の芯から凍えるような恐怖を味わっていたのだった。

「京子・・・ふふふ、暫らく会わないうちに口のきき方を忘れちまったのか?俺のことを何て呼んでいた?思い出してもう一度言ってごらんよ」

 健志はふてぶてしい程の余裕で、昏睡する夫の前で京子を呼び捨てにした。
 京子は視線を合わせることが出来ず俯いたままだったが、しかしキッパリと頭を振った。

「もう・・・やめて。私のことは・・・もう構わないで下さい・・・お願いっ」

「おやおや。誰に影響されたのか・・・すっかり自分の立場を忘れてしまったようですねぇ。思い出させてあげましょうか?ビデオや写真なら腐るほどありますからね。先生が素っ裸で廊下に立たされているところとか、自分でケツの穴広げてハメ乞いしてるところとか・・・」

 健志のその言葉を、京子は必死で両手で耳を塞いで遮った。

「やめてぇっ!ぜっ、全部っ、あなたが無理やりさせたことだわっ!私はっ・・・もう、あなたには従わないっ!」

 それは京子の血を吐くような叫びだった。
 しかし健志は、意外にもその言葉を小さく頷きながら聞いていたのだった。

「ははは。さすがですね・・・母は強しってとこですか。可憐で・・・逆らうことなんか無いと思っていたんですが、ちょっと見直しましたよ」

 健志のその穏やかな態度に京子は戸惑いを隠せなかったが、それでも一瞬たりとも気を緩めなかった。

「か・・・帰してください。あなたの事は誰にも言いません・・・絶対に口外しませんから・・・だからもう・・・私たち夫婦を開放してください」

 その言葉に健志は小さく肩を竦めて言った。

「かまいませんよ。別に貴女がたを監禁したりしませんからご安心下さい。ご主人が目を覚まされたらお帰りください。ただし・・・その前にちょっとだけ僕に付き合って貰いますよ。あぁ、ご心配無く・・・別に貴女を無理やり手篭めにしたりしませんから。だだちょっと・・・先生と差し向かいで食事をしたかっただけなんですよ」

 そう言って健志は小さく笑った。
 しかし京子はそんな健志の何気ない表情の裏にとてつもない企みが隠されていることを看破していた。
 爽やかなマスクでは隠し切れない邪悪な波動が、身体全体から滲み出していたのだ。

 京子は気圧されたように無意識に後ずさりしたが、次の瞬間その足が止まった。
 健志がゆっくりと移動し、先ほどのベビーベッドの柵にもたれ掛かって赤ん坊を覗き込んだのだった。

「いいでしょ?どうせご主人は暫らく寝てるんだ。最後にこんなささやかなお願いくらい聞いてくれても」

 健志の指先がゆっくりと由紀の首を撫でていた。

「待ってっ!」

 思わず声を上げた京子に健志は不思議そうに眉を上げた。

「あっ・・・あの・・・本当に・・・食事だけ・・・お付き合いすれば・・・良いのね」

「お付き合いしていただけるのですか?」

 健志は赤ん坊を見詰めながら言った。

「わ・・・判りました」

 京子は胸に手を当てその鼓動を静めるように息を吐いてからそう言ったのだった。

「待ってっ!何処に・・・何処に行くんですかっ」

 明るい廊下を奥へ向ってズンズンと歩いていく健志を小走りに追いかけながら、京子は訊いた。

「和室に移動します。とっておきのおせち料理が用意してありますからね」

「待って。それなら主人や由紀も・・・」

 京子が慌てて戻りかけると、健志はその肩に手を掛けた。

「駄目ですよ、先生。今から食事の間は大人の時間です。申し訳ありませんが子供は駄目です。それにご主人もちょっと動かせないでしょ?」

 京子は健志にそう言われると、それ以上逆らえなかった。
 このまま食事で済むのなら、これ以上健志の機嫌を損ねたくなかったのだ。
 そして2人は見事な日本庭園が見える縁側を通り抜け、奥の1室に着いたのだった。
 健志はそこで、鯉に餌を上げるときのように手を2回大きく打ち鳴らした。
 すると、まるで自動ドアのように目の前の障子が音も無くスッと開き、その陰に綺麗な振袖を着た1人の少女が三つ指をついて頭を下げていたのだった。

「いらっしゃいませ・・・ご主人様。お食事のご用意が出来ております」

 少女は額を畳に付けるように頭を下げた後、健志を見上げてそう言ったのだった。
 しかし、その少女を何気なく見ていた京子は、健志を見上げたその顔に気付き、驚きに息を止めた。

「りょっ・・・」

 思わす口からこぼれそうになった言葉は、しかし次の瞬間には消え去っていた。

 (違う・・・諒子さんじゃなかった・・・でも・・・なんて似た人なんだろう。高校生のころの諒子さんって丁度こんな感じだったのかしら・・・)

