ドールメイカー・カンパニー3 (6)

(6)取引

 部屋の真ん中で生臭い匂いを発散させながら、5人の男達が絡み合っている。

 蘭子は目の前で開始されたその狂態をチラッとだけ見ると、すぐにプイッと視線を逸らした。
 ヤクザ達には相応しい復讐だったが、その光景は只管おぞましいだけである。

「じゃ、私は一週間したら様子を見に来てあげるわ。それまで皆さんで仲良く過ごすんですよぉ」

 蘭子はまるで保母さんのような口調でそれだけ言うと、さっさと踵を返した。
 後ろから情けない悲鳴が沸きあがるが、勿論完全に無視である。
 そして最後に背中越しに軽く手を振ると、蘭子はそこで初めて小さな溜息を吐いたのだった。

 これでようやくこの監禁小屋を後に出来るのだ。
 長い虐待に、実のところ体力はもう限界なのである。
 早朝にさっさと消えてしまうことも出来たが、さすがにそれでは気が治まらない。
 けれどヤクザ達に取り敢えず仕返しできたところで、気力も限界となっていた。
 体が鉛のように重い。
 しかし、そうして外へと続く廊下へ出ようとした時、全く予想もしていなかった展開が蘭子を待ち受けていたのである。

 パチパチパチパチパチパチ・・

 不意に何処からか拍手する音が聞こえてきたのだ。
 蘭子は訝しげに振り返る。
 しかし、そこには相変わらずおぞましい光景が展開されているだけで、拍手するような余裕のある男はいなかった。
 けれども、拍手の音は尚も途切れずに続いている。

 パチパチパチパチパチパチ・・

 そこで蘭子はようやく気付いた。
 それは天井付近に取り付けられているスピーカからの音だったのだ。

『いやいや・・・全く見事な腕前ですなぁ。ホント、感服いたしましたよ』

 蘭子の視線に気付いたように、スピーカから拍手に代わって男の声が聞こえてきた。
 蘭子は不機嫌そうな視線をそのスピーカに注ぐ。

 (計算外だったわね・・・少し遊びすぎたかしら)

 蘭子は気付かれぬように大きく息を吸い込むと、気力を奮い立たせ無言で相手の出方を待った。

 (誰だろう・・・聞いたこと有りそうなイントネーションなんだけどな)

 その疑問はしかし、すぐに氷解した。
 背後の男たちから叫び声が上がったのだ。

「おっ、おやじっ!」
「おやっさんっ!来てくれたんでっ」
「社長ぉ!たっ、助けてくださいっ!」

 男達のその声に、蘭子は大きく肯いた。

「あぁ、柏田さんだったの。そういえば、暫くお見かけしてなかったわねぇ」

 蘭子は天井のスピーカに視線を向けて挨拶した。
 既に顔色からも、口調からも疲れの色は拭ったように消え去っている。
 特殊技能により採用された蘭子だったが、白神の下で諜報要員として最低限の訓練は受けている。
 弱みを見せることの影響の大きさは熟知していた。
 脳裏にスキンヘッドの巨体を想い描き、油断無く虜にしたヤクザ達に視線を飛ばした。

「おや、嬉しいですね。こんなジジイを覚えていてくれてたんですか」

 柏田金融の社長にして、傘下に片手では足りない非合法組織を従えた柏田会のトップ、柏田大二郎はモニタに映る蘭子をニンマリとした笑みで迎えた。
 買い取った農家の改造は納屋だけではなかったのである。
 納屋が監禁場所ならば母屋はその監視ルームとなっていた。
 そして柏田は荒木達に蘭子の調教を命じる一方、自分は決して監禁部屋に近寄らずここから監視だけをしていたのだ。
 今日もこの農家に到着すると、迷わずこの監視ルームに足を運んでいる。
 採光の悪い奥座敷が今は最新式の機材で埋め尽くされていた。
 監禁場所の全てのコントロールはここから行えるのである。

『忘れるはず有りませんわ。部下の皆さんには随分お世話になってしまいましたの。是非社長さんにもお礼を差し上げたいですわぁ。どちらにいらっしゃるのかしら』

 モニタの蘭子はカメラを探すようにゆっくりと部屋の見渡しながら言った。

「ふふふふっ。私は勘弁していただけないでしょうか。もう歳の所為か、さすがに神宮寺たちのように男同士で元気に立たせることは出来ませんのでねぇ」

 部下たちの惨めな姿を笑いモノにするようなセリフに、蘭子の目がきつくなる。

『あら、つまり部下たちの独断であり、社長は関知しない・・・ということかしら』

 両手を腰にあてスピーカを睨みつけるようなポーズで蘭子は見えない柏田を挑発した。
 強気の蘭子に小さく苦笑いすると柏田はマイクのスイッチに指を伸ばす。
 しかし、それを押す寸前に別のスイッチのランプが点灯したことに柏田は気付いた。
 驚いたように眉を上げる。
 そして反射的にそのスイッチのコントロールをリモートに切り替えると、即座にオフにした。
 続いてモニタを切り替え、ローカルスイッチのある監禁室内の壁面を映す。
 するといつの間にそこへ移動したのか、清水が制御パネルを必死に叩いていたのだった。

 (油断ならねぇメスだ。いったいいつの間に清水に指図しやがった・・・)

 柏田はモニタをギロッと睨みつけると、改めてスピーカのスイッチを押した。

「清水っ、無駄だ。ローカルは切ったぜ」

 それは舎弟にかける言葉ではなかった。
 捕えた敵に通告するような冷たい宣言だった。
 モニタの中で清水は驚愕に目を見開いてカメラを見上げている。
 蘭子がちょっと肩を竦めたのと好対照だった。

 (ったく、役立たずの見本のような野郎だぜ。あんな小娘一人御せねぇ訳だ)

 柏田は自ら舎弟に罠を仕掛けておきながら、その不甲斐なさに腹を立てていた。

『それで・・・どうする御積もりかしら?申し訳ないんですが、私、もうここには飽き飽きしてますの』

 隠しカメラを探り当てたようで、蘭子はヒタと視線をそれに向けたままきり出した。
 腕を組んだまま身動ぎもしない。

「えぇえぇ、そうでしょうねぇ。私もそんなに長くお引止めするつもりは無いんですよ。ただ・・・」

 柏田はそこで少し勿体つけるように一呼吸おいた。

「ただ、お帰りになる前に少しだけビジネスの話しをさせていただきたいのですよ」

 モニタの中の蘭子の目が、その言葉を聞いてスッと細くなる。
 論外としか言いようが無いセリフを訝しんでいるのだ。

『ビジネスですって?何を言ってるのかしら、今更っ』

 案の定、吐き捨てるような口調だった。

『お互いの信頼関係がない状況で、全くナンセンスですわっ』

 蘭子のきっぱりとしたそのセリフを聞いて、柏田は思わず噴き出してしまった。
 全くそのとおりなのだ。

「あはははっ、いやいや手厳しい。それは仰るとおり・・・と言いたいところですが、案外そうでもないんですよ」

 柏田はニヤニヤとモニタを見ながら続けた。

「お互いの利害さえ一致すれば、何の問題も無くビジネスは成立します」

 しかしそれを聞いた蘭子は馬鹿にしたように両掌を上に向けた。

『利害が一致ですって?あなた方はともかく、私にはあなた方に期待するモノなんか何も有りませんわ』

 目を丸く見開いてカメラを見上げる蘭子に、しかし柏田は間髪を入れずに答えた。

「マインド・サーカスを呼び出して差し上げましょう」

 柏田の思いがけない提案に蘭子は一瞬息を呑んだ。

『どういうことですの?私をあいつ等に引き渡すって言いたいの?』

 猜疑心イッパイに見詰める蘭子に、柏田は優しげに語り掛けた。

「お望みなら、そうして差し上げますが。でも、それより奴らの1人を呼び出したほうが蘭子さんには好都合ではないのですか?御執心の彼氏が居ましたよね」

 蘭子は腕組みしたまま片手を顎に添えた。
 柏田の言葉を吟味しているのだ。

「貴方、奴らと提携したんでしたわね。それがどういう風の吹き回しかしら?もう少しマシな嘘をお吐きなさいな」

 蘭子の言葉に柏田はニンマリとした。
 これは拒絶の言葉ではないのだ。
 しっかりと針に喰い付いている手応えを柏田は感じ取っていた。

「今の世の中、ナンバー2では生き残れないんですよ。ナンバー1か、オンリー1・・・。奴らとの提携もその為だし、お嬢さんとの取引もその為です」

 出来るだけ真摯な口調で柏田は訴えた。

『つまり寝首をかこうって訳ね。確かにアンタ達らしい提案だわ。でも、無理よ。最初に言ったでしょ、私、アンタ達を全っっ然、信用してないんだから。奴らを潰したら今度は私って訳よね』