 京子はそんな事を考えてその振袖の少女をマジマジと見詰めたのだが、しかし次の瞬間重大なことを思い出していた。

「あなた・・・もしかしたら・・・」

 その顔立ち、そして先ほど少しだけ聞いた声・・・それは先月電話で話した少女を連想せずにはいられなかった。
 名は確か・・・

「美紀さん?あなた・・・美紀さんじゃないのですか」

 京子は尋ねるような口調で訊いたのだが、内心は確信していた。
 しかし少女の反応は予想を裏切っていた。

「いいえ。違います」

 短くそれだけ答えると、少女は正座した格好のまま健志を見上げたのだった。
 その視線には、しかしあの電話で聞いた時のような覇気がまるで感じられず、怯えた小動物のような卑屈な媚びが滲み出ていた。
 健志はそんな少女にチラッと視線を与えただけで何も応えなかった。
 そのかわり京子を振り返るとにこやかにこう言ったのだった。

「さあ、先生。こちらですよ。さっきのオードブルなんかと違って、この料理はめったに口に出来ない珍味ですからね」

 そう言って健志は京子を奥に促した。
 この20畳ほどの和室のほぼ中央に漆塗りの重厚で巨大な座卓が据えられていた。
 10人くらいは一度に会食できそうなその座卓に、今は座椅子が2つだけ向かい合うように置かれている。
 健志は当り前のように床の間を背にした座椅子に着き、京子をその向い側に座らせた。
 座卓の上にはもう料理が用意されているようだが、今は薄紫に染められた大きな布が被せられ、殆ど座卓の端から端まで覆っているため、京子にはどんな料理だか判らなかった。
 ただその布地の盛り上がりからかなりのボリュームであることは想像ついた。
 京子は興味深そうにその布の中を想像していたのだが、その時ふと健志の視線に気付き目を上げた。
 すると、途端に京子の背筋を悪寒が襲った。

 重い欲望を滲ませた粘つく視線・・・

 それは、もう1年以上も昔、京子が初めて健志の罠に嵌り身動きできない状況で見上げた瞳を見詰める視線と全く同じだったのだ。

 思わず息を止めて健志を見詰め返す京子に、健志はこう切り出したのだった。

「先生・・・いや、京子。お前とは随分長く付き合ったと思ってたんだけど、まだお互いのことを良く判っていなかったみたいだよな。ま、今日は元旦だし、『一年の計は元旦にあり』とか言うだろ?少し食事に付き合って貰って、俺という男を良く判ってもらいたいんだな」

 健志はそう言ってニヤッと笑った。

「な・・何をするつもりなの・・・」

 京子は表情を硬くして訊いた。

「何も・・・。食事だって言ってるだろ?心配しなくても何も盛ってないさっ。判るだろ、何か盛るならさっき圭吾と一緒にしてるさ。ただし・・・一つだけ守って貰う事がある」

 健志は獲物に襲い掛かる蛇のような視線で言った。
 京子は唾を飲み込んだ。

「最低限の食事のマナーは守ってもらうよ。別に嫌いなものなら食べなくても良いが、あまり失礼な態度は取らないこと。いいね?もし・・・そんなことも守れないようなら・・・すやすやと気持ちよさげに寝ている圭吾にビデオテープのお年玉を差し上げることになるかもしれないぜ」

 最後は冗談めかしてウィンクした健志だったが、その視線は真剣だった。
 しかし、京子は健志のその話しっぷりと、先ほどからの脈絡からこの布の下にある料理に想像が付いた気がしていた。

 (なにか・・・気味の悪いゲテモノ料理でも用意しているのね。私が気味悪がって大騒ぎすれば、それをネタにまたあのビデオを脅迫に持ち出そうってことに違いないわっ)

 京子はそう確信すると、小さく溜息を吐いて肩を落とした。
 余りに稚拙・・・バカバカしいほど幼稚なその意図に、今まで自分が健志を過大評価していたのではないかと情けなくなってきたのだ。

「判りました。常識的なマナーで食事をお付き合いすれば良いのね」

 京子は少し怒ったような声でそう言ったのだった。
 しかし・・・その答えを聞いた健志の口の端が小さく上がったことに、京子は気付かなかった。

 パチンッ!

 座椅子に掛けたまま、健志は腕を上に伸ばすと指を鳴らし、冴えた音を部屋に響かせた。
 すると、後に控えていた先ほどの少女が、すぐに飛んできた。

「御用でしょうか・・・ご主人様」

 健志は、しかしその少女には視線も向けずに、布に向って顎をしゃくった。

「取れ」

「畏まりました」

 そう言うと、少女は何の躊躇いも無く座卓にかかった布を端から捲り、その下の料理を2人の視線に晒していったのだった。

「お~、美味そうじゃねぇか」

 布の下から現れるその料理を目を輝かせて見詰めていた健志は、満足そうな声を出した。
 しかし京子はゲテモノ料理を目にするのを躊躇い、思わず視線を外していた。
 けれども健志の声を聞いて、ようやく目の前のテーブルに視線を戻したのだった。

 しかし・・・

 その料理を目にした途端、京子の目は見開かれたまま一瞬にして凍りついた。

 そこに乗っている有りうべからざるモノ・・・

 それに気付いた時、京子は呼吸さえ止まった。
 そして、身体の中から染み出すような震えが全身に広がりそれが頂点に達した時、京子の口から魂が破裂したような絶叫が飛び出したのだったっ!