 蘭子はチラッと流し目をカメラに向けると、プイッと横を向いた。

「私も最初に申し上げた筈ですよ、信用できなくても利害が一致すればビジネスは可能だと。ほら、よく言うでしょ、敵の敵は味方って」

 柏田はまるで会話を楽しむように、言葉を続けた。

「我々の望みは実に些細なモノです。蘭子さんの腕ならあっという間に手に入れられるちょっとしたモノを、奴らから奪って来て貰いたいのです」

 柏田の口調は軽かったが、そのモノが言うほど簡単な訳は無かった。

『何を欲しいと言うのよ』

 右目の眉を軽く上げ、蘭子はスピーカをジッと見詰めた。

「顧客名簿・・・。奴らの顧客名簿を頂きたい」

 ポツリと毀れ出た柏田の言葉は、静かにマイクに吸い込まれる。
 しかしモニタに映る蘭子の表情が、その言葉の効果を物語っていた。

 マインド・サーカスのような組織が力を発揮するために最も必要なことは、その匿名性である。
 実体を掴ませないことが存在のキーポイントなのだった。
 逆に言えば、その構成メンバーや、所在地や連絡先が知れ渡ってしまえば、もう存在し続けることは出来ないと言って良い。
 無論、柏田とてマインド・サーカスの連絡先くらいは知っている。
 しかし、それは単に窓口の一つを知っているに過ぎない。
 それではマインド・サーカスの実体には迫れないのだ。
 けれど顧客名簿に載る人物を知ることが出来れば、そこから手繰る方法は幾らでもあった。
 一人一人の顧客が持つ情報は単なるベクトルだが、それを組み合わせることで一点に収斂する実体が浮かび上がってくるのだ。
 そして本名や顔、指紋や戸籍が知られてしまっては、どんなに催眠の腕が天才的でもそれだけで逃げ遂せることは現代社会では不可能なのである。
 まさに『顧客名簿』はマインド・サーカスの生命線を握る唯一といっていいアイテムだった。

『本気なのね・・・。アンタ、本気で奴らの息の根を止めようって思ってるのね』

 目を丸くしてそう呟いた蘭子は、しかしすぐに視線を下げると小さく微笑んだ。

『馬っ鹿みたい・・・。で?私への報酬は何かしら?まさか只働きをさせようなんて思ってないわよね』

 蘭子は両手を腰にあて、挑むようにカメラを見上げた。

「1000万・・・。前金で500万を先ず差し上げましょう」

 頬杖を突きながら柏田はサラリと金額を口にした。
 しかしモニタの中の蘭子は軽く肩を竦めて首を振っていた。

『なに、それ。私が受けた迷惑料が入ってないわよっ』

「あぁ、なるほど。失礼、そうでしたね。それでは倍の2000万でどうです?」

 簡単に倍を提示するその姿勢に、蘭子はむっとした。
 最初の金額が只のブラフであるか、あるいはそもそも本当に支払うつもりなどないのか。
 そのどちらであっても舐められている事に変わりは無かった。

「このへんで手を打って貰えると助かるんですけどね」

 蘭子の機嫌を察知したように柏田は弱ったような口ぶりで言った。

「蘭子さんのような腕利きの催眠術者を相手に駆け引きをしても勝負になりませんから。もうこれが精一杯という額を言わせて貰いました」

『あら、そうでしたの。どうしようかしら?あんまり端(はし)た金で動きたくないんですよね』

 蘭子はチラッとカメラに視線を向けた。

『お断りさせて頂けるかしら』

 小首を傾げて上目遣いに見上げる姿は子猫のように可愛らしかった。
 けれどモニタでそれを見詰める柏田の目には一片の温かみも無かった。

「それは困りましたね。私としても腹を割ってお話ししたつもりだったんですが・・・。ま、ビジネスですから交渉がいつも上手く行くとは限らないものでは有りますがね」

 柏田は小さく溜息を吐いてそう呟いた。

「でも、無理強いはできませんから、仕方ない、諦めるとしましょう」

 あっさりとそう口にした柏田の声を蘭子は気に食わないといった表情で聞いていた。

『ご理解頂いて有りがたいことですわ。それじゃぁ、わたしそろそろお暇致しますわね』

 そう言う蘭子を、柏田はしかし鼻で笑った。

「いえ、残念ですが、もう暫くそこに居て頂かねばなりません。マインド・サーカスに私どもの計略を知られる訳にはいきませんので・・・。上手く私たちが顧客名簿を手に入れるまで少々お待ちください」

『ちょっと・・・それっていつまでよっ。誰に頼もうって言うのよっ』

 蘭子は柳眉を逆立てて声を荒げた。

「さて・・・どうでしょうねぇ。先ず候補者選びから始めますんで・・・ま、半年ほど」

 しれっとした柏田の答えに、蘭子の顔がみるみる赤くなる。

『ふざけないで貰える?』

 低いゆっくりした口調が蘭子の怒りを物語っていた。

「ふざけてはいませんよ。『敵の敵は味方』と言いましたが、味方にならない以上貴女は敵ですので。奴らとの情勢如何では、貴女が先程口にされたように貴女を奴らに差し出すこともあります。その時は無論、ここ1週間ばかりの貴女の記録も一緒に提示させていただきますよ」

 (どうやら切札は相手のほうが沢山持っているらしいわね・・・)

 蘭子は表情を変えずに頭を切り替えた。
 少し粘れば脱出の方法が無いわけではなかったが、疲れきった体は清潔でふかふかのベッドを強引に要求していた。

「そういうこと・・・。判ったわ、私に断る選択肢は無いようね」

 蘭子は相手に見えるように肩を落し溜息を吐いて言った。

『ま、そうお気を落されませんように。今申し上げたことは単なる違反時の罰則のようなモノですから。純粋にビジネスとしてみた時には2000万稼ぐにはオイシイ仕事じゃないですかね。無論蘭子さんの復讐にも全面的にバックアップさせていただきますよ』

 蘭子の態度に満足したように、柏田の声は弾んでいた。

「そうね、確かに大して難しい仕事じゃないわね。でも・・・私も裏切られたくないので少し保険をかけさせて貰いますわ」

 蘭子はカメラを見上げて宣言した。

「一つは、作戦は私に任せること。私は私のやり方で進めます。余計な口を挟むんなら降ります。宜しい?}

 蘭子の問いに間髪入れずスピーカが答える。

『無論ですとも。我々も一旦お任せした以上、蘭子さんのやり方に口を挟んだりしませんよ。全く問題ありません。他には?』

 逆に問い掛ける声に蘭子は指を2本立てた。

「2つめは、アナタ方にも役割分担をして貰うということです。作戦は私が立てますし奴らの洗脳も私の仕事です。でも私には手足が居ませんのでアナタ方の兵隊を動かして貰います。勿論勝手に洗脳したりしませんし、なんだったら貴方に必要なことを伝えますので、貴方が直接兵隊を動かしてくれてもいいわ」

 蘭子のこの提案には先程よりも少しだけ時間を掛けて答えが来た。

『ふむ・・・ま、良いでしょう。仰るように私に直接連絡してください。私が必要なメンバーを動かしますから。以上でしょうか?』

 柏田の声に蘭子は今度は1本だけ指を立てた。

「最後に1つだけ・・・。ちょっとこいつ等をこのままお返しするのでは私の気が済みませんので、暫く私に預けて貰います。といっても別に連れて帰る訳では有りませんのでご安心を。ここに置いといてください。それでいつでも連絡取れるようにしておいてくれればそれで良いわ」

 蘭子のこの提案に、開放されると思っていた荒木達は悲鳴を上げる。
 しかしスピーカの声はそんな男達の声を無視するように答えていた。

『そうですか・・・、致し方ないですね』

 少し悲しげなトーンでそう話した後、口調をガラリと変えた。

『おいっ、荒木っ!聞いたとおりだ、テメエらの不始末だ、ちゃんと蘭子さんに詫びいれろや』

 自分が命令したにも拘らずまるで荒木の暴走のように柏田は言った。
 そしてそれに言い返せないのが、代貸しの辛いところである。

『では以上の3つの条件は飲ませて頂きますんで、蘭子さん、ひとつ宜しくお願いいたします』

 最後まで姿を現さない柏田の用心深さに蘭子は諦めたように肯いた。

「判ったわ。2,3日したら連絡するから。扉の鍵を開けて頂戴っ」

 そういって蘭子は振り返りもせずに廊下へ出て行った。

『蘭子さん、くれぐれも連絡を宜しく。例のビデオも写真も我々の手にあることをお忘れなく』

 駄目押しのように廊下に響く柏田の声を無視して、蘭子は扉に手を掛けた。
 まるで金庫のような頑丈な扉の取っ手がゆっくりと回る。

 蘭子は久しぶりに味わう外気に胸を大きく膨らませた。

 (さぁて、少し厄介なことになっちゃったわね。でも、いいっか、これで“きつね”くん、貴方と会うためのお膳立てが出来そうだわ。待ち遠しかったかしら?でもね、私ったらちょっと強くなりすぎちゃったかもしれないわね。この前の件も有るしね、ちょっと意地悪しちゃうわよ。頑張って罠を突破してね、期待してるわ)

 蘭子は、その時の“きつね”くんの顔を想像して、クスクスと小さな笑い声を立てていたのだった。
 まるで少女がちょっとした悪戯を思いついたように、邪気の無い、天真爛漫な笑顔で・・・

< 第1幕 魔女の屈辱 (終了) >

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