「いやぁぁぁぁぁぁあああああああああああっっ!!諒子さんんっ!!!」

 テーブルの上に載せられていたのは・・・、全裸の諒子だった。

 真っ白い陶器のようなスベスベの腹の上には、鮨やおせち料理、刺身などが綺麗に盛り付けられている。
 両手は体の脇にそって伸ばされ、両足も真っ直ぐに揃えて寝かされていた。
 しかし、股間の成人女性に有るべきくさむらが綺麗に刈り取られていて、肉のスリットまで隠しようも無く晒しているのだが、それを恥ずかしがる素振りも無かった。
 そして魂を抜かれたようにボンヤリ明いた瞳は、徒(いたずら)に空を彷徨っていた。

「へへへっ!どうだい、京子ぉ。気に入ってくれたかなぁ、特製おせち料理。俺のお手製だぜ」

 健志は腰を浮かし掛けた京子を見上げ、牙を剥くように嘲った。
 そして我が物顔で諒子の豊満な乳房を揉み、無毛の股間に指を滑らせたのだった。
 その乱暴な愛撫に身体全体を揺すられながらも、しかし諒子は何の抵抗も見せなかった。
 その様子は完全に健志の軍門に下った哀れな生け贄に見えた。

「やっ、やめてっ!止めなさいっ、諒子さんに何をするのっ!」

 唯一の希望の光が潰えた光景が与える絶望感、そして諒子を巻き込んでしまったことへの自責の念・・・

 京子はパニックを起したかのように必死で健志の手に取り縋った。

「やめてぇっ!やめて、やめてっ、やめてぇぇぇえええええ」

 しかし・・・

 不意に後から伸びた手が、京子の両腕を掴み強引に健志から引き離したのだった。

「やめてっ、放してっ」

 必死で抵抗する京子はそう言って振り返った。
 しかしそこには、悲しげな表情で俯いたまま京子の腕を抑えている少女の姿があったのだった。

「どっ・・・どうして・・・」

 予想もしていなかった展開に京子は呆然と立ち竦んだ。
 そしてそんな京子を皮肉な笑みを浮べて見詰めていた健志は、そこでようやく口を開いた。

「先生ぇ、お願いしましたよねぇ。マナーを守って食事をしてくれって。それが食事のマナーですか」

 優しげな口調だった。
 しかしその裏に潜む圧倒的な自信が、心の支えを失った京子には恐怖だった。

「さぁ、もうお座りください。ゆっくりと食事を楽しみましょうや」

 再び健志の声がかかる。
 そして健志の瞳に見詰められる・・・

 たったそれだけのプレッシャーに京子は既に耐えることが出来なくなっていた。
 まるで腰から力が抜けたように、京子はそのまま座り込んでしまったのだった。
 そして信じられない現実に、全身の震えを止めることが出来なかった。
 しかし、そんな京子の様子と対照的に、健志は実に上機嫌だった。

「へへへ、先生ぇ、何を誤解されているんですかぁ。『諒子』って、もしかして石田先生のことですかぁ?失礼ですよ、ウチの学校の先生とコレを間違ったらぁ」

 そう言って健志は嬉しそうに喉の奥で笑った。

「くっくっくっ・・・。コレはねぇ、俺が最近飼い始めた家畜なんですよぉ。ちょっと趣向を凝らして今日は皿に使ってますけどねぇ。普段は俺の移動便器っすよ」

 京子は貧血で倒れそうな真っ青な表情で健志のそのセリフを聞いていた。
 健志はそんな京子を見て、嬉しくてしょうがないといった顔つきだった。
 そして左手で諒子の乳首をぎゅっと引っ張りながら言った。

「どう?良く躾てあるでしょ。ふふふふ・・・オイッ!名前を言ってみろっ!」

 その健志の命令に今まで虚ろな表情で宙を見詰めていた諒子の口がゆっくりと動いたのだ。

「私は・・・黒岩健志様専用の『肉便器』1号です・・・ご主人様・・・」

 その声を聞いた途端、京子の目から意志をもった生き物のように涙がボロボロとこぼれ落ち出したのだった。

 (諒子さんっ・・・わ、私のために・・・こんなことにっ!)

 あの美しさと気高さを兼ね備えていた諒子が、いま無残にその身体を晒し隷従の言葉を口にしているのだ。
 その全ての原因が自分にあると判っている京子は、その慟哭を抑えることが出来なかった。

 そして一方の健志はそんな京子の様子を眺めながら、胸がすくような爽快感を味わっていた。

 (俺に楯突くことがどういう結果になるか・・・たぁ~っぷりと思い知れよっ。ふふふっ、まだまだこんなモノじゃ無ぇからなぁ)

< つづく >

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